ENo.0034　Rutilated Quartz

　ルチルには使命がある。
　アポロディアのプロジェクトに貢献し、人々の幸福に繋げる使命だ。
　その為に彼女は在るのだから、自らが危険に臨む事も厭わない。人か無理をしないために自分が登用されていると理解していた。理解できていて、彼女自身もそれを選んだ。


「アンドロイドはアンドロイドだ。もし、今よりずっと高度な思考ができるようになったとしてもその心はお前だけのもので──人に寄りたいか、道具に寄りたいかはお前が選ぶことができる」


　ある時、ルチルの製作者であるドクターがこんな話をした。
　遠回しに、彼女がアンドロイドの権利のようなものを与えた瞬間だった。
　しかし、ルチルというアンドロイドは。


「ルチルはドクターのアンドロイドです。ルチルはお役に立つために生まれてきました。そして、これからもルチルは立派にアンドロイドの使命をこなします！　ブラボー！」


　人々の幸福を選び取った。
　ルチルクォーツは、人の幸福のために一瞬の煌めきを繋ぎ続ける。限られた機械生命の中で一秒でも長く、一人でも多く幸福な瞬間を届ける。それが彼女の在り方だ。

「なあクリ坊。ルチルの──アンドロイドの心はどんなものだと思う」
「どんなもの、って……。心があるってことかい？」
「いや。人のような感情に由来して行動を起こす心は無い。だがルチルは人の挙動に反応して、ある程度選び取って意志を決めることはできる。その積み重ねは、場合によっては心と呼べるのかもしれない」

　いつも通りのアンドロイド研究室。自分で淹れたコーヒーのマグカップを前に、サトゥルノは首を捻る。

「ええと。哲学か……？」
「そうだな。あいつの好きそうな話だ」

　ふ、と眼鏡に吐息が吹きかけられた。ドクターはそれを照明に透かして目を細める。

「心の有無や所在なんてものは、あたしにはわかりゃしない。けど敢えて言うなら、ルチルは人の役に立ちたいと道を選んだ。それがアンドロイドとしてのあいつの心だと、あたしは思う」
「ドクターは、ルチルにどうしたいか尋ねたんだっけ」
「ああ」
「……ドクターは、ルチルの意志を尊重したんだね」

　ドクターの両目がサトゥルノを捉えて瞬いた。彼女はそのまま表情を保ちながら、髪を耳にかける。そうして、また手元の眼鏡に視線を落とすのだった。
　ルチルクォーツは役割を終えたアンドロイドだ。そこに新たな役割を付与されるには、外部の思惑が介在する。
　ドクターの目的は三つだった。
　一つは有用性を示して自身の研究を将来に繋げること。
　もう一つはアンドロイドの可能性を追究すること。
　最後の一つは、ルチルクォーツの望みを叶えさせること。
　そこにはもしかすると、周囲やグレムリンへの復讐の意図も含まれていたかもしれない。それでもサトゥルノは、ルチルのことを考えているドクターのことが素直に嬉しかった。自然と頬が綻ぶ。

「なんだその気色悪い顔」

　いつの間にか顔を上げた彼女がサトゥルノにじとりと視線を向けていた。

「ごめん。なんでもないんだ」

　ドクターの椅子が軋みを上げる。少しばかり、彼女の口がへの字に曲がっていた。尚もサトゥルノの口角は対象的な弧を描く。それを見てドクターは不服そうに首筋を掻いた。
　やがて、彼女がひとつ短い溜息を吐いた。

「人は傲慢だ。勝手にものの在り方を定義して、勝手に愛着を抱いたり無関心になったりする。傍に居る“誰か”に思い入れができたなら、眼鏡だろうと特別なものになる」
「うん」
「ルチルは、誰かの心に響くアンドロイドになっているのかな」

　ドクターはぽつと言って、一拍置いてから眼鏡を掛け直す。

「なんて言うのかね。誰にも覚えられずひっそり役目を終えるよりはさ」

　言葉を切ると、それ以上は続けず彼女はデスクに向かい合った。

　カタン、とアンドロイド開発室の椅子が軋む。


「お前の入れ知恵か？」


　ルチルがドクターに蜂のようになりたいと言った。そのことについてドクターはサトゥルノに問いかける。
　ぶっきらぼうでこそあれ、とりわけ不機嫌そうなわけでもない。


「いや。ドクターにも教えるよう勧めたのは僕だけど、知識自体は本人が自主的に仕入れたものだよ」


　ふうん、とドクターは納得すると、眼鏡を外して眼鏡拭きでレンズを擦り始めた。


「駄目だった、かな」
「いいや。ルチルが興味の対象を広げていくのは悪くない。あのお嬢さんの功労かな」


　ドクターは穏やかに声を転がす。
　俯く彼女の口角がわずかに上がっていた。


「なあクリ坊。ルチルの──アンドロイドの心はどんなものだと思う」
「どんなもの、って……。心があるのかい？」
「人のような、感情に由来して行動を起こす心は無い。しかしルチルは反応して、ある程度選び取って意志を決めることはできる。その積み重ねは、人によっては心と取れるのかもしれない」


　サトゥルノは首を捻る。


「ええと。哲学か……？」
「そうだな。あいつの好きそうな話だ」


　ふ、と眼鏡に吐息が吹きかけられた。ドクターはそれを照明に透かして目を細める。


「心がどこにあるかなんてのは、あたしにはわかりゃしない。けど敢えて言うなら、ルチルは人の役に立ちたいと道を選んだ。それがアンドロイドとしてのあいつの心だ」
「……ドクターは、ルチルの意志を尊重したんだね」


　ルチルクォーツは役割を終えたアンドロイドだ。そこに新たな役割を付与されるには、作り手の思惑が介在する。
　一つは自身の研究に将来性を作ること。
　もう一つは、ルチルクォーツの望みを叶えさせること。
　そこにはもしかすると、周囲やグレムリンへの復讐の意図も含まれていたかもしれないが、サトゥルノはルチルのことを考えているドクターが素直に嬉しかった。


「あたしは、誰かの傍に置かれることに心のあるなしはあまり関係ないと思ってる。傍に居る“誰か”に思い入れができたなら、眼鏡だろうと特別なものになる」
「うん」
「ルチルは、誰かの心に響くアンドロイドになっているのかな」


　ドクターはぽつと言って、一拍置いてから眼鏡を掛け直す。


「なんて言うのかね。誰にも覚えられずひっそり役目を終えるよりはさ」


　言葉を切ると、それ以上は続けず彼女はデスクに向かい合った。

「サトゥルノ。ミツバチの役割を知っていますか？」


　ルチルが珍しく、虎ではない生き物の話をしたことがあった。


「役割と言うと……群れの中での？」
「いいえ、嘗ての世界における役割です」


　ルチルは微笑んだまま首を横に振る。
　思い当たらない、とサトゥルノが首を傾げているとルチルが続けて口を開いた。


「ルチルはこの度、ミツバチをはじめとするハナバチ類にとても大きな発見を見出しました！」


　今日の講義はミツバチの話のようだ。純粋に興味を引かれたので、サトゥルノはそのままルチルに続けてもらうことにした。


「まず、ハナバチ類の蜂はその栄養源のすべてを花蜜と花粉に頼ります。蜜からエネルギー源となる糖質を摂取し、その他のすべての栄養素を花粉から得るのです」


　花に依存した生き方。それが成立したというの事実は信じ難い事だが、嘗て在ったとされる自然界の形だ。


「このためミツバチに取って栄養元の花は重要な存在となっているのですが、花に取ってもミツバチはポリネーターとしてたいへん優秀なのです」
「ポリネーターというと……植物の受粉を手伝う動物のことだっけ？」
「はい！　ミツバチの利用する花の種類はきわめて広く、ほとんどの作物の受粉に使えることから農業生産の現場においても欠かせない存在だったと言います」


　ルチル曰く、自然界のミツバチは高い機動性も相まって農作物に大きく貢献していたのだそうだ。生態系分野に明るくなかったサトゥルノはルチルの解説に思わずうなる。


「なるほど。広い範囲で栽培しようとすると確かにミツバチのようなポリネーターに受粉を手伝ってもらうのが効率が良いかもしれないね」


「ルチルと『タイガーアイ』も、ミツバチのような存在でありたいですね！」
「虎ではなく？」
「虎でありミツバチです！　世界に広く影響を与え、世界からも恩恵を受ける……これこそギブ・アンド・テイク！」
「……そっか」


　アンドロイドは、必ず何らかの意味を持って生まれる。これはドクターが言った言葉だった。
　ルチルクォーツというアンドロイドは、研鑽を目的として生まれ、世界的災害と戦うグレムリンテイマーの役割に当てはめられた。
　ともすれば、彼女は世界のために戦うという使命を背負っていると言えるのかもしれない。
　ユーザーの視点で見ればグレムリン無人化を目指した実験でしかなくとも、彼女は任務に真摯な一人の戦士だ。


「ルチルは必ずお役に立ってみせます。そして向かい来る敵はオオスズメバチのようにクラッシュ・アンド・デストロイ！」
「ミツバチじゃなくなったね？」


　蜂には随分詳しくなったようだった。ルチルの興味が引かれる理由としては、やはり『タイガーアイ』の僚機『ブルー・ビー』の形状が由来に思えた。あれは、何バチだろう。
　そう考える内にサトゥルノは、ルチルの発見はラトリーシャや他のスタッフにも話されることはあるのだろうかと疑問を抱いた。


「そうだ。ドクターにもルチルの発見を教えてみたらどうかな」
「ドクターには後ほどデータが提出されるため報告は不要と命じられてますが、どうしましょう？」
「うーん……ドクターはコミュニケーションが不足しがちだから。僕としては少し、手伝ってあげてほしい。追い返されたらその時はいいからさ、僕からのお願い」


　行ってきてくれないかな、とサトゥルノな頼むと、ルチルは笑顔で敬礼を返した。


「はい、わかりました！　行って参ります！」


　ルチルは元気よく飛び出す。
　サトゥルノの目論見は無事通ったらしく、すぐには戻らなかった。


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　この錆び付いた世界では、使える素材を調達するのは難しい。
　それはルチルの躯体がどこか破損してしまえば修復が容易でないことを意味した。アンドロイドには人間のような自己修復能力は無い。
　しかしだからといって活動自体を停止してしまうのでは、破損して動けなくなるのと何ら変わりない。
　この世界におけるルチルのミッションは、一秒でも活動時間を長らえさせながら僚機とこの世界からの帰還を目指すことだ。

　“本物”の陽光は生命を突き刺す災厄であり、“本物”の肺では大気に耐えられないのだそうだ。巨大船舶や地下街で育った子どもでも、そのようなことは知っている。
　人工物の内側が我々の世界だと言われて育った住民が、外部との差を知らされて思うことといえば「自身の環境は恵まれている」ということだ。
　インフラ整備されてない区域の暮らしは不便もずっと多いという。フィルターの質が悪いとか、水が臭いとか、ろくな食事にありつけないとか。環境に適応するために四肢や臓器を造りものと取り替えるなんてこともある。
　まともな食事の楽しみが得られる地で生まれたことは幸運と呼ぶ他無かった。
　漠然とだが、うっすらとした安定感のようなものを自分達は感じることができる。外の世界から霊障の脅威に晒されても、人は技術を以てそれを克服できるだろう。
　クリーダイト・サトゥルノはそんな、根拠と呼ぶには不確かなものでも信じていた。
　こんなに前向きになれたのは、親が他界した後、養子になった自分を叔父や義姉に優しく迎えられ、沢山のことを教えてもらったからだ。
　サトゥルノは聡明な姉を尊敬していた。人との交流が苦手な姉だったが、だからこそ自分も仲介したり他者との接点を作ったりとサポートしていきたいと思っていた。
　それが大人になって、姉が自分の全く知らない相手と好い仲になった時は驚いた。姉と自分以上に打ち解けられる人間が、それも傭兵なんて荒事を専門とする連中に居るとは思っていなかったのだ。
　が、その相手も、調べれば調べるほど善を煮詰めたような人物で、非の打ち所がなく、弟として素直に姉の幸せを信じることにした。
　納得せざるを得ないからには、この小さな世界で生涯の伴侶を見つけた二人を精一杯祝福しようと決めた。
　寂しくないと言えば嘘になるが、兄貴分ができると思えば悪い気はしない。
　姉は彼となら、きっと幸せになれるだろう。そう信じるのが当然だった。


　結局のところ、それは理想に過ぎないものであったのだが。


　姉の夫となった彼は霊障現象を発端とする流れ弾で簡単にその命を終えてしまった。
　彼は、死との距離を計測していたのだろうか。自分の死が迫っていると知っていただろうか。知っていたとしたら、こんな結末は想定しただろうか。出口の無い問答がサトゥルノの内に押し寄せた。
　姉の信頼した人間が、亡くなった。それだけが事実だ。
　悔しかった。勝手に死んだ姉の夫も、信じた自分も、許せそうになかったがどうもできなかった。


　姉は、その日から心を閉ざしてしまった。積極的に独りを選ぶようになり、姉はあらゆる人間を遠ざけようとした。
　は彼女の思い通りにしてはいけないと思った。優しく聡明な姉を、世界から隔離して孤独にするなんて絶対にしてはいけない。
　どれだけ跳ね除けられても、サトゥルノはしつこく彼女との縁だけは守り続けた。尋ねればアンドロイドの研究に邁進していることを少しは教えてくれる。
　わずかな時間でも繋ぎ留めようと、サトゥルノがアンドロイド研究室に通い続けると、対応はやがて門前払いから応接間対応へと進歩した。隙を見せなかった姉も、皮肉や悪態交じりではあるがコミュニケーションを取るようになり、それはやがて軽口へと変化した。
　少しずつ、少しずつではあるがサトゥルノは遠ざけられた姉の距離を縮めることができた。
　しかし、彼女はまだ外の世界に心を開けていない。外は彼女に取って、痛みが多すぎる。
　ある時、自分の分野で彼女の知識と技術を借りられないかと思った。自分が仲介する形で他部署との接点を持たせれば、姉の負担を軽減しながらアポロディアの中にコネクションができる。あわよくば、これを切っ掛けに彼女の世界を広げられないだろうか。
　もっとも、その仲介を自分が円滑に行うためには、彼女を推薦するだけの発言権と、部署を動かすためのポストを獲得しならなければならない。
　ならばやる事はひとつだった。サトゥルノに目標ができた。
　キャリアアップ。位ある職務とまでは言わないが、プロジェクトのリーダー枠に収まれる器ぐらいにはなってやろうと心に決めた。
　以降の働きぶりから、サトゥルノは霊障現象対策課内で仕事人間として印象を強める。が、それは少女の形をしたアンドロイドと出会うまでのことだ。


－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－－


　ルチルは夥しい数の異常を捉えていた。
　グレムリンに乗り込んで以来、若しくは活動を始めて以来のアラートが戦闘の前線に立つルチルに押し寄せられた。視覚や聴覚の五感情報、動作反応、霊障計測数値、グレムリン機体とのコネクション。それら全ての反応が消え失せ──異常が明けたとき、ルチルの視覚が認識したのは『タイガーアイ』の操縦棺ではなく、赤く錆び付いた空だった。
　対応しきれない検挙数を上げた異常は嘘のように解消され、やがて各機能に正常な動作が戻ってくる。
　しかし、事態の異常は収まっていないようだった。どうやらルチルの躯体はグレムリンから抜け出た状態で、データにない地形の上に立っている。
　覚えのないデータの応酬の中で一つだけ、既存データと照合できる反応を捉えた。
　僚機だ。
　ルチルには僚機契約を結んだラトリーシャを守護する義務がある。自身が見つけた信号を頼りに、ルチルは探索を開始した。

「改めて──結婚おめでとう、ユディ姉。何か困ったことがあったらすぐ言ってくれよ、ユディ姉はそういうの不得意そうだし……」

　それはクリーダイト・サトゥルノがユーディアライト・サトゥルノへ最後に贈った挨拶だった。
　弟は、姉が心配で仕方ないらしい。事ある毎にユディは困ったら相談するよう弟に催促されていた。“親戚の子”が“弟”になって久しいが、嘗てないほどに念を押されている。
　責任はユディにもまあある。自分が引っ込み思案であったから、友達は弟か本だったし、最近の話にしてもユディは研究が恋人のような生き方をしていた。
　だから、クリードの信用を得られないのもわからなくはない。だとしても、だ。繰り返し言われればいい加減うんざりしてしまう。

「こら、しつこいぞ。あたしの旦那を過小評価するんじゃない。ジェットはクリードよりずっと頼りになるんだから」

　ユディがしてやった顔で言い切ると、クリードは幾らか縮んで見えた。すこし可哀想な気もする。

「ごめんって。クリードのことも当てにしてるから悪く思わないでよ」

　ユディは笑ってクリードの肩を叩く。気遣い自体はありがたいのだ。
　配偶者──ジェットが頼りになるのは傭兵である所以だ。アポロディアの警備の一端を担い、時には大海原を駆る雇われ兵のグレムリン・テイマー。それがジェット・ユピーチルだった。
　二人の出会いは混雑した食堂での相席なんてありふれたシチュエーションだ。食べ終えた彼が去った後、忘れて行った技術書が二度目を作るきっかけとなった。
　ジェットは社交的でおおらかでよく気がつく男性だった。内向的で繊細なユディとはまるで人間性が違う。なのに、些細な呼吸が合うひとだった。
　人に限りなく寄せたアンドロイドの可能性と、それに興味を持ったユディを決して否定しなかったし、AIの組み方に助言もくれた。
　率直な物言いをしても真摯に受け止めるし、その上で彼の考えも述べる。その距離感は心地よかった。
　彼はありのままの自分を見せても共に歩んでくれると、ユディは本気でそう信じられた。
　しかし運命とは皮肉なもので。
　ジェットの生涯は儚く。ユディとジェットが婚姻を結んで一年と経たぬ内に、暴走したグレムリンの凶弾に彼は倒れる事になる。
　霊障現象とグレムリンをいくら憎んだところでジェットが帰って来ることはなく。隙間は何を以てしても埋まることはなかった。
　こんな時でもいやな話は蔓延った。
　テイマーの遺産が相続されるとか、ジェットは五体満足だったから肉体の状態が良ければ儲かるとか。ユディにはどうでもいいことばかりだ。世界は汚れている。人間は、どうしようもなく汚い生き物だ。奴らはジェットの死を前にしてくだらないことばかりを並べ立てる！
　やがて、ユディは世界からの隔離を望んだ。それだけの地位を求めた。
　アポロディアのアンドロイド技術に没頭し、研究と技術貢献に邁進するようになった。現場作業用の機械人形を短いスパンで発表し、利用契約先の確保や量産体制の提案など功績を打ち立て権威を確立した。
　そして閉じた世界で、一番作りたかったものに手をつけた。人間に寄せるという不必要の要素の技術結晶──人間のようなアンドロイド。
　ジェットも応援してくれた。ジェットもきっと愛してくれたアンドロイド。

「あたしは、間違っても人間なんか作らない」

　先のためなら冷酷無比にいくらでもアップデートを重ねる。けれどただの機械人形で終わらせない。
　言うなれば、目指すは人の心に訴えかけるアンドロイドだ。


*　*　*　*　*


「どうだった？」
「割と嫌いじゃ無い」
「それはよかった」

　ドクターがラトリーシャと対談した後。
　廊下で見つけたドクターの背にサトゥルノは声をかけた。伺った反応が良好だったので、思わず彼の口元に綻びが表れる。
　ドクターが邪険にしないということは通じ合えるものがあったのだろう。

「なんでお前が楽しそうなんだ」
「え？」
「両端を摘んで引き伸ばしたい顔をしている」

　そんなに？とサトゥルノが片腕で自分の頬を扱く。ドクターが他者に興味を持ち、他者がドクターの内側に働きかけるのは久しぶりだ。
　いつか塞ぎ込んでた時期の彼女を思うととても喜ばしい変化だ。にやつきもする。

「だって、ルチルを知る人に君が直接話を聞くことって無いだろう？　今後何度だって話したら良い。君の手掛けたルチルをよく見てる子だ、きっと今度は仕事以外の色んな話ができるよ」

　ドクターははたと目を丸めていた。普段伏し気味の瞼が物言いたげに開いている。

「どうかした？」
「仕事以外の、ね。低く見積もられたもんだな。次はルチルのこと考えてニヤニヤしてた奴がいるって言っとく」
「誤解を与えないでくれるかな。……え、既にそういうこと話せる仲？」
「さてな。お前ももっと彼女と話せば良いんじゃないのか」

　言うだけ言ってドクターは足を早め、廊下の先を行く。それを逃すまいとしてサトゥルノも足を早める。まだ詳しく聞きたい。
　ドクターが更に間隔を空ける。追いつこうとしてサトゥルノが歩幅を大きくする。
　いつか姉と鬼ごっこした幼い日のことが、サトゥルノの脳裏を過ぎっていた。

※僚機のEno.74番さんをお借りしてます。

　ドクターは開放的な広い談話室の中、いくつか設置されたテーブル席のひとつに腰掛けていた。
　今の時間帯は大半の所員は仕事に就いている。ここにいるのはドクターと、部屋の隅に置かれた飾りのオブジェだけだ。静寂の中を自販機の駆動音だけが僅かに流れる。
　彼女はサトゥルノが連れてくる予定のラトリーシャを待っていた。グレムリン・テイマーの少女にしてルチルのパートナー。サトゥルノが会わせたいと思った人物。サトゥルノはラトリーシャがどんな人物か確かめるべきだと勧め、ご丁寧に彼女と会うための予定の調整まで手を回してくれた。
　その意図を推測するなら──きっと得るものがある、といったところか。
　とは言え、人嫌いのドクターが初対面から会話に花を咲かせるのは難しい。だから、ひとまずはルチルや仕事の質問を数点用意して備えていた。
　だろうか。頃。談話室の扉をノックする音が響く。はい、と声を返すと、褐色の肌が健康的な、快活そうな銀髪の少女が顔を見せた。

「お邪魔しまーす」

　少女が談話室へ足を踏み入れる。
　──ラトリーシャ・ディアラ。バイオテクノロジー研究所『ビーハイブ』に所属する齢16歳の少女。

「よく来たね。はじめまして。あたしはアポロディア製作所機械科学部門外部派遣機械課……あー、いや長いな。ルチル作った人でいいや。ユーディアライト・ユピーチルだ。ドクターって呼ばれてる」
「初めまして、ラトリーシャ・ディアラです。ご存知の通り、ルチルちゃんの僚機の。
　えーと、ドクターってお呼びした方が良いですか？　あたし的には、ユーディアライトさんかユピーチルさんの方が好みですけど」
「ん。……じゃあ、好きに呼んで」

　軽く自己紹介を済ませ、「まあ楽にして座って」と椅子を引く。
　口では歓迎するものの無遠慮に無愛想を貫く姿勢は変わらない。ドクターの愛想の悪さはアポロディアでも折り紙付きだ。
　おかげで少女からは愛想の無い大人を観察するような視線が注がれている。
　若く、そして表情のよく出る子だ、と思った。

「さて。折角直接話せる機会だし、これから幾つか質問させてもらうんだけど。ここでの回答が契約に影響したりは無いから遠慮は無しに答えてほしい」
「率直な意見をご所望って思えばいいんですかね？　後から、やっぱりあの回答が良くなかったからクビ！　とかなしにしてくださいよねー」

　ドクターは淡々とアンケート調査員のような前置きをしてノートをテーブルに開いた。対するラトリーシャは軽妙な話し口で応じる。
　この面談は事務的な都合は一切絡まない。と言うより、サトゥルノが場をセッティングしただけで面談ですらない。顔合わせのようなものだが、面談めいた体裁でも取らなければ間が持てなくなるのは目に見えていたので理解が早いのはドクターに取って助かった。

「ルチルと組んでみてどう？　融通の利かない点や危なっかしい面、その他不便は無い？　あー、と。モニター調査っていうのかな。ルチルみたいなアンドロイドと仕事をした感想を、パートナーの立場から忌憚なく聞かせて貰えると幸い」
「んー、そですね、そう不便に思ったことはないですよ。素直なので、ルチルちゃん。理由をちゃんと説明したら納得してくれるのは好印象ですけど、人によってはそれが面倒くさく感じたりするかも？
　強いて不満を言うなら、食事機能をつけてほしいですね。や、コスト的に見合わなさそうなのは分かるんですけど、人とのコミュニケーションにおいて、食事の場って重要じゃないですか？　ルチルちゃんの学習にもより役立つんじゃないかなあ、なんて」

　彼女の不満は冗談めいた口調だったが、意外なものだった。アンドロイドの食事という行為は、共に過ごす時間を想定しなければ出てこない。
　誰かと過ごすアンドロイド。それはルチルの本来想定されていた姿でもあった。
　なるほど。と静かに相槌を打つ。

「あと、これは意見っていうか、素朴な疑問なんですけどね」

　ドクターはメモを取りながら、彼女の疑問に耳を傾けた。

「何であんなに人に寄せたんです？　ルチルちゃんのデザイン」

　少女の純粋な疑問だったのだろうか。食事機能に有無に意見するくらいだから、ルチルの人間との近さは十分感じられているのだろう。
　向けられた問いに対応する言葉を探すように、ドクターはペンの背を顎に当てた。

「なんでって……そうだね。あたしの本来の専門が『人に近づけるアンドロイドの開発』だからかな。それで丁度フリーの機体があったから、搭乗用に貸し出ししたんだよね」
「ふうん、……なるほど。アポロディアさん、そんなことまでやってらっしゃるんですね。さすがに手広くて羨ましいです」

　答えを返すとラトリーシャはなにか思うところがあるふうに思案げな顔をしていた。彼女はルチルを、ルチルを作った自分を、どう感じたのだろう。

「良いか？　じゃあ、次。どうしてグレムリン・テイマーになった？　腕も良いと聞いてるけど、ビーハイブでバイオテクノロジーの研究者でいようとは思わなかったのか？」

　これはドクターが一回り近く人生の先輩として気になるところだ。技術研究者を選んだ自分のように研究者の道を選択をしなかった理由。

「ご存知だと思いますけど、研究ってお金がいるじゃないですか。ほら、うち小さいですし」

　ラトリーシャはとてもやっていけないですよ、と言わんばかりに肩を竦めて両手を軽く持ち上げる。
　彼女の答えはどこかはぐらかしたように見えた。が、追及する必要も無い。研究者の立場からひとまずの納得をする。
　ただ入ってくるだけの研究資金はどこにも無い。その意味では、ドクターは贅沢をしているほうだ。

「確かに。……金銭の問題はどこもついて回るね。若い内から随分な苦労だな」
「いやいや、あたしなんて恵まれた方だと思ってますよ。五体満足のまま、一応の運転資金は確保できて、好きな研究もしてるんですから」

　衝いて出た同情のような言葉にもあっけらかんと答えるので「そう」と一言だけ返す。
　手っ取り早く自力で稼ぐなら、多少危険を伴っても需要に答える仕事をするのがよいのかもしれない。謙遜というよりは、本当に大した苦労だとも思ってなさそうな、あっけからんとした言い振りだった。

「じゃあ、最後。クリ坊……サトゥルノに意地悪とかされてない？」

　サトゥルノが圧力を掛けるよりは、彼女にサトゥルノが振り回される絵面の方が似合うが一応訊いておく。

「意地悪ですか？　サトゥルノさんに？　……や、それはないですねー！
　むしろ色々お世話になってるっていうか。柔軟に対応してくれますし、有難い限りですよー。食堂のメニューも教えてくれたし」
「食堂」

　関係性がよくわかる一言だった。
　思っていたより仲良くやっているらしい。
　押しに弱いサトゥルノなら歳下のラトリーシャに優位を取られるのも必然で、それを改めて思うと少しだけおかしくなった。ひとまずこちらが迷惑を掛けているということはなさそうだ。

「……ところで今のクリ坊って何ですか？」
「ん。あだ名」
「あだ名」

　すぱりと答える。
　ラトリーシャはきょとんとした表情を見せた。伝わりにくかったのだろうか。

「ほら、アイツ名前クリーダイトだから」
「なるほど……それでクリ坊」

　補足を加えるとラトリーシャも合点がいったような顔をしていた。坊やと呼ぶには大きいが納得して貰えたらしい。

「あたしが呼んだら怒られますかね？」
「やってみたら？」

　悪戯心が背を押す。ドクターは自分の口角が自然と上がっていることに気がついた。

　以降の時間は和やかなものだった。
　ラトリーシャの性格もあって場が落ち込むことは無かったし、思っていたより会話が切れることもない。
　ドクターは「これは交流会のようなものだから」と隣の給湯室で淹れたお茶をラトリーシャに振舞うことにした。応接室からくすねて来た来賓用のいい茶葉だ。
　所員があくせく動き回る中で、此処だけはゆったりとした秘密の時間が流れている。
　そのお茶も何杯か飲んでしまえば、心地好い時間にもさすがに終わりが見えた。彼女も自分も仕事の予定がある。いつまでも談話室で話し込んでいるわけにはいかないので解散の運びとなる。

「最後にもう一つ、聞いていいですか」

　ラトリーシャが声を掛ける。
　不都合はなかった。時間を取らせてこちらの聞きたいことを聞いたのだし、彼女にまだ質問があるなら答えるのが道理だろう。

「ユーディアライトさんは、人間を作りたいんですか？」

　ルチルクォーツは、人間に近づけたアンドロイドだ。なら、その発想へ至ることに不思議もない。しかし。

「いいや。あたしが作りたいのはアンドロイドだ。これまでも、これからも」

　それはずっと変わらない。毅然と答えて、長い睫毛を一往復させる。

「お前は？　人を作りたいのか？」
「……まっさかぁ。そんな大それたこと望んでませんよ、あたしは」

　ラトリーシャはゆっくりと首を横に振る。「ただ」と、彼女は一呼吸置いて、

「あたしは、ただ、夢をかなえたいだけなんです」

　しっかりと。その細身に抱く答えを示した。

「ルチル。お前はあとどれくらい活動できるだろう？」


　ルチルがドクターと呼ぶ女性は、感情に揺られることを嫌う傾向にある。


「──こんなことを言う医者は、最低だろうな」


　彼女は、自分が感情に傷つけられることを恐れているからだ。
　他者に名前で呼ばせないようにするのも、外部との交流が少ないのも、そんな彼女が表す個性の一端である。
　ルチルがテイマーになるより少し前。制作段階で予定されたノルマを粗方クリアしたとき、ドクターはルチルにひとつ質問をしたのだった。


「医者なら、だけど。技術者ならあまり感傷的になるべきでもないね。……けれど、最低だ。いつ死ぬのか聞いてるようなものだ」


　ドクターは人の心がわからないとよく口にする。けれど彼女はその口癖の割に相手を尊重する人間だった。──尤も、心を許した人間に限られるが。


「ルチルはアンドロイド《被造物》ですから、ルチルの活動期は運命計測値に狂いが生じない限り、ドクターの予定に依存するでしょう！」


　つまるところ、すぐにではない。
　計測値に死の接近反応は見られず、処遇を決めるドクターは尋ねる側に回っている。なら、当面停止する予定は無いと言えた。


「あたしからのノルマ課程はすべてクリアしている。あたしが好きにしていいよ、って言ったら、ルチルは何をする？」
「はい、ドクター！　ルチルはより多く情報をインプットし、ドクターの想定以上の結果を残し研究に貢献したいと考えます。それがルチルの使命ですから！」


　ドクターは、そう、と一つ答えて一度ルチルから視線を外した。


「……そろそろ上への誤魔化しが利かなくなってきたんだ。でもあたしは、お前を最後の研究成果にしたくない。もし、次に繋げてお前のもっと学びたいって希望も叶えるチャンスが一つあるとしたら……もう少し、手伝って貰える？」


　ルチルクォーツは働きもののアンドロイドだ。
見てくれこそ13～14歳程度の少女のそれであるが、役割に忠実なロボット《労働力》であり、ルチルもそこに疑問はない。
　だから、ルチルはその頼みを淀みのない返事で引き受けた。


「グレムリンって戦闘機に乗ることになる。……あたしも勝手がわからないけど向こうの奴が何とかしてくれるはず。きっと必死こいて、ね」
「新しい試みですね！　霊障調査アシスタントとして頑張ります！　Let's do it！」


　いつかルチルの便宜上の用途を証明するためにつけたオマケ機能が、正しい位置に収まろうとしている。奇妙にも、運命とでも言えそうな形で。
　霊障現象を纏うグレムリンとドクターは、この製作所は、この世界は、切っても切れない関係だった。

「また来たよ」

　アンドロイド開発室の入口に立ったサトゥルノを前にして、ドクターはいつも通り露骨に嫌な顔をする。瞼を半分閉じて、不機嫌そうに眉をひそめて。デスクワークの最中だったらしい今日の彼女は、掛けた眼鏡のレンズ越しにその視線を注いでいた。

「性懲りも無く来たな」
「聞きたいことがある」

　面倒くさそうに息を吐きながらも、ドクターは追い返すことをしなかった。律儀に来客席に向き合っている。サトゥルノにはそれが、彼女なりに腹を括った意思表明に見えた。

「聞いたら帰れよ、クリーダイト」

　いつものあだ名も取れたドクターの言葉に頷き、来客用ソファに腰掛ける。下ろされたままの位置で手を組みながら、サトゥルノは暫くの間を空けた。

「ここから話すことはみんな、僕の妄想かもしれない。でも、聞けるだけ聞かせてほしい」
「前置きはいい」

　さっさと言え、とドクターが急かす。数度眼鏡の奥で視線を彷徨わせてからサトゥルノはドクターを見た。

「ルチルは、廃棄予定の子だったんじゃないのか」
「……なんで？」

　ドクターはソファに体重を預け、顔色ひとつ変えずに答える。

「君が、わざわざ敵を増やすような言葉ばかり選ぶから。あんな幼稚な理由ぶつけられたから、不快感を煽って何か言いたくないことを隠しているんじゃないかって。そうであってほしいと考えていた」
「ふうん。ルチルが廃棄予定っていうのが、あたしの言いたくないことだって？」
「そこじゃない。ルチルは、廃棄を回避する形でこっちに譲り渡されたなら……それを感情的な行為と見られることを君はきっと嫌がる」
「とんでも推理だな」
「僕にドクターの全部はわからないから。本当のことは君の口から聞きたい」

　ドクターが質問に答えず、前以て淹れていただろう飲み差しのコーヒーを持ち上げる。鼻を鳴らす音が聞こえた。

「……愚弟め」
「血が繋がってないから。君ほど賢くはないみたいだ」

　声に出るほどドクターは大きく溜め息を聞かせて、それからじとりとサトゥルノを睥睨した。

「ルチルに感情移入して適当に嫌ってくりゃそれでいいのに。……でも、生憎期待には沿えないよ。こんな事考える時点で幼稚は幼稚のままなんだ」
「聞かせてくれよ、君の幼稚な考えを。それが優秀な技術者──ユーディアライト・ユピーチルの選択なら興味がある」

　ドクターは鬱陶しそうにデスクに肘をついて首を捻った。その様子は気怠げではあったが、拒絶する素振りはない。

「一つ目。ルチルが本来役割を終えている機体という点は合ってはいる。けど廃棄って言い方よりは活動停止とか……でも、まあいい。二つ目。その回避が目的ってのは、違う。結果的にそうなっただけ。感情でものを見られるのは確かに嫌だけどね」

　彼女は淡々と答え合わせを続けた。新たに何かを隠蔽する様子はなく、寧ろ隠していたものを出すタイミングを見つけたような流暢な話し口で。
　しかし、ルチルがグレムリン・テイマーとして譲渡された理由は別にあるらしい。

「……じゃあ、どうしてルチルをうちに？」
「機械の人間より、人体を機械にして利便性を求めるご時世だからだよ」

　サトゥルノは瞬きを繰り返した。今ひとつ繋がらない。それを見たドクターが察したように瞼を落とした。

「……将来性と予算。“あたしの”アンドロイド開発室には実績が必要だったんだよ」

　それは簡潔な答えだった。低い声で、ぼそりと彼女が答える。

「生々しい話だろ。お前の担当するホットな霊障周りの話とは事情が違ってね」

　サトゥルノは遅れて理解した。彼女の専門とする研究分野は、“アンドロイド全般”を指してはいなかったのだ。

「労働力以外の目的でアンドロイドをを作るなんて、アポロディア製作所としちゃもう発展させるメリットが無いんだ。いくら優秀で伝統ある技術でも、アポロディアからすれば削りたい分野ってわけ」

　アポロディア製作所の着手する分野は手広いが、それ故に展望の見られない研究は切り捨てられる。現代では衣食住など生活に貢献する分野の需要が高まり、維持する研究分野は実利を重視したものに絞られていった。
　こと人が機械の体を手に入れる世の中で、機械が人のようになる意味はほとんど無い。現在世の中が求めるのは健全な天然の身体、或いは不自由な肉体パーツに代替するための機械の身体。
　機械の個性を人に寄せる研究は、優先順位を下げられて必然だった。

「次回作まで首を繋げたかった。そこにお前がチャンスをくれた。これがあたしの答えだよ。ルチルみたいなアンドロイドの研究は、結構需要ギリギリのところで予算を出して貰ってるんだ。辛うじて生かされてるけど機械人形のお友達作る予算なんて早く切りたいんだよ、上のお偉方は」

　サトゥルノはルチルがグレムリン・テイマーとなるまで、研究所内で姿を見たことが無かった事実を思い出していた。
　ルチルは既存モデルのアンドロイドだ。となれば自然、次世代モデルも存在する。そういう意味で、本来の役割はもう終えていたのだ。

「……クリ坊には感謝してる。あたしがルチルを表に出すのも、これまでは白い目で見られただろう。それが役割を得たから変わった。でも、あたしはあくまでアンドロイドの技術者だ。技術の研鑽のためなら、必要に応じてその活動を停止させることに躊躇は無い」

　それは私情で機体の余命を伸ばすことはない、という主張だった。
　　
「役割を持って生まれてくるのがアンドロイドだ。その役割の精度と幅を広げるためなら、あたしはなんだって使ってやる」

　それはユーディアライト・ユピーチルは技術者として手段を選ばない、という主張だった。

「でも、ドクターは自分の作ったアンドロイドをただの鉄くずと思っている訳でもないだろう？」

　サトゥルノはそれらの主張を信じた。疑う理由もなかった。だからサトゥルノは、信じた上で確認した。

「背に腹が変えられなかったのはわかった。よりによって君がグレムリンに手を貸してくれるくらいだ。けどだからと言って、ルチルをぞんざいに扱って寄越したとは思えない」
「……」

　ドクターが目を眇めてみせる。不服なのは見て取れた。

「けどそれが、僕は。単純な情愛に依るものでもない気がしていて。……ドクターは、人でも道具でもなく“アンドロイド”として接している。そう感じるよ」

　先のドクターの言葉を借りるなら、役割を持って生まれるのがアンドロイドだ。そして役割を終えたはずのアンドロイドに、次の役割を与えたのはドクター自身ということになる。

　グレムリン。それは不可解な現象により暴走や故障を突然起こす戦闘機。ドクターは、グレムリンに恨みを抱く人間だった。
　テイマーの死期は予見された運命の果てと言えど、死因が解明できない機体の現象となればなぜ解明できない奇跡で死する運命を覆せないのかと悪鬼の如く叫ぶ彼女をサトゥルノは知っていた。
　ドクターに助力を願う際も、断られる前提で話した。開口一番「力を貸してほしい」と言ってしまった時点でサトゥルノは彼女との交渉に失敗したと覚悟していたのだ。

　──その彼女が、渋々ながらも了承して。コミュニケーション用アンドロイドの未来、活躍の場を与えられなかった既存モデル、サトゥルノが目指すグレムリンの無人化……様々な思惑を複雑に絡ませ、ルチルをグレムリン・テイマーにすると決断した。

「僕は君の言うように甘いんだろう。僕はルチルに愛着持つなっていう方が無理だ。……どうしても、無理だ。ドクターは技術者として僕と違う視点を持っているから、感じ方も異なるのだと思う。……けど、作品として思い入れがあったりはしないかな」

　顰め面だったドクターの瞼がすべて伏せられた。そのまま暫く、彼女は静かに呼吸を繰り返していた。細く、長く。

「……ルチルにさあ。訊いたんだよ」

　ぽつとドクターが零す。

「あいつも自分がアンドロイドで役割を持って生まれた自覚はあるからさ。お前は残された時間で何でも出来るとしたら何をしたい？　って」
「ルチルは、なんて？」
「人の役に立ちたい、って。模範的な回答だね」

　「模範的」。その言葉が、AIの回答機能としての評価と、人の善性のどちらを取り上げたのかはサトゥルノの察するところではない。それを尋ねるつもりもなかった。

「アンドロイドにだってアンドロイドなりに意志の決定はするんだよ。人間のそれより脆くて簡素だったとしてもね」

　ドクターはカップを手に立ち上がる。インスタントコーヒーのおかわりを淹れるつもりなのだろう。話は大方終わったと見て。サトゥルノも立って、自分のマグを手に取る。
　
「……ドクター。ラトリーシャと話してみたらどうだろう」

　自分の番を待つ間に、サトゥルノはドクターに提言した。ドクターがポットの前ではたと長いまつ毛を上下させる。その名は唐突も唐突だ。

「……なんで？　それってルチルの僚機だっけ……？」
「そう。……僕は、少しドクターのことがわかった気がして嬉しい。だからルチルのパートナーである彼女にも会わせたいんだ。何よりルチルの一番近くで仕事をして、アンドロイドとコミュニケーションを取っている16歳の外部ユーザーの意見だ。一度聞いてみる価値はあると思う。どんな人間がどんな風にルチルと向き合っているのか、一度自分で確かめてみないかい？」

　準備は自分がするから、とサトゥルノは口角をやわらかく上げる。ドクターは頭を軽く掻いて、掛けた眼鏡を指で軽く押し上げた。

　ルチルは哲学が好きだ。


「人の反応を模倣して作られたプログラムは、心にはなれないのでしょうか？」


　答えの出し難い問いをよく吹っ掛けてくる。自分で答えが出せないからか、しばしば尋ねてくるのだ。


「あくまで僕個人の意見でいいかな」


　そう前置きしてからサトゥルノは答えた。頷くルチルの瞳はまっすぐ見つめてくる。


「傍目に違いがわからなければ、それは心と呼ばれるのかもしれない。けどそれは他者からの認識で、心と呼ぶのもまた他者だ。だから心となれる可能性はあると思う」
「個人の裁量で心を見出されることはあるのですね」
「うん。でも、一般的に“造られたもの”のラベルがつくとその“心”は軽視されがち、かな」


　他者に見出される可能性があると言っておきながら、サトゥルノには目の前の彼女にそれが備わっているのかどうかの判断がつかない。少し迷いながら、続けてサトゥルノの考えを提示していった。


「心というのは、はっきりした形が無いから定義が難しいんだ。プログラムとして組めた“心”は人の手で消したり、増やしたり、好きに書き換えられたり、管理しやすくずっと脆いものかもしれない。けれど人間の精神構造だって万全じゃない。脳が機能しなくなれば心と呼べるものも生まれないだろうし、特定の電気信号で記憶や感情を制御することは可能だろう」


　いつのまにか質問された側のサトゥルノが頭を悩ませていた。進化したテクノロジーならば人工物でも天然物と相違ない働きをするだろう。その優劣や強弱を語る結論を、サトゥルノはまだ持ち合わせていなかった。


「では、トレースした人物の“心”をバックアップ保存して他界した後からデータを再生した時、その人は生き返ったことになるのでしょうか？」
「……これも僕個人の意見だけれど。ならないんじゃないかな。けど、僕と喪失の定義が違っていたなら、その人にとってはずっと生きていることになるのかもしれない」
「生死も個人の裁量に委ねられるのですか？」


　今日のルチルは、いつもより質問が多かった。サトゥルノはどこか悪寒のようなものを感じながら続けて答える。平静を取り繕って眼鏡の位置を押し上げていた。


「いや……死と言えば肉体の生命活動の停止だ。けれど、肉体機能に支障が無くともそれ以外が失われた場合、死と定義するのか否か……。極端な話、死体を何らかの技術で動かすだけであれば、大抵の場合は動く肉塊と解釈されて終わりだろう」
「なるほど。では、ルチルの死は、どこにあるでしょう？　違うボディに頭脳部を移し替えて再起動した時、シャットダウン前のルチルは死んでいるのでしょうか？」


　サトゥルノは目を見張る。思い出していた。
　運命を計測する数値──死との距離が彼女にも存在することを。そしてそれが、観測可能な範囲に入ったことを。


「どう、だろう……」
「ルチルは永遠に生きていることになるのでしょうか？　それとも体を変える都度死んでいるのでしょうか？」


　──ルチルに壊れてほしくないと思うか？
　サトゥルノの頭をドクターの言葉が巡っていた。
　──お前らが困ればいいと思った。
　ルチルに答える頭へ切り替えるには時間を要した。ドクターの発言が、もし本当に言葉通りなら相当悪趣味な話だ。


「……永遠ではないんだ。人間も、AIも。でも、どんな形がルチルに取っての終わりとなるのかは僕にもわからない」


　すぐではない。計測装置の弾き出す死期は計測時期によって多少延びるそうだから、きっとすぐではないはずだ。
　すぐではない。けれど、いつか必ずルチルも終わりを迎える。ルチルの到達する終着点は、誰にもわからない。


「サトゥルノ？　悲しいのですか？」


　サトゥルノは気づけば膝を折り、ルチルを抱きしめていた。鼻を啜っていた。彼の視界がぼやけていることに気づいたのは、問われて暫し経ってからだった。


「なんでだろう。まだわからない先のことなのに、すべてが理不尽に思えて、悔しくて、腹立たしいんだ」
「サトゥルノは打ちひしがれているようです。どこに憤りを感じますか？」


　ルチルは冷静にコミュニケーション能力を問題なく機能させている。彼女はアンドロイドだ。製作意図に沿って与えられた役割は難無くこなす。子どもをあやすように、サトゥルノの背を優しく撫ぜていた。


「ドクターは残酷だ。わかっていたんだ、あの人は。わかっていながら、」


　──ルチルに壊れてほしくないと思うか？
　──いや、聞くまでもないか。
　姿形が違ったなら。声色が冷淡であったなら。アンドロイド以外を起用したなら。自分がプロジェクトに関わっていなければ。ドクターと縁を切っていたなら。
　それなら、ルチルを哀れまずに済んだかもしれないのに──サトゥルノは逃避するように、次々と事実から目を逸らした仮定を思い浮かべていた。彼のアンドロイドに対する感情移入は、想定よりずっと深く速く進むものだった。
　これがドクターの想定通りなら、彼女は笑うのだろうか。困ればいいと、本当に望んだのだろうか。


「ドクターと仲を違えてしまいましたか？　素直なお気持ちをお話し合ってはいかがでしょう？　ルチルはご協力します！」


　あの時睫毛に覆われて隠された葡萄色の目は、ずっと落とされるように彼女の手元に向けられていた。こちらを片時も見ることなく。
　長い沈黙の後に、サトゥルノはそうだねと一言呟いて、ルチルから離れた。
　金の針を閉じ込めた水晶の瞳が、目と鼻を赤くした男の顔を映している。


「……ごめん、ルチル。ちょっとだけ、取り乱した」
「抱擁のような行為は五感を刺激し、他者との触れ合いからオキシトシンの分泌させ、次いで生じる幸福感から恐怖心や闘争欲などのストレスを緩和させます。つまり、サトゥルノの興奮はルチルと抱擁することにより鎮まりました！　グレート！」
「その言い方は語弊がある。あとできるだけ内密に」
「善処します！」


　本人はそう言うがルチルのログは後から辿ろうと思えば辿れる。思い出したサトゥルノは眼鏡を外してこめかみを押さえた。


「眼痛ですか、サトゥルノ？　ホットタオルとアイスタオルを2～3分置きに瞼に当てると血行が……」
「いや、大丈夫。ありがとう。ドクターとは少し話してみるよ。……もう、質問は大丈夫かい？」
「はい！　本日もたいへん参考になりました！　ありがとうございました、サトゥルノ！」


　ルチルはいつかは何らかの形で失われてしまう。
　何かが変わることは無いかもしれないが、敢えてルチルをサトゥルノに託した意図を彼は少しでも理解したかった。
　サトゥルノはアンドロイド開発室へ行かなければならない。期待を胸に向かうのではなく、ドクターと腹の内を晒し合うために会いに行くと、そう心に決めた。

「……相変わらず出てないのか、部屋」


　サトゥルノはアンドロイド開発室へ足を運んでいた。至極鬱陶しそうに眉を顰めたドクターの視線がへばりつく。
　
「何でお前はいつも来るかな。暇か？　暇なのか？　ルチルはどうした」
「今日はオフだから僚機の彼女とお出かけしているよ。今日は彼女が監督役」
「そりゃ結構。“出来の良い”テイマーなら安心して預けられる、って？」


　“出来の良い”を強調しながらドクターはインスタントコーヒーを自分の分だけ淹れる。疑念の垣間見える語調に、サトゥルノは誤魔化すように自分のマグカップ──勝手に置かせてもらっている──に続けて淹れた。


「彼女は一人前のテイマーだし、二人は僚機契約の責任が伴うパートナーだ。親睦を深めるのは良いことだし任せられると判断しているよ。ルチルの存在が社外秘ってわけでもないだろう？」
「まあね」


　ふん、と鼻を鳴らしてドクターがカップを啜る。適当な相槌と肯定こそしたが、サトゥルノの話は真面目に聞いてはいないようだった。
　伏し気味の目は隙を探すようにサトゥルノを睨めつけている。そのまま何も言われないので、サトゥルノは底に溜まった粉をスプーンで混ぜて。ざらついた音で沈黙を凌いでいた。


「しかしその僚機の彼女、お前よりルチルと仲良さそうだな」


　やがて飽きたのか、ドクターはカップから口を離していた。その視線は明後日を向いている。彼女の興味は、ラトリーシャとルチルに向いたらしい。


「それは、そうだなあ。見た目だけなら歳も近いし。はじめに挨拶させた時も思ったけれど、ルチルは誰とでも仲良くなれそうだね」
「まあそりゃあ。そういうアンドロイドだし」


　一言であっさりと返すドクターに、サトゥルノは粉を溶かしていた手をふと止めた。


「……そういうアンドロイド、なのか？」


　そのまま聞き返す。会話が自然に流れ過ぎてしまわぬよう、繋ぎ止めて聞き返さなければならなかった。
　サトゥルノの問いは確認だった。戦場を駆る傭兵となったルチルが、誰とでも仲良くなれるような善き存在であることの。
　
「ルチルがコミュニケーションに特化してるのは見ればわかるだろ。仲良く出来なくちゃそこに尽くした労力が報われない」


　あっけらかんとドクターは言ってのける。
　ルチルはコミュニケーションに特化している。それはわかっていた。霊障解析アシスタントだとかグレムリンテイマーに適任だとか、誤魔化されていても最大の特徴はそこれ行き着く。
　意図的にはぐらかされていたそれが、製作者本人の口から言及されるとは思わなかったのだ。


「……どうして、人に寄せたんだ？」
「此処で研鑽されてきたアンドロイド技術がよくできていたから、となるのかな」
「寄せた意図を聞いているんだ。その過程ではなく」
「寄せるのが、人に近づけるのがあたしの継いだテーマなんだ。容姿と動作を自然なものにして、人と遜色ないコミュニケーションが取れることを目標に製作している」


　言葉通りなら、擬似人間と言い換えられそうなアンドロイドを目指す技術は以前から保有していたことになる。これまでドクターが前面に出すことをしなかった事実。それはサトゥルノの知らない話だ。


「人と変わらないものを、目指したのか」


　元からルチルに傭兵の用途は期待されていない。予測はついていた。妥当な回答だ。だからこそ釈然としない。
　自分のところ──危険の伴う戦場へ派遣されたアンドロイドが、感情豊かな少女のかたちであることと結びつかないのだ。それこそ、趣味が悪いと言われても仕方ないような。


「霊障対策を畑とするお前は詳しくないかもしれないが、アポロディアの機械技師の歴史には、より人間に近づけた機械の製作に特化した連中の記録がある。あたしが引き継いでるのがそれ。ルチルは研究成果にして研究過程ということになる」


　研究成果にして研究過程。それを聞いた瞬間、サトゥルノはほのかに不快感を抱いた。彼女は研究者として何もおかしいことを言ってはいないのに。


「なんで、ルチルを僕のところに寄越した……？」


　サトゥルノは一番の疑問を最後にドクターにぶつけた。ドクターは『条件は人間に近い方がいいだろう』と言ったが、もっとロースペックのアンドロイドでも妥協できたはずだ。


「嫌がらせ」


　ぽつ、と。ドクターは視線を落として素っ気なく言った。サトゥルノがその感想や異議申し立てる前にドクターが次の言葉を走らせる。


「お前らが困ればいいと思った。ルチルは既存モデルだからできることは大体やったし、引き渡すにも不都合ない。……あたしに頼み事するっていうのはそういうことだ」


　それは聞くに堪えないようなひどい話だった。身勝手で悪辣な棘ばかりを吐き出すドクターの目はサトゥルノを見ない。伏しがちな長いまつ毛が、葡萄色をすっかり覆い隠していた。
　コーヒーを通したばかりのサトゥルノの腹の奥底で、ざわざわと黒い感情が蠢く。ドクターの吐き出す言葉が、嫌で仕方がなかった。


「どうしてそんなこと言うんだ」
　
　訴えるようにして彼女を問い質していた。
　ドクターはサトゥルノの方を見ないままスプーンを手に取る。彼女の残り少ないコーヒーに突き立てられたスプーンは泥のようにざりざりと耳障りな音を立てていた。


「そんな都合でルチルはテイマーになったっていうのか」
「……そうだね。呆れたら帰ってくれ。あたしの性格が悪いのは知ってるだろう、こういう人間なんだ」
「……そうじゃないだろう」


　促された通りサトゥルノは席を立つ。自身の内に沸き上がる衝動をぶつけてやることもできた。けれども、それをしてしまえばドクターがこれ見よがしに設けた隔たりを広げるような気がしていた。
　だからサトゥルノは、彼女の話を聞かずに去ることを選ぶ。


「また来るよ」


　当たり前のようにサトゥルノは一言告げた。
　ドクターの世界には飲みかけのカップ、それから背中越しの挨拶が残された。

「サトゥルノ！　サトゥルノは犬派ですか？　猫派ですか？」


　元気よく問いかけたルチルの一声により今日の議題が決定した。脈絡はなく、挨拶を交わした次にサトゥルノが受けた唐突な質問である。


「……その質問の意図が見えないんだけど。ルチル、どうしてその二択なのかな」


　サトゥルノは犬や猫にそれほど詳しくはない。まったく知らない訳ではないが、生物学上の分類として種族の特性を知っている程度だ。実物を見たことはなかった。


「この度ルチルは文化資料館にて、この質問を交わす行為が太古より引き継がれたコミュニケーションであると知見を得ました。二択である必要はないのですが、当時の周知度からかこの二つで問われるスタイルが標準だったのです」


　ルチルは報告処理やメンテナンスなどを除き製作所の人間が関わらない時間帯は製作所内の一部区域の見学や資料の閲覧を認められている。
　AIが自発的に“不要な”学習を求めた場合、何に興味を持つのかと言ったデータは開発部の参考として集められていた。
　今回ルチルが選んだのは文化的資料でも雑学と呼べるような、随分とマイナーな内容だった。権力者や巫女がどちら派であるのか一文添えられると注目を集められたという説もあるらしい。
　改めて考える。


「僕は……犬かな。人と共に行動して命令を理解できる賢さがあると言うし。ルチルはどうなんだい？」
「ルチルは虎派です！」
「虎！？」


　提示した選択肢は二つでも本人の選ぶ答えは実に自由なものだった。


「虎というと、『タイガーアイ』の？」
「はい！　『タイガーアイ』のモデルです！　虎は食肉目ネコ科ヒョウ属の大きな肉食獣です。ですから、ルチルは猫派寄りと言えそうですね！」


　グレムリン『タイガーアイ』に乗るようになってからルチルは虎を好んでいるようだった。“好んでいる”という表現は人に寄せたものであるが、ルチルの知識欲が向けられる先にしてその偏りという意味で、サトゥルノはアンドロイドの“好み”と呼んでいた。
　人間的な見方をするなら搭乗機体に愛着を感じて……などと感情的な説明でも通るのだが、ルチルに尤もらしい解説を付けるなら、搭乗機体の形状が知識欲を刺激する入口であったのだろうと推測される。


「虎は様々な環境に生息する適応力を持ち、体長は2mから3mとされているのですが他の大型肉食獣をも捕食する胆力と強大な実力を併せ持つと記されていました。グレートにストロング！」
「詳しいな……」
「しかし狩りの成功率は決して高いものではなかったそうです。野生の厳しさを感じます……」
「詳しいな！？」


　数日に分けてインプットした知識であろうが、ルチルの豊富な虎雑学を聞いているとサトゥルノも次第に肩入れしたくなってきた。
　笑顔が標準装備のルチルは楽しそうに語っているように見えるのだ。


「サトゥルノは本物の虎を見たことはありますか？」
「残念ながら僕は再現資料ぐらいでしか」
「では犬や猫は？」
「そちらも残念ながら本物は。研究所と縁のある土地くらいしか行ったことがないから」
「少し遠出すれば存在を確認できるのでしょうか？」


　ルチルは小首を傾げる。つられるようにサトゥルノも首を捻り眼鏡の位置を直した。
　サトゥルノは再現映像や資料の絵で間接的には見たことがあるのだが、生で見た事がある動物はバイオ生物ぐらいだ。


「……どこかには遺伝子を継いだ種や再現に成功したバイオ化学の実例があるかもしれないな」


　サトゥルノは外の文化に詳しくはない。可能性の話だけ、彼女に教えた。


「では虎もいつか粉塵と海を超えてアポロディアにもやって来るかもしれませんね！　泳ぎも得意のようですよ！」
「それは……来たら結構な脅威なのでは？」
「大丈夫ですよ！　本当に虎が来てもタイガーアイが迎撃或いは捕獲します」
「ああいや、そうじゃなくて。ていうか容赦ないな！？」
「脅威を取り除くのがルチルの使命ですので！　推奨は生態の分析等が可能な捕獲です！　オススメ！」


　虎は獰猛な肉食獣であるとされる。狩りの成功率は高くないらしい。
　けれど猫派で虎派のルチルは今や、戦場に立てば襲い来る未確認機をしっかり撃墜させて帰ってくる頼もしい傭兵だ。
　そうなれたのは、テイマー経験者から機体アセンブルについてアドバイスを受けたからだが──
　
「……虎が飼い慣らされている」
　
　虎の狩場をセッティングするのは、案外周囲を飛び回る蜂ぐらいの小さな役者であるのかもしれない。
　童話めいた話だ。と、サトゥルノはかぶりを振った。

　ドクターは人のいる場所を好まない。故にアポロディア製作所内での行動圏も限られており、出歩く姿は珍しいほうだ。
　今日もアンドロイド開発室で引きこもり、いつも通り一日を過ごすだけ──のはずだった。


「……何。ルチルは直しただろ」
「うん、君の仕事ぶりは確と見た」
「なにが“確と見た”だ。用件は？」


　開発室に足を踏み入れたサトゥルノによってその目論見は瓦解する。人の増えた開発室にドクターは露骨に顔を顰めて見せた。
　
「胃が静けさを求めていて」
「よし帰れ。ここは健康管理室じゃないよ」


　彼は退くことなく来客用のソファーにのそりと腰を下ろす。
　気軽に訪ねすぎなのだ、この男は。
　アンドロイドを要求した時もそう。彼は時間があるかと確認するより先に力を貸してほしいと助力を願った。
　好意的に捉えるなら、彼の遠慮の無さは信頼と言い換えることもできる。リーダーに就任して周囲に肩肘張った日々を送っているから、その反動であるのだと。
　だとしても、ドクターは彼の信頼を求めている訳ではない。


「君なら人から遠ざかりたい気持ちはわかるだろう」
「あたしの気持ちは無視か。いい度胸だ」


　嫌味をぶつけてもサトゥルノは苦笑するだけで、退いてくれそうな素振りは見られなかった。


「はあ、まったく。胃、ね。体壊すくらいなら降りれば良いんだ。どうせ人の死期は決まってる。なら、その過程は安らかである方が好ましいだろ」


　ドクターは戸棚から胃薬の瓶を取り出し、サトゥルノに投げ渡した。


「返さなくていいから」


　サトゥルノは渡された胃薬を両手で包みながら視線を落とす。
　彼が進めているのは、グレムリンの無人化を目標としたプロジェクトだ。人間のテイマーに替わりアポロディアのアンドロイドを搭乗させ、普及させられれば製作所の利益も見込める。
　そこで彼が思い描いていたのは機械的なアンドロイドだったに違いない。既存モデルの中で容姿言動ともに一際人間に近いアンドロイドであるルチルを贈呈した際の彼の反応は困惑に溢れ、とても好感触と呼べるものではなかった。
　それでも、彼はルチルを突き返して代替品を強請ることはしなかった。


「ルチルやあたしに文句があるから来たんじゃないのか。想定と違うって。あたしは陰湿だからお前の胃痛を加速させる側だもんな」
「そんなことない。それならわざわざ居座らないよ。そりゃあ、最初はびっくりしたし僕の現状は想定とはずっと違っている。でもそれは嫌なことばかりじゃない。ルチルは想定してたよりずっと優秀だし……僕の選択は間違っていないと思える。それに、折角自分で組織を動かせるんだ。少しずつでも目指すところには近づいている」


　卑下するドクターに反論を並べ立てたサトゥルノに肩を竦める。


「グレムリンの無人化が進めば人は戦場で傷つかない……みたいな話？　なんていうか、気張りすぎじゃないのか。それで人が死ななくなるわけじゃないのに」


　グレムリンで死なずとも、死因が他の事故や病に変わるだけ。解明しきれない現象の溢れたこの世の中ではいくら逃避したところで延命にならない。生まれた時から死へ至る距離は定められているとすら、世の中で提唱されていた。


「でもドクターだって、どうせ死ぬなら安らかである方がいいって今言ったばかりだろう？」


　彼は昔から、ドクターの言葉はよく覚えていた。ドクターが一々覚えていないような発言を、いつも彼が覚えている。


「……アンドロイドがコンスタントに消費できて、人より扱いやすい資源にならなくちゃ運用は難しいだろうね。人だろうがAIだろうが一度壊れたら同一のものは乗せられないんだよ、クリ坊」


　運命の仕組みは人命に限らずAIにも及ぶと言われている。そのプログラムを複製或いは再構成したとてしも、解明できない原因により動作しなくなることが報告されていた。
　サトゥルノは薬瓶を弄びながら小さく唸って、思考に耽る。


「それなんだけど、どこから個性が生じるんだろう」
「あ？」
「たとえばの話だけれど。ルチルのバックアップを取ったところで、オリジナルと同様に故障するだろう？　でも、人間が同じ条件で育てられても必ずどこかで差が生じるように、ルチルと同じことができても別のプログラムだったら壊れないと僕は思っている」
「ふうん。それでどこからがルチルたらしめる個性と離れるのか、って話ね。壊れる前提とは随分後ろ向きだな」
「たとえばの話だって。今後の製作条件にもに関係するし。どこから、違う存在なんだろう」
「そんなもんはあたしが聞きたい」


　わかるのは、人間もルチルも壊れてしまえばそれきりということだけだ。


「なあクリ坊」


　ドクターはサトゥルノにずいと顔を寄せた。じとりと目が合う。


「あ、ごめん。いつまで居るんだって話だよな」
「ルチルに壊れてほしくないと思うか？」
「は？」


　答えを待つ間もなく二人の距離はぱっと離された。


「それはどういう──」
「いや、聞くまでもないか。こちらから出しといてなんだけど程々にな。ほれ、ハウスハウス」


　ドクターは一人で納得して退室を促す。サトゥルノは続けて何かを問うこともなく席を立った。


「また来るよ」


　追及する代わりに一言だけを残して。


「どうにも、やはりまだ坊ちゃんだな」


　開発室がまた一人になる。ドクターの世界が戻ってくる。今日のように物好きさえ来なければ、ドクターは一人でいられた。

　ルチルクォーツはアンドロイドだ。戦場に出て苦痛に喘ぐことはない。けれど、ひとりで勝手に傷や不調は直らない。
　故に、その補修を行える技術者はルチルにもアポロディア製作所にも必要不可欠だった。


「終わったよ、ルチル。……左耳、聞こえてる？」
「はい、感度良好です！　ありがとうございました、ドクター！」


　ルチルクォーツとドクターの関係は悪いものではなかった。
　ドクターは自他共に認める厭世家で、あまり人当たりのよいほうではない。無愛想で皮肉屋で、愛嬌の良いアンドロイドの製作を手掛けたと言われて疑問視する声もあるほどだ。
　そのドクターのルチルに対するコミュニケーションは、職員とのそれよりずっとやさしい。他と違って自発的に声を掛けたり、会話を成立させる意欲が伺えるからだ。


　しかしそれは他と比較した場合の話であり、周囲の希望的観測を含んだ解釈でしかない。自身の作品に対する正確な検閲と見ればなにもおかしいことはなかった。
　
　それでも人は想像するのが好きな生き物だ。一部では、ドクターには実はかつて娘が居て、ルチルを喪った娘に見立てているのではないか”という噂が囁かれた。
　それは彼女を知る人々の興味を刺激し、ある程度の納得を得られるセンセーショナルな噂だった。
　ルチルのように人間味のある反応を返すアンドロイドはアポロディア製作所でも珍しい。世間では人に近づけた人形よりも粉塵の舞う外界を駆る労働力が求められ、機械を人に寄せる技術よりも肉体の一部を機械化する技術のほうが進行している。
　そんな珍しさも相まって、ドクターはルチルに特別な意識を以て心を開いているに違いないと見当づけられたのだ。


「不確定要素を持つグレムリンに人なんか危なくて乗せられない、なるほどわかる話だ。でもグレムリンってのは人が乗るものなんだろう。なら、パイロットになるアンドロイドは人に近い方がいいんじゃないか」


　それが、ルチルクォーツをグレムリン・テイマーとして提供したドクターのコメントだった。
　一応、ルチルクォーツには霊障現象の調査・解析を目的とする機能が備わっている。
　しかしそれは、調査機として作られたという意味ではない。調査を目的とするなら人型である必要は無いのだ。
　ルチルは親しみやすいデザインがなされていることこそが特徴で、ついでに実用性も備えたと表す方が相応しい。
　ドクターの言う通りなら、“人型”の条件さえ満たしていれば、見た目や挙動がルチルほど精巧である必要は無い。
　どこかちぐはぐだった。これが何を意味するのかを、誰も知らなかった。
　勝手な憶測は勝手に枝葉分かれして、各々が「こうであるなら面白い」と思うままに変化していくようになった。
　最早他人が語るドクターの話は何が真実で、何が想像なのかも曖昧だ。
　ただひとつ、確かな事実を挙げるとすれば。
　その躯体を傭兵として提供されるまで、アポロディアの中でルチルクォーツはまともに活動していなかった。