第23回目 午前2時のネグロ
プロフィール
名前
ネグロ
愛称
ネグロ
経歴 元真紅連理所属、整備士の資格を持つ。 身長166cm 体重79cm 年齢43 両腕バイオ生体置き換え済 第一次七月戦役時、徴兵以来を受け真紅連理の強襲部隊に所属。 戦役中に左腕を失い、右腕を換金した後両腕をバイオ生体置き換え手術を行う。 現在まで拒否反応含む異常なし。 真紅連理降伏後、第一次七月戦役より消息をたつ。 その後、各地でゲリラ的活動の目撃情報有り。 |
僚機プロフィール
名前
スリーピング・レイル
愛称
スリーピング・レイル
経歴 記憶喪失のグレムリンテイマー。 自分に関すること、そしてこの虚空領域に関することは何一つわからない。 唯一「グレムリンの操縦」だけは体が覚えている。 『スリーピング・レイル』とは身に着けていたエンブレムに刻まれていた文字列。 (イラストはすのだ様からの頂き物です)【僚機詳細】 |
◆日誌
青い空、青い海、平和な世界。
道行く人々には笑顔が溢れ、誰も辛く苦しい戦いを知らない。
血も涙も粉塵も全てが洗い流された世界に男は立ち尽くしていた。
「……」
男が立ち尽くしていたそこは、粗大ごみの廃棄場所だったらしく、壊れた生活家電が山積みになっていた。
何故、こんな所に立っているのか全く記憶がない。そもそも、この世界は一体どこなのだろうか?
さっきまで自分は戦っていてそれで――
「……死ん、だ?」
男は、確かに自らの力が抜けその感覚も失い、冷えていく身体の事をよく覚えている――気がする。
もし、死んでるならここは天国なのだろう。それくらい、穏やかな空気が流れているのがわかる。
たが、男は自分が天国に行けるとは微塵も思っていない。ならば、ここは?
「……」
辺りをもう一度見てから、自分の身なりを確認した。
所々破けたスーツはやはり自分の身に何かがあったことだけを伝えてくる。
そして、右手には、真っ赤なバンダナが握られていた。
「……これは」
ぎゅう、とそれを強く握りしめる。
これは大切なものだ。妹から受け取って、ずっと戦火を潜り抜けてきた唯一の――
「ぐッ、ぅ……」
ずきり、と頭が痛みこめかみを手でおさえた。
なんだか、あまりにも己が曖昧過ぎて、この記憶が本当のものなのかすら、わからない。
「……」
深呼吸をひとつ。立ち尽くしていても仕方無いと判断した男は、その場から歩き始める。
見覚えがあるようで、知らない世界。
道行く人々が怪訝な顔をして自分を見てくるのを男は敢えて無視を決め込んだ。
いく宛も無い筈なのに、男の足取りは随分としっかりしていて迷いがない。
まるでずっと昔からこの世界に住んでいたような気持ちになってくる。
それとも、それすらも忘れているだけなのだろうか?
見慣れた通りを二つ越えて、右に曲がれば、目的の場所に着くという確信めいたものに背中を押されて男の足取りははやくなっていく。
「……ここ、は」
そこは何かの工場だった。
そして、その工場を男はよく知っている。そこで毎日仕事をしていたのだから、床の染みのひとつまで覚えている。
「こんにちは! ここは、レッドホーク整備工場だよ!」
男が食い入るように工場を見つめていると足元の方から声をがする。
視線をゆっくりと下げると、そこには一人の少女が立っていた。
「……ヒ、ナ?」
握ったままのバンダナと少女を交互に見る。
なぜ彼女がここにいるのか?
だって、妹はとっくの昔に亡くなっているのだから、ここにいる筈が無い。
この工場だって、戦火の中に飲まれて船ごと沈んだ筈で――
(……船?)
整備工場は目の前に、タワーにあるのに。そもそも、船なんて外海に行くつもりでもなければ乗るようなものでもない。
さっきから、自分の頭がおかしくなった気がする。戦火だとか、自分が死んだだとか、妹がもう死んでいるとか……そもそも、この世界がどこなのか、とか。
考えようとしても頭痛がするばかりで、なにも考えられない。
イラついて舌打ちをひとつしたところで、女の子がきょとん、と自分を見上げている事に気がついた。
膝をついて、視線を合わせる。
「……おじさん、だあれ?」
「おれは――」
女の子の言葉になにか答えようとしたところで、男は一際はげしい頭痛に襲われた。
わずかに呻いて頭を抑え、そのまま身体を震わせながら地面に崩れ落ちる。
握りしめていた筈のバンダナがはらり、と手から滑り落ちる。
「!! おか、おかーさん!! おかーさーん!!」
女の子が叫ぶ声と、走り去っていく足音。それから、頬を撫でる風の感触を感じながら意識が少しずつ落ちていく。
風が、バンダナをどこかに飛ばしてしまった事にも気が付かずに……。
―
――
―――
夢を見た。それとも、ずっと、夢を見ているだけなのかもしれない。
見知らぬ誰かが口々に自分を呼ぶ。
カイト、と呼ばれていた筈がいつの間にか違う名前になっていた。ただ、それがなんと呼ばれているのか、よく聞こえない。
ただ、何度も自分を呼んでいるというのだけがぼんやりと理解出来る。
「――さん!!」
誰かが必死に自分を呼んでいるけど、とうとうその名前がなんだったのかを思い出すことは無かった。
―――
――
―
「……、」
目が覚めるとそこは、見覚えがあるような無いような部屋のベッドの上だった。
ひどい気だるさを感じながらも、男はゆっくりと身体を起こす。
倒れたらしい事だけはぼんやりと覚えている。
ベッドのから降りられる程、身体に力も入らない。ぼんやりと、部屋の隅を見ているとがちゃりとドアが開いた。
「ああ、起きたのかい? よかった、ヒナが随分慌てていたから、死んでるのかと思ったよ」
恰幅のいい女性が男の側に近付くと、にか、と歯を見せて笑い、「私はここの女将みたいなものさ」と告げてきた。
男はそれに小さく会釈をするだけだ。意識が少しはっきりしてくると、頭の奥がじわじわの痛んでくる。
「……ここ、は」
男の口から漏れでた声は酷く掠れている。女将は無理するんじゃない、と前置きをしたうえ、仰々しく咳払いをすると話を始めた。
「ここはレッドホーク整備工場。で、このはその工場の空き部屋。あんたを見つけたのは私の末娘のヒナだよ――あんたこそ、一体なんなんだい?」
「おれは、」
女将の言葉になにかを言おうとするが、言葉が続かない。
頭痛が止まず、心拍数が高まっていく。落ち着こうと深呼吸をしながら、ひとつだけ思い出す。
カイト、と呼ばれていたことを。
「おれ「女将さん~?」
男が何かを言おうとしたところで、別の声が重なる。部屋のドアが開いて現れたのは、派手な髪色の青年の姿だった。
「おや、カイト、どうしたんだい?」
「社長が呼んでくれって――ん? お客さん目が覚めたん?」
「そうなんだけど、ちょっと様子がおかしいというか……意識がはっきりしてないみたいで」
ぽかん、としてる男を尻目にカイトと名乗った青年は女将と話をしながらその隣に並んで男を見つめる。
「まあ、なんか大変やったんやろねえ。無理せんと、ゆっくりやすんでな?」
「……」
カイト。
確か自分はそう呼ばれていた筈なのに、目の前の青年がそう名乗ってしまった。たまたま、同じ名前なだけかもしれない。
だけど、男には自分がこの世界には必要な無いのではないか、という気がして。
そうであれば、全てが納得できる。
戦火なんてなくて、死んだと思ってた人はみんな生きていて――自分は死んでいる。
こんな青くて清浄な世界ならそっちがいいに決まっている。別に、そこに自分は必要ない。
なんだ、そんな、簡単なことだったんだ。
「……いない」
「いない?」
「おれは、いない」
血も涙も粉塵も全て洗い流されてしまったのなら、それに従おう。
―――は、この世界にはいない……いらない。存在も、記憶も。
「イナイって、名前? かわっとるなあ」
「人様の名前になんて事言うんだい!」
ごめんね、と謝る女将に男は静かに首を横に振る。
あれだけあった頭痛が嘘のようになくなって、男の気分は随分と晴れやかだった。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
そのまえの話
https://getupnote.com/share/notes/lbJ7H80JJ2cUxXsy3m0oYb1mjoN2/8ca75d7b-6574-4925-93e3-c3077c9ce3f4
道行く人々には笑顔が溢れ、誰も辛く苦しい戦いを知らない。
血も涙も粉塵も全てが洗い流された世界に男は立ち尽くしていた。
「……」
男が立ち尽くしていたそこは、粗大ごみの廃棄場所だったらしく、壊れた生活家電が山積みになっていた。
何故、こんな所に立っているのか全く記憶がない。そもそも、この世界は一体どこなのだろうか?
さっきまで自分は戦っていてそれで――
「……死ん、だ?」
男は、確かに自らの力が抜けその感覚も失い、冷えていく身体の事をよく覚えている――気がする。
もし、死んでるならここは天国なのだろう。それくらい、穏やかな空気が流れているのがわかる。
たが、男は自分が天国に行けるとは微塵も思っていない。ならば、ここは?
「……」
辺りをもう一度見てから、自分の身なりを確認した。
所々破けたスーツはやはり自分の身に何かがあったことだけを伝えてくる。
そして、右手には、真っ赤なバンダナが握られていた。
「……これは」
ぎゅう、とそれを強く握りしめる。
これは大切なものだ。妹から受け取って、ずっと戦火を潜り抜けてきた唯一の――
「ぐッ、ぅ……」
ずきり、と頭が痛みこめかみを手でおさえた。
なんだか、あまりにも己が曖昧過ぎて、この記憶が本当のものなのかすら、わからない。
「……」
深呼吸をひとつ。立ち尽くしていても仕方無いと判断した男は、その場から歩き始める。
見覚えがあるようで、知らない世界。
道行く人々が怪訝な顔をして自分を見てくるのを男は敢えて無視を決め込んだ。
いく宛も無い筈なのに、男の足取りは随分としっかりしていて迷いがない。
まるでずっと昔からこの世界に住んでいたような気持ちになってくる。
それとも、それすらも忘れているだけなのだろうか?
見慣れた通りを二つ越えて、右に曲がれば、目的の場所に着くという確信めいたものに背中を押されて男の足取りははやくなっていく。
「……ここ、は」
そこは何かの工場だった。
そして、その工場を男はよく知っている。そこで毎日仕事をしていたのだから、床の染みのひとつまで覚えている。
「こんにちは! ここは、レッドホーク整備工場だよ!」
男が食い入るように工場を見つめていると足元の方から声をがする。
視線をゆっくりと下げると、そこには一人の少女が立っていた。
「……ヒ、ナ?」
握ったままのバンダナと少女を交互に見る。
なぜ彼女がここにいるのか?
だって、妹はとっくの昔に亡くなっているのだから、ここにいる筈が無い。
この工場だって、戦火の中に飲まれて船ごと沈んだ筈で――
(……船?)
整備工場は目の前に、タワーにあるのに。そもそも、船なんて外海に行くつもりでもなければ乗るようなものでもない。
さっきから、自分の頭がおかしくなった気がする。戦火だとか、自分が死んだだとか、妹がもう死んでいるとか……そもそも、この世界がどこなのか、とか。
考えようとしても頭痛がするばかりで、なにも考えられない。
イラついて舌打ちをひとつしたところで、女の子がきょとん、と自分を見上げている事に気がついた。
膝をついて、視線を合わせる。
「……おじさん、だあれ?」
「おれは――」
女の子の言葉になにか答えようとしたところで、男は一際はげしい頭痛に襲われた。
わずかに呻いて頭を抑え、そのまま身体を震わせながら地面に崩れ落ちる。
握りしめていた筈のバンダナがはらり、と手から滑り落ちる。
「!! おか、おかーさん!! おかーさーん!!」
女の子が叫ぶ声と、走り去っていく足音。それから、頬を撫でる風の感触を感じながら意識が少しずつ落ちていく。
風が、バンダナをどこかに飛ばしてしまった事にも気が付かずに……。
―
――
―――
夢を見た。それとも、ずっと、夢を見ているだけなのかもしれない。
見知らぬ誰かが口々に自分を呼ぶ。
カイト、と呼ばれていた筈がいつの間にか違う名前になっていた。ただ、それがなんと呼ばれているのか、よく聞こえない。
ただ、何度も自分を呼んでいるというのだけがぼんやりと理解出来る。
「――さん!!」
誰かが必死に自分を呼んでいるけど、とうとうその名前がなんだったのかを思い出すことは無かった。
―――
――
―
「……、」
目が覚めるとそこは、見覚えがあるような無いような部屋のベッドの上だった。
ひどい気だるさを感じながらも、男はゆっくりと身体を起こす。
倒れたらしい事だけはぼんやりと覚えている。
ベッドのから降りられる程、身体に力も入らない。ぼんやりと、部屋の隅を見ているとがちゃりとドアが開いた。
「ああ、起きたのかい? よかった、ヒナが随分慌てていたから、死んでるのかと思ったよ」
恰幅のいい女性が男の側に近付くと、にか、と歯を見せて笑い、「私はここの女将みたいなものさ」と告げてきた。
男はそれに小さく会釈をするだけだ。意識が少しはっきりしてくると、頭の奥がじわじわの痛んでくる。
「……ここ、は」
男の口から漏れでた声は酷く掠れている。女将は無理するんじゃない、と前置きをしたうえ、仰々しく咳払いをすると話を始めた。
「ここはレッドホーク整備工場。で、このはその工場の空き部屋。あんたを見つけたのは私の末娘のヒナだよ――あんたこそ、一体なんなんだい?」
「おれは、」
女将の言葉になにかを言おうとするが、言葉が続かない。
頭痛が止まず、心拍数が高まっていく。落ち着こうと深呼吸をしながら、ひとつだけ思い出す。
カイト、と呼ばれていたことを。
「おれ「女将さん~?」
男が何かを言おうとしたところで、別の声が重なる。部屋のドアが開いて現れたのは、派手な髪色の青年の姿だった。
「おや、カイト、どうしたんだい?」
「社長が呼んでくれって――ん? お客さん目が覚めたん?」
「そうなんだけど、ちょっと様子がおかしいというか……意識がはっきりしてないみたいで」
ぽかん、としてる男を尻目にカイトと名乗った青年は女将と話をしながらその隣に並んで男を見つめる。
「まあ、なんか大変やったんやろねえ。無理せんと、ゆっくりやすんでな?」
「……」
カイト。
確か自分はそう呼ばれていた筈なのに、目の前の青年がそう名乗ってしまった。たまたま、同じ名前なだけかもしれない。
だけど、男には自分がこの世界には必要な無いのではないか、という気がして。
そうであれば、全てが納得できる。
戦火なんてなくて、死んだと思ってた人はみんな生きていて――自分は死んでいる。
こんな青くて清浄な世界ならそっちがいいに決まっている。別に、そこに自分は必要ない。
なんだ、そんな、簡単なことだったんだ。
「……いない」
「いない?」
「おれは、いない」
血も涙も粉塵も全て洗い流されてしまったのなら、それに従おう。
―――は、この世界にはいない……いらない。存在も、記憶も。
「イナイって、名前? かわっとるなあ」
「人様の名前になんて事言うんだい!」
ごめんね、と謝る女将に男は静かに首を横に振る。
あれだけあった頭痛が嘘のようになくなって、男の気分は随分と晴れやかだった。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
そのまえの話
https://getupnote.com/share/notes/lbJ7H80JJ2cUxXsy3m0oYb1mjoN2/8ca75d7b-6574-4925-93e3-c3077c9ce3f4
◆23回更新の日記ログ
生きてこそ未来がある。生きる事は祝福である。それがどれほど辛く苦しいものだとしても。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
操縦レバーを握りしめる。その感触は先程までずっと握っていた感触と遜色がない。
本当に、同じ機体に乗っているかのような感覚だ。
操作に悩む事もないこれならば、すぐに元の進路に戻れるだろう。レーダーを確認しながら、目的地を改めて設定していると、スピーカーからザラザラとした異音が流れてきた。
また通信の混線だろうか、とネグロは小さく舌打ちをした。
『――ッ、お兄ちゃん!』
「! ヒナ!?」
そこから聞こえたのはもう聞こえなくなる筈だった妹の声で、ネグロは驚いた顔でスピーカーとモニターを見比べた。
『えへへ、なんとかうまく出来ちゃった』
「……なんとかって」
なんとか、で済む問題では無い気がするのだが本人がそういうのなら仕方無いのだろう。
あれだけ色々話していた手前、拍子抜けもするし何というか気恥ずかしい気持ちすら浮かぶが、今はそんな事を考えている時間すら惜しくもある。
僅かに首を横に振って、余計な思考を払って、ネグロは深く言及することはせずグレムリンをすぐに発進させた。
レーダーの反応を確認しながら速度を上げていく。その動きもまた、馴れた感触と遜色がない。
まるで自分のために用意された機体。あの錆びたフレームに乗った時もそう感じたのを思い出した。
果たして、単なる偶然の一致かそれとも――
『あ、お兄ちゃん、なんだかね、データが届いてたよ』
「データ?」
表示されたメールを開いてその内容を見る。
差出人はフヌ。
そこには、現状《ヴォイドステイシス》に勝つことが不可能な事。
そして、唯一不可能をひっくり返す可能性があるとするならばそれは人の思念であるという事。その二つが書かれていた。
「……」
メールを閉じ、渋い顔をしたままネグロは黙ってグレムリンを走らせる。真っ暗な中、わずかな明かりとレーダーを頼りに進む。
赤錆が暗闇に変わっただけであり、追い付くのも時間の問題だろう。
「……」
このメールは恐らく全てのテイマーに、死刑が宣告されたに等しいのだろう。
だが、それを恐れて逃げてくるような姿は見当たらない。
『……みんな、こわくないのかなあ』
不安げな声が聞こえる。
死は恐ろしいものであることを、その身をもって知っているヒナにとって、あのメールはこわいものでしかない。死を恐れて、船の中を逃げ惑う人達ももしかしたら見たことがあったのかもしれない。だからこそ、誰も逃げて来る様子が無い事に疑問を抱いたのだろう。
「そんなことはないだろうな。ただ、死ぬつもりが無いだけで」
『お兄ちゃんも?』
「……、そうだな、簡単には死ねない」
生きたいと願い、その為に力を貸してくれる人がいる。そういう人達に報いるという意味でも、この戦いは単純な勝ち負け以上の価値がある。
その為にも、僅かな綻びに楔を打ち込む必要がある。
フヌが語った、《ヴォイドステイシス》へ問いかけるという方法も、少し前の自分なら下らないと一蹴していただろう。
けれども、今はそれに賭けるしかない。
「お前に……いや、お前たちに意志が本当にあるのなら」
呟き、コンソールにそっと手を伸ばす。
己の愚かさと向き合う事を決めたネグロにとって、もはやグレムリンを恨むような気持ちは無い。
ただ、本当に意志があるならば、何故自分やケイジキーパーのような存在にグレムリンはその力を分け与えたくれるのだろうか。
当然、機械は操り手がいなければ動かない。だが、操り手を選ぶことだって可能だったのではないだろうか。
「今更俺の言葉を聞いてくれだなんて、都合がいいんだろうけどな」
軽くコンソールを撫で、苦笑を浮かべる。
レーダーは、もうすぐ最奥であることを示していた。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
操縦レバーを握りしめる。その感触は先程までずっと握っていた感触と遜色がない。
本当に、同じ機体に乗っているかのような感覚だ。
操作に悩む事もないこれならば、すぐに元の進路に戻れるだろう。レーダーを確認しながら、目的地を改めて設定していると、スピーカーからザラザラとした異音が流れてきた。
また通信の混線だろうか、とネグロは小さく舌打ちをした。
『――ッ、お兄ちゃん!』
「! ヒナ!?」
そこから聞こえたのはもう聞こえなくなる筈だった妹の声で、ネグロは驚いた顔でスピーカーとモニターを見比べた。
『えへへ、なんとかうまく出来ちゃった』
「……なんとかって」
なんとか、で済む問題では無い気がするのだが本人がそういうのなら仕方無いのだろう。
あれだけ色々話していた手前、拍子抜けもするし何というか気恥ずかしい気持ちすら浮かぶが、今はそんな事を考えている時間すら惜しくもある。
僅かに首を横に振って、余計な思考を払って、ネグロは深く言及することはせずグレムリンをすぐに発進させた。
レーダーの反応を確認しながら速度を上げていく。その動きもまた、馴れた感触と遜色がない。
まるで自分のために用意された機体。あの錆びたフレームに乗った時もそう感じたのを思い出した。
果たして、単なる偶然の一致かそれとも――
『あ、お兄ちゃん、なんだかね、データが届いてたよ』
「データ?」
表示されたメールを開いてその内容を見る。
差出人はフヌ。
そこには、現状《ヴォイドステイシス》に勝つことが不可能な事。
そして、唯一不可能をひっくり返す可能性があるとするならばそれは人の思念であるという事。その二つが書かれていた。
「……」
メールを閉じ、渋い顔をしたままネグロは黙ってグレムリンを走らせる。真っ暗な中、わずかな明かりとレーダーを頼りに進む。
赤錆が暗闇に変わっただけであり、追い付くのも時間の問題だろう。
「……」
このメールは恐らく全てのテイマーに、死刑が宣告されたに等しいのだろう。
だが、それを恐れて逃げてくるような姿は見当たらない。
『……みんな、こわくないのかなあ』
不安げな声が聞こえる。
死は恐ろしいものであることを、その身をもって知っているヒナにとって、あのメールはこわいものでしかない。死を恐れて、船の中を逃げ惑う人達ももしかしたら見たことがあったのかもしれない。だからこそ、誰も逃げて来る様子が無い事に疑問を抱いたのだろう。
「そんなことはないだろうな。ただ、死ぬつもりが無いだけで」
『お兄ちゃんも?』
「……、そうだな、簡単には死ねない」
生きたいと願い、その為に力を貸してくれる人がいる。そういう人達に報いるという意味でも、この戦いは単純な勝ち負け以上の価値がある。
その為にも、僅かな綻びに楔を打ち込む必要がある。
フヌが語った、《ヴォイドステイシス》へ問いかけるという方法も、少し前の自分なら下らないと一蹴していただろう。
けれども、今はそれに賭けるしかない。
「お前に……いや、お前たちに意志が本当にあるのなら」
呟き、コンソールにそっと手を伸ばす。
己の愚かさと向き合う事を決めたネグロにとって、もはやグレムリンを恨むような気持ちは無い。
ただ、本当に意志があるならば、何故自分やケイジキーパーのような存在にグレムリンはその力を分け与えたくれるのだろうか。
当然、機械は操り手がいなければ動かない。だが、操り手を選ぶことだって可能だったのではないだろうか。
「今更俺の言葉を聞いてくれだなんて、都合がいいんだろうけどな」
軽くコンソールを撫で、苦笑を浮かべる。
レーダーは、もうすぐ最奥であることを示していた。
◆22回更新の日記ログ
タワー内部はやってきた傭兵を迎え入れるかのように静かで、敵の姿も無い。
ネグロはモニターで付近の状態を確認しつつ先遣隊に追随しながら、スピーカーから聞こえてくるこの先で行われている通信のやりとりに耳を傾けた。
先んじてタワー内部に向かった者の中でも、ジェトという若者は、夢だったり、ニュースだったりで度々その行動を垣間見る事が多かった。
さしずめ、世界が選んだ主人公という存在のようなものだと、ネグロは解釈している。
通信では、ジェトが、情報集積AIに向けて啖呵をきっている。
ただ、それは、戦う理由にしてはあまりにも幼稚だし、理由になっているかも定かではない感情ばかりが先走った言葉だ。
「……」
ネグロは思わず眉値を寄せて眉間を指で抑えた。
自分の事では無いが、その若さ故の感情だけの言葉に恥ずかしさすら覚えて、眉間を押さえていた指で軽く揉んだ。
それでも、そんな若者の言葉は迷えるAIに届いたらしい。あの若者の叫びは、魂の叫びとでもいう事なのだろうかネグロにはもう出来ない芸当だ。
「……」
操縦レバーを軽く握りしめながら、ネグロは小さく息を吐いた。
悪鬼は応える。という言葉を、何度か聞いた覚えがある。
いつぞや、ベルコウルに対して怒りを覚えた時にグレムリンは彼を打倒しようとするネグロの意識を読み取ったかのように氷獄に向っていた事でその片鱗を見せた事はある。
だが、ネグロにとって、グレムリンは全てを破壊した元凶であり、憎むべき存在だ。
もしグレムリンに意思があるなら、そんな風に思っている相手を快く思うことは無いだろう。
だというのにこうして操縦棺に乗り込んで、グレムリンで戦う以外にやりようが無い現状はむしろ滑稽ですらある。
「もっと、知ろうとするべきだったんだろうな……お前を」
グレムリンの存在が世界を壊したわけではない。
力を示す事でしか己を誇示できなかった三大勢力も、力を力で止めようとしたTsCも、そして、力でそれを壊そうとしていた自分自身――そんな、グレムリンや粉塵投射砲を扱う人間の存在が世界を壊したのだ。
機械が、道具が悪いのではなくその操り手次第で道具はいかようにも変化する。それは、整備工場で働く両親から嫌という程聞かされていて、物心ついた時には骨身に染みる程に叩き込まれていた話だったはずなのに。
「整備士失格だな……」
気付いても、目を反らして気付いてないフリをして、何度も何度も見ないふりをして知らないふりをして全てを怒りでごまかし、塗りつぶしてきたまま過ごしていた日々はもう取り返せない。
「……」
通信にノイズが混じり、モニターに敵機の反応が写り出す。
ネグロは小さく息を吐いて思考を切り替える。敵の数を確認しながら、通信を切り替えた。
「レイル、ツィール、聞こえるか。来るぞ」
通信機から聞こえた二人の返答を聞きながら操縦レバーを握り直す。
呼吸をゆっくりと繰り返し意識を張り詰めさせていく。
『おにーちゃん! あたしは!』
「っ、ヒナ! 突然声をだすな!」
『えー、だって、』
「だってじゃない」
緊張感の無い声に、張り詰めていたものはあっという間に切れてほどける。
ネグロは呆れたように息を吐いて、モニターを確認する。
いつものようなアイコンは無く、敵機の表示が残っているのを見ればヒナなりに状況を把握はしているようだった。
「……ヒナは索敵でおかしな事があったらすぐ教えてくれ」
ずっと昔に、整備の手伝いがしたいと騒いでいたのを思い出した。あの時も、頼んだ工具をすぐ用意してくれていた。
『はーい!……あ、なんか大きいのがくるよ?』
「チッ、ホントにあるのか。いや、わかった、そのまま頼む」
モニターの端に移った巨大な反応を確認すると舌打ちをする。
力を求めた愚か者と力を得た愚か者の末路――こうして、他人を通してみる事でいかに自分もまた愚かな人間だったのかというのを嫌という程理解する。ただ、それを後悔するのはもう止めた。愚か者は愚か者のまま、それを受け入れる。
そうすれば、似合いの末路が見えてくるだろう。
『お兄ちゃん、どうするの?』
「ん、ああ――いつも通り、やるだけだ」
ヒナの声にネグロは戦場へと意識を向ける。
マリオネットグレムリン近づいてくる。ほかの二人はすでに散開しており、ネグロはやや出遅れた状態だ。
だがそれも誤差の範囲だ。操縦レバーを強く倒して、カズアーリオスが速度をあげる――三機の中で一番加速をするのはこの機体だ。
車輪が火花を散らし、機体は風を切り裂きながらマリオネットグレムリンの群れの中へと向かっていった――
――
―
「……魔王領域」
幽霊線はその大きな船体により、タワー港湾部に留まること無くタワーの外海に停まっている。
内部を進むグレムリンとの連絡手段は無い筈だが、ジェト達の通信は聞く事が出来た。
ルインは黙ってそれを聞いていたが、魔王領域という単語にぴくりと片眉をあげた。
「……」
魔女から聞いたことがあった。
かつて、魔王と呼ばれるもの達は己の領域を持っていたという世界があることを。
この虚空領域と呼ばれる場所もまた、そういったもののひとつに過ぎないのだろうか。
「……考えた所で仕方がないな」
世界の成り立ちを知ったところで未来に向けて進む世界にはなんの役に立つ事はないのだから。
――戦うもの達へ。勝利の祝福を
ネグロはモニターで付近の状態を確認しつつ先遣隊に追随しながら、スピーカーから聞こえてくるこの先で行われている通信のやりとりに耳を傾けた。
先んじてタワー内部に向かった者の中でも、ジェトという若者は、夢だったり、ニュースだったりで度々その行動を垣間見る事が多かった。
さしずめ、世界が選んだ主人公という存在のようなものだと、ネグロは解釈している。
通信では、ジェトが、情報集積AIに向けて啖呵をきっている。
ただ、それは、戦う理由にしてはあまりにも幼稚だし、理由になっているかも定かではない感情ばかりが先走った言葉だ。
「……」
ネグロは思わず眉値を寄せて眉間を指で抑えた。
自分の事では無いが、その若さ故の感情だけの言葉に恥ずかしさすら覚えて、眉間を押さえていた指で軽く揉んだ。
それでも、そんな若者の言葉は迷えるAIに届いたらしい。あの若者の叫びは、魂の叫びとでもいう事なのだろうかネグロにはもう出来ない芸当だ。
「……」
操縦レバーを軽く握りしめながら、ネグロは小さく息を吐いた。
悪鬼は応える。という言葉を、何度か聞いた覚えがある。
いつぞや、ベルコウルに対して怒りを覚えた時にグレムリンは彼を打倒しようとするネグロの意識を読み取ったかのように氷獄に向っていた事でその片鱗を見せた事はある。
だが、ネグロにとって、グレムリンは全てを破壊した元凶であり、憎むべき存在だ。
もしグレムリンに意思があるなら、そんな風に思っている相手を快く思うことは無いだろう。
だというのにこうして操縦棺に乗り込んで、グレムリンで戦う以外にやりようが無い現状はむしろ滑稽ですらある。
「もっと、知ろうとするべきだったんだろうな……お前を」
グレムリンの存在が世界を壊したわけではない。
力を示す事でしか己を誇示できなかった三大勢力も、力を力で止めようとしたTsCも、そして、力でそれを壊そうとしていた自分自身――そんな、グレムリンや粉塵投射砲を扱う人間の存在が世界を壊したのだ。
機械が、道具が悪いのではなくその操り手次第で道具はいかようにも変化する。それは、整備工場で働く両親から嫌という程聞かされていて、物心ついた時には骨身に染みる程に叩き込まれていた話だったはずなのに。
「整備士失格だな……」
気付いても、目を反らして気付いてないフリをして、何度も何度も見ないふりをして知らないふりをして全てを怒りでごまかし、塗りつぶしてきたまま過ごしていた日々はもう取り返せない。
「……」
通信にノイズが混じり、モニターに敵機の反応が写り出す。
ネグロは小さく息を吐いて思考を切り替える。敵の数を確認しながら、通信を切り替えた。
「レイル、ツィール、聞こえるか。来るぞ」
通信機から聞こえた二人の返答を聞きながら操縦レバーを握り直す。
呼吸をゆっくりと繰り返し意識を張り詰めさせていく。
『おにーちゃん! あたしは!』
「っ、ヒナ! 突然声をだすな!」
『えー、だって、』
「だってじゃない」
緊張感の無い声に、張り詰めていたものはあっという間に切れてほどける。
ネグロは呆れたように息を吐いて、モニターを確認する。
いつものようなアイコンは無く、敵機の表示が残っているのを見ればヒナなりに状況を把握はしているようだった。
「……ヒナは索敵でおかしな事があったらすぐ教えてくれ」
ずっと昔に、整備の手伝いがしたいと騒いでいたのを思い出した。あの時も、頼んだ工具をすぐ用意してくれていた。
『はーい!……あ、なんか大きいのがくるよ?』
「チッ、ホントにあるのか。いや、わかった、そのまま頼む」
モニターの端に移った巨大な反応を確認すると舌打ちをする。
力を求めた愚か者と力を得た愚か者の末路――こうして、他人を通してみる事でいかに自分もまた愚かな人間だったのかというのを嫌という程理解する。ただ、それを後悔するのはもう止めた。愚か者は愚か者のまま、それを受け入れる。
そうすれば、似合いの末路が見えてくるだろう。
『お兄ちゃん、どうするの?』
「ん、ああ――いつも通り、やるだけだ」
ヒナの声にネグロは戦場へと意識を向ける。
マリオネットグレムリン近づいてくる。ほかの二人はすでに散開しており、ネグロはやや出遅れた状態だ。
だがそれも誤差の範囲だ。操縦レバーを強く倒して、カズアーリオスが速度をあげる――三機の中で一番加速をするのはこの機体だ。
車輪が火花を散らし、機体は風を切り裂きながらマリオネットグレムリンの群れの中へと向かっていった――
――
―
「……魔王領域」
幽霊線はその大きな船体により、タワー港湾部に留まること無くタワーの外海に停まっている。
内部を進むグレムリンとの連絡手段は無い筈だが、ジェト達の通信は聞く事が出来た。
ルインは黙ってそれを聞いていたが、魔王領域という単語にぴくりと片眉をあげた。
「……」
魔女から聞いたことがあった。
かつて、魔王と呼ばれるもの達は己の領域を持っていたという世界があることを。
この虚空領域と呼ばれる場所もまた、そういったもののひとつに過ぎないのだろうか。
「……考えた所で仕方がないな」
世界の成り立ちを知ったところで未来に向けて進む世界にはなんの役に立つ事はないのだから。
――戦うもの達へ。勝利の祝福を
◆21回更新の日記ログ
未来祝福
ネグロは今まで一度も機体を乗り換える事無くここまできた。
愛着があるという訳ではなく、単純に今の機体の構成で、問題なく戦えていたというだけの話だ。
現に何度か乗り換えを検討した事もあったのだが、機体構成を確認する度にラストフレームのままで問題ないという点が見つかっていた。
けれども、最終到達試験機は単純にラストフレームの上位互換に近い。ダスト・グレムリンに相対する可能性があるなら、乗り換えなければならないだろう。
ただ、そうなると困ってしまうのが……
『えっ!? お兄ちゃん、ちがうグレムリンに乗るの?』
「……恐らくな」
ヒナにとっては予想外の出来事だったようで、ルインからその話を聞くと大きな目を更に大きくして驚いた。
ブリッジにあるモニターの内容も、この世界の情勢も正直ヒナにはよくわからない。
だから、こうして人から噛み砕いて聞くことではじめて理解するのだ。
『せっかくお兄ちゃんとお話しできたのになあ~』
カズアーリオスを操縦出来る程システムの中に入り込めたのは、運が良かったとも言える。
あの錆びたフレームの中に、ネグロの元僚機が眠っていたのも十分理由となるだろう。
確かに、機体を乗り換える際にはテイマーの使いやすさを考慮して、互換出来るシステムデータは新しいものへと移行する。
けれどもそれは完全でもないし、なによりネグロがもう一度ヒナがシステムに介入をすることを許さない気がしていた。
「……なら、こんなところで油売ってる場合じゃないだろう」
『うーん、そだね!』
ルインの目の前をふわふわ漂っていた幽霊は、わかった!と言うとすぐにその姿を消す。
すっかりヒナの悩み相談を聞く係になってしまった事にルインは小さく息を吐いた。
改めてグレイヴネットを確認することにした。
少なくとも、今の世界を傷付けているもの、世界の敵はダスト・グレムリンであるという情報が広まっている。
タワーにいちはやく向かったテイマーや、その情報を解析していた研究員達は理屈ではなく感覚的にそれを理解したようにルインには見えた。
見えただけで実際はどうなのかはわからない。まだ、世界が繰り返すのならこの船もまた、渦の中へと飲み込まれるのだろうか。
タワーの内部には幽霊船は入ることは出来ない。結局のところ、テイマーに世界の先を委ねなければならないのだ。
「……」
この世界でのままならなさを覚えつつも、ルインは幽霊船の進路をタワーへと向けた。
ネグロは、自らの機体の操縦棺に乗りモニターをじっとみつめていた。
こうしていれば、恐らく、妹が来てくれる。
そうしたら、今の自分の考えを伝えようとネグロはその時が来るのをじっと待った。
案の定、程なくしてモニターに電源がはいる。
『お兄ちゃん!』
「……ん」
触れる前に勝手に着くモニターにもすっかり慣れてしまった。
アイコンが表示され、妹の存在を伝えてくる。
気持ちを伝える、とはいえネグロは、それをどう伝えるべきかと頭を軽く掻いた。
『お兄ちゃん、べつのやつに乗るんでしょ?』
「っ、なんだ、知ってたのか」
『めがねさんが、多分って』
「……そうか」
なんでもお見通しだな、と少しだけ冗談まじに呟きながらネグロは眉を下げる。
「そうだな。乗り換えるつもりだ……最後までやるからには、そうするべきだと思ってる」
『お兄ちゃん一人くらい、無理しなくても、いいんじゃないの?』
ヒナは、ネグロに無理をして欲しくないとずっと思っている。戦わなくていいなら、戦わないでいて欲しいと。
最初に戦場に行く事を決めたのも、みんなの為だったこともヒナはちゃんと知っている。
この船にやってきた頃の、何者も近付けようとしなかった姿も、ずっと失い続けて来た結果だということを知っている。
そんなになるまで戦い続けたのなら、もう充分だと、そう思っている。
「……そうだな」
『えっ!?』
「でも、これは、兄ちゃんがやりたいんだ。最後まで、ちゃんとやり遂げたい――どういう結果になっても」
ネグロもまた、ヒナの気持ちを知った上で言葉を選ぶ。
世界の意思でもなく、誰かのためでもなく、自分の意思でやりたいと思ったことを。
なんの淀みもなく、そんな感情を抱いたのは随分と久しぶりだった。
『わかった』
「……ありがとな、ヒナ」
素直に引いてくれた妹にネグロは安堵の息を吐こうとしたが、それを遮るように妹の言葉は続いた。
『……じゃあ、あたし、だってついてくからね。お兄ちゃんが最後まで頑張るなら、あたしは最後までお手伝いする!お話しできなくても、ついてく!』
「……ヒナ、お前」
『いいよね?』
これは、駄目だと言ってもついてくる。ヒナの言葉にネグロはそう直感した。
そもそも、ネグロには彼女を止める術がない。見える訳でも触れられる訳でもないのだから。
「……わかった。頼む」
『えっへへ、まかせて』
ネグロはぴかぴかと光る笑顔のアイコンが表示されたモニターを、目を細めてしばらく見つめていた。
それから、こうして話せなくなる前に、ずっと胸の中に抱いていた疑問を口にする。
「……全部終わったら、お前はちゃんと帰れるのか?」
『んえ?』
「お前は、本当ならここにいるべきじゃないだろう?」
お互いの間には、死という大きな隔たりがある。
魂や死後の世界なんてものをネグロは信じてはいない。けれども、どこかでヒナが自分のせいであるべき所に戻れないのではないかと不安だった。
『わかんない! でもね、でも、なんとなく大丈夫!めがねさんも、助けてくれるし』
「……そうか。そうだな、もし、全部終わっても帰れなかったら、今度は兄ちゃんがお前の手伝い、するよ」
『えへへ、ありがと――あ、そろそろ、タワーだよ』
モニターに、幽霊船がタワー港湾部に着いた事が表示される。
20年前、ネグロとヒナはここで別れて、それきりだった。
「それじゃあ、行くか」
あの時預かったバンダナをネグロは頭に巻き付けた。
すっかり色は違うけれど、唯一の家族との繋がり。
『おにいちゃん、かっこいいよ』
「はは、昔はかわいいって笑ってたのにな」
すっかり馴染んでしまったらしい額のバンダナを軽く撫でて、ネグロは操縦レバーに手をのばす。
グレムリンはタワーの内部へと向かう。世界の終わりを、見届けるために。
ネグロは今まで一度も機体を乗り換える事無くここまできた。
愛着があるという訳ではなく、単純に今の機体の構成で、問題なく戦えていたというだけの話だ。
現に何度か乗り換えを検討した事もあったのだが、機体構成を確認する度にラストフレームのままで問題ないという点が見つかっていた。
けれども、最終到達試験機は単純にラストフレームの上位互換に近い。ダスト・グレムリンに相対する可能性があるなら、乗り換えなければならないだろう。
ただ、そうなると困ってしまうのが……
『えっ!? お兄ちゃん、ちがうグレムリンに乗るの?』
「……恐らくな」
ヒナにとっては予想外の出来事だったようで、ルインからその話を聞くと大きな目を更に大きくして驚いた。
ブリッジにあるモニターの内容も、この世界の情勢も正直ヒナにはよくわからない。
だから、こうして人から噛み砕いて聞くことではじめて理解するのだ。
『せっかくお兄ちゃんとお話しできたのになあ~』
カズアーリオスを操縦出来る程システムの中に入り込めたのは、運が良かったとも言える。
あの錆びたフレームの中に、ネグロの元僚機が眠っていたのも十分理由となるだろう。
確かに、機体を乗り換える際にはテイマーの使いやすさを考慮して、互換出来るシステムデータは新しいものへと移行する。
けれどもそれは完全でもないし、なによりネグロがもう一度ヒナがシステムに介入をすることを許さない気がしていた。
「……なら、こんなところで油売ってる場合じゃないだろう」
『うーん、そだね!』
ルインの目の前をふわふわ漂っていた幽霊は、わかった!と言うとすぐにその姿を消す。
すっかりヒナの悩み相談を聞く係になってしまった事にルインは小さく息を吐いた。
改めてグレイヴネットを確認することにした。
少なくとも、今の世界を傷付けているもの、世界の敵はダスト・グレムリンであるという情報が広まっている。
タワーにいちはやく向かったテイマーや、その情報を解析していた研究員達は理屈ではなく感覚的にそれを理解したようにルインには見えた。
見えただけで実際はどうなのかはわからない。まだ、世界が繰り返すのならこの船もまた、渦の中へと飲み込まれるのだろうか。
タワーの内部には幽霊船は入ることは出来ない。結局のところ、テイマーに世界の先を委ねなければならないのだ。
「……」
この世界でのままならなさを覚えつつも、ルインは幽霊船の進路をタワーへと向けた。
ネグロは、自らの機体の操縦棺に乗りモニターをじっとみつめていた。
こうしていれば、恐らく、妹が来てくれる。
そうしたら、今の自分の考えを伝えようとネグロはその時が来るのをじっと待った。
案の定、程なくしてモニターに電源がはいる。
『お兄ちゃん!』
「……ん」
触れる前に勝手に着くモニターにもすっかり慣れてしまった。
アイコンが表示され、妹の存在を伝えてくる。
気持ちを伝える、とはいえネグロは、それをどう伝えるべきかと頭を軽く掻いた。
『お兄ちゃん、べつのやつに乗るんでしょ?』
「っ、なんだ、知ってたのか」
『めがねさんが、多分って』
「……そうか」
なんでもお見通しだな、と少しだけ冗談まじに呟きながらネグロは眉を下げる。
「そうだな。乗り換えるつもりだ……最後までやるからには、そうするべきだと思ってる」
『お兄ちゃん一人くらい、無理しなくても、いいんじゃないの?』
ヒナは、ネグロに無理をして欲しくないとずっと思っている。戦わなくていいなら、戦わないでいて欲しいと。
最初に戦場に行く事を決めたのも、みんなの為だったこともヒナはちゃんと知っている。
この船にやってきた頃の、何者も近付けようとしなかった姿も、ずっと失い続けて来た結果だということを知っている。
そんなになるまで戦い続けたのなら、もう充分だと、そう思っている。
「……そうだな」
『えっ!?』
「でも、これは、兄ちゃんがやりたいんだ。最後まで、ちゃんとやり遂げたい――どういう結果になっても」
ネグロもまた、ヒナの気持ちを知った上で言葉を選ぶ。
世界の意思でもなく、誰かのためでもなく、自分の意思でやりたいと思ったことを。
なんの淀みもなく、そんな感情を抱いたのは随分と久しぶりだった。
『わかった』
「……ありがとな、ヒナ」
素直に引いてくれた妹にネグロは安堵の息を吐こうとしたが、それを遮るように妹の言葉は続いた。
『……じゃあ、あたし、だってついてくからね。お兄ちゃんが最後まで頑張るなら、あたしは最後までお手伝いする!お話しできなくても、ついてく!』
「……ヒナ、お前」
『いいよね?』
これは、駄目だと言ってもついてくる。ヒナの言葉にネグロはそう直感した。
そもそも、ネグロには彼女を止める術がない。見える訳でも触れられる訳でもないのだから。
「……わかった。頼む」
『えっへへ、まかせて』
ネグロはぴかぴかと光る笑顔のアイコンが表示されたモニターを、目を細めてしばらく見つめていた。
それから、こうして話せなくなる前に、ずっと胸の中に抱いていた疑問を口にする。
「……全部終わったら、お前はちゃんと帰れるのか?」
『んえ?』
「お前は、本当ならここにいるべきじゃないだろう?」
お互いの間には、死という大きな隔たりがある。
魂や死後の世界なんてものをネグロは信じてはいない。けれども、どこかでヒナが自分のせいであるべき所に戻れないのではないかと不安だった。
『わかんない! でもね、でも、なんとなく大丈夫!めがねさんも、助けてくれるし』
「……そうか。そうだな、もし、全部終わっても帰れなかったら、今度は兄ちゃんがお前の手伝い、するよ」
『えへへ、ありがと――あ、そろそろ、タワーだよ』
モニターに、幽霊船がタワー港湾部に着いた事が表示される。
20年前、ネグロとヒナはここで別れて、それきりだった。
「それじゃあ、行くか」
あの時預かったバンダナをネグロは頭に巻き付けた。
すっかり色は違うけれど、唯一の家族との繋がり。
『おにいちゃん、かっこいいよ』
「はは、昔はかわいいって笑ってたのにな」
すっかり馴染んでしまったらしい額のバンダナを軽く撫でて、ネグロは操縦レバーに手をのばす。
グレムリンはタワーの内部へと向かう。世界の終わりを、見届けるために。
◆20回更新の日記ログ
最終局面に向けて、船の中がにわかに浮き足立つ。
この世界がどうなるのか、自分は何をすればいいのか……船内の誰もが少なからずそんな事を意識する。
それは、ネグロとて例外ではなかった。
自室のベッドに腰かけて、一人瞑目する。ネグロにとっては世界の行く末よりも、自らがそれを見届けられるのか――そちらの方の不安が大きい。
「ッ、ゲホッ」
咳をするのと同時に口元に手を当てると、その手のひらには、血がついていた。
その血を見ても驚きは無く、ついに来たか、という冷静な感想を抱くだけだった。
「……」
ネグロは小さく息を吐きながら、置いてあったタオルで手と口を拭う。
ここ最近、食事はカプセルで済ませる事が多く、食欲らしい食欲はわかない。
睡眠は、元々の短期睡眠はなりを潜め、気絶したように意識が落ちては深く眠ることが増えた。
目が覚める度に、その事実に安堵する生活。けれど、それを望み続けていたのだから、こうなってしまった事は自業自得だ。
「……」
部屋の壁にかけてある鏡に映るのは相変わらず鬱屈とした顔の中年男だ。なんなら顔色もあまりよくはない。
自嘲の笑みを浮かべたつもりが、鏡越しの顔は不器用に歪んだだけだった。
死を望んでいた――もっと正確に言うと、自分に生きる権利なんて無い、そう考えていたのは紛れもない事実で。
元僚機――エニィが、バグという存在故に死を望むという認識をしたのは、何もおかしくはない。
(……今更だ。今更なんだ、この船に乗って、それで)
絆されて、生きていたいと考えるようになった。
それを許さないのは今まで、生に怯えながら生きてきた自分自身だ。積み重ねてきた負の感情が、思念となり身体に重くのしかかる。
(だからといって――)
鏡に映る男の顔。鬱屈とした表情だが、その瞳には強い意思が宿っている。
最後の最期の一瞬まで抗うのだと。
自分を認めてくれる人の為にも。死ぬかもしれない、その事実は受け入れて、その上で。
パァンッ!
乾いた音は、ネグロが己の両頬を思い切り叩いた音だ。じんわりとした痛みが、一拍遅れて広がっていく。
痛いということは、まだ、生きている。
「……、よし」
じん、とする痛みに満足げに呟いて、ネグロは部屋をあとにした。
向かった先はいつものように格納庫。
カズアーリオスの足元まで来ると、その機体を見上げる。
ネグロの中の負の感情――その、元凶でもあるグレムリン。
それでも今は、この機体を信じるしかない。
険しい顔で見つめていると、ギ、と錆びた音を立てながら呼び込むように操縦棺が開いた。
「……」
ネグロは黙ってその呼び出しを受け入れることとした。
操縦棺に乗り込むと、自然とモニターに電源が入る。プログラムが立ち上がると、VOICEONLYの表示。
「……エニィが呼んだのか?」
『そ、少し話がしたくてな』
「……何かあるのか」
『簡潔にいうと、ウチがこうして話すのはこれで最後や』
「……」
淡々と告げられる言葉にネグロは目を細めるが、なにも言わずに話の続きを待つ。
『……サポートする言うたやろ。その為には、システムの奥に引っ込まんといかん。まあ、元々ずっと奥に引っ込んでたから、元に戻るだけや』
「……そうか」
『生きるのがつらいアンタに、死に場所をあげようとしてたんは、結局自分の死に際をなぞらえてただけだったかもなあ』
未識別の中にいるバグは、生前の行動を繰り返していたという。エニィの行為もまた、その範疇に収まっていたのだ、という話なのだろう。
『あー、なぁ、やっぱり、背負った?』
エニィの言う背負ったという言葉が何を意味するのか、ネグロにはすぐに理解する。
背負わなくていい、と最期に言っていたエニィの姿を思い出した。
「……そうだな。ずっと、背負ってた」
死んでしまった仲間、家族、それらを抱えて"一人で生き残ってしまった"自分。積み重ねた負の感情。
「だが、それも含めて俺なんだ」
向き合って、ようやくそれが認める事が出来た。
『心配いらんみたいやなあ。いい僚機もおるみたいやし』
「……どうだか」
『ははっ、あんま厳しい事いいなや――さて、湿っぽいの嫌いやし、そろそろ行くわ』
「ああ……」
『じゃあ、な』
プツンと音を立てて、モニターの表示が消える。
ネグロは消えたモニターにそっと触れる。
「ありがとう」
呟く言葉は操縦棺の中で、柔らかく響いた。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
ブリッジのモニターには領域覚醒の情報が表示されている。
もはや大勢は決しており、このままテイマー群は領域を全て覚醒させ、タワーの奥に潜むという今回の件の元凶ともいえるケイジキーパーへの道を開くだろう。
「……」
『めーがねさん』
「……」
『おーい』
モニターを見るルインの視界の端に、ふわふわと浮かぶ幽霊の姿。
それは、端にとどまらず元気に視界の中心にまで侵食してくる。
「……兄と話せるとわかったのだから、そちらにベッタリかと思ったんだがな」
『おにいちゃん、そんなに操縦棺に乗る訳じゃないもん』
「スピーカーでもつけたらどうだ?」
『うるさいって怒られるよ~!』
あはは、と笑う姿は幽霊とは思えぬ朗らかさすらある。
ヒナは、先日シュピネの助言もあり、グレムリンのシステムの中へと潜り込み、無人での操縦を行うという離れ業を見せた。
電子音声による発語も可能で、念願だった兄――ネグロとの会話も可能になり、ルインとしてはもう自分にまとわりつく事も無いかと一安心していたのだが……。
『……ねえ、めがねさん』
「なんだ」
『あたし、お兄ちゃんのこと、助けられるかなあ』
「さあ、どうだろうな」
ルインはモニターを操作しながら視界の端に移動したヒナの話を聞く。彼女の声は感情豊かで、顔を見ずとも声だけで感情まで見えてくる。
そんなヒナの声は、真剣そのものだ。
『あたしね、きっと、ここにきたのはお兄ちゃんを助けるためなの』
「根拠は」
『ないよ!でも、そうなんだってすごく思うの』
そもそもヒナの行動に根拠なんて無いことをルインは根拠を訪ねてから気が付いた。
そして、やはり彼女のそれには根拠がない。けれど、きっとこの幽霊は自分がそうだと思った意思こそが根拠になり得るのだろう。ルインにはそう感じられた。
「もし、本当にそうだと思うなら、もっと自信を持つんだな。絶対に助ける、くらいの意志がなければ飲み込まれるかもしれない」
『……』
ルインは相変わらずモニターから視線を外すことは無い。けれども、隣でヒナが呆気にとられている気配が感じられて、眉根を寄せて視線だけをヒナに向ける。
『励ましてくれたあ……』
ヒナが大きな目をさらに丸く大きく見開いてルインを見つめている。
頬に手をあてて、うそみたい、なんて呟いたりしてるのを見て、流石のルインも目を細めた。
「罵倒の方がお好みか?」
『そんなわけないじゃん! 嬉しいよ! 』
「……」
素直に喜ばれてしまえば返す言葉もない。ルインは再びモニターに視線を戻したが、すかさずヒナがそこに割り込んできた。
「っ、なんだ」
『ありがとね! めがねさん!』
にっこり、と満面の笑みを浮かべるとそのままヒナの姿はその場から消えて行ってしまった。
一人になったルインは、はあ、とひとつ息を吐くと窓の外に視線を向ける。
「……」
ネグロにヒナの事を伝えた時、ルインは自らが幽霊と関われる事については適当にはぐらかすのみだった。
説明を簡潔にするには多少複雑であり、また、それをいちいち人に話す必要を感じなかったからだ。
ルインは自らの意志でこの世界に来ている訳ではない。世界を渡り歩く魔女に頼まれ、この幽霊船を虚空領域から脱出させることが目的だ。
ルインをこの世界に連れて来た魔女。魂喰らいの魔女と呼ばれはしているが、魂喰らいとは名ばかりでその魔女は迷える魂を救う事の方が多い。
「……フン、」
ほんのひとさじ、何かを注がれたとしてそれに気付く者は少ない。
やはり、わざわざそれをひとに言う必要性は感じ無い。魔女の手は、全てを導く訳ではない。そこから何を選び取り、進んでいくのかは、本人しか決める事が出来ない。
選び取った先が、祝福された未来になるか。それは、まだ誰にもわからない。
この世界がどうなるのか、自分は何をすればいいのか……船内の誰もが少なからずそんな事を意識する。
それは、ネグロとて例外ではなかった。
自室のベッドに腰かけて、一人瞑目する。ネグロにとっては世界の行く末よりも、自らがそれを見届けられるのか――そちらの方の不安が大きい。
「ッ、ゲホッ」
咳をするのと同時に口元に手を当てると、その手のひらには、血がついていた。
その血を見ても驚きは無く、ついに来たか、という冷静な感想を抱くだけだった。
「……」
ネグロは小さく息を吐きながら、置いてあったタオルで手と口を拭う。
ここ最近、食事はカプセルで済ませる事が多く、食欲らしい食欲はわかない。
睡眠は、元々の短期睡眠はなりを潜め、気絶したように意識が落ちては深く眠ることが増えた。
目が覚める度に、その事実に安堵する生活。けれど、それを望み続けていたのだから、こうなってしまった事は自業自得だ。
「……」
部屋の壁にかけてある鏡に映るのは相変わらず鬱屈とした顔の中年男だ。なんなら顔色もあまりよくはない。
自嘲の笑みを浮かべたつもりが、鏡越しの顔は不器用に歪んだだけだった。
死を望んでいた――もっと正確に言うと、自分に生きる権利なんて無い、そう考えていたのは紛れもない事実で。
元僚機――エニィが、バグという存在故に死を望むという認識をしたのは、何もおかしくはない。
(……今更だ。今更なんだ、この船に乗って、それで)
絆されて、生きていたいと考えるようになった。
それを許さないのは今まで、生に怯えながら生きてきた自分自身だ。積み重ねてきた負の感情が、思念となり身体に重くのしかかる。
(だからといって――)
鏡に映る男の顔。鬱屈とした表情だが、その瞳には強い意思が宿っている。
最後の最期の一瞬まで抗うのだと。
自分を認めてくれる人の為にも。死ぬかもしれない、その事実は受け入れて、その上で。
パァンッ!
乾いた音は、ネグロが己の両頬を思い切り叩いた音だ。じんわりとした痛みが、一拍遅れて広がっていく。
痛いということは、まだ、生きている。
「……、よし」
じん、とする痛みに満足げに呟いて、ネグロは部屋をあとにした。
向かった先はいつものように格納庫。
カズアーリオスの足元まで来ると、その機体を見上げる。
ネグロの中の負の感情――その、元凶でもあるグレムリン。
それでも今は、この機体を信じるしかない。
険しい顔で見つめていると、ギ、と錆びた音を立てながら呼び込むように操縦棺が開いた。
「……」
ネグロは黙ってその呼び出しを受け入れることとした。
操縦棺に乗り込むと、自然とモニターに電源が入る。プログラムが立ち上がると、VOICEONLYの表示。
「……エニィが呼んだのか?」
『そ、少し話がしたくてな』
「……何かあるのか」
『簡潔にいうと、ウチがこうして話すのはこれで最後や』
「……」
淡々と告げられる言葉にネグロは目を細めるが、なにも言わずに話の続きを待つ。
『……サポートする言うたやろ。その為には、システムの奥に引っ込まんといかん。まあ、元々ずっと奥に引っ込んでたから、元に戻るだけや』
「……そうか」
『生きるのがつらいアンタに、死に場所をあげようとしてたんは、結局自分の死に際をなぞらえてただけだったかもなあ』
未識別の中にいるバグは、生前の行動を繰り返していたという。エニィの行為もまた、その範疇に収まっていたのだ、という話なのだろう。
『あー、なぁ、やっぱり、背負った?』
エニィの言う背負ったという言葉が何を意味するのか、ネグロにはすぐに理解する。
背負わなくていい、と最期に言っていたエニィの姿を思い出した。
「……そうだな。ずっと、背負ってた」
死んでしまった仲間、家族、それらを抱えて"一人で生き残ってしまった"自分。積み重ねた負の感情。
「だが、それも含めて俺なんだ」
向き合って、ようやくそれが認める事が出来た。
『心配いらんみたいやなあ。いい僚機もおるみたいやし』
「……どうだか」
『ははっ、あんま厳しい事いいなや――さて、湿っぽいの嫌いやし、そろそろ行くわ』
「ああ……」
『じゃあ、な』
プツンと音を立てて、モニターの表示が消える。
ネグロは消えたモニターにそっと触れる。
「ありがとう」
呟く言葉は操縦棺の中で、柔らかく響いた。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
ブリッジのモニターには領域覚醒の情報が表示されている。
もはや大勢は決しており、このままテイマー群は領域を全て覚醒させ、タワーの奥に潜むという今回の件の元凶ともいえるケイジキーパーへの道を開くだろう。
「……」
『めーがねさん』
「……」
『おーい』
モニターを見るルインの視界の端に、ふわふわと浮かぶ幽霊の姿。
それは、端にとどまらず元気に視界の中心にまで侵食してくる。
「……兄と話せるとわかったのだから、そちらにベッタリかと思ったんだがな」
『おにいちゃん、そんなに操縦棺に乗る訳じゃないもん』
「スピーカーでもつけたらどうだ?」
『うるさいって怒られるよ~!』
あはは、と笑う姿は幽霊とは思えぬ朗らかさすらある。
ヒナは、先日シュピネの助言もあり、グレムリンのシステムの中へと潜り込み、無人での操縦を行うという離れ業を見せた。
電子音声による発語も可能で、念願だった兄――ネグロとの会話も可能になり、ルインとしてはもう自分にまとわりつく事も無いかと一安心していたのだが……。
『……ねえ、めがねさん』
「なんだ」
『あたし、お兄ちゃんのこと、助けられるかなあ』
「さあ、どうだろうな」
ルインはモニターを操作しながら視界の端に移動したヒナの話を聞く。彼女の声は感情豊かで、顔を見ずとも声だけで感情まで見えてくる。
そんなヒナの声は、真剣そのものだ。
『あたしね、きっと、ここにきたのはお兄ちゃんを助けるためなの』
「根拠は」
『ないよ!でも、そうなんだってすごく思うの』
そもそもヒナの行動に根拠なんて無いことをルインは根拠を訪ねてから気が付いた。
そして、やはり彼女のそれには根拠がない。けれど、きっとこの幽霊は自分がそうだと思った意思こそが根拠になり得るのだろう。ルインにはそう感じられた。
「もし、本当にそうだと思うなら、もっと自信を持つんだな。絶対に助ける、くらいの意志がなければ飲み込まれるかもしれない」
『……』
ルインは相変わらずモニターから視線を外すことは無い。けれども、隣でヒナが呆気にとられている気配が感じられて、眉根を寄せて視線だけをヒナに向ける。
『励ましてくれたあ……』
ヒナが大きな目をさらに丸く大きく見開いてルインを見つめている。
頬に手をあてて、うそみたい、なんて呟いたりしてるのを見て、流石のルインも目を細めた。
「罵倒の方がお好みか?」
『そんなわけないじゃん! 嬉しいよ! 』
「……」
素直に喜ばれてしまえば返す言葉もない。ルインは再びモニターに視線を戻したが、すかさずヒナがそこに割り込んできた。
「っ、なんだ」
『ありがとね! めがねさん!』
にっこり、と満面の笑みを浮かべるとそのままヒナの姿はその場から消えて行ってしまった。
一人になったルインは、はあ、とひとつ息を吐くと窓の外に視線を向ける。
「……」
ネグロにヒナの事を伝えた時、ルインは自らが幽霊と関われる事については適当にはぐらかすのみだった。
説明を簡潔にするには多少複雑であり、また、それをいちいち人に話す必要を感じなかったからだ。
ルインは自らの意志でこの世界に来ている訳ではない。世界を渡り歩く魔女に頼まれ、この幽霊船を虚空領域から脱出させることが目的だ。
ルインをこの世界に連れて来た魔女。魂喰らいの魔女と呼ばれはしているが、魂喰らいとは名ばかりでその魔女は迷える魂を救う事の方が多い。
「……フン、」
ほんのひとさじ、何かを注がれたとしてそれに気付く者は少ない。
やはり、わざわざそれをひとに言う必要性は感じ無い。魔女の手は、全てを導く訳ではない。そこから何を選び取り、進んでいくのかは、本人しか決める事が出来ない。
選び取った先が、祝福された未来になるか。それは、まだ誰にもわからない。
◆19回更新の日記ログ
祝福未来
「どうしてあんな危険な事をした!!」
格納庫中に響く怒号は、カズアーリオスから発せられている。
正確には、カズアーリオスの操縦棺に座っているネグロからだ。
ネグロの顔は、戦闘中にも見せない程の剣幕でモニターを睨み付けている。しかし、モニターにはなにも表示されない。
「聞こえてるんだろう、ヒナ! 」
『……』
「どうして勝手に戦場に出たんだ!」
モニターに表示されない限り、本当にそこに妹がいるという確証は得られない。だが、グレムリンにいるかどうかくらいはネグロも察せられるようになった。
『だって……』
少し間をおいて、モニターにしょぼんとしたアイコンが表示され、弱々しい声が棺内に響く。アイコンの目だけが動いて視線を外すのは、ヒナがいじけた時に目をそらす癖そのままだ。
「遊びじゃないんだぞ。もし、何かあったらどうするんだ!」
『大丈夫だもん。あたし、おばけだもん』
「屁理屈言うな!」
『うぅ……』
いじけた声を聞くと、少し言い過ぎかと思ってしまうあたり、どんな形であれ妹には甘くなってしまう事を実感する。しかし、そんな事を表に出すことはなく厳しい表情のままモニターを見据えた。
「ヒナが大丈夫でも、お前がいることでまわりだって迷惑する」
『……』
「他の人が怪我を『あたしは!!』
ネグロの言葉を割れた電子音まじりの叫びが遮った。
思わずネグロは言葉を止めて、眼を丸くする。
『あたしは!!お兄ちゃんに、むりしてほしくないの!!お兄ちゃん、このままじゃ、しんじゃうもん!』
このままでは死んでしまう。
ネグロには、その言葉を否定する事は出来なかった。グレムリンに乗る事で起きる負荷で肉体はボロボロになっている。まるで、グレムリンが命を削り取るかのように。
『おにーちゃんが、お船でて、みんな、心配だった。元気だよって、メールとか通信でお話できるのだって、たまにだった』
何十年も昔の話だ。
真紅連理の軍に配属され、日を追う毎に戦いが激しくなり、いつしか休みなどなく毎日戦場の日々。心配で送られてきた家族からのメールもすぐに眼を通せなかった事も山程ある。
その頃から、寂しい思いをさせていたのだ。
『あたしは、おにーちゃんに、もっとたくさん元気でいてほしい。あたしたちの分も!! 』
一息にヒナが話終えると、電子音混じりの泣き声が流れてくる。抱き締める事も、撫でてやる事も出来ない今は、泣きじゃくる妹を慰める手段がない。
ネグロはしばし押し黙った後、涙を流しているアイコンに手を伸ばした。
「……わかったから、泣くな」
『……、ほんと?』
「ほんと」
頭を撫でるように何度かモニターに手を置いて、それから安心させるように笑みを浮かべようとしたが、慣れないそれは不自然なものになってしまった。
『なにそれ、へたくそ』
くすくすと笑う声がスピーカーから聞こえた。
やがて、納得してくれたのかモニターからアイコンが消え、気配も何処かへ消えていく。妹が去ったらしい事に気がつくと、ネグロは大きくため息を吐いた。
(わかった、とは言ったが……)
ゲホゲホと咳をする。血を吐くような事は無いが、気を緩めるとこうして胸も呼吸も苦しくなる。
これは、一度や二度休んだ所で治る事はない。だからといって、永遠に戦場から身を引こうとは思わない。
きっと、無理を押して出てしまう。
(……ああ、そうか)
気が付いてしまった。どうして、死ぬとわかっても戦場に向かおうとするのか。そして、それに対してなんの恐れも抱かないのか。
(俺も、死にたかったんだ)
怒りに包み込んで奥底にしまって、ずっと抱えていた感情の正体が、幽霊船で過ごすうちに怒りはほどかれ、妹の手で引き上げられた。
誰かの思いを背負って生きるのに疲れきって、心の奥で願っていた思いにグレムリンが答えていたのだ。
緩やかに、緩やかに、その思いを遂げさせようと。
(……そんなこと言ったら、怒るよな。きっと)
妹がこの船にいると聞いた時、疑うよりも先に、迎えに来てくれたのか、そう思った。
もしかしたら、その感情を知っていて、だからこそ無理を承知で代わりを勤めようとしたのだろうか。
『やっぱり、アンタ真面目やな』
「……?」
スピーカーから、声がする。
聞き間違いなんかではない。はっきりと、聞き覚えのある声が。
その直後、ブン、と音がしてモニターの電気がつく。そこにはVOICEONLYとだけ表示されている。
『生きるの辛いんやろ? わかるわ。だから、手伝ってたんや』
「……エニィ、」
『あはは! 妹ちゃんのあとやから理解がはやくて助かるわ! ま、うちの場合本物かどうか定かじゃないけど』
笑い声と軽快な語り口は、間違いなくかつての僚機のものだった。
その声に、理解がはやいといわれるとおりネグロはそれが偽りのものだと疑う気持ちは無い。
ただ、現実として目の前の事を受け止めている。
『うちも元々は他の未識別と同じ、この世界に残ったバグみたいなモンやった。けど、アンタがこのグレムリンに乗り込んで、うちは自我を取り戻したんや。ま、うちはこの世界の人間やなかったから? 多少のズレがあったんやろなあ』
廃工場にいた頃からすでにグレムリンの中で眠っていた、との言葉もすんなりと受け入れる事が出来る。
自分に誂えたような機体であったり、北東柱で夢を見たり――そういった、不可思議だと思っていた事象に一応の理由がついてしまうからだ。
「……さっきの、手伝ってたてのは」
『ウチは妹ちゃんほど思念体として強くない。だから、グレムリンの一部になるくらいしか出来んかった。だから、アンタの奥底に眠る思念にアクセスして、それをグレムリンに伝えた』
「……なるほどな」
本来ならグレムリンすらも気付く筈の無かった思いを届けたのは他でもない、この、かつての僚機だ。
自らもまた、生きることに疲れたと語っていた姿を見た今ならその行為に納得がいく。
『……けどなあ、ちょっと、はやまったかもしれん』
「どういう意味だ?」
スピーカーから聞こえる、ばつ悪そうな声にネグロは片眉をあげる。
『今、どう? 本当に、死にたい?』
「……」
続く問いにネグロはなにも言えなくなる。確かに自分は、生きることに疲れていた。
それを、とにかく他人のせいにして怒り、憎しみ、恨みといった感情で覆い尽くして知らん振りをした。
その怒りが嘘だったとは思わない。全てを奪われた事に対する憤りは確かに、心に深く傷を残している。
『命をかけて、誰かを守れるのは一度きりや。うちがしたようにな。なあ、カイト。アンタの側に今いる人間は、本当に一度守るだけで、いいのか?』
「……やめろ、」
『うちや妹ちゃんの思い関係なく、アンタは先を見たいとちゃうの?』
「やめてくれ!!」
ネグロは思わず耳をふさいで、うつむいて、首を大きく振った。
全てを失った時からずっと抱えていた、死にたいという気持ち。
それを怒りで覆い隠して、戦い続けていたのは、やはり生きていたいという相反する思いがあったからだ。
だが、沢山犠牲にした自分にその資格があるとは思えなくて、だから今だって拒絶した。拒絶したかった。
『隠し事、ヘタやなあ』
「……うるせえ」
けれど、暴かれてしまったものを隠せるような器用さは無い。
案の定、お見通しの元相棒には悪態をつくだけだ。
『……でも、結果的にアンタが辛くなる道にしてしもたんやな。ごめん』
「いや、お前は別に悪くない。俺が、ずっと向き合わなかっただけなんだ。だから、最期に気付けただけ、よかった」
申し訳なさそうな声にこたえるネグロの言葉。それは、慰めや建前ではない本当の気持ちだった。
こんな事がなければ、最後まで自分の感情に向き合う事なんてないまま、怒りに身を任せて死んでいくだけだったのだろう。
『……いや、まだ最期にはさせへんよ。そんなん、ウチが申し訳無くてイヤや』
「……」
『アンタは生きたいと願ったらええ。隠してたモン全部取っ払って、グレムリンに伝えるんや。ウチも、それはサポートする……それに、もう一人おるやろ? 協力してくれる子が』
『うん! いるよ!』
「ッ、ヒナ!?」
ピコン、とモニターに笑顔のアイコンが表示される。
「……聞いてたのか」
『うん。だって、お兄ちゃんの気持ち知りたかったから。ほんとに、苦しかったら、無理しないでって言うつもりだった』
「……」
『でも、違うんだよね?助けても、いいんだよね?』
「……ああ。こんな、こんな兄ちゃんでごめんな。ヒナ。それと、エニィ……いや、それだけじゃない」
この船に乗った時からそうだった。口にしていなかっただけで、常に誰かがその信号に気付いていたのだろう。
本当に、甘い人間ばかりの船だ。
「……みんなの力を、貸してくれ」
こうして口にすると何処か気恥ずかしい。今更、と思いはするけども言葉に出来た事に意味があるのだろう。
『なるほどな』
「っ、ルイン!?」
不意にスピーカーから、ヒナともエニィとも違う声が響く。
それと同時に着いたモニターには、ブリッジの様子が映し出された。
「……まさか、」
ネグロの中に嫌な予感が広がっていく。
『艦内放送に繋げておいたから、安心するんだな』
「なっ……!?」
想定のさらに上を行く返答にネグロは言葉も返せないまま、モニターを見つめる。
『素直になるにはいい機会なんじゃないか?』
「……知るか、クソッ」
無責任にいい放つルインの声に、ネグロは自分の顔に熱が集まるのを自覚しながら小さく舌打ちをした。
「どうしてあんな危険な事をした!!」
格納庫中に響く怒号は、カズアーリオスから発せられている。
正確には、カズアーリオスの操縦棺に座っているネグロからだ。
ネグロの顔は、戦闘中にも見せない程の剣幕でモニターを睨み付けている。しかし、モニターにはなにも表示されない。
「聞こえてるんだろう、ヒナ! 」
『……』
「どうして勝手に戦場に出たんだ!」
モニターに表示されない限り、本当にそこに妹がいるという確証は得られない。だが、グレムリンにいるかどうかくらいはネグロも察せられるようになった。
『だって……』
少し間をおいて、モニターにしょぼんとしたアイコンが表示され、弱々しい声が棺内に響く。アイコンの目だけが動いて視線を外すのは、ヒナがいじけた時に目をそらす癖そのままだ。
「遊びじゃないんだぞ。もし、何かあったらどうするんだ!」
『大丈夫だもん。あたし、おばけだもん』
「屁理屈言うな!」
『うぅ……』
いじけた声を聞くと、少し言い過ぎかと思ってしまうあたり、どんな形であれ妹には甘くなってしまう事を実感する。しかし、そんな事を表に出すことはなく厳しい表情のままモニターを見据えた。
「ヒナが大丈夫でも、お前がいることでまわりだって迷惑する」
『……』
「他の人が怪我を『あたしは!!』
ネグロの言葉を割れた電子音まじりの叫びが遮った。
思わずネグロは言葉を止めて、眼を丸くする。
『あたしは!!お兄ちゃんに、むりしてほしくないの!!お兄ちゃん、このままじゃ、しんじゃうもん!』
このままでは死んでしまう。
ネグロには、その言葉を否定する事は出来なかった。グレムリンに乗る事で起きる負荷で肉体はボロボロになっている。まるで、グレムリンが命を削り取るかのように。
『おにーちゃんが、お船でて、みんな、心配だった。元気だよって、メールとか通信でお話できるのだって、たまにだった』
何十年も昔の話だ。
真紅連理の軍に配属され、日を追う毎に戦いが激しくなり、いつしか休みなどなく毎日戦場の日々。心配で送られてきた家族からのメールもすぐに眼を通せなかった事も山程ある。
その頃から、寂しい思いをさせていたのだ。
『あたしは、おにーちゃんに、もっとたくさん元気でいてほしい。あたしたちの分も!! 』
一息にヒナが話終えると、電子音混じりの泣き声が流れてくる。抱き締める事も、撫でてやる事も出来ない今は、泣きじゃくる妹を慰める手段がない。
ネグロはしばし押し黙った後、涙を流しているアイコンに手を伸ばした。
「……わかったから、泣くな」
『……、ほんと?』
「ほんと」
頭を撫でるように何度かモニターに手を置いて、それから安心させるように笑みを浮かべようとしたが、慣れないそれは不自然なものになってしまった。
『なにそれ、へたくそ』
くすくすと笑う声がスピーカーから聞こえた。
やがて、納得してくれたのかモニターからアイコンが消え、気配も何処かへ消えていく。妹が去ったらしい事に気がつくと、ネグロは大きくため息を吐いた。
(わかった、とは言ったが……)
ゲホゲホと咳をする。血を吐くような事は無いが、気を緩めるとこうして胸も呼吸も苦しくなる。
これは、一度や二度休んだ所で治る事はない。だからといって、永遠に戦場から身を引こうとは思わない。
きっと、無理を押して出てしまう。
(……ああ、そうか)
気が付いてしまった。どうして、死ぬとわかっても戦場に向かおうとするのか。そして、それに対してなんの恐れも抱かないのか。
(俺も、死にたかったんだ)
怒りに包み込んで奥底にしまって、ずっと抱えていた感情の正体が、幽霊船で過ごすうちに怒りはほどかれ、妹の手で引き上げられた。
誰かの思いを背負って生きるのに疲れきって、心の奥で願っていた思いにグレムリンが答えていたのだ。
緩やかに、緩やかに、その思いを遂げさせようと。
(……そんなこと言ったら、怒るよな。きっと)
妹がこの船にいると聞いた時、疑うよりも先に、迎えに来てくれたのか、そう思った。
もしかしたら、その感情を知っていて、だからこそ無理を承知で代わりを勤めようとしたのだろうか。
『やっぱり、アンタ真面目やな』
「……?」
スピーカーから、声がする。
聞き間違いなんかではない。はっきりと、聞き覚えのある声が。
その直後、ブン、と音がしてモニターの電気がつく。そこにはVOICEONLYとだけ表示されている。
『生きるの辛いんやろ? わかるわ。だから、手伝ってたんや』
「……エニィ、」
『あはは! 妹ちゃんのあとやから理解がはやくて助かるわ! ま、うちの場合本物かどうか定かじゃないけど』
笑い声と軽快な語り口は、間違いなくかつての僚機のものだった。
その声に、理解がはやいといわれるとおりネグロはそれが偽りのものだと疑う気持ちは無い。
ただ、現実として目の前の事を受け止めている。
『うちも元々は他の未識別と同じ、この世界に残ったバグみたいなモンやった。けど、アンタがこのグレムリンに乗り込んで、うちは自我を取り戻したんや。ま、うちはこの世界の人間やなかったから? 多少のズレがあったんやろなあ』
廃工場にいた頃からすでにグレムリンの中で眠っていた、との言葉もすんなりと受け入れる事が出来る。
自分に誂えたような機体であったり、北東柱で夢を見たり――そういった、不可思議だと思っていた事象に一応の理由がついてしまうからだ。
「……さっきの、手伝ってたてのは」
『ウチは妹ちゃんほど思念体として強くない。だから、グレムリンの一部になるくらいしか出来んかった。だから、アンタの奥底に眠る思念にアクセスして、それをグレムリンに伝えた』
「……なるほどな」
本来ならグレムリンすらも気付く筈の無かった思いを届けたのは他でもない、この、かつての僚機だ。
自らもまた、生きることに疲れたと語っていた姿を見た今ならその行為に納得がいく。
『……けどなあ、ちょっと、はやまったかもしれん』
「どういう意味だ?」
スピーカーから聞こえる、ばつ悪そうな声にネグロは片眉をあげる。
『今、どう? 本当に、死にたい?』
「……」
続く問いにネグロはなにも言えなくなる。確かに自分は、生きることに疲れていた。
それを、とにかく他人のせいにして怒り、憎しみ、恨みといった感情で覆い尽くして知らん振りをした。
その怒りが嘘だったとは思わない。全てを奪われた事に対する憤りは確かに、心に深く傷を残している。
『命をかけて、誰かを守れるのは一度きりや。うちがしたようにな。なあ、カイト。アンタの側に今いる人間は、本当に一度守るだけで、いいのか?』
「……やめろ、」
『うちや妹ちゃんの思い関係なく、アンタは先を見たいとちゃうの?』
「やめてくれ!!」
ネグロは思わず耳をふさいで、うつむいて、首を大きく振った。
全てを失った時からずっと抱えていた、死にたいという気持ち。
それを怒りで覆い隠して、戦い続けていたのは、やはり生きていたいという相反する思いがあったからだ。
だが、沢山犠牲にした自分にその資格があるとは思えなくて、だから今だって拒絶した。拒絶したかった。
『隠し事、ヘタやなあ』
「……うるせえ」
けれど、暴かれてしまったものを隠せるような器用さは無い。
案の定、お見通しの元相棒には悪態をつくだけだ。
『……でも、結果的にアンタが辛くなる道にしてしもたんやな。ごめん』
「いや、お前は別に悪くない。俺が、ずっと向き合わなかっただけなんだ。だから、最期に気付けただけ、よかった」
申し訳なさそうな声にこたえるネグロの言葉。それは、慰めや建前ではない本当の気持ちだった。
こんな事がなければ、最後まで自分の感情に向き合う事なんてないまま、怒りに身を任せて死んでいくだけだったのだろう。
『……いや、まだ最期にはさせへんよ。そんなん、ウチが申し訳無くてイヤや』
「……」
『アンタは生きたいと願ったらええ。隠してたモン全部取っ払って、グレムリンに伝えるんや。ウチも、それはサポートする……それに、もう一人おるやろ? 協力してくれる子が』
『うん! いるよ!』
「ッ、ヒナ!?」
ピコン、とモニターに笑顔のアイコンが表示される。
「……聞いてたのか」
『うん。だって、お兄ちゃんの気持ち知りたかったから。ほんとに、苦しかったら、無理しないでって言うつもりだった』
「……」
『でも、違うんだよね?助けても、いいんだよね?』
「……ああ。こんな、こんな兄ちゃんでごめんな。ヒナ。それと、エニィ……いや、それだけじゃない」
この船に乗った時からそうだった。口にしていなかっただけで、常に誰かがその信号に気付いていたのだろう。
本当に、甘い人間ばかりの船だ。
「……みんなの力を、貸してくれ」
こうして口にすると何処か気恥ずかしい。今更、と思いはするけども言葉に出来た事に意味があるのだろう。
『なるほどな』
「っ、ルイン!?」
不意にスピーカーから、ヒナともエニィとも違う声が響く。
それと同時に着いたモニターには、ブリッジの様子が映し出された。
「……まさか、」
ネグロの中に嫌な予感が広がっていく。
『艦内放送に繋げておいたから、安心するんだな』
「なっ……!?」
想定のさらに上を行く返答にネグロは言葉も返せないまま、モニターを見つめる。
『素直になるにはいい機会なんじゃないか?』
「……知るか、クソッ」
無責任にいい放つルインの声に、ネグロは自分の顔に熱が集まるのを自覚しながら小さく舌打ちをした。
◆18回更新の日記ログ
覚醒した領域は一瞬で行き来する事が出来る。
ワープ航路のようなものが出来ているのだが、感覚としてはいつの間にかそこにいる、という感じだ。
ネグロが赤渦から氷獄に来られたのもそのおかげで、今もそこから静かの海に移動するところだった。
航路を指定して、グレムリンが動き出す。最低限の操作以外は自動で航行するのに任せることにした。
固いシートに深く腰掛けなおして、ゆっくりと息を吐く。
戦闘直後は胸が苦しくなるくらいに咳が出ていたが、不思議と今は落ち着いていた。
ただ、身体は重い。まるで、残りの燃料が少なくなった機械のように自分の命が失われているような感覚すらある。
『お兄ちゃん、大丈夫?』
「ん? ああ、ちょっと無理したかもな」
『あんまり無理しないでね』
「……そうだな」
心配そうなアイコンが表示されるのを見ながら、ネグロは瞼が重たくなるのを感じて目を閉じる。
幽霊船につくまでは、まだ時間がかかる。現在付近に敵はいない、ほんの少し休むだけなら大丈夫だろう。
思念制御識によって戦闘時にかかる身体への負荷は戦う毎に蓄積されている。
今回は、通常のアセンブルにパーツを更に2つ加えた状態での戦闘だったのもあり、いつもより相当の負荷がかかったのだろう。
しばらくそうやって身体を休めていると、不意に声が聞こえる。
「お兄ちゃん、私の声、聞こえる?」
「ん、聞こえるけど、どうかしたか?」
「……」
聞こえてくるヒナの声に反応しようとするが、瞼が重くて開けられなかったので、言葉だけを返す。
「……、んーん! 大丈夫! お船、近くなったら起こすから休んでていーよ!」
いつもなら気付けるだろう不自然な妹の沈黙も、今のネグロが気付く事は無い。
「……助かる。頼むな」
自分が疲労困憊なのを気遣ってくれる事に甘えてしまうのが申し訳無かったが、意識が深く落ちていくのにそう時間はかからなかった。
もう既に、そこが夢の中である事も知らないまま――
ビーッ
ビーッ
継ぎ接ぎ幽霊線のブリッジに響く電子音。
それが、カズアーリオスから通信が届いた事を告げるものだとわかると、ルインは回線を開いた。
「……こちら、継ぎ接ぎ幽霊船」
『こちら、カズアーリオス!カイ……ネグロです!』
明らかにいつもと違う少女の声。それでも、演じるつもりが少しあったのか少女にしては、凄みを出そうとしている声だった。
「……無理しなくていいぞ、ヒナ。無事で何よりだ」
『えへへ。ありがと眼鏡さん。えっと、あたし達は今静かの海についたから、もう少しでお船にもつくと思うよ!』
兄についていく、そう言い出した時にはどうなる事かと驚きはしたが、ヒナはそもそも自分がグレムリンのシステムの中に潜り込める可能性を知っていた。
気付かせたのは、シュピネだ。
悩める乙女に手を差しのべるのは当然の事だ、などと楽しげに話してきて漸く合点がいった。
シュピネも、可能性を示唆したまででここまで上手く行くのはヒナの才能かもしれない、と感嘆していた。
「……了解。ネグロも無事なのか?」
『無事だよ! でもね、ちょっと心配かも』
「……どうした?」
ヒナの声に不安げなトーンが混ざる。何かあれば迎えにでも行くべきか、そんなことを考えつつルインは続きを促した。
『お兄ちゃん、夢の中でもあたしの声が、はっきり聞こえたみたい。今までは、そんなこと無かったのに』
「……」
『ねえ、眼鏡さん。お兄ちゃん、戦わないと、駄目なのかな?このままじゃ、お兄ちゃん……』
ヒナは先ほどの、眠るネグロに語りかけが聞こえていた時の事を話す。
絶滅戦場の激しい戦い。限界を更に越えるアセンブルはまた一歩、兄が死に近づいているという証拠になる。
「私では止められない。元々、死ぬまで戦うのをやめるつもりがない男だ……むしろ、お前しか止められないのでは?」
『……』
ルインの言葉にヒナはなにも言えなかった。
兄に無理はして欲しくない。
それこそ、命に関わるならすぐにでもやめて欲しい。
だけど、兄は誰のために戦っているのかと言えば自分達――志半ばで死んでしまった者達の為に戦っている。
『……わかんない』
ぽつり、と力無い声が響く。
どうするのが正解なのかなんて、誰も知らないし、わからない。
『でもね、』
それなら、やりたいことをやるべきだ。
『私、お兄ちゃんを助けたい』
―――
――
―
声がする。
人の話し合う声。
そこからぼんやりと浮かび上がるビジョン。
またしても、世界がなにかを見せてくる。
ジャンク財団、ケイジキーパー、世界への復讐。
様々な感情が流れ込んでくるのを止める事も出来ない。
ジャンク財団の代表は無惨にも散り、ベルコウルもまた――命をもって罪を償おうとしている。
今更だ。
火消しをしても、火をつけた事実は消えない。自業自得であり、同情も出来ない。ネグロの評価が、それでかわることは一切無い。
そして、もうひとつの声。
(あの声の主はケイジキーパーだったのか)
わかれば、単純な話だ。
TsCを作り上げた5人のテイマー。彼らの乗るグレムリンは特別だ。この世界に深く干渉出来るとするならば、必然的に彼らとそのグレムリンが浮かび上がってもなんらおかしな話ではない。
何も出来ずに滅んでしまったと思っていた彼らの方から姿を見せるなんて、こんな都合のいい話はない。
(――許すものか)
ちり、と燻っていた火が再び焚き付けられるのを感じる。
目的を見失い、世界の為という大義名分の惰性で戦い、仲間というぬるま湯に浸かって忘れかけていた感情が甦る。
例えこれが一方的な感情でも、残り少ない命の火をかけるには十分だろう。
そうしているうちに、やがて感じていたビジョンも消えて、意識は深く落ちていく。
―
――
―――
船体の激しい揺れでネグロは目を覚ました。
ベッドから弾けるように起き上がると全身に痛みが走り、顔を僅かにしかめた。
――いつまで、眠っていたんだ?
ここが幽霊船で、そしてここが自室として使っている部屋だという事を認識したところで、ふと湧き出した疑問。
グレムリンで幽霊船に着艦した記憶も、そこから自室に移動した記憶もない。
ずっと意識がなかったと言うことなのか?
不安にかられたネグロはベッドから軋む身体で立ち上がり、壁に手をつきながら部屋を出る。
今、何が起きているのか。そもそも、不自然な船体の揺れた原因は何なのか。
少しずつ足取りを確かにしながら、ブリッジへと向かう。
「調子はどうだ」
「……最悪だよ」
ブリッジへのドアをくぐると、いつもと変わらずルインが立っている。
涼しい顔でわかりきった事を聞いてくるルインにネグロはあからさまに舌打ちをする。
管制システムにいるエリエスやエイゼルの姿を一瞥しつつ、ルインの方へと歩みよった。
そもそも、普段はここに彼女達が集まる事は少ない筈だ。それこそ、戦闘でも起きない限りは。
ネグロはすぐに手近なモニターを確認した。
「……戦場のデータ、だと? おい、まさか、さっきのは」
「推察どおり、発進に伴うものだな」
「……」
ジャンク財団の残党を殲滅ならば、確かにネグロを抜いた2機でも問題ないだろう、というのはネグロ自身も理解出来る。
どれほど自分が眠っていたのか、そして、それについて気を遣われてしまったのか、その辺りを考えると無意識に舌打ちをしてしまう。
しかし、今から出ていった所で恐らく戦闘は終了してしまうだろう。
仕方無く、戦場のデータをもう一度確認したところでネグロは目を見張った。
そこには"三機分"のデータが表示されている。
「……おい、どういう事だ。どうして、カズアーリオスが戦場に出ているんだ?」
自分がここにいるにも関わらず、機体だけが出ている。それこそ、エイゼルが変わりに乗っているならまだ納得が出来たのに、その可能性すらない。
「――まさか」
眠っている間に、着艦出来た理由がわかってしまった。
その瞬間、隣に立つルインの肩を思い切り掴んでいた。
「何故止めなかった!!」
「一応止めたが、お前の代わりになる、と聞かなくてな」」
ルインはいくら睨み付けた所でその涼しい顔を眉ひとつ変える事はない。
くそ、と悪態はきながら掴んでいた肩を話すとネグロは片手で顔を覆いながら天をあおぐ。
相手は確かに強くはない。何なら、二人で十分すぎる。出撃する必要も、無かったのに。
「馬鹿野郎……」
自然と漏れたその言葉の中には自らも含まれていた。
ワープ航路のようなものが出来ているのだが、感覚としてはいつの間にかそこにいる、という感じだ。
ネグロが赤渦から氷獄に来られたのもそのおかげで、今もそこから静かの海に移動するところだった。
航路を指定して、グレムリンが動き出す。最低限の操作以外は自動で航行するのに任せることにした。
固いシートに深く腰掛けなおして、ゆっくりと息を吐く。
戦闘直後は胸が苦しくなるくらいに咳が出ていたが、不思議と今は落ち着いていた。
ただ、身体は重い。まるで、残りの燃料が少なくなった機械のように自分の命が失われているような感覚すらある。
『お兄ちゃん、大丈夫?』
「ん? ああ、ちょっと無理したかもな」
『あんまり無理しないでね』
「……そうだな」
心配そうなアイコンが表示されるのを見ながら、ネグロは瞼が重たくなるのを感じて目を閉じる。
幽霊船につくまでは、まだ時間がかかる。現在付近に敵はいない、ほんの少し休むだけなら大丈夫だろう。
思念制御識によって戦闘時にかかる身体への負荷は戦う毎に蓄積されている。
今回は、通常のアセンブルにパーツを更に2つ加えた状態での戦闘だったのもあり、いつもより相当の負荷がかかったのだろう。
しばらくそうやって身体を休めていると、不意に声が聞こえる。
「お兄ちゃん、私の声、聞こえる?」
「ん、聞こえるけど、どうかしたか?」
「……」
聞こえてくるヒナの声に反応しようとするが、瞼が重くて開けられなかったので、言葉だけを返す。
「……、んーん! 大丈夫! お船、近くなったら起こすから休んでていーよ!」
いつもなら気付けるだろう不自然な妹の沈黙も、今のネグロが気付く事は無い。
「……助かる。頼むな」
自分が疲労困憊なのを気遣ってくれる事に甘えてしまうのが申し訳無かったが、意識が深く落ちていくのにそう時間はかからなかった。
もう既に、そこが夢の中である事も知らないまま――
ビーッ
ビーッ
継ぎ接ぎ幽霊線のブリッジに響く電子音。
それが、カズアーリオスから通信が届いた事を告げるものだとわかると、ルインは回線を開いた。
「……こちら、継ぎ接ぎ幽霊船」
『こちら、カズアーリオス!カイ……ネグロです!』
明らかにいつもと違う少女の声。それでも、演じるつもりが少しあったのか少女にしては、凄みを出そうとしている声だった。
「……無理しなくていいぞ、ヒナ。無事で何よりだ」
『えへへ。ありがと眼鏡さん。えっと、あたし達は今静かの海についたから、もう少しでお船にもつくと思うよ!』
兄についていく、そう言い出した時にはどうなる事かと驚きはしたが、ヒナはそもそも自分がグレムリンのシステムの中に潜り込める可能性を知っていた。
気付かせたのは、シュピネだ。
悩める乙女に手を差しのべるのは当然の事だ、などと楽しげに話してきて漸く合点がいった。
シュピネも、可能性を示唆したまででここまで上手く行くのはヒナの才能かもしれない、と感嘆していた。
「……了解。ネグロも無事なのか?」
『無事だよ! でもね、ちょっと心配かも』
「……どうした?」
ヒナの声に不安げなトーンが混ざる。何かあれば迎えにでも行くべきか、そんなことを考えつつルインは続きを促した。
『お兄ちゃん、夢の中でもあたしの声が、はっきり聞こえたみたい。今までは、そんなこと無かったのに』
「……」
『ねえ、眼鏡さん。お兄ちゃん、戦わないと、駄目なのかな?このままじゃ、お兄ちゃん……』
ヒナは先ほどの、眠るネグロに語りかけが聞こえていた時の事を話す。
絶滅戦場の激しい戦い。限界を更に越えるアセンブルはまた一歩、兄が死に近づいているという証拠になる。
「私では止められない。元々、死ぬまで戦うのをやめるつもりがない男だ……むしろ、お前しか止められないのでは?」
『……』
ルインの言葉にヒナはなにも言えなかった。
兄に無理はして欲しくない。
それこそ、命に関わるならすぐにでもやめて欲しい。
だけど、兄は誰のために戦っているのかと言えば自分達――志半ばで死んでしまった者達の為に戦っている。
『……わかんない』
ぽつり、と力無い声が響く。
どうするのが正解なのかなんて、誰も知らないし、わからない。
『でもね、』
それなら、やりたいことをやるべきだ。
『私、お兄ちゃんを助けたい』
―――
――
―
声がする。
人の話し合う声。
そこからぼんやりと浮かび上がるビジョン。
またしても、世界がなにかを見せてくる。
ジャンク財団、ケイジキーパー、世界への復讐。
様々な感情が流れ込んでくるのを止める事も出来ない。
ジャンク財団の代表は無惨にも散り、ベルコウルもまた――命をもって罪を償おうとしている。
今更だ。
火消しをしても、火をつけた事実は消えない。自業自得であり、同情も出来ない。ネグロの評価が、それでかわることは一切無い。
そして、もうひとつの声。
(あの声の主はケイジキーパーだったのか)
わかれば、単純な話だ。
TsCを作り上げた5人のテイマー。彼らの乗るグレムリンは特別だ。この世界に深く干渉出来るとするならば、必然的に彼らとそのグレムリンが浮かび上がってもなんらおかしな話ではない。
何も出来ずに滅んでしまったと思っていた彼らの方から姿を見せるなんて、こんな都合のいい話はない。
(――許すものか)
ちり、と燻っていた火が再び焚き付けられるのを感じる。
目的を見失い、世界の為という大義名分の惰性で戦い、仲間というぬるま湯に浸かって忘れかけていた感情が甦る。
例えこれが一方的な感情でも、残り少ない命の火をかけるには十分だろう。
そうしているうちに、やがて感じていたビジョンも消えて、意識は深く落ちていく。
―
――
―――
船体の激しい揺れでネグロは目を覚ました。
ベッドから弾けるように起き上がると全身に痛みが走り、顔を僅かにしかめた。
――いつまで、眠っていたんだ?
ここが幽霊船で、そしてここが自室として使っている部屋だという事を認識したところで、ふと湧き出した疑問。
グレムリンで幽霊船に着艦した記憶も、そこから自室に移動した記憶もない。
ずっと意識がなかったと言うことなのか?
不安にかられたネグロはベッドから軋む身体で立ち上がり、壁に手をつきながら部屋を出る。
今、何が起きているのか。そもそも、不自然な船体の揺れた原因は何なのか。
少しずつ足取りを確かにしながら、ブリッジへと向かう。
「調子はどうだ」
「……最悪だよ」
ブリッジへのドアをくぐると、いつもと変わらずルインが立っている。
涼しい顔でわかりきった事を聞いてくるルインにネグロはあからさまに舌打ちをする。
管制システムにいるエリエスやエイゼルの姿を一瞥しつつ、ルインの方へと歩みよった。
そもそも、普段はここに彼女達が集まる事は少ない筈だ。それこそ、戦闘でも起きない限りは。
ネグロはすぐに手近なモニターを確認した。
「……戦場のデータ、だと? おい、まさか、さっきのは」
「推察どおり、発進に伴うものだな」
「……」
ジャンク財団の残党を殲滅ならば、確かにネグロを抜いた2機でも問題ないだろう、というのはネグロ自身も理解出来る。
どれほど自分が眠っていたのか、そして、それについて気を遣われてしまったのか、その辺りを考えると無意識に舌打ちをしてしまう。
しかし、今から出ていった所で恐らく戦闘は終了してしまうだろう。
仕方無く、戦場のデータをもう一度確認したところでネグロは目を見張った。
そこには"三機分"のデータが表示されている。
「……おい、どういう事だ。どうして、カズアーリオスが戦場に出ているんだ?」
自分がここにいるにも関わらず、機体だけが出ている。それこそ、エイゼルが変わりに乗っているならまだ納得が出来たのに、その可能性すらない。
「――まさか」
眠っている間に、着艦出来た理由がわかってしまった。
その瞬間、隣に立つルインの肩を思い切り掴んでいた。
「何故止めなかった!!」
「一応止めたが、お前の代わりになる、と聞かなくてな」」
ルインはいくら睨み付けた所でその涼しい顔を眉ひとつ変える事はない。
くそ、と悪態はきながら掴んでいた肩を話すとネグロは片手で顔を覆いながら天をあおぐ。
相手は確かに強くはない。何なら、二人で十分すぎる。出撃する必要も、無かったのに。
「馬鹿野郎……」
自然と漏れたその言葉の中には自らも含まれていた。
◆17回更新の日記ログ
ザッザザ――
氷獄に来てから、やけに通信がつながらない。
ネグロは、うまく行かない事に舌打ちをしようとしたが、出てきたのは咳だった。
咳き込みつつ、通信を繰り返すと何度かエラーを吐き出してから、ようやく幽霊線に通信を繋げた。
「……聞こえるか、ルイン」
『――、ザッ、連絡を寄越すとは、少しは学習したか』
ようやく繋がった通信は、あまり環境がよくないようでざらついた音をたてている。
それでも悪態をついてくるルインの言葉に、ネグロは眉根を寄せた。
「悪かったな。だが、」
『まあ、理由はわかっている。今回は不問にしよう』
「……」
ベルコウルの言葉がネグロにとってどういう意味をもつのか、ネグロの過去を多少なりとも知るルインがわからない筈もないのだろう。
その言葉を聞けばネグロはそれ以上何も言わずに、コンソールに手を伸ばした。
送ったのは、幽霊船に残る2機のグレムリンのアセンブル案のデータだ。
ベルコウルはもうこの場にはいない。残骸のような何かだけがいる、とレーダーが伝えてきはするのだが。
一時の感情に駆られて追いかけた先は熾烈な絶滅戦場だ。
しかし、ここに来た意義もなければ、いないという事実にあれ程身を焦がしていた激情も引いてしまった。
残ったのは勝手な行動をしたという事実だけになった。
だから、これは罪滅ぼしだ。
元々彼らのアセンブルについて考えている事はあった。それを簡単にまとめただけのものを、もっともらしく理由をつけて送りつけただけなのだが。
『……なるほど、伝えておく』
「ああ」
『それと、今後は領域覚醒に参加する予定だ。恐らく、それ以外の手はない。行き先は追って連絡する』
「……わかった」
絶滅戦場という、ともすれば命を失いかねない場所にいるにも関わらず、ルインの対応はいつも通りだ。まるで、生きて帰るのが当然とでも言いたげに。
皮肉でもきかしているつもりか、それとも死ぬなという遠回しな意思表示なのか、ネグロに判別することは出来なかった。
そんなことを考えていると、不意にルインが話し出した。
『ああ、そうだ』
「なんだ」
『お客様に、失礼の無いように』
「? それは、どういう――」
ザッ、ザーーーッ
ルインの思わせ振りな言葉の意味を聞くより先に、通信障害が激しくなりノイズばかりが響いてくる。
舌打ちをしながら通信を切って、ネグロは操縦棺の椅子に深く座りなおした。
戦場の様子を改めて確認する。
あれだけの事を言っていたくせに、ベルコウルは戦場から背を向けた。
他者を妬んでいたずらに戦いを広げたくせに、未だ我が身かわいいのだとすれば呆れてしまう。
そんな奴の言葉で激情に支配されてしまった己にも同じくらい呆れてしまうが。
ザザザ……ザザ……
「……なんだ?」
スピーカーから再びノイズが鳴り出し、ネグロはわずかに身を起こした。
通信障害は依然として続いている。そもそも、何かを受信した通知すらモニターに表示されていない。
「……?」
霊障だろうか?そう思った矢先に、モニターの表示が波をうつ。何が理由かもわからないが、黙っている別けにもいかない。
ネグロが舌打ちしながら、コンソールに手を伸ばそうとしたその時だった。
『あー、あー、もしもし! きこえますかー!?』
「っ、な、に」
『あ、きこえた!? おにいちゃん!』
「……その声、」
『うん、ヒナだよ!』
波打っていたモニターに、笑顔のアイコンが表示される。
スピーカーから聞こえてくる声は、電子音やノイズが混ざっているが、幼い女の子のものとわかる。
そして、それが誰なのか聞き間違える筈の無いものだった。
霊となった船にいるときいてはいたが、姿こそ見えずともそこにいるという事実に少し身体が震えた。
『眼鏡さんにね、お願いしたの。おにいちゃんを止めないでって。それで、そのかわり、おにいちゃんの事、ちゃんと見るからって!』
眼鏡さん――恐らくは、ルインをさすのだろう。そうであれば、彼が全くネグロの危険を勘案してなかった事も合点がいく。
確かに、一人では厳しい戦いになるかもしれないと覚悟していた筈なのに、なにがなんでも死ぬわけにはいかなくなった。
「……しかし、それは、どうやって」
『それ?』
「その、今どうやって話してるんだ?」
未だ、驚きが勝っていて、感動とか喜びとかそういう感情がおいついてこない。
もっと言いたい言葉や、聞きたい言葉がある筈なのに、口からでるのはそんな、どうでもいい疑問ばかりだ。
『おにいちゃんとお話したいなあって、思ったら、いいよって』
「……グレムリン、が?」
『そう!』
あまりに荒唐無稽でありながらも、確かにそれ以外の理由が思い付かない。
人の思いに応えるのならば、それが死者でも、可能性はある。
『おにいちゃんが寝てる時は、少しお話できたけど、起きてる時にもお話できてよかった!』
「……そうか」
夢で見ていたのはやはり、現実に妹が呼び掛けていたものだった。
死者の呼び掛けが聞こえている、という事は己の身体が死に近付いている証拠である。
こうして、グレムリンを介している今はその限りでないにしても、やはりネグロの身体には未だ多くの傷が蓄積されている。
それを確かめろと言わんばかりに、ネグロは再び咳き込んだ。喉にじわりと、錆びた味がする。
『おにいちゃんは、嬉しくない?』
黙っている事で心配されてしまったようで、モニターのアイコンも寂しそうな顔へと変化する。
ネグロは錆びた味のする唾を飲み込んだ。
「……嬉しいに決まってるだろ」
「!!」
ネグロの言葉にモニターの笑顔のアイコンが虹色に輝いている。よほど嬉しかった、というのが見てとれて、ネグロは思わず苦笑した。
しかし、のんびりと談笑している余裕はもうあまりにない。気持ちを切り替えるように一度深呼吸をする。
「なあ、ヒナ」
『なあに?』
「そろそろ兄ちゃん仕事だから、大人しく出来るか?」
『うん!』
「……ちゃんと帰ろうな。俺達の船に」
何度となく呼び掛けた言葉。日常的に繰り返されていたやりとり。
とっくに忘れてしまったと思っていたのに、思いの外すんなりと言葉が出てきた。
そんな自分にネグロ自身が驚いていたが、言われたヒナの方は当たり前のやように受け入れてくれる。
モニターにピースのマークが表示され、ネグロがそれに己の手を重ねると画面はは、通常の画面に切り替わる。
そのまま操作をしてレーダーを改めて確認する。敵機の接近時間の予測が画面に表示される。
"相変わらず世界を救っているようだね"
思考を切り替えようとして、何者かの言葉を思い出す。
廃工場で目覚めた時からずっと頭の中に残っていた言葉の意味がようやく分かった。
破滅の今際にて停滞せよ世界――つまり、破滅から救うためにその寸前で時間をとどめようとしている。
仕組みを知った所で同意できるものではない。世界を救う手段としてあまりにもお粗末だ。停滞した世界など、死んでいるのと大差がない。
それに、結果として世界が破滅するなら、それでいいとすら思う。
「……こんなんじゃ、怒られるか」
さっき、ほんの一瞬だけ思い出した、ずっと昔の自分の感覚。あの頃の自分なら、世界を救いたいと言っていたんじゃないだろうか。
今はとっくに世界にその価値を見出せなくなってしまった。
しかし、その世界に生き続ける人間がいる。今を必死に生きるもの達には価値がある。
その世界を生きてきた、生き抜いたもの達にも価値がある。
世界が破滅しても、そこからまた新たな世界をつくれる程の価値が、きっと。
「……」
首を小さく横に振り、操縦レバーを握り直す。
今は、目の前の戦いを終わらせるのが先決だ。接近予測時間は、1分を切っている。
「……カズアーリオス。カイト・タックムーア――発進する!」
操縦レバーを思い切り前に倒す。そして、強く、強く思念を巡らせる。
未来を生きる人々に祝福あれ――!
◆16回更新の日記ログ
未来もいらない。祝福もいらない。ただ、今を生きる力だけが欲しい。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
粛々と戦うだけのつもりだった。
相手にどんな崇高な理念があり、どんな大きな目的があろうとも関係は無い。
ネグロの中にあるのは今を生きる人間たちの安寧だ。その為には、世界にとって戦線布告をしてくるジャンク財団を野放しにする事は出来ない。
いつだってそうだ。TsCが全てをめちゃくちゃにしたと信じ続けていたから、TsCの存在を許すことが出来なかった。
もし、真紅連理が力の無い人々に無差別に牙を剥くようになれば、容赦なく力を振るうだろう。
それは、戦いで全てを失った男が最後に残ったちっぽけな自尊心を守る為。自分のような存在を生み出さない為にやっているだけの、自己満足の行為。
己の中にはもう何も戻ってこない事を知っているから。
……それなのに。
『財団の皆は、奪われた者、犠牲を強いられたもの、失ったものばかりだ』
『だから俺たちは奪う。犠牲にする。そして、すべてを破壊する』
『俺たちには、強くなる権利と……妥当性がある』
不意に流れ込んできた声。
これは世界の意志なのだろうか。この言葉を聞いて、奮起しろとでもいうのだろうか――そんなことすら、どうでもよくなるような言葉。
ふざけるな。ふざけるな! ふざけるな!!!
頭の中があっという間に煮え立つのを理解はするが、止められない。止めるつもりがない。
奪われた物が奪い続けた結果が今の世界だ。
奪っても、あらゆるものを踏み台にしても、他の全てを破壊しても、満たされることは無い。
本当に欲しいものは人から奪うことでは手に入らない!けれども、一度それに手を染めてしまえば止める事などできやしない。誰からも何も奪えなくなるまでずっと、ずっと――
「っ、はぁっ、はぁっ、」
ネグロは気付けば操縦棺の中にいた。
操縦レバーをきつく握りしめ、フィルタースーツの中はじっとりと汗をかいている。
ここまで来た記憶が無いが、やろうとしている事はもうわかっている。
身体中を引き裂かんばかりの怒りに満たされているものの、思考まで怒りに支配されていない。考えも無しに暴走している訳では無く、これは思考の末に行われている。
目的地は氷獄。
奪われた、失った、犠牲になった――それが何の権利でもない事を証明しなければならない。
その為にも、あんな事をのたまう輩を――破壊しなければならない。
起動しようとコンソールに手を伸ばすと、ネグロが触れるより先にモニターが点灯する。まるでネグロがやらんとしている事を理解しているかのように、モニターの中では演算と検索が進む。
「……」
グレムリンは思念に応える。その言葉の意味をネグロはわからないままでいた。
そもそもは、この悪鬼が全ての元凶で本来ならばグレムリンという存在こそ、なくなってしまえばいいと考えている。
ほかに手段が無いから、今はこの力を振るわなければならないだけなのだと。
「……悪鬼は応える、か」
漸くその意味の一端を垣間見た気がする。グレムリンはネグロが何をするでもなく、目的地を氷獄に設定していた。
が、それと同時に警告画面が表示される。
「……!」
ネグロはその画面に目を見張った。現れたそれは、僚機設定の解除に対する警告だ。
勝手に組まれたまま、解除することが出来なかった僚機のそれすらも、グレムリンの意思だったのだろうか。
「……」
画面には、解除ボタンが表示されている。ネグロは、黙ってそれに触れる。
この怒りは誰のためでも無い、己のものだ。だからこそ、これを誰かに背負わせる事は出来ない。
今度こそ、許されなくても仕方無い。
「……」
改めて操縦レバーを握り直す。
ゆっくりとグレムリンが動き出した。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
一機いなくなった格納庫を写したモニターを見ながらルインは軽くこめかみを押さえた。
「……」
ブリッジでモニタリングを常にしている船長が、格納庫の異常に気付かない筈は無い。
けれども、止める事が出来なかった。
ネグロが怒りに突き動かされる予感は最初からあった、それでも見逃すことにした――頼まれた、と言えばいいのだろうか。
モニターからブリッジの隅に視線を向ける。この船に乗ってから、いつもうるさいくらいにブリッジを走り回っていた"お客様"の姿も今はない。
『おにいちゃんは、あたし達の為に怒ってるの! あたし、やっと、わかった気がする!』
『だから、止めないであげて!』
『あたしが、ちゃんと見てるから!』
ネグロを止めようとしたその時に、幽霊の少女がそう告げてその場から消えていった。
ブリッジから飛び出す事はよくある事だった。けれども、今船の何処にもいない、というのは感覚的に理解した。
「……甘くなったな」
自らに対して呆れてしまった。情で判断を鈍らせて船に被害がでればそれこそ、船長として問題だ。
こうなれば、幽霊船は残った人員と協力者で戦闘を続けるしかない。
大きな溜め息ひとつ吐き出して、ルインは新たなデータを出すべくコンソールを叩いた。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
粛々と戦うだけのつもりだった。
相手にどんな崇高な理念があり、どんな大きな目的があろうとも関係は無い。
ネグロの中にあるのは今を生きる人間たちの安寧だ。その為には、世界にとって戦線布告をしてくるジャンク財団を野放しにする事は出来ない。
いつだってそうだ。TsCが全てをめちゃくちゃにしたと信じ続けていたから、TsCの存在を許すことが出来なかった。
もし、真紅連理が力の無い人々に無差別に牙を剥くようになれば、容赦なく力を振るうだろう。
それは、戦いで全てを失った男が最後に残ったちっぽけな自尊心を守る為。自分のような存在を生み出さない為にやっているだけの、自己満足の行為。
己の中にはもう何も戻ってこない事を知っているから。
……それなのに。
『財団の皆は、奪われた者、犠牲を強いられたもの、失ったものばかりだ』
『だから俺たちは奪う。犠牲にする。そして、すべてを破壊する』
『俺たちには、強くなる権利と……妥当性がある』
不意に流れ込んできた声。
これは世界の意志なのだろうか。この言葉を聞いて、奮起しろとでもいうのだろうか――そんなことすら、どうでもよくなるような言葉。
ふざけるな。ふざけるな! ふざけるな!!!
頭の中があっという間に煮え立つのを理解はするが、止められない。止めるつもりがない。
奪われた物が奪い続けた結果が今の世界だ。
奪っても、あらゆるものを踏み台にしても、他の全てを破壊しても、満たされることは無い。
本当に欲しいものは人から奪うことでは手に入らない!けれども、一度それに手を染めてしまえば止める事などできやしない。誰からも何も奪えなくなるまでずっと、ずっと――
「っ、はぁっ、はぁっ、」
ネグロは気付けば操縦棺の中にいた。
操縦レバーをきつく握りしめ、フィルタースーツの中はじっとりと汗をかいている。
ここまで来た記憶が無いが、やろうとしている事はもうわかっている。
身体中を引き裂かんばかりの怒りに満たされているものの、思考まで怒りに支配されていない。考えも無しに暴走している訳では無く、これは思考の末に行われている。
目的地は氷獄。
奪われた、失った、犠牲になった――それが何の権利でもない事を証明しなければならない。
その為にも、あんな事をのたまう輩を――破壊しなければならない。
起動しようとコンソールに手を伸ばすと、ネグロが触れるより先にモニターが点灯する。まるでネグロがやらんとしている事を理解しているかのように、モニターの中では演算と検索が進む。
「……」
グレムリンは思念に応える。その言葉の意味をネグロはわからないままでいた。
そもそもは、この悪鬼が全ての元凶で本来ならばグレムリンという存在こそ、なくなってしまえばいいと考えている。
ほかに手段が無いから、今はこの力を振るわなければならないだけなのだと。
「……悪鬼は応える、か」
漸くその意味の一端を垣間見た気がする。グレムリンはネグロが何をするでもなく、目的地を氷獄に設定していた。
が、それと同時に警告画面が表示される。
「……!」
ネグロはその画面に目を見張った。現れたそれは、僚機設定の解除に対する警告だ。
勝手に組まれたまま、解除することが出来なかった僚機のそれすらも、グレムリンの意思だったのだろうか。
「……」
画面には、解除ボタンが表示されている。ネグロは、黙ってそれに触れる。
この怒りは誰のためでも無い、己のものだ。だからこそ、これを誰かに背負わせる事は出来ない。
今度こそ、許されなくても仕方無い。
「……」
改めて操縦レバーを握り直す。
ゆっくりとグレムリンが動き出した。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
一機いなくなった格納庫を写したモニターを見ながらルインは軽くこめかみを押さえた。
「……」
ブリッジでモニタリングを常にしている船長が、格納庫の異常に気付かない筈は無い。
けれども、止める事が出来なかった。
ネグロが怒りに突き動かされる予感は最初からあった、それでも見逃すことにした――頼まれた、と言えばいいのだろうか。
モニターからブリッジの隅に視線を向ける。この船に乗ってから、いつもうるさいくらいにブリッジを走り回っていた"お客様"の姿も今はない。
『おにいちゃんは、あたし達の為に怒ってるの! あたし、やっと、わかった気がする!』
『だから、止めないであげて!』
『あたしが、ちゃんと見てるから!』
ネグロを止めようとしたその時に、幽霊の少女がそう告げてその場から消えていった。
ブリッジから飛び出す事はよくある事だった。けれども、今船の何処にもいない、というのは感覚的に理解した。
「……甘くなったな」
自らに対して呆れてしまった。情で判断を鈍らせて船に被害がでればそれこそ、船長として問題だ。
こうなれば、幽霊船は残った人員と協力者で戦闘を続けるしかない。
大きな溜め息ひとつ吐き出して、ルインは新たなデータを出すべくコンソールを叩いた。
◆15回更新の日記ログ
祝福された未来など、ありはしないというのに――
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
赤渦での作戦を間近に控え、幽霊船はにわかに慌ただしくなっていく。
乗組員に加えて付近の整備士も呼び、幽霊船から出る三機のグレムリンを万全の状態にするべく整備やパーツの換装を進めていた。
しかし、ネグロが格納庫に向かったのはそういった慌ただしい時間を終えて大分経ってからだった。
体調を気にされるのを嫌った――という訳ではなく、大掛かりな作戦となるだろう次の戦いにおける戦局の確認に、多くの時間を使ったからだ。
大規模な戦闘は巨大未識別機を相手にした時以来ではあったものの、今回は味方となるグレムリンも多い。そこまで不利な戦局とは言わないだろうが、もしもの時の連携を考えれば確認に時間を割くのは仕方の無い事だった。
「……」
重たい扉に手をかけて開く。
ギギ、と扉が錆びた音を鳴らす音だけが大きく響く格納庫は、少し前まで喧騒に包まれていたとは思えない程に静まり返っている。
ルインが腕利きの整備士を呼びつけたという話は聞いてはいたし、ネグロ自身もそれに疑いを持っているわけではない。
ただ、自分の目でも確認しておきたかっただけなのだ。
膝をつくような形で格納庫にいるグレムリンを一度見上げて確認してから、そのフレームに手を伸ばす。
撫でるようにそれに触れながら、ゆっくりと息を吐き出すともう一度グレムリンを見上げた。
ジャンク財団との戦いはすぐには終わらないだろう。次の戦いに勝てたとして、またその次が現れるだけで、解決にはならない。
長期戦、と言えば聞こえはよくなるが要はお互い我慢比べをするのだ。
どちらかが倒れるまで、戦争は続く。
踏みつけにされる者達の事なんてだれも考えていない。剣を納めればチャンスとばかりに貪り尽くされる。
だからこそ、戦いを続けなければならない。剣を抜き、振り上げ、抵抗の意志を見せ続けなければならない。黙ってしまえば、それはもういない事にも等しくなってしまう。
ネグロは無意識にきつく歯を食い縛っていた。
「……ネグロさん?」
「っ、急に話しかけるな」
背後から突如聞こえる呼び声にネグロの肩がぴくりと跳ねた。声の主がレイルであるのを確認にすれば、悪態をつきながら視線を向ける。操縦棺からのそりと見せるその顔は、いつも通りのぼんやりした表情だったが、疲れているのか何処と無く陰りが見えた。
ここ最近は、精力的に船の中で活動しているのをネグロも知っている。今日もブリッジと格納庫を行ったり来たりしていたのを見聞きしていた。疲れた顔をしているのも、仕方のない事なのだろう。
「お疲れ様、ネグロさん」
「お前も、人の事言えない顔してるがな」
「……、そう、かな?」
そうだというのにレイルという男は自分よりも他者の事ばかり気に掛ける。ネグロが皮肉交じりに返した言葉を聞いてもきょとん、とした表情で聞き返してくるレイルに、ネグロは眉根を寄せた。
一言、知らんと切り返してグレムリンに向き直る。
こうして大きな戦いを前にレイルと話をしていると、巨大未識別機との戦いを思い出す。巨大未識別機を相手にする前――この船にいる事に耐えきれず飛び出した時が、随分前にも思える。
あの時レイルから貰った通信が自分の中のひとつの転換点だったのは、もう認めるほか無いのだろう。あの時も、勝手に飛び出した自分に恨み言ひとつも言わずにただ一言心配していると告げて来た。
あの言葉は、ネグロが己を見直す切っ掛けを確かに与えた。
「……チッ」
余計な事を思い出してしまった、と舌打ちをひとつしてからすぐにグレムリンの状態を一通り確認する。確認はすぐに終わる程、グレムリンの状態はしっかりと仕上がっていた。確認する事もなかったのかもしれないが、気になってしまったのだからしょうがない。これで安心して休む事が出来ると内心で安堵の息を吐いた。
あれからレイルも話しかけてこない所をみると、眠りについたのだろうか。ちらり、とそちらに視線を向けた。
「……レイル?」
眠ったかと思っていた姿は、怪訝そうな顔でネグロを――具体的にはネグロの背後を見据えていた。ずっとそうしていたのかどうかまではわからなかったが、ネグロはその視線が気になって思わず自分の背後を確認する。
無機質な格納庫と、そこに鎮座するグレムリンだけが視界に入る。他にはなにもない。
その、一連の流れにあまりにも既視感がある。そう思った時にはもう言葉が先に口から出ていた。
「……お前、見えるのか?」
先日のブリッジでのルインに投げかけた言葉。ルインはこの問いに首を縦に振っていた。この船にいる幽霊が見えている――そして、それはカイト・タックムーアの妹である、と。
「……?」
しかし、レイルの怪訝な表情を見てネグロはまたしても、彼に対して失言してしまったと顔をしかめる。死に近付けば、幽霊を感じられるといったルインの言葉と、一度死に限りなく近付いていたレイル。このふたつが符号する可能性を考えていたが、どうやら思い違いだったらしい。
そもそも、妹の事はルインとネグロしか知らなかったというのに。そんな事すら気にかける事も出来ない程度に、今の自分は必死なのが情けない。
「なんでもねえ」
情けなさごと吐き捨てるように告げると、レイルが何か言いたげな顔をしてきた。が、口に出さないのなら聞くつもりはないと言わんばかりに背中を向ける。
「……邪魔したな」
「ぁ、ネグロ、さん」
「~~~~ッ、なんだ」
格納庫を後にしようとしたところで呼び止められ、ネグロは苛立ちも隠さずにレイルに向き直った。
「今度の戦い、気をつけて」
「チッ、……お前もな」
ふん、と鼻をひとつならして踵を返すとそのまま格納のをあとにした。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
赤渦での作戦を間近に控え、幽霊船はにわかに慌ただしくなっていく。
乗組員に加えて付近の整備士も呼び、幽霊船から出る三機のグレムリンを万全の状態にするべく整備やパーツの換装を進めていた。
しかし、ネグロが格納庫に向かったのはそういった慌ただしい時間を終えて大分経ってからだった。
体調を気にされるのを嫌った――という訳ではなく、大掛かりな作戦となるだろう次の戦いにおける戦局の確認に、多くの時間を使ったからだ。
大規模な戦闘は巨大未識別機を相手にした時以来ではあったものの、今回は味方となるグレムリンも多い。そこまで不利な戦局とは言わないだろうが、もしもの時の連携を考えれば確認に時間を割くのは仕方の無い事だった。
「……」
重たい扉に手をかけて開く。
ギギ、と扉が錆びた音を鳴らす音だけが大きく響く格納庫は、少し前まで喧騒に包まれていたとは思えない程に静まり返っている。
ルインが腕利きの整備士を呼びつけたという話は聞いてはいたし、ネグロ自身もそれに疑いを持っているわけではない。
ただ、自分の目でも確認しておきたかっただけなのだ。
膝をつくような形で格納庫にいるグレムリンを一度見上げて確認してから、そのフレームに手を伸ばす。
撫でるようにそれに触れながら、ゆっくりと息を吐き出すともう一度グレムリンを見上げた。
ジャンク財団との戦いはすぐには終わらないだろう。次の戦いに勝てたとして、またその次が現れるだけで、解決にはならない。
長期戦、と言えば聞こえはよくなるが要はお互い我慢比べをするのだ。
どちらかが倒れるまで、戦争は続く。
踏みつけにされる者達の事なんてだれも考えていない。剣を納めればチャンスとばかりに貪り尽くされる。
だからこそ、戦いを続けなければならない。剣を抜き、振り上げ、抵抗の意志を見せ続けなければならない。黙ってしまえば、それはもういない事にも等しくなってしまう。
ネグロは無意識にきつく歯を食い縛っていた。
「……ネグロさん?」
「っ、急に話しかけるな」
背後から突如聞こえる呼び声にネグロの肩がぴくりと跳ねた。声の主がレイルであるのを確認にすれば、悪態をつきながら視線を向ける。操縦棺からのそりと見せるその顔は、いつも通りのぼんやりした表情だったが、疲れているのか何処と無く陰りが見えた。
ここ最近は、精力的に船の中で活動しているのをネグロも知っている。今日もブリッジと格納庫を行ったり来たりしていたのを見聞きしていた。疲れた顔をしているのも、仕方のない事なのだろう。
「お疲れ様、ネグロさん」
「お前も、人の事言えない顔してるがな」
「……、そう、かな?」
そうだというのにレイルという男は自分よりも他者の事ばかり気に掛ける。ネグロが皮肉交じりに返した言葉を聞いてもきょとん、とした表情で聞き返してくるレイルに、ネグロは眉根を寄せた。
一言、知らんと切り返してグレムリンに向き直る。
こうして大きな戦いを前にレイルと話をしていると、巨大未識別機との戦いを思い出す。巨大未識別機を相手にする前――この船にいる事に耐えきれず飛び出した時が、随分前にも思える。
あの時レイルから貰った通信が自分の中のひとつの転換点だったのは、もう認めるほか無いのだろう。あの時も、勝手に飛び出した自分に恨み言ひとつも言わずにただ一言心配していると告げて来た。
あの言葉は、ネグロが己を見直す切っ掛けを確かに与えた。
「……チッ」
余計な事を思い出してしまった、と舌打ちをひとつしてからすぐにグレムリンの状態を一通り確認する。確認はすぐに終わる程、グレムリンの状態はしっかりと仕上がっていた。確認する事もなかったのかもしれないが、気になってしまったのだからしょうがない。これで安心して休む事が出来ると内心で安堵の息を吐いた。
あれからレイルも話しかけてこない所をみると、眠りについたのだろうか。ちらり、とそちらに視線を向けた。
「……レイル?」
眠ったかと思っていた姿は、怪訝そうな顔でネグロを――具体的にはネグロの背後を見据えていた。ずっとそうしていたのかどうかまではわからなかったが、ネグロはその視線が気になって思わず自分の背後を確認する。
無機質な格納庫と、そこに鎮座するグレムリンだけが視界に入る。他にはなにもない。
その、一連の流れにあまりにも既視感がある。そう思った時にはもう言葉が先に口から出ていた。
「……お前、見えるのか?」
先日のブリッジでのルインに投げかけた言葉。ルインはこの問いに首を縦に振っていた。この船にいる幽霊が見えている――そして、それはカイト・タックムーアの妹である、と。
「……?」
しかし、レイルの怪訝な表情を見てネグロはまたしても、彼に対して失言してしまったと顔をしかめる。死に近付けば、幽霊を感じられるといったルインの言葉と、一度死に限りなく近付いていたレイル。このふたつが符号する可能性を考えていたが、どうやら思い違いだったらしい。
そもそも、妹の事はルインとネグロしか知らなかったというのに。そんな事すら気にかける事も出来ない程度に、今の自分は必死なのが情けない。
「なんでもねえ」
情けなさごと吐き捨てるように告げると、レイルが何か言いたげな顔をしてきた。が、口に出さないのなら聞くつもりはないと言わんばかりに背中を向ける。
「……邪魔したな」
「ぁ、ネグロ、さん」
「~~~~ッ、なんだ」
格納庫を後にしようとしたところで呼び止められ、ネグロは苛立ちも隠さずにレイルに向き直った。
「今度の戦い、気をつけて」
「チッ、……お前もな」
ふん、と鼻をひとつならして踵を返すとそのまま格納のをあとにした。
◆14回更新の日記ログ
祝福された未来など、ありはしないというのに――
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
『お兄ちゃん』
ネグロはまた、夢を見ていた。
暗闇を揺蕩うように横たわることしか出来ない自分と、呼び掛ける妹の声。
見るたびにその声ははっきりと聞こえて、今ではまるで目の前のいるかのような感覚になる。
おぼろけだった姿も、少しだけ輪郭がはっきりしてきた気がする。この先何度もこの夢をみれば――そんな事を考えてしまう。
しかし、そもそもネグロの中にこれは夢であるという認識がはっきりあるという事は、これが"見せられている夢である"という事だ。
(何の目的で、こんな)
夢――意識下に干渉された事は少なからずある。強い思念のせいだったり、世界の意思だったり、グレイヴネットからだったり……この世界には個の意識下に干渉出来るものが少なくはない。
ただ、妹の姿を何度も見せてくるような事の理由はなにも思い付かない。
『お兄ちゃん、あのね』
明確に話しかけてくる声。おぼろげな輪郭ではあるが、動くのがわかった。細い腕が自らの頬に伸ばされるのを感じたネグロは、同じ様に手を伸ばそうとして自らの身体は動かない事を思い出して舌打ちをした。
(……? いや、まて)
右腕に力をこめる。ほんの僅か、その力が指先まで届くのを感じる。
(動く、のか?)
持ち上げようとしてみると、その腕が小刻みに震えながらゆっくりと持ち上がる。
両腕を新生体に付け替えたばかりの頃のリハビリの日々を思い出した。
「……ヒナ、」
掠れた声が漏れる。
頬に伸ばされていた妹の手が、震えるネグロの右腕をぎゅ、と握り締めた……ように見える。
感触がある訳ではない。妹の姿だっておぼろげなままで、自らの手に何かが絡み付いているようにしか見えない。
それでも、その手は自分を握り締めているという確信だけがあった。
夢の中でくらい、そうであって欲しいというわがままなのかもしれないけれど。
――ピリリリ
通信端末の通知音で、夢の中から無理矢理目覚めさせられたネグロは反射的に舌打ちをしつつ、右腕を伸ばして端末を掴もうとする。
「っ、……」
ぴり、と腕に痺れが走り端末を掴み損ねてしまった事にもう一度舌打ちをしてから、あらためて端末を手に取った。
『私だ。……ブリッジに来て貰えるか。少し話がある』
「わかった。すぐに向かう」
端末を切るとネグロは右手を握り締め、問題ない事を確認してから部屋をあとにした。
* * *
ネグロがブリッジに向かうと、ルインがモニターを見ながら何かを話している姿がある。
ただ、何を話しているかまでは聞こえず、そもそも誰かと通信をしているようにも見えず、ネグロは眉を潜めながら近付いていく。
近付けば、何かの状況を確認しているようにも聞こえる。
「……そうか、あまりよくない――」
背後の気配に気付いたルインが、言いかけていた言葉を止めてネグロへと向き直った。
「早かったな」
「……誰と話してんだ? 」
ネグロの言葉に平然としていたルインの眉がぴくりと動いた。どうやら、聞かれていたとは思ってなかったという様子だ。
ルインはちらりとモニターの方を一瞥してから、あらためてネグロを見る。
「"お客様"、とでも言っておこうか?」
「……まあいい、話しはなんだ」
肩をすくめるルインの言葉にネグロはあからさまに苛立ちを覚えつつも、それ以上の追求を止め、自分を呼び出した理由を確認しようとした。
ルインの手がコンソールを滑ると、モニターにはグレイヴネットでも見たジャンク財団の映像が流れる。
協力なグレムリンを携え、世界に宣戦布告をしてきた存在。このあと赤渦でそのうちの一角と戦うことになる。
「頻繁に襲ってくる雑兵とは訳が違うだろう……というのは今さら私が言うまでもないな」
再びルインの手がコンソールを叩く。画面は切り替わり、別のテイマーの姿を写し出した。
「付近のテイマーに協力をもちかけた。広く展開してるのであまり期待はしてなかったのだが」
上手くいけば幽霊船以外のテイマーと協力してジャンク財団のグレムリンと対峙出来るだろう、というルインの話を聞きながらも、ネグロは納得がいかないような態度で相づちだけをうっている。
「……それはわかった。が、わざわざ俺を呼び出したのはそれだけか?」
ある程度話がまとまったところで、ネグロはじろりとルインを睨み付けた。
確かにこのあとの戦いについての確認は大切だろう。
レイルやツィールは決して弱いテイマーではない。しかし、多くの実戦経験のあるネグロが最も戦場を理解するのに適任である事も事実だ。
だが、それはネグロ1人を呼び出す理由にはならない。
……少なくとも、ネグロの中では。
ルインはすぐには答えない。どう話すべきか思案するような様子を見たのははじめてだった。
ネグロはルインの返答を待ちながら、ブリッジ内をぐるりと見る。一番近くにある電源の切れたモニターには、相変わらず陰鬱とした顔の男が写る。
「……?」
その後ろに何かが通ったように見えて、ネグロは思わず後ろを振り返った。
そこには、なにもいない。
ネグロの様子に気が付いたルインが、眼鏡を指で押し上げながら、ゆっくりと口を開いた。
「私から言うつもりは、なかったのだが……この船が何故幽霊船と名乗るか、わかるか?」
「……船の墓場だからだろう?」
ルインの唐突な問いかけに、ネグロは訝りながらも答えを返す。
機能を失った船の寄せ集め。船の亡霊、ネグロが幽霊船に抱いていたのはそういう印象だった。
「なるほど、その側面もあるだろうが……言葉の通りでもある。この船は、幽霊を乗せる船だ」
「……何が言いたい?」
ネグロの胸の中にまさか、という言葉が浮かび上がると同時に、右腕が再びわずかに痛む。
動揺にも近いそれを、ルインが見逃す筈もなかった。
「……身に覚えがないか?」
「……」
そう、いつものネグロならば幽霊の話など、そんなものは荒唐無稽な話で聞く耳を持つ事はない。
だからこそルインもわざわざネグロにその話をするつもりは無かった。
けれども今のネグロはそれを否定しない。
話を続けるにはそれで十分だった。
「"お客様"が、いると言っただろう?」
「……」
「今もここに、"お客様"はいる。お前の事を、この船に来た時からずっと見ている」
ネグロは何も言えなくなっていた。己の心臓が一際大きく脈打つ音がやけに耳に響いてくる。
あの夢は、夢ではないというのだろうか。手を伸ばせば、届くのだろうか。
「……いるのか」
「お前の名前も、随分はやくに教えてくれたよ。カイトお兄ちゃん、とな」
「……ヒナ、」
いつだかルインは、ネグロの本当の名前――カイト・タックムーア――を調べたと言っていた。
あの話は半分は嘘だったのだ。
カイトという名前を先に知って、それに紐付けた彼の情報を調べたに過ぎない。
ネグロの視線が、無意識に何も写さないモニターをもう一度見る。
そこには写りこむ自分の背後に"何か"がいる。
当然、振り返ってもネグロには見えない。
「……、見えるのか、お前には」
ネグロは暫し、誰もいない背後を見つめてから視線をルインに向けて尋ねる。その真剣な声色には、最早、幽霊という存在を認めたというに相応しいものだった。
ルインはネグロの背後を一瞥すると頷いて見せる。
「代理とはいえ、幽霊船を任されるからには、そういう素養も考えられていたということだ」
ルインはもっともらしい事を言ってくるが、それが事実かどうかはわからないし、もうどうでもいい事だった。
ネグロは震える手で頭を掻きむしった。
「……気を付けるんだな。どういう形であれ感知が出来たということは、それだけお前が死に近いという証左でもある」
「……」
ネグロはルインの言葉もそこそこに、無言で背を向けるとブリッジを後にした。
自室までの通路を歩きながら、ぐるぐると思考がまわる。
未識別機体には死んだ傭兵の亡霊がいたという話があった。結局、その正体は世界の不具合によって出来た死者のバグのような存在だった。
同じ言葉を何度も繰り返すだけの、とても自我のあるようには見えないなれの果て、それが亡霊の正体だ。
「……」
自室に身体を滑り込ませて、ベッドに身体を投げ出すように転がる。
何もない天井を見ながら、思考は未だ渦を巻く。
少なくとも、夢で見た妹の姿は自我の無い、生前の行動を繰り返すだけの姿には見えなかった。
ただ、ではその幽霊が本物なのかどうかは確かめる術はない。
レイルのように、思念の声でも聞こえるならば言葉くらいは聞こえたのかもしれないが、ネグロにはそんな力はない。全てが仮定の話だ。
ただ、もしも今もここにいるのならこんな姿は見せたくなかった。
ごめんな、と口の中で呟いてそのまま思考を切るように目を閉じた。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
『お兄ちゃん』
ネグロはまた、夢を見ていた。
暗闇を揺蕩うように横たわることしか出来ない自分と、呼び掛ける妹の声。
見るたびにその声ははっきりと聞こえて、今ではまるで目の前のいるかのような感覚になる。
おぼろけだった姿も、少しだけ輪郭がはっきりしてきた気がする。この先何度もこの夢をみれば――そんな事を考えてしまう。
しかし、そもそもネグロの中にこれは夢であるという認識がはっきりあるという事は、これが"見せられている夢である"という事だ。
(何の目的で、こんな)
夢――意識下に干渉された事は少なからずある。強い思念のせいだったり、世界の意思だったり、グレイヴネットからだったり……この世界には個の意識下に干渉出来るものが少なくはない。
ただ、妹の姿を何度も見せてくるような事の理由はなにも思い付かない。
『お兄ちゃん、あのね』
明確に話しかけてくる声。おぼろげな輪郭ではあるが、動くのがわかった。細い腕が自らの頬に伸ばされるのを感じたネグロは、同じ様に手を伸ばそうとして自らの身体は動かない事を思い出して舌打ちをした。
(……? いや、まて)
右腕に力をこめる。ほんの僅か、その力が指先まで届くのを感じる。
(動く、のか?)
持ち上げようとしてみると、その腕が小刻みに震えながらゆっくりと持ち上がる。
両腕を新生体に付け替えたばかりの頃のリハビリの日々を思い出した。
「……ヒナ、」
掠れた声が漏れる。
頬に伸ばされていた妹の手が、震えるネグロの右腕をぎゅ、と握り締めた……ように見える。
感触がある訳ではない。妹の姿だっておぼろげなままで、自らの手に何かが絡み付いているようにしか見えない。
それでも、その手は自分を握り締めているという確信だけがあった。
夢の中でくらい、そうであって欲しいというわがままなのかもしれないけれど。
――ピリリリ
通信端末の通知音で、夢の中から無理矢理目覚めさせられたネグロは反射的に舌打ちをしつつ、右腕を伸ばして端末を掴もうとする。
「っ、……」
ぴり、と腕に痺れが走り端末を掴み損ねてしまった事にもう一度舌打ちをしてから、あらためて端末を手に取った。
『私だ。……ブリッジに来て貰えるか。少し話がある』
「わかった。すぐに向かう」
端末を切るとネグロは右手を握り締め、問題ない事を確認してから部屋をあとにした。
* * *
ネグロがブリッジに向かうと、ルインがモニターを見ながら何かを話している姿がある。
ただ、何を話しているかまでは聞こえず、そもそも誰かと通信をしているようにも見えず、ネグロは眉を潜めながら近付いていく。
近付けば、何かの状況を確認しているようにも聞こえる。
「……そうか、あまりよくない――」
背後の気配に気付いたルインが、言いかけていた言葉を止めてネグロへと向き直った。
「早かったな」
「……誰と話してんだ? 」
ネグロの言葉に平然としていたルインの眉がぴくりと動いた。どうやら、聞かれていたとは思ってなかったという様子だ。
ルインはちらりとモニターの方を一瞥してから、あらためてネグロを見る。
「"お客様"、とでも言っておこうか?」
「……まあいい、話しはなんだ」
肩をすくめるルインの言葉にネグロはあからさまに苛立ちを覚えつつも、それ以上の追求を止め、自分を呼び出した理由を確認しようとした。
ルインの手がコンソールを滑ると、モニターにはグレイヴネットでも見たジャンク財団の映像が流れる。
協力なグレムリンを携え、世界に宣戦布告をしてきた存在。このあと赤渦でそのうちの一角と戦うことになる。
「頻繁に襲ってくる雑兵とは訳が違うだろう……というのは今さら私が言うまでもないな」
再びルインの手がコンソールを叩く。画面は切り替わり、別のテイマーの姿を写し出した。
「付近のテイマーに協力をもちかけた。広く展開してるのであまり期待はしてなかったのだが」
上手くいけば幽霊船以外のテイマーと協力してジャンク財団のグレムリンと対峙出来るだろう、というルインの話を聞きながらも、ネグロは納得がいかないような態度で相づちだけをうっている。
「……それはわかった。が、わざわざ俺を呼び出したのはそれだけか?」
ある程度話がまとまったところで、ネグロはじろりとルインを睨み付けた。
確かにこのあとの戦いについての確認は大切だろう。
レイルやツィールは決して弱いテイマーではない。しかし、多くの実戦経験のあるネグロが最も戦場を理解するのに適任である事も事実だ。
だが、それはネグロ1人を呼び出す理由にはならない。
……少なくとも、ネグロの中では。
ルインはすぐには答えない。どう話すべきか思案するような様子を見たのははじめてだった。
ネグロはルインの返答を待ちながら、ブリッジ内をぐるりと見る。一番近くにある電源の切れたモニターには、相変わらず陰鬱とした顔の男が写る。
「……?」
その後ろに何かが通ったように見えて、ネグロは思わず後ろを振り返った。
そこには、なにもいない。
ネグロの様子に気が付いたルインが、眼鏡を指で押し上げながら、ゆっくりと口を開いた。
「私から言うつもりは、なかったのだが……この船が何故幽霊船と名乗るか、わかるか?」
「……船の墓場だからだろう?」
ルインの唐突な問いかけに、ネグロは訝りながらも答えを返す。
機能を失った船の寄せ集め。船の亡霊、ネグロが幽霊船に抱いていたのはそういう印象だった。
「なるほど、その側面もあるだろうが……言葉の通りでもある。この船は、幽霊を乗せる船だ」
「……何が言いたい?」
ネグロの胸の中にまさか、という言葉が浮かび上がると同時に、右腕が再びわずかに痛む。
動揺にも近いそれを、ルインが見逃す筈もなかった。
「……身に覚えがないか?」
「……」
そう、いつものネグロならば幽霊の話など、そんなものは荒唐無稽な話で聞く耳を持つ事はない。
だからこそルインもわざわざネグロにその話をするつもりは無かった。
けれども今のネグロはそれを否定しない。
話を続けるにはそれで十分だった。
「"お客様"が、いると言っただろう?」
「……」
「今もここに、"お客様"はいる。お前の事を、この船に来た時からずっと見ている」
ネグロは何も言えなくなっていた。己の心臓が一際大きく脈打つ音がやけに耳に響いてくる。
あの夢は、夢ではないというのだろうか。手を伸ばせば、届くのだろうか。
「……いるのか」
「お前の名前も、随分はやくに教えてくれたよ。カイトお兄ちゃん、とな」
「……ヒナ、」
いつだかルインは、ネグロの本当の名前――カイト・タックムーア――を調べたと言っていた。
あの話は半分は嘘だったのだ。
カイトという名前を先に知って、それに紐付けた彼の情報を調べたに過ぎない。
ネグロの視線が、無意識に何も写さないモニターをもう一度見る。
そこには写りこむ自分の背後に"何か"がいる。
当然、振り返ってもネグロには見えない。
「……、見えるのか、お前には」
ネグロは暫し、誰もいない背後を見つめてから視線をルインに向けて尋ねる。その真剣な声色には、最早、幽霊という存在を認めたというに相応しいものだった。
ルインはネグロの背後を一瞥すると頷いて見せる。
「代理とはいえ、幽霊船を任されるからには、そういう素養も考えられていたということだ」
ルインはもっともらしい事を言ってくるが、それが事実かどうかはわからないし、もうどうでもいい事だった。
ネグロは震える手で頭を掻きむしった。
「……気を付けるんだな。どういう形であれ感知が出来たということは、それだけお前が死に近いという証左でもある」
「……」
ネグロはルインの言葉もそこそこに、無言で背を向けるとブリッジを後にした。
自室までの通路を歩きながら、ぐるぐると思考がまわる。
未識別機体には死んだ傭兵の亡霊がいたという話があった。結局、その正体は世界の不具合によって出来た死者のバグのような存在だった。
同じ言葉を何度も繰り返すだけの、とても自我のあるようには見えないなれの果て、それが亡霊の正体だ。
「……」
自室に身体を滑り込ませて、ベッドに身体を投げ出すように転がる。
何もない天井を見ながら、思考は未だ渦を巻く。
少なくとも、夢で見た妹の姿は自我の無い、生前の行動を繰り返すだけの姿には見えなかった。
ただ、ではその幽霊が本物なのかどうかは確かめる術はない。
レイルのように、思念の声でも聞こえるならば言葉くらいは聞こえたのかもしれないが、ネグロにはそんな力はない。全てが仮定の話だ。
ただ、もしも今もここにいるのならこんな姿は見せたくなかった。
ごめんな、と口の中で呟いてそのまま思考を切るように目を閉じた。
◆13回更新の日記ログ
祝福された未来の為に己を犠牲にするのは――駄目な事なのだろうか。
* * *
「……」
継ぎ接ぎ幽霊船は、赤渦に進路を取り赤靄の海を進んでいる。
「……」
モニターで海路や情報を確認していたルインは手を止めて、無意識に息を吐いた。
ジャンク財団の基地の襲撃を目的とする事が本当に正しいのかはわからない。
ただ、この世界の流れに逆らう術は個人が持ち得るものでは無いだろう事は理解していた。
エイゼルからの襲撃騒動も収まり、少しずつ船の中は落ち着きを取り戻し始めていた。
ただ、それは浮き彫りになった問題が解決した訳ではない。
特に気になるのはスリーピング・レイルの事だ。
ネグロとエイゼルの証言による、絶命からの蘇生。ネグロからはレイルの首筋にある索条痕の話も聞いた。
記憶喪失の原因がそこにあるのか、そもそも記憶を操作されたのか。
スリーピング・レイル、という言葉が示すのは昔にそういったプロジェクトがあったという事だけでそれ以外の情報は、未だ出てこない。
「……全く」
エイゼルの処遇についても、特にネグロはいい顔をしていない。一度、ブリッジにまで詰め寄られたのは記憶に新しい。
『監視するならしっかりやってくれよ、艦長さんよ』
吐き捨てるような言葉を思い出すと、何度目かわからない溜め息が出る。
船は進路を正しく進む。けれども、その船の中が本当の落ち着きを取り戻すのはまだ少し先の話だ。
* * *
ネグロは自室のベッドの上で微睡んでいた。眠気と気怠さ邪魔されて、身体がまともに動かない。ぼんやりと部屋にある時計で時間を確認して、いつも格納庫に向かう時間が過ぎている事に気が付いた。
「……」
のっそりと身体を起こして、ベッドから立ち上がると工具箱を手にして部屋を出ていこうとしたその瞬間――
「っ、あ、ネグロ、さん」
「……エリエス?」
ネグロが開けるよりもはやくドアが開くと、そこにはエリエスの姿があった。格納庫に来なかった事を心配されたようだ。
「ごめんね。もしかしたら、体調悪いんじゃないかと思って」
「……少しな」
ぼさぼさの頭を乱雑に掻きながらネグロは小さく息を吐いた。手にしていた工具箱を置いて、ベッドの方に戻り腰かけるとそれをぽかん、と見ていたエリエスを手招きした。
「話がある」
「……私に?」
驚いた顔で確認するエリエスに頷いて見せると、はやく、と急かすように声をかける。
その声にエリエスはごめんなさい、と謝りながらネグロの部屋に身体を滑り込ませた。
薄暗く殺風景な部屋は、人の部屋というよりは倉庫に近い。
エリエスは物珍しそうに室内を見渡した。
「椅子、座っていいぞ」
部屋にひとつある事務椅子のようなものを指し示してみせる。
エリエスは小さく頭を下げてからその椅子に腰を掛けてネグロと向かい合った。
「ありがとう、……それで、話って」
「……最近、大丈夫か」
エリエスはそのネグロの言葉に、再び目を丸くしてなんども瞬かせた。心配されるだなんて少しも考えていなかったのだろう事はすぐに見てわかった。
「べつに、大丈夫だよ。ネグロさんよりは、元気だし」
エリエスは冗談めかしながら、笑みを浮かべてみせる。
人の心の機微に鈍い自覚のあるネグロですら、それが強がりであることは見てとれた。
大方、心配させたくないと言ったところなのだろう等と考えつつ、ネグロはエリエスをじろりと見つめると口の中で舌打ちをした。
「はぐらかすなよ」
強がりを求めている訳ではない。
ネグロがあの、幽霊船の騒動の時に触れたボリスの枯れ枝のような腕や、あまりにも軽すぎる肉体の感触。
ボリスの世話をしていたエリエスも、それはよく知っていた筈だ。日々弱りつつある姿に、覚悟はある程度あったのだろう。
だが、覚悟ひとつで耐えられる程軽いものではない筈なのだ。
エリエスはボリスに拾われた事で少なからず救われている。その後の生活も含めて、本来であれば整備なんて出来る心境ではないだろう。
ネグロの言葉を聞いた途端に、エリエスの顔から笑顔が消えてわずかに俯いた。
「……元気は、あるよ。大丈夫なのも、本当……覚悟がなかった訳じゃ、ないから」
ぽつり、とエリエスの口から言葉がこぼれていくのをネグロは黙って見つめている。
「……でも、やっぱりまだまだ、寂しいよ」
「……ボリスは、お前の事心配してたんだよ」
「えっ」
驚いた声をあげたエリエスが顔をあげてネグロを見る。
ボリスとそこまで関係があるとは思われてなかったのだろう。
「最初にお前達の事を頼まれた後も、個人的にボリスとは会ってた。最初は、同情とか馴れ合いみたいなモンだった」
ボリスに対しては七月戦役を知る人間がいた事や、真紅連理にたという話から、少なからず仲間意識を持っていた。
お互いの過去の話を何度かしたり、他愛のない話をしたり……その中でボリスは何度か自らが亡くなった後のエリエスの事を心配していた。
「その時に、ボリスと私の事も話してたの?」
「時々な」
ぽつりと答えるネグロを見て、エリエスは知らないところで自分の話がされていた事になんともいえないむず痒さみたいのを感じて、頬を軽く掻いた。
「失う辛さは知ってるつもりだ。だから、俺個人としても多少気にはしていた」
「ネグロさん……」
ネグロはエリエスの声がわずかに上擦るのを感じながら、ほんの少し眉根を寄せた。
彼女のせいでは無い。
都合よく仲間面する自分が気に食わないのだ。あれほど、捨てて欲しいと思っていた癖に。
苛立ちを抑えこむように深呼吸をしてから、再び口を開く。
「……無理はするな、整備ならこの後俺がやるから」
「うん、ありがとう……優しいんだね。ネグロさん」
「……気のせいだ」
「そんなことないよ。私、今日ネグロさんを迎えにいったら余計なお世話!って怒られるかと心配だったんだ」
ネグロは片眉を吊り上げてエリエスを見ると、彼女は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。
ただ、それになにか文句を言う気はとくになくてわざとらしくため息を吐くとエリエスの方から小さくごめんね、と聞こえてきた。
「でも、大丈夫。じっとしてる方が落ち込んじゃうし」
少し強がりにも見える笑みを浮かべてエリエスは立ち上がり、ぐ、と伸びをする。
それが、涙を飲み込む仕草に見えてネグロは先ほどのごめんという言葉に幾つかの意味があった事に気付いた。
まだ辛くてもそれでもふたつの足で立ち上がる少女をネグロは見上げる。
「……ネグロさん、あのさ」
「なんだ」
「失う辛さは知ってるって言ったよね」
「……ああ」
エリエスが何故改まってそんな事を確認してくるのかネグロにはわからなかった。
訝しげに彼女の姿を見上げながら、首をかしげる。
エリエスは目を細めて、ほんの少し遠くを、もうここにはいない人を見る。
「……私はね、この船の人にはもう、誰もいなくなって欲しくないから」
「……」
「ネグロさんなら、わかってくれるよね」
エリエスは視線をネグロに戻しながらそう尋ねるが、ネグロはその言葉に何も返すことは出来なかった。
真っ直ぐ向けられた視線が耐えられず、わずかに視線を反らす。
それを見たエリエスはわずかに苦笑してから「私、行くね」と声をかけてそのまま部屋をあとにした。
「……」
ネグロは去っていく姿を見送りも出来ずに黙って床を見続けている。ずっと見たところで、何もかわらず、何もわかることはない。
エリエスの言う、“もう誰も失ないたくない”という気持ちはよくわかる。けれども、その中に自分がいるなんてことは考えたこともなかった。
――かつて、100の悪鬼が世界と戦い滅ぼした。
不意に、ジャンク財団の言葉が頭を駆け巡る。その悪鬼の恐ろしさはよく知っていたからこそ、その悪鬼を相手にそう言いきる事に恐ろしいものを感じた。
戦いがこれ以上激化する事が予測される。ならば、本来ならミアやエリエスのような若者は戦地より離れた工廠で降りるべきだとすら思う。
「……」
手のひらを何度か握って開いてを繰り返す。寝ぼけた頭はもうすっかり覚めていた。
一旦置いた工具箱を手を取り、立ち上がると小さく息を吐いた。
いつの時代も誰かが戦火を運んでくる。戦いに呑まれた人間は戦い続ける事しか出来なくなる。
本当は、静かに暮らせたらそれでよかったなんて事は思い出さなくてもよかったのに。
「……」
小さく苦笑する。
確かに、大人しくしている方がろくな事を考えてしまうな、と。
工具箱を持ち直して、部屋を後にする。廊下に足音がひとつ響いて、静かに部屋のドアが閉まった。
* * *
「……」
継ぎ接ぎ幽霊船は、赤渦に進路を取り赤靄の海を進んでいる。
「……」
モニターで海路や情報を確認していたルインは手を止めて、無意識に息を吐いた。
ジャンク財団の基地の襲撃を目的とする事が本当に正しいのかはわからない。
ただ、この世界の流れに逆らう術は個人が持ち得るものでは無いだろう事は理解していた。
エイゼルからの襲撃騒動も収まり、少しずつ船の中は落ち着きを取り戻し始めていた。
ただ、それは浮き彫りになった問題が解決した訳ではない。
特に気になるのはスリーピング・レイルの事だ。
ネグロとエイゼルの証言による、絶命からの蘇生。ネグロからはレイルの首筋にある索条痕の話も聞いた。
記憶喪失の原因がそこにあるのか、そもそも記憶を操作されたのか。
スリーピング・レイル、という言葉が示すのは昔にそういったプロジェクトがあったという事だけでそれ以外の情報は、未だ出てこない。
「……全く」
エイゼルの処遇についても、特にネグロはいい顔をしていない。一度、ブリッジにまで詰め寄られたのは記憶に新しい。
『監視するならしっかりやってくれよ、艦長さんよ』
吐き捨てるような言葉を思い出すと、何度目かわからない溜め息が出る。
船は進路を正しく進む。けれども、その船の中が本当の落ち着きを取り戻すのはまだ少し先の話だ。
* * *
ネグロは自室のベッドの上で微睡んでいた。眠気と気怠さ邪魔されて、身体がまともに動かない。ぼんやりと部屋にある時計で時間を確認して、いつも格納庫に向かう時間が過ぎている事に気が付いた。
「……」
のっそりと身体を起こして、ベッドから立ち上がると工具箱を手にして部屋を出ていこうとしたその瞬間――
「っ、あ、ネグロ、さん」
「……エリエス?」
ネグロが開けるよりもはやくドアが開くと、そこにはエリエスの姿があった。格納庫に来なかった事を心配されたようだ。
「ごめんね。もしかしたら、体調悪いんじゃないかと思って」
「……少しな」
ぼさぼさの頭を乱雑に掻きながらネグロは小さく息を吐いた。手にしていた工具箱を置いて、ベッドの方に戻り腰かけるとそれをぽかん、と見ていたエリエスを手招きした。
「話がある」
「……私に?」
驚いた顔で確認するエリエスに頷いて見せると、はやく、と急かすように声をかける。
その声にエリエスはごめんなさい、と謝りながらネグロの部屋に身体を滑り込ませた。
薄暗く殺風景な部屋は、人の部屋というよりは倉庫に近い。
エリエスは物珍しそうに室内を見渡した。
「椅子、座っていいぞ」
部屋にひとつある事務椅子のようなものを指し示してみせる。
エリエスは小さく頭を下げてからその椅子に腰を掛けてネグロと向かい合った。
「ありがとう、……それで、話って」
「……最近、大丈夫か」
エリエスはそのネグロの言葉に、再び目を丸くしてなんども瞬かせた。心配されるだなんて少しも考えていなかったのだろう事はすぐに見てわかった。
「べつに、大丈夫だよ。ネグロさんよりは、元気だし」
エリエスは冗談めかしながら、笑みを浮かべてみせる。
人の心の機微に鈍い自覚のあるネグロですら、それが強がりであることは見てとれた。
大方、心配させたくないと言ったところなのだろう等と考えつつ、ネグロはエリエスをじろりと見つめると口の中で舌打ちをした。
「はぐらかすなよ」
強がりを求めている訳ではない。
ネグロがあの、幽霊船の騒動の時に触れたボリスの枯れ枝のような腕や、あまりにも軽すぎる肉体の感触。
ボリスの世話をしていたエリエスも、それはよく知っていた筈だ。日々弱りつつある姿に、覚悟はある程度あったのだろう。
だが、覚悟ひとつで耐えられる程軽いものではない筈なのだ。
エリエスはボリスに拾われた事で少なからず救われている。その後の生活も含めて、本来であれば整備なんて出来る心境ではないだろう。
ネグロの言葉を聞いた途端に、エリエスの顔から笑顔が消えてわずかに俯いた。
「……元気は、あるよ。大丈夫なのも、本当……覚悟がなかった訳じゃ、ないから」
ぽつり、とエリエスの口から言葉がこぼれていくのをネグロは黙って見つめている。
「……でも、やっぱりまだまだ、寂しいよ」
「……ボリスは、お前の事心配してたんだよ」
「えっ」
驚いた声をあげたエリエスが顔をあげてネグロを見る。
ボリスとそこまで関係があるとは思われてなかったのだろう。
「最初にお前達の事を頼まれた後も、個人的にボリスとは会ってた。最初は、同情とか馴れ合いみたいなモンだった」
ボリスに対しては七月戦役を知る人間がいた事や、真紅連理にたという話から、少なからず仲間意識を持っていた。
お互いの過去の話を何度かしたり、他愛のない話をしたり……その中でボリスは何度か自らが亡くなった後のエリエスの事を心配していた。
「その時に、ボリスと私の事も話してたの?」
「時々な」
ぽつりと答えるネグロを見て、エリエスは知らないところで自分の話がされていた事になんともいえないむず痒さみたいのを感じて、頬を軽く掻いた。
「失う辛さは知ってるつもりだ。だから、俺個人としても多少気にはしていた」
「ネグロさん……」
ネグロはエリエスの声がわずかに上擦るのを感じながら、ほんの少し眉根を寄せた。
彼女のせいでは無い。
都合よく仲間面する自分が気に食わないのだ。あれほど、捨てて欲しいと思っていた癖に。
苛立ちを抑えこむように深呼吸をしてから、再び口を開く。
「……無理はするな、整備ならこの後俺がやるから」
「うん、ありがとう……優しいんだね。ネグロさん」
「……気のせいだ」
「そんなことないよ。私、今日ネグロさんを迎えにいったら余計なお世話!って怒られるかと心配だったんだ」
ネグロは片眉を吊り上げてエリエスを見ると、彼女は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。
ただ、それになにか文句を言う気はとくになくてわざとらしくため息を吐くとエリエスの方から小さくごめんね、と聞こえてきた。
「でも、大丈夫。じっとしてる方が落ち込んじゃうし」
少し強がりにも見える笑みを浮かべてエリエスは立ち上がり、ぐ、と伸びをする。
それが、涙を飲み込む仕草に見えてネグロは先ほどのごめんという言葉に幾つかの意味があった事に気付いた。
まだ辛くてもそれでもふたつの足で立ち上がる少女をネグロは見上げる。
「……ネグロさん、あのさ」
「なんだ」
「失う辛さは知ってるって言ったよね」
「……ああ」
エリエスが何故改まってそんな事を確認してくるのかネグロにはわからなかった。
訝しげに彼女の姿を見上げながら、首をかしげる。
エリエスは目を細めて、ほんの少し遠くを、もうここにはいない人を見る。
「……私はね、この船の人にはもう、誰もいなくなって欲しくないから」
「……」
「ネグロさんなら、わかってくれるよね」
エリエスは視線をネグロに戻しながらそう尋ねるが、ネグロはその言葉に何も返すことは出来なかった。
真っ直ぐ向けられた視線が耐えられず、わずかに視線を反らす。
それを見たエリエスはわずかに苦笑してから「私、行くね」と声をかけてそのまま部屋をあとにした。
「……」
ネグロは去っていく姿を見送りも出来ずに黙って床を見続けている。ずっと見たところで、何もかわらず、何もわかることはない。
エリエスの言う、“もう誰も失ないたくない”という気持ちはよくわかる。けれども、その中に自分がいるなんてことは考えたこともなかった。
――かつて、100の悪鬼が世界と戦い滅ぼした。
不意に、ジャンク財団の言葉が頭を駆け巡る。その悪鬼の恐ろしさはよく知っていたからこそ、その悪鬼を相手にそう言いきる事に恐ろしいものを感じた。
戦いがこれ以上激化する事が予測される。ならば、本来ならミアやエリエスのような若者は戦地より離れた工廠で降りるべきだとすら思う。
「……」
手のひらを何度か握って開いてを繰り返す。寝ぼけた頭はもうすっかり覚めていた。
一旦置いた工具箱を手を取り、立ち上がると小さく息を吐いた。
いつの時代も誰かが戦火を運んでくる。戦いに呑まれた人間は戦い続ける事しか出来なくなる。
本当は、静かに暮らせたらそれでよかったなんて事は思い出さなくてもよかったのに。
「……」
小さく苦笑する。
確かに、大人しくしている方がろくな事を考えてしまうな、と。
工具箱を持ち直して、部屋を後にする。廊下に足音がひとつ響いて、静かに部屋のドアが閉まった。
◆12回更新の日記ログ
多くのテイマーは思念制御識を利用してグレムリンに思い思いのパーツを組み込んでいる。
この制御識という力は超常の力であり、これを持たなければ戦線で生き残るのは難しくなるだろう力だ。だが、超常の力を使いこなせているというのはそもそもテイマーの思い込みなのかもしれない。
「……」
『ネグロ、聞こえているのか?』
「……、ああ、周囲に敵はいない」
『わかった。すぐ帰艦してくれ』
「了解」
何度かルインに呼ばれていたらしい事に気付けば、平静を取り繕って返事をする。そこに何かを言われる事はなかったが失態だったな、と思いながら通信を切りネグロは深く重い息を吐いた。通信を聞き逃す程、別の事に思考を割くなどという事は今まで殆どなかったというのに。
「チッ」
余計な事を考える余裕が出来たと喜べたら、そもそもこんな風に悩む事も無いのだろう。
ごちゃごちゃとした思考に一度舌打ちをしてから気持ちを切り替える。
モニターで幽霊船の位置を確認して、座標を登録すればグレムリンは即座に自動航行を開始した。
操縦レバーから手を離して、シートに深く座り背もたれによしかかる。
最近、戦闘の激化に伴って重い疲労に襲われる事が増えてきた。今も、その疲労に抗えないままゆっくりと意識が落ちていった。
『……ちゃん、』
(ああ、まただ)
そんな時、ネグロは決まって同じ夢を見る。
『おに……ちゃ、』
呼び掛けてくる声は、遠い昔の記憶に繋がっていく。
ピンク色のバンダナを渡して、にっこりと笑顔を向けてくれた、一番下の妹。
『おにい、ちゃん』
(ヒナ……)
その姿は、おぼろげではっきり見ることは出来ない。最初は、声も不鮮明だったが夢を見るたびに鮮明になっていた。
今では、その声がはっきりと妹である事がわかる。声色から、自分を心配しているような感情も伝わってくる。
(……ごめんな。心配させて)
ただ、その夢でネグロは何かを出来る訳ではない。声が聞こえるだけで自分から発せられる訳でもなければ、身体が動く訳でもない。
夢とはいえど心配させてしまっている、という事実に対するなんともいえない気持ちに苛まれ続けるだけだった。
「……クソッ」
悪態ひとつ吐きながら、夢から覚める。
何故、何度も同じ夢を見るのか。自分の身を案じる妹、というイメージが何処から出てきたのか。
思念が何かを見せようとしている意図は感じるが、それを読み取ることは出来ない。わからない事を考え続けても仕方無い。思考を止めて、モニターへ視線を持つ向けた。
既に機体は目的地付近まで来ている事を確認すれば、手動に切り替え機体を幽霊船の格納庫に納めた。グレムリンの稼働が完全に停止するのを確認してから操縦棺から降りたネグロは、丁度側にいたエリエスと視線が合う。
いつもであれば、すぐに声をかけるなりしてくる筈の彼女が目を丸くして自分を見てくる姿にしかめ面でなんだ、と声をかけた。
「血、大丈夫?」
「血? ……ああ、もう止まってる」
操縦棺から降りたネグロの顔ははバンダナの下から滲んできた血で赤く染まっている。
その様子を恐る恐る指差して告げるエリエスだったが、当のネグロは殆ど気にする事なくバンダナを外して、手で乱雑に額を拭う。乾きかけの血がうっすら伸びた下に見える皮膚には元々のあった傷痕以外に真新しいものは無く、エリエスはますます訝しげな顔をする。
ネグロは眉を寄せて小さく溜め息を吐くと、面倒くさそうに頭を掻いた。
「……よくなるんだ、気にするな」
「気にするな、って……」
「……誰かに言うなよ」
気になるけど、とまだ首をかしげるエリエスにひとつだけ釘をさせばネグロは話も半ばに歩き始めた。
「あ! ネグロさん、ご飯は!」
「……あとでいい」
足早に去る背中に投げ掛けられた言葉には軽く手を振って応えた。
格納庫を出て真っ直ぐに自室へと向かう途中で足がふらついて、通路の壁で身体を支える。帰路についていた頃から、どうにも倦怠感が身体につきまとっていた。やはり、自分が思う以上に身体に疲労が蓄積しているのだろう。わかった所で、改善策は無い。舌打ちをひとつして、歩き直すと自室へと文字通り転がり込んだ。
バンダナをサイドボードに置いたあとは、パイロットスーツも脱がずに固いベッドに身を預けて、目を閉じる。
どうにも身体が言うことを聞かない原因はわかっている。思念制御識だ。
ネグロが使用しているのは、高速、またはそれ以上の速度で戦う為の未来の制御識と、放射光で敵を破壊する為の祝福の制御識だ。とくに、祝福の制御識は身体と精神の限界を越える力を与えるという。ネグロの思念の根幹にあるのは怒りであり、限界を越えるほどの怒りが身体への大きな負担となっている。かといって、今さら制御識を縛るような戦い方を模索している余裕はない。
戦いは苛烈になり、次なる大規模な作戦の話も出て来ている。幽霊船を離れていた巨大未識別の時とは違って、幽霊船全体で作戦への参加をするだろう、という話は既に耳に入っている。そこで、足を引っ張る訳にもいかない。
「……ひでえ顔……いや、前からか」
そのままでは眠ってしまいそうになってしまう。どうにかベッドから起き上がると部屋に置いてある姿見と視線があう。そこにいるのは、乾いた血で汚れたのをほったらかしたままの、疲れきった顔をしている中年男。
このまま、制御識を使い続けたらどうなるのだろうかと考えた事は少なくはない。そしてその思いは、レイルが目の前で生き返ったのを見てから尚更強くなった。
あの日見たレイルの姿、あれは仮死状態から蘇生したなんて話ではない。目の前で、不自然に生命活動を再開していた。
傷跡の制御識は、その使用者が不死身となり致命を負う手前で踏みとどまれると言われている。レイルという人間が特殊である可能性もあるが、それを差し引いても制御識が与える影響の強さを考えてしまう。
人を理を越えて生かす事が可能ならば、その逆もまた可能なのだろう。
そもそも、制御識を使いこなせているのが思い込みなら、使うたびに自らの身を滅ぼし続けている事になる。
「……チッ」
たらり、と額から血が一筋流れてくるのを手で乱雑に拭った。
ネグロにとって、制御識と思念の力は、自身の命の切り売りだと考えている。身体中に傷をつくり、血を流し、それが敵を焼く力に変わる。
「……」
鏡の中の男が自嘲気味に口元をゆるめる。人の死に散々怯えていたのに、自分が死ぬとなれば何も恐ろしい事はない。
仲間も、家族も失なって、一人になって久しい。
それが寂しいという気持ちはとっくの昔に忘れてしまっていた。それなのに、新たな仲間を得てしまった事で寂しいという感情を思い出してしまった。もう、失う事に耐えられるかわからない。だからこそ、次に失うのは自らの命で構わないと、そう思っている。
それが、あまりにも愚かな考えであることもよく知っていた。
この制御識という力は超常の力であり、これを持たなければ戦線で生き残るのは難しくなるだろう力だ。だが、超常の力を使いこなせているというのはそもそもテイマーの思い込みなのかもしれない。
「……」
『ネグロ、聞こえているのか?』
「……、ああ、周囲に敵はいない」
『わかった。すぐ帰艦してくれ』
「了解」
何度かルインに呼ばれていたらしい事に気付けば、平静を取り繕って返事をする。そこに何かを言われる事はなかったが失態だったな、と思いながら通信を切りネグロは深く重い息を吐いた。通信を聞き逃す程、別の事に思考を割くなどという事は今まで殆どなかったというのに。
「チッ」
余計な事を考える余裕が出来たと喜べたら、そもそもこんな風に悩む事も無いのだろう。
ごちゃごちゃとした思考に一度舌打ちをしてから気持ちを切り替える。
モニターで幽霊船の位置を確認して、座標を登録すればグレムリンは即座に自動航行を開始した。
操縦レバーから手を離して、シートに深く座り背もたれによしかかる。
最近、戦闘の激化に伴って重い疲労に襲われる事が増えてきた。今も、その疲労に抗えないままゆっくりと意識が落ちていった。
『……ちゃん、』
(ああ、まただ)
そんな時、ネグロは決まって同じ夢を見る。
『おに……ちゃ、』
呼び掛けてくる声は、遠い昔の記憶に繋がっていく。
ピンク色のバンダナを渡して、にっこりと笑顔を向けてくれた、一番下の妹。
『おにい、ちゃん』
(ヒナ……)
その姿は、おぼろげではっきり見ることは出来ない。最初は、声も不鮮明だったが夢を見るたびに鮮明になっていた。
今では、その声がはっきりと妹である事がわかる。声色から、自分を心配しているような感情も伝わってくる。
(……ごめんな。心配させて)
ただ、その夢でネグロは何かを出来る訳ではない。声が聞こえるだけで自分から発せられる訳でもなければ、身体が動く訳でもない。
夢とはいえど心配させてしまっている、という事実に対するなんともいえない気持ちに苛まれ続けるだけだった。
「……クソッ」
悪態ひとつ吐きながら、夢から覚める。
何故、何度も同じ夢を見るのか。自分の身を案じる妹、というイメージが何処から出てきたのか。
思念が何かを見せようとしている意図は感じるが、それを読み取ることは出来ない。わからない事を考え続けても仕方無い。思考を止めて、モニターへ視線を持つ向けた。
既に機体は目的地付近まで来ている事を確認すれば、手動に切り替え機体を幽霊船の格納庫に納めた。グレムリンの稼働が完全に停止するのを確認してから操縦棺から降りたネグロは、丁度側にいたエリエスと視線が合う。
いつもであれば、すぐに声をかけるなりしてくる筈の彼女が目を丸くして自分を見てくる姿にしかめ面でなんだ、と声をかけた。
「血、大丈夫?」
「血? ……ああ、もう止まってる」
操縦棺から降りたネグロの顔ははバンダナの下から滲んできた血で赤く染まっている。
その様子を恐る恐る指差して告げるエリエスだったが、当のネグロは殆ど気にする事なくバンダナを外して、手で乱雑に額を拭う。乾きかけの血がうっすら伸びた下に見える皮膚には元々のあった傷痕以外に真新しいものは無く、エリエスはますます訝しげな顔をする。
ネグロは眉を寄せて小さく溜め息を吐くと、面倒くさそうに頭を掻いた。
「……よくなるんだ、気にするな」
「気にするな、って……」
「……誰かに言うなよ」
気になるけど、とまだ首をかしげるエリエスにひとつだけ釘をさせばネグロは話も半ばに歩き始めた。
「あ! ネグロさん、ご飯は!」
「……あとでいい」
足早に去る背中に投げ掛けられた言葉には軽く手を振って応えた。
格納庫を出て真っ直ぐに自室へと向かう途中で足がふらついて、通路の壁で身体を支える。帰路についていた頃から、どうにも倦怠感が身体につきまとっていた。やはり、自分が思う以上に身体に疲労が蓄積しているのだろう。わかった所で、改善策は無い。舌打ちをひとつして、歩き直すと自室へと文字通り転がり込んだ。
バンダナをサイドボードに置いたあとは、パイロットスーツも脱がずに固いベッドに身を預けて、目を閉じる。
どうにも身体が言うことを聞かない原因はわかっている。思念制御識だ。
ネグロが使用しているのは、高速、またはそれ以上の速度で戦う為の未来の制御識と、放射光で敵を破壊する為の祝福の制御識だ。とくに、祝福の制御識は身体と精神の限界を越える力を与えるという。ネグロの思念の根幹にあるのは怒りであり、限界を越えるほどの怒りが身体への大きな負担となっている。かといって、今さら制御識を縛るような戦い方を模索している余裕はない。
戦いは苛烈になり、次なる大規模な作戦の話も出て来ている。幽霊船を離れていた巨大未識別の時とは違って、幽霊船全体で作戦への参加をするだろう、という話は既に耳に入っている。そこで、足を引っ張る訳にもいかない。
「……ひでえ顔……いや、前からか」
そのままでは眠ってしまいそうになってしまう。どうにかベッドから起き上がると部屋に置いてある姿見と視線があう。そこにいるのは、乾いた血で汚れたのをほったらかしたままの、疲れきった顔をしている中年男。
このまま、制御識を使い続けたらどうなるのだろうかと考えた事は少なくはない。そしてその思いは、レイルが目の前で生き返ったのを見てから尚更強くなった。
あの日見たレイルの姿、あれは仮死状態から蘇生したなんて話ではない。目の前で、不自然に生命活動を再開していた。
傷跡の制御識は、その使用者が不死身となり致命を負う手前で踏みとどまれると言われている。レイルという人間が特殊である可能性もあるが、それを差し引いても制御識が与える影響の強さを考えてしまう。
人を理を越えて生かす事が可能ならば、その逆もまた可能なのだろう。
そもそも、制御識を使いこなせているのが思い込みなら、使うたびに自らの身を滅ぼし続けている事になる。
「……チッ」
たらり、と額から血が一筋流れてくるのを手で乱雑に拭った。
ネグロにとって、制御識と思念の力は、自身の命の切り売りだと考えている。身体中に傷をつくり、血を流し、それが敵を焼く力に変わる。
「……」
鏡の中の男が自嘲気味に口元をゆるめる。人の死に散々怯えていたのに、自分が死ぬとなれば何も恐ろしい事はない。
仲間も、家族も失なって、一人になって久しい。
それが寂しいという気持ちはとっくの昔に忘れてしまっていた。それなのに、新たな仲間を得てしまった事で寂しいという感情を思い出してしまった。もう、失う事に耐えられるかわからない。だからこそ、次に失うのは自らの命で構わないと、そう思っている。
それが、あまりにも愚かな考えであることもよく知っていた。
◆11回更新の日記ログ
閉ざされた未来をこじ開けた。失った祝福を取り戻した。
* * *
搬入口に向かって進むネグロの足取りは軽い。何だかんだ言いつつ、新しい道具に気持ちが逸ってしまうのは整備士の性なのだろう。
いつになく楽しい気持ちになってる事に気が付いて、小さく舌打ちをした。
こんな風に、呑気にしてしまう自分がいるのが嫌になってしまう。
ビーッ!ビーッ!
「っ、なんだ!?」
あまりに唐突に鳴り出したそれに驚きを隠せずにいたが、すかさず携帯端末を手にとってブリッジにコールした。
「こちらネグロ。一体何事だ」
『侵入者だ。外見はツィールに酷似、レイルが交戦しているらしい』
「っ、ツィールに酷似?」
すぐにルインの声が端末から返ってきた。ただ、伝えられた内容にネグロは無意識に固く拳を握りしめていた。
格納庫の近くで見た影にもっと注意を払うべきだった。違和感があったそれを放っておいたせいで、みすみす侵入者を逃していた事実。
それほどまでに油断をしていた自分の甘さに腹が立つ。
『お前はレイルの所に向え。場所は――』
ルインから淡々と伝えられるものを聴きながらネグロは努めて冷静さを取り戻そうとする。
「……了解」
ぷつり、と通信が切れるとネグロは通信端末を作業着のポケットに突っ込み走り出した。
白兵戦の心得が無い訳ではないが、録な武器も無い状態でどこまでやれるのかはわからない。
走りながら様々な状況を想定はしてみるものの、やはり自分の手落ちが脳裏を過って思考もろくにまとまらない。
「ああ、くそっ!」
迷路にも近い幽霊船の中を鳴り響く警報を背に走っていく。ルインに伝えられた場所は分かれ道を曲がった先だ。
「レイル!! 無事か!」
曲がり先を確認する前に声を張り上げる。増援を伝える事で交戦中であれば、敵の隙を作ろうという魂胆だ。
だが、その魂胆も空振りに終わった。曲がり先の通路には、人が1人倒れているのだけが見える。
「っ、おい、」
遠目からでも、その白髪で倒れているのがレイルであることが確認できる。
ネグロは駆け寄りながら声をかけるが、倒れている姿が動く様子はない。
「……ッ!」
それどころか、膝をついて上半身を抱えあげたレイルの状態は力無くぐったりとしており、何よりもその首はあらぬ方向に曲がったまま、支えを失いぐらぐらと揺れている。
もとより体温が高くはなかった気がするのを差し引いても、触れた肉体からはすっかりと熱が失われている。
視覚、触覚、その両面から伝えられているのは、今抱えあげている人間が死んでいるという事実だ。
「……」
ネグロは言葉もなくその身体をゆっくりと床に寝かせると改めて脈を確認してみるものの、やはりそこに命の鼓動をしめすものは無い。
警報の音が何処か遠くに聞きながら、動かない僚機を呆然と見つめた。
「……俺の、せい、」
酷く掠れた、張り付いた喉から這い出てきたような呟きは直ぐ様警報にかきけされた。
侵入にいち早く気付けた筈の機会を見過ごした結果が、今こうして目の前に僚機の死体として現れている。
取り乱している場合ではない、と頭ではわかっているが身体の震えが止まらない。
仲間、家族、僚機――近しい人間を失う度にどうしようもない気持ちに苛まれていた。それが嫌で、全てを拒絶していた。それなのに、どうして今、こんなに苦しくなっている?
「……ッ、」
舌打ちをひとつ。自らを奮い立たせる。
放心している時間が惜しい。容易に人を殺す存在がいるのであれば、これ以上の犠牲を減らすのがまず役割だ。
落ち込んでいる時間など戦いの中では単なる無駄な時間である事を、嫌というほど知っている。
深呼吸ひとつして、立ち上がろうとした瞬間、倒れているレイルの姿に違和感を覚えた。
「……あ?」
倒れているレイルの髪は乱れ、普段隠された顔の下がのぞいていた。その、閉じられた双眸が震えている。
そして、それはやがて波のように全身に広がっていく。ガタガタと、動く筈の無い肉体が不自然に震えはじめた。
ネグロは目の前の異様な光景に思わず息を呑み、少しだけ距離を取る。万が一、教われる可能性を器具したといえば聞こえはいいだろうが、それだけではなかった。
「……」
ネグロは怪訝な表情でレイルを見る。震えが徐々におさまり、今度こそ停止したかと思って少し身を乗り出して覗き込むと、閉じられていた瞼が開き色の無い瞳がぐりん、とネグロを見た。
反射的に身を引いてしまったネグロを、レイルの瞳が追いかけていく。
「……レイ、ル?」
ネグロから漏れた声は震えていた。
今、自分は何を見て、何を見せられているのだろうか。
「あ、ネグロさん……。僕、気絶してたか……」
目を開いたレイルの口から溢れたのは、怨念の唸り声でも何でもない、聞き慣れたレイルの声だった。
あらぬ方に向いていた筈の首はいつの間にかもとに戻り、ネグロの方へしっかりと向いている。
眠りから覚めたばかりのようにぼんやりとした瞳は1拍おいて、は、と見開かれてレイルは弾かれたように飛び起きた。
「そうだ、さっき、そこから、ツィールさんによく似た顔の人が出てきて。武器を持ってて、ミアさんと僕のことを襲おうとして。それで、ミアさんは助けを呼びに行ったと思うんだけど、僕が足止めできなかったから……、どこに行ったんだろう、他の人が危険な目に遭ってるかもしれない、早く探さないと」
「……」
「……、ネグロ、さん?」
レイルが切迫した表情でネグロに侵入者の事を伝えるが、ネグロが全く反応しない事に気が付いて不思議そうに眉を寄せると、軽く首をかしげた。
「……、いや、悪い。大丈夫だ」
あまりにも平然としすぎているレイルに言葉を失っていたネグロは、不思議そうな顔をされてはじめて自分が黙りこくっていた事に気が付いた。
全く大丈夫などではなかったけれど、案外口を開けば平静を装える。口だけでそう告げるとレイルはわずかに安堵した様子を見せた。
「よかった、それで――」
「わかってる。ミアがもうルインに伝えて、情報は貰ってる――聞こえないか?」
ネグロはそう言うと船についているスピーカーを指差した。そこからは相変わらず警報が鳴り響いている。
レイルもようやくそれに気が付いて、あ、と言葉をこぼした。
「無事だったのか……よかった……」
「ツィール達がまだわからん。搬入口付近にはいる筈だが」
「……そうか。いこう、ネグロさん」
頷いて、前を見るレイルをネグロはじっと見つめる。まるで、さっき事切れていたのが嘘なのではないかと思える程、彼はいつも通りなのだ。
いつも通りに振る舞うほどにスリーピング・レイル――本当の名も知らぬこの男が、人の常識では測れない存在である事を証明していく。
どちらともなく走りだしながら、レイルがぽつりと尋ねて来た。
「ネグロさん、僕、どれくらい気絶してたか、わかる?」
「……気絶なんて、してねえよ」
ネグロの言葉に前を見ていたレイルが驚いたようにネグロを見る。
ネグロはその視線を見ないまま、続く言葉を口にした。
「……間違いなく、死んでた」
果たして今伝えるのが正しかったのだろうか。
元々、疑念はあったのだ。彼のマフラーの下に隠された首の傷痕。たまたま見た時には冗談で、運が悪かったら死んでいる――などとのたまいはしたが運がよかろうが悪かろうが死ぬだろう、そう思わせる傷痕だった。
それに、ルインが調べたという《スリーピング・レイル》の情報――グレムリンテイマーの再生を謳うプロジェクト――まだ確証を持てはしなかったけれど、レイルが完全に死んでいた筈の状態を気絶、と称した事からも、彼の肉体は人知を超えている。
それはまるで、不死になると言われている傷痕の制御識そのもので。
だけれども、レイル自体の精神は、思考は人間そのものだったとするのならば――
「死んで、た?」
「……」
言うべきでは、無かったのかもしれない。
トントントン。
ルインの指がコンソールを叩く。それが苛立ちから来ていることは、船内監視用モニターを確認する表情が険しいことからも伺える。
未識別機にしても、ジャンクテイマーにしても狙いは基本グレムリンだ。だからこそ、船内に侵入者が来る事への意識が薄かったのは認める。
加えて、この船の構造は特殊も特殊だから生半な相手は迷宮にとらわれて終わりの筈だった。
「……何が目的だ?」
侵入者はレイルと交戦した後も移動を続けている。目的地に一直線というほどでもなければ、迷って闇雲に移動をしている訳でもない。
単純に考えるならばツィールに目的があるべきだが――。
「何か見えたか、ジュピネ」
「……」
側にいた小型機に視線を向けるが返答が無い。ほんの小さく息を吐いてから、モニターチェックを手伝わせているミアの方を見た。
「ミア、侵入者は――」
「いましたっ! 少しずつ、近付いてる場所があるみたい……これって」
ミアは、モニターの場所と、ルインの管理範囲内のマップを何度も見比べる。
ルインも近寄っては同じように彼女の指し示す場所を目で追った。
「……これは」
侵入者の足取りを確認した二人は視線を合わせ、そして、共にジュピネへ視線を向けた。
* * *
搬入口に向かって進むネグロの足取りは軽い。何だかんだ言いつつ、新しい道具に気持ちが逸ってしまうのは整備士の性なのだろう。
いつになく楽しい気持ちになってる事に気が付いて、小さく舌打ちをした。
こんな風に、呑気にしてしまう自分がいるのが嫌になってしまう。
ビーッ!ビーッ!
「っ、なんだ!?」
あまりに唐突に鳴り出したそれに驚きを隠せずにいたが、すかさず携帯端末を手にとってブリッジにコールした。
「こちらネグロ。一体何事だ」
『侵入者だ。外見はツィールに酷似、レイルが交戦しているらしい』
「っ、ツィールに酷似?」
すぐにルインの声が端末から返ってきた。ただ、伝えられた内容にネグロは無意識に固く拳を握りしめていた。
格納庫の近くで見た影にもっと注意を払うべきだった。違和感があったそれを放っておいたせいで、みすみす侵入者を逃していた事実。
それほどまでに油断をしていた自分の甘さに腹が立つ。
『お前はレイルの所に向え。場所は――』
ルインから淡々と伝えられるものを聴きながらネグロは努めて冷静さを取り戻そうとする。
「……了解」
ぷつり、と通信が切れるとネグロは通信端末を作業着のポケットに突っ込み走り出した。
白兵戦の心得が無い訳ではないが、録な武器も無い状態でどこまでやれるのかはわからない。
走りながら様々な状況を想定はしてみるものの、やはり自分の手落ちが脳裏を過って思考もろくにまとまらない。
「ああ、くそっ!」
迷路にも近い幽霊船の中を鳴り響く警報を背に走っていく。ルインに伝えられた場所は分かれ道を曲がった先だ。
「レイル!! 無事か!」
曲がり先を確認する前に声を張り上げる。増援を伝える事で交戦中であれば、敵の隙を作ろうという魂胆だ。
だが、その魂胆も空振りに終わった。曲がり先の通路には、人が1人倒れているのだけが見える。
「っ、おい、」
遠目からでも、その白髪で倒れているのがレイルであることが確認できる。
ネグロは駆け寄りながら声をかけるが、倒れている姿が動く様子はない。
「……ッ!」
それどころか、膝をついて上半身を抱えあげたレイルの状態は力無くぐったりとしており、何よりもその首はあらぬ方向に曲がったまま、支えを失いぐらぐらと揺れている。
もとより体温が高くはなかった気がするのを差し引いても、触れた肉体からはすっかりと熱が失われている。
視覚、触覚、その両面から伝えられているのは、今抱えあげている人間が死んでいるという事実だ。
「……」
ネグロは言葉もなくその身体をゆっくりと床に寝かせると改めて脈を確認してみるものの、やはりそこに命の鼓動をしめすものは無い。
警報の音が何処か遠くに聞きながら、動かない僚機を呆然と見つめた。
「……俺の、せい、」
酷く掠れた、張り付いた喉から這い出てきたような呟きは直ぐ様警報にかきけされた。
侵入にいち早く気付けた筈の機会を見過ごした結果が、今こうして目の前に僚機の死体として現れている。
取り乱している場合ではない、と頭ではわかっているが身体の震えが止まらない。
仲間、家族、僚機――近しい人間を失う度にどうしようもない気持ちに苛まれていた。それが嫌で、全てを拒絶していた。それなのに、どうして今、こんなに苦しくなっている?
「……ッ、」
舌打ちをひとつ。自らを奮い立たせる。
放心している時間が惜しい。容易に人を殺す存在がいるのであれば、これ以上の犠牲を減らすのがまず役割だ。
落ち込んでいる時間など戦いの中では単なる無駄な時間である事を、嫌というほど知っている。
深呼吸ひとつして、立ち上がろうとした瞬間、倒れているレイルの姿に違和感を覚えた。
「……あ?」
倒れているレイルの髪は乱れ、普段隠された顔の下がのぞいていた。その、閉じられた双眸が震えている。
そして、それはやがて波のように全身に広がっていく。ガタガタと、動く筈の無い肉体が不自然に震えはじめた。
ネグロは目の前の異様な光景に思わず息を呑み、少しだけ距離を取る。万が一、教われる可能性を器具したといえば聞こえはいいだろうが、それだけではなかった。
「……」
ネグロは怪訝な表情でレイルを見る。震えが徐々におさまり、今度こそ停止したかと思って少し身を乗り出して覗き込むと、閉じられていた瞼が開き色の無い瞳がぐりん、とネグロを見た。
反射的に身を引いてしまったネグロを、レイルの瞳が追いかけていく。
「……レイ、ル?」
ネグロから漏れた声は震えていた。
今、自分は何を見て、何を見せられているのだろうか。
「あ、ネグロさん……。僕、気絶してたか……」
目を開いたレイルの口から溢れたのは、怨念の唸り声でも何でもない、聞き慣れたレイルの声だった。
あらぬ方に向いていた筈の首はいつの間にかもとに戻り、ネグロの方へしっかりと向いている。
眠りから覚めたばかりのようにぼんやりとした瞳は1拍おいて、は、と見開かれてレイルは弾かれたように飛び起きた。
「そうだ、さっき、そこから、ツィールさんによく似た顔の人が出てきて。武器を持ってて、ミアさんと僕のことを襲おうとして。それで、ミアさんは助けを呼びに行ったと思うんだけど、僕が足止めできなかったから……、どこに行ったんだろう、他の人が危険な目に遭ってるかもしれない、早く探さないと」
「……」
「……、ネグロ、さん?」
レイルが切迫した表情でネグロに侵入者の事を伝えるが、ネグロが全く反応しない事に気が付いて不思議そうに眉を寄せると、軽く首をかしげた。
「……、いや、悪い。大丈夫だ」
あまりにも平然としすぎているレイルに言葉を失っていたネグロは、不思議そうな顔をされてはじめて自分が黙りこくっていた事に気が付いた。
全く大丈夫などではなかったけれど、案外口を開けば平静を装える。口だけでそう告げるとレイルはわずかに安堵した様子を見せた。
「よかった、それで――」
「わかってる。ミアがもうルインに伝えて、情報は貰ってる――聞こえないか?」
ネグロはそう言うと船についているスピーカーを指差した。そこからは相変わらず警報が鳴り響いている。
レイルもようやくそれに気が付いて、あ、と言葉をこぼした。
「無事だったのか……よかった……」
「ツィール達がまだわからん。搬入口付近にはいる筈だが」
「……そうか。いこう、ネグロさん」
頷いて、前を見るレイルをネグロはじっと見つめる。まるで、さっき事切れていたのが嘘なのではないかと思える程、彼はいつも通りなのだ。
いつも通りに振る舞うほどにスリーピング・レイル――本当の名も知らぬこの男が、人の常識では測れない存在である事を証明していく。
どちらともなく走りだしながら、レイルがぽつりと尋ねて来た。
「ネグロさん、僕、どれくらい気絶してたか、わかる?」
「……気絶なんて、してねえよ」
ネグロの言葉に前を見ていたレイルが驚いたようにネグロを見る。
ネグロはその視線を見ないまま、続く言葉を口にした。
「……間違いなく、死んでた」
果たして今伝えるのが正しかったのだろうか。
元々、疑念はあったのだ。彼のマフラーの下に隠された首の傷痕。たまたま見た時には冗談で、運が悪かったら死んでいる――などとのたまいはしたが運がよかろうが悪かろうが死ぬだろう、そう思わせる傷痕だった。
それに、ルインが調べたという《スリーピング・レイル》の情報――グレムリンテイマーの再生を謳うプロジェクト――まだ確証を持てはしなかったけれど、レイルが完全に死んでいた筈の状態を気絶、と称した事からも、彼の肉体は人知を超えている。
それはまるで、不死になると言われている傷痕の制御識そのもので。
だけれども、レイル自体の精神は、思考は人間そのものだったとするのならば――
「死んで、た?」
「……」
言うべきでは、無かったのかもしれない。
トントントン。
ルインの指がコンソールを叩く。それが苛立ちから来ていることは、船内監視用モニターを確認する表情が険しいことからも伺える。
未識別機にしても、ジャンクテイマーにしても狙いは基本グレムリンだ。だからこそ、船内に侵入者が来る事への意識が薄かったのは認める。
加えて、この船の構造は特殊も特殊だから生半な相手は迷宮にとらわれて終わりの筈だった。
「……何が目的だ?」
侵入者はレイルと交戦した後も移動を続けている。目的地に一直線というほどでもなければ、迷って闇雲に移動をしている訳でもない。
単純に考えるならばツィールに目的があるべきだが――。
「何か見えたか、ジュピネ」
「……」
側にいた小型機に視線を向けるが返答が無い。ほんの小さく息を吐いてから、モニターチェックを手伝わせているミアの方を見た。
「ミア、侵入者は――」
「いましたっ! 少しずつ、近付いてる場所があるみたい……これって」
ミアは、モニターの場所と、ルインの管理範囲内のマップを何度も見比べる。
ルインも近寄っては同じように彼女の指し示す場所を目で追った。
「……これは」
侵入者の足取りを確認した二人は視線を合わせ、そして、共にジュピネへ視線を向けた。
◆10回更新の日記ログ
過去を振り返る。未来を仰ぐ。誰かの祝福になりたいと願う。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
ネグロにとって、誰もいない時間を見計らって格納庫に向かうのは最早ルーティンワークといって差し支えなかった。
そうやって格納庫に向かうのは比較的夜の時間帯が多くなる。
昼の時間帯は、ミアやツィール達がいることが多く、そうなると整備についての話やグレムリンについての話をするのは避けられない。
下手な日常会話に比べたらずっと楽なのでそれが嫌だとは言わないけれど、自らの整備にかけられる時間は減ってしまう。
自室のようなものはあるが、そこでやることといえばグレイヴネットを流し見る程度で、それなら結局グレムリンを弄っている方が建設的だ。
ただ、そうやって格納庫にいると必ずといっていい程にレイルの姿を見る。あとからやって来る時も、先にいる時も、どちらでも彼は大体自分のグレムリンの操縦棺に乗り込んでいる。
ネグロとしても気になってしまうものだから、一度ミアに訪ねてみたが彼女は微妙な顔をするばかりで教えてくれなかった。
「……」
そして、この日もレイルが操縦棺からネグロの作業を眺めていた。
ネグロは、グレムリンと手元の端末を何度か確認すると操縦棺にいるレイルの方に視線を向けた。
「楽しいか?こんなの見て」
「……え?」
「お前はこれが独り言に聞こえたか?」
ネグロの声かけに、レイルからは恐らく眠気もあったのだろうが、少し間の抜けた声が返ってくる。
ネグロは思わず眉根を押さえながらレイルを鋭い目で見据える。
確かに、声など今までたいしてかけてこなかった自分にも多少の非はあるのだろうが。
レイルはほんの少し眉を下げつつも、改めて問いについての考えを少し思案するような顔をする。
ネグロはその顔をじっとみていた。
「整備の事は、まだ、わからないことが多いけど、ネグロさんは迷わないから」
「……もの好きだな」
レイルの言葉にネグロは肩を竦める。
一瞬、互いの間に沈黙が走ったがネグロは小さく息を吐くと続けてレイルに問いかけた。
「そもそも、なんで暇なし操縦棺にいるんだ?」
「……」
レイルの瞳が僅かに伏せられる。ミアが言葉を濁すくらいなので、その反応は予測出来た。
深追いする程興味があるわけでもない。答えを聞く前にネグロは再びグレムリンの方へと視線を向ける。
「……ここだと、静かなんだ」
「静か?」
ゆっくりとした声が聞こえてきて、ネグロの視線は再びレイルへと向いた。言葉の意味がわからずに、眉根を寄せる。
「声が、聞こえてくるんだ。誰の声かもわからないけど、それがずっと」
「……なるほどな。それで、棺の中だと声がしないと?」
ネグロの言葉にレイルは静かに頷いた。
ネグロの脳裏に浮かんだのは東北柱の≪対流思念≫だ。あの場にいる間、あの声は頭のなかで響き続けていた。
だから、そういった思念の声が聞こえてしまうという事はありえる事だという認識はある。
そもそも、レイル自身がごまかしや嘘が上手い男には思えない。
「……ネグロさんは、なにか知ってる?」
レイルがぽつりと問いかけてくる。すんなり話を聞いたせいで詳しい話を聞けると思ったのだろうか。
ネグロは少しだけ眉を寄せた。別に詳しくも何ともなかった事に少しだけバツの悪さを感じる。
「この世界の端の方だと、思念の声が聞こえる事はある。実際、俺もそれは聞いた。四六時中聞こえる話は知らんが、お前が思念を引き寄せてる可能性は、あるのかもな」
ただの仮定の話だ、と付け加えて肩をすくめる。それでも、レイルには興味深い話しにでもなったのだろうか、ずいぶんと真面目に耳を傾けていた。
「仮定の話だからな」
「わかってる……けど、ネグロさんから、話してくれたのが、嬉しかったから」
「……ふん」
念を押したつもりが、想定もしていなかった言葉を投げられたネグロはそっけない言葉を返すことしか出来なかった。
そもそも、知り合った直後であれば何をおかしな事を、と一蹴してたのは間違いない。
それだけ、長いというにはまだ足りないが、短くない時間が過ぎたのだという事なのだ。
会話が途切れて、格納庫がしんと静まる。
「レイル」
「ネグロさん?」
不意にネグロが名前を呼ぶときょとん、とした顔でレイルが視線を向けてくる。
それを見てネグロはようやく自分が彼を呼んだことに気が付いた。
無意識にしていた事にネグロは思わず渋い顔をして乱雑に頭を掻いた。
その様子にレイルはますます首をかしげていた。
それでもネグロはしばらく渋い顔のまま暫く言いあぐねて、それから唸るように言葉を吐き出した。
「……話くらいするし、聞いてやる」
「え?」
「暇潰しにな。それで少しは気が紛れるんだろ」
いうだけ言って、レイルから視線を外した。多分、どんな顔をされても自分が納得できるものがないと思ったからだ。
「……くそっ」
口の中で悪態を吐き出して、そのまま格納庫の出入り口に向かう。どのみち、しっかり整備されたばかりの機体は、大した確認も必要がない。
少しずつ諦めていくしかない。自分の弱さを。
一人で戦うことの不安を知っている事に気付かされたあのレイルの言葉を聞いたときから、それはもうはじまっていたのかもしれない。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
ネグロにとって、誰もいない時間を見計らって格納庫に向かうのは最早ルーティンワークといって差し支えなかった。
そうやって格納庫に向かうのは比較的夜の時間帯が多くなる。
昼の時間帯は、ミアやツィール達がいることが多く、そうなると整備についての話やグレムリンについての話をするのは避けられない。
下手な日常会話に比べたらずっと楽なのでそれが嫌だとは言わないけれど、自らの整備にかけられる時間は減ってしまう。
自室のようなものはあるが、そこでやることといえばグレイヴネットを流し見る程度で、それなら結局グレムリンを弄っている方が建設的だ。
ただ、そうやって格納庫にいると必ずといっていい程にレイルの姿を見る。あとからやって来る時も、先にいる時も、どちらでも彼は大体自分のグレムリンの操縦棺に乗り込んでいる。
ネグロとしても気になってしまうものだから、一度ミアに訪ねてみたが彼女は微妙な顔をするばかりで教えてくれなかった。
「……」
そして、この日もレイルが操縦棺からネグロの作業を眺めていた。
ネグロは、グレムリンと手元の端末を何度か確認すると操縦棺にいるレイルの方に視線を向けた。
「楽しいか?こんなの見て」
「……え?」
「お前はこれが独り言に聞こえたか?」
ネグロの声かけに、レイルからは恐らく眠気もあったのだろうが、少し間の抜けた声が返ってくる。
ネグロは思わず眉根を押さえながらレイルを鋭い目で見据える。
確かに、声など今までたいしてかけてこなかった自分にも多少の非はあるのだろうが。
レイルはほんの少し眉を下げつつも、改めて問いについての考えを少し思案するような顔をする。
ネグロはその顔をじっとみていた。
「整備の事は、まだ、わからないことが多いけど、ネグロさんは迷わないから」
「……もの好きだな」
レイルの言葉にネグロは肩を竦める。
一瞬、互いの間に沈黙が走ったがネグロは小さく息を吐くと続けてレイルに問いかけた。
「そもそも、なんで暇なし操縦棺にいるんだ?」
「……」
レイルの瞳が僅かに伏せられる。ミアが言葉を濁すくらいなので、その反応は予測出来た。
深追いする程興味があるわけでもない。答えを聞く前にネグロは再びグレムリンの方へと視線を向ける。
「……ここだと、静かなんだ」
「静か?」
ゆっくりとした声が聞こえてきて、ネグロの視線は再びレイルへと向いた。言葉の意味がわからずに、眉根を寄せる。
「声が、聞こえてくるんだ。誰の声かもわからないけど、それがずっと」
「……なるほどな。それで、棺の中だと声がしないと?」
ネグロの言葉にレイルは静かに頷いた。
ネグロの脳裏に浮かんだのは東北柱の≪対流思念≫だ。あの場にいる間、あの声は頭のなかで響き続けていた。
だから、そういった思念の声が聞こえてしまうという事はありえる事だという認識はある。
そもそも、レイル自身がごまかしや嘘が上手い男には思えない。
「……ネグロさんは、なにか知ってる?」
レイルがぽつりと問いかけてくる。すんなり話を聞いたせいで詳しい話を聞けると思ったのだろうか。
ネグロは少しだけ眉を寄せた。別に詳しくも何ともなかった事に少しだけバツの悪さを感じる。
「この世界の端の方だと、思念の声が聞こえる事はある。実際、俺もそれは聞いた。四六時中聞こえる話は知らんが、お前が思念を引き寄せてる可能性は、あるのかもな」
ただの仮定の話だ、と付け加えて肩をすくめる。それでも、レイルには興味深い話しにでもなったのだろうか、ずいぶんと真面目に耳を傾けていた。
「仮定の話だからな」
「わかってる……けど、ネグロさんから、話してくれたのが、嬉しかったから」
「……ふん」
念を押したつもりが、想定もしていなかった言葉を投げられたネグロはそっけない言葉を返すことしか出来なかった。
そもそも、知り合った直後であれば何をおかしな事を、と一蹴してたのは間違いない。
それだけ、長いというにはまだ足りないが、短くない時間が過ぎたのだという事なのだ。
会話が途切れて、格納庫がしんと静まる。
「レイル」
「ネグロさん?」
不意にネグロが名前を呼ぶときょとん、とした顔でレイルが視線を向けてくる。
それを見てネグロはようやく自分が彼を呼んだことに気が付いた。
無意識にしていた事にネグロは思わず渋い顔をして乱雑に頭を掻いた。
その様子にレイルはますます首をかしげていた。
それでもネグロはしばらく渋い顔のまま暫く言いあぐねて、それから唸るように言葉を吐き出した。
「……話くらいするし、聞いてやる」
「え?」
「暇潰しにな。それで少しは気が紛れるんだろ」
いうだけ言って、レイルから視線を外した。多分、どんな顔をされても自分が納得できるものがないと思ったからだ。
「……くそっ」
口の中で悪態を吐き出して、そのまま格納庫の出入り口に向かう。どのみち、しっかり整備されたばかりの機体は、大した確認も必要がない。
少しずつ諦めていくしかない。自分の弱さを。
一人で戦うことの不安を知っている事に気付かされたあのレイルの言葉を聞いたときから、それはもうはじまっていたのかもしれない。
◆9回更新の日記ログ
未来祝福
「敵は全滅、こちらの被害も大小あれど、撃墜は無し……戦果としては最高なんじゃないか?」
巨大未識別との戦いを終えて幽霊船に戻って程なく、格納庫でグレムリンのダメージを確認していたネグロの元にルインがやって来た。普段ブリッジから降りて来る事すらまれな艦長代理の姿をネグロは肩眉をつりあげてねめつけた。
「わざわざ言いに来るなんて、艦長も暇になったのか?」
「優秀なオペレーターが来てくれたのでね」
優秀なオペレーターとはジュピネの事だろう。最近、手を借りるようになったという話はネグロも聞いている。余裕が出来た、ということなのだろう。ネグロがそんな事を考えている間に、ルインは傷だらけのグレムリンをじっと見上げながら口を開く。
「……損傷で言うなら、レイルよりお前の方が激しいようだな。……仲間を失うのが怖かったか?」
「嫌味言いに来たのか?」
「……お前達で何を話したかはしらないが、まあ、仲が良いのは悪いことじゃない」
「……」
ルインは相変わらずこちらを見ずに、次は手元の端末を操作しながら話している。ネグロはその言葉の言い方にひっかかりを覚えはしたがつついた所でろくな話にならない気がして、無視してグレムリンの確認に戻る。
見てわかる程に傷だらけのそれを、改めて確認する必要が無いとは思っているのだが。一人で、ましてや物資も設備も足りない船の中では直すのも限界がある。どこかに停泊しなければいけないだろう、そうルインに言おうとして視線を向けると、彼もまたネグロを見ていた。
「南の島の翡翠工廠と連絡がついた。どのみちコンテナを届ける予定ではあっからな。お前の思いは色々あるだろうが今は大事な機体だ……しっかり直してこい」
「……了解」
なんだかんだ言いながらも、このルインという男は艦長として抜け目がない。視線がぶつかる同時にそう伝えられてネグロは、頷くしかできなかった。
翡翠工廠に機体を運ぶと、そこで待っていたのは暖かい出迎えだった。
巨大未識別との戦いは、隣の領域である南の島にも話が届いていたという事らしい。
ネグロはそれを邪険にする事もしなかったが、そっけない態度で対応しながら自らのグレムリンの修理を頼むこととした。
「……」
手厚い出迎えから逃げるように離れて、かといってどこかを歩き回るような気分でもない。
ネグロは一人、格納庫の壁にもたれ掛かってそこに並ぶ機体と作業をする人々を見ていた。
ここで交換できるフレームもあったのだが、自分の戦い方には向いてないものだったのでしない事に決めている。
レイルの機体は、フレーム交換も含めるらしく大幅な調整が必要となるだろう。あとで、少し確認しなければ、と思った所でネグロは舌打ちをひとつした。
すっかり僚機のいることに慣れてしまった。
身体も感情も、拒否をするにはある程度の覚悟もいるのに受け入れるのはあっという間だ。
グレムリンに対してもそうだ。少なくとも自分が乗っていた機体に全くの愛着が無いといえば、嘘になってしまうだろう。
それを悪いことだとは誰も言わない。ただ、自分だけが自分の弱さに辟易している。
「あの! ネグロさん、ですよね」
溜め息を吐いたところで、一人の少年が近付いてきた。
真っ黒な手にツナギ姿、腰に工具をぶら下げているところから、整備士であるのは見てとれたが若い整備士の知り合いはいない。怪訝な目で声をかけてきた少年を見た。
「……何だ?」
「あ、あの、覚えてますか? 10年くらい前、貴方に助けて貰った……」
「……10年」
十数年前、それはネグロにとって失意の時だった。圧倒的なグレムリンの強さは、仲間や僚機の死と重なってネグロに恐怖を刻み付けていた。
戦いを続ける事を放棄して、前線から逃げ出した。出来ることなら家族の元に帰りたくて、船を転々としながら家族の船の情報を求めていた。
「それと、あの頃、俺すごい遊んでもらってて……5歳くらいかな。だから俺、ネグロさんみたいに整備出来るようになりたくて」
「……、翡翠船団の?」
「そうです! 覚えてましたか!」
7月戦役も終戦して数年、家族を探していたネグロはその全てが戦火の中に沈んでいった事を知る。
寄る辺を失くしたショックから、ネグロは言葉を、生きる気力を失った。
そんな彼を拾ったのは、ある翡翠船団だった。
名前を言えぬ男にネグロと名付けて、決して楽ではない生活の中でネグロを世話してくれたのだ。
最初こそ自棄になっていたネグロも献身的な翡翠船団の人達の態度に、やがては船団のグレムリンの整備を手伝うようになっていた。
恐怖の対象であるグレムリンも人が乗らなければまだ、触れることが出来た。
そしてなによりも、すでに、あらゆる場所にこの機体が配備されている事が三大勢力の敗北を改めて認識させてくる。
グレムリンを手にしたら、何かが変わるのかと考えたこともあった。
「……でかくなったな」
「そりゃあ、10年ですからね……とにかく、近くで巨大未識別と戦ってる人の名前を聞いて……もしかしてと思ったら、いてもたってもいられなくて」
少年はそこまでいうと、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。二度も、命を救われました」
「……」
翡翠船団がジャンクテイマーの奇襲をうけ、船団のテイマーが負傷してしまった。テイマーがいなければ、グレムリンはただの鉄の塊でしかない。
翡翠船団の人達が死を覚悟した時、ネグロもまた、死を覚悟した。
ここで、今まで世話をしてくれた人達を救えたら、それで十分である、と。
覚悟と共に声を取り戻したネグロは、グレムリンに搭乗することを志願。
それが、はじめてグレムリンに乗った瞬間だった。
「……たまたまだよ。あの時も、今も」
「それでも、救われたのは事実ですから」
あくまでも運が良かったというネグロに少年は笑ってみせる。
ネグロは眉を寄せてその姿を見てから、小さく息を吐く。
「ほら、話してる暇があったら手を動かしに行け」
「え、あ、はい……」
「……頼んだぞ」
「っ、はい!」
走って整備に戻る少年の背中を見ながらネグロは目を細めた。
結局、死を覚悟して対峙したジャンクテイマーは、大した強さもなく、グレムリンというものへの恐怖が払拭された。
それからは、ただ、グレムリンへの怒りばかりが生まれていた。
「……」
しかしもう、怒りの感情すら過去になってしまう。
そうなった時に自分に残るものがなんなのか、ネグロにはまだわからなかった。
「敵は全滅、こちらの被害も大小あれど、撃墜は無し……戦果としては最高なんじゃないか?」
巨大未識別との戦いを終えて幽霊船に戻って程なく、格納庫でグレムリンのダメージを確認していたネグロの元にルインがやって来た。普段ブリッジから降りて来る事すらまれな艦長代理の姿をネグロは肩眉をつりあげてねめつけた。
「わざわざ言いに来るなんて、艦長も暇になったのか?」
「優秀なオペレーターが来てくれたのでね」
優秀なオペレーターとはジュピネの事だろう。最近、手を借りるようになったという話はネグロも聞いている。余裕が出来た、ということなのだろう。ネグロがそんな事を考えている間に、ルインは傷だらけのグレムリンをじっと見上げながら口を開く。
「……損傷で言うなら、レイルよりお前の方が激しいようだな。……仲間を失うのが怖かったか?」
「嫌味言いに来たのか?」
「……お前達で何を話したかはしらないが、まあ、仲が良いのは悪いことじゃない」
「……」
ルインは相変わらずこちらを見ずに、次は手元の端末を操作しながら話している。ネグロはその言葉の言い方にひっかかりを覚えはしたがつついた所でろくな話にならない気がして、無視してグレムリンの確認に戻る。
見てわかる程に傷だらけのそれを、改めて確認する必要が無いとは思っているのだが。一人で、ましてや物資も設備も足りない船の中では直すのも限界がある。どこかに停泊しなければいけないだろう、そうルインに言おうとして視線を向けると、彼もまたネグロを見ていた。
「南の島の翡翠工廠と連絡がついた。どのみちコンテナを届ける予定ではあっからな。お前の思いは色々あるだろうが今は大事な機体だ……しっかり直してこい」
「……了解」
なんだかんだ言いながらも、このルインという男は艦長として抜け目がない。視線がぶつかる同時にそう伝えられてネグロは、頷くしかできなかった。
翡翠工廠に機体を運ぶと、そこで待っていたのは暖かい出迎えだった。
巨大未識別との戦いは、隣の領域である南の島にも話が届いていたという事らしい。
ネグロはそれを邪険にする事もしなかったが、そっけない態度で対応しながら自らのグレムリンの修理を頼むこととした。
「……」
手厚い出迎えから逃げるように離れて、かといってどこかを歩き回るような気分でもない。
ネグロは一人、格納庫の壁にもたれ掛かってそこに並ぶ機体と作業をする人々を見ていた。
ここで交換できるフレームもあったのだが、自分の戦い方には向いてないものだったのでしない事に決めている。
レイルの機体は、フレーム交換も含めるらしく大幅な調整が必要となるだろう。あとで、少し確認しなければ、と思った所でネグロは舌打ちをひとつした。
すっかり僚機のいることに慣れてしまった。
身体も感情も、拒否をするにはある程度の覚悟もいるのに受け入れるのはあっという間だ。
グレムリンに対してもそうだ。少なくとも自分が乗っていた機体に全くの愛着が無いといえば、嘘になってしまうだろう。
それを悪いことだとは誰も言わない。ただ、自分だけが自分の弱さに辟易している。
「あの! ネグロさん、ですよね」
溜め息を吐いたところで、一人の少年が近付いてきた。
真っ黒な手にツナギ姿、腰に工具をぶら下げているところから、整備士であるのは見てとれたが若い整備士の知り合いはいない。怪訝な目で声をかけてきた少年を見た。
「……何だ?」
「あ、あの、覚えてますか? 10年くらい前、貴方に助けて貰った……」
「……10年」
十数年前、それはネグロにとって失意の時だった。圧倒的なグレムリンの強さは、仲間や僚機の死と重なってネグロに恐怖を刻み付けていた。
戦いを続ける事を放棄して、前線から逃げ出した。出来ることなら家族の元に帰りたくて、船を転々としながら家族の船の情報を求めていた。
「それと、あの頃、俺すごい遊んでもらってて……5歳くらいかな。だから俺、ネグロさんみたいに整備出来るようになりたくて」
「……、翡翠船団の?」
「そうです! 覚えてましたか!」
7月戦役も終戦して数年、家族を探していたネグロはその全てが戦火の中に沈んでいった事を知る。
寄る辺を失くしたショックから、ネグロは言葉を、生きる気力を失った。
そんな彼を拾ったのは、ある翡翠船団だった。
名前を言えぬ男にネグロと名付けて、決して楽ではない生活の中でネグロを世話してくれたのだ。
最初こそ自棄になっていたネグロも献身的な翡翠船団の人達の態度に、やがては船団のグレムリンの整備を手伝うようになっていた。
恐怖の対象であるグレムリンも人が乗らなければまだ、触れることが出来た。
そしてなによりも、すでに、あらゆる場所にこの機体が配備されている事が三大勢力の敗北を改めて認識させてくる。
グレムリンを手にしたら、何かが変わるのかと考えたこともあった。
「……でかくなったな」
「そりゃあ、10年ですからね……とにかく、近くで巨大未識別と戦ってる人の名前を聞いて……もしかしてと思ったら、いてもたってもいられなくて」
少年はそこまでいうと、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。二度も、命を救われました」
「……」
翡翠船団がジャンクテイマーの奇襲をうけ、船団のテイマーが負傷してしまった。テイマーがいなければ、グレムリンはただの鉄の塊でしかない。
翡翠船団の人達が死を覚悟した時、ネグロもまた、死を覚悟した。
ここで、今まで世話をしてくれた人達を救えたら、それで十分である、と。
覚悟と共に声を取り戻したネグロは、グレムリンに搭乗することを志願。
それが、はじめてグレムリンに乗った瞬間だった。
「……たまたまだよ。あの時も、今も」
「それでも、救われたのは事実ですから」
あくまでも運が良かったというネグロに少年は笑ってみせる。
ネグロは眉を寄せてその姿を見てから、小さく息を吐く。
「ほら、話してる暇があったら手を動かしに行け」
「え、あ、はい……」
「……頼んだぞ」
「っ、はい!」
走って整備に戻る少年の背中を見ながらネグロは目を細めた。
結局、死を覚悟して対峙したジャンクテイマーは、大した強さもなく、グレムリンというものへの恐怖が払拭された。
それからは、ただ、グレムリンへの怒りばかりが生まれていた。
「……」
しかしもう、怒りの感情すら過去になってしまう。
そうなった時に自分に残るものがなんなのか、ネグロにはまだわからなかった。
◆8回更新の日記ログ
未来に、祝福あれ――
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
け出したのだから、文句は言わせないだろう」
「勝手にしろ。昔のデータなんざ、たいした役にも立たねえだろうよ」
「……」
「過去は、もうどうしようもねえ。さっきお前は罪滅ぼしかと聞いたが、あんなもんは自己満足だ。今から俺が心を入れ換えて、何をしたって俺が過去にしたことはチャラにはならねえ」
ネグロの言葉にルインはふむ、と呟きながら顎を指でさすってみせる。
「……ならば世界を巻き戻すか?」
この世界が繰り返されている。
今や、誰もがそれを疑う状況が出来上がりつつある。廃工場で聞いた言葉を何故か最後まで知っている事の意味が、わかろうとている。
「興味ねえよ。過去はどうしようもねえって、言っただろうが」
それでもネグロはルインの言葉を一蹴した。繰り返される世界がいいとは、思っていない。
どんなに過去が美しくても、未来が見えなくても進むことに意味があると。
ネグロは何も言い返してこないルインを怪訝そうに見てから口をひらく。
「もう用は済んだな?」
答えも聞かずにネグロは踵を返してブリッジを出ようとする。ルインは溜め息ひとつしてから、ふとなにかを思い出してその背中に声をかけた。
「ああ――そうだ、処分だがな……少しは人と食事取るようにしろ。コミュニケーション不足は船内の指揮にも関わる」
「…………、了解」
ネグロは不本意を露にしたまま呟くとそのままブリッジを後にした。
――夢を見た。否、見せられた。
誰ともつかぬ人の姿から語られるのは世界の不具合、死に逝く世界、それを安全に終わらせる為の戦い。
「……破滅の今際にて、停滞せよ、世界」
無意識に漏れたのは、何故か記憶に刻まれている言葉。廃工場で見つけた端末の、誰とも知らない声の続き。
奇しくも、見せられた夢は更にこの世界が繰り返している事を如実に伝えてくるかのようなものだった。
「……面白くねえ」
舌打ちをしながら呟いて、ベッドから降りるとベッド脇に置いていた端末を手に取る。
巨大未識別誘導のメールを確認して、予定より遅れはしたが対処する目処がたったことを確認すればそのまま端末片手に格納庫へと向かった。
戦い続けていればいい。夢の中の誰かがそう言っていた。
その言葉に従うというつもりも、世界を守る等という大層な事を言うつもりもない。
誰かが戦わなければいけなくて、その手段があるから戦っている。
ずっとそうだ。今もその延長で、グレムリンに乗り込んでいる。
「……」
ただ、怒りに任せて戦い続ける気持ちは少しだけ薄れたと思う。
ルインに言った通り、償いなどは自己満足にしか過ぎない。けれども、その自己満足で救える命もあるのなら悪いことでは無いだろう。
格納庫にはいつもと様相の違うグレムリンが鎮座している。大掛かりなパーツ変更だったので、近くの工場から人手を借りたくらいだ。
シミュレーションを重ねて出したアセンブルは巨大未識別専用、とまではいかないがかなりそれを無力化する事に特化出来たと思う。
普段あまり口を出さないレイルのアセンブルにも、口を出した。
彼が敵を引き付ける時間が長ければ長い程、間違いなく敵を撃墜する事が可能だ――と、いうのは半分で、残りの半分は罪悪感だ。
勝手に彼を巻き込んだといっても過言ではない。もしそれで、何か起きてしまえば自分はまた、人の死を踏み越えて生き続ける事になる。
「強がりもできなくなったかよ、情けねえ」
自嘲気味に呟くと、ひとつ深呼吸をしてグレムリンの最終確認をはじめるのだった。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
け出したのだから、文句は言わせないだろう」
「勝手にしろ。昔のデータなんざ、たいした役にも立たねえだろうよ」
「……」
「過去は、もうどうしようもねえ。さっきお前は罪滅ぼしかと聞いたが、あんなもんは自己満足だ。今から俺が心を入れ換えて、何をしたって俺が過去にしたことはチャラにはならねえ」
ネグロの言葉にルインはふむ、と呟きながら顎を指でさすってみせる。
「……ならば世界を巻き戻すか?」
この世界が繰り返されている。
今や、誰もがそれを疑う状況が出来上がりつつある。廃工場で聞いた言葉を何故か最後まで知っている事の意味が、わかろうとている。
「興味ねえよ。過去はどうしようもねえって、言っただろうが」
それでもネグロはルインの言葉を一蹴した。繰り返される世界がいいとは、思っていない。
どんなに過去が美しくても、未来が見えなくても進むことに意味があると。
ネグロは何も言い返してこないルインを怪訝そうに見てから口をひらく。
「もう用は済んだな?」
答えも聞かずにネグロは踵を返してブリッジを出ようとする。ルインは溜め息ひとつしてから、ふとなにかを思い出してその背中に声をかけた。
「ああ――そうだ、処分だがな……少しは人と食事取るようにしろ。コミュニケーション不足は船内の指揮にも関わる」
「…………、了解」
ネグロは不本意を露にしたまま呟くとそのままブリッジを後にした。
――夢を見た。否、見せられた。
誰ともつかぬ人の姿から語られるのは世界の不具合、死に逝く世界、それを安全に終わらせる為の戦い。
「……破滅の今際にて、停滞せよ、世界」
無意識に漏れたのは、何故か記憶に刻まれている言葉。廃工場で見つけた端末の、誰とも知らない声の続き。
奇しくも、見せられた夢は更にこの世界が繰り返している事を如実に伝えてくるかのようなものだった。
「……面白くねえ」
舌打ちをしながら呟いて、ベッドから降りるとベッド脇に置いていた端末を手に取る。
巨大未識別誘導のメールを確認して、予定より遅れはしたが対処する目処がたったことを確認すればそのまま端末片手に格納庫へと向かった。
戦い続けていればいい。夢の中の誰かがそう言っていた。
その言葉に従うというつもりも、世界を守る等という大層な事を言うつもりもない。
誰かが戦わなければいけなくて、その手段があるから戦っている。
ずっとそうだ。今もその延長で、グレムリンに乗り込んでいる。
「……」
ただ、怒りに任せて戦い続ける気持ちは少しだけ薄れたと思う。
ルインに言った通り、償いなどは自己満足にしか過ぎない。けれども、その自己満足で救える命もあるのなら悪いことでは無いだろう。
格納庫にはいつもと様相の違うグレムリンが鎮座している。大掛かりなパーツ変更だったので、近くの工場から人手を借りたくらいだ。
シミュレーションを重ねて出したアセンブルは巨大未識別専用、とまではいかないがかなりそれを無力化する事に特化出来たと思う。
普段あまり口を出さないレイルのアセンブルにも、口を出した。
彼が敵を引き付ける時間が長ければ長い程、間違いなく敵を撃墜する事が可能だ――と、いうのは半分で、残りの半分は罪悪感だ。
勝手に彼を巻き込んだといっても過言ではない。もしそれで、何か起きてしまえば自分はまた、人の死を踏み越えて生き続ける事になる。
「強がりもできなくなったかよ、情けねえ」
自嘲気味に呟くと、ひとつ深呼吸をしてグレムリンの最終確認をはじめるのだった。
◆7回更新の日記ログ
未来+祝福
ガンッ!
操縦棺の中でグレイヴネットを見ていたネグロは気付けばコンソールを思い切り叩いていた。理由は、グレイヴネット内にある何某かの発言だ。
『かつて、グレムリン大隊は世界を護るために戦った。救うために』
見た瞬間に画面を消して――大きな音が響いた。
「……ふざけるなよ」
コンソールを叩いた拳を更にきつく握り締める。ここが、操縦棺の中でなければ当たり散らしただろう。それくらい、あのたった一言で腸が煮えくり返る思いだった。
グレムリン大隊が掲げる世界の中に、少なくともネグロが大切にしていたものは含まれていなかった。彼らは"必要な犠牲"として処理されたのだ。
戦争はそんなものだという自覚は当然もっているし、人はいつだって手の届くところしか守れない。グレムリンがあったとしても同じだ。
それをわかってても、許せるかどうかは別なのだ。ネグロには、この勝利者ゆえの傲慢さを許すことは出来ない。
「……くそっ」
絞り出すような声で悪態をついて、グローブボックスから袋に入ったカプセルを取り出すと、鷲掴みにして乱雑に口に放り込み水筒の美味しくない水で流し込んだ。
数度の深呼吸。
冷静さを取り戻しながら再度ネットへと接続し、未識別機体についての情報を確認しなおす。
死んだ人間の、消滅するはずだった存在のデータが今だ消えずに暴走を続けている。強化研究所からの情報を端的にまとめるとそういう事なのだろう。シートに深く座り直しながら軽く息を吐いた。死んだ人間が生き返った訳では無い。世界の不具合。世界に残されたデータだけが人の振りをしている。
その情報はネグロにとってある意味で安堵するものだった。死んだ人間をもう一度殺すような事は流石に避けたかったがその心配もないのであれば、あとはただ破壊するだけだ。本当に破壊したいものは無くなってしまって、今はその衝動だけが、宙に浮いてしまっているのだが。
「……」
ネットを切って瞑目した。
静かの海に巨大未識別を誘導してもらおうとしたが、少遅れてしまうという返答が来た。そうなれば離れていた幽霊船と今の僚機――スリーピング・レイルと巨大未識別をかち合わせることになってしまう。
艦長代理が他の人間に自分の事をどう説明したのか、ネグロには知る由もないし確認もしていない。ただ、艦長代理自身はネグロの考えを見透かしているようなそぶりがあった。
が、人の思考を考えたところで答えが見つかる訳ではない。眉根を深く寄せながらがしがし、と頭をかき乱した。
これだから、人としがらみを作るのは嫌だったのだ。そもそも、一人で対峙したかった理由は――死ぬ時は一人で死ぬべきだと思っていたからだ。真紅連理の先発隊の話を聞く限りでは、恐らく自分も到底無事で済むとは考えていない。それでも戦う事で傷を負わせ、データを拾える事が出来れば……
(俺も、同じか)
同志の命は惜しくない。そう言っていた真紅連理のオペレーターに難色を示していたくせに、同じことを考えている事に気付けば自嘲気味に口元をゆがめた。
こんな考えに他人を付き合わせる必要は無い。だからこそ、この計算外の話は余計にネグロを悩ませた。
溜め息ひとつ吐き出そうかという所で、モニターに通知が入る。
「……、チッ」
スリーピング・レイルからの通信を示したそれを見ればネグロは舌打ちをした。とことん、タイミングの悪い男だ。
そもそも、通信回線は最低限しかまだ開けていない。通じるまでに何度か試行したのだろうか。
「……」
ただ、話をしなければいけない事も事実でその点で言えばこの通信のタイミングは、悪くもなかった。
無言のまま、音声だけ通信を繋げた。
「ネグロさん」
聞こえてきた声をネグロは黙ったまま聞いている。何かを返すべきなのだろう、と思いつつも何を返せばいいのか考えあぐねていた。
「今、どこにいる? ネグロさんなら、ひとりでも、大丈夫かもしれないけど。それでも」
聞こえる声には不安が滲んでいるようにも聞こえる。あの艦長代理はろくに説明もしなかったのだろうか。
それを聞こうか、と思ったが続く言葉にだしかけた言葉を飲み込んでしまった。
「僕は、心配している」
「……っ、」
文句のひとつもこぼされる方がマシだったし、そうして欲しいことを望んでいたのにも関わらず出てきたのは身を案じる言葉だ。
そうじゃないだろ、と心の中では呟いたが未だ無言のままでいる。そろそろ、通信異常を疑われてもおかしくないだろう。
「ネグロさんは、無事で、いる?」
「……」
その言葉にただはい、と返せたら楽だったのだろうか。結局何かをいう前にレイルの言葉が止まった。
静まりかえってしまった操縦棺の中、顔を合わせてるわけでもないのに居心地が悪い。
「……人の心配なんかしてる場合か?」
居心地の悪さに耐えかねて、悪態ひとつ返して見せた。
そして、そのまま返事も聞かずに話を続ける。
「俺に拘るのは何だ?。俺の心配だとか、守りたいだとか……そういう相手は、他にもっといるだろ」
記憶が無いというのもあるのだろうが、それでもレイルはあまりに素直でそれ故に得体の知れなさを感じていた。
彼の自我に触れれば、それが少しは収まるのではないかと、そう思った。
通信機の向こうからゆっくりと声が聞こえてくる。
「単純、かもしれないけど。でも、ネグロさんは、僕を見つけてくれたから」
「……」
「僕は何も知らない。覚えてない。気付いたら、戦う力だけが手の中に、あって」
記憶が無いという事は、己の生きた道筋がわからないという事だ。それだけならまだしも、彼の手には何故か力だけがあった。
自分が同じ状況なら、どうたのか。ネグロには答えが出ない。語られる言葉の続きを、ただ待っていた。
「本当は、心細くて仕方ない。だって、何もわからないんだ。わからないまま、ただ、ただ、目の前のものを守るために、がむしゃらに戦うことしかできずにいる」
心細い、なにもわからない、そんな感情を抱えているくせに、何故何故戦うのか。見えない彼の道筋の中に、そうさせるものがあるのだろうか。
「……でも、ネグロさんは、僕に言葉をかけてくれる。僕を、見てくれる。一緒に戦ってくれる。それは、『何もわからない』という、僕の不安を払ってくれる」
語られる言葉に、ネグロは思わず眉を寄せた。レイルが思う程向き合ってはいなかったし、戦いの時はそうする方が都合がいいだけだから、なのに。
「だから、僕はネグロさんに報いたいと思っている。それは、おかしいこと、だろうか」
「……買い被りすぎだ。俺はお前から……いや、何もかもから目を背けてきた。戦闘は、生きる為に効率がよけりゃ、なんでもよかった。それだけだ」
掠れた声で呟く。
レイルが思う程、出来た人間ではない。大切にしていた過去からすらも、目を背けていた愚かで情けない人間なだけなのに。
守るものを失った。
そして、壊したかったものも、今はもう殆ど無くなってしまった。
ならば今、何のために戦うのか。
「それだけ、でも、いい。それだけでも、僕は、ネグロさんに、救われている」
臆面も無く吐き出された言葉に思わず頭を軽く掻いた。どうしてそこまで言うのか、結局の所レイルの言葉からネグロが理解くみ取れる部分はあまりなかった。ただ、きっとこの先の提案を彼は断らないだろう。その思いは確証に変わった。
ただ、もう一つだけ確認を取る必要がある。小さく息を吸って言葉を続ける。
「……死ぬつもりはない、ってのは、変わらないのか。相手が、どんな相手でも」
「死んでしまったら、何も守れないから。……死ぬつもりは、ない」
返事は即答に近かった。迷いも淀みも無い。守る為に戦う。その為に生きる。
それは、かつての自分がやりたくて出来なかった事。
胸の奥に、言葉にしがたい感情が沸き上がる。それを飲み込むように深呼吸をひとつした。
「巨大未識別の話は、聞いてるな」
ああ、と声が返ってくる。グレイヴネットを見ていれば嫌でも目に付く情報だろう。あれを見て、レイルがどう感じたかは考えるまでもないだろう。期せずして同じ方を見ていると言っても過言ではない。
「本当なら、1人でやるつもりだった……あのデカブツを放ってはおけねえ」
何となく通信機の向こうで息を呑む音が聞こえたような気がした。いくら真紅連理の応援を頼んだ所で、期待するなと向こうが言って来たのだからそういう事なのだろう。本来であれば手練れの者が数をそろえて挑むべきなのかもしれない。
「ただでは済まない可能性がある。それでも……」
それでも、行かなければいけない。全てから目を背けるのを、止めるなければいけない――手遅れだったと、しても。
「勝手な事を言ってるのはわかってる。手を貸してくれ」
逃げだした男が言う言葉ではない。言い終えて、自嘲した。あまりにも自分勝手な頼みである。しかも、レイルが何を答えるかはもう知っている。知っていて、聞いている。
「もちろん」
そして、聞こえてきたのは思った通りの返答と
「僕は死なない。ネグロさんも死なせない。そのつもりで戦うと、約束する」
思いもしなかった言葉だった。
スリーピング・レイルとの相性のよさは、過去の僚機と彼の戦い方の類似性によるものだった。けれど、どうやら今の僚機はあの頃の僚機よりも生きる事と守る事に貪欲らしい。先ほど浮かんだ言葉にしがたい感情の答えが見えてしまって、ネグロは目を細める。
「俺も、本当は……守りたかった……んだろうな」
羨ましかったのだろう。自分の状況を省みず素直な気持ちで守るという意思を持つことの出来る、彼の存在が。
ガンッ!
操縦棺の中でグレイヴネットを見ていたネグロは気付けばコンソールを思い切り叩いていた。理由は、グレイヴネット内にある何某かの発言だ。
『かつて、グレムリン大隊は世界を護るために戦った。救うために』
見た瞬間に画面を消して――大きな音が響いた。
「……ふざけるなよ」
コンソールを叩いた拳を更にきつく握り締める。ここが、操縦棺の中でなければ当たり散らしただろう。それくらい、あのたった一言で腸が煮えくり返る思いだった。
グレムリン大隊が掲げる世界の中に、少なくともネグロが大切にしていたものは含まれていなかった。彼らは"必要な犠牲"として処理されたのだ。
戦争はそんなものだという自覚は当然もっているし、人はいつだって手の届くところしか守れない。グレムリンがあったとしても同じだ。
それをわかってても、許せるかどうかは別なのだ。ネグロには、この勝利者ゆえの傲慢さを許すことは出来ない。
「……くそっ」
絞り出すような声で悪態をついて、グローブボックスから袋に入ったカプセルを取り出すと、鷲掴みにして乱雑に口に放り込み水筒の美味しくない水で流し込んだ。
数度の深呼吸。
冷静さを取り戻しながら再度ネットへと接続し、未識別機体についての情報を確認しなおす。
死んだ人間の、消滅するはずだった存在のデータが今だ消えずに暴走を続けている。強化研究所からの情報を端的にまとめるとそういう事なのだろう。シートに深く座り直しながら軽く息を吐いた。死んだ人間が生き返った訳では無い。世界の不具合。世界に残されたデータだけが人の振りをしている。
その情報はネグロにとってある意味で安堵するものだった。死んだ人間をもう一度殺すような事は流石に避けたかったがその心配もないのであれば、あとはただ破壊するだけだ。本当に破壊したいものは無くなってしまって、今はその衝動だけが、宙に浮いてしまっているのだが。
「……」
ネットを切って瞑目した。
静かの海に巨大未識別を誘導してもらおうとしたが、少遅れてしまうという返答が来た。そうなれば離れていた幽霊船と今の僚機――スリーピング・レイルと巨大未識別をかち合わせることになってしまう。
艦長代理が他の人間に自分の事をどう説明したのか、ネグロには知る由もないし確認もしていない。ただ、艦長代理自身はネグロの考えを見透かしているようなそぶりがあった。
が、人の思考を考えたところで答えが見つかる訳ではない。眉根を深く寄せながらがしがし、と頭をかき乱した。
これだから、人としがらみを作るのは嫌だったのだ。そもそも、一人で対峙したかった理由は――死ぬ時は一人で死ぬべきだと思っていたからだ。真紅連理の先発隊の話を聞く限りでは、恐らく自分も到底無事で済むとは考えていない。それでも戦う事で傷を負わせ、データを拾える事が出来れば……
(俺も、同じか)
同志の命は惜しくない。そう言っていた真紅連理のオペレーターに難色を示していたくせに、同じことを考えている事に気付けば自嘲気味に口元をゆがめた。
こんな考えに他人を付き合わせる必要は無い。だからこそ、この計算外の話は余計にネグロを悩ませた。
溜め息ひとつ吐き出そうかという所で、モニターに通知が入る。
「……、チッ」
スリーピング・レイルからの通信を示したそれを見ればネグロは舌打ちをした。とことん、タイミングの悪い男だ。
そもそも、通信回線は最低限しかまだ開けていない。通じるまでに何度か試行したのだろうか。
「……」
ただ、話をしなければいけない事も事実でその点で言えばこの通信のタイミングは、悪くもなかった。
無言のまま、音声だけ通信を繋げた。
「ネグロさん」
聞こえてきた声をネグロは黙ったまま聞いている。何かを返すべきなのだろう、と思いつつも何を返せばいいのか考えあぐねていた。
「今、どこにいる? ネグロさんなら、ひとりでも、大丈夫かもしれないけど。それでも」
聞こえる声には不安が滲んでいるようにも聞こえる。あの艦長代理はろくに説明もしなかったのだろうか。
それを聞こうか、と思ったが続く言葉にだしかけた言葉を飲み込んでしまった。
「僕は、心配している」
「……っ、」
文句のひとつもこぼされる方がマシだったし、そうして欲しいことを望んでいたのにも関わらず出てきたのは身を案じる言葉だ。
そうじゃないだろ、と心の中では呟いたが未だ無言のままでいる。そろそろ、通信異常を疑われてもおかしくないだろう。
「ネグロさんは、無事で、いる?」
「……」
その言葉にただはい、と返せたら楽だったのだろうか。結局何かをいう前にレイルの言葉が止まった。
静まりかえってしまった操縦棺の中、顔を合わせてるわけでもないのに居心地が悪い。
「……人の心配なんかしてる場合か?」
居心地の悪さに耐えかねて、悪態ひとつ返して見せた。
そして、そのまま返事も聞かずに話を続ける。
「俺に拘るのは何だ?。俺の心配だとか、守りたいだとか……そういう相手は、他にもっといるだろ」
記憶が無いというのもあるのだろうが、それでもレイルはあまりに素直でそれ故に得体の知れなさを感じていた。
彼の自我に触れれば、それが少しは収まるのではないかと、そう思った。
通信機の向こうからゆっくりと声が聞こえてくる。
「単純、かもしれないけど。でも、ネグロさんは、僕を見つけてくれたから」
「……」
「僕は何も知らない。覚えてない。気付いたら、戦う力だけが手の中に、あって」
記憶が無いという事は、己の生きた道筋がわからないという事だ。それだけならまだしも、彼の手には何故か力だけがあった。
自分が同じ状況なら、どうたのか。ネグロには答えが出ない。語られる言葉の続きを、ただ待っていた。
「本当は、心細くて仕方ない。だって、何もわからないんだ。わからないまま、ただ、ただ、目の前のものを守るために、がむしゃらに戦うことしかできずにいる」
心細い、なにもわからない、そんな感情を抱えているくせに、何故何故戦うのか。見えない彼の道筋の中に、そうさせるものがあるのだろうか。
「……でも、ネグロさんは、僕に言葉をかけてくれる。僕を、見てくれる。一緒に戦ってくれる。それは、『何もわからない』という、僕の不安を払ってくれる」
語られる言葉に、ネグロは思わず眉を寄せた。レイルが思う程向き合ってはいなかったし、戦いの時はそうする方が都合がいいだけだから、なのに。
「だから、僕はネグロさんに報いたいと思っている。それは、おかしいこと、だろうか」
「……買い被りすぎだ。俺はお前から……いや、何もかもから目を背けてきた。戦闘は、生きる為に効率がよけりゃ、なんでもよかった。それだけだ」
掠れた声で呟く。
レイルが思う程、出来た人間ではない。大切にしていた過去からすらも、目を背けていた愚かで情けない人間なだけなのに。
守るものを失った。
そして、壊したかったものも、今はもう殆ど無くなってしまった。
ならば今、何のために戦うのか。
「それだけ、でも、いい。それだけでも、僕は、ネグロさんに、救われている」
臆面も無く吐き出された言葉に思わず頭を軽く掻いた。どうしてそこまで言うのか、結局の所レイルの言葉からネグロが理解くみ取れる部分はあまりなかった。ただ、きっとこの先の提案を彼は断らないだろう。その思いは確証に変わった。
ただ、もう一つだけ確認を取る必要がある。小さく息を吸って言葉を続ける。
「……死ぬつもりはない、ってのは、変わらないのか。相手が、どんな相手でも」
「死んでしまったら、何も守れないから。……死ぬつもりは、ない」
返事は即答に近かった。迷いも淀みも無い。守る為に戦う。その為に生きる。
それは、かつての自分がやりたくて出来なかった事。
胸の奥に、言葉にしがたい感情が沸き上がる。それを飲み込むように深呼吸をひとつした。
「巨大未識別の話は、聞いてるな」
ああ、と声が返ってくる。グレイヴネットを見ていれば嫌でも目に付く情報だろう。あれを見て、レイルがどう感じたかは考えるまでもないだろう。期せずして同じ方を見ていると言っても過言ではない。
「本当なら、1人でやるつもりだった……あのデカブツを放ってはおけねえ」
何となく通信機の向こうで息を呑む音が聞こえたような気がした。いくら真紅連理の応援を頼んだ所で、期待するなと向こうが言って来たのだからそういう事なのだろう。本来であれば手練れの者が数をそろえて挑むべきなのかもしれない。
「ただでは済まない可能性がある。それでも……」
それでも、行かなければいけない。全てから目を背けるのを、止めるなければいけない――手遅れだったと、しても。
「勝手な事を言ってるのはわかってる。手を貸してくれ」
逃げだした男が言う言葉ではない。言い終えて、自嘲した。あまりにも自分勝手な頼みである。しかも、レイルが何を答えるかはもう知っている。知っていて、聞いている。
「もちろん」
そして、聞こえてきたのは思った通りの返答と
「僕は死なない。ネグロさんも死なせない。そのつもりで戦うと、約束する」
思いもしなかった言葉だった。
スリーピング・レイルとの相性のよさは、過去の僚機と彼の戦い方の類似性によるものだった。けれど、どうやら今の僚機はあの頃の僚機よりも生きる事と守る事に貪欲らしい。先ほど浮かんだ言葉にしがたい感情の答えが見えてしまって、ネグロは目を細める。
「俺も、本当は……守りたかった……んだろうな」
羨ましかったのだろう。自分の状況を省みず素直な気持ちで守るという意思を持つことの出来る、彼の存在が。
◆6回更新の日記ログ
過去を振り返る。未来を仰ぐ。誰かの祝福になりたいと願う。
*
*
*
* 通信を一時停止します
再三の帰艦を促す通信を振り切って、カズアーリオスは単機で戦場を離脱――あらゆる通信を遮断して、機体の機能を一時的に眠らせることで僚機関係を一時的にはずすことに成功した。
ただ、完全に削除する事はやはりできなかった。それに、おそかれはやかれグレイヴネットにも接続しなければいけなくなる。そうすればその隙に自分の居所を知られる事など想像するに容易い。
この時間がそう長くは続かないと、ネグロ自身も感じていた。
でも、別にそれでいい。別離が無理なら興味を失えばいい、嫌ってくれればいい。何もいわずにいなくなる者に、情などかけなければいい。
この関係を、居心地のよさを、得難いものだと感じてしまう前に終わらせる。
己の弱さから目を背けて、他人に理由を押し付けて――自分が一番嫌いな行為をそうやって続けている。
東に進路を取り、幽霊船と離れた先にたどり着いたのは巨大な光の柱が立つ世界の果て。墓所とも呼ばれる場所だった。
海深くから天高くまで伸びる光は、粉塵にまみれた視界からでも見えるほどある。
あれは思念の光なのか、それとも夢に出てきた光の河に関わりがあるのだろうか……疑問の答えのかわりに聞こえてくるのは"希望を探しに行こう"とささやいて来る何かの声である。厳かに辺りに響き渡るそれが、《対流思念》と呼ばれるものだという事はわかるが、《対流思念》が何なのかは何もわからない。
「……ッ、くそ、うるせえな」
人によってはこの声に心を奪われるのかもしれないし、この声に救われるのかもしれない。
しかし、ネグロにとってこの声は煩わしいだけではなく声が響いて来る度に身体に刻まれている傷がじわりと痛んでくるのだ。
ネグロ自身も戦闘において、充填を貯めてからの"極彩色の放射光"や"祝福された放射光"を利用する。強い思念の光は、発する度に身体を焼き、全身には無数の傷が浮かんでは消え、時には刻み込まれていく。傷が付く理由はわからないが、ネグロを支配する思念に怒りが多いことが原因ではないか、と何処かの誰かに訳知り顔で言われた気がするが、真偽は定かでない。
その傷が、《対流思念》の声を聞く度に痛みを産む。
味方機も敵機も、レーダーに反応はない。誰もいない海の上、1人思念に語りかけられながら、ネグロは無理矢理眠るためにも目を閉じた。
――光が、昇る。
夢を見ているのだと理解こそすれ、目覚めることはない。
無限の希望、時を進める、希望の到達、≪対流思念≫が眠りの中でも尚、語りかけてくる事に煩わしさを覚えながらネグロの視線は落ちていく光に向けられた。
光と共に視線が緩やかに落ちていく。
また、何処かの戦場の夢を見させられるのか。
そんな悪態すらついてしまいたくなったが、視界が靄を掻き分けて海面に移動していくにつれて、その感情は何処かへと消えていった。
(――あれは、)
そこでは、ある部隊と数体のグレムリンの戦闘が行われている。
当然、並大抵の機体ではグレムリンに傷を負わせる事すら難しく、部隊は少しずつ追い詰められていく。
一機、また一機と仲間達が墜ちていくのを視界に納めながら、またその視界がぐるりと動き始めた。
戦場の一角で、大破した機体。それはあの時にネグロ自身が乗っていたものだった。
もう殆ど動かないその機体を見たグレムリン一機は、他の機体を探してその場を去っていく。
視界は、ボロボロの機体の中、操縦棺へと進んでいく。
『カイト! 大丈夫か!?』
「……大丈夫じゃ、ねえな」
通信機から僚機の音声だけが聞こえる。この時の自分は、ひしゃげた操縦棺に左腕が挟まっていて、とてもじゃないが役に立たない、死に体の状態だった。
(エニィの、声)
忘れるはずもない。死に体だった自分を庇って死んでしまった僚機の事を。彼は、自らの名前をあまり気に言っておらずエニィという愛称を好んで使っていた。
何故今、こんな夢を。疑問への答えはなくただ、目の前の出来事を見聞きすることしかできない、
なんとか生きているレーダーが、僚機の接近を映し出す。
『囲まれとるし、全滅も時間の問題や。こりゃあ、撃つやろなあ……"アレ"』
「俺は……いい、から、お前は……逃げろ……!」
通信機から聞こえる僚機の声。息も絶え絶えの自分の声。日々薄れていく記憶とは違う、鮮明に写された映像と音声。それは現実と同じだった。
僚機の言う"アレ"とは勿論、重粒子粉塵投射砲だ。実際に撃たれて、自分以外だれも生き残らなかったのだから。
『こうなったら、ザッ……もう、お…ザザッげやな……ウチはもうええわ。ザーッ、……タが生きや』
「……な、にを」
記憶と同じ言葉が聞こえて、記憶と同じように自分の意識はそこで途切れた。ただ、記憶と違うのはそれを俯瞰で見ている自分がいるという事だ。
記憶の中の空白の時間が、目の前で流れていく。
『……っと、なんや通信機の調子こんなトコで……お、直った? おーい、起きとる? ……寝とる? そっか。じゃあ、これは内緒の遺言やな。機体毎吹っ飛べばデータも残らへんけど、ま、ええやろ』
通信機から尚も聞こえる声にもうすぐ自分が死んでしまうという悲壮感は無い。どこにも残されなかった遺言――記録には残らなくても、その思念は残り、形になったというのだろうか。
夢だというのに、額から汗が流れるのを感じる。何が、聞こえてくるのか。期待と不安で呼吸が乱れるような錯覚に陥る。
『ウチが盾になれば、多分アンタは生き残る。お先に死に逃げや。アンタ守って死ねるなんてカッコつけれるんやから、させてな? しょーじき、このまま生きてても辛いなあとかたまに思ってたんでちょうどええわ』
軽快な口調から語られる言葉をネグロは必死に聞き落とさないようにしていた。
その間も、仲間の断末魔が時折聞こえてくる。
『……気にしちゃうんかなあ。背負っちゃうかもなあ、アンタ、真面目やもんな。多分アンタはこの先も辛いやろなあ……でも、アンタには家族もおるやろ? この世界で生きてたんやろ? ……ごめんな、逃げる理由にアンタ使っちゃってるわ。でも、これ嘘やないで』
ネグロは何かを言おうとしたが、言葉にならない。今見ているのは夢で、この時の自分は気を失っているのだから当然なのだが、それすら忘れて必死に声を出そうとした。
『……ま、ウチはこれで満足やから、気にしなくてええよ。ただ、せやな――アンタが元気に……ザッ、きてくれた……チは、――ザザーッ、うれ……ザーッ、……』
(っ、待って、待ってくれ……!俺は、俺は――!)
声なき声が僚機に届くことがないまま、視界は真っ赤な粉塵に染められていった。
「………」
ハッ、と目が覚めるとそこは、いつもの操縦棺の中だった。
やけに喉が乾いている。水筒に入っている泥水をほんの少しだけ口にして喉を潤す。
ゆっくりと呼吸をしながら夢の事を思い出す。あれは、思念が聞いていたはずの記憶を呼び起こしてくれたのだろうか。それとも、ありもしない夢を見せられたのだろうか。
「……、ッ、」
喉から、声にならない声を漏らしながら額に巻いていたバンダナを掴んで目を隠すように下ろした。あれはきっと思念が見せた現実だと、少なくともネグロにはそう感じられた。
今の自分は、彼らに――いなくなってしまった大切な人達に、胸を張れる様な生き方が出来ているだろうか?
全てを破壊するなんて、自分の弱さを隠す為の方便でしかない。心はずっと過去に囚われたまま、ただ力を振るっている。
「……っ、ぁ、」
操縦棺の中、1人。情けない嗚咽を噛み殺す。ここで声を出してしまうと、ずっと我慢していた張りつめていたものが切れてしまう気がした。今更だ、何とはなしにそう思った。もう、ここからどうしたって、戻れなくなってしまった。戻り方が、わからなくなってしまった。
『それだけ、ネグロさんの『世界』は、大切なものだったんだな』
『僕には無いものを、ネグロさんが持っていると思うから。僕には無いものを、守れたらいいと思うから』
不意に浮かんだ、今の僚機の――スリーピング・レイルの言葉。
大切な世界だった。守りたいと思っていた。
そうだ、俺だって出来るなら守りたかった。
けれど、守れなかった。
力を得られたのは全て失ってからで、しかもそれは、大切な世界を壊した力そのもので。
「今更……どうしろって……言うんだよ」
何かに気付かされてしまった。その何かがわからないまま、ネグロは一人操縦棺で声を殺し続けた。
*
*
*
* 通信の一時停止を解除します
*
*
*
* 新着メールがあります
それだけ時間が経ったかはわからないが、気付けばネグロは停止していた通信を自らの手で解除していた。それは、己の弱さを認める行為でもあった。
届いていたメールを開き、内容を確認する。音声メッセージを聞くその眉間に深い皺が寄せられた。
「……変わらねえな」
舌打ちひとつして呟くと武骨な手がコンソールを叩く。"真紅連理のために"と合言葉を入力して、送信をする。
この選択が何かに報いる選択になるのかどうか、答えはわからないまま。
『……17年前にクズルエムアリウス隊に所属していた、カイト・タックムーアだ。同志の力を借りたい――加勢を頼む』
*
*
*
* 通信を一時停止します
再三の帰艦を促す通信を振り切って、カズアーリオスは単機で戦場を離脱――あらゆる通信を遮断して、機体の機能を一時的に眠らせることで僚機関係を一時的にはずすことに成功した。
ただ、完全に削除する事はやはりできなかった。それに、おそかれはやかれグレイヴネットにも接続しなければいけなくなる。そうすればその隙に自分の居所を知られる事など想像するに容易い。
この時間がそう長くは続かないと、ネグロ自身も感じていた。
でも、別にそれでいい。別離が無理なら興味を失えばいい、嫌ってくれればいい。何もいわずにいなくなる者に、情などかけなければいい。
この関係を、居心地のよさを、得難いものだと感じてしまう前に終わらせる。
己の弱さから目を背けて、他人に理由を押し付けて――自分が一番嫌いな行為をそうやって続けている。
東に進路を取り、幽霊船と離れた先にたどり着いたのは巨大な光の柱が立つ世界の果て。墓所とも呼ばれる場所だった。
海深くから天高くまで伸びる光は、粉塵にまみれた視界からでも見えるほどある。
あれは思念の光なのか、それとも夢に出てきた光の河に関わりがあるのだろうか……疑問の答えのかわりに聞こえてくるのは"希望を探しに行こう"とささやいて来る何かの声である。厳かに辺りに響き渡るそれが、《対流思念》と呼ばれるものだという事はわかるが、《対流思念》が何なのかは何もわからない。
「……ッ、くそ、うるせえな」
人によってはこの声に心を奪われるのかもしれないし、この声に救われるのかもしれない。
しかし、ネグロにとってこの声は煩わしいだけではなく声が響いて来る度に身体に刻まれている傷がじわりと痛んでくるのだ。
ネグロ自身も戦闘において、充填を貯めてからの"極彩色の放射光"や"祝福された放射光"を利用する。強い思念の光は、発する度に身体を焼き、全身には無数の傷が浮かんでは消え、時には刻み込まれていく。傷が付く理由はわからないが、ネグロを支配する思念に怒りが多いことが原因ではないか、と何処かの誰かに訳知り顔で言われた気がするが、真偽は定かでない。
その傷が、《対流思念》の声を聞く度に痛みを産む。
味方機も敵機も、レーダーに反応はない。誰もいない海の上、1人思念に語りかけられながら、ネグロは無理矢理眠るためにも目を閉じた。
――光が、昇る。
夢を見ているのだと理解こそすれ、目覚めることはない。
無限の希望、時を進める、希望の到達、≪対流思念≫が眠りの中でも尚、語りかけてくる事に煩わしさを覚えながらネグロの視線は落ちていく光に向けられた。
光と共に視線が緩やかに落ちていく。
また、何処かの戦場の夢を見させられるのか。
そんな悪態すらついてしまいたくなったが、視界が靄を掻き分けて海面に移動していくにつれて、その感情は何処かへと消えていった。
(――あれは、)
そこでは、ある部隊と数体のグレムリンの戦闘が行われている。
当然、並大抵の機体ではグレムリンに傷を負わせる事すら難しく、部隊は少しずつ追い詰められていく。
一機、また一機と仲間達が墜ちていくのを視界に納めながら、またその視界がぐるりと動き始めた。
戦場の一角で、大破した機体。それはあの時にネグロ自身が乗っていたものだった。
もう殆ど動かないその機体を見たグレムリン一機は、他の機体を探してその場を去っていく。
視界は、ボロボロの機体の中、操縦棺へと進んでいく。
『カイト! 大丈夫か!?』
「……大丈夫じゃ、ねえな」
通信機から僚機の音声だけが聞こえる。この時の自分は、ひしゃげた操縦棺に左腕が挟まっていて、とてもじゃないが役に立たない、死に体の状態だった。
(エニィの、声)
忘れるはずもない。死に体だった自分を庇って死んでしまった僚機の事を。彼は、自らの名前をあまり気に言っておらずエニィという愛称を好んで使っていた。
何故今、こんな夢を。疑問への答えはなくただ、目の前の出来事を見聞きすることしかできない、
なんとか生きているレーダーが、僚機の接近を映し出す。
『囲まれとるし、全滅も時間の問題や。こりゃあ、撃つやろなあ……"アレ"』
「俺は……いい、から、お前は……逃げろ……!」
通信機から聞こえる僚機の声。息も絶え絶えの自分の声。日々薄れていく記憶とは違う、鮮明に写された映像と音声。それは現実と同じだった。
僚機の言う"アレ"とは勿論、重粒子粉塵投射砲だ。実際に撃たれて、自分以外だれも生き残らなかったのだから。
『こうなったら、ザッ……もう、お…ザザッげやな……ウチはもうええわ。ザーッ、……タが生きや』
「……な、にを」
記憶と同じ言葉が聞こえて、記憶と同じように自分の意識はそこで途切れた。ただ、記憶と違うのはそれを俯瞰で見ている自分がいるという事だ。
記憶の中の空白の時間が、目の前で流れていく。
『……っと、なんや通信機の調子こんなトコで……お、直った? おーい、起きとる? ……寝とる? そっか。じゃあ、これは内緒の遺言やな。機体毎吹っ飛べばデータも残らへんけど、ま、ええやろ』
通信機から尚も聞こえる声にもうすぐ自分が死んでしまうという悲壮感は無い。どこにも残されなかった遺言――記録には残らなくても、その思念は残り、形になったというのだろうか。
夢だというのに、額から汗が流れるのを感じる。何が、聞こえてくるのか。期待と不安で呼吸が乱れるような錯覚に陥る。
『ウチが盾になれば、多分アンタは生き残る。お先に死に逃げや。アンタ守って死ねるなんてカッコつけれるんやから、させてな? しょーじき、このまま生きてても辛いなあとかたまに思ってたんでちょうどええわ』
軽快な口調から語られる言葉をネグロは必死に聞き落とさないようにしていた。
その間も、仲間の断末魔が時折聞こえてくる。
『……気にしちゃうんかなあ。背負っちゃうかもなあ、アンタ、真面目やもんな。多分アンタはこの先も辛いやろなあ……でも、アンタには家族もおるやろ? この世界で生きてたんやろ? ……ごめんな、逃げる理由にアンタ使っちゃってるわ。でも、これ嘘やないで』
ネグロは何かを言おうとしたが、言葉にならない。今見ているのは夢で、この時の自分は気を失っているのだから当然なのだが、それすら忘れて必死に声を出そうとした。
『……ま、ウチはこれで満足やから、気にしなくてええよ。ただ、せやな――アンタが元気に……ザッ、きてくれた……チは、――ザザーッ、うれ……ザーッ、……』
(っ、待って、待ってくれ……!俺は、俺は――!)
声なき声が僚機に届くことがないまま、視界は真っ赤な粉塵に染められていった。
「………」
ハッ、と目が覚めるとそこは、いつもの操縦棺の中だった。
やけに喉が乾いている。水筒に入っている泥水をほんの少しだけ口にして喉を潤す。
ゆっくりと呼吸をしながら夢の事を思い出す。あれは、思念が聞いていたはずの記憶を呼び起こしてくれたのだろうか。それとも、ありもしない夢を見せられたのだろうか。
「……、ッ、」
喉から、声にならない声を漏らしながら額に巻いていたバンダナを掴んで目を隠すように下ろした。あれはきっと思念が見せた現実だと、少なくともネグロにはそう感じられた。
今の自分は、彼らに――いなくなってしまった大切な人達に、胸を張れる様な生き方が出来ているだろうか?
全てを破壊するなんて、自分の弱さを隠す為の方便でしかない。心はずっと過去に囚われたまま、ただ力を振るっている。
「……っ、ぁ、」
操縦棺の中、1人。情けない嗚咽を噛み殺す。ここで声を出してしまうと、ずっと我慢していた張りつめていたものが切れてしまう気がした。今更だ、何とはなしにそう思った。もう、ここからどうしたって、戻れなくなってしまった。戻り方が、わからなくなってしまった。
『それだけ、ネグロさんの『世界』は、大切なものだったんだな』
『僕には無いものを、ネグロさんが持っていると思うから。僕には無いものを、守れたらいいと思うから』
不意に浮かんだ、今の僚機の――スリーピング・レイルの言葉。
大切な世界だった。守りたいと思っていた。
そうだ、俺だって出来るなら守りたかった。
けれど、守れなかった。
力を得られたのは全て失ってからで、しかもそれは、大切な世界を壊した力そのもので。
「今更……どうしろって……言うんだよ」
何かに気付かされてしまった。その何かがわからないまま、ネグロは一人操縦棺で声を殺し続けた。
*
*
*
* 通信の一時停止を解除します
*
*
*
* 新着メールがあります
それだけ時間が経ったかはわからないが、気付けばネグロは停止していた通信を自らの手で解除していた。それは、己の弱さを認める行為でもあった。
届いていたメールを開き、内容を確認する。音声メッセージを聞くその眉間に深い皺が寄せられた。
「……変わらねえな」
舌打ちひとつして呟くと武骨な手がコンソールを叩く。"真紅連理のために"と合言葉を入力して、送信をする。
この選択が何かに報いる選択になるのかどうか、答えはわからないまま。
『……17年前にクズルエムアリウス隊に所属していた、カイト・タックムーアだ。同志の力を借りたい――加勢を頼む』
◆5回更新の日記ログ
生きる限り、未来があるとして、祝福無き呪われた道は、未来と言えるのだろうか。
16年前――七月戦役終結。
あの戦いで多くの人間が様々なものを失った。
仲間もその中のひとつ。特に、僚機ともなれば戦場においての半身であり彼らを失った傷が癒えないまま、今も戦い続けている者達は少なくない。
新たな僚機が望む、望まざる関係なく隣にいたとしてそれは過去共に戦った仲間を埋める存在となりえる事は無い。
グレイヴネットで広まる噂。そして、それを立証するような音声データ。過去に囚われ、惑わされた者達が行方知れずとなった話。ネットを流れていく情報はその話でもちきりとなっていた。
煩わしい。自室のベッドでネットの情報を一通り見たネグロは口の中でそう呟いて接続を切った。いつものように携帯端末を放りなげて寝転がる。時間からいうともう寝た方がいいのだが、眼が冴えてしまった。
万が一自分が同じ状況になったとしたら?仲間達や僚機が生き返らない事などわかっている。わかっていても、幻だとしても偽物だとしても、再び目の前に現れた時それを自らの手で始末する事が出来るのか?
「……」
やるしかないと理解してても、簡単にできる事ではない。だからこそ、多くの傷を持った者達が過去に囚われていくのだ。過去に流される者達をとどめられるとすればそれは、今を生きている者達だけなのだろう。
けれどネグロには自分をとどめてくれるだろう者はいない。自分でそれを避けてきたのだから当然だ――それこそが、すでに過去に囚われ続けているからだという事に気が付きながらも。
「ああ、クソ!」
苛立つのは紛れもなく自分に対してだ。寝る前にネットなんか見るんじゃなかったと後悔しても手遅れだ。こんな気分では眠れる筈も無い。頭を乱雑にかき乱してからベッドを飛び起きると工具箱を手にして自室を後にする。向かう先は当然格納庫だ。
ここ最近は本当に、満足に自分の機体を弄る事も出来ていない。ミアは暇なしついて来ては色々な事を聞いたりしてくるし、ツィールもエリエスも気にしてしまうとどこまでも気になってしまう程度には整備慣れしていない。自然と世話を焼いてしまうのは、遠く昔の蓋をしていた記憶を身体が覚えているからなのだろう。
ただ、若さのおかげか飲み込みが早いのは幸いで特に整備の心得があるミアは、ツィールやエリエスに教えたりする事もある。日々成長をしていく彼女らを見ていくうちに自然と絆されている、と頭は理解している。しかし心はその居心地の良さを求めてしまっている。
この幽霊船に乗った事を後悔する事も少なくは無かった。居場所があるという事はこうして無駄な事を考える時間を作ってしまうという事をすっかりと、忘れていたのだから。
長い息を吐きながら、誰もいない格納庫に足を踏み入れる。最低限のライトをつけて、昼間の整備を教える片手間に確認して気になっていたパーツを取り外すべく足場をくみ上げた。静かな格納庫内に、金属がぶつかりこすれ合う音だけが響く。こうして、機体と向き合っている間だけは何も考えなくていい。
ひとつひとつ、異常や劣化を確認していく。当然、一人で全てを丁寧にしている時間はないので整備工場でしている時よりもずっと流し見だ。最低限の中でも最高に機体が動くようになんとかする。それも整備士としての腕前には必要だ。
ようやく整備作業の流れがのりはじめた所で、不意に扉の開く音が聞こえた。静かな格納庫内では、どれだけ気を付けていてもその音は響いてしまう。
何事かとネグロが視線を向けた先、まるで亡霊のようにうっそりとした姿と目が合って思わず眉をしかめてしまった。
「ネグロ、さん」
亡霊のような姿――僚機であるスリーピング・レイルは視線が合えば挨拶をしてくる。けれどもネグロはそれに対して返事をせずに一度じ、と牽制するような視線を向けると整備作業に戻って行った。
ネグロはあのレイルという男が正直に言って嫌いだった。何を考えているか得体が知れず、それでいて使命感に酔っているような男。同じ記憶喪失であっても、思考や感情がツィールの方がはっきりしているように感じる。端的にいうとスリーピング・レイルには自我が感じられない。その名の通り、彼はずっとどこか夢うつつなのだ。
「こんな時間まで、整備をしていたんだ」
今だって無視を決め込んだというのに歩み寄って声をかけてきた。無視されたという自覚が無いのか、そもそもこれは独り言なのか。背後に気配を感じながらネグロはそちらを意識しないように整備を続けようとしたが……
「……何だ、鬱陶しい」
無理だった。
このまま、独り言か問いかけかわからない言葉をずっと吐き出されるよりも明確な意図がわかる会話の方がずっと楽な事に気が付いてしまった。思えば、まともな会話等最初に呼びかけた時以外ほとんどしていない。
一拍おいて「ごめんなさい」と声が聞こえて来た。この微妙なタイミングのズレすら、彼が何処か虚ろでいる事の証左ではないのだろうか。レイルの謝罪に返事をする事もなくネグロは整備を続けていく。
背後の気配が遠ざかる事は無く黙って見つめられているのは正直落ち着かないが、どうせ言っても聞かないのだと半ばあきらめの気持ちもあった。出来れば、このまま無言で終わればいい。しかし、願いが叶う事はなかった。
「いつも、ミアさんに、色々教えてくれてありがとう。僕も、とても、助かってる。それと」
「……」
ゆっくりとレイルの口から言葉が流れ出したのをネグロは一瞬だけ横目で伺ってしまった。感謝の言葉だけ終わるつもりの無い言葉尻。ただ、独り言ではなく明確に自分に向けられていた言葉だった。そちらの方が幾分か座りがいいのは確かだが、それにこたえるかどうかというと話は別だ。
相変わらず、整備の手を止める事は無い。
「質問が、あるんだ」
確認が終わったパーツをグレムリンにはめていく。ゆるみがないようにしっかりと。まるで話なんか聞いていないというかのように、その動きは淀みなくいつも通りに行われていく。
「ネグロさんは、本当は、テイマーじゃなくて、整備士だって、ミアさんから、聞いた」
「……チッ」
余計な事を、と言いたげに舌打ちを一つこぼしてしまった。望んでテイマーを続けている訳じゃない。兵器だけではない、人々の世界に寄り添う機会だって直してた頃があった。そうじゃなくても、何かを直す事で人と繋がれる事、感謝される事が好きだった。
とうとう、整備の手が止まる。
「その時から、ずっと、気にかかっていたんだ。……ネグロさんは、どうして、グレムリンに乗って、戦いに身を投じているんだ?」
「……」
「ネグロさんは『お前が俺の何を知ってる』って言った。確かに、僕は何も知らない、けど。……ネグロさんが、戦いを好んでいるようには、どうしても、見えない」
諦めたようにレイルの顔を見れば、まっすぐに自分を見返している事に気が付いてしまう。何も知らない、何も覚えていないくせに、憎たらしいくらいに意志ばかり強い男の、それを象徴するかのような強い瞳にネグロは思わず眉根を寄せた。
「……知らないから知ろうって言うのか、殊勝な事だな」
皮肉を混ぜて言った所できっとその皮肉は届いていない。ただ愛想の無い言葉だけが格納庫の中に響いている。
黙ってほっとけばいいものを、わざわざ答えてやるんだからよほど参っているんだと思った。
「――知りたきゃ教えてやる。生きる為に戦うんだ」
「生きる、為に」
鸚鵡返しに呟かれる言葉。その意味を深く噛み砕いて自分の中に飲み込ませようとする呟き。何の感情にも染まっていない純粋な言葉が、ひどく恐ろしく感じられた。やっぱり、この男の底が知れない。
「俺は、俺の身体が動く限り、この世界を破壊しやがった全てを……俺がブチ壊してやるんだ……!」
ぎり、自然を奥歯を噛み締めた。ネグロの中に常に渦を巻いているのは、全てを壊され失った悲しみと、怒りだ。過去を持たない、過去を覚えていないもの達に自分のこの気持ちなんて到底理解できる筈無いのだ。言い様のない感情が身体を駆け巡り、震わせる。
「……終わりだ。これ以上は何もねえ」
呻くように言葉を吐き出してレイルに再び背を向ける。けれど、その手が再び整備作業をはじめる事は出来なかった。かといって、その場を後にする事も出来ずにただ背後にある気配が消えるのを待つことしかできない。そして、相も変わらずこの背後の気配はネグロの思う通りの行動をとる事はなかった。
「それが、ネグロさんにとって『生きる』ということなのか」
抑揚の薄い響きが背後から聞こえてくる。何かに納得したのだろうか。何も得てくれなくてもいいのに。うるさい、と罵声を浴びせる事も出来ないままただ立ち尽くしている。
「それだけ、ネグロさんの『世界』は、大切なものだったんだな」
何がわかったのだろう。何を知ったのだろう。表面だけをなぞって、それで。
「僕はネグロさんと、もっと、一緒に居たい」
どうしてそうなるんだ。これ以上、何もかも、世界の汚れすら忘れてしまった瞳をまだ向けてこようというのか。
「僕には無いものを、ネグロさんが持っていると思うから。僕には無いものを、守れたらいいと思うから」
お前が得るべきなのは、俺のものではなくて、お前自身のものではないのか。
「終わりだって言ったのは、聞こえなかったのか?」
背をむけたままレイルに絞り出した声は震えていた。
この言葉がきいたのか、そもそもレイルの言いたい事が終わったのか。それはわからないが、言葉は終わる。
最後の一言を残して。
「……おやすみ、ネグロさん」
16年前――七月戦役終結。
あの戦いで多くの人間が様々なものを失った。
仲間もその中のひとつ。特に、僚機ともなれば戦場においての半身であり彼らを失った傷が癒えないまま、今も戦い続けている者達は少なくない。
新たな僚機が望む、望まざる関係なく隣にいたとしてそれは過去共に戦った仲間を埋める存在となりえる事は無い。
グレイヴネットで広まる噂。そして、それを立証するような音声データ。過去に囚われ、惑わされた者達が行方知れずとなった話。ネットを流れていく情報はその話でもちきりとなっていた。
煩わしい。自室のベッドでネットの情報を一通り見たネグロは口の中でそう呟いて接続を切った。いつものように携帯端末を放りなげて寝転がる。時間からいうともう寝た方がいいのだが、眼が冴えてしまった。
万が一自分が同じ状況になったとしたら?仲間達や僚機が生き返らない事などわかっている。わかっていても、幻だとしても偽物だとしても、再び目の前に現れた時それを自らの手で始末する事が出来るのか?
「……」
やるしかないと理解してても、簡単にできる事ではない。だからこそ、多くの傷を持った者達が過去に囚われていくのだ。過去に流される者達をとどめられるとすればそれは、今を生きている者達だけなのだろう。
けれどネグロには自分をとどめてくれるだろう者はいない。自分でそれを避けてきたのだから当然だ――それこそが、すでに過去に囚われ続けているからだという事に気が付きながらも。
「ああ、クソ!」
苛立つのは紛れもなく自分に対してだ。寝る前にネットなんか見るんじゃなかったと後悔しても手遅れだ。こんな気分では眠れる筈も無い。頭を乱雑にかき乱してからベッドを飛び起きると工具箱を手にして自室を後にする。向かう先は当然格納庫だ。
ここ最近は本当に、満足に自分の機体を弄る事も出来ていない。ミアは暇なしついて来ては色々な事を聞いたりしてくるし、ツィールもエリエスも気にしてしまうとどこまでも気になってしまう程度には整備慣れしていない。自然と世話を焼いてしまうのは、遠く昔の蓋をしていた記憶を身体が覚えているからなのだろう。
ただ、若さのおかげか飲み込みが早いのは幸いで特に整備の心得があるミアは、ツィールやエリエスに教えたりする事もある。日々成長をしていく彼女らを見ていくうちに自然と絆されている、と頭は理解している。しかし心はその居心地の良さを求めてしまっている。
この幽霊船に乗った事を後悔する事も少なくは無かった。居場所があるという事はこうして無駄な事を考える時間を作ってしまうという事をすっかりと、忘れていたのだから。
長い息を吐きながら、誰もいない格納庫に足を踏み入れる。最低限のライトをつけて、昼間の整備を教える片手間に確認して気になっていたパーツを取り外すべく足場をくみ上げた。静かな格納庫内に、金属がぶつかりこすれ合う音だけが響く。こうして、機体と向き合っている間だけは何も考えなくていい。
ひとつひとつ、異常や劣化を確認していく。当然、一人で全てを丁寧にしている時間はないので整備工場でしている時よりもずっと流し見だ。最低限の中でも最高に機体が動くようになんとかする。それも整備士としての腕前には必要だ。
ようやく整備作業の流れがのりはじめた所で、不意に扉の開く音が聞こえた。静かな格納庫内では、どれだけ気を付けていてもその音は響いてしまう。
何事かとネグロが視線を向けた先、まるで亡霊のようにうっそりとした姿と目が合って思わず眉をしかめてしまった。
「ネグロ、さん」
亡霊のような姿――僚機であるスリーピング・レイルは視線が合えば挨拶をしてくる。けれどもネグロはそれに対して返事をせずに一度じ、と牽制するような視線を向けると整備作業に戻って行った。
ネグロはあのレイルという男が正直に言って嫌いだった。何を考えているか得体が知れず、それでいて使命感に酔っているような男。同じ記憶喪失であっても、思考や感情がツィールの方がはっきりしているように感じる。端的にいうとスリーピング・レイルには自我が感じられない。その名の通り、彼はずっとどこか夢うつつなのだ。
「こんな時間まで、整備をしていたんだ」
今だって無視を決め込んだというのに歩み寄って声をかけてきた。無視されたという自覚が無いのか、そもそもこれは独り言なのか。背後に気配を感じながらネグロはそちらを意識しないように整備を続けようとしたが……
「……何だ、鬱陶しい」
無理だった。
このまま、独り言か問いかけかわからない言葉をずっと吐き出されるよりも明確な意図がわかる会話の方がずっと楽な事に気が付いてしまった。思えば、まともな会話等最初に呼びかけた時以外ほとんどしていない。
一拍おいて「ごめんなさい」と声が聞こえて来た。この微妙なタイミングのズレすら、彼が何処か虚ろでいる事の証左ではないのだろうか。レイルの謝罪に返事をする事もなくネグロは整備を続けていく。
背後の気配が遠ざかる事は無く黙って見つめられているのは正直落ち着かないが、どうせ言っても聞かないのだと半ばあきらめの気持ちもあった。出来れば、このまま無言で終わればいい。しかし、願いが叶う事はなかった。
「いつも、ミアさんに、色々教えてくれてありがとう。僕も、とても、助かってる。それと」
「……」
ゆっくりとレイルの口から言葉が流れ出したのをネグロは一瞬だけ横目で伺ってしまった。感謝の言葉だけ終わるつもりの無い言葉尻。ただ、独り言ではなく明確に自分に向けられていた言葉だった。そちらの方が幾分か座りがいいのは確かだが、それにこたえるかどうかというと話は別だ。
相変わらず、整備の手を止める事は無い。
「質問が、あるんだ」
確認が終わったパーツをグレムリンにはめていく。ゆるみがないようにしっかりと。まるで話なんか聞いていないというかのように、その動きは淀みなくいつも通りに行われていく。
「ネグロさんは、本当は、テイマーじゃなくて、整備士だって、ミアさんから、聞いた」
「……チッ」
余計な事を、と言いたげに舌打ちを一つこぼしてしまった。望んでテイマーを続けている訳じゃない。兵器だけではない、人々の世界に寄り添う機会だって直してた頃があった。そうじゃなくても、何かを直す事で人と繋がれる事、感謝される事が好きだった。
とうとう、整備の手が止まる。
「その時から、ずっと、気にかかっていたんだ。……ネグロさんは、どうして、グレムリンに乗って、戦いに身を投じているんだ?」
「……」
「ネグロさんは『お前が俺の何を知ってる』って言った。確かに、僕は何も知らない、けど。……ネグロさんが、戦いを好んでいるようには、どうしても、見えない」
諦めたようにレイルの顔を見れば、まっすぐに自分を見返している事に気が付いてしまう。何も知らない、何も覚えていないくせに、憎たらしいくらいに意志ばかり強い男の、それを象徴するかのような強い瞳にネグロは思わず眉根を寄せた。
「……知らないから知ろうって言うのか、殊勝な事だな」
皮肉を混ぜて言った所できっとその皮肉は届いていない。ただ愛想の無い言葉だけが格納庫の中に響いている。
黙ってほっとけばいいものを、わざわざ答えてやるんだからよほど参っているんだと思った。
「――知りたきゃ教えてやる。生きる為に戦うんだ」
「生きる、為に」
鸚鵡返しに呟かれる言葉。その意味を深く噛み砕いて自分の中に飲み込ませようとする呟き。何の感情にも染まっていない純粋な言葉が、ひどく恐ろしく感じられた。やっぱり、この男の底が知れない。
「俺は、俺の身体が動く限り、この世界を破壊しやがった全てを……俺がブチ壊してやるんだ……!」
ぎり、自然を奥歯を噛み締めた。ネグロの中に常に渦を巻いているのは、全てを壊され失った悲しみと、怒りだ。過去を持たない、過去を覚えていないもの達に自分のこの気持ちなんて到底理解できる筈無いのだ。言い様のない感情が身体を駆け巡り、震わせる。
「……終わりだ。これ以上は何もねえ」
呻くように言葉を吐き出してレイルに再び背を向ける。けれど、その手が再び整備作業をはじめる事は出来なかった。かといって、その場を後にする事も出来ずにただ背後にある気配が消えるのを待つことしかできない。そして、相も変わらずこの背後の気配はネグロの思う通りの行動をとる事はなかった。
「それが、ネグロさんにとって『生きる』ということなのか」
抑揚の薄い響きが背後から聞こえてくる。何かに納得したのだろうか。何も得てくれなくてもいいのに。うるさい、と罵声を浴びせる事も出来ないままただ立ち尽くしている。
「それだけ、ネグロさんの『世界』は、大切なものだったんだな」
何がわかったのだろう。何を知ったのだろう。表面だけをなぞって、それで。
「僕はネグロさんと、もっと、一緒に居たい」
どうしてそうなるんだ。これ以上、何もかも、世界の汚れすら忘れてしまった瞳をまだ向けてこようというのか。
「僕には無いものを、ネグロさんが持っていると思うから。僕には無いものを、守れたらいいと思うから」
お前が得るべきなのは、俺のものではなくて、お前自身のものではないのか。
「終わりだって言ったのは、聞こえなかったのか?」
背をむけたままレイルに絞り出した声は震えていた。
この言葉がきいたのか、そもそもレイルの言いたい事が終わったのか。それはわからないが、言葉は終わる。
最後の一言を残して。
「……おやすみ、ネグロさん」
◆4回更新の日記ログ
祝福とは。未来とは。後ろばかりを見ていても答えは見つかる事は無い
ジュピネの申し出を渋々受けた結果、格納庫もネグロの安息の場所ではなくなってしまった。
巨大なグレムリンの整備が一朝一夕で終わる事はなく、また、その技術も同様である。
時には声をかけられ、時には自分の作業をなめるような視線が追いかけてくる。ネグロにとってそれはストレスに他ならないのだが、状況に押されたとはいえ承諾したのは己の為、無碍にすることこそなかった。
しかし、一人で作業に没頭できる時間帯を探さないと到底気持ちを落ち着けられるような場所ではなくなってしまった。
「……」
食堂を早々に出て、足早に自室に向かいドアを開ける。
簡素なベッドに倒れるように横になると、ギシリとフレームが嫌な音を立てた。
まだ、部屋にいる時間は安息の時間と言えるのは救いだった。
人と馴れ合う事を避けてきた筈だったのに、この艦に来てからそれが崩れはじめているのがネグロにとっては嫌でならない。
ネグロが偽悪的な振る舞いをするのも、人と関わりを持たないようにしているのも、単純に人との繋がりを嫌っている――本当の気持ちを言ってしまえば、人との繋がりを持つことを恐れている。
それとは別に、常に訳もなく苛立っている事も人を遠ざけている原因ではあるのだが。
「チッ」
ベッドに転がりながら、接続の遅い携帯端末に舌打ちをする。
世界的な混乱の最中でも稼働しているグレイヴネット。そして、そこでまことしやかに語られはじめた噂。
『死んだはずの傭兵を見た、って噂話を、聞いた。ずっと昔に死んだ傭兵の機体が撮影された、とか……』
ぽつり、ぽつりときこえてしまった食堂でのレイルの言葉は、今のネグロをざわつかせるのに十分だった。
噂を検索すればすぐに根も葉もない情報がボロボロと出て来る。レイルの呟きと変わり映えの無いものやどうせ霊障の類だろう、なんて冷めた目線の書き込みを適当に流し見していく。
「……」
はあ、と無意識にため息が出た。
死者が帰ってくる事はありえない。それは、ネグロもよくわかっている。もし、見たとすればそれは都合のいい夢。現実から逃げ出した末に見る幻。現実はもっともっと、残酷だ。文面に興味を失いつつ、惰性でそれを眺めているうちにネグロのまぶたはゆっくりと落ちて行った。
――20数年前。
突如として戦場に現れたグレムリン。たった一機で戦場の全てを滅ぼす紅い悪夢のような機体。
あれさえいなければ、世界が一気に粉塵に染まる事は無かったのではないか。何度も何度もそんな考えが頭を過る。捨て駒同然に放り出され、這う這うの体で生き残る日々。仲間は一人、また一人と減っていき、誰もが次は自分の番だと恐れていた。
正面のグレムリン、背後からは重粒子粉塵投射砲。あの時の戦場は常に絶望に包まれていた。
『なんや自分、もしかしてウチの事嫌い?』
『諦めや~、ウチとアンタは僚機や。それより、お互いの事もっと知りあわん?』
軽口をたたく僚機だった。
『……ウチはもうええわ。アンタが生きや』
最期の言葉は雑音まじりの通信だった。
とある戦場において、その中心を穿つように放たれた重粒子粉塵投射砲。そこにいた機体・グレムリン共々、壊滅する事態になったその場所でただ一人生き残った男がいた。その男の名は――
「……!」
ネグロは目を見開いてがばり、とその上体を起こした。
辺りを確認して、漸く自分がグレイヴネットを見たままうたた寝をしていたのか、という事を理解すれば大きく長く、息を吐く。端末の時間は意識が落ちてから20分程度経った事を示している。
額の汗をぬぐいながら、ネグロはもう一度ゆっくりと目を閉じた。
あれは、昔の夢だ。わかり切った事を確認する。ただの夢で、変わらない過去。共に戦場で戦った仲間18人と、僚機を失い、片腕も失った。
あの時胸に抱いた感情に名前を付ける事は未だ出来ない。
「……クソッ」
死者が返ってくる事はありえない。
わかりきってた事なのに、縋ってしまった自分が馬鹿らしい。つけっぱなしだったグレイヴネットへの接続を切って、携帯端末を放り投げた。
ジュピネの申し出を渋々受けた結果、格納庫もネグロの安息の場所ではなくなってしまった。
巨大なグレムリンの整備が一朝一夕で終わる事はなく、また、その技術も同様である。
時には声をかけられ、時には自分の作業をなめるような視線が追いかけてくる。ネグロにとってそれはストレスに他ならないのだが、状況に押されたとはいえ承諾したのは己の為、無碍にすることこそなかった。
しかし、一人で作業に没頭できる時間帯を探さないと到底気持ちを落ち着けられるような場所ではなくなってしまった。
「……」
食堂を早々に出て、足早に自室に向かいドアを開ける。
簡素なベッドに倒れるように横になると、ギシリとフレームが嫌な音を立てた。
まだ、部屋にいる時間は安息の時間と言えるのは救いだった。
人と馴れ合う事を避けてきた筈だったのに、この艦に来てからそれが崩れはじめているのがネグロにとっては嫌でならない。
ネグロが偽悪的な振る舞いをするのも、人と関わりを持たないようにしているのも、単純に人との繋がりを嫌っている――本当の気持ちを言ってしまえば、人との繋がりを持つことを恐れている。
それとは別に、常に訳もなく苛立っている事も人を遠ざけている原因ではあるのだが。
「チッ」
ベッドに転がりながら、接続の遅い携帯端末に舌打ちをする。
世界的な混乱の最中でも稼働しているグレイヴネット。そして、そこでまことしやかに語られはじめた噂。
『死んだはずの傭兵を見た、って噂話を、聞いた。ずっと昔に死んだ傭兵の機体が撮影された、とか……』
ぽつり、ぽつりときこえてしまった食堂でのレイルの言葉は、今のネグロをざわつかせるのに十分だった。
噂を検索すればすぐに根も葉もない情報がボロボロと出て来る。レイルの呟きと変わり映えの無いものやどうせ霊障の類だろう、なんて冷めた目線の書き込みを適当に流し見していく。
「……」
はあ、と無意識にため息が出た。
死者が帰ってくる事はありえない。それは、ネグロもよくわかっている。もし、見たとすればそれは都合のいい夢。現実から逃げ出した末に見る幻。現実はもっともっと、残酷だ。文面に興味を失いつつ、惰性でそれを眺めているうちにネグロのまぶたはゆっくりと落ちて行った。
――20数年前。
突如として戦場に現れたグレムリン。たった一機で戦場の全てを滅ぼす紅い悪夢のような機体。
あれさえいなければ、世界が一気に粉塵に染まる事は無かったのではないか。何度も何度もそんな考えが頭を過る。捨て駒同然に放り出され、這う這うの体で生き残る日々。仲間は一人、また一人と減っていき、誰もが次は自分の番だと恐れていた。
正面のグレムリン、背後からは重粒子粉塵投射砲。あの時の戦場は常に絶望に包まれていた。
『なんや自分、もしかしてウチの事嫌い?』
『諦めや~、ウチとアンタは僚機や。それより、お互いの事もっと知りあわん?』
軽口をたたく僚機だった。
『……ウチはもうええわ。アンタが生きや』
最期の言葉は雑音まじりの通信だった。
とある戦場において、その中心を穿つように放たれた重粒子粉塵投射砲。そこにいた機体・グレムリン共々、壊滅する事態になったその場所でただ一人生き残った男がいた。その男の名は――
「……!」
ネグロは目を見開いてがばり、とその上体を起こした。
辺りを確認して、漸く自分がグレイヴネットを見たままうたた寝をしていたのか、という事を理解すれば大きく長く、息を吐く。端末の時間は意識が落ちてから20分程度経った事を示している。
額の汗をぬぐいながら、ネグロはもう一度ゆっくりと目を閉じた。
あれは、昔の夢だ。わかり切った事を確認する。ただの夢で、変わらない過去。共に戦場で戦った仲間18人と、僚機を失い、片腕も失った。
あの時胸に抱いた感情に名前を付ける事は未だ出来ない。
「……クソッ」
死者が返ってくる事はありえない。
わかりきってた事なのに、縋ってしまった自分が馬鹿らしい。つけっぱなしだったグレイヴネットへの接続を切って、携帯端末を放り投げた。
◆3回更新の日記ログ
祝福を拒み、未来を手放した。そんな資格はありはしないと
たいして美味しくもないコーンミールを口の中に運びながら、ネグロは不満げに眉を寄せた。
不満があるのは食事の味ではない。この世界の食事事情を考えればこのコーンミールは美味しい方である、と言える。
気に入らないのは集団で、時間を合わせて食事を取る事だ。
食堂が広いのが不幸中の幸いで、人と離れた場所に座ると黙々と食事を済ませる。
そうすることで極力誰とも話さないようにした。活動に必要な事以外、話す必要はない。
ガチャン。
皿を空にしてそこに半ば投げるようにスプーンを置くと、やたら大きな音が鳴ってしまった。
そのせいで視線が一瞬自分に集まる事がわかれば、誤魔化すように大きく舌打ちしながら立ち上がり、食器を下げたその足で食堂を後にした。
歪んだ廊下を歩いて、階段を下りて船底を目指す。
継ぎ接ぎの名に違わぬこの艦は、簡素な部屋も、客船のよう豪華な部屋もひとつの艦に混在している。
ネグロが選んだのは戦艦の船底にある、ベッドとテーブルだけがある無機質な部屋だった。
部屋のドアを開いて工具の入ったケースを手にすると、すぐに部屋をででグレムリンのある格納庫へと向かう。
グレムリンを整備している時間が今のネグロにとっては一番落ち着ける時間になっていた。
それは、ネグロにとってみれば悲しいことでもあるのだが。
「……」
「あっ……」
格納庫に足を踏み入れると同時に自分以外の気配を感じて、ネグロは眉を寄せた。
先客ーーミアも新たな気配に気付いたのか、作業の手を止めるとネグロの方に視線を向ける。
お互い、何を言うでもなくミアは小さく会釈をしてみせたがネグロは答えることもなく自分のグレムリンへと向かっていく。
先の戦いはそれほど時間もかからずに済んだ。悔しい事に、僚機としてのスリーピングレイルは相性がよく、それは同じくこの船にいるツィール達にも言えることだった。
頼もしい仲間、と言えてしまえばきっと楽になるのだろう。けれど、ネグロは彼らを仲間だとは思えなかったし、思いたくなかった。
単純に利害の一致で集まっている以上のものを見出だしたくはなかった。
「……チッ」
悶々とした思考に自然と舌打ちをしながら、機体を確認する。さほど手を掛ける必要が無さそうなのを確認すると、自然と手でそのフレームを撫でている事に気付いた。
慌てて手を離して、そのてのひらをじっと見つめる。
油で黒ずんだてのひらは、どうしたって機体を嫌うことが出来なかった。整備士のしての自分と、テイマーとしての自分が別の方向を向いている。
自分の中にはあらゆる矛盾が詰まっている。それすらも苛立たしい。
イラつきを隠さないまま、工具を片付けているネグロの視界に、ずっと立っているだけのミアの姿がうつった。
ただ立っているだけではなくて、時折首をかしげるような仕草をみせたり、グレムリンをじっとみつめていたりしている。
「……」
大方、気になる部分があるけるど解決に至ってないという所だろう。ネグロは黙ってその姿をしばらく見つめていたが、やがて息を吐きながらミアの側へと歩いていく。
「どけ」
「っ、え、ネグロ、さん?」
ミアを半ば押しのけるようにしながら、ネグロはスリーピングレイルをじっとみつめる。
それから、フレームを触れたり軽く力を加えて押したりしつつ丹念に具合を確かめていく。
「……おい」
「あ、はい!」
ネグロがミアの方に目線だけを向ける。呼ばれた事に気付いたミアは、小走りに駆け寄ってきた。
ネグロはそれを確認すると黙ってフレームに視線を戻した。
「ここが少しずれてる。……起動には問題無いが、違和感が出たのはそのせいだろ」
「え、あ……本当だ……」
ネグロが示したのは、よく見ないと気がつかない程の僅かなズレだった。
ミアは驚いたようにその場所とネグロを交互に見る。
「戦闘に出せば多少歪むのは当然だ」
「そっ、かあ……」
感嘆の声をもらすミアを一瞥すると、用は済んだとばかりにネグロは背を向け歩きだそうとする。
「あ、あの」
「……、なんだ」
しかし、一歩を踏み出す前にミアに呼び止められれば苛立ちも隠さずに返事をする。
「ずっと、ご自分のグレムリンを整備されてるんですか?」
「……」
ミアの問いにネグロは振り向きもしないまま、押し黙る。
いつもなら、何を聞かれても答える必要も感じなかったのだが、ミアが何気なくしたであろうその問いはネグロが無視できない唯一の言葉だ。
「……俺は、テイマーじゃなくて整備士だ」
それは意地であり、矜持でもある。
自分の本質はグレムリンテイマーではなく整備士なのだと、まだ言えた自分にネグロは内心安堵した。
しかし、これ以上話に付き合う気も無いとばかりに、ネグロは続く言葉が来る前に歩き始める。
「あっ、フレーム見てくれて、ありがとうございました!」
去っていくネグロに向かってミアは深々と頭を下げた。
ネグロはそれに答えることも振り向くこともなく、そのまま格納庫をあとにした。
部屋に戻ると軋むベッドに身体を投げ出す。シミだらけの天井を眺めて、細く長く息を吐いた。
「そうだ、俺は、整備士だ」
どこか、自分でも忘れていたような気持ち。
「……整備士なんだ」
もう一度、自分に言い聞かせるように呟いた。
たいして美味しくもないコーンミールを口の中に運びながら、ネグロは不満げに眉を寄せた。
不満があるのは食事の味ではない。この世界の食事事情を考えればこのコーンミールは美味しい方である、と言える。
気に入らないのは集団で、時間を合わせて食事を取る事だ。
食堂が広いのが不幸中の幸いで、人と離れた場所に座ると黙々と食事を済ませる。
そうすることで極力誰とも話さないようにした。活動に必要な事以外、話す必要はない。
ガチャン。
皿を空にしてそこに半ば投げるようにスプーンを置くと、やたら大きな音が鳴ってしまった。
そのせいで視線が一瞬自分に集まる事がわかれば、誤魔化すように大きく舌打ちしながら立ち上がり、食器を下げたその足で食堂を後にした。
歪んだ廊下を歩いて、階段を下りて船底を目指す。
継ぎ接ぎの名に違わぬこの艦は、簡素な部屋も、客船のよう豪華な部屋もひとつの艦に混在している。
ネグロが選んだのは戦艦の船底にある、ベッドとテーブルだけがある無機質な部屋だった。
部屋のドアを開いて工具の入ったケースを手にすると、すぐに部屋をででグレムリンのある格納庫へと向かう。
グレムリンを整備している時間が今のネグロにとっては一番落ち着ける時間になっていた。
それは、ネグロにとってみれば悲しいことでもあるのだが。
「……」
「あっ……」
格納庫に足を踏み入れると同時に自分以外の気配を感じて、ネグロは眉を寄せた。
先客ーーミアも新たな気配に気付いたのか、作業の手を止めるとネグロの方に視線を向ける。
お互い、何を言うでもなくミアは小さく会釈をしてみせたがネグロは答えることもなく自分のグレムリンへと向かっていく。
先の戦いはそれほど時間もかからずに済んだ。悔しい事に、僚機としてのスリーピングレイルは相性がよく、それは同じくこの船にいるツィール達にも言えることだった。
頼もしい仲間、と言えてしまえばきっと楽になるのだろう。けれど、ネグロは彼らを仲間だとは思えなかったし、思いたくなかった。
単純に利害の一致で集まっている以上のものを見出だしたくはなかった。
「……チッ」
悶々とした思考に自然と舌打ちをしながら、機体を確認する。さほど手を掛ける必要が無さそうなのを確認すると、自然と手でそのフレームを撫でている事に気付いた。
慌てて手を離して、そのてのひらをじっと見つめる。
油で黒ずんだてのひらは、どうしたって機体を嫌うことが出来なかった。整備士のしての自分と、テイマーとしての自分が別の方向を向いている。
自分の中にはあらゆる矛盾が詰まっている。それすらも苛立たしい。
イラつきを隠さないまま、工具を片付けているネグロの視界に、ずっと立っているだけのミアの姿がうつった。
ただ立っているだけではなくて、時折首をかしげるような仕草をみせたり、グレムリンをじっとみつめていたりしている。
「……」
大方、気になる部分があるけるど解決に至ってないという所だろう。ネグロは黙ってその姿をしばらく見つめていたが、やがて息を吐きながらミアの側へと歩いていく。
「どけ」
「っ、え、ネグロ、さん?」
ミアを半ば押しのけるようにしながら、ネグロはスリーピングレイルをじっとみつめる。
それから、フレームを触れたり軽く力を加えて押したりしつつ丹念に具合を確かめていく。
「……おい」
「あ、はい!」
ネグロがミアの方に目線だけを向ける。呼ばれた事に気付いたミアは、小走りに駆け寄ってきた。
ネグロはそれを確認すると黙ってフレームに視線を戻した。
「ここが少しずれてる。……起動には問題無いが、違和感が出たのはそのせいだろ」
「え、あ……本当だ……」
ネグロが示したのは、よく見ないと気がつかない程の僅かなズレだった。
ミアは驚いたようにその場所とネグロを交互に見る。
「戦闘に出せば多少歪むのは当然だ」
「そっ、かあ……」
感嘆の声をもらすミアを一瞥すると、用は済んだとばかりにネグロは背を向け歩きだそうとする。
「あ、あの」
「……、なんだ」
しかし、一歩を踏み出す前にミアに呼び止められれば苛立ちも隠さずに返事をする。
「ずっと、ご自分のグレムリンを整備されてるんですか?」
「……」
ミアの問いにネグロは振り向きもしないまま、押し黙る。
いつもなら、何を聞かれても答える必要も感じなかったのだが、ミアが何気なくしたであろうその問いはネグロが無視できない唯一の言葉だ。
「……俺は、テイマーじゃなくて整備士だ」
それは意地であり、矜持でもある。
自分の本質はグレムリンテイマーではなく整備士なのだと、まだ言えた自分にネグロは内心安堵した。
しかし、これ以上話に付き合う気も無いとばかりに、ネグロは続く言葉が来る前に歩き始める。
「あっ、フレーム見てくれて、ありがとうございました!」
去っていくネグロに向かってミアは深々と頭を下げた。
ネグロはそれに答えることも振り向くこともなく、そのまま格納庫をあとにした。
部屋に戻ると軋むベッドに身体を投げ出す。シミだらけの天井を眺めて、細く長く息を吐いた。
「そうだ、俺は、整備士だ」
どこか、自分でも忘れていたような気持ち。
「……整備士なんだ」
もう一度、自分に言い聞かせるように呟いた。
◆2回更新の日記ログ
祝福された未来に手を伸ばしても、その手は現実を掴むだけ――
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
何故あそこに自分はいたのか。
何故あそこに錆びたグレムリンがいたのか。
端末からの声に何故覚えがあったのか。
何もかもがわからず、自らの記憶すらあやふやなまま、流されるままに乗り込んだグレムリン【カズアーリオス】は、結論から言ってしまえば本当に男にあつらえられたような機体だった。
戦場を走り、敵機を捉えて破壊する。敵が自分を捉えるよりも先に、全てを壊す。
第一次七月戦役。
操縦レバーを引き、捉えた敵機を破壊する度に取り戻した記憶の中で多くを占めた出来事。
大義なき戦いをいつか終わると信じ、その時まで生き残ることを誓った日々。
グレムリンの圧倒的な力をみせつけられ、味方の重粒子粉塵投射砲に怯えながら過ごした日々。
脳みそが、本能が否定していた記憶はやはりろくでもないものばかりだった。
第一次戦役の後、圧倒的だった力は全ての組織にいきわたり、それが当たり前となってしまう。
男にはそれすらも楽しくない事だったが、それを捨てて生きていける世界でない事の方が身に染みてわかっていた。
甘んじるしかない、戦い続けるためにも。
今の男にも戦う為の大義など、失って久しいのだが。
「……」
制御コンソール下にあるグローブボックスから、カプセルの入った袋――タワー港湾部から拝借したものだ――を取り出すと中身を雑に鷲掴みにして口の中に放り込む。
味気ないそれを噛み砕いて飲み込んめば食事の余韻など必要無いとばかりに、コンソールに手を伸ばした。
『ザー……ザザッ、――こちら、継ぎ接ぎ幽霊船(パッチワーク・ゴーストシップ)。当艦は、航海において自衛手段を持たない艦である。よって、付近のグレムリンの力を借りたい――』
近隣の海域に無作為にあてた通信データが再生されるのを聞きながら送られてきた座標を確認する。
前面にレーダー画像が大きく写し出される。全視界型で周囲を写していたディスプレイは、余計なものが写りすぎると集中できないと言うことで、前と左右を主に写す三面型に変更されてた。
継ぎ接ぎ幽霊船なんてふざけた名前だから悪戯なのではないかと思ったが、確かに伝えられた座標には反応がある。
未確認機を相手にするならそれなりの拠点を求めていた事も確かで、罠の可能性も否めなかったがその場合は離脱、もしくは破壊をしてしまえばいい。
「……いくか」
幽霊船の座標に目的地を設定し、とくに大きな障害物も無いルートであることを確認すれば、オート航行を指定する。
動き始めたグレムリンの中で男は更に状況を確認するべく、コンソールの操作を続けた。
混乱した世界の中でも正しい情報というのは案外、流れてくるものだという事を男は経験で理解している。
有利に動くためには、いち早くそれを手に入れなければならないということも。
「……?」
ピコン。とコンソールにあるシステム用のディスプレイに通知が届く。
何事かと確認をした。
僚機確認:No15ーースリーピングレイル
画面にまるで覚えの無い単語が並ぶ。まず僚機の申請を出した覚えも受けた覚えもなく、そしてこの画面にでている名前にもなんの覚えもない。
何かの誤作動か、男は舌打ちをしながら僚機認定を削除しようとするも、そもそも削除の項目がない。
「は?」
男はコンソールに拳を叩き付けようとするのを堪えた事を褒めて欲しいと思った。勝手に僚機を作っておいて取り消しが不可な事などあるのか?
腐れAIめ、と毒づきながら相手側から削除アプローチが可能か確認するために不本意ながら通信を繋げるの事にした。
幸か不幸か相手の進行方向は同じのようで、座標も近い。
「……こちら、機体名カズアーリオス。パイロット、ネグロだ。スリーピングレイル、応答願う」
愛想など知らんといった口調で男ーーネグロは通信を送った。程なくして、応答の通知がやってくるのをみれば、ネグロはすぐに通信回線を開いた。
ヴン、という電子音と共に左側のディスプレイの一部に通信映像が表示される。
映ったのは白か、灰か、薄い色素の髪色をした壮年のパイロットの姿。ネグロは、その姿を確認だけすると挨拶もせずにすぐに本題に切り込んだ。
「早速で悪いが、エラーか何かで僚機申請されていたようだ。こちらーー」
『ああ、よかった。僚機の、ひと? よろしく』
「は?」
『え?』
ぽわん。なんだかそんな効果音が聞こえてきそうなのが、通信画面越しに伝わってきてネグロは頭の血管が数本ぷちりと鳴った錯覚を得る。
深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。用件だけを伝える、と頭の中で数回唱える。
「こちらに僚機を組む相手の意思は無い。すまんが、削除してくれ。こちらからは出来ない」
『え、ええ……? 削除、さくじょ……?』
「……」
『さくじょ、さく……』
「もういい!」
おろおろとなにかを捜そうとしている姿は子供のそれと大差がなく、堪え性のないネグロが諦めるのに時間は必要なかった。
バン!とコンソールを叩きながら叫ぶと通信を一方的に切った。
それから、一番近かった先程連絡をもらった幽霊船の座標付けて、ここに来いとメールを送りつけると、オート航行を解除しスピードを上げて目的地に走り出した。
海上――とある座標にて。
継ぎ接ぎ幽霊船と称したそれは、戦艦をベースに幾つもの船が言葉通り継ぎ接ぎのように繋がった、いびたな形をした船だった。
ピーッ ピーッ
「……おや」
戦艦のブリッジで、通信要請を伝える電子音が響く。
立て付けの悪い椅子に腰掛けていた男は、珍しいものをみるかのような顔で通知を確認するとすぐに回線を開いた。
通信用のディスプレイに、無愛想な男――ネグロの姿が写し出された。
「継ぎ接ぎ幽霊船、艦長のルインだ。そちらは――」
『……細かい話は後でする。着艦許可をもらえるか』
「こちらの通信は聞いていたものと判断しても?」
『それ含めて後でだ。俺と、もう一機』
「……」
無愛想な男の要求を聞く艦長を名乗るルインの顔も負けじと無愛想だった。表情筋がまるで動く気配の無いまま、データを確認している。
「すでに先着はいる。君の探し人もいるだろう……まあ、顔を付き合わせた方がいいうのは大いに同意――」
ルインの言葉もそこそこに通信が切れ、直後甲板にズシン、と音を鳴らして機体が降り立つ。
「……せっかちな男だ」
溜め息をひとつ吐き出しながら、男はブリッジをあとにした。
ラジオのやついれる
船内の食堂では、沈黙の時間を誤魔化すかのようにスピーカーからラジオのニュースが流れている。
「……つまりは、何かしらのエラー……この世界で言う霊障が原因で、面識もなにも無い者同士が僚機となった。そして、それとは関係なくどちらもこの艦の目指していた、と」
沈黙を破ったのはルインだった。立ち上がり、自分以外の席に着く人間を一人ずつ見ていく。
「……」
薄い色素の髪の男。機体と自らをスリーピング・レイルと名乗った彼は、記憶が無いといった。
そのせいなのか、元からなのか、レイルの発言はどこかずれた所もあり、その度に対面にいたネグロが舌打ちをする始末だった。
「はい。霊障の方は予測、ですけど」
そのレイルの隣に座る少女――ミアは、ぼんやりとしているレイルに変わってしっかりと頷いて返事をした。
彼女のおかげでこの場は成り立っているといっても過言ではない、とルインは密かに思う。
「……まあ、私としてはこの艦には多くの部屋があるので、僚機同士で使ってもらえる事に関してはなんら不都合はないのだが」
「……チッ」
ルインは、ずれた眼鏡の位置を直しながら舌打ちをする男――ネグロを見る。
進んで協調性を破壊していく姿勢を見せる姿に内心何度溜め息を吐いたかはわからない。
「僚機だからと、馴れ合うつもりは無い。それでいいなら、勝手にしろ」
ネグロは視線だけでレイルとミアを見ながら言い捨てると、すぐに視線を外した。これが、彼の中での最大限の譲歩なのだろう。
「……では、改めて。私は艦長のルイン……厳密には艦長代理というところだが、まあいい。当艦はスリーピング・レイルおよびカズアーリオスを歓迎する。少し扱い難い艦ではあるが、部屋だけはあるので各々好きに使ってくれ……艦については、後程艦内放送で伝えよう――しばらく、よろしく頼む」
ルインが軽く頭を下げる。
誰かが反応するよりはやくネグロが椅子から立ち上がると、目線だけでルインを見る。
「部屋は」
「……好きな所を選んでくれて構わない」
「わかった。世話になる」
ネグロはそれだけ言うと、他には目もくれず足早に食堂を出ていく。
「疲れたの、かな」
もう人のいなくなった席を眺めながらぽつりと呟くレイルの言葉に、ルインとミアは黙って視線を合わせるだけだった。
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはラスト・アーマーを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはIDOL TIMEを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
ネグロはFABを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
◆アセンブル
【操縦棺】にIDOL TIMEを装備した
【索敵】にMinervaを装備した
【主兵装】に俊雷⁅踊鵺⁆を装備した
【背部兵装】に《ヴォイドステップ》を装備した
◆僚機と合言葉
スリーピング・レイルとバディを結成した!!
(c) 霧のひと