ENo.0086　ニフタ・エオニオティタ

　こんなにも哀れにも、こんなにも唯々諾々と。
　運命に逆らうつもりなどなく生きている僕にはしかし、いつまでたっても運命到達点は示されない。

　この世界の誰もがいつか辿り着く、逃れ得ぬ死に。
　これほどに無気力に、ただグレムリンに乗って戦うだけの日々を過ごしている僕に、終わりを告げる声は未だ遠い。

　ダスト・グレムリン。
　それを求めることすらしていない僕に、むしろ、だからこそなのか。
　趣味が悪い、と思う。この世界の運命とやらも。
　それを手繰る糸も。

　けれど逆らえぬのならば。
　逆らっても仕方ないと、納得してしまっているのならば。
　そう生きるより僕は他にない。

　他に、なにもないのだ。

　また血が出た。
　これが来ると気分が悪くなる。
　下腹がずきずきと痛んで、頭が重くなる。気持ちが悪い。
　この出血に関して奴が何かを言ってくることはない。から、僕も何も言わない。奴が僕の体調を把握していないはずはないからだ。そもそも僕から奴に訴えるべきことなんて何もない。
　それはそれとして、どうしようもなく、不快ではある。

　ひたひたと伝い落ちる血は、落命の象徴だ。
　今日も出撃がある。それなのにこの有り様。
　不吉にも程があると塞ぐ気鬱を振り払って、今日もグレムリンに乗り込む。

　殺す側で在り続けることを、胸に誓う。

　戦果ランキングとやらに入ると、褒められる。
　よくやった、偉い、これからも期待している、と喜ばれる。
　それを聞くたびに、嬉しそうな声を聞かされるたびに、気分が悪くなる。

　気分が悪くなる自分を制御されていないことが、理解できなくなる。

　制御されたいはずはないのに、制御されていないことが、気持ち悪い。
　あれは僕が戦果を残すことを期待しているのではないか。声を掛けられるたび褒められるたび、僕が気を悪くして、やる気を削がれていることもきっと把握しているはずだ。
　なのにそれをやめない。どうしてだ。結果を残すことを期待するなら、褒めるのをやめればいいのに。それでも褒めたいならこうして気を悪くする僕の精神に干渉することもできるはずなのに。
　どうしてそれをしないのか。

　されたいはずもないことを、益体もなく考え込んでしまうことで、ますます気分が塞ぐ。
　最悪の気分になる。

　それすら制御されて気分よくいたいだなんて、思うはずもないのに。

「……大口を叩いてた割には」
　二連続。二連続だっけ？
　あのいけ好かない僚機が撃墜されたのは。
　ミッション帰りの自機――『セポルトゥーラ』の中でぼんやりと戦場の様子を確認していると、そのような表示が目に留まる。
　つまりはあのおっさんはまた墜ちた、ということ。

　別にまぁ、背中を預けて戦ってるなんて意識はない。あるはずがない。あちらにだってないだろう。だからその有り様に文句はない。撃墜されただけで全く戦果を残さなかったわけでもないようだ。今回のレートポイントをだけ見れば僕を上回ってもいる。
　ざまあ、だとかは、特に思わない。
　胸のすくような気持ちがないこともないが――自分だってスレスレの戦場で戦っていることに自覚がない筈もない。
　明日は我が身である可能性を棚に上げて、僚機を嘲笑う気にはなれなかった。

『ニフタ』
　それよりも気に食わないのはこの機械音声だった。思わず溜め息が漏れる。
「何。今回は一発も受けてないけど」
『そうだね。立派なものだ。エンジニアとしては有り難いよ』
　一発も受けていない、どころか狙われてもいない。だから防衛戦果収入を全く稼げていないのだが、それに関しては奴が気にするところではないらしい。
　利害が一致しているのは悪いことではないが、相手がこいつだと思うと腹立たしい。だからと言って戦い方を変えようとも思わないが。
　一人でも多く。一機でも多く叩き潰す。
　そのつもりで僕が動いているのは、こいつの制御の下にあるからなのだろうか。
　こうして生きている限りでは分からない。問い詰めたところで意味もない。

　ただただやるせなく、腹立たしい。

『攻撃戦果としては悪くない数字だ。トップチームには食い込めないだろうが、誇らしいよ』
「…………」
『これからも頑張っ――』

　上から目線の労いを途中でぶち切って、もう一度大きく、溜め息を付いた。

　なにやら刺々しくがみがみと怒鳴る通信士。
　おかしな笑い方をする資産家。
　知ったようなことを喋る上にこちらを女扱いしてくる僚機。

　やっぱり何もかも気に食わない。

「ニフタ？」
　エアフィルターの耳障りな室内で、その声ばかりは涼やかに響く。
「大丈夫？　やっぱり、戦い、疲れてるんじゃ……」
「……なんでもないよ、フォス」
　しゃがみこんだ足元をうろつく小柄な身体を抱き上げて、なるべく優しい声で返す。
　滑らかな感触。光の羅列でそれらしく表現される表情。
　小型犬を象った冷たい機械生命体が、それでもこんなに豊かな感情を示す。

　それが造られたものであることは分かっていても。
　育まれた好意を握り潰すことは、今の僕には難しい。

　フォスは、多分、そのためにやつから与えられた。
　僕が折れないように。僕が心の拠り所とするために。
　この全身に仕込まれたナノマシンで逐一感情や意志を制御するよりも、その方がコストが低く、手っ取り早いという判断から。
　だから、本質的にはあいつと変わらない。僕を戦いに駆り出すための。
　僕をグレムリンテイマーとして安定させるためのパーツに過ぎない。

　それでも僕はフォスが好きだった。
　他に好むものがなにもないだけ、とも言えたけれど。
　敵を叩き潰した時の快感だとか、ざまあ、というような嘲りの方がこの身体には馴染むけれど。

　それだけでは人間の心は保たない、というのは、なるほど腹立たしいほどに適切な結論だった。

　――撃破数ランキング、二位に入ってたよ。最大ダメージや索敵ランキングにも。頑張ったじゃないか。

　などと褒められたところで、嬉しくもなんともない。
　そもそも相手は機械音声だ。労う感情だなんてものはろくに感じ取れないし、本人が喜んでいるのだとしたらそれは”僕”が頑張ったからじゃない。
　あれが遺志を託した個体が戦果を上げたのが嬉しいだけだ。

　あれは。エクリプスは。
　そういう存在だった。
　既に運命到達点へと到達した存在。個としての生命を終えた人間だったもの。
　自分の死後を予期して、『セポルトゥーラ』に乗るグレムリンテイマーを孤児から選出、設計、調整し続けるための機会生命体。

　愚かで虚しい存在だとは理解している。
　グレムリンテイマーという存在が、この世界においては”選ばれた”存在であることも。
　だからって好きにはなれない。
　僕は一度もそんなことを望んでいない。
　望んでいない、という感情の動きすら制御されないままに、ただ奴のお膳立てに従い続ける人生を、一度も望んだことはない。

　そして僕にとって何よりも恐ろしいことは、いつか来るかもしれない”望まされてしまう”ことになる、その瞬間だった。

　僕の僚機となったのは年嵩の、軽薄な喋り方をする男だった。
　正直に嫌だと思った。

　これが八つ当たりであることは自覚している。
　多分誰が来ても嫌だと思ったろうことも分かっている。
　その上で、僕は確かに、その男が嫌だと思っていた。

　僕は楽しそうな人間が嫌いだ。
　人生を謳歌してそうな、鼻歌でも口ずさみながら作業を進めていそうな人間が嫌いだ。
　他人との円滑な関係を望むような人間が嫌いだ。

　その男がそうかと言えば、完全にそうだとは思えないけれど。
　とにかく僕の、癇に障った。

　理不尽の自覚もある。
　誰が来ても嫌だと思ったし、そもそも僚機などというシステムに相乗りすることにすら抵抗がある。
　誰かに命を預ける気もないし、預けられても困る。
　何を考えてあいつが僕に僚機を押し付けたのかも分からない。

　好きにしたらいい、などと嘯くくせに。
　結局好きにさせる気などさらさらないのだ。

「僚機でこんな子供でがっかりしたんじゃないのか？」

　だからこれはせめてもの反発だ。
　この男が悪くないことは分かっているが、それはそれとして僕も正しい振る舞いをするつもりはない。
　許される必要などとうにない。

「替えるなら早い方がいいよ。優秀なテイマーはすぐに売り切れちゃうんだろうからさ」

　唆した通りにこの男が僕を切ったなら、それを奴はどう感じるだろうか。

　この世界に希望などない、というのが、概ねの人類の思うところではないだろうか。

　少なくとも僕はそうだった。
　やたらに眩しい太陽も、その光を反射して騒々しく輝く粉塵も、そのせいでろくに外にも出られない窮屈な生活もこの際どうでもいい。気は塞ぐけどその程度のものでしかない。
　傭兵としてグレムリンに乗せられて命がけの戦いを強いられている。まあそのこと自体はやっぱり比較的どうでもいい。どうせ限られた命で、グレムリンに乗っていようがいまいがいつ死ぬかなんて分かったもんじゃない。誰しもがそのつもりで生きている。

　でもどうしても、意思すら縛られている、というのは我慢がならない。

『やっと初出撃になるね』
　耳に音声通信が入る。機械の合成音声。
　返事はしない。必要がない。こいつは僕の意識すら汲んでいる。通信を聞き届けたか、理解したか、それすら反応で恐らく読み取られる。
『君の活躍には期待している。本当だよ』
「…………」
『君は僕の希望だ。命果てた僕の。運命から逃れられなかった僕の、人生を君に託す』

『だから、好きにしたらいい。存分に戦い、これを勝ち取れ』

　——好きになど、させるつもりはないくせに。
　白々しい男の声。姿も見たことはない。ただこの音声と、送られる物資と、制御の下に生きてきた。
　これからもそうして生きる。それが僕だ。
　ニフタ・エオニオティタだ。

　その自我にすら自信を持てないなんて、本当に、希望を持てという方が難しいというものだ。