第1話

0は何をかけても0のままだ。つまり0を何回繰り返しても0のままだということだ。さしずめ、彼が繰り返している投石攻撃も、ダメージが0であるゆえに、何千回繰り返しても敵に損害を与えることはできない。
彼自身も、最初は心の中ではそう思っていたのかもしれない。

「カイリ! ごめん、ようやく追いついた!」
慌てる女の子の声が聞こえた。見知った声だ。広い空間に反響して、どこから聞こえてくるか分からない。カイリと呼ばれた少年は投石をやめた。場を確認する。
鍾乳洞の巨大な空洞。あちこちにガス灯が光り、ぼんやりとした影が天井に踊っている。天井の高さは10メートル以上ある。

カイリは地面にいた。学生服のズボンをびしょびしょに濡らして、水たまりの上を走る。運動靴の中まで地下水に浸され、裂かれるように痛い。カイリは息を切らして、必死に走る。彼は敵に追われているのだ。
「カイリ、今そっちに行く!」
再び女の子の声。辺りを見回しても、上手に隠れているのか、姿は見えない。見えるのは、後ろから追いかけてくる巨大な敵……蠅の頭が生えた、3メートルの巨人である。右手に丸太のようなこん棒を持ち、ぼろ切れを身にまとっている。それが大股で歩いてカイリを追いかける。

「ダビデは、かつて巨人ゴリアテを投石で倒した……」
カイリはたまに足元の石を拾い、蠅頭の巨人に向けて投げつけた。石は巨人に当たるが、何も感じていないようだ。歩みは止まらない。
「無駄だ、無駄無駄」
蠅頭の巨人は無機質な声で告げる。さっきと同じだ。先ほど、偶然出くわした蠅頭の巨人とカイリ。二人はしばし見つめあい……互いを敵同士と認識した。カイリは驚いて、とっさに足元の石を投げる。そして蠅男は言ったのだ。
「無駄だ」
それが、カイリの逆鱗に触れた。

「俺はな……この世で一番……無駄って言葉が嫌いなんだ!」
それからこの奇妙な逃走劇は続いた。広い空洞に誘い込み、そこでぐるぐると逃げ回った。投石ははっきり言って、何のダメージもない。ただ、その行為はカイリにとって意地の見せ場だった。
「お前が無駄だと言った投石、俺はいつまでも続けてやるぜ! それが俺の、お前に対する復讐だ!」
「そうか、そのまま死ね!」
蠅巨人はとうとうカイリを捉えたかに見えた……次の瞬間、女の子が『落ちてきた』。それも、蠅巨人の頭の上に!

「ぐべっ」
蠅巨人の蠅頭が潰れて黄色い体液をまき散らす。頭を踏み抜いた少女は少し嫌そうな顔をして、綺麗にその場からジャンプした。水しぶきを上げて、地面の水たまりに着地する少女。
少女はゆったりとしたローブを身にまとい、大きな杖を手に持っている。スカートにはスリットが上まであり、白く細い脚が覗いていた。表情は不安げで自信が無さそうだったが、可憐な野の花のように気品がある。

「見て見て! 見た見た!? わたしの新必殺技! 名付けてスプリング・ジャンピング・ストンピングドロップ! わたし、ちょっと強くなったかもー!」
先程までカイリと同行していた彼女は、蠅巨人に出会ったと同時に隠れ、彼に囮になってもらい、その間攻撃手段を練っていたのだ。ただ、彼女はカイリや蠅巨人ほど足が速くなかったので、その分余計にカイリは時間稼ぎする必要があった。

「この蠅頭、白い蠅の魔王『スバタ』の手先だよね、こんなところまで侵攻してきたなんて」
「ここも危険になってきた……早く……ん?」
カイリは自身の身体をパタパタとさする
「カイリ、もしかして時間?」
「みたいだ」
カイリの身体が、ふわふわと揺らいでいく

「また来るよ。といっても、いつになるか分からんが」
「私、待っているから……それまで、わたし、もっと魔法を完璧にして……」

ふっと、瞼を閉じたように辺りが暗くなった。ガス灯の明かりはゆらゆらと揺れて、0の数字の羅列に変わる。この空間だ。カイリは不思議に思う。
0の数列が左手からずっと伸びていて、彼の目の前で永遠に0を刻みながら伸びている。この昏い暗黒を、世界が切り替わる瞬間の数秒だけ、いつも見ている。
「0は嫌いだ」
カイリはそれだけを呟く。そして、世界が切り替わった。

カイリ……いや、『海里』は目を覚ました。彼は夢を見ていた。夢の中で、彼は男子学生になり、謎の少女と戦いを続けていた。本当の彼は、ただの、37歳のサラリーマンなのだが。どういうわけか、連続した夢を見る

「不思議な話だ」
ぼんやりと朝を過ごし、ニュースをチェックする。世界情勢は不穏さも欠片もなかった。ただ……
「世界の命運を担う……神の建造?」
突拍子もないニュースだった。その人造神は、あどけない娘の顔をしていた。
「どうなることやら」
海里は窓の外を眺める。超高層ビルから眺める世界は、地平線まで続く摩天楼の栄華を極めていた

第2話

「魔王……か」
仕事の合間に、海里はそのことばかり考えていた。異世界転生。それが、自分の夢の世界で繰り広げられている

海里が協力している少女、全自動劇場の魔王『ストロネ』。彼女は、海里をカイリとして召喚し、自らの力の源にしていると言っていた
魔王。
一つの学説があった。魔王領域論という。簡単に言えば、空間が感情や知性を帯びているという論だ。
この世界は、非常に不安定な世界であり、なぜかというと、空間が感情を持っているからだ、という。
時空を支配するはずの法則が、不安定な感情でもって支配されている。
まさに、魔王の支配をうけた世界、というわけだ。

「ニュースの見過ぎか」
海里はあくびをして、貴重な休憩を使って仮眠を始めた。
そう、魔王領域論はいま最も熱い研究分野である。
感情であるということは、理性でもって制御できる、というわけだ。その理性をもたらす、人造の神、ドゥルガー……
眠りに落ちる前に、彼は、ストロネの顔を思い浮かべていた。

「また来たのね!」
「また来ちゃい……ひゃああああ!」
カイリは再び夢の中、一気に目が覚める光景を目にした。360度の蒼穹のパノラマ。足場は頼りない1メートル四方程度。
そう、彼はどこまでも高い尖塔の上に立っていた。
「どこだよ、ここ!」
「私の新しい見張り台」

ストロネはというと、カイリの足元すぐ下、尖塔にコアラのように抱き着いていた。
「どうなってんだ。ストロネ。こんな建築物を……」
「これこそが、魔王領域の力。その広さ、畳にして4つと半! そこには、あらゆる世界を詰め込むことができる!」
「よくわからんが、何でもできるってわけだ。それならひとつ、俺を下ろしてくれんか!」
「よしきた!」

瞬きした瞬間、狭い部屋に……女の子の部屋に、カイリはいた。隣にはストロネ。目の前にはティーセット。
「わかってくれたと思う。わたしの新兵器。あの尖塔で、近づく敵を察知!」
「わかったわかった。ところで話は変わるけどさ」
「100%わかってないそぶり!」
カイリは、かねての疑問をぶつけてみた

「なんでそんなに魔法を研究したり、防衛設備を築いたり……まるで何かが攻めてくるみたいじゃないか」
「えっ、言ってなかったっけ。攻めてくるよ。勇者が」
「異世界転生~~~~~!!」
目を輝かせるカイリをあきれ顔で見ながら紅茶を一服するストロネ。
「冗談じゃないよ。勇者はマジでやばいんだから」
「まぁ、頑張ってくれよな。俺は特に力にはなれないが……ん?」
パタパタと身体をさするカイリ。
「時間……? 早くない?」

カイリの身体がふわふわと揺らいでいく。
「ま、またな! ストロネ! 次は新しい魔法を……」
そこで視界が切り替わった。
紅茶も、ストロネの影も、すべては一本の0の数列に変わり、跡形もない。
いつも見る光景。これは何なのだろうか。何を意味しているのだろうか。
「わからないが……ゼロは嫌いだ」

目を覚ます。仮眠は終わり、午後の業務を始めなければならない。
最後にスマホを軽く見る。ニュースが目に飛び込む。
「ドゥルガー、魔王領域との意思疎通に成功……?」
急いで記事を見る。
何か良くない予感がする。
目がぎろぎろと動く。
のどが渇く。
自分は、このニュースの行く末を知っている!
だが、それが何なのか分からず、一瞬のデジャヴに終わる。

「魔王領域、自らを『セワ』と名乗る……」
強烈な感覚に襲われた。
この名前を、自分は知っている。
ただ、やはりデジャヴに終わる。
海里の午後の業務は、全く進むことはなかった。

第3話

「また来たのね!」
「また来た。また来た。なぁ、ストロネ……」
カイリはあたりを見回す。辺りに散乱する調理器具。鍋や食器
かまどの火は煌々と燃えていた。その光が、小さな部屋を下からぼんやり照らす
かび臭いにおい。蜘蛛の巣のにおい。薪の燃える音。火の香り
いわゆる台所だろう。そこにストロネは、いた

「メシ……作りまくりよ!」
「どうしたんだいったい。なぁ、ストロネ……」
「どうもこうもないね! これから、部下のメシを作るのよ」
ストロネはそう言って、大きく手をかざした。すると、食器や調理器具が動き出す
何度も見た光景だ――魔王領域、その力

魔王領域は、全てを意のままにする
そして、魔王は結果を得るのだ。どんな夢もかない放題
そう、調理器具は勝手に動くし、食材は鍋の底から湧いてくる
そして、山のような料理という結果だけを、動くことなく手に入れる
――いま、目の前で繰り広げられているように、だ
魔王は魔法の王権を振りかざす
すなわち、この魔王領域においては、魔王は絶対的な権力者であり
法も律も思いのままに、全てを統べる……

そして、料理が完成する。山盛りのミートソーススパゲッティ
「俺のいる意味って?」
「ふふ、わたしの力の源になる……あなたはいるだけでね」
「不思議なことだな。俺はそんなことは何一つしていやしないが……」
「それはあなたが……だから」
カイリに背を向けて、静かに呟くストロネ
「何だって?」
「秘密! それより、腹ペコの子分たちにご飯やらなくちゃ」
台所の扉を勢いよく開ける。その向こうは虚無……《奈落》だった

「メシメシ~~~~」
頭が篝火になった不思議な男が現れ、篝火にスパゲッティをくべていく
彼が、ストロネの子分であり、兵隊だ
カルマウィザードという分類らしい。それ以上のことはカイリは深く知らなかった
「ウメェ~~~~~~」
篝火男は身体を震わせて喜ぶ

「さて、栄養補給を終えたら、今回の作戦を説明するよ」
ストロネはカンカンとお玉を鍋にぶつけて、注意を喚起する
「ここは、底抜け天井ってダンジョンなのはわかるよね」
「わたしはここで、防衛戦を強いられている。ディフェンディングチャンピオンってわけ」
「でも、防衛には拠点が必要。こんな道の途中でフラフラしてたら、守れるものも守れない」
「ということで、目指すはここ。難攻不落の迷宮《コズミックスフィア》」

ストロネは、ふわりと虚空に像を結ぶ。光でできたホログラムのような地図が現れる
カイリは率直な感想を述べた
「絡まった糸くず」
「惜しいね。これこそが、最強の3次元迷宮《コズミックスフィア》。一度迷えば、二度と抜け出せない」
「俺たちも抜け出せないのでは」
「魔王領域の力さえあればそんなことはないし、攻めてくるのは魔王領域を持たない勇者だもん」

自信満々で告げるストロネ。その日は、カイリがそこで時間切れとなった。元の世界に戻る海里
その一瞬、ふっと暗くなった世界で、海里は自身の左手から伸びるゼロの数列を見ていた
これが何を意味するのか分からない
ただ、今の海里には……とても無意味なものに見えた

第4話

海里は眠い目をこすり、朝の支度を始めた。海里はサラリーマンゆえに、働かなければならない
それは自明の理だったし、いつまでも夢には浸っていられない。そういうものなのだ
海里はよく、夢と現実を思っていた
夢が覚めなければいいのに。むしろ、夢と現実が逆であったらよいのに
灰色の世界だ。この――窓の外を見る――摩天楼の世界は
地平線のかなたまで続く超高層ビルディング
科学文明の栄華の極み。すべての人々の幸せを叶えた世界
そういうことになっている
それが本当なら、人造の神など作っているはずもないが

(人造の神……か)
先行量産型ドゥルガーはおよそ500体作られるという
スマホでニュースを見ながら、あくびをかみしめた
このエレベーターという奴は30分も乗る必要がある。無数の出勤者を詰めて、だ
人々は視線の行く先を失い、スマホにすがる
ただ、人造神にもはやり危険視をする人々が存在した
(『ドゥルガーの不完全性理論』……か)
いま、世界は3つに分かれていた。国境が3つに分けているわけではない
宗教派閥に近い

一つは、エクソスフェア・コントロール(ESC)
ドゥルガーを建造することを支持する者たち
世界に干渉し、世界を……この、どうしようもない世界を変えると意気込んでいる者たち

もう一つは、アフターイメージ・リコール(AIR)
もっとヤバい奴ら。この時空を、『残像領域』という超時空に相転移させてしまおう、という組織
それを実現するために、彼らはハイドロエンジンという奇妙な機械を作り上げた
このエンジンはドゥルガーにも組み込まれている

最後は……グレムリンズ・ギフト(GsG)
謎の秘密結社。世界を滅ぼすって噂。嘘か本当かわからない

この、バイオスフェア・シティは、一応ESCの直轄領と言ってもいい。~スフェア、と名付けられた人工都市はみなそうだ
AIRとESCの摩擦は日に日に激しさを増しているけど、そんなことはニュースの向こう側の世界
いまはこの、エレベーターに揺られて職場と家を往復する以外のことは、何もない平和

働き、一日を終え、エレベーターに揺られ、自宅に帰り、死んだように眠る。この眠りが、最近の楽しみの一つだ
寝れば、またストロネに会える。そして、胸のすくような冒険をして、現実に帰る

そんな日々が、ずっと続くと思っていたのに

第5話

起きた先は、冷たい霜の張り付いた世界だった。最近地下水の世界ばかり歩いていたが、どうやらコズミックスフィアは冷たい世界らしい
近づくたびに気温が下がる。そして、洞窟内が白く輝いていく。吐く息も白い
カイリはストロネを探す。近くにいるはずだ。そして、カイリを探しているはずだ
しかし、広がる先は白く輝く世界。霜が発光し、輝きを放っているが、人の影一つない

「どうしたものかな」
歩くほかない。カイリはしゃりしゃりと霜を踏み、歩き出した。当てもなく。地面を見ても、足跡はない
しばらく歩くと、振動が遠くからやってくることに気付いた。大きい。何かが、やってくる!
「トラックでも走ってるのか」
当たらずとも遠からず。やってきたのは、『鉄塊』だった!

金属の立方体が霜を吹き飛ばしながら、やってくる! 洞窟の通路一杯の大きさで、逃げる場などない!
「おいおい、マジか、轢かれる……」
しかし、ガリガリと爆音を立てながら、金属塊は停止した。カイリの目の前で
表面が一瞬、ぴかぴかと七色の光の筋を走らせる
そして、金属塊は『喋った』!

「少年! 無事だったか」
「無事も何も、誰なんだ、あなたは」
女性の声だ。張りのある、大人の声だ。金属塊は話を続ける
「この区域は我々の支配下にある。我々に従ってもらうぞ、少年」
「従ってもいいけど、俺はひとを探してるんだ」
「なら、さっさとその人を見つけて、去ってもらうぞ。ここから……」

金属塊は、ルービックキューブのように亀裂が入り、ガシャガシャと自らを組み替える
そして、元の金属塊に戻る
「今索敵を行ったが、周囲2キロには誰もいないぞ。本当にいるのか? 君の探し人は」
「いるはずなんだけど……しょうがないな、君に従おう。君の名前は?」
「よくぞ聞いてくれた!」

金属塊は再び変形を開始し、今度はロボットの形になる
平面と直角だけで構成された、人型のシルエット。そして、胸が開く
そこから現れたのは、白い肌、白い髪に、金色の目の少女のトルソーだ

そして少女は告げる

「私はデスケル重工製デバステイター【236xv988ppd】だ」

それは、いまのカイリには聞き覚えのない文字の羅列に過ぎなかった

第6話

「デスケル重工……ねぇ」
魔王と勇者の世界に突然現れたSFにカイリは戸惑った。しかし、妙に胸がざわめく
そう、カイリは「デスケル重工」を知っている気がする
少女のトルソーに刻まれたデッサンスケールのロゴは、見覚えがある
「デスケル重工って、ここに会社があるのか」

「モチモチのロン。デスケル重工本社は《コズミックスフィア》に収監されているからな」
「本社が収監って……スケールがデカいな……。いや、そんなことより」
気になることは山のようにあるが、優先順位はそれほど高くはない
「俺が探しているのはストロネっていう魔王なんだけど、君の会社はここを支配しているんだよね」
「我々の情報網を頼りたい、そういうことだな。承知した」

デバステイターとカイリは、《コズミックスフィア》に点在するデスケル重工支店を目指した
《コズミックスフィア》はブロックごとに分かれており、ブロックごとに支店は存在していた
カイリが迷い込んだ階層は23ブロック。さびれた場所だった
「……ここは魔王が多いね」
たまに出会うひとは、みな魔王であることがカイリには分かった

「……ほう、魔王が分かるか」
奇妙なものを見る顔でデバステイターは言う。それが逆にカイリには不思議だった
「えっ、魔王って、見た瞬間に分からない?」
「カイリ、我々の高度索敵をもってしても、魔王領域を秘匿した魔王は、魔王であることを感知できない」
「へぇ、変な才能。なんの役にも立たないけど、俺ってそんな能力あったんだ」
「…………」

カイリと話すたびに、デバステイターは奇妙な顔をして、思案にふけることがたびたびあった
「もしかして……いや、まさか。しかし……」
「なぁ、なんだよ、さっきから独り言を……」
「カイリ、君を召喚した『ストロネ』という魔王について、もう少し教えてくれ」
「ああ、情報は多い方が探しやすいもんね」

カイリはストロネの話をした
ストロネは海里を何らかの方法で召喚したこと
カイリはストロネの力の源であること

それを聞いたデバステイターは、深刻な顔をして、何かを告げようと唇を動かす

「……は、…………ない」

海里は目を覚ました。夢が終わったのだ。唐突だった。いつもは身体が薄くなったり、浮遊感を覚えるのだが
デバステイターが何を告げようとしたのか、分からないままだった
いつものように出勤の支度をする。歯切れの悪い夢だった
また、夢を見ればいい
そう思っても、何かが胸に引っかかる
ニュースを横目に見る

海里は信じられないものを見る

ニュースに流れる、「今日は何の日」の話
「今日は、バイオスフェア・シティの建設が始まった日ですが、ここで……」

「シティの建設を主導したのは、デスケル重工社でした。デスケル重工は……」

第7話

ストロネは焦っていた。コズミックスフィアはすでに敵の手に落ちていたのだ
もはや一刻の猶予もない。防衛戦は無限に続けることはできない
可能な限り早く、ストロネは*勝利*する必要があった

「もうこれ以上カイリの力は借りれない……」
力に対する大きな代償があった。それが、いまのストロネには重すぎた
負荷がゼロでない限り、いつかは負荷が限界を超え、ストロネは自分を失うだろう
「私一人で、なんとかしなきゃね」

ストロネは移動を続けていた。第1ブロック「ヴィスラ滅光」は危険すぎる
そこには敵の本拠地がある。遠くから離れなければならない……が、目的とするものもそこにある
「エイベル闇市……隠れるならちょうどいい」
ストロネはいま、巨大な商業区画に身を寄せていた

エイベル闇市。ここは、《コズミックスフィア》に迷い込んだ旅人たちが流れ着いた安住の地である
ありとあらゆる種族が集まる無法地帯。あらゆる商品の出所不明、あらゆる人材の出自不明
ひとの命はパンと同じ。後ろに気をつけなければ、魂までスられる
極彩色の町並みには無数の旗が立ち、ダンジョンを吹き抜ける風が揺らす
毎日がサーカスの騒ぎだ。今日もどこかで喧嘩の怒号と犬の吠え声
裏通りに行ってはいけないよ、サキュバスたちに有り金全て吸われるからね

ストロネは暗い部屋の中、ひっそりと息をひそめていた。体力を温存すること。時間を稼ぐこと
焦って走り出すことは、時として意味のないことである
外の様子をうかがう。必要なのは、情報を得ること
「あいつは……!!」
白い顔の男が、フードを目深にかぶり、静かに歩いて人ごみに消える
「白い蠅の魔王『スバタ』……」

敵だ。まだストロネを狙っている。魔王は魔王を嗅ぎつける。最も危険な敵である
ストロネは静かに感覚を研ぎ澄ます。『スバタ』の気配は遠くに消える
本気でストロネを探しているようには見えなかった。気配が無防備すぎる
恐らくはただの『買い物』に来ただけなのだろう

「私は、勝たなくちゃいけないんだ」
すべては、――のため

「私は、魔法を完璧にする」
速さはいらない。仲間もいらない。笑顔もいらない。そして、考えることも必要ない

ただ一つ、ストロネは勝利のために、手にいれたのだ

それこそが彼女の、機械仕掛けの、全自動劇場なのだ

第8話

「デスケル重工はエクソスフェア・コントロールの要請を受け、メソスフェア・シティからサーモスフェア・シティまで連なる大連続都市群を建設した、超巨大スーパーゼネコンです」

海里は息を飲んだ。知らないはずがない。見たことがあるはずだ。デスケル重工のロゴ。格子状の窓のような、モノクロのロゴ
しかし、海里の記憶はあやふやになり、デスケル重工がどういう存在なのか、一向に思い出せない
「メソスフェアからサーモスフェアだって? そんな……まるで、世界の創造レベルの大事業じゃないか」
知らないはずはないのだ

「皆さん、ご存じないはずです。なぜなら、デスケル重工の存在は秘匿され続けていました」
ニュースはまるで海里の疑問に答えるように続ける
「秘匿され続けていたデスケル重工が、なぜ今になって公報を開始したか、それは……」
ふと、窓の外が翳る
海里は、振り向く

何かが、いる

「素晴らしい門出の日なのです。ついに、デスケル重工の目標が達せられました。デスケル重工製ドゥルガー【1282xxv】シリーズが完成したのです」
それは、地平線の向こうにゆっくりと身を起こす、新たな神――
「人造の神、対禁忌戦闘兵器――魔陣を滅ぼせし者、ドゥルガーの名を冠した、我らの神なのです」

「ついに、完成したんだな……」
エクソスフェア・コントロールの目的。このどうしようもない世界への干渉
それがなされる時が来たのだ
「俺はまだ、冒険をしたかったんだけどな」

突然に世界には、終わりが来る
ニュースは続く
「この世界は『禁忌』が存在します。それが、世界を蝕んでいるのです」
「それらは、我々の心の中に存在します」
「幻影跳梁の禁忌。それは、心を狂わす毒」
「天光天摩の禁忌。それは、希望という名の毒」
「灰滅大地の禁忌。それは、苦痛という名の毒」
「そして、暁新世界の禁忌。それは生、そして死という名の毒」
「なんだよ、それ……」

聞き覚えのある言葉たち。夢の中で聞いた言葉。夢と現実が重なっていく
「そう、我々は心を克服します」
「希望を克服します」
「苦痛を克服します」
「そして、生と死をわが手に」

ふっと、瞼を閉じたように辺りが暗くなった。ニュース映像はゆらゆらと揺れて、0の数字の羅列に変わる。この空間だ。カイリは不思議に思う。
0の数列が左手からずっと伸びていて、彼の目の前で永遠に0を刻みながら伸びている。この昏い暗黒を、世界が切り替わる瞬間の数秒だけ、いつも見ている。
「0は嫌いだ」
カイリはそれだけを呟く。そして、世界が切り替わった

― ゼロの城砦 ―
― プロローグ ―
― End ―

登場人物


カイリ(海里)
魔王からの召喚を受け、ダンジョンに降り立ったサラリーマン。ところがどっこい、少年の姿! すげぇ! 疲れがたまらねぇ! 目がシパシパしねぇ! しかも謎のヒロイン。青春、始まったな……。37歳。男性


全自動劇場の魔王『ストロネ』
海里を召喚した謎のヒロイン。年齢不詳。歩くのが遅い。走るのも遅い。そんなものは彼女には不要だ。


『篝火男』
カルマ火炎護衛 - ウィザード。すべてを焼き尽くすために、ストロネに付き従う。パンもグラタンも真っ黒にする


デスケル重工製デバステイター【236xv988ppd】
カルマ物理護衛 - デバステイター。デスケル重工製造の量産型デバステイター・初期モデル
236xvシリーズは合成生体部品を採用し、人間並みの判断能力を得ている23式6型の発展形
彼女らの活躍により、デスケル重工の支配領域が2割増えたという


白い蠅の魔王『スバタ』
白い髪、白い顔、白い身体の魔王。蠅頭の配下を従える。寒天が好き。グミは硬ければ硬いほど良い

地図

-ストロネの世界-

コズミックスフィア
底抜け天井に存在する謎の古代遺跡。三次元迷宮であり、内部には出られなくなった勇者や生き物が定住し、愛をはぐくみ、家族となり、穏やかに暮らしている

ヴィスラ滅光
コズミックスフィア中心部に存在する、超古代遺跡。生命の気配はなく、光の回路が点滅し、光点が行き交う。巨大鉄球がゴロゴロ転がり、水の音が聞こえる

エイベル闇市
コズミックスフィアに存在する、巨大商業地帯。支配者は存在せず、無法地帯となっている。毎日が痛快バイオレンス

-海里の世界-

バイオスフェア・シティ
超高層ビルディングで舗装された超巨大人工都市。西にトロポスフェア・シティ。東にはハイドロスフェア・シティがある