ENo.0017　ルドルフ・シルヴァティカ

──戦況は悪い。
当たり前だ、ダスト・グレムリンがなくとも物量で押し潰される可能性は高かった。
グレムリンを占有せんとする巨大組織に真っ向からぶつかることの愚かさを目の当たりにする。

「マ、こうなるのを解ってて乗る僕らも大概だが」

傭兵は有象無象の、愚者の集まりか？
証明は言葉でなく暴虐で示さなくてはならない。

「あなた」

情報収集で丸一日テーブルにかじりついていた男は、愛しい妻の声で漸く電子の海から意識を取り戻した。
痛む目を揉み、きしむ椅子ごとくるりと背後へ向き直る。

「珈琲、淹れてきたわ。あまり根を詰めすぎないでね」

バイオコーヒー、ではない珈琲豆の芳醇な薫り。男は僅かに両目をしばたかせた。

「ふふ。いい薫りでしょう？少し奮発してしまったけれど、正念場にはもってこいだと思って」

「ありがとうベルタ」

照れ臭そうに、控えめにはにかむ妻を思わず抱き寄せた。
やはり持つべきは出来た妻である。

大挙する傀儡が見える。
本来未識別機動体を掃討するために集められたであろう虚仮脅しの部隊が此方に火器を向けたのだ。
あの通信士の言からして解りきってはいた事だが、無機質な群れを目の当たりにすると──

「揃いも揃って馬鹿なのか？」

あまりの愚かさに笑いが込み上げる。
操縦桿を強く握る男の獰猛な笑みを、コックピットのライトが壮絶に照らし出していた。

「ダスト・グレムリン、ねえ」

嘗て面白半分で選抜試験を受けた機体、死を遠ざけるというそれのログをなんとはなしに眺める。
興味がない訳ではない。戦場に出続けながらも死にたくないと強く思う己にとって、その特異性は無視できないものだ。
だからといって執着する程でもない。

「いやあ、胡散臭いこって。きな臭いのは嫌いじゃないが」

所属不明の依頼人、TsCの犬、ミサイルの試作品を送付してきたよく分からない奴、その他もろもろからのメールを適当に処理しながら欠伸を噛み殺した。

「ハイドラの声…………ね」

破壊でも撃退でもなく、対話しろと言うのか？まさか。
だがヴルッフの言葉を虚偽とは切り捨てられない。勿論雇い主であるから、というのはあるが、ルドルフはこと直感に関しては己を信頼していた。

「違法回路だかなんだか知らないが航空者とやらには感謝しなければ。少なくとも此方に利を齎さないTsCよりは余程利害が一致している」

ざらついた作業台を指の腹で叩く。
トン、トン、トン、トン。
リズミカルなそれは冷静な思考を喚起させた。
TsCへの怒りも嘲りも、雇い主への信用もフラットにして現状を俯瞰する。

「TsCの懸念は正しい。だが現状未識別機動体への対抗手段が我々傭兵のみなら、抑えつけるのはナンセンスだ。
支援し、取り込み、事態を収束させてから首輪を付ければいい」

ゆっくりと、咀嚼するように呟く。

「何故そうしない？
─恐らく、プライドか利権を守るためだ。腹に一物抱えているかもしれんが…情報がない今はこじつけになりかねんな」

するりといとおしげにブループリントを撫でる。中空をねめつけるように僅かに目を細めた。

「TsCの破壊は、ある種秩序の破壊だ。TsCを瓦解させて利を得るのは誰だ？3つの組織──といえば彼等だが。とはいえ無用な探りは此方の破滅に繋がる。
彼等にとって、傭兵に危険を承知で声を掛けるほどの価値がある。TsCが貪る利権だけでも膨大なんだ、当然だろうな」

ふと、笑みを浮かべる。

「──ああ、ああ、何をごちゃごちゃ考えてるんだ僕は」

獰猛な笑みを、爛々と輝く双眸を物言わぬグレムリンが見つめている。

「利権なんざ知るか。飼い殺されるのも御免だ。
ヴルッフは此方を縛らない。航空者とやらは現状利害が一致している。
TsCにも、TsCをぶっ潰そうとする奴等にも」

酷く歪んだ凶相の男は正しく自由を尊び、フリーを謳歌する傭兵だった。

「利害の如何によっちゃ相応のもてなしをくれてやる」

異常に緩やかな死への到達速度、引き伸ばされる時空、そしてグレムリンの声。
なんだこんなものかと戦場で肩透かしを食らった帰路、唐突に雇い主からもたらされた情報は、退屈を吹き飛ばすに充分な威力を持っていた。
何もかも未知だ。何もかも非日常だ。

「フフ、フフフ…………」

漸くツキが回ってきたと確信する。ダスト・グレムリンへの未練など微塵も残らなかった。

「最高だ。永遠に戦い続ける羽目になっても構わない。TsCの連中と事を構えるのも面白そうだ…さて、プライドを傷つけられた奴等はどう出る？
ああ、それよりも君の声が本当に聴けるのか──」

愛機の装甲を撫でながらうっそりと笑う。
心は熱く、だが頭は冷静に。忙しない損得勘定を繰り返しながら、上機嫌に食卓を整えているであろう妻の元へと足を運ぶ。

地を這うような、腹に響く独特の駆動音がガレージを満たす。
音が一定のリズムを刻むさまを、寓話や伝承に登場する四つ足の獣達の拍動に見立てた男によって、“A Beat of The Beast”──《B.o.B.》の銘が与えられたパーツ。
それが組み込まれた機体は大なり小なり奇妙な音と振動に付き合う羽目になる。

指定ポイント降下中に変形するよう調整が施された脚部の駆動音ときたら、鼓動というよりまるきり咆哮だった。流石に喧しすぎる。

「これもこれでいいんだがな。どうにかならないか？」
「なりませんよ！これ以上緩和させようとすると変形機構に干渉します」
「あー」

整備士に小突かれた男、ルドルフは苦笑と共に肩をすくめた。

──深夜。
光源の絞られた埃っぽいガレージで、男は相も変わらずグレムリンを、愛機を弄っていた。

「…此れだけの戦闘データがあれば、戦闘関連の演算も少しは精度が高まるかもな」
『はい。学習プログラムも問題なく作動しています』
「そうか」

機体に組み込まれたAI《ノーネーム》の応答に頷きで返す。

テイマーズゲイジにも、三大勢力にも、大した興味はない。ただ鏡のように、手を払うなら敵対を、手を取るなら協力を選ぶだけだ。
見据えるのは未識別機動体──かの機体たちのと戦闘のみである。

「楽しみだ」

傭兵は報酬で動く。
しかし、金で縛ることのできない性分もまた、自由の象徴たるフリーのパイロットの特権だった。