ENo.0001　アンパッサン

　ミスター・トランプルは、アンパッサンは、装甲機械インセインは地を滑るように駆ける。
　彼我の距離が一気に詰まる。ゴブリン程の大きさに見えた”壁”は、今やジャイアントよりも更に大きい。
　だが、それも今の俺には余りにも小さ過ぎる。

『こいつで、真っ二つだ！』

　地を蹴り、跳ねる。”壁”よりも高く。何百倍にもなった重力の圧が心地よい。魂の躍動。戦いの律動。
　空を蹴り、振り下ろす。ハルバード・ギャンビットが”壁”を熱したバターのように両断する。
　遮るものの無い、否、遮るものを踏み越える、代替不能な快感が全身を駆け巡る。
　妙に全高の高い齧歯類を、すれ違いざまに薔薇の花束で斬り裂く。後にはただ薔薇の薫りが舞い上がる。
　雑魚の攻撃が装甲の表面で爆ぜる。手近な奴は斬り付け、遠間の奴には撃ち返し、ただ駆ける。

　そうして、ウォーハイドラの元へと辿り着く。
　不健康そうなバーニアを吐き散らしながら、頭部のメインカメラがこちらを睥睨した。
　咄嗟に掲げた腕が不可視の衝撃に捻じ曲がり、遅れて煌めく粒子ブレードが眼前に迫る。傾げた頭部装甲を砕き、露出した頬が焼けた。
　相対速度は反撃を許さない。衝撃で地を滑る俺を尻目に、ウォーハイドラの巨体が暴力的な加速で見る間に小さくなっていった。
　拉げた腕からオイルとも血ともつかない何かを垂らしながら、俺は再びあいつを追い掛けていく。

　いつしか、あるいは最初からか。心から笑っていた。
　仲間の支援魔法が拉げた腕を元に戻すむず痒い感触に。
　シャフラが自らの組んだ魔法と装備でウォーハイドラの攻撃を受け止め、追い詰めていく様に。
　皆と一緒に、覚に挑み追い掛けていく狂熱に。


†††††


「楽しかった」
「楽しかったかい」

　ぱらぱらと砕け剥がれる頭部装甲を払い落として、シャフラの隣へと並び立った。

「……名残惜しいな。こんな風に終わってしまうなんて」
「本当だよ。こんな楽しいんだからもっとやってきゃいいのにさ」

　目を落として笑う。自分でもただの強がりだとわかっている。何事も、終わるべき時には終わるべきなのだ。

「でも、惜しいくらいが、ちょうどいいか。終わって欲しいと願うよりは、ずっといい」
「そうかな。そんなこと願ったこともないからわからんよ」

　そして、今がその時なのだということも、わかっている。
　どんなに望んでも、戦場が戦火の喧騒を取り戻すことは無い。

「でも、ありがとう、シャフラ。一緒に楽しんでくれて。俺もすごく楽しかったよ」

　ゲームは終わった。だから、こうして集ったゲーム仲間ともお別れだ。
　シャフラはどうなるだろう。いや、どうしたいと思っているだろう。
　俺の肚は決まっている。覚達を守る。覚達の残すものを守る。これから来るであろう、ゲームの外からの破壊から。それは絶対にやりたいことだった。このゲームを楽しませてもらった俺のやりたいこと。そして、彼等が新作を作った暁には、いの一番にやらせてもらう。
　シャフラはどうなんだろう。またやりたいと、俺に手を伸ばしてくれるだろうか。
　既に戦火は絶え、荒野の情景は途絶えている。ハイドラの鍵は錠を開け、デバッグモードが起動している。

「どうもありがとう。楽しいゲームをありがとう」
「もしまた出会うことがあるならば」
「また一緒に遊んで欲しい」

　それを聞いて、安心した。

「うん、またやろう」
「うん、また。……さようなら」

　泳ぐように手元にやってきた、デバッグコンソールを手繰り寄せる。シンプルな構成。追うのは容易い。接続者の情報が浮かぶ。サトル。キトラ。ミスター・トランプル。シャフラ。

「ゲームが終わったらどうするか、あの答えを言ってなかったな」

　IPを辿れば、物理アドレスの特定に至れるかもしれない。無いなら他のやり方を考える。そう難しいことじゃあない。この娘と一緒に遊ぶのと、自分の忘れていた楽しさと向き合うことと比べれば。

「また次のゲームをやるよ。君と、あいつらと。覚たちの作ったゲームを」

　俺はミスター・トランプル。ゲームと、一緒にゲームをやる仲間が大好きな、諦めの悪い男だ。やると言ったら、やる。大事なゲーム仲間の望みとあらば尚更である。

「そうね、楽しみね」
「必ずまたやるぞ。絶対楽しいゲームにするからさ」

　別れの挨拶も返礼もせず、ただ握手を求めて手を伸ばした。シャフラはその手を、今度は強く握り返してきた。

「さようなら、アンパッサン」


　手を握ったまま体を近づけ、露出した頬へ微かに口づけをして――

－シャフラはログアウトしました－















「……またな」

　ようやく、絞り出すように呻いた。