ENo.0682　ガブリエラ・α=8・ストークス

ガブリエラ・ストークスという女は、かつて退屈な女だった。
研究に身を捧げるような人生を送りながらも、その研究に対する熱意は浅く、そして余所に向ける興味もなかった。ゆっくりとどこかに漂着する人生。そういうものだと彼女は決めつけていたし、事実、そういう人生だった。
しかし彼女がたどり着いたのは、霧の戦場だった。
次元潜航という技術が実用レベルにあるか実証する実験に、彼女は強い興味を抱いた。
兵器メーカとしての最終実地試験は、言うまでもなくウォーハイドラがウォーハイドラを撃破することだ。
彼女はそれをした。
激烈な衝動に囚われた彼女は、誇大妄想的に、次元潜航機が、ウォーハイドラすべてを撃墜する世界を思い浮かべた。破壊。破壊。破壊。彼女がローテイターと名付けたそれは、次元潜航の飛躍的な行動能力を、一つに束ねて力とすることから由来し、コロッセオのランキングをまったく塗り替えてしまいたいという欲望に起因する。積分としてのrotationと、回転としてのrotateだ。ガブリエラ・ストークスとはパイロットネームに過ぎないが、その名前は『ストークスの定理』のジョージ・ガブリエル・ストークスに由来する。

ある種の啓示を元に宗教的破壊を求める彼女の本質はテロリストそのもので、彼女は賛美されるような人間ではない。ある意味では退屈な世界にうんざりした一人の女が、自棄を起こしてそれを台無しにしたくなったとも言える。

その性格は、私もさほど変わらない。
迷惑な女だ。私は。
メルサリアという女のことは断片的にしか知らないが、彼女が『ドゥルガー』に対して向ける強烈な欲望は、私にも覚えがある。世界などどうなってしまってもいいんだ。彼女は、私は、ガブリエラ・ストークスは。
迷惑な女だ。

私はガブリエラ・ストークスではない。
ガブリエラ・ストークスという女は、存在しない。
それは私の本名ではなく、一つのパイロットネームに過ぎない。周囲にとって私はガブリエラ・ストークスだし、確かにガブリエラ・ストークでもあるが、ガブリエラ・ストークスたる私が私全てではない。

α=0に刻み続けていたガブリエラ・ストークスの名前は、私を呼ぶガブリエラの名前は、私の全てではない。生活をし、息をし、喫茶店でトーストを食べる私はそこに含まれない。今や巨大な研究体となった篠崎の名に重荷を感じ、望まれていた生物学ではなく物理学を志した娘はそこにいない。

ガブリエラ・α=8・ストークスがα=0に帰還したとき、その娘は消える。

意識や肉体を保ったまま、全ての位相空間から存在のみを失ったとき、人はどこに到達するのか？

それが私……篠崎・α=8・菖蒲の最後の試みだ。
不明の霧の中へ。
不確定の中へ――。

（まず一つ確定したいのは、そうなったあとでも、私はピザを食べれるのだろうか？　ということだ）