ENo.0012　人喰いの嬰児 ヒンガン

　コルヒクム家とは混色の国でも地方、片田舎を統治する貴族である。
　彼の家の者の土地では作物は実り豊かに育ち、牛や豚のような家畜も健康に生きる肥沃な大地だった。高級タバコの名産地としても知られ、育つのが難しい植物のタバコであっても毎年豊作に収穫された。

　未だに国境では戦争の絶えない時代において、戦とは程遠い平穏な地方。
　その一方で、こんな言い伝えが信じられている。

『例え大人であっても、黒地の広がる日に一人になってはいけない。
　“黒地の使者”に喰われ、その残り滓は畑に埋められてしまうぞ』

　そして、領民は薄々気付いているが誰もが口には出さない。
　その“黒地の使者”こそ、コルヒクム家だと。

　だが、そのコルヒクム家も終焉が見えてきた。
　後継ぎになるはずだった長男が家を出て、軍人になったという。
　残った次男は妾の子。家を継げる血筋ではなく、今も父親の代理としてでしか家を担げない。

　それ以外に、コルヒクム家の姓を持つものは居なかった。

ーーーーーーー

　カラン、と剣が地に力なく落ちた音が響く。
　私は安堵の息を吐いて、椅子に深く座る。この男は明確に殺意を持ち、私に立ち向かってくる。それだけで身の震えが止まらなくなる。

　殺意の動機は分かった。だが、私の視界の端で揺れている肉塊と同じく記憶に留まる程ではない存在だった。
　先日食べた肉の味ならともかく、顔を覚えているかという問いを掛けられても答えられる自信はない。

　「腹を満たすには丁度いい肉だった」 ーー火に油を注ぐと分かるような答えしか思い浮かばないからだ。

『ーーーコルヒクム家』

　リボンが揺れたのを私は見た。そのリボンを“視”れば、先程の黄金の剣が床に転がっている所だった。
　男は私を知覚している訳ではないはずだ。なのに、明確に殺意を持った目はこちらを見ている。


『聞こえているんだろう！！“コルヒクム家を名乗る”ヒンガン！！』
『人でありながら他人の皮を剥ぎ、内臓を踏み、血を被りながら汚らわしいと言った貴様を“視”た！！』
『娯楽のように喰らい、その命に罪悪感すら感じない“黒地の使者”だと！！』

『ーー生かしては置けぬと！ 俺の恋人みたいな人も、俺みたいな人もこれ以上作ってしまうのは沢山だ！！』
『なのに、またここだ。ここで今回の俺の復讐は足留めだ！！』
『あまりに、悔しい！！俺の恋人も、貴様らに喰われた人々の報いが届かないなんて！！！』

『だから、聞け。これが俺の憎悪、貴様“ヒンガン”への怨嗟の声を』
『貴様は貴様では失くなる。貴様の後ろ楯を徹底的に破壊してやる！！』


　私はリボンから離れると、黄金の剣は見えなくなった。「馬鹿め」と呟いて、凍ったように白くなりかけた脳を優越感で溶かしていく。
　だが、人の声量とは驚くべきもので。
　時に建物全体を音は揺るがすこともある。

「「「“ヒンガン”･コルヒクム。そんな人物は存在しない！！！」」」
「「「貴様は、“コルヒクム家”を名乗る偽物だ！！！」」」

「「「コルヒクム家の長女はランタナイト！！」」」
「「「コルヒクム家の長男はバストネス！！！」」」

「「「そして」」」
「「「コルヒクム家の次男はサマルスカイト！」」」

「「「それ以外に、コルヒクムの姓を語る若人は存在しない！！！」」」

　声は、それで途絶えた。


　騙されるな。惑わされるな。煽られるな。唆されるな。
　どれだけ笑顔を見繕おうとも、顔が引き釣り汗が止まらない。

　 　ヒンガン
　■■■■■■■･コルヒクムだ。

　そうだ、父に、父から名を貰ったのだ。ヒンガンと。
　『余裕もなく、ついに妄言を吐き出したか』と語ればよいだけだ。
　もしくは、『貴様の目と耳はミミズを詰められたかのように節穴か』と語ろう。『脳も知見もないか』でもいい。

　そうだ。それでいいのだ。
　なのに。
　何故こんなに動揺してしまっているんだ。