ENo.0440　ヴィラカティ

それは最初、濃霧の奥深くの影としてしか認識できなかった。
巨大な円環状の、七色に光り輝くユニット。

「あれが　領域拡散精神遊離環……
……きれいね…とてもきれいよ　デバステイター」

その環を戴く機体を、アウトレンジから見つめていた。
大隊が配置に付いたとの通信。
ハッキングコードが次から次へと、緑色の光として流れては消える。


「う　ぐ、」

意識の外で漏れた声を自分が発したものだと認識したのは、
体の内側からじわりと染み出すような痛みを自覚してからだ。
変化は常に痛みを伴って現れる。
ヴィラカティは反射的にピンと背を仰け反らせ、
それから耐えるように前へ倒し、狭い棺の中で暫く体を痙攣させた。

（こんな時に……）

ハイドラに出撃準備の通信が入る。
汗を拭いながら、ヴィラカティは答えた。

「こちらヴィラカティ　ハイドラ：アルダナリー
　機体に異常なし　…出撃可能」

既に目の前は、濃霧に包まれていた。


◆


人と鉄で溢れていたキャンプに、今や人の気配は無く、
声もノイズもない代わりに街全体を打つ雨音だけが煩わしく響き続けている。

皆一斉にスポンサーの指示で塔を目指していた。
どこからともなく渦として現れた水は、
鉄くずを寄せ集めて作られた街をすぐにでも洗い流してしまう勢いだ。

トマスや整備工場の技師たちも塔へ向かっていたが、
道中で押し寄せた洪水により道を分断されていた。
「おい！マルコ！マルコがいねぇぞ！」「アイツ流されやがった！」
「バカ！何で先に行っちまうんだよ」「ピアルもいねぇ！」
「もう…おしめぇだあ……」
轟音の中で声を張り上げながら、整備士たちは顔を青くして波から逃げる。
トマスは決断をしなければならなかった。

「工場へ戻ろう」

その場にいた者達は耳を疑ったが、それも当然だった。
つい先ほど、技師達を乗せたミストエンジン車が流されたばかりなのだ。
誰かが異を唱えるより先に、トマスは口を開いた。

「残ったパーツでハイドラを組むんだ。強く、激しく霧を蒸かすハイドラを。
　貯水をすぐに使い切ってしまうくらい、強くだ。
　水ならいくらでもある」

「アタシも賛成よ」

沈黙を破ったのは、流されたかと思われた半漁人ピアル。
両脇に抱えた整備士を陸地に降ろし、「これで人手は足りるわね」と頷いた。

「わしらは此処で立ち止まってはいかん。先へ進むんだ。
　最後まで諦めず、行こう。わしらはわしらのやり方で先へ進むんだよ…
　道が無くてもだ」

トマスは静かに、それでも確りとした口調で言い聞かせ、来た道を戻る。
暫しの後、整備士たちも同じように後へ続いた。

「それに、もう考えている時間はないみたいよ…」


◆

――…　…

ヴィラカティはトリガーを引く。
既に乳房は膨らみ終えたが、肋骨が僅かに縮小し、肩は狭まり、股関節が広がるのに合わせ
臓器や筋肉、脂肪が元の位置から移動しているのが、痛みという感覚で嫌でも自覚する。

感覚を和らげるためにある種の脳内物質が働く機能も、
今の状況では作り出せそうになかった。

　……――…

攻撃を受けた時に受信機能が故障したのか、
ニュースと通信がない交ぜになっているようだ。
「こちらヴィラカティ　ハイドラ：アルダナリー
　誰か聞こえている？　こちらヴィラカティ………」

―…　―…　…

(あぁ　痛い　痛いわ…　体が　千切れてしまいそう)

ノイズ交じりの音声の中で、新たな通信を知らせるランプが二つ。
「ねぇ、聞こえているの……」
ヴィラカティは咄嗟に話しかけようと通信機に眼を向けた瞬間、
霧をかき分けるように、目の前に閃光が走り――

　　　―…　……――…





　　　　　　《　あなたは、何とともに戦うつもり？　私は――　》

　　《　私は―――　》





◆


『ヴィラ』

『ヴィラ！ヴィラカティか！？
　聞こえているかね　わしだ　トマスだ』

『今整備工場にいるんだ　雨が酷くて　波がすぐそこまできている
　だが大丈夫だ　わしらにはわしらのハイドラがある
　船というにはちっぽけだが　だが…大丈夫だ　大丈夫』

『君が無事だと信じている　信じているから　だから行くよ
　道がなくてどっちに進めばいいのか分からん　だがわしらは行くよ』

『ヴィラカティ！聞こえているか……』

　　『トマス、もう持たない！早く！！』

『あぁ……わしらは行くよ　だからヴィラカティも行くんだ
先へ進め　立ち止まってはいかん』

『先へ進むんだ　いいね、ヴィラカティ』

『生きて、生きてまた会うために！』

「霧の先へ行こう」