ENo.0019　種を蒔く魔王『ノイ』

四方を白い壁に囲まれた部屋にノイは立っている。
向かいに立つのは朽ちた魔王。長い前髪で目は隠れ、ゆったりとしたローブが体の線も隠している。両耳の上から生えた角はひび割れていて、もう枯れ草になった花冠の名残が引っかかっている。

「……んで、最後の継承ってのは具体的に何をするんだ？」
《ここは魔王領域。畳にして四つと半の広さに、世界の全てを詰め込む魔法》

二人の間に風が吹き、四方の壁が消え去る。
欠けた石柱、崩れかけの東屋、足元に広がる青い花……見慣れた魔王領域の景色だ。
風になびいた黒髪の間から青い瞳が覗く。ノイを見つめて朽ちた魔王は問う。

《これはぼくの世界だ。きみの世界は、どんな形をしてる？》
「俺の、世界」

答える前に朽ちた魔王は崩れ去った。ノイが魔王に選ばれた時も同じように消えていったが、きっと二度目はない。問いかけることが彼の最期の役目だったのだろう。
辺りの景色も、真っ白い部屋に戻っていた。床に書かれた魔法陣が呼吸するようにゆっくりと点滅している。

「俺の世界……やっぱ畑になるのか？　家が家だし」

今でこそ冒険者として方々を旅するノイだが、育ての親は農家だ。戦災で家をなくし路上で暮らしていたノイを連れて帰り――すでに猫様と行動していたので彼女も一緒に引き取られた――農業や狩りの仕方やその他諸々、生活の術を叩き込んでくれた。
そうして今日食べる物にも困るような生活から抜け出して、余裕を持って周りを見られるようになった頃。ノイは旅をしたいと両親に打ち明けた。広がる畑の向こう、山を越えたさらに先に、どんな景色があるか気になってしまったのだ。


両親はノイを止めなかった。少しだけ寂しそうな顔をして、その後笑って、一人と一匹を送り出した。
それからは気ままに旅をし、たまに帰って畑を手伝い、また旅に出る……というのを繰り返している。

「帰る場所があるから、冒険者なんてやってられるのかもな……。よし、決めた！」

魔法陣の真ん中に立ってノイは頬を叩く。真に己のものとなった魔王の力で、問いの答えを、自分の城を作り上げなくてはならない。
目を閉じて意識を集中する。
掘り返した土の匂い。種蒔きの唄。青々と葉の茂る果樹。干し草の山から見た夕日。黄金に輝く麦。心の奥にずっとある故郷の景色。

両手から暖かいものが流れて、心臓に熱を宿す。
――瞬間、四畳半に光が満ちた。


＊＊＊＊＊＊


穏やかな風が吹く農園。
ノイは猫様を肩に乗せ、あぜ道を歩いていく。

「しかし驚いたな、ここまで城の景色が変わるなんて」
「これでこの城はカンペキに俺のものッ！　あ、いや、猫様のものでもあるんすけど」
「構わないさ。今後、魔王を名乗るつもりはないからな」

光芒の魔王フルジェスターラの姿はもうない。猫様はただの猫に戻っていた。
今後あの姿にはならないと言う猫様に、ノイが抗議の声を上げる。

「久々にあっちの姿が見られると思って楽しみにしてたんすよ！？　なのに、起きたらもう戻ってるって……！」
「お前が早く起きないのが悪い」

一蹴されたノイは肩を落とした。猫様は気にした様子もなく、地面に飛び降りて先へ進んでいく。
畑の間を横切り、果樹が並ぶ道を抜け、小高い丘を登ると一軒家が見えた。どこにでもある二階建ての木造建築だが、ここが魔王領域の最奥という扱いらしい。
猫様が振り返ると、ノイはしょぼくれながらもすぐ後ろに着いてきていた。

「いつまで引きずってるんだ。そろそろ勇者が来るんだろう」
「あぁー……そうっすね……」
「何だ。この姿のわたしは嫌いか？」
「そんなことないっす！！　大好きです！！！」

半泣きになったノイにあっという間に抱き上げられて、猫様は意地悪な質問をしたことを後悔した。ノイは一度こうなると長い。
謝罪と告白を交互に繰り返す機械になったこの男をどうやって宥めたものか。
猫様はノイの腕の中で思案するのだった。

◆ENo15とENo19の二人ユニオンです◆

水族館のいきものふれあいコーナー、の名残。
タッチプールには生き物はいないし、海水だけが揺蕩っている。
種を蒔く魔王『ノイ』の力により、鮮やかな花々が咲き誇っているが、それすら墓前の花に見える。

【可能性の魔女】ルシュティエッタは、主にここにいる。