第23回目 午前2時のスリーピング・レイル
プロフィール
名前
スリーピング・レイル
愛称
スリーピング・レイル
経歴 記憶喪失のグレムリンテイマー。 自分に関すること、そしてこの虚空領域に関することは何一つわからない。 唯一「グレムリンの操縦」だけは体が覚えている。 『スリーピング・レイル』とは身に着けていたエンブレムに刻まれていた文字列。 (イラストはすのだ様からの頂き物です) |
僚機プロフィール
名前
ネグロ
愛称
ネグロ
経歴 元真紅連理所属、整備士の資格を持つ。 身長166cm 体重79cm 年齢43 両腕バイオ生体置き換え済 第一次七月戦役時、徴兵以来を受け真紅連理の強襲部隊に所属。 戦役中に左腕を失い、右腕を換金した後両腕をバイオ生体置き換え手術を行う。 現在まで拒否反応含む異常なし。 真紅連理降伏後、第一次七月戦役より消息をたつ。 その後、各地でゲリラ的活動の目撃情報有り。【僚機詳細】 |
◆日誌
それは、もちろん事前の想定――フヌが残した予測の通りではあった。
だが、いざ相対してみると、その絶対性が如実に浮き彫りになる、ということも思い知ることになった。
ケイジキーパー、リヴの駆る《ヴォイドステイシス》は、正しく「永劫」であった。永劫であるということは、どのような手段を用いても太刀打ちできないということ。どれだけ足掻いてもちいさな傷一つ刻みこむことすらできない絶対の停滞を前にして、絶望しない方が無理というものだ。
だから、あらかじめフヌが示した「十分間」はあまりにも長く感じられた。それこそ永遠にも感じられる十分間。それでも、スリーピング・レイルは耐え続けた。耐えることだけは得意だ。どのような暴力に対しても、どのような理不尽に対しても、意識を閉ざし、冷え切った感覚で事象を捉え、受け入れる。それこそが己の役割であるという自負が、永劫を耐える力となる。
――その時、声、が聞こえた。
ちいさな子供のような、舌足らずの声。
それこそが、《ヴォイドステイシス》の思念だった。何ひとつ知らぬまま、ただリヴの思うがままに振るわれてきたそれが、初めて抱いた望み――「もっと、戦いたい」。永遠にも近い十分の間に、これは戦いではなく一方的な蹂躙であると気づいたに違いなかった。
だからこそ、《ヴォイドステイシス》は問いかけてきたのだ。
「なんで、みんなは戦ってるの?」
果たして、《ヴォイドステイシス》に向けたレイルの声は、届いたのだろう。その場に居合わせた傭兵たちは、各々の理由を語ったに違いなかった。その全てが、《ヴォイドステイシス》の心をわずかに、けれど確かに動かした。
戦いたいと思った、その理由を知りたいと願った、その時点で《ヴォイドステイシス》の絶対性にほころびが生まれ、そのほころびから急速に変化が進んでいく。変化。それは「変化しないこと」を示す永劫や停滞とは真逆の位置にある。
そして、リヴの声に背を向けてでも――。
「世界よ、加速せよ。その先に、戦いはある」
《ヴォイドステイシス》は、「戦い」を望んでみせた。
絶対の停滞が破綻してしまえば、もはや《ヴォイドステイシス》の優位性は存在しない。あとは対等の「グレムリン」として戦うだけであった。
今までの停滞が嘘のような加速に満たされた戦場で、レイルは《ヴォイドステイシス》の歓喜の声を聞いた。己が勝つにせよ負けるにせよ、戦うことができるという喜び。結果として待つ滅びなど些細なことであり、ここにある「今」こそが全てなのだと。
レイルは戦いを嗜好しているつもりはない。守りたいと望む者、そして彼らが大切にしたいものを守るために、必要だから戦うものだと思っている。
それでも、《ヴォイドステイシス》の声にはいつにない昂りを覚えた。いつか必ず終わるとわかっていても、もしくは「だからこそ」今を生きているということ。その喜び。己にはわからない感情だと思いながらも、グレムリン『スリーピング・レイル』を駆る手には熱がこもる。それは果たして己の高揚なのか、グレムリンの高揚なのか、それともそのどちらもだったのか。レイルにはわからないし、わからなくていいと思っている。その二つにさしたる差はない、それがスリーピング・レイルの常の主張であったから。
そして、戦いの結果として――《ヴォイドステイシス》は沈む。
停滞を、永劫を望んだリヴを時空の向こう側に置き去りにして、加速した世界が、未来へと進んでいく。
これで、終わるのか。
レイルは、どこか呆然とその様子を見つめていた。
虚空領域は滅びに向かっていく。リヴによってもたらされる永劫の静止を否定した以上、それは確実だ。けれど、ミアとのささやかな約束は守れるのだ。戦うことのないスリーピング・レイルに価値があるのか、という問いの答えはまだ見つかってはいないけれど、それでも、ミアが、幽霊船の皆が待っている場所へ――。
刹那。
操縦棺を通した視界に映っていた他のグレムリンが、弾け飛ぶ。
「……え?」
その現象の意味を頭で理解するより先に、冷たい直感がレイルを突き動かした。本来は他の機体より鈍重なつくりをしている『スリーピング・レイル』だが、レイルの直感に従って目には見えない力をかろうじてかわし――その不可視のエネルギーが、すぐそばにいた僚機『カズアーリオス』を直撃したのを、目にした。
見慣れていたはずの機体が、目の前で、ねじれ、歪む。
いつの間にか、目の前には巨大な「何か」が立ちはだかっていた。沈んでいく《ヴォイドステイシス》とはまた別の、むしろ、あれだけ圧倒的だった《ヴォイドステイシス》よりも遥かに強い力を感じる、それは、それは――。
その時、モニターにノイズが走る。通信回線が開かれる。画像は乱れて定かではないが、「誰か、」とこちらを呼ぶ声が誰のものなのかは、すぐにわかった。激しい雑音が耳に響くのも構わず、入力音声の音量を上げる。
「……逃げ、ろ」
「ネグロ、さん」
それは、今まさに、グレムリンごとねじり潰されそうになっている、ネグロの声で。
先ほどまで熱を感じていた手は、すっかり冷たくなっていた。脳裏に響くのは激しい警鐘。ここにいてはいけない、今すぐに退くべきだ、さもなければ。
「逃げろ……ッ!」
目の前で『カズアーリオス』があるべき形を失っていく。もはや、助からないだろう、ということが、ありありとわかってしまう。だが、崩れながらもなお、藻掻くように蠢き、レイルに背を向け巨大な「何か」と向き合おうとする『カズアーリオス』に、レイルは思わず声をあげていた。
「ネグロさん!!!」
逃げろ、というネグロの言葉は正しいはずだ。レイルの頭に響く警鐘は、正しいはずだ。逃げるべきなのだ。自分はまだ助かるはずなのだから。
しかし。
「ふざけるなよ」
レイルの唇からは、いつになく冷えきった声が零れる。
「……逃げる? 逃げて、どうするんだ」
このままでは、目の前の「何か」はここにいる者全てを蹂躙し尽くすに違いなかった。そして、ここに集った者たちが滅びれば、次に失われるのは虚空領域そのものだということも、はっきりしていた。
だが、そんな理屈を捏ねるよりも先に、レイルは『スリーピング・レイル』を動かしていた。
圧倒的な「何か」に向かっていく『カズアーリオス』に並ぶように。もはや、ネグロはレイルがそこにいることすら気づいていないに違いなかったが、その方が都合がいいとも思う。
『死ぬなよ』
それは、最後の戦いに向かうレイルに向かってかけられた、ネグロの一言。
ネグロがどういう経緯でグレムリンを駆るようになったのか、何故あれだけの怒りを抱えて生きていたのか、レイルは結局最後まで知ることはなかった。知ろうとしなかったともいう。
ただ、ネグロはきっと、恐れていたのだ、とは思っている。そこにあったものが失われるということ、自分の手から零れ落ちるということ。いくつもの理不尽な喪失が、ネグロの怒りを駆り立てていたのではないか、と。もちろん、どれもこれも想像に過ぎないけれど。
だから、「死ぬなよ」というネグロの言葉を、裏切りたくはなかった。なかった、けれど。
自分一人だけ逃げて、仮に助かったとして。
そこに、誰もいなければ意味がないのだ。
「行こう、『スリーピング・レイル』」
レイルは迷わず「何か」に向き合う。
強烈な不可視の一撃――意力撃滅が、『スリーピング・レイル』を襲う。
それでも、なお、前に。
前に――。
* * *
意識を埋め尽くす、ノイズ。
「聞こえ――すか、」
ざらざらとした音色の奥から、声がする。僕を呼ぶ声。
「レイルさん! と、おともだちのみなさん!」
おともだち、と言っていいのだろうか。僕――スリーピング・レイルを構成する「彼ら」のことを何と表現すべきか、僕はまだわからないままでいる。
「お兄ちゃんと一緒にいてくれて、ありがとうございます!」
お兄ちゃん、とは、誰のことだろう?
「もし、もしも、あたしの声が聞こえていたら、あたしの言葉を覚えていたら――また、お兄ちゃんと一緒にいてあげて、ください」
ああ、もしかして、…………。
口を開こうとした、けれど、実際に自分の声が耳に届くことはなかった。そもそも、もう、今の僕には言葉を放つための口も、それを聞き届けるための耳もなかったのかもしれない。だって、あの一撃を耐えられたとは思わなかったから。
それでも、声は、
「あたしはもう、いっしょに、いてあげられないから――」
僕に告げるのだ。
「よろしくおねがい、します」
お願いされたからといって、叶えられるとは限らないというのに。
ただ、もしも、もしも、君の言うとおり「また」の機会があるとしたら、約束しよう。
僕は、必ず、
だが、いざ相対してみると、その絶対性が如実に浮き彫りになる、ということも思い知ることになった。
ケイジキーパー、リヴの駆る《ヴォイドステイシス》は、正しく「永劫」であった。永劫であるということは、どのような手段を用いても太刀打ちできないということ。どれだけ足掻いてもちいさな傷一つ刻みこむことすらできない絶対の停滞を前にして、絶望しない方が無理というものだ。
だから、あらかじめフヌが示した「十分間」はあまりにも長く感じられた。それこそ永遠にも感じられる十分間。それでも、スリーピング・レイルは耐え続けた。耐えることだけは得意だ。どのような暴力に対しても、どのような理不尽に対しても、意識を閉ざし、冷え切った感覚で事象を捉え、受け入れる。それこそが己の役割であるという自負が、永劫を耐える力となる。
――その時、声、が聞こえた。
ちいさな子供のような、舌足らずの声。
それこそが、《ヴォイドステイシス》の思念だった。何ひとつ知らぬまま、ただリヴの思うがままに振るわれてきたそれが、初めて抱いた望み――「もっと、戦いたい」。永遠にも近い十分の間に、これは戦いではなく一方的な蹂躙であると気づいたに違いなかった。
だからこそ、《ヴォイドステイシス》は問いかけてきたのだ。
「なんで、みんなは戦ってるの?」
果たして、《ヴォイドステイシス》に向けたレイルの声は、届いたのだろう。その場に居合わせた傭兵たちは、各々の理由を語ったに違いなかった。その全てが、《ヴォイドステイシス》の心をわずかに、けれど確かに動かした。
戦いたいと思った、その理由を知りたいと願った、その時点で《ヴォイドステイシス》の絶対性にほころびが生まれ、そのほころびから急速に変化が進んでいく。変化。それは「変化しないこと」を示す永劫や停滞とは真逆の位置にある。
そして、リヴの声に背を向けてでも――。
「世界よ、加速せよ。その先に、戦いはある」
《ヴォイドステイシス》は、「戦い」を望んでみせた。
絶対の停滞が破綻してしまえば、もはや《ヴォイドステイシス》の優位性は存在しない。あとは対等の「グレムリン」として戦うだけであった。
今までの停滞が嘘のような加速に満たされた戦場で、レイルは《ヴォイドステイシス》の歓喜の声を聞いた。己が勝つにせよ負けるにせよ、戦うことができるという喜び。結果として待つ滅びなど些細なことであり、ここにある「今」こそが全てなのだと。
レイルは戦いを嗜好しているつもりはない。守りたいと望む者、そして彼らが大切にしたいものを守るために、必要だから戦うものだと思っている。
それでも、《ヴォイドステイシス》の声にはいつにない昂りを覚えた。いつか必ず終わるとわかっていても、もしくは「だからこそ」今を生きているということ。その喜び。己にはわからない感情だと思いながらも、グレムリン『スリーピング・レイル』を駆る手には熱がこもる。それは果たして己の高揚なのか、グレムリンの高揚なのか、それともそのどちらもだったのか。レイルにはわからないし、わからなくていいと思っている。その二つにさしたる差はない、それがスリーピング・レイルの常の主張であったから。
そして、戦いの結果として――《ヴォイドステイシス》は沈む。
停滞を、永劫を望んだリヴを時空の向こう側に置き去りにして、加速した世界が、未来へと進んでいく。
これで、終わるのか。
レイルは、どこか呆然とその様子を見つめていた。
虚空領域は滅びに向かっていく。リヴによってもたらされる永劫の静止を否定した以上、それは確実だ。けれど、ミアとのささやかな約束は守れるのだ。戦うことのないスリーピング・レイルに価値があるのか、という問いの答えはまだ見つかってはいないけれど、それでも、ミアが、幽霊船の皆が待っている場所へ――。
刹那。
操縦棺を通した視界に映っていた他のグレムリンが、弾け飛ぶ。
「……え?」
その現象の意味を頭で理解するより先に、冷たい直感がレイルを突き動かした。本来は他の機体より鈍重なつくりをしている『スリーピング・レイル』だが、レイルの直感に従って目には見えない力をかろうじてかわし――その不可視のエネルギーが、すぐそばにいた僚機『カズアーリオス』を直撃したのを、目にした。
見慣れていたはずの機体が、目の前で、ねじれ、歪む。
いつの間にか、目の前には巨大な「何か」が立ちはだかっていた。沈んでいく《ヴォイドステイシス》とはまた別の、むしろ、あれだけ圧倒的だった《ヴォイドステイシス》よりも遥かに強い力を感じる、それは、それは――。
その時、モニターにノイズが走る。通信回線が開かれる。画像は乱れて定かではないが、「誰か、」とこちらを呼ぶ声が誰のものなのかは、すぐにわかった。激しい雑音が耳に響くのも構わず、入力音声の音量を上げる。
「……逃げ、ろ」
「ネグロ、さん」
それは、今まさに、グレムリンごとねじり潰されそうになっている、ネグロの声で。
先ほどまで熱を感じていた手は、すっかり冷たくなっていた。脳裏に響くのは激しい警鐘。ここにいてはいけない、今すぐに退くべきだ、さもなければ。
「逃げろ……ッ!」
目の前で『カズアーリオス』があるべき形を失っていく。もはや、助からないだろう、ということが、ありありとわかってしまう。だが、崩れながらもなお、藻掻くように蠢き、レイルに背を向け巨大な「何か」と向き合おうとする『カズアーリオス』に、レイルは思わず声をあげていた。
「ネグロさん!!!」
逃げろ、というネグロの言葉は正しいはずだ。レイルの頭に響く警鐘は、正しいはずだ。逃げるべきなのだ。自分はまだ助かるはずなのだから。
しかし。
「ふざけるなよ」
レイルの唇からは、いつになく冷えきった声が零れる。
「……逃げる? 逃げて、どうするんだ」
このままでは、目の前の「何か」はここにいる者全てを蹂躙し尽くすに違いなかった。そして、ここに集った者たちが滅びれば、次に失われるのは虚空領域そのものだということも、はっきりしていた。
だが、そんな理屈を捏ねるよりも先に、レイルは『スリーピング・レイル』を動かしていた。
圧倒的な「何か」に向かっていく『カズアーリオス』に並ぶように。もはや、ネグロはレイルがそこにいることすら気づいていないに違いなかったが、その方が都合がいいとも思う。
『死ぬなよ』
それは、最後の戦いに向かうレイルに向かってかけられた、ネグロの一言。
ネグロがどういう経緯でグレムリンを駆るようになったのか、何故あれだけの怒りを抱えて生きていたのか、レイルは結局最後まで知ることはなかった。知ろうとしなかったともいう。
ただ、ネグロはきっと、恐れていたのだ、とは思っている。そこにあったものが失われるということ、自分の手から零れ落ちるということ。いくつもの理不尽な喪失が、ネグロの怒りを駆り立てていたのではないか、と。もちろん、どれもこれも想像に過ぎないけれど。
だから、「死ぬなよ」というネグロの言葉を、裏切りたくはなかった。なかった、けれど。
自分一人だけ逃げて、仮に助かったとして。
そこに、誰もいなければ意味がないのだ。
「行こう、『スリーピング・レイル』」
レイルは迷わず「何か」に向き合う。
強烈な不可視の一撃――意力撃滅が、『スリーピング・レイル』を襲う。
それでも、なお、前に。
前に――。
* * *
意識を埋め尽くす、ノイズ。
「聞こえ――すか、」
ざらざらとした音色の奥から、声がする。僕を呼ぶ声。
「レイルさん! と、おともだちのみなさん!」
おともだち、と言っていいのだろうか。僕――スリーピング・レイルを構成する「彼ら」のことを何と表現すべきか、僕はまだわからないままでいる。
「お兄ちゃんと一緒にいてくれて、ありがとうございます!」
お兄ちゃん、とは、誰のことだろう?
「もし、もしも、あたしの声が聞こえていたら、あたしの言葉を覚えていたら――また、お兄ちゃんと一緒にいてあげて、ください」
ああ、もしかして、…………。
口を開こうとした、けれど、実際に自分の声が耳に届くことはなかった。そもそも、もう、今の僕には言葉を放つための口も、それを聞き届けるための耳もなかったのかもしれない。だって、あの一撃を耐えられたとは思わなかったから。
それでも、声は、
「あたしはもう、いっしょに、いてあげられないから――」
僕に告げるのだ。
「よろしくおねがい、します」
お願いされたからといって、叶えられるとは限らないというのに。
ただ、もしも、もしも、君の言うとおり「また」の機会があるとしたら、約束しよう。
僕は、必ず、
◆23回更新の日記ログ
『希望が潰えたとしても、傷跡が増えたとしても、……歩み続ければいい。そして、いつか、お前の物語を』
* * *
――フヌが最期に傭兵たちに送り込んだ《ヴォイドステイシス》の演習データは、それが「決して勝てない相手」であることをまざまざと示していた。
勝てるはずもない、何せそれは「永劫」だ。スリーピング・レイルがその身に刻んでいる《傷跡》の制御識だけでは届きようもない、真なる永劫。永劫という概念そのもの。
レイルにしてみれば、「永劫」とは停滞であり不変、つまるところ「死」と何も変わらないものである。そして現在進行形で「死に続けているもの」を更に殺すことはできない。そういうことだと思う。
そして、《ヴォイドステイシス》がその手を伸ばせば、この虚空領域全てが同じモノになるのだろう。全てが静止した世界。破滅を逃れる代わりに、なにもかも、なにもかもがその瞬間で時を止める。永劫なるものに、成り果てる。
『破滅の今際にて、停滞せよ、世界』
――世界はいまのままで十分、美しいのだから。
リヴというらしいケイジキーパーは己の勝利を疑わない。疑わないまま、《ヴォイドステイシス》を駆るのだろう。その、圧倒的な力でこちらを蹂躙し、己の望むままに世界の時間を止めてみせるだろう。
レイルはいやに静かになった――もう頭の中の声も聞こえない――操縦棺の中で、シミュレーション結果を見据える。
フヌから受け取ったシミュレーションの演習データは、戦闘開始から十分の時点で途絶えている。それだけで《ヴォイドステイシス》の絶対性が明らかになるという意味でもあり、それと、もうひとつ。
『ですが、ひとつ、気になることがあるのです』
勝てない、と断言しておきながら、フヌは言葉を続けたのだ。
それは――《ヴォイドステイシス》の心である、と。
悪鬼は応えるはずだ。君の思い描くままに。
それは悪鬼、つまりグレムリンがただ乗り手に操られるがままのモノであることを意味しない。グレムリンにも心があり、それが乗り手の思いと共鳴するからこそ、強大な力を振るうことができる。
レイルも、それを具体的に理解していたわけではないが、最初から感覚的には把握していた。グレムリン『スリーピング・レイル』とレイルは別々の存在ではあるが、その間には響き合う何かがあって、ともに欠くことはできないものである、と。そう感じ取ったからこそ、レイルは己とグレムリンに、その時、唯一「自分」を示していた『スリーピング・レイル』という名をつけた。眠る水鶏のエンブレム、その意味も未だ知らぬまま、それでも、この名が自分たちを繋ぐものであることだけは、確かであったから。
だが、リヴと《ヴォイドステイシス》の間にある関係は、レイル、そして他のグレムリンテイマーたちのそれとは違い、そこに可能性があるのではないか。そう、フヌは言ったのだった。
『ヴォイドステイシスは……幼いです』
『まだ、戦う意味も、生きることも、知りません』
『ただ、リヴの言うことを聞くだけの人形です』
かくして、フヌのシミュレーションには一瞬だけノイズが混ざる。
それが、戦闘開始から十分後。
圧倒的で、一方的で、絶対的な勝利を約束された、もはや戦闘とも言えないただの蹂躙。その中で、《ヴォイドステイシス》は――「飽き」を感じるのだという。戦う意味も理由も知らず、何故自分がそうしているのかもわからないまま、操られるがままの絶対者が、わずかに生じさせる、意識の間隙。
『だから、これは私の勝手な思いですが……』
『ヴォイドステイシスに語り掛けてみてはどうでしょう』
――『戦う理由はあるのか?』、って。
果たして、その行為にどれだけの意味があるのかは、レイルにはわからない。ただ、フヌはそこに何らかの可能性を見出しているに違いなかった。何一つ確信に至る要素もない、頼りない話ではあるが、レイルが、この場に集った傭兵たちが《ヴォイドステイシス》に勝機を見出せていない以上、最後に賭けるにはまあまあ悪くないだろう。
それに、何となく――《ヴォイドステイシス》の気持ちも、わからなくはない、と思ったのだ。戦いの中に「飽き」を覚えてしまうのも。
戦う意味も、理由も、特にない。
それが今までのスリーピング・レイルだった。
強いて言えば、戦う力があるから、戦っていた。それが自分の役割であると思い極め、戦うことを要請されているから、言われるがままに、周囲の状況に流されて戦う。何ひとつ「自分のこと」を覚えていない、あやふやな存在であるレイルにとって、グレムリンを操ることが自分が生きていると実感できる唯一の方法だったというのもあったかもしれない。それも、今になってやっと分析できるようになったことだが。
今もそう、別に戦う理由が変わったわけではない。戦えるから、戦う。操縦棺に収まっている間だけは心が静まり、頭が冷えきり、グレムリンとそのパーツであるテイマーによる『スリーピング・レイル』が完成する。だから、戦うことが自分の役割であると信じて疑っていない。
しかし、目覚めてから今まで戦い続けてきて、「それだけ」でなくなったのは間違いない。
頭の中の彼にも言った通り、生きて帰りたいと思う理由がある。世界を停滞させたくない、と願う理由がある。ただ、命じられるままに戦うのではなく、脳裏に浮かぶちいさな、けれど確かな思い出を、それを与えてくれた人との「未来」を手に入れるために、グレムリンを駆ろうとしている。
虚空領域の「今」を守るために世界の時間を止めよう、なんて思い立ったリヴとは正反対の、あまりにもちっぽけな、願い。もしくは、祈り。
「君は、僕を愚かだと笑うだろうか。それとも、それが『愚か』だということも、わからないのかな」
ぽつり、零れ落ちたのは、もうすぐ目の前に現れる《ヴォイドステイシス》へ送る言葉。
レイルは既にリヴのことなど考えていなかった。考えたところで無駄だと理解したから。あれは自分のやり方が正しいと信じて疑いを持たない類の輩だ。レイルが最も嫌いな人種だ、それは同族嫌悪と言うべき嫌悪感だが。
導き出した答えは異なる、だが、自分もまた「ああ」なる可能性を孕んでいる。そう思う明確な理由はない――記憶していない――が、頭のどこかにある確信が、フィルタースーツ越しに首の傷跡に指を這わせる。
だから、少し、《ヴォイドステイシス》には同情するのだ。全く、厄介な奴のわがままに付き合わされているな、と。
「何もわからないままの方が、楽ではある。ただ、力を振るうだけでいいなら、その方が」
レイルはぽつり、ぽつりと、言葉を落とす。これから立ちはだかる相手である《ヴォイドステイシス》を思いながら、己に向けた独り言でもある、言葉を。
「悩むことなんてない、疑うことなんてない、僕も、ずっと、そういうものでいたかったと、思うことも、ある」
こんなこと、誰にも言えないことだ。特に、自分に「人らしさ」を教えてくれるミアや、己の意志を示すように説くネグロには。彼らの言葉とは正反対の望みを、いつも心の片隅に抱いている、なんて。
「でも、後悔はない。悪くない変化だと、僕は思っている」
もちろん、根本は何も変わっていない、と思う。だが、ミアとの出会いと出撃から始まった『スリーピング・レイル』の短い人生は、ただ「戦う」だけ以外の理由を与えられた。それは間違いなく「変化」といえた。レイル一人では絶対に起こらなかった変化、それをひとつひとつ、新鮮な驚きと不思議な心地よさをもって受け入れてきた。
しかし、リヴは――その「変化」を永遠に奪おうとしている。
レイルから、だけではない。この虚空領域に生きる者全てから。虚空領域そのものから。
「だから、話をしよう、《ヴォイドステイシス》」
それが結果的にどのような意味を持つか、そもそも意味があるのかどうかは、わからないけれど。
「僕が、目覚めてからの時間を快く感じてきたように」
スリーピング・レイルは、ほんの少しだけ、――笑う。
「君が少しでも、今を、悪くない時間だったと思ってくれれば、嬉しいよ」
【Scene0023:君と、物語を】
* * *
――フヌが最期に傭兵たちに送り込んだ《ヴォイドステイシス》の演習データは、それが「決して勝てない相手」であることをまざまざと示していた。
勝てるはずもない、何せそれは「永劫」だ。スリーピング・レイルがその身に刻んでいる《傷跡》の制御識だけでは届きようもない、真なる永劫。永劫という概念そのもの。
レイルにしてみれば、「永劫」とは停滞であり不変、つまるところ「死」と何も変わらないものである。そして現在進行形で「死に続けているもの」を更に殺すことはできない。そういうことだと思う。
そして、《ヴォイドステイシス》がその手を伸ばせば、この虚空領域全てが同じモノになるのだろう。全てが静止した世界。破滅を逃れる代わりに、なにもかも、なにもかもがその瞬間で時を止める。永劫なるものに、成り果てる。
『破滅の今際にて、停滞せよ、世界』
――世界はいまのままで十分、美しいのだから。
リヴというらしいケイジキーパーは己の勝利を疑わない。疑わないまま、《ヴォイドステイシス》を駆るのだろう。その、圧倒的な力でこちらを蹂躙し、己の望むままに世界の時間を止めてみせるだろう。
レイルはいやに静かになった――もう頭の中の声も聞こえない――操縦棺の中で、シミュレーション結果を見据える。
フヌから受け取ったシミュレーションの演習データは、戦闘開始から十分の時点で途絶えている。それだけで《ヴォイドステイシス》の絶対性が明らかになるという意味でもあり、それと、もうひとつ。
『ですが、ひとつ、気になることがあるのです』
勝てない、と断言しておきながら、フヌは言葉を続けたのだ。
それは――《ヴォイドステイシス》の心である、と。
悪鬼は応えるはずだ。君の思い描くままに。
それは悪鬼、つまりグレムリンがただ乗り手に操られるがままのモノであることを意味しない。グレムリンにも心があり、それが乗り手の思いと共鳴するからこそ、強大な力を振るうことができる。
レイルも、それを具体的に理解していたわけではないが、最初から感覚的には把握していた。グレムリン『スリーピング・レイル』とレイルは別々の存在ではあるが、その間には響き合う何かがあって、ともに欠くことはできないものである、と。そう感じ取ったからこそ、レイルは己とグレムリンに、その時、唯一「自分」を示していた『スリーピング・レイル』という名をつけた。眠る水鶏のエンブレム、その意味も未だ知らぬまま、それでも、この名が自分たちを繋ぐものであることだけは、確かであったから。
だが、リヴと《ヴォイドステイシス》の間にある関係は、レイル、そして他のグレムリンテイマーたちのそれとは違い、そこに可能性があるのではないか。そう、フヌは言ったのだった。
『ヴォイドステイシスは……幼いです』
『まだ、戦う意味も、生きることも、知りません』
『ただ、リヴの言うことを聞くだけの人形です』
かくして、フヌのシミュレーションには一瞬だけノイズが混ざる。
それが、戦闘開始から十分後。
圧倒的で、一方的で、絶対的な勝利を約束された、もはや戦闘とも言えないただの蹂躙。その中で、《ヴォイドステイシス》は――「飽き」を感じるのだという。戦う意味も理由も知らず、何故自分がそうしているのかもわからないまま、操られるがままの絶対者が、わずかに生じさせる、意識の間隙。
『だから、これは私の勝手な思いですが……』
『ヴォイドステイシスに語り掛けてみてはどうでしょう』
――『戦う理由はあるのか?』、って。
果たして、その行為にどれだけの意味があるのかは、レイルにはわからない。ただ、フヌはそこに何らかの可能性を見出しているに違いなかった。何一つ確信に至る要素もない、頼りない話ではあるが、レイルが、この場に集った傭兵たちが《ヴォイドステイシス》に勝機を見出せていない以上、最後に賭けるにはまあまあ悪くないだろう。
それに、何となく――《ヴォイドステイシス》の気持ちも、わからなくはない、と思ったのだ。戦いの中に「飽き」を覚えてしまうのも。
戦う意味も、理由も、特にない。
それが今までのスリーピング・レイルだった。
強いて言えば、戦う力があるから、戦っていた。それが自分の役割であると思い極め、戦うことを要請されているから、言われるがままに、周囲の状況に流されて戦う。何ひとつ「自分のこと」を覚えていない、あやふやな存在であるレイルにとって、グレムリンを操ることが自分が生きていると実感できる唯一の方法だったというのもあったかもしれない。それも、今になってやっと分析できるようになったことだが。
今もそう、別に戦う理由が変わったわけではない。戦えるから、戦う。操縦棺に収まっている間だけは心が静まり、頭が冷えきり、グレムリンとそのパーツであるテイマーによる『スリーピング・レイル』が完成する。だから、戦うことが自分の役割であると信じて疑っていない。
しかし、目覚めてから今まで戦い続けてきて、「それだけ」でなくなったのは間違いない。
頭の中の彼にも言った通り、生きて帰りたいと思う理由がある。世界を停滞させたくない、と願う理由がある。ただ、命じられるままに戦うのではなく、脳裏に浮かぶちいさな、けれど確かな思い出を、それを与えてくれた人との「未来」を手に入れるために、グレムリンを駆ろうとしている。
虚空領域の「今」を守るために世界の時間を止めよう、なんて思い立ったリヴとは正反対の、あまりにもちっぽけな、願い。もしくは、祈り。
「君は、僕を愚かだと笑うだろうか。それとも、それが『愚か』だということも、わからないのかな」
ぽつり、零れ落ちたのは、もうすぐ目の前に現れる《ヴォイドステイシス》へ送る言葉。
レイルは既にリヴのことなど考えていなかった。考えたところで無駄だと理解したから。あれは自分のやり方が正しいと信じて疑いを持たない類の輩だ。レイルが最も嫌いな人種だ、それは同族嫌悪と言うべき嫌悪感だが。
導き出した答えは異なる、だが、自分もまた「ああ」なる可能性を孕んでいる。そう思う明確な理由はない――記憶していない――が、頭のどこかにある確信が、フィルタースーツ越しに首の傷跡に指を這わせる。
だから、少し、《ヴォイドステイシス》には同情するのだ。全く、厄介な奴のわがままに付き合わされているな、と。
「何もわからないままの方が、楽ではある。ただ、力を振るうだけでいいなら、その方が」
レイルはぽつり、ぽつりと、言葉を落とす。これから立ちはだかる相手である《ヴォイドステイシス》を思いながら、己に向けた独り言でもある、言葉を。
「悩むことなんてない、疑うことなんてない、僕も、ずっと、そういうものでいたかったと、思うことも、ある」
こんなこと、誰にも言えないことだ。特に、自分に「人らしさ」を教えてくれるミアや、己の意志を示すように説くネグロには。彼らの言葉とは正反対の望みを、いつも心の片隅に抱いている、なんて。
「でも、後悔はない。悪くない変化だと、僕は思っている」
もちろん、根本は何も変わっていない、と思う。だが、ミアとの出会いと出撃から始まった『スリーピング・レイル』の短い人生は、ただ「戦う」だけ以外の理由を与えられた。それは間違いなく「変化」といえた。レイル一人では絶対に起こらなかった変化、それをひとつひとつ、新鮮な驚きと不思議な心地よさをもって受け入れてきた。
しかし、リヴは――その「変化」を永遠に奪おうとしている。
レイルから、だけではない。この虚空領域に生きる者全てから。虚空領域そのものから。
「だから、話をしよう、《ヴォイドステイシス》」
それが結果的にどのような意味を持つか、そもそも意味があるのかどうかは、わからないけれど。
「僕が、目覚めてからの時間を快く感じてきたように」
スリーピング・レイルは、ほんの少しだけ、――笑う。
「君が少しでも、今を、悪くない時間だったと思ってくれれば、嬉しいよ」
【Scene0023:君と、物語を】
◆22回更新の日記ログ
『それでも、お前は、進んでいくのだろうさ。傷跡を抱えて、希望などなくとも、ただ、前に』
* * *
――それが、俺が戦う理由だ。
通信を伝って響いてきた、ジェトと呼ばれる青年の声はそう言った。
どこまでも根拠に乏しい、ただ、ただ、彼自身の強い思いだけを乗せた、言葉。
それでも、スリーピング・レイルは、その全てを眩しく思う。僅かな胸の痛みすらも感じる。自分には、彼のように声を張り上げて、己の思いを伝えることはできない。――否、伝えるような思いがない、と言った方が正しいだろうか。
別に、それでいいのだと言ってしまえばそれまでだ。傭兵の戦う理由は人それぞれ。ジェトの戦う理由はジェトのものであり、レイルのものではなく、他の誰にとっても、そう。そして、どのような理由も決して否定されているわけではない。もちろんレイルとて、そういうものだと、頭では理解しているはずなのだ。
それでも、ジェトの言葉にどこか胸の痛みを覚えるのは、多分、憧れがあるからだ。はっきりと『戦う理由』を提示できるジェトに。彼がその身に抱いている熱と、思いの強さに。全てを動かすのは何も理性だけではない、むしろ、人が人として在るということは、己を突き動かす「思い」ゆえなのではないか――、と。どこかで、「そうありたい」と思っている自分がいて、同時に、そうなれない自分を自覚している。
未だに、スリーピング・レイルには明確な戦う理由がないのだ。戦う力があり、それを求められているから、振るう。それだけ。そこに何らかの感情があるわけではない。自分の役割を果たすのは当然のことである、というだけの話。
その中であえて、戦う理由を、今この場で、つけるのだとしたら。
『絶対に、絶対に、帰ってきてよね!』
自分に対して、そう呼びかけてきた、ミアのことを思う。
目が覚めたその瞬間から同じ廃工場にいて、それからずっと行動を共にしてきたあの少女は、レイルのようなグレムリンテイマーではない。けれど、何か、互いに引かれ合うものがあって、未識別機動体の襲撃時にあの場にいたのではないか。今のレイルは、そう思っている。
例えば――。
「あっちの威勢のよさとは大違いだな、アンタは」
声がする。操縦棺の中にはレイル一人――だが、実際に「ひとり」と言い切っていいものか、レイルにはわからないままでいる。少なくとも、レイルの主観では、スリーピング・レイルという人間は「ひとり」ではなかったから。そして、その中でも最も声の大きい一人、今声をかけてきた男こそが、ミアを引き寄せたのではないか。今は、そんな風に思っている。
姿の見えない男の声に、レイルは「そうだな」と返す。自分だけにしか見えず、聞こえない、幻覚の男からの語りかけにもすっかり慣れてしまった。
「……僕は、ああはなれないから」
「しけたツラするなよ、『スリーピング・レイル』が泣くぞ」
この場合の『スリーピング・レイル』は、今、レイルが操っているグレムリンのことだ。
――悪鬼は応えるはずだ。君の思い描くままに。
ジェトはそう言った。その言葉だけは素直に頷けるな、とレイルも思う。
レイルにとっての『スリーピング・レイル』は己の体の延長上にある。どちらかといえば、レイルの方が『スリーピング・レイル』のパーツだと思った方がしっくり来るのだが、その二つの間にさしたる差はないといえば、そう。
レイルが望む限り『スリーピング・レイル』はレイルの思うがままに戦う力を振るってくれる。そして、レイルが望まなければ『スリーピング・レイル』は沈黙するのだろう。男の言葉が正しければ、レイルが乗り気でなければ『スリーピング・レイル』だって本来のスペックは発揮できないはず、そういうことだ。
最後の戦いを前にして、全力を出すことができなければ、それこそスリーピング・レイル――これはグレムリンもその操り手も含め――の存在意義はないに等しい。
「それとも、何だ。引け目でも感じてんのか? こんなところに、ろくな理由も持たない自分がいていいのか、って」
「もちろん、戦う理由がなければ戦えないわけではない、っていうのもわかる。グレムリンテイマーみんながみんな、彼のような理由で戦う存在ではない、とも。でも、僕は、ジェトが少しうらやましいな、と思う」
「まあ、そりゃアンタの考えだから俺がどうこう言うことじゃないな。けど、そろそろ、アンタの中にだってできてきてはいるんじゃないのか? 『戦えるから』以外の理由もさ」
そう、少しだけ。ほんの少しだけ、最後の戦いを前にして思うことがあるとすれば。
こちらを見上げる紫の瞳を。さほど背が高いとは言えないはずの自分よりもずっと小さな少女の姿を、思い描く。
「……待っててくれてる、人がいる」
ミアには、話したいことがある。少しだけ、謝らなければいけないことも、ある。
ミアは今、幽霊船で自分の帰りを待っているはずだ。けれど、もし、ケイジキーパーに敗北すれば、世界は停滞してしまうという。どこに行くことも、帰ることも、言葉を交わすこともできない、永劫の沈黙。それを許容するわけにはいかないのだ。僅かでも変化がなければ、それは――死んでいるのと何も変わらない。レイルはそう信じている。死んでしまった世界に、何の意味があるのだろう。仮に、先に待つものが避けようのない破滅であろうとも、停滞という名の死よりかは幾分かマシだ。
だから。
「帰る場所と、話すだけの時間くらいは、守りたいな」
もちろん、これは何もミアのため、だけではない。一緒に戦うネグロのことを考え、ツィールのことを考え、幽霊船の乗組員たちのことも考えてみた結果だ。レイルはいつしか彼らに愛着を抱くに至っていたから、彼らともう少しともに過ごすためには、この戦いに勝たなければならない。
世界の命運をかけた戦いに臨むには随分と控えめな望み。それでも、男の声は「まあ、前よりかはずっとマシだな」と笑ってみせた。
「アンタには、そのくらいがお似合いだよ。そうそうでっかいものを抱えるような器じゃない。……それは、『俺たち』も同様にな。結果的に世界の命運が肩にかかっちまっただけで、俺たちの手の届く範囲は、結局のところ大したもんじゃない」
それでも、守りたいものはあるんだ。そう、男は言った。祈るように、願うように。
「とはいえ、こうなる前の俺にはできなかったことだし、今だって、アンタは俺と代わるつもりもないだろ。……俺は、せいぜいここからのんびり見てるとするさ」
――気張れよ、スリーピング・レイル。
そう、男の声が言うのと同時に。
『レイル、ツィール、聞こえるか。来るぞ』
僅かにノイズを交えたネグロの声が、届いた。
無数のマリオネット・グレムリン。そして、それらすらも取り込んで膨張する、かつて自分たちの前に立ちはだかった誰かの、成れの果て。もはやそこに本来あるべき魂はない、ケイジキーパーの玩具にされるがままの、残骸。
醜悪だ、とレイルは思う。目の前に立ちはだかる残骸の姿かたちではなく、それを操るケイジキーパーのありさまが。今までそこまで強い感情を抱いたことのないレイルの胸に走るのは、痛みと、それを上回る、熱。
ネグロの声に「ああ」と返事をしながら、ディスプレイ越しに敵機を見据える。
いつの間にやら、胸の痛みも焦燥も消えて、すっかり頭は冷えていた。コンディション、グリーン。機体も――そのパーツであるレイル自身も。
「さあ、行こうか、『スリーピング・レイル』」
【Scene0022:戦う理由を定めるとすれば】
* * *
――それが、俺が戦う理由だ。
通信を伝って響いてきた、ジェトと呼ばれる青年の声はそう言った。
どこまでも根拠に乏しい、ただ、ただ、彼自身の強い思いだけを乗せた、言葉。
それでも、スリーピング・レイルは、その全てを眩しく思う。僅かな胸の痛みすらも感じる。自分には、彼のように声を張り上げて、己の思いを伝えることはできない。――否、伝えるような思いがない、と言った方が正しいだろうか。
別に、それでいいのだと言ってしまえばそれまでだ。傭兵の戦う理由は人それぞれ。ジェトの戦う理由はジェトのものであり、レイルのものではなく、他の誰にとっても、そう。そして、どのような理由も決して否定されているわけではない。もちろんレイルとて、そういうものだと、頭では理解しているはずなのだ。
それでも、ジェトの言葉にどこか胸の痛みを覚えるのは、多分、憧れがあるからだ。はっきりと『戦う理由』を提示できるジェトに。彼がその身に抱いている熱と、思いの強さに。全てを動かすのは何も理性だけではない、むしろ、人が人として在るということは、己を突き動かす「思い」ゆえなのではないか――、と。どこかで、「そうありたい」と思っている自分がいて、同時に、そうなれない自分を自覚している。
未だに、スリーピング・レイルには明確な戦う理由がないのだ。戦う力があり、それを求められているから、振るう。それだけ。そこに何らかの感情があるわけではない。自分の役割を果たすのは当然のことである、というだけの話。
その中であえて、戦う理由を、今この場で、つけるのだとしたら。
『絶対に、絶対に、帰ってきてよね!』
自分に対して、そう呼びかけてきた、ミアのことを思う。
目が覚めたその瞬間から同じ廃工場にいて、それからずっと行動を共にしてきたあの少女は、レイルのようなグレムリンテイマーではない。けれど、何か、互いに引かれ合うものがあって、未識別機動体の襲撃時にあの場にいたのではないか。今のレイルは、そう思っている。
例えば――。
「あっちの威勢のよさとは大違いだな、アンタは」
声がする。操縦棺の中にはレイル一人――だが、実際に「ひとり」と言い切っていいものか、レイルにはわからないままでいる。少なくとも、レイルの主観では、スリーピング・レイルという人間は「ひとり」ではなかったから。そして、その中でも最も声の大きい一人、今声をかけてきた男こそが、ミアを引き寄せたのではないか。今は、そんな風に思っている。
姿の見えない男の声に、レイルは「そうだな」と返す。自分だけにしか見えず、聞こえない、幻覚の男からの語りかけにもすっかり慣れてしまった。
「……僕は、ああはなれないから」
「しけたツラするなよ、『スリーピング・レイル』が泣くぞ」
この場合の『スリーピング・レイル』は、今、レイルが操っているグレムリンのことだ。
――悪鬼は応えるはずだ。君の思い描くままに。
ジェトはそう言った。その言葉だけは素直に頷けるな、とレイルも思う。
レイルにとっての『スリーピング・レイル』は己の体の延長上にある。どちらかといえば、レイルの方が『スリーピング・レイル』のパーツだと思った方がしっくり来るのだが、その二つの間にさしたる差はないといえば、そう。
レイルが望む限り『スリーピング・レイル』はレイルの思うがままに戦う力を振るってくれる。そして、レイルが望まなければ『スリーピング・レイル』は沈黙するのだろう。男の言葉が正しければ、レイルが乗り気でなければ『スリーピング・レイル』だって本来のスペックは発揮できないはず、そういうことだ。
最後の戦いを前にして、全力を出すことができなければ、それこそスリーピング・レイル――これはグレムリンもその操り手も含め――の存在意義はないに等しい。
「それとも、何だ。引け目でも感じてんのか? こんなところに、ろくな理由も持たない自分がいていいのか、って」
「もちろん、戦う理由がなければ戦えないわけではない、っていうのもわかる。グレムリンテイマーみんながみんな、彼のような理由で戦う存在ではない、とも。でも、僕は、ジェトが少しうらやましいな、と思う」
「まあ、そりゃアンタの考えだから俺がどうこう言うことじゃないな。けど、そろそろ、アンタの中にだってできてきてはいるんじゃないのか? 『戦えるから』以外の理由もさ」
そう、少しだけ。ほんの少しだけ、最後の戦いを前にして思うことがあるとすれば。
こちらを見上げる紫の瞳を。さほど背が高いとは言えないはずの自分よりもずっと小さな少女の姿を、思い描く。
「……待っててくれてる、人がいる」
ミアには、話したいことがある。少しだけ、謝らなければいけないことも、ある。
ミアは今、幽霊船で自分の帰りを待っているはずだ。けれど、もし、ケイジキーパーに敗北すれば、世界は停滞してしまうという。どこに行くことも、帰ることも、言葉を交わすこともできない、永劫の沈黙。それを許容するわけにはいかないのだ。僅かでも変化がなければ、それは――死んでいるのと何も変わらない。レイルはそう信じている。死んでしまった世界に、何の意味があるのだろう。仮に、先に待つものが避けようのない破滅であろうとも、停滞という名の死よりかは幾分かマシだ。
だから。
「帰る場所と、話すだけの時間くらいは、守りたいな」
もちろん、これは何もミアのため、だけではない。一緒に戦うネグロのことを考え、ツィールのことを考え、幽霊船の乗組員たちのことも考えてみた結果だ。レイルはいつしか彼らに愛着を抱くに至っていたから、彼らともう少しともに過ごすためには、この戦いに勝たなければならない。
世界の命運をかけた戦いに臨むには随分と控えめな望み。それでも、男の声は「まあ、前よりかはずっとマシだな」と笑ってみせた。
「アンタには、そのくらいがお似合いだよ。そうそうでっかいものを抱えるような器じゃない。……それは、『俺たち』も同様にな。結果的に世界の命運が肩にかかっちまっただけで、俺たちの手の届く範囲は、結局のところ大したもんじゃない」
それでも、守りたいものはあるんだ。そう、男は言った。祈るように、願うように。
「とはいえ、こうなる前の俺にはできなかったことだし、今だって、アンタは俺と代わるつもりもないだろ。……俺は、せいぜいここからのんびり見てるとするさ」
――気張れよ、スリーピング・レイル。
そう、男の声が言うのと同時に。
『レイル、ツィール、聞こえるか。来るぞ』
僅かにノイズを交えたネグロの声が、届いた。
無数のマリオネット・グレムリン。そして、それらすらも取り込んで膨張する、かつて自分たちの前に立ちはだかった誰かの、成れの果て。もはやそこに本来あるべき魂はない、ケイジキーパーの玩具にされるがままの、残骸。
醜悪だ、とレイルは思う。目の前に立ちはだかる残骸の姿かたちではなく、それを操るケイジキーパーのありさまが。今までそこまで強い感情を抱いたことのないレイルの胸に走るのは、痛みと、それを上回る、熱。
ネグロの声に「ああ」と返事をしながら、ディスプレイ越しに敵機を見据える。
いつの間にやら、胸の痛みも焦燥も消えて、すっかり頭は冷えていた。コンディション、グリーン。機体も――そのパーツであるレイル自身も。
「さあ、行こうか、『スリーピング・レイル』」
【Scene0022:戦う理由を定めるとすれば】
◆21回更新の日記ログ
『希望を絶ったその手で、傷跡を抱えたその体で、それでも、お前は』
* * *
――最後の戦いが、始まろうとしている。
虚空領域の海を漂う『継ぎ接ぎ幽霊船』は、タワー近海に位置していた。無数の船の残骸を接ぎ合わせた不可思議な仕組みの幽霊船は、その巨大さからしてタワーの港に留まることも難しい。故に、タワー内部で行われるという戦闘を間近で見届ける、ということはできそうになかった。
元よりグレムリンテイマーを擁することで初めて海を渡ることが可能となる、それ自体は戦闘能力を持たない船なのだ、仮にタワーにまで向かえたところでできることなど何一つない。
そんなこと、とっくに頭ではわかっているけれど、それでも――少しだけ、もどかしい。ミアは、そんなことを思いながら、携帯端末を握りしめていた。
それは、タワーに向かったスリーピング・レイルから、預けられたもの。
虚空領域に未識別機動体が現れた日、ふと気づけば廃工場にいたあの日に、廃工場に落ちていたもの。それからずっと、レイルが所持していたものだ。
今は、グレムリン『スリーピング・レイル』とかろうじて通信が繋がっている。『スリーピング・レイル』との直接通信が可能になるように、レイルがあらかじめ弄っておいたに違いなかった。最初はグレムリンの仕組みなど何一つわからいまま闇雲に操っていたはずだが、この短期間で随分知識と技術を積み上げてきたものだ、とミアは感心する。
スリーピング・レイルという男は、ぼんやりしているようで、実際ほとんどの場合はぼんやりしているのだが、必要とされる物事に対する姿勢は極めて真面目で熱心であり、物覚えもそう悪くはない。だから、ミアもレイルにものを教えるのは面白かったし、レイルに教えることを通してミア自身も学び直したことは一つや二つではない。それに、レイルの僚機であるネグロから教わることも多く、レイルとともにタワーを離れ、幽霊船で過ごした日々はミアにとってもよい経験になっている、と思う。
だから、レイルには感謝をしているのだ。自分の、身勝手な願いを叶えてくれていることに。その上で、何も聞かずにいてくれていることに。
今、この瞬間だって、そう。
『――ミアさん、聞こえてる、かな』
ノイズ交じりの低いささやき声。スリーピング・レイルの、声。
「聞こえてる。今どこ?」
『そろそろ中層に突入する。それからは、繋がらなくなる、かもしれないから、連絡しておこうと、思って」
「……そっか」
少しだけ、沈黙が落ちた。通信機からは、かすかなノイズだけが流れてくる。
「ねえ、レイル」
『何?』
「あたし、レイルの役に、立ててたかな」
『……急に、どうしたんだ?」
「何となく、不安になっちゃったんだ。あたしは、レイルの役に立ってるつもりでいたけど、実は迷惑だったんじゃないかって」
ミアはほとんど無理やりレイルに同行を申し出た身だ。レイルには整備ができないから、なんてその場ででっちあげた言い訳もいいところで、グレムリンの整備は必ずしもミアに頼る必要はないし、例えば僚機のネグロの方が知識も技術も、経験も豊かな整備士だ。仮にネグロが僚機でなかったとしても、その土地の整備士に頼ったってよかったのだ。今なら、もしかすると、一人でも十分に整備できるかもしれない。レイルがミアを連れて歩く理由は、実のところ、何一つないのだ。
それでもレイルはミアを『スリーピング・レイル』専属の整備士として扱ってくれている。ミアがそこにいることを、当然だと思ってくれている。……そう、ミアは思っていた、けれど。
「レイルは、優しいから、言えなかっただけなのかなって。置いてかないで、って言ったけど、それでレイルに無理させてたら、それは、何か違うもんね」
レイルはいつだってミアの言葉を否定しない。いや、それは誰にだってそうだったかもしれない。誰に対しても従順で、いつだって誰かの願いを叶えようとしている。
だが、そこに、果たしてレイルの意志はあったのだろうか。
「レイルは、……嫌じゃなかった?」
『嫌なんかじゃない、迷惑だなんて、とんでもない』
通信機越しのレイルの声は、いつになく、強い語気をはらんでいた。
『最初に、ミアさんに、出会っていなかったら、僕は、きっと、ただ戦うだけのモノでいた』
そう、きっとそうだったのだろう。ミアもその言葉には、向こうからは見えていないとわかっていても、つい、小さく頷く。
レイルは、ともすれば自分を道具のように扱いたがる癖がある。戦うための道具。グレムリンを操るためのパーツのひとつ。自分を定義する記憶がないことも相まって、レイルのアイデンティティは「戦う能力がある」ことに終始しがちだ。
しかし、ミアは、レイルのそういうところが何よりも嫌いだったから、ひたすらに言葉を重ねてきた。
『でも、ミアさんは、教えてくれた。戦い以外のことも、――戦いの、後の、ことも』
ミアは本当の意味で「未来」を信じているわけではない。この先、ということを、意識できているわけではない。それでも、レイルには未来を示さずにはいられなかった。戦いが終わった後のこと、グレムリンテイマーという「グレムリンのパーツ」でない、一人のレイルとしての、未来。
『僕は、まだ、何をしたいかもわからない。……戦う以外のことを、考えられない』
「うん、それは、わかるよ」
まさにレイルは最後の戦いに向かうところであり、戦うこと以外に考えを及ばせることなど、できようもない。何せ、世界を狂わせて、永劫に停止させようとしているケイジキーパーを打ち破らない限り、「戦いの後」が訪れることはないのだから。
『だから、せめて、きちんと帰ってきて、考えようと思う。ミアさんが、待っててくれる限り』
「レイル……」
『それで、……いいかな?』
「もちろん。ありがと、レイル。待ってるから。戻ってきたら、話をしよう。これからのことも考えなきゃだし、レイルがどこから来たのかも、知りたいし。いっぱい、いっぱい、話したいこと、あるから」
結局、ここまでにレイルの記憶は戻らなかった。
けれど、今となっては、決してツィールのように「元からなかった」というわけではない、とミアは確信している。
レイルは、粉塵に覆われていない青い空と海を知っている。虚空領域で一般的な食事に違和感を持っていて、時折ミアだけでなく、他の乗組員の誰もが知らない事物を当然のことのように話す。そして、誰に教えられたわけでもなく、異世界の遊戯を嗜むことすらある。
もしかすると、レイルもまた、いわゆる「異世界人」だったのかもしれない、と今では考えている。
ここではない、どこか遠くの場所からの来訪者。そこには青い空と海が広がっていて、虚空領域では既に失われてしまったものがあって、そこで、別の名前と立場を持って暮らしていた何者か。どうしてグレムリンを操る能力があるのかは知らないけれど、きっと、そういうもの。
今までそれ以上のことを積極的に知ろうとしなかったのは、レイルがあまり失われた記憶に頓着している様子を見せなかったのもそうであるし、レイルの首に走る傷跡が決して明るいものでない過去を思わせて、不安に駆られていたというのもある。
しかし、今は、知りたいと思う。単なる過去というよりも、「レイル」というひとについて。どこから来て、どこに行こうとしているのか、その、全てを。
『そうだ、僕が帰ってきたら、ミアさんの話も、聞かせてほしい』
「え?」
『ミアさんのこと。それから、ミアさんを駆り立てた、「父親」――ルーカスのこと』
「……レイル、気づいて」
『僕も、そのことについて、話さなきゃいけないこと、あって。……と』
ノイズが一段と強まる。通信が今にも途切れそうになっているのが、わかる。グレムリン『スリーピング・レイル』が、タワー中層に至ろうとしているのだ。
『ここまで、みたいだ。……それじゃ、ミアさん、また』
これから戦場に赴くとは思えない、いたって気軽な口調。それに対して、ミアは、声を張り上げる。端末の向こうのレイルに、確かに届くように。
「絶対に、絶対に、帰ってきてよね!」
果たして、端末はノイズだけを垂れ流すばかりだった。もしかすると、その中に聞こえたわずかなうねりが、レイルの返事だったのかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
「……レイル……」
ミアは、携帯端末を握りしめる。
あの男は、ミアが思うよりもずっと、多くのことを考えていて――多くのものを、見ていたのだ。
レイルと話をしなければならない。そのためにも、どうか。
「負けないで、レイル」
祈る。今のミアにできることは、ただ、それだけだったから。
【Scene:0021 端末越しの祈り】
* * *
――最後の戦いが、始まろうとしている。
虚空領域の海を漂う『継ぎ接ぎ幽霊船』は、タワー近海に位置していた。無数の船の残骸を接ぎ合わせた不可思議な仕組みの幽霊船は、その巨大さからしてタワーの港に留まることも難しい。故に、タワー内部で行われるという戦闘を間近で見届ける、ということはできそうになかった。
元よりグレムリンテイマーを擁することで初めて海を渡ることが可能となる、それ自体は戦闘能力を持たない船なのだ、仮にタワーにまで向かえたところでできることなど何一つない。
そんなこと、とっくに頭ではわかっているけれど、それでも――少しだけ、もどかしい。ミアは、そんなことを思いながら、携帯端末を握りしめていた。
それは、タワーに向かったスリーピング・レイルから、預けられたもの。
虚空領域に未識別機動体が現れた日、ふと気づけば廃工場にいたあの日に、廃工場に落ちていたもの。それからずっと、レイルが所持していたものだ。
今は、グレムリン『スリーピング・レイル』とかろうじて通信が繋がっている。『スリーピング・レイル』との直接通信が可能になるように、レイルがあらかじめ弄っておいたに違いなかった。最初はグレムリンの仕組みなど何一つわからいまま闇雲に操っていたはずだが、この短期間で随分知識と技術を積み上げてきたものだ、とミアは感心する。
スリーピング・レイルという男は、ぼんやりしているようで、実際ほとんどの場合はぼんやりしているのだが、必要とされる物事に対する姿勢は極めて真面目で熱心であり、物覚えもそう悪くはない。だから、ミアもレイルにものを教えるのは面白かったし、レイルに教えることを通してミア自身も学び直したことは一つや二つではない。それに、レイルの僚機であるネグロから教わることも多く、レイルとともにタワーを離れ、幽霊船で過ごした日々はミアにとってもよい経験になっている、と思う。
だから、レイルには感謝をしているのだ。自分の、身勝手な願いを叶えてくれていることに。その上で、何も聞かずにいてくれていることに。
今、この瞬間だって、そう。
『――ミアさん、聞こえてる、かな』
ノイズ交じりの低いささやき声。スリーピング・レイルの、声。
「聞こえてる。今どこ?」
『そろそろ中層に突入する。それからは、繋がらなくなる、かもしれないから、連絡しておこうと、思って」
「……そっか」
少しだけ、沈黙が落ちた。通信機からは、かすかなノイズだけが流れてくる。
「ねえ、レイル」
『何?』
「あたし、レイルの役に、立ててたかな」
『……急に、どうしたんだ?」
「何となく、不安になっちゃったんだ。あたしは、レイルの役に立ってるつもりでいたけど、実は迷惑だったんじゃないかって」
ミアはほとんど無理やりレイルに同行を申し出た身だ。レイルには整備ができないから、なんてその場ででっちあげた言い訳もいいところで、グレムリンの整備は必ずしもミアに頼る必要はないし、例えば僚機のネグロの方が知識も技術も、経験も豊かな整備士だ。仮にネグロが僚機でなかったとしても、その土地の整備士に頼ったってよかったのだ。今なら、もしかすると、一人でも十分に整備できるかもしれない。レイルがミアを連れて歩く理由は、実のところ、何一つないのだ。
それでもレイルはミアを『スリーピング・レイル』専属の整備士として扱ってくれている。ミアがそこにいることを、当然だと思ってくれている。……そう、ミアは思っていた、けれど。
「レイルは、優しいから、言えなかっただけなのかなって。置いてかないで、って言ったけど、それでレイルに無理させてたら、それは、何か違うもんね」
レイルはいつだってミアの言葉を否定しない。いや、それは誰にだってそうだったかもしれない。誰に対しても従順で、いつだって誰かの願いを叶えようとしている。
だが、そこに、果たしてレイルの意志はあったのだろうか。
「レイルは、……嫌じゃなかった?」
『嫌なんかじゃない、迷惑だなんて、とんでもない』
通信機越しのレイルの声は、いつになく、強い語気をはらんでいた。
『最初に、ミアさんに、出会っていなかったら、僕は、きっと、ただ戦うだけのモノでいた』
そう、きっとそうだったのだろう。ミアもその言葉には、向こうからは見えていないとわかっていても、つい、小さく頷く。
レイルは、ともすれば自分を道具のように扱いたがる癖がある。戦うための道具。グレムリンを操るためのパーツのひとつ。自分を定義する記憶がないことも相まって、レイルのアイデンティティは「戦う能力がある」ことに終始しがちだ。
しかし、ミアは、レイルのそういうところが何よりも嫌いだったから、ひたすらに言葉を重ねてきた。
『でも、ミアさんは、教えてくれた。戦い以外のことも、――戦いの、後の、ことも』
ミアは本当の意味で「未来」を信じているわけではない。この先、ということを、意識できているわけではない。それでも、レイルには未来を示さずにはいられなかった。戦いが終わった後のこと、グレムリンテイマーという「グレムリンのパーツ」でない、一人のレイルとしての、未来。
『僕は、まだ、何をしたいかもわからない。……戦う以外のことを、考えられない』
「うん、それは、わかるよ」
まさにレイルは最後の戦いに向かうところであり、戦うこと以外に考えを及ばせることなど、できようもない。何せ、世界を狂わせて、永劫に停止させようとしているケイジキーパーを打ち破らない限り、「戦いの後」が訪れることはないのだから。
『だから、せめて、きちんと帰ってきて、考えようと思う。ミアさんが、待っててくれる限り』
「レイル……」
『それで、……いいかな?』
「もちろん。ありがと、レイル。待ってるから。戻ってきたら、話をしよう。これからのことも考えなきゃだし、レイルがどこから来たのかも、知りたいし。いっぱい、いっぱい、話したいこと、あるから」
結局、ここまでにレイルの記憶は戻らなかった。
けれど、今となっては、決してツィールのように「元からなかった」というわけではない、とミアは確信している。
レイルは、粉塵に覆われていない青い空と海を知っている。虚空領域で一般的な食事に違和感を持っていて、時折ミアだけでなく、他の乗組員の誰もが知らない事物を当然のことのように話す。そして、誰に教えられたわけでもなく、異世界の遊戯を嗜むことすらある。
もしかすると、レイルもまた、いわゆる「異世界人」だったのかもしれない、と今では考えている。
ここではない、どこか遠くの場所からの来訪者。そこには青い空と海が広がっていて、虚空領域では既に失われてしまったものがあって、そこで、別の名前と立場を持って暮らしていた何者か。どうしてグレムリンを操る能力があるのかは知らないけれど、きっと、そういうもの。
今までそれ以上のことを積極的に知ろうとしなかったのは、レイルがあまり失われた記憶に頓着している様子を見せなかったのもそうであるし、レイルの首に走る傷跡が決して明るいものでない過去を思わせて、不安に駆られていたというのもある。
しかし、今は、知りたいと思う。単なる過去というよりも、「レイル」というひとについて。どこから来て、どこに行こうとしているのか、その、全てを。
『そうだ、僕が帰ってきたら、ミアさんの話も、聞かせてほしい』
「え?」
『ミアさんのこと。それから、ミアさんを駆り立てた、「父親」――ルーカスのこと』
「……レイル、気づいて」
『僕も、そのことについて、話さなきゃいけないこと、あって。……と』
ノイズが一段と強まる。通信が今にも途切れそうになっているのが、わかる。グレムリン『スリーピング・レイル』が、タワー中層に至ろうとしているのだ。
『ここまで、みたいだ。……それじゃ、ミアさん、また』
これから戦場に赴くとは思えない、いたって気軽な口調。それに対して、ミアは、声を張り上げる。端末の向こうのレイルに、確かに届くように。
「絶対に、絶対に、帰ってきてよね!」
果たして、端末はノイズだけを垂れ流すばかりだった。もしかすると、その中に聞こえたわずかなうねりが、レイルの返事だったのかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
「……レイル……」
ミアは、携帯端末を握りしめる。
あの男は、ミアが思うよりもずっと、多くのことを考えていて――多くのものを、見ていたのだ。
レイルと話をしなければならない。そのためにも、どうか。
「負けないで、レイル」
祈る。今のミアにできることは、ただ、それだけだったから。
【Scene:0021 端末越しの祈り】
◆20回更新の日記ログ
『その傷跡はまだ痛むか? 希望は見出せたか?』
* * *
「みんなの力を、貸してくれ」
そう、ネグロは言った。
果たして彼は、ずっと戦いの中で死にたかったのか、それとも、なお、生きていたかったのか。いや、その区別に意味はなかったのかもしれない、とスリーピング・レイルは思う。
レイルにはネグロのような過去がない。何もかもを打ち砕かんとする強い怒りや恨みと、その反面の死を望むほどの諦念を、持つほどの理由がない。だから、彼の中で絶えず揺れ動いていたものを、生と死のグラデーションを、切り分ける意味はないのだろう、と思う。それが自分の役目でないのは、間違いなかったから。
自分にできることはただひとつ、彼の望み通りに、「力を貸す」ことだけだ。
首に巻いたマフラーを外す。鏡に映る自分の姿を見やる。喉の上に張り付いた紐のような痕跡は、いつまでたっても消えない。きっと、消そうと思わない限りは、延々と残り続けるのだろう。
果たして、自分にも、死にたいと望むことがあったのだろうか。
ネグロが内心で望んでいたような、戦場での死ではなく……、もっと、ずっと直接的な。自分で、自分の命を絶たずにはいられないほどの、強い望みが。この傷跡を目にするたびに脳裏をよぎるのは、紐に吊り下げられて揺れる、だらりと弛緩したシルエット。
軽く頭を振り、ゆるく体を覆っていた服を脱いで、代わりに肌を覆うインナーを身に着け、その上からフィルタースーツを着込んでいく。そうすることで、首をぐるりと巡る傷跡はすっかり見えなくなる。
このフィルタースーツにも慣れてきたと思う。レイルがグレムリンに乗る際に纏うFt式フィルタースーツは、体をぴったり覆うつくりになっている。LL式に比べて密閉率が高く、破損にも強い。動きやすさも断然上だ。ただ、少々身に着けるのに手間取るというのが難点だった。
シュピネによると、どうもFt式の中でもかなり特殊な構造をしているようで、その分余計に身に着けるのが難しくなっているらしい。何故そのような構造を採用したかは不明ながら、完全に「レイルのため」に作られた一点ものであることは間違いないようだ。
背骨のように走る金属のパーツを指先で確かめ、それがあるべき場所に収める。
当初はミアの手を借りなければろくに着こなせなかったそれを、今は一人でもそれなりに素早く身に着けられるようになってきた。まあ、未だにネグロにはもたもたするなと言われるが。
その時、部屋の扉がノックされる。
「レイル、準備できた?」
ミアの声だ。レイルは「うん」と短く返事をして、置いておいたヘルメットを小脇に抱えて扉を開ける。
扉の前に立っていたミアは、大きな目でレイルを見上げていた。レイルは一般的な男性としてはさほど背の高い方ではないが、ミアはそのレイルより更にずっと小柄であったから、どうしてもこちらからは見下ろす形になる。
「……ミアさん?」
ミアがじっとこちらを見つめてくるものだから、レイルはつい首を傾げてしまう。すると、ミアは深々と息をついて、「よかった」と言った。
「今日は、元気そうだね」
「別に、いつもと変わらないと思うけど」
「そう思ってるのはレイルだけだと思うよ。レイル、ここしばらく、ずっと変だったから」
「変……」
ああ、やっぱり、気づかれていたのか。レイルは思わず眉を寄せてしまう。
どうしても、自分に起こっている異常を誤魔化すのは上手くない。多分、記憶を失う前からその辺りは変わらなかったのではないだろうか、そのくらい、レイルは嘘も誤魔化しも苦手としている。
しかし、ミアに対して己に起こってることを伝える気には、どうしてもなれなかった。いや、もしかすると、伝えてもよかったのかもしれない。ミアならば、理解してくれないまでも、聞き届けてくれるのではないか――。
だが、レイルの視界に映る――レイルにしか見えていない影は、ミアの背後で、己の人差し指を唇の前に立てている。言うな、というジェスチャー。守ってやる義理などない、といえばそうなのだが、『彼』がどうしてそう主張するのかもわからなくはなかったから、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
ミアはそんなレイルをじっと見つめたまま、ぽつりと言う。
「でも、今は、いつもよりは元気そうだから。よかったなと思って」
幻聴は依然として消えない。エイゼルと対峙し、死を経験したあの日から見えるようになった幻覚も、今こうして目の前にある。それでも、ミアが「元気そう」と言うのはあながち間違ってはいない、と思う。いつになく気分がいいのは事実だったから。
きっと、それは――。
「ネグロさんの、役に立てるのが、嬉しいんだと思う」
自分はここに本当に必要なのかと、ずっと、思っていた。不安だった、と言い換えてもいい。
スリーピング・レイルの取り柄はグレムリンを駆ることだけで、しかし、それはネグロにだって、ツィールにだって――先の戦いではエイゼルもまたグレムリンを駆ってみせたことを思い出す――できることであり、必ずしも「レイルである必要はない」のだ。それでも、グレムリンの操り手が多いならその方がいい。この滅びに瀕した世界においては、それが明暗を分けることも無いとは言えない。そう信じて『スリーピング・レイル』を駆ってきた。
ただ、その一方でずっと不安であった。僚機のネグロは、自分をそれなりに信頼してくれていると思う。一度は「手を貸してくれ」と頼まれたこともある。その程度には、レイルの力を認めてくれているのだと思ってはいたが、それでも、いつかふっと傍からいなくなってしまう、ような。そんな心細さを常に感じていた。
だから、嬉しかったのだ。ネグロが幽霊船の面々を「みんな」と言って、助けを求めてくれたのが。自分の力を必要としてくれたのが。
そして、それは何もネグロに対してだけではなく――誰に対しても、そうであって。
「もちろん、ミアさんのためにも、幽霊船のみんなのためにも、頑張れるのが、嬉しい。僕はきっと、そのために、ここにいるんだと、思ってる」
「……レイル……」
「行ってくるよ、ミアさん。僕に、できることをしてくる」
虚空領域の戦いは、一つの終わりに向かおうとしている。それは、流れてくる情報からも、それ以前に、肌に感じる空気からも何とはなしにわかっていた。
結果としてどのような結末を迎えるにせよ、自分の望むような終わりを引き寄せるためにも、最後の最後まで足掻くべきだとレイルは考える。それが、目覚めたその時から抗うだけの力を与えられていた自分にできる、唯一だと、考える。
グレムリン『スリーピング・レイル』の待つ格納庫に歩んでいこうとした、その時。
ミアの細い腕が、レイルの腰のあたりに絡みついた。
「……どうしたの、ミアさん」
「レイル、死なないで。……ほんとは、行ってほしくも、ない」
ミアさん、ともう一度レイルがその名前を呼ぶと、うつむいていたミアが顔を上げる。その目は、どうしてだろう、わずかに潤んでいるようにも見えた。
「もう、あたしを、置いてかないで」
置いていったことなど、あっただろうか。確かに戦場には連れて行けないけれど、それでも、レイルは必ず幽霊船に帰っていたし、ミアを置いていったつもりなど一度もない。あの格納庫で目覚めた時から、ミアはレイルの側にずっといた。ミアがそう望んだから、レイルはそれを受け入れていた。そのつもりだった。
けれど。
「ひとりに、しないで」
ミアの目が、レイルを見つめている。否、見ているのは「レイル」ではないのかもしれない。レイルは薄々その可能性に思い至っていた。実のところ、格納庫で目覚めたその時から、ミアの目に映っていたのは、レイルという存在を通して感じ取った――。
レイルは、そっと、ミアの頭に手を載せる。僅かにミアの体が震えるのを感じながら、そっと、そのちいさな頭を撫でる。
「僕は、必ず、帰ってくる」
「ほんと?」
「僕の帰る場所は、ここだけだから」
だから、待っていて。
レイルの言葉に、ミアはじっと、見定めようとするかのようにレイルを見据えて――やがて、こくりと頷く。
「信じてるからね、レイル」
その言葉に、レイルは意識して口の端を緩めようとした。笑み、という表情を極端に苦手とするレイルの、精いっぱいの笑顔。果たして、それは――。
「何それ、変な顔!」
さっぱり上手くいっていなかったが、けれど、ミアが少しだけ笑ってくれたから、まあ、悪くはないと思うことにした。
【Scene:0020 帰る場所】
* * *
「みんなの力を、貸してくれ」
そう、ネグロは言った。
果たして彼は、ずっと戦いの中で死にたかったのか、それとも、なお、生きていたかったのか。いや、その区別に意味はなかったのかもしれない、とスリーピング・レイルは思う。
レイルにはネグロのような過去がない。何もかもを打ち砕かんとする強い怒りや恨みと、その反面の死を望むほどの諦念を、持つほどの理由がない。だから、彼の中で絶えず揺れ動いていたものを、生と死のグラデーションを、切り分ける意味はないのだろう、と思う。それが自分の役目でないのは、間違いなかったから。
自分にできることはただひとつ、彼の望み通りに、「力を貸す」ことだけだ。
首に巻いたマフラーを外す。鏡に映る自分の姿を見やる。喉の上に張り付いた紐のような痕跡は、いつまでたっても消えない。きっと、消そうと思わない限りは、延々と残り続けるのだろう。
果たして、自分にも、死にたいと望むことがあったのだろうか。
ネグロが内心で望んでいたような、戦場での死ではなく……、もっと、ずっと直接的な。自分で、自分の命を絶たずにはいられないほどの、強い望みが。この傷跡を目にするたびに脳裏をよぎるのは、紐に吊り下げられて揺れる、だらりと弛緩したシルエット。
軽く頭を振り、ゆるく体を覆っていた服を脱いで、代わりに肌を覆うインナーを身に着け、その上からフィルタースーツを着込んでいく。そうすることで、首をぐるりと巡る傷跡はすっかり見えなくなる。
このフィルタースーツにも慣れてきたと思う。レイルがグレムリンに乗る際に纏うFt式フィルタースーツは、体をぴったり覆うつくりになっている。LL式に比べて密閉率が高く、破損にも強い。動きやすさも断然上だ。ただ、少々身に着けるのに手間取るというのが難点だった。
シュピネによると、どうもFt式の中でもかなり特殊な構造をしているようで、その分余計に身に着けるのが難しくなっているらしい。何故そのような構造を採用したかは不明ながら、完全に「レイルのため」に作られた一点ものであることは間違いないようだ。
背骨のように走る金属のパーツを指先で確かめ、それがあるべき場所に収める。
当初はミアの手を借りなければろくに着こなせなかったそれを、今は一人でもそれなりに素早く身に着けられるようになってきた。まあ、未だにネグロにはもたもたするなと言われるが。
その時、部屋の扉がノックされる。
「レイル、準備できた?」
ミアの声だ。レイルは「うん」と短く返事をして、置いておいたヘルメットを小脇に抱えて扉を開ける。
扉の前に立っていたミアは、大きな目でレイルを見上げていた。レイルは一般的な男性としてはさほど背の高い方ではないが、ミアはそのレイルより更にずっと小柄であったから、どうしてもこちらからは見下ろす形になる。
「……ミアさん?」
ミアがじっとこちらを見つめてくるものだから、レイルはつい首を傾げてしまう。すると、ミアは深々と息をついて、「よかった」と言った。
「今日は、元気そうだね」
「別に、いつもと変わらないと思うけど」
「そう思ってるのはレイルだけだと思うよ。レイル、ここしばらく、ずっと変だったから」
「変……」
ああ、やっぱり、気づかれていたのか。レイルは思わず眉を寄せてしまう。
どうしても、自分に起こっている異常を誤魔化すのは上手くない。多分、記憶を失う前からその辺りは変わらなかったのではないだろうか、そのくらい、レイルは嘘も誤魔化しも苦手としている。
しかし、ミアに対して己に起こってることを伝える気には、どうしてもなれなかった。いや、もしかすると、伝えてもよかったのかもしれない。ミアならば、理解してくれないまでも、聞き届けてくれるのではないか――。
だが、レイルの視界に映る――レイルにしか見えていない影は、ミアの背後で、己の人差し指を唇の前に立てている。言うな、というジェスチャー。守ってやる義理などない、といえばそうなのだが、『彼』がどうしてそう主張するのかもわからなくはなかったから、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
ミアはそんなレイルをじっと見つめたまま、ぽつりと言う。
「でも、今は、いつもよりは元気そうだから。よかったなと思って」
幻聴は依然として消えない。エイゼルと対峙し、死を経験したあの日から見えるようになった幻覚も、今こうして目の前にある。それでも、ミアが「元気そう」と言うのはあながち間違ってはいない、と思う。いつになく気分がいいのは事実だったから。
きっと、それは――。
「ネグロさんの、役に立てるのが、嬉しいんだと思う」
自分はここに本当に必要なのかと、ずっと、思っていた。不安だった、と言い換えてもいい。
スリーピング・レイルの取り柄はグレムリンを駆ることだけで、しかし、それはネグロにだって、ツィールにだって――先の戦いではエイゼルもまたグレムリンを駆ってみせたことを思い出す――できることであり、必ずしも「レイルである必要はない」のだ。それでも、グレムリンの操り手が多いならその方がいい。この滅びに瀕した世界においては、それが明暗を分けることも無いとは言えない。そう信じて『スリーピング・レイル』を駆ってきた。
ただ、その一方でずっと不安であった。僚機のネグロは、自分をそれなりに信頼してくれていると思う。一度は「手を貸してくれ」と頼まれたこともある。その程度には、レイルの力を認めてくれているのだと思ってはいたが、それでも、いつかふっと傍からいなくなってしまう、ような。そんな心細さを常に感じていた。
だから、嬉しかったのだ。ネグロが幽霊船の面々を「みんな」と言って、助けを求めてくれたのが。自分の力を必要としてくれたのが。
そして、それは何もネグロに対してだけではなく――誰に対しても、そうであって。
「もちろん、ミアさんのためにも、幽霊船のみんなのためにも、頑張れるのが、嬉しい。僕はきっと、そのために、ここにいるんだと、思ってる」
「……レイル……」
「行ってくるよ、ミアさん。僕に、できることをしてくる」
虚空領域の戦いは、一つの終わりに向かおうとしている。それは、流れてくる情報からも、それ以前に、肌に感じる空気からも何とはなしにわかっていた。
結果としてどのような結末を迎えるにせよ、自分の望むような終わりを引き寄せるためにも、最後の最後まで足掻くべきだとレイルは考える。それが、目覚めたその時から抗うだけの力を与えられていた自分にできる、唯一だと、考える。
グレムリン『スリーピング・レイル』の待つ格納庫に歩んでいこうとした、その時。
ミアの細い腕が、レイルの腰のあたりに絡みついた。
「……どうしたの、ミアさん」
「レイル、死なないで。……ほんとは、行ってほしくも、ない」
ミアさん、ともう一度レイルがその名前を呼ぶと、うつむいていたミアが顔を上げる。その目は、どうしてだろう、わずかに潤んでいるようにも見えた。
「もう、あたしを、置いてかないで」
置いていったことなど、あっただろうか。確かに戦場には連れて行けないけれど、それでも、レイルは必ず幽霊船に帰っていたし、ミアを置いていったつもりなど一度もない。あの格納庫で目覚めた時から、ミアはレイルの側にずっといた。ミアがそう望んだから、レイルはそれを受け入れていた。そのつもりだった。
けれど。
「ひとりに、しないで」
ミアの目が、レイルを見つめている。否、見ているのは「レイル」ではないのかもしれない。レイルは薄々その可能性に思い至っていた。実のところ、格納庫で目覚めたその時から、ミアの目に映っていたのは、レイルという存在を通して感じ取った――。
レイルは、そっと、ミアの頭に手を載せる。僅かにミアの体が震えるのを感じながら、そっと、そのちいさな頭を撫でる。
「僕は、必ず、帰ってくる」
「ほんと?」
「僕の帰る場所は、ここだけだから」
だから、待っていて。
レイルの言葉に、ミアはじっと、見定めようとするかのようにレイルを見据えて――やがて、こくりと頷く。
「信じてるからね、レイル」
その言葉に、レイルは意識して口の端を緩めようとした。笑み、という表情を極端に苦手とするレイルの、精いっぱいの笑顔。果たして、それは――。
「何それ、変な顔!」
さっぱり上手くいっていなかったが、けれど、ミアが少しだけ笑ってくれたから、まあ、悪くはないと思うことにした。
【Scene:0020 帰る場所】
◆19回更新の日記ログ
傷跡希望
◆18回更新の日記ログ
傷跡希望
◆17回更新の日記ログ
『その傷跡はまだ痛むか? 希望は……、見いだせそうか?』
* * *
僚機のネグロが一人きりで戦場――しかも最も苛烈な戦闘領域である絶滅戦場に向かったという報を聞いて、スリーピング・レイルが何も思わなかったといえば嘘になる。嘘になる、などという生ぬるい言葉では正しくなかったかもしれない。
僚機である自分に一言も相談がなかったということが、何よりも堪えた。ネグロが一人で幽霊船を出ていくのはこれで二度目だが、かつてはネグロの無事を心配こそしたが、ここまで気に病むことはなかった、と思い出す。その頃は、戦場でこそ僚機であったが、まだ互いの間にほとんど言葉はなく、レイルはネグロのことをほとんど知らなかったと言ってよかったから。
だが、今は……、少なくともレイルの主観としては、ネグロとの間に、一定の関係を築けてきていた、と思っていたのだ。考え方については嚙み合わないことの方が多いけれど、それでも、互いがよりよい形で戦い抜くために相談し、思考を擦り合わせることが増えて、時には戦いと関係のない話も織り交ぜられるようになった。その程度には気を許してもらえているのだと、思っていた。
思っていたからこそ、今回ネグロが一人きりで絶滅戦場に向かったことは、どうしようもなく堪えた。
何も、単独行動に出たネグロを責めたいわけではない。ネグロにはネグロの意志があり、行動理由があると、レイルは思っているから。だから、ネグロが悪いのではない。自分がネグロにとって相談相手にもならない僚機である、という不甲斐なさに打ちひしがれたのだった。
思い上がっていたのだろうか。レイルは自問する。確かに自分はネグロのような経験はなく、グレムリンに対する知識もなく、ただ、ただ、与えられた状況に従って戦うことしか能がないテイマーだ。それでも、ネグロと並び立って、足を引っ張らない程度には努力してきたつもりだ。どこまでも「つもり」でしかない、と言われてしまえば否定はできないが。
結局のところ、気を許してもらえている、と思っているのは自分一人だったのだ。そんな重たく沈んだ気分を抱えて、ネグロの気配が消えた『継ぎ接ぎ幽霊船』で、ぼんやりと過ごしていた。
ただ、レイルのその認識は、ルインからの報告で改められることになる。
――ネグロから、連絡があった。
連絡の詳しい内容こそ語られなかったが、ネグロの方から『継ぎ接ぎ幽霊船』に連絡を入れてきた、ということは、以前ネグロが姿を消した時にはなかった。少なくとも、今回のネグロは幽霊船との縁を切ろうとしているわけでないことは、わかる。
その上で、「ネグロからの預かりもの」としてルインから受け取ったものは、グレムリン『スリーピング・レイル』の新規アセンブル案だった。
レイルは、目覚めたときから共にあった『スリーピング・レイル』とともに数々の戦場を潜り抜けてはきたが、未だにアセンブルは苦手としている。何一つ知らなかった当初よりは理解できいると思うが、それでも、次々に見いだされる新たなパーツと、それによって加速度的に増えていくアセンブルのパターンには目が眩む。専属の整備士として働いてくれているミアの助けがなければ、『スリーピング・レイル』は延々と化石のようなグレムリンであり続けていただろう。
そして、ここしばらくはミアも『スリーピング・レイル』の新規アセンブル案に迷っているように見えた。結局のところ、決定的な案が出ないまま、世間の流れからしたら幾分型落ちのアセンブルで『スリーピング・レイル』を運用していた。
そのことを、ネグロは、良く知っていた。知っていて、気にしてくれていたのだ、ということを、レイルは、受け取ったデータから理解する。
ネグロの提案するアセンブルは、迎撃を好むレイルの戦闘スタイルを元に練られたもので、これからの戦いに挑む『スリーピング・レイル』にはうってつけだった。よく見ていることがわかる。『スリーピング・レイル』のことも、それを操るレイルのことも。
ネグロからの、具体的なメッセージがあったわけでもない。そこにあったのは、そっけない、データの羅列でしかない。
それでも、レイルにとっては十二分だった。
ネグロが、一人戦場に向かいながらも、僚機であるレイルの存在に意識を払っているのだ、と認識できただけで。
「ほんと、単純だな、アンタは」
全視界型ディスプレイの明かりだけが光源の薄暗い操縦棺の中で、声が囁く。レイルの頭の中にだけ聞こえる声。レイルは、視線を上げずに膝を抱えたまま――そっと、口を開く。
「そうだな。そうかもしれない」
「確かに、よくできてるよ。今回のアセンブルなら、シミュレーターでも負けなしだ。だが、考えなかったのか」
いたって陽気な響きの、しかし、明らかな呆れを込めた声が、言う。
「あいつは、もう、戻ってこないつもりで、アンタに土産を残したんじゃないかって」
その可能性を考えなかったか、と聞かれれば、否だ。実際、以前ネグロが幽霊船を離れた時には、そのつもりだったのではないか、と思っている。寄る辺もないままに、虚空領域の戦場を巡りゆく。きっと、ネグロは今までずっとそうしていたのだろうし、幽霊船を出たところで「今まで通り」に戻るだけ。幽霊船に長らく留まっていること、それ自体が、ネグロにとっては例外的だったのではないかと、思っている。
だが、今は。
「ネグロさんは、帰ってくるよ」
ほとんど確信をもって、言い切る。
理由を言葉では説明できそうになかったが、レイルは、そう信じている。
「だから、今は、ネグロさんの帰る場所を守るのが、僚機である僕の仕事だ」
「あいつ、死ぬかもしれないんだぞ」
もちろん、レイルとて絶滅戦場の話は知っている。実際に赴いた経験こそないが、虚空領域の中でも特に恐るべき力を持つ未識別機動体がひしめく戦場であり、向かった傭兵が帰ってこなかった、という話には事欠かない。単なる噂ではなく、データを伴った事実として、その戦場は「絶滅」の名を冠しているのだった。
ネグロは、その絶滅戦場に、自ら向かっていったのだ。グレムリンを駆る傭兵が赴く戦場の中でも、死に最も近い、場所に。
「死にたがってるのかも、しれないぞ」
「そんなことはない。ネグロさんは、覚悟はあるだろうけど、好んで死にたがるタイプじゃない」
果たして、生きたくて生きているのか、という問いに対しては、レイルは答えられそうになかった。レイルはネグロではなかったから。だが、少なくとも「生きている」とは思っている。ネグロが、突如として絶滅戦場に向かったのも、別段「死」に惹かれてそうしているとは、思えなかったのだ。
「もし、僕がそんなことを言ったら、僕の方がよっぽど死にそうな顔だって、嫌な顔をするよ、ネグロさんは」
「は、そりゃあ言えてる。アンタも自分のことをよくわかってきたじゃないか」
「だから、僕は、ネグロさんを信じるよ。ネグロさんは死なない」
「そうかい。ま、勘違いであろうと何であろうと、『信じる』ってのは一つの能力だからな。特に、グレムリンテイマーにゃ必須の能力だ」
グレムリンは思念によって動く。どれだけ操縦の腕があろうとも、「思い」がなければグレムリンは決して十分な力を発揮することはない。思いとは何か、それはつまり、信じることだ、と歌うような声が頭の中に響く。
「信じれば、何かしらは応えてくれるもんだ。グレムリンも、それに、人間も」
その言葉に小さく頷いて、レイルはゆっくりと、座席の上に丸めていた体を伸ばす。『スリーピング・レイル』は今、幽霊船の仲間であるツィール・ブライの操る『ザイルテンツァー』とともに赤渦に留まり、次の戦いを目前にしている。『スリーピング・レイル』に取り付けられている中でもひときわ高い性能を誇る広域レーダーが、遠方の敵機の気配を察知していた。このレーダーもまた、ネグロの指示に従って新たに取り付けたものだ。
接触までの予測時間がディスプレイの隅に表示される。
カウントダウンを見つめながら、レイルは思いを馳せる。これまでのこと。目覚めた日のこと、ネグロとの最初の通信、幽霊船で過ごした日々、戦場での出来事、そして。
『破滅の今際にて、停滞せよ、世界』
……戦場に出る直前に通信機から零れ落ちた、知らない誰かからの声――目覚めた日を繰り返すかのような、言葉。
この世界は死んでいると声は言った。ただ、完全な死の直前で押しとどめるのだ、とも。虚空領域永劫化計画。その言葉の意味を理解する間もなく、声は途切れた。
停滞、そして永劫。『傷跡』の制御識を持つレイルには、親しみのある言葉だが――。
「僕は、嫌いだな」
ぽつり、呟きが唇から漏れる。
「だって、そんなの、死んでるのと、何も変わらない」
そして、今、自分は生きている。生きようとしている。生きている誰かのために、グレムリンを駆ろうとしている。どれだけ世界が死に向かっていようとも、「今この瞬間」を生きている以上、停滞などしていられない。そのはずだ。
――今は、帰るために。帰る場所を、守るために。
カウント、ゼロ。
『スリーピング・レイル』は、赤錆に身を躍らせる。
【Scene:0017 僚機の役目】
* * *
僚機のネグロが一人きりで戦場――しかも最も苛烈な戦闘領域である絶滅戦場に向かったという報を聞いて、スリーピング・レイルが何も思わなかったといえば嘘になる。嘘になる、などという生ぬるい言葉では正しくなかったかもしれない。
僚機である自分に一言も相談がなかったということが、何よりも堪えた。ネグロが一人で幽霊船を出ていくのはこれで二度目だが、かつてはネグロの無事を心配こそしたが、ここまで気に病むことはなかった、と思い出す。その頃は、戦場でこそ僚機であったが、まだ互いの間にほとんど言葉はなく、レイルはネグロのことをほとんど知らなかったと言ってよかったから。
だが、今は……、少なくともレイルの主観としては、ネグロとの間に、一定の関係を築けてきていた、と思っていたのだ。考え方については嚙み合わないことの方が多いけれど、それでも、互いがよりよい形で戦い抜くために相談し、思考を擦り合わせることが増えて、時には戦いと関係のない話も織り交ぜられるようになった。その程度には気を許してもらえているのだと、思っていた。
思っていたからこそ、今回ネグロが一人きりで絶滅戦場に向かったことは、どうしようもなく堪えた。
何も、単独行動に出たネグロを責めたいわけではない。ネグロにはネグロの意志があり、行動理由があると、レイルは思っているから。だから、ネグロが悪いのではない。自分がネグロにとって相談相手にもならない僚機である、という不甲斐なさに打ちひしがれたのだった。
思い上がっていたのだろうか。レイルは自問する。確かに自分はネグロのような経験はなく、グレムリンに対する知識もなく、ただ、ただ、与えられた状況に従って戦うことしか能がないテイマーだ。それでも、ネグロと並び立って、足を引っ張らない程度には努力してきたつもりだ。どこまでも「つもり」でしかない、と言われてしまえば否定はできないが。
結局のところ、気を許してもらえている、と思っているのは自分一人だったのだ。そんな重たく沈んだ気分を抱えて、ネグロの気配が消えた『継ぎ接ぎ幽霊船』で、ぼんやりと過ごしていた。
ただ、レイルのその認識は、ルインからの報告で改められることになる。
――ネグロから、連絡があった。
連絡の詳しい内容こそ語られなかったが、ネグロの方から『継ぎ接ぎ幽霊船』に連絡を入れてきた、ということは、以前ネグロが姿を消した時にはなかった。少なくとも、今回のネグロは幽霊船との縁を切ろうとしているわけでないことは、わかる。
その上で、「ネグロからの預かりもの」としてルインから受け取ったものは、グレムリン『スリーピング・レイル』の新規アセンブル案だった。
レイルは、目覚めたときから共にあった『スリーピング・レイル』とともに数々の戦場を潜り抜けてはきたが、未だにアセンブルは苦手としている。何一つ知らなかった当初よりは理解できいると思うが、それでも、次々に見いだされる新たなパーツと、それによって加速度的に増えていくアセンブルのパターンには目が眩む。専属の整備士として働いてくれているミアの助けがなければ、『スリーピング・レイル』は延々と化石のようなグレムリンであり続けていただろう。
そして、ここしばらくはミアも『スリーピング・レイル』の新規アセンブル案に迷っているように見えた。結局のところ、決定的な案が出ないまま、世間の流れからしたら幾分型落ちのアセンブルで『スリーピング・レイル』を運用していた。
そのことを、ネグロは、良く知っていた。知っていて、気にしてくれていたのだ、ということを、レイルは、受け取ったデータから理解する。
ネグロの提案するアセンブルは、迎撃を好むレイルの戦闘スタイルを元に練られたもので、これからの戦いに挑む『スリーピング・レイル』にはうってつけだった。よく見ていることがわかる。『スリーピング・レイル』のことも、それを操るレイルのことも。
ネグロからの、具体的なメッセージがあったわけでもない。そこにあったのは、そっけない、データの羅列でしかない。
それでも、レイルにとっては十二分だった。
ネグロが、一人戦場に向かいながらも、僚機であるレイルの存在に意識を払っているのだ、と認識できただけで。
「ほんと、単純だな、アンタは」
全視界型ディスプレイの明かりだけが光源の薄暗い操縦棺の中で、声が囁く。レイルの頭の中にだけ聞こえる声。レイルは、視線を上げずに膝を抱えたまま――そっと、口を開く。
「そうだな。そうかもしれない」
「確かに、よくできてるよ。今回のアセンブルなら、シミュレーターでも負けなしだ。だが、考えなかったのか」
いたって陽気な響きの、しかし、明らかな呆れを込めた声が、言う。
「あいつは、もう、戻ってこないつもりで、アンタに土産を残したんじゃないかって」
その可能性を考えなかったか、と聞かれれば、否だ。実際、以前ネグロが幽霊船を離れた時には、そのつもりだったのではないか、と思っている。寄る辺もないままに、虚空領域の戦場を巡りゆく。きっと、ネグロは今までずっとそうしていたのだろうし、幽霊船を出たところで「今まで通り」に戻るだけ。幽霊船に長らく留まっていること、それ自体が、ネグロにとっては例外的だったのではないかと、思っている。
だが、今は。
「ネグロさんは、帰ってくるよ」
ほとんど確信をもって、言い切る。
理由を言葉では説明できそうになかったが、レイルは、そう信じている。
「だから、今は、ネグロさんの帰る場所を守るのが、僚機である僕の仕事だ」
「あいつ、死ぬかもしれないんだぞ」
もちろん、レイルとて絶滅戦場の話は知っている。実際に赴いた経験こそないが、虚空領域の中でも特に恐るべき力を持つ未識別機動体がひしめく戦場であり、向かった傭兵が帰ってこなかった、という話には事欠かない。単なる噂ではなく、データを伴った事実として、その戦場は「絶滅」の名を冠しているのだった。
ネグロは、その絶滅戦場に、自ら向かっていったのだ。グレムリンを駆る傭兵が赴く戦場の中でも、死に最も近い、場所に。
「死にたがってるのかも、しれないぞ」
「そんなことはない。ネグロさんは、覚悟はあるだろうけど、好んで死にたがるタイプじゃない」
果たして、生きたくて生きているのか、という問いに対しては、レイルは答えられそうになかった。レイルはネグロではなかったから。だが、少なくとも「生きている」とは思っている。ネグロが、突如として絶滅戦場に向かったのも、別段「死」に惹かれてそうしているとは、思えなかったのだ。
「もし、僕がそんなことを言ったら、僕の方がよっぽど死にそうな顔だって、嫌な顔をするよ、ネグロさんは」
「は、そりゃあ言えてる。アンタも自分のことをよくわかってきたじゃないか」
「だから、僕は、ネグロさんを信じるよ。ネグロさんは死なない」
「そうかい。ま、勘違いであろうと何であろうと、『信じる』ってのは一つの能力だからな。特に、グレムリンテイマーにゃ必須の能力だ」
グレムリンは思念によって動く。どれだけ操縦の腕があろうとも、「思い」がなければグレムリンは決して十分な力を発揮することはない。思いとは何か、それはつまり、信じることだ、と歌うような声が頭の中に響く。
「信じれば、何かしらは応えてくれるもんだ。グレムリンも、それに、人間も」
その言葉に小さく頷いて、レイルはゆっくりと、座席の上に丸めていた体を伸ばす。『スリーピング・レイル』は今、幽霊船の仲間であるツィール・ブライの操る『ザイルテンツァー』とともに赤渦に留まり、次の戦いを目前にしている。『スリーピング・レイル』に取り付けられている中でもひときわ高い性能を誇る広域レーダーが、遠方の敵機の気配を察知していた。このレーダーもまた、ネグロの指示に従って新たに取り付けたものだ。
接触までの予測時間がディスプレイの隅に表示される。
カウントダウンを見つめながら、レイルは思いを馳せる。これまでのこと。目覚めた日のこと、ネグロとの最初の通信、幽霊船で過ごした日々、戦場での出来事、そして。
『破滅の今際にて、停滞せよ、世界』
……戦場に出る直前に通信機から零れ落ちた、知らない誰かからの声――目覚めた日を繰り返すかのような、言葉。
この世界は死んでいると声は言った。ただ、完全な死の直前で押しとどめるのだ、とも。虚空領域永劫化計画。その言葉の意味を理解する間もなく、声は途切れた。
停滞、そして永劫。『傷跡』の制御識を持つレイルには、親しみのある言葉だが――。
「僕は、嫌いだな」
ぽつり、呟きが唇から漏れる。
「だって、そんなの、死んでるのと、何も変わらない」
そして、今、自分は生きている。生きようとしている。生きている誰かのために、グレムリンを駆ろうとしている。どれだけ世界が死に向かっていようとも、「今この瞬間」を生きている以上、停滞などしていられない。そのはずだ。
――今は、帰るために。帰る場所を、守るために。
カウント、ゼロ。
『スリーピング・レイル』は、赤錆に身を躍らせる。
【Scene:0017 僚機の役目】
◆16回更新の日記ログ
未来傷跡希望
◆15回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
「なあ、相棒」
グレムリン『スリーピング・レイル』の操縦棺の中。膝を抱えて操縦席の背にもたれかかるスリーピング・レイルに語り掛ける声があった。
レイルが片目だけの視線をゆっくり上げれば、ディスプレイの辺りに誰かが腰かけている。それが「誰」なのか、レイルはもう意識するのを止めていた。誰であろうと、これは幻覚だ。レイルを悩ませる幻視、幻聴、それらは今まで一時の静寂をもたらしてくれていた操縦棺の中でも現れるようになっていた。
ただ、この場でレイルが目にするのは、操縦棺の外でレイルを苛む無秩序な幻覚とは異なり、一定のコミュニケーションが取れる「何か」だった。時には他愛のない話相手にもなるし、レイルが強く望めば消えてくれる。
だから、これだって、意識から排除してしまってもよかったのだ。ただ、何となくそうする気分になれなくて、頭の中から響く声に耳を傾ける。
一度「死んだ」あの日から、特にレイルがよく目にするようになった大柄な男の輪郭をした幻覚は、気安くレイルに語り掛けてくる。
「返事くらいしろよ、つれないな」
「声に出さなくたって、聞こえるだろう。『僕の頭の中』にいるんだから」
「そこはこれ、気分ってやつさ」
「僕から話すことはないけど」
「アンタからはなくても、俺からはあんだよ。今回は、随分、派手な戦いになりそうじゃねえか」
「……そうだな。ここまでの規模の戦場は、初めてだ」
いつもは、僚機のネグロと、同じ幽霊船のテイマーであるツィールの三人、そして最近は幽霊船に現れるようになったもう一人のテイマー、キルシェを加えた四人で出撃することが常であったから、呼びかけに応えて一つの戦場に集うということはこれが初めてだ。
今まで言葉を交わしてはいたが、共に戦ったことはない協力者のチャルミィをはじめ、名前だけはグレイヴネット経由で目にしつつも、実際には戦い方すらも知らないテイマーたちの名前が連ねられていたことを思い出す。
「それに、嫌な、相手だ」
「ああ。アンタが望もうと望むまいと、お前らと財団、どっちかの戦力が底をつくまで戦争は続く。……始まっちまった以上終われない、って言った方が正しいか」
男の言う通り、ジャンク財団との戦いは、既に長期化が予測されている。現在開示されている情報だけが、財団の戦力の全てではあるまい。そのくらいはレイルにもわかった。
「多分、アンタにとっては、特にきつい戦いになるだろうな。アンタは、戦うことに躊躇いはないだろうし、己が傷つくことも厭わないだろうが、戦争を知っているとは言えないから」
その言葉に、レイルは意外に思う。
「……僕を、心配、してるのか?」
「アンタの中からずっと見てんだ。多少なりとも思うところはあるってこった」
財団側の悪趣味なデモンストレーションが、ジャックされたグレイヴネットに垂れ流されているのを目の端に留めながら、レイルはぽつりと言った。
「『君』は」
「ん?」
「こういう戦争、初めてじゃないのか」
「俺に話すこと、ないんじゃなかったのかよ」
男が苦笑いのような気配を込めて言う。
「だが、アンタが『俺たち』に興味を持つのは悪くないぞ。何せ、アンタは、どうしようもなく――」
「ものを知らな過ぎる」
男の言葉を継いで、レイルは言う。男は「そゆこと」とけらけら笑う。ただ、それは何もレイルへの嘲笑ではなく、純粋に、おかしいから笑っているという声音だった。
「知らないことは罪じゃないし、恥じることでもないさ。そもそもアンタは、運悪く巻き込まれただけだしな」
「……?」
男の言葉に、疑問符が浮かぶ。運悪く巻き込まれた、というのはどういうことだろう。
しかし、男はレイルの疑問符に気付いてはいただろうが、それ以上を語る気はなかったのだろう。「それはともかく」と矛先をずらす。
「言う通り、アンタと違って『俺』は戦争を知ってる。ただ、随分様変わりしたといえば、そう。俺が相手取っていたものと、アンタが相手取ろうとしているものは別だからな」
だが、戦争というものの本質は何にも変わらない。そう言って、男は輪郭だけの指を組む。
「戦争ってのは、敵と味方に分かれて戦っているように見えるが、敵味方構わず引き潰していく概念だ。物質的にも、心理的にもな。アンタ自身が経験してなくとも、引き潰されてきた奴のことは、知ってるだろ」
それが、自分の僚機のことを指していることはわかる。脳裏に浮かぶネグロの横顔は、抑えきれない憎しみと怒り、そして二度と埋まることのないだろう空虚に満ちているように見えていたから。
ひとたび奪われたものが、戻ってくることはない。それは、戦争に関わった者全てに言えることだ。敵も味方も関係なく、誰もが、大切なものを蹂躙されていく。形あるものも、ないものも、全ては虚空の赤錆と化す。それが戦争というものだと、男は言う。
「お優しいアンタには向いてないってこと。それに加えてアンタは、戦いの只中にいるうちは、戦うだけのモノになれちまうから、尚更よくない」
「……どういうことだ?」
「終わった時のことを何も考えてない、ってこと」
それは。
かつて、同じようなことをミアにも言われたことを思い出す。戦争が終わったら。グレムリンで戦う必要がなくなったら。その時にどうしたいか、という問いかけに、答えられなかったことを思い出す。終わった後の世界に自分が立っているビジョンが、まるで浮かばなかったことを、思い出す。
「それもあるが、そもそも、アンタは、いざ手を止めた時に、目に映るものが想像できない。自分のものも、他人のものも、何もかもが引き潰された成れの果てを想像できない」
――そして、引き潰したのが他でもない自分であると、想像できない。
「それは……」
「だからさ、俺は思うわけよ」
男は身を乗り出す。輪郭だけの影が、けれど、不思議と「真っ直ぐにこちらを見ている」ことだけは、伝わってくる。
「俺と、代わらないか?」
「……え?」
「『スリーピング・レイル』を、俺に譲らないか」
「それ、は」
男にはそれができるはずだ。男もまた『スリーピング・レイル』なのだから。レイルは言葉にできない感覚で確信する。ただ、現在この肉体を使っているのが自分であるから、こうやって、幻覚という形でレイルに干渉することしかできない、だけで。
男はレイルの表情が強張ったのを見て愉快そうに笑う。
「何も全部譲り渡せって言うつもりはねえよ。戦ってる間だけでいい。戦うのが『アンタの意志』じゃない、それだけでも、随分楽になんじゃないか?」
そもそも、『アンタの戦い方』は俺のものなのだから。
男は、あっけらかんと、言い放つ。
――記憶が無くてもグレムリンを動かせるという確信。それが、目の前の男によってもたらされたものなのか。レイルは口の中の唾を飲み込む。
その時、ディスプレイの端で通知が点滅し、作戦開始時刻がすぐそこに迫っていることを告げる。
「時間か」
男はことさら食い下がることもなく、ぴょこんと頭を起こして愉快そうに笑う。
「ま、考えとけよ。いつだって代わってやるからさ」
「けれど、『君』は、嫌、じゃないのか」
「あ?」
「『君』にだって、心があるように見える。……僕なんかより、ずっと」
男の顔は相変わらず靄がかかっていうように、はっきりとした形としては見えない。ただ、何となく「目を見開いた」のではないか、と思った。
「『君』が、僕を心配してくれているのは、わかった。でも、僕と代わった『君』が、傷つかないわけじゃない、とも、思うから」
スリーピング・レイルという存在を譲り渡せと言われるなら、まだ、わかった。けれど、主導はあくまで「自分」のままでいいと、男は言う。ただ、ただ、戦いに伴う負の影響を代わりに受けてやる、と言っているのだ。
どうして、と声にならない声で問いかければ、男は「はは」と笑い、太い腕で頭を掻くような仕草をして。
「アンタが壊れて、ミアが泣くのは見たくねえからな」
「……あ」
「じゃ、気張れよ、相棒」
どこまでも気さくに告げて、男の姿はディスプレイの前から消える。実際にはレイルの目に見えなくなっただけで、頭の中に存在しているのは、変わらないのだが。
座席の上に曲げていた膝を伸ばす。姿勢を正して指をコンソールに走らせれば、幾重にも浮かび上がった画面が、出撃のオペレーションを開始する。眠りの中にある『スリーピング・レイル』が、一時、目を覚ますための、手続き。
「……ルーカス、ありがとう」
ぽつり、と。頭の中に引っかかっている、その名前を呟いて。
「でも、これは、僕の役目だ」
ただでさえ境界線が曖昧な「己」がグレムリンの中に溶けていくような感覚に身を委ね、静かに、告げる。
「『スリーピング・レイル』、発進」
【Scene:0015 赤渦の戦いへ】
* * *
「なあ、相棒」
グレムリン『スリーピング・レイル』の操縦棺の中。膝を抱えて操縦席の背にもたれかかるスリーピング・レイルに語り掛ける声があった。
レイルが片目だけの視線をゆっくり上げれば、ディスプレイの辺りに誰かが腰かけている。それが「誰」なのか、レイルはもう意識するのを止めていた。誰であろうと、これは幻覚だ。レイルを悩ませる幻視、幻聴、それらは今まで一時の静寂をもたらしてくれていた操縦棺の中でも現れるようになっていた。
ただ、この場でレイルが目にするのは、操縦棺の外でレイルを苛む無秩序な幻覚とは異なり、一定のコミュニケーションが取れる「何か」だった。時には他愛のない話相手にもなるし、レイルが強く望めば消えてくれる。
だから、これだって、意識から排除してしまってもよかったのだ。ただ、何となくそうする気分になれなくて、頭の中から響く声に耳を傾ける。
一度「死んだ」あの日から、特にレイルがよく目にするようになった大柄な男の輪郭をした幻覚は、気安くレイルに語り掛けてくる。
「返事くらいしろよ、つれないな」
「声に出さなくたって、聞こえるだろう。『僕の頭の中』にいるんだから」
「そこはこれ、気分ってやつさ」
「僕から話すことはないけど」
「アンタからはなくても、俺からはあんだよ。今回は、随分、派手な戦いになりそうじゃねえか」
「……そうだな。ここまでの規模の戦場は、初めてだ」
いつもは、僚機のネグロと、同じ幽霊船のテイマーであるツィールの三人、そして最近は幽霊船に現れるようになったもう一人のテイマー、キルシェを加えた四人で出撃することが常であったから、呼びかけに応えて一つの戦場に集うということはこれが初めてだ。
今まで言葉を交わしてはいたが、共に戦ったことはない協力者のチャルミィをはじめ、名前だけはグレイヴネット経由で目にしつつも、実際には戦い方すらも知らないテイマーたちの名前が連ねられていたことを思い出す。
「それに、嫌な、相手だ」
「ああ。アンタが望もうと望むまいと、お前らと財団、どっちかの戦力が底をつくまで戦争は続く。……始まっちまった以上終われない、って言った方が正しいか」
男の言う通り、ジャンク財団との戦いは、既に長期化が予測されている。現在開示されている情報だけが、財団の戦力の全てではあるまい。そのくらいはレイルにもわかった。
「多分、アンタにとっては、特にきつい戦いになるだろうな。アンタは、戦うことに躊躇いはないだろうし、己が傷つくことも厭わないだろうが、戦争を知っているとは言えないから」
その言葉に、レイルは意外に思う。
「……僕を、心配、してるのか?」
「アンタの中からずっと見てんだ。多少なりとも思うところはあるってこった」
財団側の悪趣味なデモンストレーションが、ジャックされたグレイヴネットに垂れ流されているのを目の端に留めながら、レイルはぽつりと言った。
「『君』は」
「ん?」
「こういう戦争、初めてじゃないのか」
「俺に話すこと、ないんじゃなかったのかよ」
男が苦笑いのような気配を込めて言う。
「だが、アンタが『俺たち』に興味を持つのは悪くないぞ。何せ、アンタは、どうしようもなく――」
「ものを知らな過ぎる」
男の言葉を継いで、レイルは言う。男は「そゆこと」とけらけら笑う。ただ、それは何もレイルへの嘲笑ではなく、純粋に、おかしいから笑っているという声音だった。
「知らないことは罪じゃないし、恥じることでもないさ。そもそもアンタは、運悪く巻き込まれただけだしな」
「……?」
男の言葉に、疑問符が浮かぶ。運悪く巻き込まれた、というのはどういうことだろう。
しかし、男はレイルの疑問符に気付いてはいただろうが、それ以上を語る気はなかったのだろう。「それはともかく」と矛先をずらす。
「言う通り、アンタと違って『俺』は戦争を知ってる。ただ、随分様変わりしたといえば、そう。俺が相手取っていたものと、アンタが相手取ろうとしているものは別だからな」
だが、戦争というものの本質は何にも変わらない。そう言って、男は輪郭だけの指を組む。
「戦争ってのは、敵と味方に分かれて戦っているように見えるが、敵味方構わず引き潰していく概念だ。物質的にも、心理的にもな。アンタ自身が経験してなくとも、引き潰されてきた奴のことは、知ってるだろ」
それが、自分の僚機のことを指していることはわかる。脳裏に浮かぶネグロの横顔は、抑えきれない憎しみと怒り、そして二度と埋まることのないだろう空虚に満ちているように見えていたから。
ひとたび奪われたものが、戻ってくることはない。それは、戦争に関わった者全てに言えることだ。敵も味方も関係なく、誰もが、大切なものを蹂躙されていく。形あるものも、ないものも、全ては虚空の赤錆と化す。それが戦争というものだと、男は言う。
「お優しいアンタには向いてないってこと。それに加えてアンタは、戦いの只中にいるうちは、戦うだけのモノになれちまうから、尚更よくない」
「……どういうことだ?」
「終わった時のことを何も考えてない、ってこと」
それは。
かつて、同じようなことをミアにも言われたことを思い出す。戦争が終わったら。グレムリンで戦う必要がなくなったら。その時にどうしたいか、という問いかけに、答えられなかったことを思い出す。終わった後の世界に自分が立っているビジョンが、まるで浮かばなかったことを、思い出す。
「それもあるが、そもそも、アンタは、いざ手を止めた時に、目に映るものが想像できない。自分のものも、他人のものも、何もかもが引き潰された成れの果てを想像できない」
――そして、引き潰したのが他でもない自分であると、想像できない。
「それは……」
「だからさ、俺は思うわけよ」
男は身を乗り出す。輪郭だけの影が、けれど、不思議と「真っ直ぐにこちらを見ている」ことだけは、伝わってくる。
「俺と、代わらないか?」
「……え?」
「『スリーピング・レイル』を、俺に譲らないか」
「それ、は」
男にはそれができるはずだ。男もまた『スリーピング・レイル』なのだから。レイルは言葉にできない感覚で確信する。ただ、現在この肉体を使っているのが自分であるから、こうやって、幻覚という形でレイルに干渉することしかできない、だけで。
男はレイルの表情が強張ったのを見て愉快そうに笑う。
「何も全部譲り渡せって言うつもりはねえよ。戦ってる間だけでいい。戦うのが『アンタの意志』じゃない、それだけでも、随分楽になんじゃないか?」
そもそも、『アンタの戦い方』は俺のものなのだから。
男は、あっけらかんと、言い放つ。
――記憶が無くてもグレムリンを動かせるという確信。それが、目の前の男によってもたらされたものなのか。レイルは口の中の唾を飲み込む。
その時、ディスプレイの端で通知が点滅し、作戦開始時刻がすぐそこに迫っていることを告げる。
「時間か」
男はことさら食い下がることもなく、ぴょこんと頭を起こして愉快そうに笑う。
「ま、考えとけよ。いつだって代わってやるからさ」
「けれど、『君』は、嫌、じゃないのか」
「あ?」
「『君』にだって、心があるように見える。……僕なんかより、ずっと」
男の顔は相変わらず靄がかかっていうように、はっきりとした形としては見えない。ただ、何となく「目を見開いた」のではないか、と思った。
「『君』が、僕を心配してくれているのは、わかった。でも、僕と代わった『君』が、傷つかないわけじゃない、とも、思うから」
スリーピング・レイルという存在を譲り渡せと言われるなら、まだ、わかった。けれど、主導はあくまで「自分」のままでいいと、男は言う。ただ、ただ、戦いに伴う負の影響を代わりに受けてやる、と言っているのだ。
どうして、と声にならない声で問いかければ、男は「はは」と笑い、太い腕で頭を掻くような仕草をして。
「アンタが壊れて、ミアが泣くのは見たくねえからな」
「……あ」
「じゃ、気張れよ、相棒」
どこまでも気さくに告げて、男の姿はディスプレイの前から消える。実際にはレイルの目に見えなくなっただけで、頭の中に存在しているのは、変わらないのだが。
座席の上に曲げていた膝を伸ばす。姿勢を正して指をコンソールに走らせれば、幾重にも浮かび上がった画面が、出撃のオペレーションを開始する。眠りの中にある『スリーピング・レイル』が、一時、目を覚ますための、手続き。
「……ルーカス、ありがとう」
ぽつり、と。頭の中に引っかかっている、その名前を呟いて。
「でも、これは、僕の役目だ」
ただでさえ境界線が曖昧な「己」がグレムリンの中に溶けていくような感覚に身を委ね、静かに、告げる。
「『スリーピング・レイル』、発進」
【Scene:0015 赤渦の戦いへ】
◆14回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
エイゼル――と呼ばれるようになったその人が、継ぎ接ぎ幽霊船に侵入した一件が収束して、幽霊船は落ち着きを取り戻す、と思われた。
だが、ミアはそれからずっと、居心地の悪さのようなものを感じていた。
何も幽霊船に留まることになったエイゼルが原因でないことはわかる。確かにあの日はあまりにも色々なことが起きたし、ボリスの死という悲しい出来事もあった。ただ、ツィールとエイゼルの間で問題は解決したようだったし、エイゼルという人自体を悪く思う気はまるでなかった。エイゼルが妙にスリーピング・レイルに対して距離を置きたがっているように見えるのは奇妙だと思ってはいるが。
だから、あの日の出来事そのものが、この心地悪さの原因ではない、と思う。
思う、けれど――。
ちょうどあの日を境にして、言葉にはできない「何か」がずれてきている、ような。
そう感じられる原因の一つは、多分、ネグロの態度の変化だ。
ネグロは元々幽霊船のメンバーと多くを語らう方ではない。出会ったその頃から、人を寄せ付けないような、刺々しい雰囲気を纏った人人物ではあった。妙な偶然によって僚機として引き合わされたスリーピング・レイルに対しても、最初は明らかな嫌悪の感情をあらわにしていたはずだ。
ただ、実際に面と向かって言葉を交わしてみれば、ことさら拒絶されることもなく。元々見習いとはいえ整備を齧っていたミアをはじめ、まるで技術面には疎いツィールやエリエスにも整備のイロハを教えてくれたのだった。今となっては、良き師のひとり、と思っている。かつてミアがいた整備工場の気のいい整備士たちが最初の師なら、ネグロはミアにとって、絶え間ない実践の中で必要な知識と技術を教えてくれる、第二の師と言うべきか。
そのうちに、ネグロとスリーピング・レイルの関係も良い方向に向かっているように見えた。ほとんどは戦闘についての話とはいえ、二人の会話が増え、時には「戦う」ことしかできないレイルに、良き示唆を与えてくれているようだった。
故に、ミアは、ネグロのことを信頼し、尊敬している。スリーピング・レイルの僚機としても、一人の師としても。
……その、ネグロの様子がおかしいのではないか、と気付いたのは、エイゼルが起こした事件よりも少し前くらいから、だった気がする。顕著になったのが、あの日以降という話。
ネグロの態度が、以前以上に人を避けるそれに変わったような気がするのだ。
例えば、スリーピング・レイルと顔を合わせている時間が明らかに減った。今までならば、戦闘の前後に言葉を交わしていたようだったし、格納庫のグレムリンの操縦棺にこもりがちだったレイルと、整備がてらぽつぽつと話をしていた。だが、近頃ネグロと喋っていない、とレイルは言う。避けられているような気がする、とも。
それに、ミアの実感からしても、ネグロと接する時間が減った。食事の時間に集まるという幽霊船の「決まり事」は守っているし、グレムリンの整備のために姿を見せることはあるが、そのどれもが最低限で、用事が済めば姿を消してしまう。
どうしてしまったのだろう。……自分が、ネグロの心を楽にできるとは思わなかったけれど、それでも、心配せずにはいられない。
ネグロの横顔は、時に、酷く暗い色を見せているように、見えるから。
それに――ミアに居心地の悪さを感じさせる「何か」は、もうひとつ。
ミアにとって、どうしても「気のせい」で済ませることのできない、スリーピング・レイルに起こった変化だ。
「ミアさん。……これ、持ってきた」
柔らかく響く低い声。大人びた声音――実際に大人なのだが――に反して、わずかに舌足らずな雰囲気のある、言葉遣い。聞き慣れたはずのそれを聞いて、ミアはそちらに視線を向ける。
スリーピング・レイルは、ミアがどれだけ手を入れても無駄だったぼさぼさの白髪の下から、じっとこちらを見ていた。手には、倉庫から持ってきてほしいと頼んでいた資材。
「ありがと、そこに置いといて」
と言ったところで、気づいた。レイルの背後から、ひょこりとエリエスが顔を出していることに。レイルはミアの言葉に「わかった」と頷いてから、エリエスの方に振り向く。
「手伝ってくれてありがとう、エリエスさん」
「一緒に探しただけだけどね。役に立ったならよかった」
エリエスはにっと笑ってみせる。親代わりだったはずのボリスの死から、まださほど経っていないにもかかわらず、エリエスは気丈な姿を見せていた。その笑顔は、今までミアが見てきたそれと変わらないように見える。
そんな風に思っていると、レイルがミアに視線を戻した。何も考えていないような、もしくは「考えを掴ませない」ような、茫洋とした表情。感情の色がほとんど見えない、傍から見れば「不気味」とすら映るそれ。ミアにとっては、いつからか自然と「そういうもの」だと認識されている、それ。
「ミアさん、他に手伝うことはある?」
「ううん、あとはあたし一人でできるから。レイルも、最近は色々大変でしょ、少し休んだら?」
そう、幽霊船の事情は落ち着いても、情勢は刻一刻と変化している。ジャンク財団の代表を名乗る者の宣戦布告から、虚空領域は嵐の気配に覆われている。そんな中、抗う力を持つグレムリンテイマーであるレイルに、無理をさせるわけにはいかない。
だが、レイルはほとんど黒に近いダークブラウンの目を瞬かせて、言うのだ。
「僕は、大丈夫。エリエスさん、何か、僕にすることはある?」
「え? 特には無いかなあ。あ、そういえば、さっきツィールがルインさんに何か頼まれたってばたばたしてたっけ」
「そうか。……なら、僕も、行ってみる。ありがとう」
レイルは羽織ったコートの裾を翻す。眠れる鳥のエンブレムの縫い留められた、彼が最初から持っていた数少ないもの。名前も記憶もない男を示す、もの。何故だろう、その背中がミアの視界の中でわずかに薄れて見えた、気がして。
思わず、「レイル」と呼びかけていた。
「何?」
ミアを振り返るレイルの顔は、いつも通り。いつも通りの「そういうもの」。なのに、それが無性に不安で仕方ない。だから、返ってくる答えはわかっているのに、
「無理だけは、しないで」
そう、言わずにはいられないのだ。
かくして、レイルはわずかに口の端を歪める。笑みにもなってない、彼なりの、笑い方で。
「大丈夫」
ミアが思った通りのことを、言うのだ。
そのままレイルはその場を去って、ミアとエリエスだけが残された。エリエスはレイルが扉の向こうに消えていくのを見送ってから、ミアに視線を合わせてくる。
「最近、レイルさん、なんか元気だよね。一時期は、あんまり顔出してなかったから、心配してたんだよ」
レイルは覚醒している間、ずっと幻聴に苦しめられている、ということをミアは知っている。操縦棺の中でだけそれが聞こえなくなるから、と言って、調子のよくない時はほとんどの時間を操縦棺で過ごしているようなありさまだった。
その幻聴が無くなった――わけではないはずなのだが、ここしばらくのレイルは、幽霊船のあちこちに顔を出しては、誰かに手を借りたり、誰かに手を貸したりしているようだった。ミアがレイルを目にするとき、レイルはほとんど必ずと言っていいほど、誰かと共にいる。ことさら人を避けようとしているように見えるネグロとは、正反対に。
大丈夫。レイルは口癖のようにそう言う。どうしようもなく下手くそな笑顔と共に。
けれど、ミアは。
「あれは、『元気』、なのかな」
そう、思わずにはいられないのだ。
「どういうこと?」
「あのね、最近のレイル、ちょっとおかしくて」
この、確信に至らない「心地悪さ」をエリエスに話していいものか、と思いながらも、言葉を紡がずにはいられなかった。
「喋ってる間は、全然普通なんだけど。あたしが作業してる時、とか、ちょっとでも目を離すと、レイル、……すごく怖い顔をしてるの」
「レイルさんが、怖い顔って、あんまり想像できないけど」
スリーピング・レイルは感情をあらわにすることが極めて少ない男だ。エリエスが不思議そうな顔でそう言うのも、納得できる。
しかし、レイルに感情が無いわけではない、ということも今のミアならわかる。わかるだけに、不安が募るのだ。
「変な方向を睨んで、何かを堪えてる顔、っていうか。何だか、怖いの。あたしと目が合うと、何も無かったかのように喋ってくれるんだけど……」
「そういえば、さっきもレイルさん、ずっと喋ってた。レイルさん、今日は随分機嫌がいいんだな、って思ってたけど……、あれ、もしかして」
エリエスが、ぽつりと、言う。
「喋ってないと、『不安だった』のかな」
その感想は、ミアがレイルに抱いていた感覚と、一致していた。
――そうだ、レイルはきっと、不安なのだ。
誰かと共に居ないと。誰かと言葉を交わしていないと。意識をかき乱す幻聴よりも遥かに強い「何か」が、彼を不安にさせている。
けれど、一体――何が?
ミアは、エリエスと目を合わせて首を傾げる。
今は何もわからないまま、ただ、ただ、噛み合い始めていたはずの歯車がずれゆくような心地悪さが、ミアを支配していた。
【Scene:0014 歯車の歪み】
* * *
エイゼル――と呼ばれるようになったその人が、継ぎ接ぎ幽霊船に侵入した一件が収束して、幽霊船は落ち着きを取り戻す、と思われた。
だが、ミアはそれからずっと、居心地の悪さのようなものを感じていた。
何も幽霊船に留まることになったエイゼルが原因でないことはわかる。確かにあの日はあまりにも色々なことが起きたし、ボリスの死という悲しい出来事もあった。ただ、ツィールとエイゼルの間で問題は解決したようだったし、エイゼルという人自体を悪く思う気はまるでなかった。エイゼルが妙にスリーピング・レイルに対して距離を置きたがっているように見えるのは奇妙だと思ってはいるが。
だから、あの日の出来事そのものが、この心地悪さの原因ではない、と思う。
思う、けれど――。
ちょうどあの日を境にして、言葉にはできない「何か」がずれてきている、ような。
そう感じられる原因の一つは、多分、ネグロの態度の変化だ。
ネグロは元々幽霊船のメンバーと多くを語らう方ではない。出会ったその頃から、人を寄せ付けないような、刺々しい雰囲気を纏った人人物ではあった。妙な偶然によって僚機として引き合わされたスリーピング・レイルに対しても、最初は明らかな嫌悪の感情をあらわにしていたはずだ。
ただ、実際に面と向かって言葉を交わしてみれば、ことさら拒絶されることもなく。元々見習いとはいえ整備を齧っていたミアをはじめ、まるで技術面には疎いツィールやエリエスにも整備のイロハを教えてくれたのだった。今となっては、良き師のひとり、と思っている。かつてミアがいた整備工場の気のいい整備士たちが最初の師なら、ネグロはミアにとって、絶え間ない実践の中で必要な知識と技術を教えてくれる、第二の師と言うべきか。
そのうちに、ネグロとスリーピング・レイルの関係も良い方向に向かっているように見えた。ほとんどは戦闘についての話とはいえ、二人の会話が増え、時には「戦う」ことしかできないレイルに、良き示唆を与えてくれているようだった。
故に、ミアは、ネグロのことを信頼し、尊敬している。スリーピング・レイルの僚機としても、一人の師としても。
……その、ネグロの様子がおかしいのではないか、と気付いたのは、エイゼルが起こした事件よりも少し前くらいから、だった気がする。顕著になったのが、あの日以降という話。
ネグロの態度が、以前以上に人を避けるそれに変わったような気がするのだ。
例えば、スリーピング・レイルと顔を合わせている時間が明らかに減った。今までならば、戦闘の前後に言葉を交わしていたようだったし、格納庫のグレムリンの操縦棺にこもりがちだったレイルと、整備がてらぽつぽつと話をしていた。だが、近頃ネグロと喋っていない、とレイルは言う。避けられているような気がする、とも。
それに、ミアの実感からしても、ネグロと接する時間が減った。食事の時間に集まるという幽霊船の「決まり事」は守っているし、グレムリンの整備のために姿を見せることはあるが、そのどれもが最低限で、用事が済めば姿を消してしまう。
どうしてしまったのだろう。……自分が、ネグロの心を楽にできるとは思わなかったけれど、それでも、心配せずにはいられない。
ネグロの横顔は、時に、酷く暗い色を見せているように、見えるから。
それに――ミアに居心地の悪さを感じさせる「何か」は、もうひとつ。
ミアにとって、どうしても「気のせい」で済ませることのできない、スリーピング・レイルに起こった変化だ。
「ミアさん。……これ、持ってきた」
柔らかく響く低い声。大人びた声音――実際に大人なのだが――に反して、わずかに舌足らずな雰囲気のある、言葉遣い。聞き慣れたはずのそれを聞いて、ミアはそちらに視線を向ける。
スリーピング・レイルは、ミアがどれだけ手を入れても無駄だったぼさぼさの白髪の下から、じっとこちらを見ていた。手には、倉庫から持ってきてほしいと頼んでいた資材。
「ありがと、そこに置いといて」
と言ったところで、気づいた。レイルの背後から、ひょこりとエリエスが顔を出していることに。レイルはミアの言葉に「わかった」と頷いてから、エリエスの方に振り向く。
「手伝ってくれてありがとう、エリエスさん」
「一緒に探しただけだけどね。役に立ったならよかった」
エリエスはにっと笑ってみせる。親代わりだったはずのボリスの死から、まださほど経っていないにもかかわらず、エリエスは気丈な姿を見せていた。その笑顔は、今までミアが見てきたそれと変わらないように見える。
そんな風に思っていると、レイルがミアに視線を戻した。何も考えていないような、もしくは「考えを掴ませない」ような、茫洋とした表情。感情の色がほとんど見えない、傍から見れば「不気味」とすら映るそれ。ミアにとっては、いつからか自然と「そういうもの」だと認識されている、それ。
「ミアさん、他に手伝うことはある?」
「ううん、あとはあたし一人でできるから。レイルも、最近は色々大変でしょ、少し休んだら?」
そう、幽霊船の事情は落ち着いても、情勢は刻一刻と変化している。ジャンク財団の代表を名乗る者の宣戦布告から、虚空領域は嵐の気配に覆われている。そんな中、抗う力を持つグレムリンテイマーであるレイルに、無理をさせるわけにはいかない。
だが、レイルはほとんど黒に近いダークブラウンの目を瞬かせて、言うのだ。
「僕は、大丈夫。エリエスさん、何か、僕にすることはある?」
「え? 特には無いかなあ。あ、そういえば、さっきツィールがルインさんに何か頼まれたってばたばたしてたっけ」
「そうか。……なら、僕も、行ってみる。ありがとう」
レイルは羽織ったコートの裾を翻す。眠れる鳥のエンブレムの縫い留められた、彼が最初から持っていた数少ないもの。名前も記憶もない男を示す、もの。何故だろう、その背中がミアの視界の中でわずかに薄れて見えた、気がして。
思わず、「レイル」と呼びかけていた。
「何?」
ミアを振り返るレイルの顔は、いつも通り。いつも通りの「そういうもの」。なのに、それが無性に不安で仕方ない。だから、返ってくる答えはわかっているのに、
「無理だけは、しないで」
そう、言わずにはいられないのだ。
かくして、レイルはわずかに口の端を歪める。笑みにもなってない、彼なりの、笑い方で。
「大丈夫」
ミアが思った通りのことを、言うのだ。
そのままレイルはその場を去って、ミアとエリエスだけが残された。エリエスはレイルが扉の向こうに消えていくのを見送ってから、ミアに視線を合わせてくる。
「最近、レイルさん、なんか元気だよね。一時期は、あんまり顔出してなかったから、心配してたんだよ」
レイルは覚醒している間、ずっと幻聴に苦しめられている、ということをミアは知っている。操縦棺の中でだけそれが聞こえなくなるから、と言って、調子のよくない時はほとんどの時間を操縦棺で過ごしているようなありさまだった。
その幻聴が無くなった――わけではないはずなのだが、ここしばらくのレイルは、幽霊船のあちこちに顔を出しては、誰かに手を借りたり、誰かに手を貸したりしているようだった。ミアがレイルを目にするとき、レイルはほとんど必ずと言っていいほど、誰かと共にいる。ことさら人を避けようとしているように見えるネグロとは、正反対に。
大丈夫。レイルは口癖のようにそう言う。どうしようもなく下手くそな笑顔と共に。
けれど、ミアは。
「あれは、『元気』、なのかな」
そう、思わずにはいられないのだ。
「どういうこと?」
「あのね、最近のレイル、ちょっとおかしくて」
この、確信に至らない「心地悪さ」をエリエスに話していいものか、と思いながらも、言葉を紡がずにはいられなかった。
「喋ってる間は、全然普通なんだけど。あたしが作業してる時、とか、ちょっとでも目を離すと、レイル、……すごく怖い顔をしてるの」
「レイルさんが、怖い顔って、あんまり想像できないけど」
スリーピング・レイルは感情をあらわにすることが極めて少ない男だ。エリエスが不思議そうな顔でそう言うのも、納得できる。
しかし、レイルに感情が無いわけではない、ということも今のミアならわかる。わかるだけに、不安が募るのだ。
「変な方向を睨んで、何かを堪えてる顔、っていうか。何だか、怖いの。あたしと目が合うと、何も無かったかのように喋ってくれるんだけど……」
「そういえば、さっきもレイルさん、ずっと喋ってた。レイルさん、今日は随分機嫌がいいんだな、って思ってたけど……、あれ、もしかして」
エリエスが、ぽつりと、言う。
「喋ってないと、『不安だった』のかな」
その感想は、ミアがレイルに抱いていた感覚と、一致していた。
――そうだ、レイルはきっと、不安なのだ。
誰かと共に居ないと。誰かと言葉を交わしていないと。意識をかき乱す幻聴よりも遥かに強い「何か」が、彼を不安にさせている。
けれど、一体――何が?
ミアは、エリエスと目を合わせて首を傾げる。
今は何もわからないまま、ただ、ただ、噛み合い始めていたはずの歯車がずれゆくような心地悪さが、ミアを支配していた。
【Scene:0014 歯車の歪み】
◆13回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
――電波ジャック。
揺らぐグレイヴネット・インターフェース。
視界を埋めるボロボロの帆船を象るエンブレム、そして。
スリーピング・レイルは妙に凪いだ心持ちで、ジャンク財団の代表による宣戦布告を受け止めていた。
どれだけ戦況が変わったところで、結局のところ、自分のすることは何ひとつ変わらない。グレムリン『スリーピング・レイル』を駆って、「敵」を相手に戦うことだけ。
それとも、戦ったところで、足掻いたところで変わらないのだろうか? グレムリンともども粉塵の中に無様に散り、結果として世界そのものを「彼ら」に明け渡すことになるだけなのだろうか。
仮にそうなるとしても、戦わないという選択肢はレイルにはない。
特別戦いを好んでいるつもりはないが、それでも、スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけであるから。
人としてはまるで正しい考え方ではないのだろう、と理性で判じながらも、そう感じ続けている自分を否定できずにいる。
いや、果たして――、そう感じているのは「自分」なのだろうか。
元より何かがおかしいのは間違いないのだ。自分とこの世界にまつわる記憶を完全に喪失していること。グレムリンを操ることだけはできるということ。時折脳裏に差し込まれる世界にまつわる知識。頭の中に響き続ける、自分のものではない声。生命活動の停止から蘇ったらしい、ということ。
それに、それに。
喉から出そうになる声を理性の力で押しとどめる。言葉にする代わりに、癖のついた、色の無い髪に指を通す。
操縦棺の座席に膝を抱えて座る己自身の影が、おぼろげな灯りに照らされ、幾重にも重なって見える。それが、全て……、全て、別の形をしているように見えて。レイルは、片方しか見えていない目を、伏せる。
* * *
スリーピング・レイルが初めてその「影」を目にしたのは、幽霊船の激動の一日が終わろうとしていた時だった。
明らかに死んでいる状態から息を吹き返した、その仕組みは結局レイル自身にもわからず、レイルを殺した侵入者――エイゼルの方が泡を食っていたくらいだから、彼からしても想定外だったらしい。
そして、今回の出来事は結局のところツィールとエイゼルの間の問題であったから、彼らの間で解決できたなら、レイルがそれ以上深く介入する理由はなかった。
もちろん、騒動を起こした責任は取ってもらう必要はあるだろう。だが、結果として乗組員にことさら危害が加えられたわけではなく、ボリスの命が失われたのも――思うことが無いと言ったら嘘になるが――別にエイゼルに非があるわけではない。だから、レイルの気持ちとしてはその程度。あとは、船長代理であるところのルインの決定に任せるべきであると感じている。
自分を一度でも「殺した」エイゼルに恨みがないのか、といえば、まるでそんな気持ちは浮かばなかった。相手も必死だった。自分は彼に及ばなかった。ただそれだけ。もし、ミアや他の乗組員に危害を加えられていたなら、絶対にレイルもエイゼルの乗船を許可しなかっただろうが、そうはならなかった。そういうことだ。
レイルが一度殺されているという事実は、今のところルイン以外の乗組員には伏せられているようで、ほっとする。これ以上、ミアたちには余計な心配をかけたくなかったから。
そうして、ひとしきりの手続きを終えて、一人になって息をついた、その時。
視界の端に、何者かの影が映ったのだった。
他にも侵入者が? そう思った途端に、疲れで重くなっていた頭が一気に覚醒し、ぼやけた感覚が研ぎ澄まされる。
小さな灯りに照らされた幽霊船の通路は、複雑に折れ曲がり、容易にその構造を掴ませない。レイルは、足音を殺して、影が見えた方角へと歩を進めてゆく。影はレイルに追われていることに気付いているのかいないのか、現れては通路の向こうに消える、を繰り返す。
やがて、普段は格納庫――レイルの「寝床」でもあるグレムリンの眠るそこに向かうはずの下り階段を行き過ぎたところで、今まで影としか見えなかったそれが、一人の男であることを見て取った。長身で、体格のいい、男。その姿だけでも、この幽霊船の乗組員の誰とも似ていないことは、はっきりとしていた。
「……誰だ?」
低い声で誰何すれば、男は立ち止まり、こちらを振り向いた。その顔は陰になって見えなかったが、何故だろう、真っ直ぐにこちらを見ている、ということだけはレイルにもわかった。
やがて、声が、返ってくる。
「アンタがそれを聞くのか」
虚ろな笑いを含んだ声。その声に、レイルは聞き覚えがあった。否、聞き覚えがあるどころではない。この声を聞かなかった日はない、と言い切ってもいいのだから。
だが、それは。
――どこまでも、「レイルの頭の中」の話だ。
「俺が誰か、なんて聞くまでもないだろうに。それとも、あれだけ呼びかけても聞こえてなかったってか? ま、その顔色見る限り、『わかってない』わけでもなさそうだが」
「どう、して」
「ああ、どうして、姿が見えるのかって? アンタが『もう一度』一線を越えたからだろうな。もしくは、本来あるべき形に戻ろうとした、と言うべきか」
ああ、ああ、この声は頭の中でもいつだって饒舌だった。レイルは頭を押さえて、一歩、下がる。頭が割れるように痛い。視界がぶれて、何が「ある」もので、何が「ない」ものなのか、境目があやふやになっていく。
レイルが下がるよりも大きな一歩で、男が近づいてくる。レイルの影を踏むように。いや、男の影は最初からレイルの影から伸びていたのだ、と一拍遅れて気づく。
「そんな顔するなよ、相棒。こうなっちまった以上、仲良くやるしかないんだからさ」
どういう意味だ、と言いたかったのに、声にならなかった。だが、目の前の男はそんなレイルの言わんとしていることを理解したのか、ちっと軽く舌打ちしてみせる。
「まだ、思い出せないのか。それとも、『処置』のせいで壊れちまってるか。ま、その方が都合はいいのかもな。過去なんて、『俺たち』の運用には邪魔なだけだといえば、そう」
勝手に納得するような口ぶりで男は言うが、レイルは完全に混乱をきたしていた。ただの幻聴でしかなかったはずの声が、人間の形を取って目の前に現れたことも。レイルのことを気安く「相棒」と呼ばわることも。レイルのことを、レイル自身よりずっとよく知っているような口ぶりであることも。
何もかも、何もかも、悪い夢のようだ。やっと、静かに眠れるようになったはずなのに、今は起きながらにして悪夢を見ている――。
「『スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけ』」
「……!」
「そう、『俺たち』にとって、人格なんて、単なるおまけだからな。削ぎ落し切れなかったノイズ。グレムリンを動かすだけなら、まるで必要のないもの」
歌うように、からかうように。男は言葉を並べてみせる。だが、それはレイルが常に感じていることでもあった。
理由もない、「己はグレムリンのパーツである」という自覚。そこに本来思考や感情など不要であり、ただ、戦うという機能さえあればよかった。その方がずっと、戦場に立つなら都合がいい。何に囚われることなく、ただ、ただ、戦うことだけに専念できるなら、その方が、ずっと。
――けれど。
「ただの、ノイズでしか、なかったとしても」
喘ぐように、けれど、確かに。
「『僕』は、『僕』だ」
言葉を、紡ぐ。
スリーピング・レイルには記憶がない。本来なら、「僕」と呼ぶものを示す名前もない。
それでも、今まで経験してきた全てを「必要ないもの」と断じることは、レイルにはできそうになかった。それは、今に至るまでの「スリーピング・レイル」を形作るものであり、今、この場に立っている理由でもあるのだから。
すると、男は、ふ、と軽く息をついてみせる。
「意外と強情だよな、アンタ。だから『俺たち』を無意識にも御せるんだろうが」
男の姿が揺らぐ。その足元の影から、更に影が分かれたかと思うと、そこから新たな人の姿が浮かび上がる。誰も彼も、レイルの知らない姿をしている。けれど、レイルの聞いたことのある声で、口々に言うのだ。
「だが」
「忘れないで」
「お前はあくまで『こちら側』だ」
「あるべき形を思い出した時」
「お前は――」
頭が、痛い。声が耳の奥に響いて離れてくれない。決定的な言葉だけが、聞き取れないというのに。
「……っ、やめろ……!」
目の前に現れた人々の姿を振り払うように激しく頭を振った、その時。ぐい、と強く肩を引かれて、はっとしてそちらを見る。
「おい、どうした」
その声が、「頭の中の声」とはまた別のものであると気付いて、全身の力が抜ける。
「ネグロ、さん……」
ネグロは、レイルの肩に手を置いたまま、怪訝な顔でレイルを見ていた。
「何一人で喋ってんだ」
ひとり、で。その言葉の意味するところを理解した瞬間に、言葉が唇からこぼれた。
「ごめん。きっと、疲れて、るんだ」
嘘だ。だって、こんなはっきりと見えているというのに。知らない男が、女が、皆、こちらをじっと見ているというのに。
「それだけ、だから」
本当のことなんて、言えるはずもなかった。
「大丈夫」
言えるはずも、ない。
【Scene:0013 『僕』と彼らの】
* * *
――電波ジャック。
揺らぐグレイヴネット・インターフェース。
視界を埋めるボロボロの帆船を象るエンブレム、そして。
スリーピング・レイルは妙に凪いだ心持ちで、ジャンク財団の代表による宣戦布告を受け止めていた。
どれだけ戦況が変わったところで、結局のところ、自分のすることは何ひとつ変わらない。グレムリン『スリーピング・レイル』を駆って、「敵」を相手に戦うことだけ。
それとも、戦ったところで、足掻いたところで変わらないのだろうか? グレムリンともども粉塵の中に無様に散り、結果として世界そのものを「彼ら」に明け渡すことになるだけなのだろうか。
仮にそうなるとしても、戦わないという選択肢はレイルにはない。
特別戦いを好んでいるつもりはないが、それでも、スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけであるから。
人としてはまるで正しい考え方ではないのだろう、と理性で判じながらも、そう感じ続けている自分を否定できずにいる。
いや、果たして――、そう感じているのは「自分」なのだろうか。
元より何かがおかしいのは間違いないのだ。自分とこの世界にまつわる記憶を完全に喪失していること。グレムリンを操ることだけはできるということ。時折脳裏に差し込まれる世界にまつわる知識。頭の中に響き続ける、自分のものではない声。生命活動の停止から蘇ったらしい、ということ。
それに、それに。
喉から出そうになる声を理性の力で押しとどめる。言葉にする代わりに、癖のついた、色の無い髪に指を通す。
操縦棺の座席に膝を抱えて座る己自身の影が、おぼろげな灯りに照らされ、幾重にも重なって見える。それが、全て……、全て、別の形をしているように見えて。レイルは、片方しか見えていない目を、伏せる。
* * *
スリーピング・レイルが初めてその「影」を目にしたのは、幽霊船の激動の一日が終わろうとしていた時だった。
明らかに死んでいる状態から息を吹き返した、その仕組みは結局レイル自身にもわからず、レイルを殺した侵入者――エイゼルの方が泡を食っていたくらいだから、彼からしても想定外だったらしい。
そして、今回の出来事は結局のところツィールとエイゼルの間の問題であったから、彼らの間で解決できたなら、レイルがそれ以上深く介入する理由はなかった。
もちろん、騒動を起こした責任は取ってもらう必要はあるだろう。だが、結果として乗組員にことさら危害が加えられたわけではなく、ボリスの命が失われたのも――思うことが無いと言ったら嘘になるが――別にエイゼルに非があるわけではない。だから、レイルの気持ちとしてはその程度。あとは、船長代理であるところのルインの決定に任せるべきであると感じている。
自分を一度でも「殺した」エイゼルに恨みがないのか、といえば、まるでそんな気持ちは浮かばなかった。相手も必死だった。自分は彼に及ばなかった。ただそれだけ。もし、ミアや他の乗組員に危害を加えられていたなら、絶対にレイルもエイゼルの乗船を許可しなかっただろうが、そうはならなかった。そういうことだ。
レイルが一度殺されているという事実は、今のところルイン以外の乗組員には伏せられているようで、ほっとする。これ以上、ミアたちには余計な心配をかけたくなかったから。
そうして、ひとしきりの手続きを終えて、一人になって息をついた、その時。
視界の端に、何者かの影が映ったのだった。
他にも侵入者が? そう思った途端に、疲れで重くなっていた頭が一気に覚醒し、ぼやけた感覚が研ぎ澄まされる。
小さな灯りに照らされた幽霊船の通路は、複雑に折れ曲がり、容易にその構造を掴ませない。レイルは、足音を殺して、影が見えた方角へと歩を進めてゆく。影はレイルに追われていることに気付いているのかいないのか、現れては通路の向こうに消える、を繰り返す。
やがて、普段は格納庫――レイルの「寝床」でもあるグレムリンの眠るそこに向かうはずの下り階段を行き過ぎたところで、今まで影としか見えなかったそれが、一人の男であることを見て取った。長身で、体格のいい、男。その姿だけでも、この幽霊船の乗組員の誰とも似ていないことは、はっきりとしていた。
「……誰だ?」
低い声で誰何すれば、男は立ち止まり、こちらを振り向いた。その顔は陰になって見えなかったが、何故だろう、真っ直ぐにこちらを見ている、ということだけはレイルにもわかった。
やがて、声が、返ってくる。
「アンタがそれを聞くのか」
虚ろな笑いを含んだ声。その声に、レイルは聞き覚えがあった。否、聞き覚えがあるどころではない。この声を聞かなかった日はない、と言い切ってもいいのだから。
だが、それは。
――どこまでも、「レイルの頭の中」の話だ。
「俺が誰か、なんて聞くまでもないだろうに。それとも、あれだけ呼びかけても聞こえてなかったってか? ま、その顔色見る限り、『わかってない』わけでもなさそうだが」
「どう、して」
「ああ、どうして、姿が見えるのかって? アンタが『もう一度』一線を越えたからだろうな。もしくは、本来あるべき形に戻ろうとした、と言うべきか」
ああ、ああ、この声は頭の中でもいつだって饒舌だった。レイルは頭を押さえて、一歩、下がる。頭が割れるように痛い。視界がぶれて、何が「ある」もので、何が「ない」ものなのか、境目があやふやになっていく。
レイルが下がるよりも大きな一歩で、男が近づいてくる。レイルの影を踏むように。いや、男の影は最初からレイルの影から伸びていたのだ、と一拍遅れて気づく。
「そんな顔するなよ、相棒。こうなっちまった以上、仲良くやるしかないんだからさ」
どういう意味だ、と言いたかったのに、声にならなかった。だが、目の前の男はそんなレイルの言わんとしていることを理解したのか、ちっと軽く舌打ちしてみせる。
「まだ、思い出せないのか。それとも、『処置』のせいで壊れちまってるか。ま、その方が都合はいいのかもな。過去なんて、『俺たち』の運用には邪魔なだけだといえば、そう」
勝手に納得するような口ぶりで男は言うが、レイルは完全に混乱をきたしていた。ただの幻聴でしかなかったはずの声が、人間の形を取って目の前に現れたことも。レイルのことを気安く「相棒」と呼ばわることも。レイルのことを、レイル自身よりずっとよく知っているような口ぶりであることも。
何もかも、何もかも、悪い夢のようだ。やっと、静かに眠れるようになったはずなのに、今は起きながらにして悪夢を見ている――。
「『スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけ』」
「……!」
「そう、『俺たち』にとって、人格なんて、単なるおまけだからな。削ぎ落し切れなかったノイズ。グレムリンを動かすだけなら、まるで必要のないもの」
歌うように、からかうように。男は言葉を並べてみせる。だが、それはレイルが常に感じていることでもあった。
理由もない、「己はグレムリンのパーツである」という自覚。そこに本来思考や感情など不要であり、ただ、戦うという機能さえあればよかった。その方がずっと、戦場に立つなら都合がいい。何に囚われることなく、ただ、ただ、戦うことだけに専念できるなら、その方が、ずっと。
――けれど。
「ただの、ノイズでしか、なかったとしても」
喘ぐように、けれど、確かに。
「『僕』は、『僕』だ」
言葉を、紡ぐ。
スリーピング・レイルには記憶がない。本来なら、「僕」と呼ぶものを示す名前もない。
それでも、今まで経験してきた全てを「必要ないもの」と断じることは、レイルにはできそうになかった。それは、今に至るまでの「スリーピング・レイル」を形作るものであり、今、この場に立っている理由でもあるのだから。
すると、男は、ふ、と軽く息をついてみせる。
「意外と強情だよな、アンタ。だから『俺たち』を無意識にも御せるんだろうが」
男の姿が揺らぐ。その足元の影から、更に影が分かれたかと思うと、そこから新たな人の姿が浮かび上がる。誰も彼も、レイルの知らない姿をしている。けれど、レイルの聞いたことのある声で、口々に言うのだ。
「だが」
「忘れないで」
「お前はあくまで『こちら側』だ」
「あるべき形を思い出した時」
「お前は――」
頭が、痛い。声が耳の奥に響いて離れてくれない。決定的な言葉だけが、聞き取れないというのに。
「……っ、やめろ……!」
目の前に現れた人々の姿を振り払うように激しく頭を振った、その時。ぐい、と強く肩を引かれて、はっとしてそちらを見る。
「おい、どうした」
その声が、「頭の中の声」とはまた別のものであると気付いて、全身の力が抜ける。
「ネグロ、さん……」
ネグロは、レイルの肩に手を置いたまま、怪訝な顔でレイルを見ていた。
「何一人で喋ってんだ」
ひとり、で。その言葉の意味するところを理解した瞬間に、言葉が唇からこぼれた。
「ごめん。きっと、疲れて、るんだ」
嘘だ。だって、こんなはっきりと見えているというのに。知らない男が、女が、皆、こちらをじっと見ているというのに。
「それだけ、だから」
本当のことなんて、言えるはずもなかった。
「大丈夫」
言えるはずも、ない。
【Scene:0013 『僕』と彼らの】
◆12回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
――死ぬのが、怖くないのか?
スリーピング・レイルは、その問いに対する答えを持たない。
……もしくは、「死」というものに嫌われていると、無意識に理解していたからかも、しれない。
* * *
――死ぬのが、怖くないのか?
スリーピング・レイルは、その問いに対する答えを持たない。
……もしくは、「死」というものに嫌われていると、無意識に理解していたからかも、しれない。
◆11回更新の日記ログ
スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけだ。
思い返してみれば、今の、スリーピング・レイルとしての記憶が始まった時から、不思議とそういう「自覚」があった。
その認識がどこから来たものかは、未だによくわからない。ただ、何となくそういうものなのだ、と自然と思っていた。
自分は、グレムリンに属するものなのだと。言ってしまえば、自分はグレムリンを操るための部品のひとつ。そんな心持ちで戦場に立っていたし、これからもきっとそれは変わらない。操縦棺にいれば頭の中の声に苛まれなくて済む、とわかってからは、その認識は更に深まったと思う。
その一方で、グレムリンを降りている間の自分について、考えることがある。
操縦棺にいる間のクリアな意識は失われ、意識の片隅を遠いざわめきに支配されて、満足に生活を送ることすらままならない。失われた記憶とぼんやりと霞む思考を抱えて、それでも何となく人らしい日々を送る、自分について。
本当は、ずっと操縦棺の中に籠りきりの方が、よっぽど「スリーピング・レイル」としては上出来なのかもしれない。そんなことを考えもする、けれど。
レイル、という声を意識する。
視線を向けられる。声をかけられる。手を引かれる。
グレムリン越しではない、生身の自分に与えられるそれらを、切り捨てることのできない自分がいる。
その良し悪しを、己が判ずることはできない。
ただ、切り捨てることができないなら、それはもう、かけがえのないものであって。失いたくないものであって。つまりは、この手で守るべきものなのだ。
それが、『継ぎ接ぎ幽霊船』と、その乗組員に対するレイルの認識。
だから、スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけだとしても。
レイルは、今ばかりはグレムリンの部品としてではなく、他でもない『継ぎ接ぎ幽霊船』の乗組員の一人として、侵入者である赤い髪の青年と向かい合っている。
青年は相当の手練れのようで、レイルが仕掛けてもその手を逃れ続けている。こちらも今のところ青年の武器に触れることなく捌いてはいるが、果たしてそれもいつまで続けられるか。自然と体が動くとはいえ、思考を介さない動きはいつか必ず見破られる。
首をもたげかけた弱気を飲み込む。もちろん、この場で侵入者を取り押さえることができればその方がいいのだろうけれど、何も、必ずしも相手を圧倒しなくてもよいのだと思い直す。ミアが侵入者のことを報せて、ルインたちに気付いてもらうだけの時間を稼げれば、まあ、ぎりぎり及第点といったところか。
深呼吸を一つ。逸る心を落ち着けて。
『この顔を知っているのか?』
そう問いかけてきた青年に向かって、言葉を投げかける。
「その顔を、知っているのかって、聞いた、よね」
青年は応えないまま、冷たい目でこちらを見据えている。武器を握る手は相変わらずマントの下。攻撃の出が見えないのはどうにもやりづらい。次はどこから繰り出されるだろう、と、相手の観察を止めないまま、言葉を続ける。
「君は、ツィールさんと同じ顔をしてる、けど、違う。君は一体、誰?」
問いかけへの答えは、踏み込みざまに繰り出される一撃だった。だが、こちらの読みが当たったことで、ぎりぎりのところで武器の狙いを逸らし、手首を掴み取ることに成功する。今度こそ、このまま青年の体を床に縫い留めてしまおうと力を込めようとした、その時だった。
青年の空いていた左手が、レイルの手首を握りしめる。
しまった、と思う間もなく、腕を捻り上げられると同時に視界から青年の姿が消える。次の瞬間、背後から与えられた衝撃で、床に膝をつく。脳裏に激しい警鐘が響くが、ここまで動きを封じられてしまっては、成すすべもない。
伸びてきた手がこちらの顎を掴む感触。
背筋に走る、悪寒。
それきり、
――希望も未来も自らの手で絶って。
――今や、その傷跡だけがお前を物語る。
いつの間に、意識を手放していたのだろう。
レイルは、いつから閉じていたのかもわからない瞼を開く。片方だけしか光を映さない目に、通路に点る明かりが差し込む。そして、視界がかろうじて焦点を結んだ時、目の前にあったのは、見慣れた顔だった。
「あ、ネグロさん……。僕、気絶してたか……」
果たして、自分はどのくらい気絶していたのだろう。
その間に、あの青年は――どこに行ったのだろう?
そこまで思考が及んだところで、飛び起きる。床で寝ている場合ではないのだ。じっとこちらを覗きこんでいたネグロに向かってまくし立てる。
「そうだ、さっき、そこから、ツィールさんによく似た顔の人が出てきて。武器を持ってて、ミアさんと僕のことを襲おうとして。それで、ミアさんは助けを呼びに行ったと思うんだけど、僕が足止めできなかったから……、どこに行ったんだろう、他の人が危険な目に遭ってるかもしれない、早く探さないと」
そこまでを言ったところで、ふと、気付く。
ネグロが、こちらの言葉に何の反応も示さないことに。息を殺して、じっと、こちらを凝視したまま、身じろぎもしないことに。
「ネグロ、さん?」
首を傾げてみせると、ネグロはそこでやっと我に返ったのか、激しく瞬きをして、それから唸るような声で言った。
「……、いや、悪い。大丈夫だ」
「よかった。それで」
「わかってる。ミアがもうルインに伝えて、情報は貰ってる――聞こえないか?」
ネグロが通路に取り付けられているスピーカーを指差したことで、目を覚ました時からずっとがんがん鳴り響き続けていたのだろう警報が、初めて意識される。思わず「あ」と声を漏らして、それから喉の奥に詰まっていた息を吐き出す。
「無事だったのか……よかった……」
気絶している間に事態が更に悪化している可能性を危惧していただけに、ネグロの言葉には救われた気持ちになる。ミアが無事逃げられた。それだけの時間は稼ぐことができたようだ。
けれど、これで終わりではない。それは、ネグロの顔が未だ緊張に満ちていることからも明らかだ。
「ツィール達がまだわからん。搬入口付近にはいる筈だが」
……ツィール。赤い髪の青年。レイルと同じく記憶を持たない、もしくは時々失った記憶の断片を感じることがあるレイルと異なり「元からない」可能性もある、青年。
あの青年は、ツィールによく似ていた。ミアが一目では見分けられなかったくらいに。それが単なる偶然などではありえないことくらいは、わかる。
『この顔を知っているのか?』
そう言った青年は、酷く、冷たい目をしていた。
間違いなく、この幽霊船に用があるとすれば、その一員であるツィールに対して、だ。
「……そうか。行こう、ネグロさん」
まだ、少しばかり意識に靄がかかっているような感覚はあるが、構ってはいられない。ここから搬入口までどれだけかかるだろう。そんなことを考えながら、床を蹴る。横で、ネグロもほとんど同時に走り出した気配を感じる。
果たして、あの青年に敵わなかった自分が向かったところで、何ができるだろう。頭の中に浮かぶ冷たい思考を、あえて見ないことにする。今は、動かずにはいられない、という自分の感覚を、信じることにする。
ただ、今も絶えず鳴り響く警報を意識するならば、ミアをこの場から逃がし、ミアがルインのいる管制室に辿り着くだけの時間は経過していたと見ていい。ネグロがレイルの元にやってきたことを考えると、もう少し加算すべきか。
目が覚めたのが遅すぎるのではないか? つい、そんな不安がよぎって。
「ネグロさん、僕、どれくらい気絶してたか、わかる?」
ほとんど無意識の問いかけだった。ネグロが一部始終を見ていたわけでもないのだから、「どれくらい」について答えるのが難しいのだと気付いたのは口に出してからだった。
だが、ネグロは。
「……気絶なんて、してねえよ」
レイルの想定しない言葉を、投げ返してきた。
足こそ止めないままではあったが、レイルは思わず横のネグロを見やる。ネグロは前を見たまま、レイルとは視線を合わせようとはせず、ただ、ただ、何かを堪えるような横顔で。
唇を、開く。
「間違いなく、死んでた」
その言葉の意味を飲み込むには、数拍の時間を要した。
死。
命が絶えること。生命活動が停止すること。そんな辞書的な意味を反芻してみる、けれど。
「死んで、た?」
唇から零れ落ちる言葉と共に、わずかに脳裏をよぎる、鈍い音。何かが折れるような、感触。
あの時、まさか、自分は――。
しかし、それならば今こうして走っている自分は何だ? 死んでいるのだとすれば、この体を動かしているものは何だ? まだわずかに意識にかかる靄が、それ以上を考えることを許してくれない。
どうにせよ、自分のことよりも先に、解決しなければならないことが目の前に転がっている以上。
今は、走り続けるしかないのだ。
【Scene:0011 意識が落ちて】
思い返してみれば、今の、スリーピング・レイルとしての記憶が始まった時から、不思議とそういう「自覚」があった。
その認識がどこから来たものかは、未だによくわからない。ただ、何となくそういうものなのだ、と自然と思っていた。
自分は、グレムリンに属するものなのだと。言ってしまえば、自分はグレムリンを操るための部品のひとつ。そんな心持ちで戦場に立っていたし、これからもきっとそれは変わらない。操縦棺にいれば頭の中の声に苛まれなくて済む、とわかってからは、その認識は更に深まったと思う。
その一方で、グレムリンを降りている間の自分について、考えることがある。
操縦棺にいる間のクリアな意識は失われ、意識の片隅を遠いざわめきに支配されて、満足に生活を送ることすらままならない。失われた記憶とぼんやりと霞む思考を抱えて、それでも何となく人らしい日々を送る、自分について。
本当は、ずっと操縦棺の中に籠りきりの方が、よっぽど「スリーピング・レイル」としては上出来なのかもしれない。そんなことを考えもする、けれど。
レイル、という声を意識する。
視線を向けられる。声をかけられる。手を引かれる。
グレムリン越しではない、生身の自分に与えられるそれらを、切り捨てることのできない自分がいる。
その良し悪しを、己が判ずることはできない。
ただ、切り捨てることができないなら、それはもう、かけがえのないものであって。失いたくないものであって。つまりは、この手で守るべきものなのだ。
それが、『継ぎ接ぎ幽霊船』と、その乗組員に対するレイルの認識。
だから、スリーピング・レイルに必要とされるのは、グレムリンを操る能力だけだとしても。
レイルは、今ばかりはグレムリンの部品としてではなく、他でもない『継ぎ接ぎ幽霊船』の乗組員の一人として、侵入者である赤い髪の青年と向かい合っている。
青年は相当の手練れのようで、レイルが仕掛けてもその手を逃れ続けている。こちらも今のところ青年の武器に触れることなく捌いてはいるが、果たしてそれもいつまで続けられるか。自然と体が動くとはいえ、思考を介さない動きはいつか必ず見破られる。
首をもたげかけた弱気を飲み込む。もちろん、この場で侵入者を取り押さえることができればその方がいいのだろうけれど、何も、必ずしも相手を圧倒しなくてもよいのだと思い直す。ミアが侵入者のことを報せて、ルインたちに気付いてもらうだけの時間を稼げれば、まあ、ぎりぎり及第点といったところか。
深呼吸を一つ。逸る心を落ち着けて。
『この顔を知っているのか?』
そう問いかけてきた青年に向かって、言葉を投げかける。
「その顔を、知っているのかって、聞いた、よね」
青年は応えないまま、冷たい目でこちらを見据えている。武器を握る手は相変わらずマントの下。攻撃の出が見えないのはどうにもやりづらい。次はどこから繰り出されるだろう、と、相手の観察を止めないまま、言葉を続ける。
「君は、ツィールさんと同じ顔をしてる、けど、違う。君は一体、誰?」
問いかけへの答えは、踏み込みざまに繰り出される一撃だった。だが、こちらの読みが当たったことで、ぎりぎりのところで武器の狙いを逸らし、手首を掴み取ることに成功する。今度こそ、このまま青年の体を床に縫い留めてしまおうと力を込めようとした、その時だった。
青年の空いていた左手が、レイルの手首を握りしめる。
しまった、と思う間もなく、腕を捻り上げられると同時に視界から青年の姿が消える。次の瞬間、背後から与えられた衝撃で、床に膝をつく。脳裏に激しい警鐘が響くが、ここまで動きを封じられてしまっては、成すすべもない。
伸びてきた手がこちらの顎を掴む感触。
背筋に走る、悪寒。
それきり、
――希望も未来も自らの手で絶って。
――今や、その傷跡だけがお前を物語る。
いつの間に、意識を手放していたのだろう。
レイルは、いつから閉じていたのかもわからない瞼を開く。片方だけしか光を映さない目に、通路に点る明かりが差し込む。そして、視界がかろうじて焦点を結んだ時、目の前にあったのは、見慣れた顔だった。
「あ、ネグロさん……。僕、気絶してたか……」
果たして、自分はどのくらい気絶していたのだろう。
その間に、あの青年は――どこに行ったのだろう?
そこまで思考が及んだところで、飛び起きる。床で寝ている場合ではないのだ。じっとこちらを覗きこんでいたネグロに向かってまくし立てる。
「そうだ、さっき、そこから、ツィールさんによく似た顔の人が出てきて。武器を持ってて、ミアさんと僕のことを襲おうとして。それで、ミアさんは助けを呼びに行ったと思うんだけど、僕が足止めできなかったから……、どこに行ったんだろう、他の人が危険な目に遭ってるかもしれない、早く探さないと」
そこまでを言ったところで、ふと、気付く。
ネグロが、こちらの言葉に何の反応も示さないことに。息を殺して、じっと、こちらを凝視したまま、身じろぎもしないことに。
「ネグロ、さん?」
首を傾げてみせると、ネグロはそこでやっと我に返ったのか、激しく瞬きをして、それから唸るような声で言った。
「……、いや、悪い。大丈夫だ」
「よかった。それで」
「わかってる。ミアがもうルインに伝えて、情報は貰ってる――聞こえないか?」
ネグロが通路に取り付けられているスピーカーを指差したことで、目を覚ました時からずっとがんがん鳴り響き続けていたのだろう警報が、初めて意識される。思わず「あ」と声を漏らして、それから喉の奥に詰まっていた息を吐き出す。
「無事だったのか……よかった……」
気絶している間に事態が更に悪化している可能性を危惧していただけに、ネグロの言葉には救われた気持ちになる。ミアが無事逃げられた。それだけの時間は稼ぐことができたようだ。
けれど、これで終わりではない。それは、ネグロの顔が未だ緊張に満ちていることからも明らかだ。
「ツィール達がまだわからん。搬入口付近にはいる筈だが」
……ツィール。赤い髪の青年。レイルと同じく記憶を持たない、もしくは時々失った記憶の断片を感じることがあるレイルと異なり「元からない」可能性もある、青年。
あの青年は、ツィールによく似ていた。ミアが一目では見分けられなかったくらいに。それが単なる偶然などではありえないことくらいは、わかる。
『この顔を知っているのか?』
そう言った青年は、酷く、冷たい目をしていた。
間違いなく、この幽霊船に用があるとすれば、その一員であるツィールに対して、だ。
「……そうか。行こう、ネグロさん」
まだ、少しばかり意識に靄がかかっているような感覚はあるが、構ってはいられない。ここから搬入口までどれだけかかるだろう。そんなことを考えながら、床を蹴る。横で、ネグロもほとんど同時に走り出した気配を感じる。
果たして、あの青年に敵わなかった自分が向かったところで、何ができるだろう。頭の中に浮かぶ冷たい思考を、あえて見ないことにする。今は、動かずにはいられない、という自分の感覚を、信じることにする。
ただ、今も絶えず鳴り響く警報を意識するならば、ミアをこの場から逃がし、ミアがルインのいる管制室に辿り着くだけの時間は経過していたと見ていい。ネグロがレイルの元にやってきたことを考えると、もう少し加算すべきか。
目が覚めたのが遅すぎるのではないか? つい、そんな不安がよぎって。
「ネグロさん、僕、どれくらい気絶してたか、わかる?」
ほとんど無意識の問いかけだった。ネグロが一部始終を見ていたわけでもないのだから、「どれくらい」について答えるのが難しいのだと気付いたのは口に出してからだった。
だが、ネグロは。
「……気絶なんて、してねえよ」
レイルの想定しない言葉を、投げ返してきた。
足こそ止めないままではあったが、レイルは思わず横のネグロを見やる。ネグロは前を見たまま、レイルとは視線を合わせようとはせず、ただ、ただ、何かを堪えるような横顔で。
唇を、開く。
「間違いなく、死んでた」
その言葉の意味を飲み込むには、数拍の時間を要した。
死。
命が絶えること。生命活動が停止すること。そんな辞書的な意味を反芻してみる、けれど。
「死んで、た?」
唇から零れ落ちる言葉と共に、わずかに脳裏をよぎる、鈍い音。何かが折れるような、感触。
あの時、まさか、自分は――。
しかし、それならば今こうして走っている自分は何だ? 死んでいるのだとすれば、この体を動かしているものは何だ? まだわずかに意識にかかる靄が、それ以上を考えることを許してくれない。
どうにせよ、自分のことよりも先に、解決しなければならないことが目の前に転がっている以上。
今は、走り続けるしかないのだ。
【Scene:0011 意識が落ちて】
◆10回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
そもそも、この言葉はいつ、誰から聞いたものだっただろうか。
スリーピング・レイルは、操縦棺の座席にもたれかかりながら、ぼんやりと思う。
ふとしたときに、頭の中に浮かぶ、声。いつも一方的に響き続けている幻聴とはまた違う、こちらに語り掛けるような、女の声。その声を「思い出す」たびに、どこか、胸を締め付けられるような気持ちになる。
「希望も、未来も、自らの手で絶った」
そう呟いてみながら、両の手を伸ばしてみる。視界の先で、ふたつの手が開き、閉ざされる。何の変哲もない、ただ武骨なだけの両手。
けれど、この手が何かを絶ったのだと、声は言う。希望だとか、未来だとか、そういう風に呼ばれる、大切なものを。
もちろん、レイルには覚えがない。
覚えがないのに、その言葉を疑えないでいる。
天井に向けて伸ばした腕を降ろし、そのまま、己の喉へと持っていく。巻いたマフラーの下、喉に刻み込まれた痕跡。それこそ『スリーピング・レイル』という言葉以外に唯一、己の過去の一端を示していると思われる、もの。
――今や、その傷跡だけがお前を物語る。
この傷跡の存在を知るミアはあえて言及を避けるけれど。これは明らかに「首を吊った」、ないし「首を絞めた」痕跡だ。
かつての自分には、そうなるだけの理由があった。それが、自分からすすんで行ったものか、他者に強いられたものかは、わからないけれど。
「僕は……、何を、したんだろう」
ぽつり、呟いたところで、操縦棺の外から聞こえてくる声をスピーカーが拾う。
ミアの声。……レイルを、操縦棺の外へと誘う、声。
そうだ、どれだけ過去について思いを馳せたところで、起こってしまった出来事は変わらず、今レイルがここにいるという事実が変わるわけでもない。
ひとつ、息をついて。レイルは緩んだマフラーを巻きなおし、操縦棺を開く。
【Scene:0010 遠い日の声】
* * *
そもそも、この言葉はいつ、誰から聞いたものだっただろうか。
スリーピング・レイルは、操縦棺の座席にもたれかかりながら、ぼんやりと思う。
ふとしたときに、頭の中に浮かぶ、声。いつも一方的に響き続けている幻聴とはまた違う、こちらに語り掛けるような、女の声。その声を「思い出す」たびに、どこか、胸を締め付けられるような気持ちになる。
「希望も、未来も、自らの手で絶った」
そう呟いてみながら、両の手を伸ばしてみる。視界の先で、ふたつの手が開き、閉ざされる。何の変哲もない、ただ武骨なだけの両手。
けれど、この手が何かを絶ったのだと、声は言う。希望だとか、未来だとか、そういう風に呼ばれる、大切なものを。
もちろん、レイルには覚えがない。
覚えがないのに、その言葉を疑えないでいる。
天井に向けて伸ばした腕を降ろし、そのまま、己の喉へと持っていく。巻いたマフラーの下、喉に刻み込まれた痕跡。それこそ『スリーピング・レイル』という言葉以外に唯一、己の過去の一端を示していると思われる、もの。
――今や、その傷跡だけがお前を物語る。
この傷跡の存在を知るミアはあえて言及を避けるけれど。これは明らかに「首を吊った」、ないし「首を絞めた」痕跡だ。
かつての自分には、そうなるだけの理由があった。それが、自分からすすんで行ったものか、他者に強いられたものかは、わからないけれど。
「僕は……、何を、したんだろう」
ぽつり、呟いたところで、操縦棺の外から聞こえてくる声をスピーカーが拾う。
ミアの声。……レイルを、操縦棺の外へと誘う、声。
そうだ、どれだけ過去について思いを馳せたところで、起こってしまった出来事は変わらず、今レイルがここにいるという事実が変わるわけでもない。
ひとつ、息をついて。レイルは緩んだマフラーを巻きなおし、操縦棺を開く。
【Scene:0010 遠い日の声】
◆9回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
スリーピング・レイルにとって、グレムリン『スリーピング・レイル』の操縦棺は他のどのような場所よりも安らぎをもたらす空間であった。
ほとんど常に頭の中に響いている無数の声も、操縦棺に入っている間はぴたりと収まる。一日の中でも貴重な静寂をもたらすこの空間に居付くのも、当然の帰結というものだった。
だから、今日もレイルは操縦棺の操縦席の上で丸まっている。ミアには嫌な顔をされる――きっと、「人並みに」部屋の寝台で眠ってほしいのだろう、ということは想像がつく――けれど、これは頭の中の声が消えてくれない限り、どうしようもない。
ただ、静かになったらなったで、明確な焦点を結ばない思考が浮かんでは、消える。
結局、これだけの期間、傭兵として戦い続けてきたけれど、自分のことについては何一つわからないままだ。『スリーピング・レイル』という言葉とエンブレムだけが自分を定義するものであり、手元にあったそれらについて少しずつ調べていないわけでもなかったけれど、そもそも伝手も何も無い状態では、調査はろくに進まなかった。
「……スリーピング・レイル、か」
そう名乗り、呼ばれるようになり、今はもう、「自分の名前」として認識できるようになってきた。ただ、これが元から自分のものであったかというと、きっとそんなことはないのだとも、思う。
眠る鳥のエンブレム、眠る鳥を示す文字列。
記憶が始まったときから、不思議と動かせたグレムリン。
その一方で、致命的に自分の中から欠け落ちている虚空領域の常識。
足りない知識を飲み込むたびに、頭の中にちらつく違和感。
首にべったりと残された、紐状の痕跡。
そして、少しでも意識を緩めると、頭の中に響き渡る、自分の知らない声。
今になっても、わかることのない「自分自身のこと」。
とはいえ、それらの事柄については、知らなくても生きてはいける。今までそうしてきたように、そういうものだと思って、頭の隅においやって、戦場に赴いていればいい。理由はわからないけれど、自分には戦う力があって、だから戦っている。それだけでも十分といえば十分だ。自分が戦場に向かうことによって、結果的に誰かを助けられるというなら、尚更、余計なことなんて考えなくていいのだとも、思う。
ただ――。
そこまで考えたところで、操縦棺の内部に外からの音声が入り込んでくる。
『レイル、いる?』
ミアの声だ。レイルは外に向けて「いるよ」と答えて、操縦棺を開ける。すると、『スリーピング・レイル』の足元にちょこんとミアが立っていた。その手には、二つのカップが握られている。
「邪魔した?」
「ううん、ぼうっとしてただけ。何かな」
「最近、ほとんどの時間、操縦棺に籠ってるでしょ。ちょっと、心配になって見に来たんだよ」
食事のときには必ず食堂に顔を出すようにしているし、幽霊船の乗組員たちとのやり取りを意識して避けているわけではない。ただ、ミアの言う通り、以前より操縦棺にいる時間が増えているのは事実だった。
「操縦棺、入ってもいい?」
レイルが頷くと、ミアが手を伸ばして、レイルの手に二つのカップを手渡す。カップの中身はあたたかなバイオコーヒー。状態が良いとはいえない水に、誤魔化すための味をつけただけのもの。今となっては毎日口にしているものだが、当初はどこまでも「初めてのもの」だったことを、今も時折思い出す。
そして、ミアはぴょんと操縦棺に飛び乗ってくる。そして、レイルの手から自分のカップを受け取ると、操縦棺の狭い床に座りこんで、操縦棺の中を見渡す。通常の操縦棺よりはやや広いとはいえ、低い天井と圧迫感のある壁面は、慣れない人間にとってはあまり気持ちのよいものではないだろう。ミアも、軽く眉を顰めていう。
「レイルは、息苦しくないの? ずっとこんな場所にいて」
「少し、息苦しいくらいの方が、居心地がいいんだ」
言いながら、自分は操縦席に座りなおす。
これは、頭の中に声が聞こえるかどうかとはまた別で、狭い空間にいた方が、心が落ち着くのだった。どうも、広い空間に置かれていると、そこが自分のいていい場所ではないような気がするのだ。ミアの芳しくない反応を見る限り、それが一般的な感覚でないことは間違いなさそうだが。
「居心地よくても、もうちょっと、外に出た方がいいと思うよ。それとも……、やっぱり、頭の中の声がうるさい?」
「覚醒してるときは、そうでもないんだ。聞こえるけど、ずっと遠く感じる」
「でも、聞こえてるんだ……」
レイルは頷いて、コーヒーを一口。お世辞にも美味いとはいえないが、それでも喉を潤せるのはありがたかった。
「ずっと聞こえてると、逆に気にならないから、心配しないで」
「心配しないでって言われても、説得力ないよ。頭の中に声が聞こえるってこと自体が、普通じゃないんだから。誰かに、診てもらった方がいいんじゃないかな」
その言葉には、曖昧な表情を浮かべざるを得ない。
異常なのは承知の上だが、診てもらうにしたって、誰に? こんな症状を提示されても、医者も困ってしまうのではないだろうか。そもそも、信頼できる医者を探すのだって、大変そうだ。
ミアもそれをわかっていないわけではないようで、「難しいとは思うけどさ」と付け加えて、コーヒーをすする。
「……ねえ、もしも、もしもの話、だけどさ」
「ん?」
「未識別機動体との戦いが、終わったとしたら。レイルは、何をするんだろうね」
戦いが、終わったとしたら――?
自分の手を見る。記憶が始まったときから、グレムリンを操ることだけができた、手。正確には手はあくまでひとつのインタフェースに過ぎず、この体とそれを統括する思念がグレムリンを動かしている、のだと思っているが。
もし、グレムリンで戦う必要がなくなったとしたら。自分は、一体何をしているのだろう。
「何、を……?」
記憶がなくても何も困りはしない。自分にまつわる何ひとつがわかっていなくても何も困りはしない。それは、目の前に戦いがあるからだ。自分にできることが、できる場所があるからだ。
けれど、それがなくなった日のことを、考えたことがなかったのだと、気付く。
戦いをなくすために、戦っているはずなのに。
もしもの景色を想像する。戦いがなくなった世界。この力が必要でなくなった、世界。
「僕は……、そこにいて、いいのかな」
ぽつり。ほとんど意識せず、言葉が零れ落ちた。ミアの目が見開かれる。
「何、言ってるの?」
「戦いがなくなる。それは、僕だって望んでることだけど。……そうなったら、僕は、もう、必要ないのかなって」
「どうしてそうなっちゃうかなあ! 戦いが終わるってことは、レイルももう、戦わなくていいってことなんだよ。好きなことをしていいんだよ。レイルの好きなことは何? やりたいことは何? 今までみんなと過ごしてきて……、何か……、ない、の?」
始めは激しかったミアの語調が、萎んでいく。表情をくしゃりと歪めて、レイルをじっと見つめている。
ああ、また、こういう顔をさせてしまった。
レイルは今日も自分の失態を悟る。いつだってそう、レイルの言動はどうもミアを不安にさせてしまうらしい。
けれど、「好きなことをしていい」と言われても、本当に何も浮かばなかったのだ。好きなこと、やりたいこと。……想像も、つかない。
「ごめん。今はまだ、何も思いつかない。でも、僕は、戦いが終わった世界にいてもいいのか」
「いちゃダメなんて、誰も言ってないじゃん……」
「そう、だな。どうして、いてはいけないなんて、思ったんだろう?」
「あたしが聞きたいよ!」
それはそうだ。レイルも自分で自分に呆れてしまう。
ぷう、と頬を膨らませたミアが、レイルを見上げる。
「レイルは、もうちょっと、戦い以外にも興味を持って。これからも、生きててくれるんでしょう? この戦いを生き抜いていけるなら……、もしかしたら、戦いが終わる日にだって、立ち会えるかもしれないじゃない」
――その時に、一緒に喜べないなんて、寂しいよ。
ミアの言葉に、レイルは何も言えなくなる。
気の利いたことを言えればよかったのかもしれないが、あいにく、レイルの頭の中にはその手の言葉はまるで浮かばなかった。
代わりに、浮かび上がってくるのは、何故だろう、ミアがいる温かな光差す世界を、一歩離れた酷く冷たい場所から見つめているヴィジョンばかりだった。
もちろん、そんなこと、ミアに言えるはずもなかったけれど。
【Scene:0009 もしものはなし】
* * *
スリーピング・レイルにとって、グレムリン『スリーピング・レイル』の操縦棺は他のどのような場所よりも安らぎをもたらす空間であった。
ほとんど常に頭の中に響いている無数の声も、操縦棺に入っている間はぴたりと収まる。一日の中でも貴重な静寂をもたらすこの空間に居付くのも、当然の帰結というものだった。
だから、今日もレイルは操縦棺の操縦席の上で丸まっている。ミアには嫌な顔をされる――きっと、「人並みに」部屋の寝台で眠ってほしいのだろう、ということは想像がつく――けれど、これは頭の中の声が消えてくれない限り、どうしようもない。
ただ、静かになったらなったで、明確な焦点を結ばない思考が浮かんでは、消える。
結局、これだけの期間、傭兵として戦い続けてきたけれど、自分のことについては何一つわからないままだ。『スリーピング・レイル』という言葉とエンブレムだけが自分を定義するものであり、手元にあったそれらについて少しずつ調べていないわけでもなかったけれど、そもそも伝手も何も無い状態では、調査はろくに進まなかった。
「……スリーピング・レイル、か」
そう名乗り、呼ばれるようになり、今はもう、「自分の名前」として認識できるようになってきた。ただ、これが元から自分のものであったかというと、きっとそんなことはないのだとも、思う。
眠る鳥のエンブレム、眠る鳥を示す文字列。
記憶が始まったときから、不思議と動かせたグレムリン。
その一方で、致命的に自分の中から欠け落ちている虚空領域の常識。
足りない知識を飲み込むたびに、頭の中にちらつく違和感。
首にべったりと残された、紐状の痕跡。
そして、少しでも意識を緩めると、頭の中に響き渡る、自分の知らない声。
今になっても、わかることのない「自分自身のこと」。
とはいえ、それらの事柄については、知らなくても生きてはいける。今までそうしてきたように、そういうものだと思って、頭の隅においやって、戦場に赴いていればいい。理由はわからないけれど、自分には戦う力があって、だから戦っている。それだけでも十分といえば十分だ。自分が戦場に向かうことによって、結果的に誰かを助けられるというなら、尚更、余計なことなんて考えなくていいのだとも、思う。
ただ――。
そこまで考えたところで、操縦棺の内部に外からの音声が入り込んでくる。
『レイル、いる?』
ミアの声だ。レイルは外に向けて「いるよ」と答えて、操縦棺を開ける。すると、『スリーピング・レイル』の足元にちょこんとミアが立っていた。その手には、二つのカップが握られている。
「邪魔した?」
「ううん、ぼうっとしてただけ。何かな」
「最近、ほとんどの時間、操縦棺に籠ってるでしょ。ちょっと、心配になって見に来たんだよ」
食事のときには必ず食堂に顔を出すようにしているし、幽霊船の乗組員たちとのやり取りを意識して避けているわけではない。ただ、ミアの言う通り、以前より操縦棺にいる時間が増えているのは事実だった。
「操縦棺、入ってもいい?」
レイルが頷くと、ミアが手を伸ばして、レイルの手に二つのカップを手渡す。カップの中身はあたたかなバイオコーヒー。状態が良いとはいえない水に、誤魔化すための味をつけただけのもの。今となっては毎日口にしているものだが、当初はどこまでも「初めてのもの」だったことを、今も時折思い出す。
そして、ミアはぴょんと操縦棺に飛び乗ってくる。そして、レイルの手から自分のカップを受け取ると、操縦棺の狭い床に座りこんで、操縦棺の中を見渡す。通常の操縦棺よりはやや広いとはいえ、低い天井と圧迫感のある壁面は、慣れない人間にとってはあまり気持ちのよいものではないだろう。ミアも、軽く眉を顰めていう。
「レイルは、息苦しくないの? ずっとこんな場所にいて」
「少し、息苦しいくらいの方が、居心地がいいんだ」
言いながら、自分は操縦席に座りなおす。
これは、頭の中に声が聞こえるかどうかとはまた別で、狭い空間にいた方が、心が落ち着くのだった。どうも、広い空間に置かれていると、そこが自分のいていい場所ではないような気がするのだ。ミアの芳しくない反応を見る限り、それが一般的な感覚でないことは間違いなさそうだが。
「居心地よくても、もうちょっと、外に出た方がいいと思うよ。それとも……、やっぱり、頭の中の声がうるさい?」
「覚醒してるときは、そうでもないんだ。聞こえるけど、ずっと遠く感じる」
「でも、聞こえてるんだ……」
レイルは頷いて、コーヒーを一口。お世辞にも美味いとはいえないが、それでも喉を潤せるのはありがたかった。
「ずっと聞こえてると、逆に気にならないから、心配しないで」
「心配しないでって言われても、説得力ないよ。頭の中に声が聞こえるってこと自体が、普通じゃないんだから。誰かに、診てもらった方がいいんじゃないかな」
その言葉には、曖昧な表情を浮かべざるを得ない。
異常なのは承知の上だが、診てもらうにしたって、誰に? こんな症状を提示されても、医者も困ってしまうのではないだろうか。そもそも、信頼できる医者を探すのだって、大変そうだ。
ミアもそれをわかっていないわけではないようで、「難しいとは思うけどさ」と付け加えて、コーヒーをすする。
「……ねえ、もしも、もしもの話、だけどさ」
「ん?」
「未識別機動体との戦いが、終わったとしたら。レイルは、何をするんだろうね」
戦いが、終わったとしたら――?
自分の手を見る。記憶が始まったときから、グレムリンを操ることだけができた、手。正確には手はあくまでひとつのインタフェースに過ぎず、この体とそれを統括する思念がグレムリンを動かしている、のだと思っているが。
もし、グレムリンで戦う必要がなくなったとしたら。自分は、一体何をしているのだろう。
「何、を……?」
記憶がなくても何も困りはしない。自分にまつわる何ひとつがわかっていなくても何も困りはしない。それは、目の前に戦いがあるからだ。自分にできることが、できる場所があるからだ。
けれど、それがなくなった日のことを、考えたことがなかったのだと、気付く。
戦いをなくすために、戦っているはずなのに。
もしもの景色を想像する。戦いがなくなった世界。この力が必要でなくなった、世界。
「僕は……、そこにいて、いいのかな」
ぽつり。ほとんど意識せず、言葉が零れ落ちた。ミアの目が見開かれる。
「何、言ってるの?」
「戦いがなくなる。それは、僕だって望んでることだけど。……そうなったら、僕は、もう、必要ないのかなって」
「どうしてそうなっちゃうかなあ! 戦いが終わるってことは、レイルももう、戦わなくていいってことなんだよ。好きなことをしていいんだよ。レイルの好きなことは何? やりたいことは何? 今までみんなと過ごしてきて……、何か……、ない、の?」
始めは激しかったミアの語調が、萎んでいく。表情をくしゃりと歪めて、レイルをじっと見つめている。
ああ、また、こういう顔をさせてしまった。
レイルは今日も自分の失態を悟る。いつだってそう、レイルの言動はどうもミアを不安にさせてしまうらしい。
けれど、「好きなことをしていい」と言われても、本当に何も浮かばなかったのだ。好きなこと、やりたいこと。……想像も、つかない。
「ごめん。今はまだ、何も思いつかない。でも、僕は、戦いが終わった世界にいてもいいのか」
「いちゃダメなんて、誰も言ってないじゃん……」
「そう、だな。どうして、いてはいけないなんて、思ったんだろう?」
「あたしが聞きたいよ!」
それはそうだ。レイルも自分で自分に呆れてしまう。
ぷう、と頬を膨らませたミアが、レイルを見上げる。
「レイルは、もうちょっと、戦い以外にも興味を持って。これからも、生きててくれるんでしょう? この戦いを生き抜いていけるなら……、もしかしたら、戦いが終わる日にだって、立ち会えるかもしれないじゃない」
――その時に、一緒に喜べないなんて、寂しいよ。
ミアの言葉に、レイルは何も言えなくなる。
気の利いたことを言えればよかったのかもしれないが、あいにく、レイルの頭の中にはその手の言葉はまるで浮かばなかった。
代わりに、浮かび上がってくるのは、何故だろう、ミアがいる温かな光差す世界を、一歩離れた酷く冷たい場所から見つめているヴィジョンばかりだった。
もちろん、そんなこと、ミアに言えるはずもなかったけれど。
【Scene:0009 もしものはなし】
◆8回更新の日記ログ
『お前は祝福も希望も顧みやしなかった。故にこそ、今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
スリーピング・レイルが、巨大未識別に挑むと言い出した。
今までの戦いが容易かったというつもりはない。その上で、これから待つ戦いがそれとは比べ物にならないくらい厳しいものであることは、間違いなかった。
ミアは、グレムリン『スリーピング・レイル』の操縦棺から降りてきたレイルに駆け寄る。
「どうだった?」
レイルは取得されたデータを元に、シミュレーターと向き合っていた。新たなアセンブルを試し、そのたびにシミュレーター上の敵機と交戦して。ここしばらくは、食事や休息の時間以外はずっとそうして過ごしているようだった。ただ、その結果が思わしくないらしいのは、レイルの表情と、
「全然ダメだな。僕の腕じゃ、九分から十分持たせられればいい方だ」
という言葉で、明らかだった。
その言葉に、ミアはぞくりとする。『スリーピング・レイル』の戦い方は、率先して敵機の前に飛び出していき、相手の攻撃を引き付けるという、極めて危険なスタイルだ。それでも、今までの戦いでは耐えきれていた、が。今回ばかりはそうもいかないということなのか。それは、つまり――。
ミアの脳裏に浮かぶのは、戦場に赴いたきり戻ってこなかった、誰かさんの後ろ姿。その、やけに広く感じられた背中が、今目の前にいるレイルの姿に重なる。
けれど、レイルはそんなミアの思いなど知らず、淡々と続けるのだ。
「足止めの役にも立たないのは、ネグロさんに、申し訳ないな」
ああ、この人は。
こんな時にも、他人のことを最初に考えるのか。そう思った時には、胸の内に湧きあがった言葉は、唇から零れ落ちていた。
「……っ、ネグロさんのことよりも、まず、自分のことを考えてよ!」
「え?」
これは、本当にミアの言いたいことをわかっていない「え?」だ。ミアはレイルの妙な鈍さに腹立たしさすら覚えながら、言葉を続ける。
「今はシミュレーターだからいいけど、ダメだってことは、実戦なら、死ぬかもしれないってことじゃない!」
もちろん、グレムリンに緊急脱出の手続きが無いわけではない。それでも、グレムリンを破壊されたテイマーが、戦場に取り残されて助かるという保証はない。
レイルは、ぱちりと、ミアに見えている側の目を瞬いて。それから、いたって穏やかな声で言う。
「死ぬ、気は、ないよ」
「説得力がない! 今までだって、レイルが『そうしたい』って言うから、言う通りにアセンブルしてたけど、いつも思うんだよ」
――レイルは、死ぬのが怖くないのかって。
そうだ、レイルの戦い方は、死を恐れぬ者のそれに限りなく近い。実際の戦場を見ているわけではないミアでも、戦場から戻ってきた『スリーピング・レイル』の装甲に深々と刻まれた傷跡を見れば、嫌でもそのように考えずにはいられないのだ。
ミアの言葉にレイルは何を思ったのか、巻いたマフラーの上から、喉の辺りに触れた。今はマフラーに隠れていて見えないが、そこには紐のようなものが巻き付いた痕跡がある。レイル自身ですらいつついたものなのか知らない、ただ、明らかに「首を絞めた」としか思えない痕。
落ち着きなく指先を動かしてマフラーを弄りながら、レイルはぽつぽつと言葉を落とす。
「死ぬのが怖くないか、って言われたら、よく、わからないな」
「わからないって何? 自分のことじゃない」
「でも、僕が死んだとして、何かを感じるのは僕じゃない、から」
死の向こう側には何もない。
それが、レイルの主張だということをミアは知っている。虚空領域に満ちている、「失われたはずの機体が現れる」事象だって、あくまで世界に巻き起こっている「バグ」であって、本質的に「死が覆った」わけではない。死は死であり、断絶であり、それ以上でも以下でもない。レイルはそう、言うのだ。
ミアはその主張に対して、強く異議を唱えられないまま、その一方でどこか反発を抱いている。もちろん、死んだ者の声を聞くことなんてできないのだから、レイルの言葉が正しいかどうかなんてわかるはずはないのだけれども。
ただ、そう、レイルにはそのつもりはないのだろうが、ミアの中にある小さな期待――それが夢想に過ぎないとミア自身わかっていたとしても、だ――をも否定されているような気持ちになる、のだ。
ミアの脳裏には、今もなお、死者の背中が焼き付いていて離れないままでいるから。
そんなことを思っていると、ぽつり、レイルの言葉が落とされる。
「そう、だから、怖いのは僕が死ぬことよりも、多分、僕が死ぬことで誰かに被害が出る可能性、なのだと思っている」
「……え?」
「僕が死んだら、この船を守る人が、ひとり、いなくなるってことだろう。ネグロさんやツィールさんがいてくれれば、なんとかできるかもしれないけど。それでも、心配なのは本当。ミアさんのことだって、守れなくなってしまう。それは、嫌だ」
だから、死ぬ気はない、と。レイルは言うのだ。真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに。
ミアはその言葉に何とも言えない気持ちになる。死ぬ気が無い、というレイルの言葉は本当なのだろう。誰かに被害が出たり、守れなくなったりするのが嫌なのだという言葉も。けれど、それは……。
「レイルは、いつだって、人のことばっかりだね」
「……そうかな」
「そうだよ。レイルが、自分ひとりのために何かをしようとしてること、多分、見たことない」
レイルがグレムリンに乗るのは、誰かを守るためであり、誰かの力になるためだ。普段から体を鍛えている理由も、深い理由はないけれど、これが少しでも役に立つなら嬉しいからだ、と以前に聞いたことがある。
レイルにとって物事を選択する基準は「人の役に立つかどうか」で、自分自身のために何かを望んでいるところを、ミアは、知らない。
「でも、誰かが嬉しければ、僕も、嬉しいし。それに、僕一人だけが嬉しいことって、よく、わからないな」
「そっか……」
レイルの言葉は、ミアの予想通りの回答ではあったけれど、改めて言葉にして聞かされると、どうしても、もやもやとした気持ちになる。レイルの何が悪いというわけでもない、とは思うのだけれども、どうしてももやもやを振り切ることができない。
だから、それ以上に何を言っていいかわからなくて、ミアはつい、唇を尖らせてしまう。レイルは困ったように眉尻を下げて、白い髭で覆われた顎を撫ぜてみせる。
「何だか、いつも、ミアさんにそんな顔をさせてしまうな。ごめん」
「謝られても困っちゃうよ。悪い……、ってわけじゃない、と思うし」
でも、納得ができない。それだけ。
多分、レイルもそれは承知の上で、謝らずにはいられなかったのだろう。ミアの求めるような答えを持たない自分に負い目を感じている、そんな顔をしている。
お互い様だ、とミアは思う。自分だって、これから戦いに赴こうとしているレイルに、そんな顔をさせたいわけではないのだ。本当に、レイルは優しすぎるのだ、と思わずにはいられない。そう、つい『どうすればミアが喜んでくれるのか』に想像を及ばせてしまう程度には、優しいひと。
ミアは深呼吸ひとつ、背を丸めてしょぼくれた顔をするレイルの背中をどんと叩く。「わ」と声をあげるレイルを見上げて、腰に手を当てる。
「もう、しっかりしてよ。死ぬ気はないし、あたしたちのこと、助けてくれるんでしょ? なら、お互いにやれることは全部やってみよ! ぎりぎりまで、足掻かないと」
「……うん。そうだな」
レイルも、ミアの言葉に顔を上げる。その時、レイルが携えている通信端末が音を立てて鳴った。レイルは通信端末を耳に当て、二、三言言葉を交わした後に通信を切る仕草をした。
「誰から?」
「ネグロさん。『スリーピング・レイル』のアセンブルについて、相談したいことがあって、ここに来るって。ミアさんも、一緒にいてくれると、嬉しい」
「もちろん」
ここしばらくでレイルも随分知識をつけてきたし、兵装について一人で考えることも増えてきたが、『スリーピング・レイル』に手を加える時には必ずミアの同席を求める。多分、レイルの中でミアはあくまで『スリーピング・レイル』の整備士ということなのだろう。
それは素直に嬉しく思うし、その一方で少しだけ不安に思う。
いつか、レイルが自分を必要としなくなる日が来るのかもしれない、と。
いつか、レイルにとって自分は「守るべきもの」というだけの存在になってしまうのではないか、と。
それは嫌だな、と思いながら、ミアはレイルを見上げる。
レイルは、これから大きな戦いが待っているとも思えない、酷く凪いだ顔でそこに立っていて。そこに、何らかの感情を読み取ることは、ミアにはできなかった。
【Scene:0008 戦いの前に】
* * *
スリーピング・レイルが、巨大未識別に挑むと言い出した。
今までの戦いが容易かったというつもりはない。その上で、これから待つ戦いがそれとは比べ物にならないくらい厳しいものであることは、間違いなかった。
ミアは、グレムリン『スリーピング・レイル』の操縦棺から降りてきたレイルに駆け寄る。
「どうだった?」
レイルは取得されたデータを元に、シミュレーターと向き合っていた。新たなアセンブルを試し、そのたびにシミュレーター上の敵機と交戦して。ここしばらくは、食事や休息の時間以外はずっとそうして過ごしているようだった。ただ、その結果が思わしくないらしいのは、レイルの表情と、
「全然ダメだな。僕の腕じゃ、九分から十分持たせられればいい方だ」
という言葉で、明らかだった。
その言葉に、ミアはぞくりとする。『スリーピング・レイル』の戦い方は、率先して敵機の前に飛び出していき、相手の攻撃を引き付けるという、極めて危険なスタイルだ。それでも、今までの戦いでは耐えきれていた、が。今回ばかりはそうもいかないということなのか。それは、つまり――。
ミアの脳裏に浮かぶのは、戦場に赴いたきり戻ってこなかった、誰かさんの後ろ姿。その、やけに広く感じられた背中が、今目の前にいるレイルの姿に重なる。
けれど、レイルはそんなミアの思いなど知らず、淡々と続けるのだ。
「足止めの役にも立たないのは、ネグロさんに、申し訳ないな」
ああ、この人は。
こんな時にも、他人のことを最初に考えるのか。そう思った時には、胸の内に湧きあがった言葉は、唇から零れ落ちていた。
「……っ、ネグロさんのことよりも、まず、自分のことを考えてよ!」
「え?」
これは、本当にミアの言いたいことをわかっていない「え?」だ。ミアはレイルの妙な鈍さに腹立たしさすら覚えながら、言葉を続ける。
「今はシミュレーターだからいいけど、ダメだってことは、実戦なら、死ぬかもしれないってことじゃない!」
もちろん、グレムリンに緊急脱出の手続きが無いわけではない。それでも、グレムリンを破壊されたテイマーが、戦場に取り残されて助かるという保証はない。
レイルは、ぱちりと、ミアに見えている側の目を瞬いて。それから、いたって穏やかな声で言う。
「死ぬ、気は、ないよ」
「説得力がない! 今までだって、レイルが『そうしたい』って言うから、言う通りにアセンブルしてたけど、いつも思うんだよ」
――レイルは、死ぬのが怖くないのかって。
そうだ、レイルの戦い方は、死を恐れぬ者のそれに限りなく近い。実際の戦場を見ているわけではないミアでも、戦場から戻ってきた『スリーピング・レイル』の装甲に深々と刻まれた傷跡を見れば、嫌でもそのように考えずにはいられないのだ。
ミアの言葉にレイルは何を思ったのか、巻いたマフラーの上から、喉の辺りに触れた。今はマフラーに隠れていて見えないが、そこには紐のようなものが巻き付いた痕跡がある。レイル自身ですらいつついたものなのか知らない、ただ、明らかに「首を絞めた」としか思えない痕。
落ち着きなく指先を動かしてマフラーを弄りながら、レイルはぽつぽつと言葉を落とす。
「死ぬのが怖くないか、って言われたら、よく、わからないな」
「わからないって何? 自分のことじゃない」
「でも、僕が死んだとして、何かを感じるのは僕じゃない、から」
死の向こう側には何もない。
それが、レイルの主張だということをミアは知っている。虚空領域に満ちている、「失われたはずの機体が現れる」事象だって、あくまで世界に巻き起こっている「バグ」であって、本質的に「死が覆った」わけではない。死は死であり、断絶であり、それ以上でも以下でもない。レイルはそう、言うのだ。
ミアはその主張に対して、強く異議を唱えられないまま、その一方でどこか反発を抱いている。もちろん、死んだ者の声を聞くことなんてできないのだから、レイルの言葉が正しいかどうかなんてわかるはずはないのだけれども。
ただ、そう、レイルにはそのつもりはないのだろうが、ミアの中にある小さな期待――それが夢想に過ぎないとミア自身わかっていたとしても、だ――をも否定されているような気持ちになる、のだ。
ミアの脳裏には、今もなお、死者の背中が焼き付いていて離れないままでいるから。
そんなことを思っていると、ぽつり、レイルの言葉が落とされる。
「そう、だから、怖いのは僕が死ぬことよりも、多分、僕が死ぬことで誰かに被害が出る可能性、なのだと思っている」
「……え?」
「僕が死んだら、この船を守る人が、ひとり、いなくなるってことだろう。ネグロさんやツィールさんがいてくれれば、なんとかできるかもしれないけど。それでも、心配なのは本当。ミアさんのことだって、守れなくなってしまう。それは、嫌だ」
だから、死ぬ気はない、と。レイルは言うのだ。真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに。
ミアはその言葉に何とも言えない気持ちになる。死ぬ気が無い、というレイルの言葉は本当なのだろう。誰かに被害が出たり、守れなくなったりするのが嫌なのだという言葉も。けれど、それは……。
「レイルは、いつだって、人のことばっかりだね」
「……そうかな」
「そうだよ。レイルが、自分ひとりのために何かをしようとしてること、多分、見たことない」
レイルがグレムリンに乗るのは、誰かを守るためであり、誰かの力になるためだ。普段から体を鍛えている理由も、深い理由はないけれど、これが少しでも役に立つなら嬉しいからだ、と以前に聞いたことがある。
レイルにとって物事を選択する基準は「人の役に立つかどうか」で、自分自身のために何かを望んでいるところを、ミアは、知らない。
「でも、誰かが嬉しければ、僕も、嬉しいし。それに、僕一人だけが嬉しいことって、よく、わからないな」
「そっか……」
レイルの言葉は、ミアの予想通りの回答ではあったけれど、改めて言葉にして聞かされると、どうしても、もやもやとした気持ちになる。レイルの何が悪いというわけでもない、とは思うのだけれども、どうしてももやもやを振り切ることができない。
だから、それ以上に何を言っていいかわからなくて、ミアはつい、唇を尖らせてしまう。レイルは困ったように眉尻を下げて、白い髭で覆われた顎を撫ぜてみせる。
「何だか、いつも、ミアさんにそんな顔をさせてしまうな。ごめん」
「謝られても困っちゃうよ。悪い……、ってわけじゃない、と思うし」
でも、納得ができない。それだけ。
多分、レイルもそれは承知の上で、謝らずにはいられなかったのだろう。ミアの求めるような答えを持たない自分に負い目を感じている、そんな顔をしている。
お互い様だ、とミアは思う。自分だって、これから戦いに赴こうとしているレイルに、そんな顔をさせたいわけではないのだ。本当に、レイルは優しすぎるのだ、と思わずにはいられない。そう、つい『どうすればミアが喜んでくれるのか』に想像を及ばせてしまう程度には、優しいひと。
ミアは深呼吸ひとつ、背を丸めてしょぼくれた顔をするレイルの背中をどんと叩く。「わ」と声をあげるレイルを見上げて、腰に手を当てる。
「もう、しっかりしてよ。死ぬ気はないし、あたしたちのこと、助けてくれるんでしょ? なら、お互いにやれることは全部やってみよ! ぎりぎりまで、足掻かないと」
「……うん。そうだな」
レイルも、ミアの言葉に顔を上げる。その時、レイルが携えている通信端末が音を立てて鳴った。レイルは通信端末を耳に当て、二、三言言葉を交わした後に通信を切る仕草をした。
「誰から?」
「ネグロさん。『スリーピング・レイル』のアセンブルについて、相談したいことがあって、ここに来るって。ミアさんも、一緒にいてくれると、嬉しい」
「もちろん」
ここしばらくでレイルも随分知識をつけてきたし、兵装について一人で考えることも増えてきたが、『スリーピング・レイル』に手を加える時には必ずミアの同席を求める。多分、レイルの中でミアはあくまで『スリーピング・レイル』の整備士ということなのだろう。
それは素直に嬉しく思うし、その一方で少しだけ不安に思う。
いつか、レイルが自分を必要としなくなる日が来るのかもしれない、と。
いつか、レイルにとって自分は「守るべきもの」というだけの存在になってしまうのではないか、と。
それは嫌だな、と思いながら、ミアはレイルを見上げる。
レイルは、これから大きな戦いが待っているとも思えない、酷く凪いだ顔でそこに立っていて。そこに、何らかの感情を読み取ることは、ミアにはできなかった。
【Scene:0008 戦いの前に】
◆7回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
スリーピング・レイルは、グレムリン『スリーピング・レイル』の座席に膝を抱えて座っていた。
シミュレーターを用いた訓練を一通りこなして、それが昨日より少しだけよい成績を収めていることを確かめて。そして、ぼんやりと、グレイヴネットから流れてくる情報に目と耳を傾けていた。
もっぱら話題に上がっているのは、巨大未識別と呼ばれる存在のこと。レイルはそれが一体どのようなものであるのか、想像できないままでいた。想像はできないけれど、グレイヴネットを飛び交う話を聞く限り、脅威であることは間違いないはずだ。ひたひたと迫る戦いの気配に、レイルは胸の内がざわつくのを感じていた。
そうでなくとも、未識別機動体というものについて考えると、いてもたってもいられない気分になる。暴走中の空データ。喪われたはずのものが今もなお、世界に再生され続けているということ。それが、レイルにはどうにも、居心地が悪くて仕方なかったのだった。
操縦棺の中にいる時だけは「声」が聞こえないから、目を閉じて、流れてくる情報からも己を切り離して思索の海に沈んでいく。失われてしまった記憶は、今もなお満たされることの欠落のままそこにある。
けれど、少しずつ。……ほんの少しずつ、ではあるけれど。欠け落ちたその場所に、何かが積み上がろうとしている。それは、「目を覚ました」時――己をスリーピング・レイルと定義した時から今に至るまでに積み重ねてきた記憶だ。
まだ、たやすく数えられてしまう程度のそれらを、ひとつずつ、ひとつずつ、頭の中で確かめながら、レイルは、目を開けると指を通信装置に伸ばし、チャンネルを、僚機に向けたそれに合わせる。
僚機のネグロが幽霊船に帰ってこなかった日から、それなりの時間が過ぎていた。僚機宛の通信はことごとく遮断され、行方を知ることもできない。幽霊船の艦長代理であるルインはさほど気にした風ではなくて、同じ幽霊船のテイマーであるツィールも、ことさら心配はしていないようだった。
当然だ。ネグロにはネグロの意志がある。偶然「僚機」となった程度の存在である自分が思い悩むようなことはない。仮にネグロが幽霊船を去るという選択をしたところで、自分に止める権利などありはしないのだ。
頭では理解している。理解しながらも、レイルは通信回線を開く。
耳障りなノイズの後には、通信が遮断されていることを示す無機質な合成音声が聞こえてくる――と、思われた。今までがそうであったように。
だが、今日は違った。ノイズが晴れて、モニターに浮かび上がる文字列が、ネグロの乗機『カズアーリオス』への通信の成功を示したのだ。
「ネグロさん」
レイルの声に、返事はなかった。だが、通信が切れることもない。故に、ネグロが聞いていると信じて、言葉を続ける。
「今、どこにいる? ネグロさんなら、ひとりでも、大丈夫かもしれないけど。それでも」
それでも。
レイルの脳裏によぎるのは、今までネグロがレイルに見せてきた横顔だ。レイルのことをあからさまに邪険にしながらも、僚機でいることはやめなかった、共に戦場に立っていたその人のありさまを、ひとつ、ひとつ、思い返しながら。
「僕は、心配している」
率直な思いを、伝える。
本当は、もっと色々と言いたいことがあるはずだった。ミアもネグロのことを心配していることを伝えたかったし、幽霊船を離れた理由を詳しく問いただしたいとも思った。けれど、まず、聞いておきたかったのは。
「ネグロさんは、無事で、いる?」
その一言、だけだった。
言葉を切れば、重たい沈黙が流れる。
操縦棺の中は静かで――それこそ、普段からレイルを苛んでいる「声」だって聞こえないのだから、本当に静かで、息が詰まりそうになる。どうすれば届くだろう。どうすれば。焦燥にも似た感覚に囚われたその時。
「……人の心配なんかしてる場合か?」
声が。聞こえた。
それは確かにネグロの声で、レイルは思わず身を乗り出す。そして、声は、レイルが返事をするよりも先にこう続けるのだ。
「俺に拘るのは何だ? 俺の心配だとか、守りたいだとか……そういう相手は、他にもっといるだろ」
レイルは、喉まで出かかっていた言葉を飲み込む。
拘る。なるほど、ネグロからはそう見えていたのか、と、自分自身を振り返ってみる。自分にとって、ネグロを心配して、守りたいと望むのは当たり前のことだった、けれど。ネグロの側に立ってみれば、不思議に思われても仕方ないかもしれない、と思い直す。
レイルだって、「自分のこと」について、何も語っていなかったのだから。
だから、レイルは言葉をひとつずつ拾い上げる。
「単純、かもしれないけど。でも、ネグロさんは、僕を見つけてくれたから」
ただでさえがらんとした、頭の中の空虚から、かろうじて拾い上げられるものを、ひとつずつ、ひとつずつ。
「僕は何も知らない。覚えてない。気付いたら、戦う力だけが手の中に、あって」
目が覚めたその時から。レイルを駆り立てていたのは「力があるから戦わなければならない」という思い、ただひとつだったのだと、思い返す。
だが、それは――。
「本当は、心細くて仕方ない」
レイル自身の「思い」とは、また別なのだ。
「だって、何もわからないんだ。わからないまま、ただ、ただ、目の前のものを守るために、がむしゃらに戦うことしかできずにいる」
わからないと思いながらも、これ以上失うのは怖いから。そして、自分には何かを守る力があるから、戦っている。闇雲に。本当に守りたいものが何なのかも、わからないまま。
わからないままでは、あるけれど。
「……でも、ネグロさんは、僕に言葉をかけてくれる。僕を、見てくれる。一緒に戦ってくれる。それは、『何もわからない』という、僕の不安を払ってくれる」
そう、レイルにとって、ネグロとはそういう存在だ。
こちらを睨み、時に背を向け、向ける言葉が悪態であっても、ネグロは確かにレイルを僚機として扱っていた。誰かと共に戦うということを通して、レイルは自分の立ち位置を認識する。ネグロが背中合わせに立っているから、レイルは自分を見失わずにいられる。
「だから、僕はネグロさんに報いたいと思っている。それは、おかしいこと、だろうか」
「……買い被りすぎだ。俺はお前から……いや、何もかもから目を背けてきた。戦闘は、生きる為に効率がよけりゃ、なんでもよかった。それだけだ」
通信機越しのネグロの声は、酷く掠れていた。
ネグロの思いを、レイルは知らない。彼を突き動かしているのが、何もかもを燃やし尽くさんばかりの怒りであったということくらい。ただ、今、聞こえてくる声の響きは、いつになく脆さを孕んでいるように聞こえた。
今はまだ、その理由はわからない。わからないまま、それでも、思いを伝える。
「それだけ、でも、いい。それだけでも、僕は、ネグロさんに、救われている」
ネグロは黙った。微かに空気を揺らす、ノイズ。
けれど、それはあくまで一瞬のことで、一拍の後にネグロが唸るような声で言う。
「……死ぬつもりはない、ってのは、変わらないのか。相手が、どんな相手でも」
その問いに対しては、すぐに答えることができた。
「死んでしまったら、何も守れないから。……死ぬつもりは、ない」
レイルの戦い方は率先して己を危険に晒すことで人を守るというもの。命知らずのように見えるかもしれないが、レイルは「死ぬつもりはない」のだ。己の命にどれだけの価値があるかなど知ったことではないが、その命ひとつで守れるものが増えるなら、それを失うわけには、いかないと思いながら戦場に立っている。
そして、それは、誰が相手でも変わらない。
変わらない、のだ。
通信機の向こうで、ネグロは深く息をついた。そして、先ほどよりも幾分かはっきりとした声で、語りだす。
「巨大未識別の話は、聞いてるな」
レイルは「ああ」と頷く。グレイヴネットを通じて伝わってくる、戦いの気配。放置すれば何もかもを蹂躙するであろう、新たな脅威。
「本当なら、一人でやるつもりだった……あのデカブツを放ってはおけねえ」
無茶だ、と言いかけて、口を噤む。仮に自分が一人でいて、巨大未識別が迫っていると聞かされたとしたら。きっと、迷うことなく『スリーピング・レイル』を駆っていただろうから。
そして、一人で無茶なものが、果たして二人になったところでどれだけ変わるというのか。それは、レイルよりネグロの方がよっぽど承知しているはずだ。
「ただでは済まない可能性がある。それでも……」
それでも。
「勝手な事を言ってるのはわかってる。手を貸してくれ」
ネグロは、真っ直ぐに、言葉を投げかけてくるのだ。
ならば、レイルの答えは一つだ。
「もちろん」
今ここで、ネグロに報いなくてどうするというのか。
「僕は死なない。ネグロさんも死なせない。そのつもりで戦うと、約束する」
レイルの返答に、ネグロはすぐには言葉を返してこなかった。ただ、数拍の間をおいて。レイルに向けてというよりかは、己自身に語り掛けるような響きで。
「俺も、本当は……守りたかった……んだろうな」
そう、呟いたのだった。
【Scene:0007 対話】
* * *
スリーピング・レイルは、グレムリン『スリーピング・レイル』の座席に膝を抱えて座っていた。
シミュレーターを用いた訓練を一通りこなして、それが昨日より少しだけよい成績を収めていることを確かめて。そして、ぼんやりと、グレイヴネットから流れてくる情報に目と耳を傾けていた。
もっぱら話題に上がっているのは、巨大未識別と呼ばれる存在のこと。レイルはそれが一体どのようなものであるのか、想像できないままでいた。想像はできないけれど、グレイヴネットを飛び交う話を聞く限り、脅威であることは間違いないはずだ。ひたひたと迫る戦いの気配に、レイルは胸の内がざわつくのを感じていた。
そうでなくとも、未識別機動体というものについて考えると、いてもたってもいられない気分になる。暴走中の空データ。喪われたはずのものが今もなお、世界に再生され続けているということ。それが、レイルにはどうにも、居心地が悪くて仕方なかったのだった。
操縦棺の中にいる時だけは「声」が聞こえないから、目を閉じて、流れてくる情報からも己を切り離して思索の海に沈んでいく。失われてしまった記憶は、今もなお満たされることの欠落のままそこにある。
けれど、少しずつ。……ほんの少しずつ、ではあるけれど。欠け落ちたその場所に、何かが積み上がろうとしている。それは、「目を覚ました」時――己をスリーピング・レイルと定義した時から今に至るまでに積み重ねてきた記憶だ。
まだ、たやすく数えられてしまう程度のそれらを、ひとつずつ、ひとつずつ、頭の中で確かめながら、レイルは、目を開けると指を通信装置に伸ばし、チャンネルを、僚機に向けたそれに合わせる。
僚機のネグロが幽霊船に帰ってこなかった日から、それなりの時間が過ぎていた。僚機宛の通信はことごとく遮断され、行方を知ることもできない。幽霊船の艦長代理であるルインはさほど気にした風ではなくて、同じ幽霊船のテイマーであるツィールも、ことさら心配はしていないようだった。
当然だ。ネグロにはネグロの意志がある。偶然「僚機」となった程度の存在である自分が思い悩むようなことはない。仮にネグロが幽霊船を去るという選択をしたところで、自分に止める権利などありはしないのだ。
頭では理解している。理解しながらも、レイルは通信回線を開く。
耳障りなノイズの後には、通信が遮断されていることを示す無機質な合成音声が聞こえてくる――と、思われた。今までがそうであったように。
だが、今日は違った。ノイズが晴れて、モニターに浮かび上がる文字列が、ネグロの乗機『カズアーリオス』への通信の成功を示したのだ。
「ネグロさん」
レイルの声に、返事はなかった。だが、通信が切れることもない。故に、ネグロが聞いていると信じて、言葉を続ける。
「今、どこにいる? ネグロさんなら、ひとりでも、大丈夫かもしれないけど。それでも」
それでも。
レイルの脳裏によぎるのは、今までネグロがレイルに見せてきた横顔だ。レイルのことをあからさまに邪険にしながらも、僚機でいることはやめなかった、共に戦場に立っていたその人のありさまを、ひとつ、ひとつ、思い返しながら。
「僕は、心配している」
率直な思いを、伝える。
本当は、もっと色々と言いたいことがあるはずだった。ミアもネグロのことを心配していることを伝えたかったし、幽霊船を離れた理由を詳しく問いただしたいとも思った。けれど、まず、聞いておきたかったのは。
「ネグロさんは、無事で、いる?」
その一言、だけだった。
言葉を切れば、重たい沈黙が流れる。
操縦棺の中は静かで――それこそ、普段からレイルを苛んでいる「声」だって聞こえないのだから、本当に静かで、息が詰まりそうになる。どうすれば届くだろう。どうすれば。焦燥にも似た感覚に囚われたその時。
「……人の心配なんかしてる場合か?」
声が。聞こえた。
それは確かにネグロの声で、レイルは思わず身を乗り出す。そして、声は、レイルが返事をするよりも先にこう続けるのだ。
「俺に拘るのは何だ? 俺の心配だとか、守りたいだとか……そういう相手は、他にもっといるだろ」
レイルは、喉まで出かかっていた言葉を飲み込む。
拘る。なるほど、ネグロからはそう見えていたのか、と、自分自身を振り返ってみる。自分にとって、ネグロを心配して、守りたいと望むのは当たり前のことだった、けれど。ネグロの側に立ってみれば、不思議に思われても仕方ないかもしれない、と思い直す。
レイルだって、「自分のこと」について、何も語っていなかったのだから。
だから、レイルは言葉をひとつずつ拾い上げる。
「単純、かもしれないけど。でも、ネグロさんは、僕を見つけてくれたから」
ただでさえがらんとした、頭の中の空虚から、かろうじて拾い上げられるものを、ひとつずつ、ひとつずつ。
「僕は何も知らない。覚えてない。気付いたら、戦う力だけが手の中に、あって」
目が覚めたその時から。レイルを駆り立てていたのは「力があるから戦わなければならない」という思い、ただひとつだったのだと、思い返す。
だが、それは――。
「本当は、心細くて仕方ない」
レイル自身の「思い」とは、また別なのだ。
「だって、何もわからないんだ。わからないまま、ただ、ただ、目の前のものを守るために、がむしゃらに戦うことしかできずにいる」
わからないと思いながらも、これ以上失うのは怖いから。そして、自分には何かを守る力があるから、戦っている。闇雲に。本当に守りたいものが何なのかも、わからないまま。
わからないままでは、あるけれど。
「……でも、ネグロさんは、僕に言葉をかけてくれる。僕を、見てくれる。一緒に戦ってくれる。それは、『何もわからない』という、僕の不安を払ってくれる」
そう、レイルにとって、ネグロとはそういう存在だ。
こちらを睨み、時に背を向け、向ける言葉が悪態であっても、ネグロは確かにレイルを僚機として扱っていた。誰かと共に戦うということを通して、レイルは自分の立ち位置を認識する。ネグロが背中合わせに立っているから、レイルは自分を見失わずにいられる。
「だから、僕はネグロさんに報いたいと思っている。それは、おかしいこと、だろうか」
「……買い被りすぎだ。俺はお前から……いや、何もかもから目を背けてきた。戦闘は、生きる為に効率がよけりゃ、なんでもよかった。それだけだ」
通信機越しのネグロの声は、酷く掠れていた。
ネグロの思いを、レイルは知らない。彼を突き動かしているのが、何もかもを燃やし尽くさんばかりの怒りであったということくらい。ただ、今、聞こえてくる声の響きは、いつになく脆さを孕んでいるように聞こえた。
今はまだ、その理由はわからない。わからないまま、それでも、思いを伝える。
「それだけ、でも、いい。それだけでも、僕は、ネグロさんに、救われている」
ネグロは黙った。微かに空気を揺らす、ノイズ。
けれど、それはあくまで一瞬のことで、一拍の後にネグロが唸るような声で言う。
「……死ぬつもりはない、ってのは、変わらないのか。相手が、どんな相手でも」
その問いに対しては、すぐに答えることができた。
「死んでしまったら、何も守れないから。……死ぬつもりは、ない」
レイルの戦い方は率先して己を危険に晒すことで人を守るというもの。命知らずのように見えるかもしれないが、レイルは「死ぬつもりはない」のだ。己の命にどれだけの価値があるかなど知ったことではないが、その命ひとつで守れるものが増えるなら、それを失うわけには、いかないと思いながら戦場に立っている。
そして、それは、誰が相手でも変わらない。
変わらない、のだ。
通信機の向こうで、ネグロは深く息をついた。そして、先ほどよりも幾分かはっきりとした声で、語りだす。
「巨大未識別の話は、聞いてるな」
レイルは「ああ」と頷く。グレイヴネットを通じて伝わってくる、戦いの気配。放置すれば何もかもを蹂躙するであろう、新たな脅威。
「本当なら、一人でやるつもりだった……あのデカブツを放ってはおけねえ」
無茶だ、と言いかけて、口を噤む。仮に自分が一人でいて、巨大未識別が迫っていると聞かされたとしたら。きっと、迷うことなく『スリーピング・レイル』を駆っていただろうから。
そして、一人で無茶なものが、果たして二人になったところでどれだけ変わるというのか。それは、レイルよりネグロの方がよっぽど承知しているはずだ。
「ただでは済まない可能性がある。それでも……」
それでも。
「勝手な事を言ってるのはわかってる。手を貸してくれ」
ネグロは、真っ直ぐに、言葉を投げかけてくるのだ。
ならば、レイルの答えは一つだ。
「もちろん」
今ここで、ネグロに報いなくてどうするというのか。
「僕は死なない。ネグロさんも死なせない。そのつもりで戦うと、約束する」
レイルの返答に、ネグロはすぐには言葉を返してこなかった。ただ、数拍の間をおいて。レイルに向けてというよりかは、己自身に語り掛けるような響きで。
「俺も、本当は……守りたかった……んだろうな」
そう、呟いたのだった。
【Scene:0007 対話】
◆6回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
――レイルが、起きてこない。
それは珍しいことだった。基本的にスリーピング・レイルは、ミアよりも大体先に起きていて、隣の部屋で筋力トレーニングに励んでいる。肉体の強度はグレムリンの操縦にはほとんど関係しないはずだが、それを指摘するとレイルは恥ずかしそうに答えたものだった。
『鍛えてないと、落ち着かなくて』
何故そこで恥じらったのか、ミアにはさっぱりわからない。
ともあれ、今日だっていつもの通りだと思っていたのだ。
しかし、隣の部屋の扉をノックしても、レイルからの返事はなく。ノブを捻ってみればあっけなく扉が開き……、レイルの姿はどこにも見当たらなかった。
「……レイル?」
ミアの胸の中に、にわかに不安が広がる。
レイルが何も言わずにいなくなる、などということはありえない。その程度にはスリーピング・レイルという男のことを信用している。
ただ、その一方で、レイルと過ごす日が増えるにつれ、どこか不安に思うことも増えていたのだ。
レイル本人は気づいていないのかもしれないが、グレムリンに乗っていないときのレイルは、極めてぼんやりしていて、時折人の話をまともに聞いていないことがある。立ったまま意識を飛ばしていることすらある。その兆候は、日が経過するにつれ加速しているように思えていたのだった。
だから、朦朧とした意識のまま、幽霊船の奥底に迷い込んでしまいでもしたのではないかと。そんな可能性すら、脳裏によぎる。この船は、不思議なことにいつも同じ形をしているとは限らない。一応、艦長代理のルインがある程度構造は把握しているようだが、それでも「全て」ではないというから、そのような場所に迷い込んだら探し出せるかもわからないのだ。
――探さなきゃ。
ミアは慌ててレイルの部屋を飛び出す。しかし、探すにしてもどこを探せばいいのか、さっぱり見当がつかないため、まずは「レイルが行きそうな場所」に足を運んでみることにする。
具体的には、グレムリン『スリーピング・レイル』が待つ、格納庫だ。
* * *
格納庫に足を踏み入れると、すぐに違和感に気づく。
いつもならば奥の方で羽を休めているはずの『スリーピング・レイル』が、手前に動かされている。レイルが一人で整備しているのか、と思ったが、そういうわけではなさそうで、周囲に人の気配はない。
ミアは『スリーピング・レイル』の前まで歩み寄ると、声をかける。
「おはよう、『スリーピング・レイル』」
ミアの声に反応して、『スリーピング・レイル』に取り付けられたライトが淡く点滅する。どうも、『スリーピング・レイル』は直接の操作だけでなく、音声での入力にも対応しているらしい。そして、何故か、乗り手のレイルだけでなく、ミアの声にも反応する。整備の時に楽でいい、と思っているが、どうしてそのような仕様になっているのかはミアにもわからないままである。
ともあれ、『スリーピング・レイル』が反応を示したということは、特に機体には異常がないようでほっとする。そのまま、ミアは自然と質問を投げかけていた。
「レイルがどこにいるか、わかる?」
言ってしまってから、少し笑ってしまう。相手はグレムリンだ、あくまで命令に従うだけで、こちらの質問に答えるなどという機能は搭載されてはいないだろう。ましてや、乗り手であるレイルがどこにいるのか、なんて――。
しかし、『スリーピング・レイル』はミアの声に応えるように、わずかに軋むような音を立てて動き出す。驚きに目を見開くミアの前にひざまずくような姿勢になり、ミアの目の前まで操縦棺が下りてくる。
やがて、空気の抜けるような音と共に、操縦棺が開かれる。
「レイル……」
一般的なグレムリンよりも少し広めに設計された操縦棺。その座席の上に、レイルがいた。倒した座席に横たわり、膝を抱えて。どうやら、眠っている、ようだった。
ミアは操縦棺に乗り込むと、レイルの顔を覗き込む。ミアの接近にも気づかないほどの、深い眠り。そういえば、今までも短い時間意識を失っていることはあったが、「眠っている」レイルを見るのはこれが初めてであると、気づく。
ミアは、小声でレイルの名を呼びながら、レイルの首元に手を伸ばす。フィルタースーツを着ている時以外は常に首に巻いているマフラーが、緩んでいるのがわかったからだ。
マフラーの下には、傷跡がある。べったりと肌の上に張り付いた痕跡は、紐状の何かが強く喉に食い込んだことを示すもの。
初めてミアがその傷を目にしたとき、レイルは「いつ、ついたものかはわからない」、と言っていた。少なくとも、記憶を失うよりは前についた傷であるらしい。ただ、傷の形から考えても、よい記憶と結びついているとは到底思えなくて、レイルもミアもそれ以上の言及をやめて、マフラーの下に隠すことで話題にすることを避けていた。そんな傷跡だ。
マフラーを被せて、傷跡が見えなくなる。それで、少しだけほっとする。その時、触れられたことに気づいたのか、レイルがわずかに身じろぎして、うっすらと目を開けた。虚ろな茶色の目が、しばしミアの顔の辺りを眺めて。
「あ……、おはよう、ミアさん」
低い声が、レイルの薄い唇から漏れる。その、いたって呑気な調子にミアは「おはよう、ねぼすけさん」と深々溜息をつく。朝から心配して損をした気分だった。
レイルはゆるゆると上体を起こし、首元に巻いたマフラーを整える。
「寝過ごしてしまった、かな」
「別に、遅いってわけじゃないけど。でも、部屋にいなくて心配したんだからね」
ぷく、と頬を膨らませるミアに対し、レイルは「ごめんなさい」と肩を縮めてみせる。
「どうして、こんなところで寝てたの?」
言いながら、ミアは改めて操縦棺を見渡す。いくら他のグレムリンより余裕のある作りとはいえ、酷く狭く、息苦しさを感じさせる空間。戦闘に赴くならともかく、なんでもないときにいるような場所ではない……、と、ミアは思わずにはいられない。
だが、レイルはぼさぼさの白髪に指を通しながら、ぽつぽつと言うのだ。
「ここなら、静かだから」
「……静か?」
「今まで、眠れなかったんだ、ずっと」
起きている間、どこか朦朧としている様子だったのは、満足に眠れていなかったからなのか。ミアは納得すると同時に、もう一度頬を膨らませずにはいられない。
「なんで言ってくれなかったの」
「言ったら、ミアさんは心配するかなって……」
「言わなかったらもっと不安になるの! 最近ずっとふらふらしてて、どうしたんだろうって思ってたんだから!」
「そっか。そうだな。ごめんなさい」
レイルが心底申し訳なさそうな面持ちで頭を下げるものだから、ミアは背中がくすぐったくなるような気持ちになる。これではどっちが大人なのかさっぱりわからない。
「だけど、もう、大丈夫。ここなら眠れるって、わかったから。ミアさんにも、これ以上心配かけずに済む」
ぽんぽんと、レイルの無骨な手が座席を叩く。薄闇の中、計器がうっすらと淡い光を放つ、操縦棺。ミアは、露骨に苦い顔になりながらレイルを見やる。
「ずっと、操縦棺で寝るつもり?」
「……? うん、そうだけど」
どうしてそんなことを聞くのだろう、とばかりのレイルの態度に、頭が痛くなる。
「きちんとベッドで寝た方がいいと思うんだけど」
「そうかもしれないけど、ここじゃないと、声が、うるさくて」
「……声?」
先ほども「静か」と言っていた。それは、幽霊船の揺られる音が部屋まで響いている……、という程度の話かと思っていただけに、「声」という単語には眉根を寄せずにはいられない。
「声って、何?」
「ミアさんは、笑わない?」
「言わないとわかんないよ」
それもそうか、とレイルはわずかに口の端を歪めて、それから言った。
「目を閉じると、声が聞こえるんだ。色んな、声。男の人の声もするし、女の人の声もする。誰も彼もが好き勝手に喋っていて、僕はそれを聞いていることしかできない。ほとんどはよく聞こえなくて、ただ『声がする』って思うんだけど、時々はっきりと聞こえることも、あって」
「レイル……?」
「グレムリンの話、とか。この海域で誰それが死んだ、とか。負傷者を数え上げる声、とか。あと、そう、悲鳴が聞こえて、痛くて苦しくて助けてって、死にたくないって、でも僕は誰も助けられなくて」
「レイル!」
ミアはレイルの肩を掴んで強く揺さぶる。それでレイルは我に返ったかのように、ぱちりと髪に隠れていない側の目を瞬かせる。それから、強張っていた表情を緩めて、言った。
「……そんな声が、聞こえるんだ」
「うん、わかった。わかったよ」
わかった? そんなのは嘘だ。ミアは唇を噛む。辛そうなレイルを見ていられなかっただけだ。ただ、常日頃からレイルがミアには理解できない何らかの現象に悩まされていることだけは、伝わった。
「その声が、操縦棺にいるときだけは、静かになる、から」
ゆっくりと眠れるのだ、と。レイルはうっすらと目を細めてみせる。
「だから、心配しないで、ミアさん」
「それは」
――どう考えても、無理だなあ……。
言葉にならないミアの戸惑いを正しく受け止めたのだろう、レイルも困ったように首を傾げたのであった。
【Scene:0006 目を閉じれば、声】
* * *
――レイルが、起きてこない。
それは珍しいことだった。基本的にスリーピング・レイルは、ミアよりも大体先に起きていて、隣の部屋で筋力トレーニングに励んでいる。肉体の強度はグレムリンの操縦にはほとんど関係しないはずだが、それを指摘するとレイルは恥ずかしそうに答えたものだった。
『鍛えてないと、落ち着かなくて』
何故そこで恥じらったのか、ミアにはさっぱりわからない。
ともあれ、今日だっていつもの通りだと思っていたのだ。
しかし、隣の部屋の扉をノックしても、レイルからの返事はなく。ノブを捻ってみればあっけなく扉が開き……、レイルの姿はどこにも見当たらなかった。
「……レイル?」
ミアの胸の中に、にわかに不安が広がる。
レイルが何も言わずにいなくなる、などということはありえない。その程度にはスリーピング・レイルという男のことを信用している。
ただ、その一方で、レイルと過ごす日が増えるにつれ、どこか不安に思うことも増えていたのだ。
レイル本人は気づいていないのかもしれないが、グレムリンに乗っていないときのレイルは、極めてぼんやりしていて、時折人の話をまともに聞いていないことがある。立ったまま意識を飛ばしていることすらある。その兆候は、日が経過するにつれ加速しているように思えていたのだった。
だから、朦朧とした意識のまま、幽霊船の奥底に迷い込んでしまいでもしたのではないかと。そんな可能性すら、脳裏によぎる。この船は、不思議なことにいつも同じ形をしているとは限らない。一応、艦長代理のルインがある程度構造は把握しているようだが、それでも「全て」ではないというから、そのような場所に迷い込んだら探し出せるかもわからないのだ。
――探さなきゃ。
ミアは慌ててレイルの部屋を飛び出す。しかし、探すにしてもどこを探せばいいのか、さっぱり見当がつかないため、まずは「レイルが行きそうな場所」に足を運んでみることにする。
具体的には、グレムリン『スリーピング・レイル』が待つ、格納庫だ。
* * *
格納庫に足を踏み入れると、すぐに違和感に気づく。
いつもならば奥の方で羽を休めているはずの『スリーピング・レイル』が、手前に動かされている。レイルが一人で整備しているのか、と思ったが、そういうわけではなさそうで、周囲に人の気配はない。
ミアは『スリーピング・レイル』の前まで歩み寄ると、声をかける。
「おはよう、『スリーピング・レイル』」
ミアの声に反応して、『スリーピング・レイル』に取り付けられたライトが淡く点滅する。どうも、『スリーピング・レイル』は直接の操作だけでなく、音声での入力にも対応しているらしい。そして、何故か、乗り手のレイルだけでなく、ミアの声にも反応する。整備の時に楽でいい、と思っているが、どうしてそのような仕様になっているのかはミアにもわからないままである。
ともあれ、『スリーピング・レイル』が反応を示したということは、特に機体には異常がないようでほっとする。そのまま、ミアは自然と質問を投げかけていた。
「レイルがどこにいるか、わかる?」
言ってしまってから、少し笑ってしまう。相手はグレムリンだ、あくまで命令に従うだけで、こちらの質問に答えるなどという機能は搭載されてはいないだろう。ましてや、乗り手であるレイルがどこにいるのか、なんて――。
しかし、『スリーピング・レイル』はミアの声に応えるように、わずかに軋むような音を立てて動き出す。驚きに目を見開くミアの前にひざまずくような姿勢になり、ミアの目の前まで操縦棺が下りてくる。
やがて、空気の抜けるような音と共に、操縦棺が開かれる。
「レイル……」
一般的なグレムリンよりも少し広めに設計された操縦棺。その座席の上に、レイルがいた。倒した座席に横たわり、膝を抱えて。どうやら、眠っている、ようだった。
ミアは操縦棺に乗り込むと、レイルの顔を覗き込む。ミアの接近にも気づかないほどの、深い眠り。そういえば、今までも短い時間意識を失っていることはあったが、「眠っている」レイルを見るのはこれが初めてであると、気づく。
ミアは、小声でレイルの名を呼びながら、レイルの首元に手を伸ばす。フィルタースーツを着ている時以外は常に首に巻いているマフラーが、緩んでいるのがわかったからだ。
マフラーの下には、傷跡がある。べったりと肌の上に張り付いた痕跡は、紐状の何かが強く喉に食い込んだことを示すもの。
初めてミアがその傷を目にしたとき、レイルは「いつ、ついたものかはわからない」、と言っていた。少なくとも、記憶を失うよりは前についた傷であるらしい。ただ、傷の形から考えても、よい記憶と結びついているとは到底思えなくて、レイルもミアもそれ以上の言及をやめて、マフラーの下に隠すことで話題にすることを避けていた。そんな傷跡だ。
マフラーを被せて、傷跡が見えなくなる。それで、少しだけほっとする。その時、触れられたことに気づいたのか、レイルがわずかに身じろぎして、うっすらと目を開けた。虚ろな茶色の目が、しばしミアの顔の辺りを眺めて。
「あ……、おはよう、ミアさん」
低い声が、レイルの薄い唇から漏れる。その、いたって呑気な調子にミアは「おはよう、ねぼすけさん」と深々溜息をつく。朝から心配して損をした気分だった。
レイルはゆるゆると上体を起こし、首元に巻いたマフラーを整える。
「寝過ごしてしまった、かな」
「別に、遅いってわけじゃないけど。でも、部屋にいなくて心配したんだからね」
ぷく、と頬を膨らませるミアに対し、レイルは「ごめんなさい」と肩を縮めてみせる。
「どうして、こんなところで寝てたの?」
言いながら、ミアは改めて操縦棺を見渡す。いくら他のグレムリンより余裕のある作りとはいえ、酷く狭く、息苦しさを感じさせる空間。戦闘に赴くならともかく、なんでもないときにいるような場所ではない……、と、ミアは思わずにはいられない。
だが、レイルはぼさぼさの白髪に指を通しながら、ぽつぽつと言うのだ。
「ここなら、静かだから」
「……静か?」
「今まで、眠れなかったんだ、ずっと」
起きている間、どこか朦朧としている様子だったのは、満足に眠れていなかったからなのか。ミアは納得すると同時に、もう一度頬を膨らませずにはいられない。
「なんで言ってくれなかったの」
「言ったら、ミアさんは心配するかなって……」
「言わなかったらもっと不安になるの! 最近ずっとふらふらしてて、どうしたんだろうって思ってたんだから!」
「そっか。そうだな。ごめんなさい」
レイルが心底申し訳なさそうな面持ちで頭を下げるものだから、ミアは背中がくすぐったくなるような気持ちになる。これではどっちが大人なのかさっぱりわからない。
「だけど、もう、大丈夫。ここなら眠れるって、わかったから。ミアさんにも、これ以上心配かけずに済む」
ぽんぽんと、レイルの無骨な手が座席を叩く。薄闇の中、計器がうっすらと淡い光を放つ、操縦棺。ミアは、露骨に苦い顔になりながらレイルを見やる。
「ずっと、操縦棺で寝るつもり?」
「……? うん、そうだけど」
どうしてそんなことを聞くのだろう、とばかりのレイルの態度に、頭が痛くなる。
「きちんとベッドで寝た方がいいと思うんだけど」
「そうかもしれないけど、ここじゃないと、声が、うるさくて」
「……声?」
先ほども「静か」と言っていた。それは、幽霊船の揺られる音が部屋まで響いている……、という程度の話かと思っていただけに、「声」という単語には眉根を寄せずにはいられない。
「声って、何?」
「ミアさんは、笑わない?」
「言わないとわかんないよ」
それもそうか、とレイルはわずかに口の端を歪めて、それから言った。
「目を閉じると、声が聞こえるんだ。色んな、声。男の人の声もするし、女の人の声もする。誰も彼もが好き勝手に喋っていて、僕はそれを聞いていることしかできない。ほとんどはよく聞こえなくて、ただ『声がする』って思うんだけど、時々はっきりと聞こえることも、あって」
「レイル……?」
「グレムリンの話、とか。この海域で誰それが死んだ、とか。負傷者を数え上げる声、とか。あと、そう、悲鳴が聞こえて、痛くて苦しくて助けてって、死にたくないって、でも僕は誰も助けられなくて」
「レイル!」
ミアはレイルの肩を掴んで強く揺さぶる。それでレイルは我に返ったかのように、ぱちりと髪に隠れていない側の目を瞬かせる。それから、強張っていた表情を緩めて、言った。
「……そんな声が、聞こえるんだ」
「うん、わかった。わかったよ」
わかった? そんなのは嘘だ。ミアは唇を噛む。辛そうなレイルを見ていられなかっただけだ。ただ、常日頃からレイルがミアには理解できない何らかの現象に悩まされていることだけは、伝わった。
「その声が、操縦棺にいるときだけは、静かになる、から」
ゆっくりと眠れるのだ、と。レイルはうっすらと目を細めてみせる。
「だから、心配しないで、ミアさん」
「それは」
――どう考えても、無理だなあ……。
言葉にならないミアの戸惑いを正しく受け止めたのだろう、レイルも困ったように首を傾げたのであった。
【Scene:0006 目を閉じれば、声】
◆5回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
――眠れない。
スリーピング・レイルは、その名に反して眠れぬ夜を過ごしていた。
廃工場で「目覚めた」とき。それがレイルの最初の記憶になるが、それ以来まともに眠れた日はなかった。体が限界を訴えて「落ちる」ことはあるけれど、まとまった睡眠を取るということができずにいた。
とはいえ、そんなことをミアやルインたちにわざわざ伝える気にもなれなくて、レイルは今日も寝台の上でぼんやりと暗い天井を眺めていた。瞼を閉じてみても、ざわざわとした心地がして上手く眠れない。頭の中に、いくつもの声が浮かんでは沈み、レイルが眠るのを許してくれないのだ。
だから、こうして夜をやり過ごすことしかできずにいた、のだが。
レイルは寝台の上に体を起こすと、懐中電灯を持って部屋を出た。どうせ眠れないのだから、今夜は適当に歩いてみようと思ったのだ。そうしたところで眠れるわけではなかったけれど。それでも、少しは気分が変わるのではないか、と思ったのだった。
他の乗員の眠りを妨げないように、足音を殺して歩いていく。幽霊船の夜は、船のあちこちに張り巡らされた管を通る空気やら何やらの音で、意外とにぎやかだ。これも、夜、船の中を歩いてみなければわからないことではあった。
日々眠れぬ夜を過ごしているからだろう、足取りは重く、片目だけの視界もどこか曖昧だ。こんな毎日を続けていたら、早晩どこかが壊れてしまうだろうな、とレイルは内心苦笑する。人間の体に「壊れる」という言葉はふさわしくないかもしれないが、何となく、自分にはその言葉がしっくり来る、ような気がした。
今宵、レイルの足は、自然とグレムリンの格納庫に向かっていた。
いっそ、グレムリンで夜の海を駆けたら気分が晴れるだろうか?
実際にそんなことを考えたわけでもないはずなのだが、引き寄せられるように、レイルは船を深く深く下りていく。
やがて、グレムリンたちが眠る場所にたどり着こう、としていたその時、行く手に明かりがついていることに気づく。
――誰か、いるのか?
疑問符を浮かべながら、ちいさな明かりに照らされた通路を歩いていき、格納庫の扉をそっと開ける。
すると、ライトに照らされた二足歩行のグレムリンの姿がまず目に飛び込んできた。引き出されているのは僚機である『カズアーリオス』だ、と判断するのと同時に、その足元に立っていた人物と目が合った。
「ネグロ、さん」
こんばんは、と挨拶するも、ネグロは一瞬こちらを睨めつけた後に露骨に視線を逸らす。相手をする気がない、という意思表示だ。
そもそも、僚機という関係性を結んではいるが、本当にそれは戦場に在るときだけの関係性で。今の今に至るまで、レイルはネグロと打ち解けることができないままでいる。それどころか、日々溝を深めているようなありさまだ。
『何のつもりだ。訳知り顔で言いやがって。お前が俺の何を知ってるってんだ』
『テメェの死ぬ理由に他人を使うのは勝手だが俺を巻き込むじゃねえよ。俺は死ぬつもりはない。たとえこの世が地獄だとしてもな』
『逃げねえっていうならせいぜい働くんだな。どうせ、戦場以外じゃ何も出来ねえんだからよ』
なるほど、言われていることはもっともなのかもしれない。レイルは妙に納得してしまったものだった。納得はしたが、それで自分の行動や思考を改められるかというと、また別の話だ。
戦いを嗜好しているわけではないのだが、その一方で自分に「戦わない」という選択肢があるとは思えないでいる。目の前に危機に瀕しているものや場所があって、戦う力があるならばそれらを守るために戦うべきだ――そう、レイルは考えずにはいられないのだった。
ミアからも「ただでさえ危険な戦い方をしてるんだから、無茶しないでよ」と散々言われているが、必要とあらば無茶をするだろうな、と他人事のように思っている。これではネグロから「死ぬ理由に他人を使う」と言われても反論できるはずもない。
そんな詮無きことを考えながら、レイルは『カズアーリオス』に歩み寄る。どうやら、『カズアーリオス』は整備中であったらしく、ところどころに足場がかけられ、パーツのいくつかが取り外されている。
ネグロには整備の心得があるようで、ここ最近はミアがことあるごとにネグロについて回る姿が見られるようになった。ミアにとって、ネグロの側で整備の様子を見ていることは、よい刺激なのだそうだ。
レイルには、グレムリンの仕組みはよくわかっていない。やっと最低限のアセンブルはこなせるようになったが、細かな調整はミアに任せきりだ。だからネグロの腕をレイルが推し量ることはできない、けれど。
「こんな時間まで、整備をしていたんだ」
これが、ネグロにとっての大事な「手続き」なのだろう、とは思う。
ネグロはこちらを見もしなければ整備の手を止めもしなかった。が、レイルが次の言葉を放つよりも先に、不意にレイルの意識の中に声が入り込んできた。
「……何だ、鬱陶しい」
それがネグロの声だと気付いたのは、一拍遅れてからだった。レイルは「ごめんなさい」と反射的に謝ってしまってから、ネグロの背を改めて見やる。
そういえば、声をかけても罵倒されないのは初めてだと気付く。だから、いつも言おうとして言えていなかったことを、言っておくことにした。
「いつも、ミアさんに、色々教えてくれてありがとう。僕も、とても、助かってる。それと」
それと。……常々、どこか噛み合わない言葉を交わしながら、ずっと思っていたこと。
「質問が、あるんだ」
ネグロはレイルには背を向けたまま作業を続けている。果たしてこの言葉も聞こえているかもわからない、が、レイルはそのまま言葉を続ける。
「ネグロさんは、本当は、テイマーじゃなくて、整備士だって、ミアさんから、聞いた」
すると、微かに、舌打ちの音が聞こえた。果たしてそれが、どのような感情から放たれたものなのか、レイルにはわからない。わからない、けれど。
「その時から、ずっと、気にかかっていたんだ。……ネグロさんは、どうして、グレムリンに乗って、戦いに身を投じているんだ?」
ネグロは答えない。だが、作業の手は既に止まっていた。
「ネグロさんは『お前が俺の何を知ってる』って言った。確かに、僕は何も知らない、けど。……ネグロさんが、戦いを好んでいるようには、どうしても、見えない」
――だって、いつだって、辛そうだ。
レイルは内心でそう付け加える。戦闘に赴く時、そして戦闘中に通信から漏れ聞こえるネグロの声に耳を傾ければ、それが、尋常な感情から出ているものではないことくらいは、レイルだって気付いている。
「だから、僕は、ネグロさんが戦う理由を、知りたい」
そこまでを語り終えたところで、ゆっくりと、ネグロがこちらを振り向いた。睨むように目を細め、眉を寄せてみせる。それでも、ネグロが真っ直ぐにこちらを見た、というそれだけでも、レイルにとっては十分であった。
「……知らないから知ろうって言うのか、殊勝な事だな」
ネグロの、低く唸るような声が、静かな格納庫に響く。
「――知りたきゃ教えてやる。生きる為に戦うんだ」
「生きる、為に」
レイルはネグロの言葉を鸚鵡返しにする。生きる為。この虚空領域は、ただ生きているだけでも難しい世界だ。生きるにも力が要るということはレイルにもわかる。必ずしも「戦う力」である必要はないかもしれないが、何らかの力が。
ただ、ネグロにとって、その力は――。
「俺は、俺の身体が動く限り、この世界を破壊しやがった全てを……俺がブチ壊してやるんだ……!」
あまりにも激しく燃え盛る「怒り」だった。
苛烈な感情に歪んだ表情で吐き捨てられた言葉に、レイルは何かに撃たれたような感覚に陥る。体を震わせ、ぎり、と歯を鳴らしたネグロは、再びレイルに背を向ける。
「……終わりだ。これ以上は何もねえ」
それきり、ネグロは口を噤んだ。何も無い、という言葉通りに。
レイルは、しばし、その場に立ち尽くす。整備を再開するのかと思われたネグロは、けれど、動こうとしない。音一つ聞こえない沈黙がそこにあった。
その重苦しい静寂を破ったのは、レイルの方だった。
「それが、ネグロさんにとって『生きる』ということなのか」
生きる為に、必要なこと。
「それだけ、ネグロさんの『世界』は、大切なものだったんだな」
レイルはかつての世界を知らない。それがネグロから見た世界であるなら、尚更。
だからこそ、思うのだ。
「僕はネグロさんと、もっと、一緒に居たい」
それは、言葉を交わしているうちに、レイルの中に生まれた望みだった。
「僕には無いものを、ネグロさんが持っていると思うから。僕には無いものを、守れたらいいと思うから」
――それは、例えば、『生きる』という意志だとか。
それがどのような形でも、今のレイルには得難いものであったから。
「終わりだって言ったのは、聞こえなかったのか?」
背を向いたままのネグロの声は、僅かに震えているように聞こえた。レイルはそこに含まれた感情を読み取ることはできない。ただ、これ以上話をする気はないという意志表示であることは、伝わった。
レイルはネグロの背に向けて、軽く頭を下げる。
「……おやすみ、ネグロさん」
【Scene:0005 眠れぬ夜】
* * *
――眠れない。
スリーピング・レイルは、その名に反して眠れぬ夜を過ごしていた。
廃工場で「目覚めた」とき。それがレイルの最初の記憶になるが、それ以来まともに眠れた日はなかった。体が限界を訴えて「落ちる」ことはあるけれど、まとまった睡眠を取るということができずにいた。
とはいえ、そんなことをミアやルインたちにわざわざ伝える気にもなれなくて、レイルは今日も寝台の上でぼんやりと暗い天井を眺めていた。瞼を閉じてみても、ざわざわとした心地がして上手く眠れない。頭の中に、いくつもの声が浮かんでは沈み、レイルが眠るのを許してくれないのだ。
だから、こうして夜をやり過ごすことしかできずにいた、のだが。
レイルは寝台の上に体を起こすと、懐中電灯を持って部屋を出た。どうせ眠れないのだから、今夜は適当に歩いてみようと思ったのだ。そうしたところで眠れるわけではなかったけれど。それでも、少しは気分が変わるのではないか、と思ったのだった。
他の乗員の眠りを妨げないように、足音を殺して歩いていく。幽霊船の夜は、船のあちこちに張り巡らされた管を通る空気やら何やらの音で、意外とにぎやかだ。これも、夜、船の中を歩いてみなければわからないことではあった。
日々眠れぬ夜を過ごしているからだろう、足取りは重く、片目だけの視界もどこか曖昧だ。こんな毎日を続けていたら、早晩どこかが壊れてしまうだろうな、とレイルは内心苦笑する。人間の体に「壊れる」という言葉はふさわしくないかもしれないが、何となく、自分にはその言葉がしっくり来る、ような気がした。
今宵、レイルの足は、自然とグレムリンの格納庫に向かっていた。
いっそ、グレムリンで夜の海を駆けたら気分が晴れるだろうか?
実際にそんなことを考えたわけでもないはずなのだが、引き寄せられるように、レイルは船を深く深く下りていく。
やがて、グレムリンたちが眠る場所にたどり着こう、としていたその時、行く手に明かりがついていることに気づく。
――誰か、いるのか?
疑問符を浮かべながら、ちいさな明かりに照らされた通路を歩いていき、格納庫の扉をそっと開ける。
すると、ライトに照らされた二足歩行のグレムリンの姿がまず目に飛び込んできた。引き出されているのは僚機である『カズアーリオス』だ、と判断するのと同時に、その足元に立っていた人物と目が合った。
「ネグロ、さん」
こんばんは、と挨拶するも、ネグロは一瞬こちらを睨めつけた後に露骨に視線を逸らす。相手をする気がない、という意思表示だ。
そもそも、僚機という関係性を結んではいるが、本当にそれは戦場に在るときだけの関係性で。今の今に至るまで、レイルはネグロと打ち解けることができないままでいる。それどころか、日々溝を深めているようなありさまだ。
『何のつもりだ。訳知り顔で言いやがって。お前が俺の何を知ってるってんだ』
『テメェの死ぬ理由に他人を使うのは勝手だが俺を巻き込むじゃねえよ。俺は死ぬつもりはない。たとえこの世が地獄だとしてもな』
『逃げねえっていうならせいぜい働くんだな。どうせ、戦場以外じゃ何も出来ねえんだからよ』
なるほど、言われていることはもっともなのかもしれない。レイルは妙に納得してしまったものだった。納得はしたが、それで自分の行動や思考を改められるかというと、また別の話だ。
戦いを嗜好しているわけではないのだが、その一方で自分に「戦わない」という選択肢があるとは思えないでいる。目の前に危機に瀕しているものや場所があって、戦う力があるならばそれらを守るために戦うべきだ――そう、レイルは考えずにはいられないのだった。
ミアからも「ただでさえ危険な戦い方をしてるんだから、無茶しないでよ」と散々言われているが、必要とあらば無茶をするだろうな、と他人事のように思っている。これではネグロから「死ぬ理由に他人を使う」と言われても反論できるはずもない。
そんな詮無きことを考えながら、レイルは『カズアーリオス』に歩み寄る。どうやら、『カズアーリオス』は整備中であったらしく、ところどころに足場がかけられ、パーツのいくつかが取り外されている。
ネグロには整備の心得があるようで、ここ最近はミアがことあるごとにネグロについて回る姿が見られるようになった。ミアにとって、ネグロの側で整備の様子を見ていることは、よい刺激なのだそうだ。
レイルには、グレムリンの仕組みはよくわかっていない。やっと最低限のアセンブルはこなせるようになったが、細かな調整はミアに任せきりだ。だからネグロの腕をレイルが推し量ることはできない、けれど。
「こんな時間まで、整備をしていたんだ」
これが、ネグロにとっての大事な「手続き」なのだろう、とは思う。
ネグロはこちらを見もしなければ整備の手を止めもしなかった。が、レイルが次の言葉を放つよりも先に、不意にレイルの意識の中に声が入り込んできた。
「……何だ、鬱陶しい」
それがネグロの声だと気付いたのは、一拍遅れてからだった。レイルは「ごめんなさい」と反射的に謝ってしまってから、ネグロの背を改めて見やる。
そういえば、声をかけても罵倒されないのは初めてだと気付く。だから、いつも言おうとして言えていなかったことを、言っておくことにした。
「いつも、ミアさんに、色々教えてくれてありがとう。僕も、とても、助かってる。それと」
それと。……常々、どこか噛み合わない言葉を交わしながら、ずっと思っていたこと。
「質問が、あるんだ」
ネグロはレイルには背を向けたまま作業を続けている。果たしてこの言葉も聞こえているかもわからない、が、レイルはそのまま言葉を続ける。
「ネグロさんは、本当は、テイマーじゃなくて、整備士だって、ミアさんから、聞いた」
すると、微かに、舌打ちの音が聞こえた。果たしてそれが、どのような感情から放たれたものなのか、レイルにはわからない。わからない、けれど。
「その時から、ずっと、気にかかっていたんだ。……ネグロさんは、どうして、グレムリンに乗って、戦いに身を投じているんだ?」
ネグロは答えない。だが、作業の手は既に止まっていた。
「ネグロさんは『お前が俺の何を知ってる』って言った。確かに、僕は何も知らない、けど。……ネグロさんが、戦いを好んでいるようには、どうしても、見えない」
――だって、いつだって、辛そうだ。
レイルは内心でそう付け加える。戦闘に赴く時、そして戦闘中に通信から漏れ聞こえるネグロの声に耳を傾ければ、それが、尋常な感情から出ているものではないことくらいは、レイルだって気付いている。
「だから、僕は、ネグロさんが戦う理由を、知りたい」
そこまでを語り終えたところで、ゆっくりと、ネグロがこちらを振り向いた。睨むように目を細め、眉を寄せてみせる。それでも、ネグロが真っ直ぐにこちらを見た、というそれだけでも、レイルにとっては十分であった。
「……知らないから知ろうって言うのか、殊勝な事だな」
ネグロの、低く唸るような声が、静かな格納庫に響く。
「――知りたきゃ教えてやる。生きる為に戦うんだ」
「生きる、為に」
レイルはネグロの言葉を鸚鵡返しにする。生きる為。この虚空領域は、ただ生きているだけでも難しい世界だ。生きるにも力が要るということはレイルにもわかる。必ずしも「戦う力」である必要はないかもしれないが、何らかの力が。
ただ、ネグロにとって、その力は――。
「俺は、俺の身体が動く限り、この世界を破壊しやがった全てを……俺がブチ壊してやるんだ……!」
あまりにも激しく燃え盛る「怒り」だった。
苛烈な感情に歪んだ表情で吐き捨てられた言葉に、レイルは何かに撃たれたような感覚に陥る。体を震わせ、ぎり、と歯を鳴らしたネグロは、再びレイルに背を向ける。
「……終わりだ。これ以上は何もねえ」
それきり、ネグロは口を噤んだ。何も無い、という言葉通りに。
レイルは、しばし、その場に立ち尽くす。整備を再開するのかと思われたネグロは、けれど、動こうとしない。音一つ聞こえない沈黙がそこにあった。
その重苦しい静寂を破ったのは、レイルの方だった。
「それが、ネグロさんにとって『生きる』ということなのか」
生きる為に、必要なこと。
「それだけ、ネグロさんの『世界』は、大切なものだったんだな」
レイルはかつての世界を知らない。それがネグロから見た世界であるなら、尚更。
だからこそ、思うのだ。
「僕はネグロさんと、もっと、一緒に居たい」
それは、言葉を交わしているうちに、レイルの中に生まれた望みだった。
「僕には無いものを、ネグロさんが持っていると思うから。僕には無いものを、守れたらいいと思うから」
――それは、例えば、『生きる』という意志だとか。
それがどのような形でも、今のレイルには得難いものであったから。
「終わりだって言ったのは、聞こえなかったのか?」
背を向いたままのネグロの声は、僅かに震えているように聞こえた。レイルはそこに含まれた感情を読み取ることはできない。ただ、これ以上話をする気はないという意志表示であることは、伝わった。
レイルはネグロの背に向けて、軽く頭を下げる。
「……おやすみ、ネグロさん」
【Scene:0005 眠れぬ夜】
◆4回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
――グレイヴネット。
グレムリンテイマーたちの間に開かれている情報網。それが一体誰によってもたらされているものなのか、スリーピング・レイルは知らない。
ともあれ、グレイヴネットがもたらす情報は、グレムリン『スリーピング・レイル』を通してレイルの意識にも届く。
だから、その言葉を聞いたのも、操縦棺でシミュレーターを動かし、戦闘訓練をしていた時のことだった。
『知らないのか? 死んだはずの傭兵を見た、って噂だよ』
虚空領域に生きる、傭兵たちの間の噂話。ただし、単なる「噂話」というだけではなく、死んだはずの傭兵が搭乗していた機体が実際に撮影されているともいう。
しかし、レイルはその言葉を素直に信じることができずにいた。
レイルにとって、身の回りのものはほとんど「知らないもの」であり、知らない以上は教わった通りに飲みこむのが最も手っ取り早い。そういう事情もあり、今まで周りから教わったことを疑うことはほとんどなかった。
そんなレイルが、珍しく、頭から疑ってかかったのが、この噂話だった。
訓練の手を止め、グレイヴネットから流れてくる情報に意識を傾けてみて。その噂が傭兵たちの間に既にある程度広まっているものであることを確かめてみても。レイルはどうしても「死んだはずの者が確認される」という現象を信じることができずにいた。
自分でも奇妙な話だとは思う。レイルには記憶がない。ここで生きるための最低限の常識も抜け落ちている部分の方が多いのだから、「そういうものなのかもしれない」と思った方がよっぽど自然だ。
なのに、頭の中に生まれる激しい反発が、信じることを許してくれない。
死。戦火の中にあれば意識せずにはいられないもの。特に、レイルは敵陣の只中に飛び込んで矢面に立つ戦い方をするのだから、常に意識の片隅にちらつく言葉である。
死。……レイルは己の喉を撫ぜながら、その言葉に思いを馳せる。
例えば、戦場で自分が殺されたとして。すると、海の底に沈んでいったはずの『スリーピング・レイル』が、目撃されることになるのだろうか? 戦場で死んだはずのスリーピング・レイルという人物が、なおも存在し続けることになるのだろうか?
「……それは」
操縦棺の中で、膝を抱えて。
「なんか、嫌、だな」
唇から零れ落ちた声は、いやに、低く響いた。
* * *
食事の時間は、普段めいめいの過ごし方をしている『継ぎ接ぎ幽霊船』の乗組員が集う時間でもある。
食堂で働いているのは主にミアと、今や幽霊船にすっかり組み込まれている居住船、『ニーキャスチェン』でやってきたエリエス。グレムリンテイマーでないこの二人は、いつも幽霊船の中を駆け回って、日々の生活に必要な諸々をこなしている。この二人がいなければ、きっと幽霊船での生活は今よりも数段貧しいものであっただろう、スリーピング・レイルはそんな風に思う。
今日もミアとエリエスが、トレイの上に食料を盛り付けていく。
「今日のご飯は何かな?」
「コーンミールとバイオベーコン、それにドロもつけちゃうぞ!」
なお、こんなやり取りをしてはいるが、メニューはいつもほとんど同じだ。化学的に合成されたものであるらしいそれらをレイルは記憶していなかったが、こうして何度も食卓に出てくれば流石に「そういうもの」だと理解する。
全員分の食事が揃う頃には、乗組員もぞろぞろと食堂に集まってくる。普段はほとんど幽霊船の奥深くに引きこもり、グレムリンの整備をしている僚機のネグロも、この時間だけは顔を出す。……いつも、どこか不本意そうな顔をしてはいるけれど。
「いただきます!」
ミアの声を合図に、食事が始まる。
皆がいっせいに食べ始めるのを横目に、レイルも、コーンミールを口に運ぶ。
この味にも随分慣れたと思う。美味しいかと問われれば首を傾げてしまうが、これ以外の食べ物を知らないので、評価のしようがない、と言う方が正しいはずだ。
はず、というのは、頭のどこかでもっと、ずっと美味しいものを知っているような気がしているからだ。結局、それがどんなものであるのかは思い出せないままなのだが。
そして、食事の時間はお互いの情報交換の時間でもある。赤髪の青年――『ニーキャスチェン』と共にやってきた、グレムリン『ザイルテンツァー』の乗り手であるツィールが、スプーンを片手に「そういえば」と声を上げる。
「さっきニュースで聞いたんですが、今、ヒルコ・トリフネで『にわとりさま』のお祭りが行われているそうですよ。何でも、食用の鶏肉の神様だとか」
にわとりが何なのかは何故か覚えている。コケコッコーと鳴く、とさかのある鳥だ。肉も卵も食用になる……、というレイルの知識は間違っていないようで、ツィールの言葉に続けられたエリエスの解説によれば、このご時勢ではそれこそ祝い事の席で出るような高級食材なのだそうだ。
なるほどなあ、と思っていると、話を振った張本人であるツィールも、レイルと全く同じ反応をしていた。
ツィールも、レイルと同じく過去の記憶を持たないのだという。「とにかく何でもかんでも頭から信じちゃうから危なっかしくて仕方ないよ」とはエリエスの談。そんなエリエスにミアが心からの同情の視線を向けていたことは記憶に新しい。どうやら、ミアから見たら自分も相当危なっかしく見えているようだ。
そのミアが、紫の目でこちらを見上げてくる。
「レイルは何か、気になったニュースとか、ある?」
「気になった、ニュース……」
ミアの言葉を鸚鵡返しにしながら、レイルは思考を手繰っていく。
その時、視界の端で、誰よりも早く食事を終えたネグロが立ち上がったのが見えた。ネグロはいつもこの場の会話に参加しようとはせず、最低限の食事だけ終えるとすぐに食堂から姿を消してしまう。
早々に食堂を立ち去ろうとするネグロを意識の片隅に捉えながら、ふと、頭によぎったのは、先ほどグレイヴネットに流れていた「噂話」。
「ニュースと、言うべきかは、わからないけれど」
ぽつ、ぽつ、と。ほとんど意識もしないままに、唇が言葉を紡いでいく。
「死んだはずの傭兵を見た、って噂話を、聞いた。ずっと昔に死んだ傭兵の機体が撮影された、とか……」
一瞬。
時間が止まったような、錯覚にとらわれた。
実際には全くそんなことはないはずだ。ただ、立ち去ろうとしていたネグロが刹那足を止めたから――そう見えたのだと、一拍遅れて気づいた。とはいえ、次の瞬間には、その姿は扉の向こうに消えてしまったけれど。
レイルは、気を取り直して意識をミアの方に戻し、それから、息を呑んだ。
ミアが、ただでさえ大きな目を見開いて、レイルを凝視していたから。
「ねえ」
小さな唇が、いつになく強い声を放つ。その紫色の瞳に宿っている感情がただならぬものであることくらいは、流石に察することができた。
「その話、詳しく、聞かせて!」
「詳しくと言っても。僕が、聞いたのは、それだけだ」
ごめん、と。別に悪くもないはずなのに、つい謝罪の言葉が口をついて出る。その言葉を聞いて、ミアも我に返ったのかもしれない。目をぱちりと一つ瞬きして、口をへの字にする。
「……こっちこそ、ごめん。そうだよね、レイルに聞いても仕方ないよね」
ミアはレイルから視線を逸らし、ぱっと笑顔になったかと思うと、「ご飯、食べちゃお?」といやに明るい声で言う。
けれど、レイルは胸の奥がざわざわとする心地がしてたまらなかった。
――死んだはずの傭兵を見た。
脳裏に繰り返されるそのフレーズにも、その言葉に対して強く食いついてくるミアにも。グレムリンの操縦棺の中で感じた激しい反発が再び首をもたげてくる。だから、自然と、唇から零れ落ちる言葉も、
「何もかも、何もかも、ただの、噂話だ」
どこか、吐き捨てるような響きを帯びていた。
「レイル?」
「僕は、信じない。死は、死だ。それ以上でも以下でもなく、覆せるものでも、ない」
死とは、そういうものでなければ、ならない。
そうでなければ、僕は、――?
走り始めていた思考が急停止する。頭の中に浮かびかけた言葉が霧散する。大切な何かを忘れてしまっているという、確信。
一体自分は、何を忘れてしまっているのだろう?
そんな風に思っていると、ミアが「そっか」と言葉を落とす。
「そうだよね。死んだ人が戻ってくるなんて、そんな都合のいいこと、あるわけない」
そう言ってレイルを見上げるミアは、微笑んでいた。
「ミアさん」
「でもね」
つい、と。ミアの視線が逸らされる。食卓を囲む誰とも視線を合わせずに、虚空を見据えて。
「信じたくなることだって、あるの。……あるんだよ」
ミアの横顔は笑っているのに、その声がわずか湿った響きを帯びていたから、それ以上何も言えなくなる。
何も、「信じたくなることだってある」と言うミアを否定したかったわけではない。ただ、自分の中に生まれた激しい反発をミアにぶつけてしまったのだと気づいて、いたたまれない気持ちになる。
――ミア。
ぽつり、頭の中に浮かんで消える、少女を呼ぶ声。
けれど、今はもう一度ミアに呼びかける気にはなれなくて。
レイルは、トレイに残っていたコーンミールを一息に飲み下す。
【Scene:0004 グレイヴネットの噂話】
* * *
――グレイヴネット。
グレムリンテイマーたちの間に開かれている情報網。それが一体誰によってもたらされているものなのか、スリーピング・レイルは知らない。
ともあれ、グレイヴネットがもたらす情報は、グレムリン『スリーピング・レイル』を通してレイルの意識にも届く。
だから、その言葉を聞いたのも、操縦棺でシミュレーターを動かし、戦闘訓練をしていた時のことだった。
『知らないのか? 死んだはずの傭兵を見た、って噂だよ』
虚空領域に生きる、傭兵たちの間の噂話。ただし、単なる「噂話」というだけではなく、死んだはずの傭兵が搭乗していた機体が実際に撮影されているともいう。
しかし、レイルはその言葉を素直に信じることができずにいた。
レイルにとって、身の回りのものはほとんど「知らないもの」であり、知らない以上は教わった通りに飲みこむのが最も手っ取り早い。そういう事情もあり、今まで周りから教わったことを疑うことはほとんどなかった。
そんなレイルが、珍しく、頭から疑ってかかったのが、この噂話だった。
訓練の手を止め、グレイヴネットから流れてくる情報に意識を傾けてみて。その噂が傭兵たちの間に既にある程度広まっているものであることを確かめてみても。レイルはどうしても「死んだはずの者が確認される」という現象を信じることができずにいた。
自分でも奇妙な話だとは思う。レイルには記憶がない。ここで生きるための最低限の常識も抜け落ちている部分の方が多いのだから、「そういうものなのかもしれない」と思った方がよっぽど自然だ。
なのに、頭の中に生まれる激しい反発が、信じることを許してくれない。
死。戦火の中にあれば意識せずにはいられないもの。特に、レイルは敵陣の只中に飛び込んで矢面に立つ戦い方をするのだから、常に意識の片隅にちらつく言葉である。
死。……レイルは己の喉を撫ぜながら、その言葉に思いを馳せる。
例えば、戦場で自分が殺されたとして。すると、海の底に沈んでいったはずの『スリーピング・レイル』が、目撃されることになるのだろうか? 戦場で死んだはずのスリーピング・レイルという人物が、なおも存在し続けることになるのだろうか?
「……それは」
操縦棺の中で、膝を抱えて。
「なんか、嫌、だな」
唇から零れ落ちた声は、いやに、低く響いた。
* * *
食事の時間は、普段めいめいの過ごし方をしている『継ぎ接ぎ幽霊船』の乗組員が集う時間でもある。
食堂で働いているのは主にミアと、今や幽霊船にすっかり組み込まれている居住船、『ニーキャスチェン』でやってきたエリエス。グレムリンテイマーでないこの二人は、いつも幽霊船の中を駆け回って、日々の生活に必要な諸々をこなしている。この二人がいなければ、きっと幽霊船での生活は今よりも数段貧しいものであっただろう、スリーピング・レイルはそんな風に思う。
今日もミアとエリエスが、トレイの上に食料を盛り付けていく。
「今日のご飯は何かな?」
「コーンミールとバイオベーコン、それにドロもつけちゃうぞ!」
なお、こんなやり取りをしてはいるが、メニューはいつもほとんど同じだ。化学的に合成されたものであるらしいそれらをレイルは記憶していなかったが、こうして何度も食卓に出てくれば流石に「そういうもの」だと理解する。
全員分の食事が揃う頃には、乗組員もぞろぞろと食堂に集まってくる。普段はほとんど幽霊船の奥深くに引きこもり、グレムリンの整備をしている僚機のネグロも、この時間だけは顔を出す。……いつも、どこか不本意そうな顔をしてはいるけれど。
「いただきます!」
ミアの声を合図に、食事が始まる。
皆がいっせいに食べ始めるのを横目に、レイルも、コーンミールを口に運ぶ。
この味にも随分慣れたと思う。美味しいかと問われれば首を傾げてしまうが、これ以外の食べ物を知らないので、評価のしようがない、と言う方が正しいはずだ。
はず、というのは、頭のどこかでもっと、ずっと美味しいものを知っているような気がしているからだ。結局、それがどんなものであるのかは思い出せないままなのだが。
そして、食事の時間はお互いの情報交換の時間でもある。赤髪の青年――『ニーキャスチェン』と共にやってきた、グレムリン『ザイルテンツァー』の乗り手であるツィールが、スプーンを片手に「そういえば」と声を上げる。
「さっきニュースで聞いたんですが、今、ヒルコ・トリフネで『にわとりさま』のお祭りが行われているそうですよ。何でも、食用の鶏肉の神様だとか」
にわとりが何なのかは何故か覚えている。コケコッコーと鳴く、とさかのある鳥だ。肉も卵も食用になる……、というレイルの知識は間違っていないようで、ツィールの言葉に続けられたエリエスの解説によれば、このご時勢ではそれこそ祝い事の席で出るような高級食材なのだそうだ。
なるほどなあ、と思っていると、話を振った張本人であるツィールも、レイルと全く同じ反応をしていた。
ツィールも、レイルと同じく過去の記憶を持たないのだという。「とにかく何でもかんでも頭から信じちゃうから危なっかしくて仕方ないよ」とはエリエスの談。そんなエリエスにミアが心からの同情の視線を向けていたことは記憶に新しい。どうやら、ミアから見たら自分も相当危なっかしく見えているようだ。
そのミアが、紫の目でこちらを見上げてくる。
「レイルは何か、気になったニュースとか、ある?」
「気になった、ニュース……」
ミアの言葉を鸚鵡返しにしながら、レイルは思考を手繰っていく。
その時、視界の端で、誰よりも早く食事を終えたネグロが立ち上がったのが見えた。ネグロはいつもこの場の会話に参加しようとはせず、最低限の食事だけ終えるとすぐに食堂から姿を消してしまう。
早々に食堂を立ち去ろうとするネグロを意識の片隅に捉えながら、ふと、頭によぎったのは、先ほどグレイヴネットに流れていた「噂話」。
「ニュースと、言うべきかは、わからないけれど」
ぽつ、ぽつ、と。ほとんど意識もしないままに、唇が言葉を紡いでいく。
「死んだはずの傭兵を見た、って噂話を、聞いた。ずっと昔に死んだ傭兵の機体が撮影された、とか……」
一瞬。
時間が止まったような、錯覚にとらわれた。
実際には全くそんなことはないはずだ。ただ、立ち去ろうとしていたネグロが刹那足を止めたから――そう見えたのだと、一拍遅れて気づいた。とはいえ、次の瞬間には、その姿は扉の向こうに消えてしまったけれど。
レイルは、気を取り直して意識をミアの方に戻し、それから、息を呑んだ。
ミアが、ただでさえ大きな目を見開いて、レイルを凝視していたから。
「ねえ」
小さな唇が、いつになく強い声を放つ。その紫色の瞳に宿っている感情がただならぬものであることくらいは、流石に察することができた。
「その話、詳しく、聞かせて!」
「詳しくと言っても。僕が、聞いたのは、それだけだ」
ごめん、と。別に悪くもないはずなのに、つい謝罪の言葉が口をついて出る。その言葉を聞いて、ミアも我に返ったのかもしれない。目をぱちりと一つ瞬きして、口をへの字にする。
「……こっちこそ、ごめん。そうだよね、レイルに聞いても仕方ないよね」
ミアはレイルから視線を逸らし、ぱっと笑顔になったかと思うと、「ご飯、食べちゃお?」といやに明るい声で言う。
けれど、レイルは胸の奥がざわざわとする心地がしてたまらなかった。
――死んだはずの傭兵を見た。
脳裏に繰り返されるそのフレーズにも、その言葉に対して強く食いついてくるミアにも。グレムリンの操縦棺の中で感じた激しい反発が再び首をもたげてくる。だから、自然と、唇から零れ落ちる言葉も、
「何もかも、何もかも、ただの、噂話だ」
どこか、吐き捨てるような響きを帯びていた。
「レイル?」
「僕は、信じない。死は、死だ。それ以上でも以下でもなく、覆せるものでも、ない」
死とは、そういうものでなければ、ならない。
そうでなければ、僕は、――?
走り始めていた思考が急停止する。頭の中に浮かびかけた言葉が霧散する。大切な何かを忘れてしまっているという、確信。
一体自分は、何を忘れてしまっているのだろう?
そんな風に思っていると、ミアが「そっか」と言葉を落とす。
「そうだよね。死んだ人が戻ってくるなんて、そんな都合のいいこと、あるわけない」
そう言ってレイルを見上げるミアは、微笑んでいた。
「ミアさん」
「でもね」
つい、と。ミアの視線が逸らされる。食卓を囲む誰とも視線を合わせずに、虚空を見据えて。
「信じたくなることだって、あるの。……あるんだよ」
ミアの横顔は笑っているのに、その声がわずか湿った響きを帯びていたから、それ以上何も言えなくなる。
何も、「信じたくなることだってある」と言うミアを否定したかったわけではない。ただ、自分の中に生まれた激しい反発をミアにぶつけてしまったのだと気づいて、いたたまれない気持ちになる。
――ミア。
ぽつり、頭の中に浮かんで消える、少女を呼ぶ声。
けれど、今はもう一度ミアに呼びかける気にはなれなくて。
レイルは、トレイに残っていたコーンミールを一息に飲み下す。
【Scene:0004 グレイヴネットの噂話】
◆3回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
海に浮かぶその船に名前はなく、単に「継ぎ接ぎ幽霊船」と呼ばれていた。
呼び名の通り、戦艦や客船、時には航空機までをも継ぎ接ぎしてできている奇妙奇天烈な船。その上、ミアが見る限り、その一部にはタワーでは見慣れない技術も使われているようで、異世界からの漂流物すらも取り込んでいるのかもしれなかった。
グレムリン『スリーピング・レイル』が拾った通信を頼りにやってきてみれば、そこには一人の男がいて――ルイン、と名乗った「艦長代理」であるその男は、確かに『スリーピング・レイル』を受け入れ、『スリーピング・レイル』の持つ戦闘力を対価に、その乗り手たちの衣食住を保証してくれるらしい。
ありがたいことだ、と思う。その場ではほとんど何も考えずに飛び出してきてしまっただけに、これからどう生活していくのか、という点はミアの心配事のひとつであったから。
――そして、この男が、人並みの心配をしているのか、判断がつかなかったから。
ミアはちらりと、傍らの男を見上げる。
スリーピング・レイル。
名前にもなっていない名前を自分の呼び名として受け入れている男は、立ち尽くしたまま、分厚く薄汚れた窓硝子越しの外界をぼんやりと見つめている。
幽霊船に着いて、ルインから一通りの説明を受けて。自由に行動して構わない、と言われてから、レイルはずっとそうしている。ぼさぼさの白髪の間から覗く横顔を窺ってみても、何を考えているのかさっぱりわからない。
「何してんの?」
レイルはそこで初めてミアの存在に気づいたかのように、かろうじて髪に覆われていない側の、濃い茶色の目をぱちりと瞬いてこちらを見る。
「外は、晴れないのか、と思って」
「?」
ミアは、レイルが何を言ったのか理解できなかった。レイルも流石に察したのか、少しばかり困ったような顔をしながら、白い髭に縁取られた唇をもごもごと動かす。
「空が、……見えない、から」
――空。
ミアにとっての「空」とは、この、赤錆びた粉塵に覆われた暗い空だ。それ以外の空を、ミアは記憶していない。
ただ、知識として「知らない」わけではない。
かつて、七月戦役における重粒子粉塵兵器の濫用を経て、虚空領域全体が粉塵に覆われるより前。空は、明るい青色をしていたのだと。工場の大人たちから聞いたことがある。彼らの中には、青い空を己の目で見て知っているという者もいた。
レイルは、見た目だけで言えばミアの親くらいの年齢に見える。彼くらいの年齢ならば、青い空を知っていてもおかしくない――けれど。
「思い出したの?」
「いや、何も。ただ、空は……、こんな色じゃなかった、と思う」
ここまでの道中にも言葉を交わしてみてわかったのだが、どうもレイルの記憶障害は相当に深刻なものであるらしい。グレムリンで戦うことはできても、その理由はわからない。それだけならともかく、最低限の常識まですっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。その常識のなさといえば、放っておけば粉塵の只中に防護服なしで歩き出していってしまうレベル。
これでは、小さな子供とほとんど変わらない。人の話を素直に聞いて従う姿勢があるだけマシではあるが、それでも、レイルの言動はどこかミアを不安にさせる。目を離したらどうなってしまうかわからない、という不安。
首をもたげてくる不安を払拭すべく、ミアは意識して胸を張り、声を明るくする。
「記憶が無いのは仕方ないんだし、さ。知らないことは、覚えてけばいいんだから。ただ、何か思い出したなら教えてね」
レイルはこくりと頷いて、やっと窓とその向こうに広がる「空」から意識を離したようだった。ミアはそんなレイルが羽織っているコートの袖を引く。
「ねえ、少し探検してみない? これからしばらくこの船で暮らすんだから、何があるのかは知っておかないと」
それから、……レイルのことも、知っておきたいと、思う。
何もかもを忘れてしまっているこの男が、一体何を思ってこの場に立っているのか。何故グレムリンを駆って戦おうとするのか。ミアには、まだ、わからないままだったから。
* * *
ミアに手を引かれながら、スリーピング・レイルは一歩一歩、幽霊船の中を歩いていく。いくつもの船が継ぎ接ぎになったこの船は、少し歩くたびに風景を変え、飽きることがない。
「見て、レイル! ちょっと埃っぽいけど、いい部屋だよ」
ミアが一つの部屋を覗き込んで歓声を上げる。ミアの背中越しに見てみれば、確かに小さいながらも整った部屋だ。窓がふさがれている代わりに、おしゃれなデザインのランプが天井から吊り下げられており、寝台をはじめとした設備もかなりよいものであるように、見えた。
「あたし、この部屋使わせてもらおうかな。レイルも、この辺りの部屋を使えば?」
レイルは頷くことも首を横に振ることもしなかったが、ミアの意識はレイルよりも部屋に向けられていて、それには気づかなかったらしい。部屋の中に入って、くるくると辺りを見渡す。
「うん、換気もできてるみたいだし、ちょっと掃除すれば大丈夫そう! あとでルインさんに掃除用具借りてこよう」
ルイン。この船の主。何故か「代理」らしいけれど、一体誰の代理なのか、レイルは知らない。重要なのは、グレムリンの武力の対価に、ルインがレイルたちに宿りを提供してくれるということ。記憶を失って右も左もわからず、行くあてもなかったレイルの救い主であるということ。それだけだ。
本当はもう少しルインについても色々と知りたいとは思うのだけれど、今はまずこの状況を飲み込むことが先だと思っている。レイルにとって、自分の周囲にあるものは何もかも目新しくて、全てが「知らないもの」であったから、ただ立っているだけでも目が回るような心地がする。
そんなレイルに気づいているのかいないのか、ミアはくるりと振り向いて、ぱっちりとした紫色の瞳でレイルを見上げる。
「あ、そうそう、着るものも用意してもらわないとだね。レイルだってその服、着たきりにするわけにもいかないでしょ」
服。コートの下にまとっている、体にぴったりと沿う防護服を見下ろす。操縦服も兼ねるらしいこれは、自分が「最初に」意識を取り戻していたときに着ていたもの。あまりにも体に合っているため窮屈さは感じないが、これを普段着にするのは流石のレイルも何かが違うな、と思う。その程度の感覚は「覚えて」いるらしい。
レイルの頭から爪先までをじっくりと眺め回した末に、ミアはわずかに眉間に皺を寄せて言う。
「あと、その髪と髭もどうにかならない? むさくるしいと思うんだけど」
「そう、かな」
「レイルは鬱陶しくないの? この前髪なんて、顔半分くらい隠れちゃってるし――」
伸ばされたミアの小さな手が、レイルの伸びきった前髪に触れて――その瞬間、ミアの表情が、目を見開いたまま固まった。どうしたのだろう、と思っていると、戸惑いを含んだ声が投げかけられる。
「こっちの目……、どうしたの?」
「目?」
「見えてないの?」
「……ああ」
意識をしていなかった、ということに気づかされる。自分で、左目の前に手を持っていく、けれど。その手が視界に入ることはない。
「そうだな。見えて、ない、みたいだ」
「みたい、じゃなくて。自分のことでしょ」
ほら、と、ミアの指が部屋の壁にかかった鏡に向けられる。レイルはそこを覗き込むことで、初めて「自分の顔」をはっきりと認識する。
冴えない顔つきの、中年の男。白い肌のミアと比べると幾分色の濃い肌、ぼさついた白い髪に、口の周りと顎に生えた無精髭。そんな自分を見つめ返す、少し目尻の垂れた茶色の目。その一方で髪に覆われていた片目は完全に白濁しており、使い物にならなくなっていることが、わかる。
これが、自分の顔なのか。
思いながら、手で顎を撫ぜてみる。目の前の男もまた、髭の生えた顎を撫ぜる。当然だ、これは鏡なのだから。レイルだって「鏡」は覚えている。
なのに、胸のどこかにちぐはぐな思いが生まれる。なるほど、と納得する一方で、まるで――赤の他人の顔を見ているような気持ちも、芽生えるのだ。
「僕は、こんな顔を、して、いたんだな」
「そう、これがレイルの顔。もう、忘れないでよね」
忘れたくて忘れているわけではない、と鏡の中の自分が唇を尖らせる。
「それじゃ、掃除しよ! 行こう、レイル!」
ミアがレイルに背を向ける。揺れる青緑の髪、小さな背中。その背中が、さらに小さくなったような錯覚を覚えて。
――ミア!
刹那、鈍い痛みと共に頭の中に閃く、声。
「――ミア」
思わず、唇を開いていた。けれど、頭の中に閃いた声と、唇から零れ落ちた声は、まるで別の響きをしていた。
「ん? どうしたの、レイル?」
ミアが振り向いて、目が合って。その瞬間、頭に響いていた痛みは霧散して、声もまた聞こえなくなる。レイルは何故不意にミアの名前を呼んだのか、自分でもよくわからなくなり、口をぱくぱくさせて。
「よ、呼んでみた、だけ?」
「何それ」
呆れた声と共にミアは部屋を出て行き、レイルも慌ててその後を追う。
幽霊船の通路に、今は二人分の足音が、響く。
【Scene:0003 継ぎ接ぎ幽霊船】
* * *
海に浮かぶその船に名前はなく、単に「継ぎ接ぎ幽霊船」と呼ばれていた。
呼び名の通り、戦艦や客船、時には航空機までをも継ぎ接ぎしてできている奇妙奇天烈な船。その上、ミアが見る限り、その一部にはタワーでは見慣れない技術も使われているようで、異世界からの漂流物すらも取り込んでいるのかもしれなかった。
グレムリン『スリーピング・レイル』が拾った通信を頼りにやってきてみれば、そこには一人の男がいて――ルイン、と名乗った「艦長代理」であるその男は、確かに『スリーピング・レイル』を受け入れ、『スリーピング・レイル』の持つ戦闘力を対価に、その乗り手たちの衣食住を保証してくれるらしい。
ありがたいことだ、と思う。その場ではほとんど何も考えずに飛び出してきてしまっただけに、これからどう生活していくのか、という点はミアの心配事のひとつであったから。
――そして、この男が、人並みの心配をしているのか、判断がつかなかったから。
ミアはちらりと、傍らの男を見上げる。
スリーピング・レイル。
名前にもなっていない名前を自分の呼び名として受け入れている男は、立ち尽くしたまま、分厚く薄汚れた窓硝子越しの外界をぼんやりと見つめている。
幽霊船に着いて、ルインから一通りの説明を受けて。自由に行動して構わない、と言われてから、レイルはずっとそうしている。ぼさぼさの白髪の間から覗く横顔を窺ってみても、何を考えているのかさっぱりわからない。
「何してんの?」
レイルはそこで初めてミアの存在に気づいたかのように、かろうじて髪に覆われていない側の、濃い茶色の目をぱちりと瞬いてこちらを見る。
「外は、晴れないのか、と思って」
「?」
ミアは、レイルが何を言ったのか理解できなかった。レイルも流石に察したのか、少しばかり困ったような顔をしながら、白い髭に縁取られた唇をもごもごと動かす。
「空が、……見えない、から」
――空。
ミアにとっての「空」とは、この、赤錆びた粉塵に覆われた暗い空だ。それ以外の空を、ミアは記憶していない。
ただ、知識として「知らない」わけではない。
かつて、七月戦役における重粒子粉塵兵器の濫用を経て、虚空領域全体が粉塵に覆われるより前。空は、明るい青色をしていたのだと。工場の大人たちから聞いたことがある。彼らの中には、青い空を己の目で見て知っているという者もいた。
レイルは、見た目だけで言えばミアの親くらいの年齢に見える。彼くらいの年齢ならば、青い空を知っていてもおかしくない――けれど。
「思い出したの?」
「いや、何も。ただ、空は……、こんな色じゃなかった、と思う」
ここまでの道中にも言葉を交わしてみてわかったのだが、どうもレイルの記憶障害は相当に深刻なものであるらしい。グレムリンで戦うことはできても、その理由はわからない。それだけならともかく、最低限の常識まですっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。その常識のなさといえば、放っておけば粉塵の只中に防護服なしで歩き出していってしまうレベル。
これでは、小さな子供とほとんど変わらない。人の話を素直に聞いて従う姿勢があるだけマシではあるが、それでも、レイルの言動はどこかミアを不安にさせる。目を離したらどうなってしまうかわからない、という不安。
首をもたげてくる不安を払拭すべく、ミアは意識して胸を張り、声を明るくする。
「記憶が無いのは仕方ないんだし、さ。知らないことは、覚えてけばいいんだから。ただ、何か思い出したなら教えてね」
レイルはこくりと頷いて、やっと窓とその向こうに広がる「空」から意識を離したようだった。ミアはそんなレイルが羽織っているコートの袖を引く。
「ねえ、少し探検してみない? これからしばらくこの船で暮らすんだから、何があるのかは知っておかないと」
それから、……レイルのことも、知っておきたいと、思う。
何もかもを忘れてしまっているこの男が、一体何を思ってこの場に立っているのか。何故グレムリンを駆って戦おうとするのか。ミアには、まだ、わからないままだったから。
* * *
ミアに手を引かれながら、スリーピング・レイルは一歩一歩、幽霊船の中を歩いていく。いくつもの船が継ぎ接ぎになったこの船は、少し歩くたびに風景を変え、飽きることがない。
「見て、レイル! ちょっと埃っぽいけど、いい部屋だよ」
ミアが一つの部屋を覗き込んで歓声を上げる。ミアの背中越しに見てみれば、確かに小さいながらも整った部屋だ。窓がふさがれている代わりに、おしゃれなデザインのランプが天井から吊り下げられており、寝台をはじめとした設備もかなりよいものであるように、見えた。
「あたし、この部屋使わせてもらおうかな。レイルも、この辺りの部屋を使えば?」
レイルは頷くことも首を横に振ることもしなかったが、ミアの意識はレイルよりも部屋に向けられていて、それには気づかなかったらしい。部屋の中に入って、くるくると辺りを見渡す。
「うん、換気もできてるみたいだし、ちょっと掃除すれば大丈夫そう! あとでルインさんに掃除用具借りてこよう」
ルイン。この船の主。何故か「代理」らしいけれど、一体誰の代理なのか、レイルは知らない。重要なのは、グレムリンの武力の対価に、ルインがレイルたちに宿りを提供してくれるということ。記憶を失って右も左もわからず、行くあてもなかったレイルの救い主であるということ。それだけだ。
本当はもう少しルインについても色々と知りたいとは思うのだけれど、今はまずこの状況を飲み込むことが先だと思っている。レイルにとって、自分の周囲にあるものは何もかも目新しくて、全てが「知らないもの」であったから、ただ立っているだけでも目が回るような心地がする。
そんなレイルに気づいているのかいないのか、ミアはくるりと振り向いて、ぱっちりとした紫色の瞳でレイルを見上げる。
「あ、そうそう、着るものも用意してもらわないとだね。レイルだってその服、着たきりにするわけにもいかないでしょ」
服。コートの下にまとっている、体にぴったりと沿う防護服を見下ろす。操縦服も兼ねるらしいこれは、自分が「最初に」意識を取り戻していたときに着ていたもの。あまりにも体に合っているため窮屈さは感じないが、これを普段着にするのは流石のレイルも何かが違うな、と思う。その程度の感覚は「覚えて」いるらしい。
レイルの頭から爪先までをじっくりと眺め回した末に、ミアはわずかに眉間に皺を寄せて言う。
「あと、その髪と髭もどうにかならない? むさくるしいと思うんだけど」
「そう、かな」
「レイルは鬱陶しくないの? この前髪なんて、顔半分くらい隠れちゃってるし――」
伸ばされたミアの小さな手が、レイルの伸びきった前髪に触れて――その瞬間、ミアの表情が、目を見開いたまま固まった。どうしたのだろう、と思っていると、戸惑いを含んだ声が投げかけられる。
「こっちの目……、どうしたの?」
「目?」
「見えてないの?」
「……ああ」
意識をしていなかった、ということに気づかされる。自分で、左目の前に手を持っていく、けれど。その手が視界に入ることはない。
「そうだな。見えて、ない、みたいだ」
「みたい、じゃなくて。自分のことでしょ」
ほら、と、ミアの指が部屋の壁にかかった鏡に向けられる。レイルはそこを覗き込むことで、初めて「自分の顔」をはっきりと認識する。
冴えない顔つきの、中年の男。白い肌のミアと比べると幾分色の濃い肌、ぼさついた白い髪に、口の周りと顎に生えた無精髭。そんな自分を見つめ返す、少し目尻の垂れた茶色の目。その一方で髪に覆われていた片目は完全に白濁しており、使い物にならなくなっていることが、わかる。
これが、自分の顔なのか。
思いながら、手で顎を撫ぜてみる。目の前の男もまた、髭の生えた顎を撫ぜる。当然だ、これは鏡なのだから。レイルだって「鏡」は覚えている。
なのに、胸のどこかにちぐはぐな思いが生まれる。なるほど、と納得する一方で、まるで――赤の他人の顔を見ているような気持ちも、芽生えるのだ。
「僕は、こんな顔を、して、いたんだな」
「そう、これがレイルの顔。もう、忘れないでよね」
忘れたくて忘れているわけではない、と鏡の中の自分が唇を尖らせる。
「それじゃ、掃除しよ! 行こう、レイル!」
ミアがレイルに背を向ける。揺れる青緑の髪、小さな背中。その背中が、さらに小さくなったような錯覚を覚えて。
――ミア!
刹那、鈍い痛みと共に頭の中に閃く、声。
「――ミア」
思わず、唇を開いていた。けれど、頭の中に閃いた声と、唇から零れ落ちた声は、まるで別の響きをしていた。
「ん? どうしたの、レイル?」
ミアが振り向いて、目が合って。その瞬間、頭に響いていた痛みは霧散して、声もまた聞こえなくなる。レイルは何故不意にミアの名前を呼んだのか、自分でもよくわからなくなり、口をぱくぱくさせて。
「よ、呼んでみた、だけ?」
「何それ」
呆れた声と共にミアは部屋を出て行き、レイルも慌ててその後を追う。
幽霊船の通路に、今は二人分の足音が、響く。
【Scene:0003 継ぎ接ぎ幽霊船】
◆2回更新の日記ログ
『希望も未来も自らの手で絶って。今や、その傷跡だけがお前を物語る』
* * *
ずんぐりとした鳥の姿をしたグレムリン『スリーピング・レイル』は、操縦者の意志を汲み、ゆっくりと首をもたげる。
そこに、想像よりもずっと速く、敵機たるシュヴァルベ・ドライが踏み込んできて、単装砲を放つ。
響く鈍い音。装甲で一撃を受けた気配が操縦棺に、そして手に、わずかな痺れとして伝わってくる。
だが、『スリーピング・レイル』の装甲は厚い。軽い一撃であればあえて避けるまでもなく――むしろ、相手が「こちらの間合い」に入った合図と、捉える。
「……それじゃあ」
片方の目で、全視界型ディスプレイに映し出されたシュヴァルベ・ドライを見据えて。
「僕の、番だ」
呟きと共に踏み込み、翼の代わりに取り付けられたパンツァークリンゲでシュヴァルベ・ドライを強く打つ。質力が生み出す激しい衝撃で相手の動きが鈍ったところで、機関砲がその装甲をまだらに撃ち抜いた。
ぐら、と目の前の機体が揺れ、海へと墜ちてゆく。
それを見送りながら、無意識に止めていた呼吸を、ひとつ吐き出して。
シアンの明かりに照らされながら、自分の手を握って、開く。
それが「自分の手」であることが、まだ信じられない。グレムリンを駆る自分が「自分自身」であることが、まだ信じられない。
けれど、これは紛れもなく現実で。
――午前二時、三十一分。
視界の片隅の時計を確かめて、それから、空を見上げる。ディスプレイ越しの空は何を語ることもなく、ただ、ただ、そこに広がっていた。
* * *
静かに――なった。
がんがんと鳴り響いていた放送は止み、男から渡されたコートを肩から羽織ったミアは、その場に座り込んでいた。
果たして、あの男は無事なのだろうか。
そう思った瞬間、轟音がこちらに近づいてきた。
見れば、廃工場にあのグレムリンが戻ってきたのだった。最初にそれが置かれていたところに収まると、操縦棺が開き、白髪の男が床の上に降り立つ。
「大丈夫!?」
ミアは慌てて男に駆け寄るが、男の体に傷はない。男は髪に隠れていない右の目をぱちりと瞬いて、それから、低い声で言った。
「うん。攻めてきた機動体は、墜とした。しばらくは、大丈夫だ」
墜とした。あっさりと言ってのけたが、そう簡単な話ではない。もしそれが簡単なことであれば、未識別機動体に世界が蹂躙されることもなかったはずだ。
けれど、目の前の男と――このグレムリンには、その力がある、ということか。
ミアはぞくりとする。それは目の前にある圧倒的ともいえる「力」への恐怖か、それとも。
「あなた、何者なの? グレムリンはことごとく機能を停止してるはずなのに、どうしてグレムリンを動かせたの?」
ミアの矢継ぎ早の問いかけに対し、男はこくん、と首を傾げて。眉を顰めて、
「僕にも、わからない」
と、のたまうのだ。
ミアは目を丸くして、改めて男を見る。先ほどまで死線で戦っていたとは思えない、茫洋とした表情。つい、ミアは唇を尖らせる。
「わからないって、自分のことでしょ?」
「わからない、んだ。ここがどこなのかも、僕が、誰なのかも」
くしゃ、と髪に指を通して、男は途方に暮れた声音で言う。その場しのぎのごまかしにも見えない調子に、ミアまで途方に暮れてしまう。けれど、沈黙しているわけにもいかないから、何とか言葉を搾り出す。
「記憶喪失、ってこと?」
男は「きおく、そーしつ」とミアの言葉をぼんやり鸚鵡返しにして、それから曖昧に頷いた。
「じゃあ、どうして、グレムリンが動かせるのかもわからないんだ」
「わからない」
と答えた男は、しばらく口を噤んだ後、「でも」とぽつりと付け加えた。
「……僕は、きっと。これで戦うために、いる、んだと思う」
男が見上げる鳥型のグレムリンは何も語らない。ただ、ただ、その場に佇むのみ。ミアは噛み付くように問い返す。
「どうして、何も覚えてないのに、そんなことがわかるのさ」
「わかったわけ、じゃない、けど。戦えるなら、戦わなきゃ」
そう言う男は、もう、途方に暮れてなどいなかった。その目は凛として、ミアをじっと見据えている。
「僕はきっと、戦うことしか、できないけど。それが、誰かを、助けることになるなら」
髭に縁取られた薄い唇を、ほんの少しだけ、歪めて。
「嬉しい、から」
どきり、とした。
この世界は終わろうとしている。誰もが諦めようとしている。ミアだって、正直に言ってしまえば、ただ自分が生きるだけで精一杯だった。
けれど、この男は。戦う力を持った上で、その力を「誰か」のために振るうことを躊躇わないというのか。
馬鹿げている、と笑い飛ばすことだってできたはずだ。いくらグレムリンを操り、未識別機動体を倒す力があったとしても、ただ一人でどうこうすることなど、できやしない。
なのに、ミアの中には熱を帯びた思いが湧き出してくる。かつて見た、遠ざかっていく大きな背中の影のイメージと共に。
その、言葉にならない思いを持て余していると、男が唇を開く。
「行かなくちゃ」
「……え?」
「ここの他にも、敵が、いると思う、から」
男の目はもう、ミアを見てはいなかった。廃工場の外、虚空領域の戦場を見据えている。自分がいるべき場所を……、見つめて、いる。
それに気づいた瞬間に、もう、ミアはいても立ってもいられなくなっていた。
「だから、君は――」
「あたしも、連れてって!」
男の言葉を遮るように。ミアは、声を上げた。
男がもう一度視線をミアに戻す。ミアは唇を引き結び、男を見上げる。男は目に見えてうろたえた様子で、かろうじて一言だけを吐き出した。
「危険だ」
「危険は承知の上。それに、あなた、グレムリンに乗れても、整備はできるの?」
「せい、び?」
男がまた、ぼんやりとした声を上げる。これは絶対にわかっていない声だ。
「グレムリンだって、ただ乗り続けてたら疲労するばかりだし、敵によってはパーツを変える必要だってある。その知識があなたにある?」
男は口をぱくぱくさせるだけで何も言わなかったが、つまり「そんなこと知らない」ということだ。
ミアはわざとらしく溜息をついて、それからにっと歯を見せて笑ってみせる。
「だから、あたしも連れてって。絶対にお役に立つよ、何しろ、整備士なんだから」
本当は「見習い」だけれども。その言葉はぐっと飲み込む。
「けど」
「煮え切らないな! ダメって言っても勝手に乗り込むからね!」
言って、男が制する前に操縦棺を無理やり開く。通常、一人がぎりぎり乗れる程度のスペースしかない操縦棺だが、この機体の操縦棺は思ったよりも広く、男が操縦席に座った上でミアが乗り込むことも十分できそうだ。
身軽に操縦棺に滑り込んだミアに手を伸ばした男は、しかし、すぐに諦めたらしく手を下ろして、ゆっくりと首を振った。
「わかった。一緒に、行こう。それで、教えてほしい。ここのこと、グレムリンのこと、それから……、ええと、君の、ことも」
言って、男もまた、操縦棺に乗り込んでくる。全視界型ディスプレイの放つシアンの光に照らされた男の顔を見上げて、ミアは笑う。
「あたし、ミア。あなたは……、そっか、名前わかんないんだっけ」
「ああ。ただ、一つだけ、わかることがあって」
男の指先が、ミアの肩から垂れ下がるコートの襟元に向けられる。ミアが襟を引っ張ってみると、そこにはずんぐりとした鳥をモチーフとしたエンブレムと、小さな文字列が縫いとめられていた。その文字列を、指でなぞり。
「『スリーピング・レイル』?」
「気づいたら、着てた、から。これが、僕の、唯一の手がかり」
よく見れば、男が着ている防護服にも同じエンブレムが見える。描かれた鳥が妙にこのグレムリンの形に似ているのは偶然か否か。
「スリーピング・レイル……。どう考えても、人の名前じゃなさそうだけど」
「そう、かな?」
「そうなの。でも、あなたが嫌じゃなきゃいいや」
スリーピング・レイル。眠る水鳥。果たして、その名前が「何」に向けられたものなのかは、ミアにももちろんわからないけれど。
「じゃあ、レイル、って呼べばいい?」
そう問いかければ、男――レイルは、眩しそうに目を細めた。もしかすると、笑ったのかもしれなかった。
「うん。よろしく、ミアさん」
ミアさん。
その声の響きに妙にくすぐったいものを感じて、ミアは唇をふにゃふにゃさせる。レイルはそれに気づいているのかいないのか、操縦席に座ると、計器をおぼつかない手つきで弄り始める。
「それで、レイル。これからどこに行くの?」
「さっき、通信を受け取ったから、そこに、行ってみようと思う」
通信で受け取った座標をセットして。
ミアが座席にしがみついたのを確認して、レイルはグレムリンを発進させる。
「そういえば、このグレムリンの名前は? 呼び名がないと不便だと思うけど」
「『スリーピング・レイル』」
「なんでわざわざ同じ名前つけるの?」
「思い、つかなかったから……」
そんな、他愛も無い言葉を交わしながら、グレムリン『スリーピング・レイル』は二人を乗せて虚空領域を行く。
目指すは通信の出所――『継ぎ接ぎ幽霊船(パッチワーク・ゴーストシップ)』。
【Scene:0002 旅立ち】
* * *
ずんぐりとした鳥の姿をしたグレムリン『スリーピング・レイル』は、操縦者の意志を汲み、ゆっくりと首をもたげる。
そこに、想像よりもずっと速く、敵機たるシュヴァルベ・ドライが踏み込んできて、単装砲を放つ。
響く鈍い音。装甲で一撃を受けた気配が操縦棺に、そして手に、わずかな痺れとして伝わってくる。
だが、『スリーピング・レイル』の装甲は厚い。軽い一撃であればあえて避けるまでもなく――むしろ、相手が「こちらの間合い」に入った合図と、捉える。
「……それじゃあ」
片方の目で、全視界型ディスプレイに映し出されたシュヴァルベ・ドライを見据えて。
「僕の、番だ」
呟きと共に踏み込み、翼の代わりに取り付けられたパンツァークリンゲでシュヴァルベ・ドライを強く打つ。質力が生み出す激しい衝撃で相手の動きが鈍ったところで、機関砲がその装甲をまだらに撃ち抜いた。
ぐら、と目の前の機体が揺れ、海へと墜ちてゆく。
それを見送りながら、無意識に止めていた呼吸を、ひとつ吐き出して。
シアンの明かりに照らされながら、自分の手を握って、開く。
それが「自分の手」であることが、まだ信じられない。グレムリンを駆る自分が「自分自身」であることが、まだ信じられない。
けれど、これは紛れもなく現実で。
――午前二時、三十一分。
視界の片隅の時計を確かめて、それから、空を見上げる。ディスプレイ越しの空は何を語ることもなく、ただ、ただ、そこに広がっていた。
* * *
静かに――なった。
がんがんと鳴り響いていた放送は止み、男から渡されたコートを肩から羽織ったミアは、その場に座り込んでいた。
果たして、あの男は無事なのだろうか。
そう思った瞬間、轟音がこちらに近づいてきた。
見れば、廃工場にあのグレムリンが戻ってきたのだった。最初にそれが置かれていたところに収まると、操縦棺が開き、白髪の男が床の上に降り立つ。
「大丈夫!?」
ミアは慌てて男に駆け寄るが、男の体に傷はない。男は髪に隠れていない右の目をぱちりと瞬いて、それから、低い声で言った。
「うん。攻めてきた機動体は、墜とした。しばらくは、大丈夫だ」
墜とした。あっさりと言ってのけたが、そう簡単な話ではない。もしそれが簡単なことであれば、未識別機動体に世界が蹂躙されることもなかったはずだ。
けれど、目の前の男と――このグレムリンには、その力がある、ということか。
ミアはぞくりとする。それは目の前にある圧倒的ともいえる「力」への恐怖か、それとも。
「あなた、何者なの? グレムリンはことごとく機能を停止してるはずなのに、どうしてグレムリンを動かせたの?」
ミアの矢継ぎ早の問いかけに対し、男はこくん、と首を傾げて。眉を顰めて、
「僕にも、わからない」
と、のたまうのだ。
ミアは目を丸くして、改めて男を見る。先ほどまで死線で戦っていたとは思えない、茫洋とした表情。つい、ミアは唇を尖らせる。
「わからないって、自分のことでしょ?」
「わからない、んだ。ここがどこなのかも、僕が、誰なのかも」
くしゃ、と髪に指を通して、男は途方に暮れた声音で言う。その場しのぎのごまかしにも見えない調子に、ミアまで途方に暮れてしまう。けれど、沈黙しているわけにもいかないから、何とか言葉を搾り出す。
「記憶喪失、ってこと?」
男は「きおく、そーしつ」とミアの言葉をぼんやり鸚鵡返しにして、それから曖昧に頷いた。
「じゃあ、どうして、グレムリンが動かせるのかもわからないんだ」
「わからない」
と答えた男は、しばらく口を噤んだ後、「でも」とぽつりと付け加えた。
「……僕は、きっと。これで戦うために、いる、んだと思う」
男が見上げる鳥型のグレムリンは何も語らない。ただ、ただ、その場に佇むのみ。ミアは噛み付くように問い返す。
「どうして、何も覚えてないのに、そんなことがわかるのさ」
「わかったわけ、じゃない、けど。戦えるなら、戦わなきゃ」
そう言う男は、もう、途方に暮れてなどいなかった。その目は凛として、ミアをじっと見据えている。
「僕はきっと、戦うことしか、できないけど。それが、誰かを、助けることになるなら」
髭に縁取られた薄い唇を、ほんの少しだけ、歪めて。
「嬉しい、から」
どきり、とした。
この世界は終わろうとしている。誰もが諦めようとしている。ミアだって、正直に言ってしまえば、ただ自分が生きるだけで精一杯だった。
けれど、この男は。戦う力を持った上で、その力を「誰か」のために振るうことを躊躇わないというのか。
馬鹿げている、と笑い飛ばすことだってできたはずだ。いくらグレムリンを操り、未識別機動体を倒す力があったとしても、ただ一人でどうこうすることなど、できやしない。
なのに、ミアの中には熱を帯びた思いが湧き出してくる。かつて見た、遠ざかっていく大きな背中の影のイメージと共に。
その、言葉にならない思いを持て余していると、男が唇を開く。
「行かなくちゃ」
「……え?」
「ここの他にも、敵が、いると思う、から」
男の目はもう、ミアを見てはいなかった。廃工場の外、虚空領域の戦場を見据えている。自分がいるべき場所を……、見つめて、いる。
それに気づいた瞬間に、もう、ミアはいても立ってもいられなくなっていた。
「だから、君は――」
「あたしも、連れてって!」
男の言葉を遮るように。ミアは、声を上げた。
男がもう一度視線をミアに戻す。ミアは唇を引き結び、男を見上げる。男は目に見えてうろたえた様子で、かろうじて一言だけを吐き出した。
「危険だ」
「危険は承知の上。それに、あなた、グレムリンに乗れても、整備はできるの?」
「せい、び?」
男がまた、ぼんやりとした声を上げる。これは絶対にわかっていない声だ。
「グレムリンだって、ただ乗り続けてたら疲労するばかりだし、敵によってはパーツを変える必要だってある。その知識があなたにある?」
男は口をぱくぱくさせるだけで何も言わなかったが、つまり「そんなこと知らない」ということだ。
ミアはわざとらしく溜息をついて、それからにっと歯を見せて笑ってみせる。
「だから、あたしも連れてって。絶対にお役に立つよ、何しろ、整備士なんだから」
本当は「見習い」だけれども。その言葉はぐっと飲み込む。
「けど」
「煮え切らないな! ダメって言っても勝手に乗り込むからね!」
言って、男が制する前に操縦棺を無理やり開く。通常、一人がぎりぎり乗れる程度のスペースしかない操縦棺だが、この機体の操縦棺は思ったよりも広く、男が操縦席に座った上でミアが乗り込むことも十分できそうだ。
身軽に操縦棺に滑り込んだミアに手を伸ばした男は、しかし、すぐに諦めたらしく手を下ろして、ゆっくりと首を振った。
「わかった。一緒に、行こう。それで、教えてほしい。ここのこと、グレムリンのこと、それから……、ええと、君の、ことも」
言って、男もまた、操縦棺に乗り込んでくる。全視界型ディスプレイの放つシアンの光に照らされた男の顔を見上げて、ミアは笑う。
「あたし、ミア。あなたは……、そっか、名前わかんないんだっけ」
「ああ。ただ、一つだけ、わかることがあって」
男の指先が、ミアの肩から垂れ下がるコートの襟元に向けられる。ミアが襟を引っ張ってみると、そこにはずんぐりとした鳥をモチーフとしたエンブレムと、小さな文字列が縫いとめられていた。その文字列を、指でなぞり。
「『スリーピング・レイル』?」
「気づいたら、着てた、から。これが、僕の、唯一の手がかり」
よく見れば、男が着ている防護服にも同じエンブレムが見える。描かれた鳥が妙にこのグレムリンの形に似ているのは偶然か否か。
「スリーピング・レイル……。どう考えても、人の名前じゃなさそうだけど」
「そう、かな?」
「そうなの。でも、あなたが嫌じゃなきゃいいや」
スリーピング・レイル。眠る水鳥。果たして、その名前が「何」に向けられたものなのかは、ミアにももちろんわからないけれど。
「じゃあ、レイル、って呼べばいい?」
そう問いかければ、男――レイルは、眩しそうに目を細めた。もしかすると、笑ったのかもしれなかった。
「うん。よろしく、ミアさん」
ミアさん。
その声の響きに妙にくすぐったいものを感じて、ミアは唇をふにゃふにゃさせる。レイルはそれに気づいているのかいないのか、操縦席に座ると、計器をおぼつかない手つきで弄り始める。
「それで、レイル。これからどこに行くの?」
「さっき、通信を受け取ったから、そこに、行ってみようと思う」
通信で受け取った座標をセットして。
ミアが座席にしがみついたのを確認して、レイルはグレムリンを発進させる。
「そういえば、このグレムリンの名前は? 呼び名がないと不便だと思うけど」
「『スリーピング・レイル』」
「なんでわざわざ同じ名前つけるの?」
「思い、つかなかったから……」
そんな、他愛も無い言葉を交わしながら、グレムリン『スリーピング・レイル』は二人を乗せて虚空領域を行く。
目指すは通信の出所――『継ぎ接ぎ幽霊船(パッチワーク・ゴーストシップ)』。
【Scene:0002 旅立ち】
◆アセンブル
【エンジン】にフライトレス・プラチナハートを装備した
【索敵】にフライトレス・アーマーを装備した
◆僚機と合言葉
ネグロとバディを結成した!!
次回オークリーフ・レッドメールに協賛し、参戦します
オークリーフ・レッドメール担当「届けたいものがある。進路を開いてくれ」
(c) 霧のひと