ENo.0009　実験体01号(unum):シグ

燃える街。《スレイヤー》含めたグレムリンを始めとする、兵器が徘徊する轟音。
仮初にも続いた安穏は壊れ、今や終わりの様相を呈している。
生存者の中には消火活動に明け暮れる者たちもいるが、間もなくそれは無意味となるのだろう。

やがて、街の防衛に徹していたグレムリン部隊の様子が見えた。
その一部は……装甲に穴や亀裂を開け、中には戦闘できる状態ではないものも、少なくなかった。
無傷なものは、もはや見当たらない。

その中にはティウの姿もあった
彼女の駆る《グローリー》を見るだけでも、疲弊しきっていることがわかる。無理もない。
むしろ僕よりも練度が低いにも関わらず、よく持ってくれたと思う。

ティウは焦燥していた。“博士”がまだラボの中にいるという話を聞き、僕もまた落ち着かなくなる。
何でも、“博士”が『忘れ物をしたので取りに行く』と言っていたようだが……。

これだけ損壊した状態だ、いつ倒壊……あるいは、大爆発のひとつしてもおかしくはない。
いや、それ以前に――虚空領域を、この時間を白紙に変えるのが先か？
考えている暇はなくなった。危険を承知で、内部へと入って行った。

秘密の部屋と呼ばれる場所から、生体反応を察知した。
さらにその日は珍しく、その入り口は施錠されていない。

そこには。

「ぴゃあっ！？！？！？」
「私の心臓を！！　止める気ですか！！！」

“博士”がいた。
……今までの人生の中で、一番怒られた気がした。
五体満足の様子を見て、安心もしたが。

ヒレ状の耳や翼。《スレイヤー》とはまた違った方向性の、荒削りの竜型グレムリン。
何より気になるのは、見たこともない奇妙な箱型の操縦棺。それはまるで急いで取り付けたようにも見え、とにかく違和感がひどかった。

それが、“博士”が駆るセレスト・グレムリンである。

その名は《ライデン》。

『DG・リンクシステム』。思い通りに動かせる、という点では快適だが、まだ慣れぬものだ。
死神機との戦闘に使うにはまだ不十分に感じる。スパルタにもほどがある。
実験体の処遇などこんなものだと言ってしまえばそれまでだが、ただのモルモットのままでは未来などない。

どうにかして、この終わりなき輪廻の檻から出なければ。

「《スレイヤー》からDG・ラボラトリィへ。実験体“UNUM”、これより帰還する」

戦闘データを送信した。
いつもであればその返事は“博士”の誉め言葉あるいは落胆の声のどちらかである。

しかし、その日は『通信の接続に失敗しました』のエラーコードとなって僕の元に帰ってきた。

疑問に思った次の瞬間。空が真昼のように明るくなり《スレイヤー》の後方から強烈な光が溢れる。
振り向くと、そこには根元から煙を上げるタワーが見えた。
咄嗟に備えるが、衝撃波に幾分かの距離を押し流される。

テロリストの攻撃か？　TsCの策略か？
何が起きたかはわからない。しかしあれほどの威力だ。タワーは無事ではあるまい、という確信がある。
嫌な予感を感じた僕はタワーのふもとに位置するラボまで、全速力を以って海洋を駆け抜けた。

タワー港湾区にたどり着いた僕は、その光景を前に戦慄した。
DG・ラボラトリィが、炎上している。

「新しい義肢の調子はどうですか、シグさん」

新たな機械義肢が僕の肉体に新しく取り付けられ、“博士”がその経過観察を行っている。
僕は新しい手を開いたり、新しい足を曲げ伸ばししてみる。
……動作にコンマ単位の遅れを感じた。

「いや、まだ少し違和感がある。調整が必要だ」

わずかな反応の遅れも、戦場においては致命的だ。
“博士”はむむう、と幼い顔を歪ませた。

義肢の色は前に使っていたものとは変わらぬ白銀色。
作る前にわざわざ色を聞いてきた辺り、僕の心理的な配慮からきているのだろう。
そして両手両足すべてには、もれなく僕の実験体としての呼称である“UNUM”（1号、という意味だそうだ）と刻印されている。
あたかも『自分の所持品には名前を書きなさい』の教えを徹底するかのように。

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義肢の調整を終えた僕が次に向かったのは、《スレイヤー》を格納したハンガーだった。
《スレイヤー》にはすでに、例の生体操縦棺が接続されている。

これから機体と神経を直接接続するシステム――『DG・リンクシステム』なるものの、稼働実験を行うのだ。
棺の座席に座ると相変わらず生暖かく、嫌な感覚と懐かしい感覚が混在して精神が混乱する。とても同じ機体に載せられた棺とは思えない。

「シグさん。できるだけ、落ち着いた状態で作業を行ってください。座席の両脇に、青色のケーブルが見えますか？」

見れば、生体操縦棺に埋め込まれた機械パーツからいくつかケーブルが生えている。
これも生体パーツだったら嫌だな、という気持ちを振り払う。平静を保て。

「義肢のカバーを外して、青い端子に接続してください」

指示通りに、青いケーブルを義肢に挿す。

「……『DG・リンクシステム』異常なし。《スレイヤー》、起動してください」

いつも通りの手順で《スレイヤー》のミストエンジンを起こす。
ホログラムHUDが灯り、《Slayer:During startup》《DG-Link_systemβ:OK》の表示。

その瞬間、視界が急速に黒に塗りつぶされ、全身の感覚が曖昧になっていく。

それでもどうにか身体を起こそうとすると、何かに引っ張られて動かない。
ミシリ、という音と“博士”や技術者たちのどよめく声が聞こえる。

「シグさーん！　大丈夫ですか、意識はありますか！？」

「あ、ある……少し朦朧としているが、はっきりしてきた」

目を開ければ視界にモザイクがかかっていたが、それも次第に鮮明になる。
……ハンガーの天井に手が届きそうな高さだ。
目の前の人間たちが指人形だと錯覚するほどに小さく感じる。

「拘束、解除しますね。身体を動かすときは慎重にお願いします」

ガコン。下の方を見ると、外れた高速具と、《スレイヤー》の下半身が映る。自分の身体を見下ろしているような感覚だ。
右手に力を込める動作を行うと、《スレイヤー》の前腕右のマニピュレーターも、それを真似た。
左も同じように動かし、結果は同様であることを確認する。

「『DG・リンクシステム』正常に稼働していますね！」
「では次に……えっと。とりあえず歩いてみましょうか？」

“博士”の提案通りに自機を歩かせようと、ゆっくりと左足を動かして踏み出そうとする。
……前のめりに倒れかけ、とっさに右手と右ひざが床をついたことで事なきを得た。
軽量機とはいえ、その質量はずしりと地鳴りを起こし、人間たちは慌てふためく。

「……すまない」

再び立ち上がろうとする、今度は慎重に。
ふたつの足裏が然りと地に着いたとき、“博士”の歓声が聞こえてきた。
つぎはぎの竜の躰に、魂が宿った。

DG・ラボラトリィの様相は、世界が一変する前より慌ただしくなっていた。
なんでも、未識別機動体の攻撃に備えた『新規格』のパーツの導入に大わらわだと。
おかげでプロト・ドラグーン2号機である《グローリー》の導入が大幅に遅れている。
《スレイヤー》の近代化改修も急がなければならないようだ。

ハンガーには大小さまざまなパーツが運ばれ、組み立てられていく。
《スレイヤー》の組み立て以来の量だ。それでも、まだ改修が足りないという。

ふと、パーツの中でも一際柔らかそうな見た目の、まるで生物の内臓のようなパーツが運搬されてきた。
“博士”曰く、これはドラグーンの生体パーツを元に開発したという操縦棺の試験品だという。

試しにチューブにつながれたそれに触れてみるとそれは培養槽の中身のように暖かく、脈動している。
あまりの生々しさに少し嫌悪を覚えた。おまけに窓もない。これが操縦棺だと？
物申そうとする隙も与えないかのように、座ってみろと言われたのでその通りにする。

……普段座る棺に比べて、なんだか息苦しい。
そう思いながら機動捜査を行うと――突如、窓のないはずの棺の前方が透き通った。
否。前方の光景が映し出されたのだ、と“博士”は解説した。

ハンガー内のエンジニアたちが僕を見ている。どうやら向こう側からもこちらの姿がわかるらしい。



でも。

……どうしてだろう。初めて見る光景なのに、奇妙な既視感を覚える。



僕が棺から出てきたところを待ち構えていたのは、《グローリー》の登場予定者であるティウだった。
感想を問われたので率直に答えると、「私も同じ」と返された。

……頭がグルグルしている。しかし今日も出撃のアラートが鳴る。
いつも通り《スレイヤー》の操縦棺（さっきのじゃなくていつもの方だ）に座り、虚空の海を疾走する。
そして僕の耳に、聞き覚えのある声が届いた。

「……気を付けて。死神がくるよ」

「……グさん！　シグさん！」

誰だと聞く必要はなかった。
それは聞き慣れた少女――“博士”の声に他ならなかったからだ。
……僕は“いつも通り”、色のないベッドで目を覚ました。

「もう14時ですよ？　いつまで寝てたんですか！　出撃まで3時間切ってますよ！！」

腕時計をこれでもかと見せつけてくる。
そんなことをせずとも、目の前の真っ白な壁に張り付いた時計が14時を少し過ぎたところを示しているが。

説教を覚悟で言い訳を語ると、博士は奇人を見る目で首を傾げた。

「え？　世界の法則がどうのって……何のことですか？」
「とにかく、あれから大変だったんですよ！　なぜかタワー上層部は閉鎖されちゃったし、ヴルッフさんは――」

“博士”は、僕が目覚める前に起こった出来事を伝えた。
おかげで『機竜計画（ドラグーン・プロジェクト）』の内容の大幅な変更を迫られているのだと、彼女は言う。
これも虚空領域の理が変わったことの影響か。当の“博士”は異変を直接認識できていなかったようだが。

「むむう……なんですかその納得いかないみたいな顔は！　実験体として成果を上げてるからって偉そうに……。」
「とりあえず今日の検査を終わらせて、ごはんもちゃんと食べて、着替えるなりして出撃準備しておいてくださいね！」

一通りまくしたて終えると、“博士”はあわただしく自分の作業に戻った。
……今はまだゆっくりできる状況じゃなさそうだ。『イエローリーパー』の事は、後で話すことにしよう。

「こうして生きているキミと会話できることも、本来なら異常なことだよ。キミが“ボクと話せる距離”にいる頃には、キミは死んでいるはずだから」

《イエローリーパー》は、衝撃的な言葉を発した。
何故かと問うと、《イエローリーパー》はこう答えた。

「そりゃあ、ボクは死神だからさ！　滅びに近い存在だけが、ボクを認識できるのさ」
「ボクがキミと話せるのは、キミがいる現実があいまいになっているからね。つまり偶然ってこと」

「『黄色い死神』の伝説。どこかの現実には確かにあったけれど、時間が経つにつれて真実は虚構で飾り付けられ、忘れられていく」
「霧の伝説にある――《ハイドラ》のようにね」
「ああ。でももうすぐお別れしなきゃ。キミは帰らなきゃいけない。変わらないけど、新しい日常にね」
「その前に、お願いしたいことがあるんだ」

途端に、黄色い死神の態度はふざけていたそれから、真剣なものへと変わった。

「キミが慕う“博士”――彼女にはどうか、同じ過ちを繰り返させないでほしい」
「あの海のドラグーンたちはみんな、同じ世界の――違う時間や違う歴史から来ているんだ」

「ボクの時空では、やがて人間同士がドラグーン同士で争うようになって、魔導機文明が滅びた」
「ドラグーンを造るのを止めてほしいわけじゃない。ただキミが、彼女に後悔をさせないように導いてほしいんだ」

“博士”を責めているわけじゃない、と死神は念押しする。
僕は「できれば」と自信なく応えてしまったが、それでも死神は微笑んだ……ような気がした。

「さよなら、シグ。……できればもう二度と会わない方が、キミにとっては幸せだろうね」

グレムリンのHUDに黄色いドラグーンの幻が現れ、僕と《スレイヤー》を導こうと羽ばたく。

「“出口”までは案内するよ。キミが二度と迷わないように――」

《イエローリーパー》が、喋った。
《スレイヤー》の補助モニターの中で、デフォルメされた黄色い鋼の竜人のアバターが飛んだり動き回ったりする。
黙って通信を切ると竜人のアバターが描き消えるが、再び強引に通信網に割り込まれ、アバターも再び現れた。

「開幕早々ひっどいなぁ。ボクはキミにずっと会いたかったのに……あ、お手紙届いてる！」

《イエローリーパー》はモニター内に具現化された郵便ポストを開け、勝手に僕のメールの受信箱の中身を盗み見る。

「えーっと、なになに？　《死神未確認機》だってぇ～？　このボクを差し置いて、死神を名乗るなんてね～。厚かましいにもほどがあるよ。」
「本音を言うなら今すぐにでもボクの手でブッ飛ばしてやりたかったけど……今のボクでは彼らを倒すことはおろか、触れることさえできない」

「それは何故か？」と僕は聞く。

「ボクはこことは違う世界の“過去の伝説”。ボクを知らず、信じない存在にとっては、亡霊同然の存在さ。けど、キミたちは違う」
「キミたち、ヴォイドテイマー――その中で頂点に至る者なら、きっと彼らに牙が届くはずさ。」
「けどそれは、キミたちが死に1歩近づくことも意味する。《スレイヤー》、キミがボクに近づくのと同じようにね」

「こうして生きているキミと会話できることも、本来なら異常なことだよ。キミが“ボクと話せる距離”にいる頃には、キミは死んでいるはずだから」

何だと？

「……ーい。おーい……」
「ハロー。ハロー。ハローワールド。きこえてるー？」

自機である『スレイヤー』への度重なる通信音声で、僕は目を覚ました。
相手は不明。“博士”でもフィクサーでもない。
うるさい、どこのテイマーだ。静かにしてくれ。

「棺（コックピット）の中で居眠りしている君に言われたくないよ、『スレイヤー』」
「それにしてもおはよう、良い眠りっぷりだったね」

『スレイヤー』のレーダーにも映らぬ未確認機。敵であるかはわからないものの、何をされるのかわからない。警戒する。
お前は何者だ。

「あー、そうだね。正体不明のまま話をするのもなんだしね。まずは自己紹介をしようか！」
「ボクは『イエローリーパー』！　キミが探し求めていた“死神”さ」

竜の形をした10mほどの巨躯が沈んだ瞬間、歓声が沸いた。
作戦区域内の敵の全滅が確認されるや否や、ハイドラグーンA-E『スプリングウィンド』と呼ばれたそれは、たちまち回収船に牽引されていく。

「シグさん、お疲れさまでした。今回のあなたたちの活躍はDG・ラボラトリィの発展に大きな貢献となるでしょう」

とてもうれしそうな声だ。僕もまた“博士”に歓喜を伝えた。
……だというのに。僕の心は晴れ晴れとしたものではなかった。
あらゆることが、あまりにも順調すぎる。フィクサーの言葉が頭をかすめる。
それが、ただの気のせいとは思えない。
“博士”も僕のFPを見てはため息をついている。
死の覚悟など、グレムリン・テイマーとして――自由傭兵として戦うと誓った時には決めていたというのに。

どうして今は、こんなにも不安なのだろう。

『ハイドラグーン』という、珍しいものが海に出現したことを受けて、“博士”はいつになく大興奮だ。

『ハイドラグーン』。公式に決められた名称ではない。
“博士”が仮にそう呼称したものだ。高尚（High）であり、《ハイドラ》（Hydra）の系譜継ぐもの。

“博士”が盛り上がっていて随分と早口になっているので、僕は何度か彼女の話を聞き返す羽目となった。
何故魔導機技術とハイドラの技術が混ざっているのか？　過去に“博士”の世界との交流の形跡があったのか？　などなど。

そもそも“博士”の世界にはまだ存在しないはずの魔導機が、虚空領域に流れ着いていること自体が不思議だ。
そのドラグーンに組み込まれた技術を参考にして少しずつ取り入れて成長しているのが僕の機体である《スレイヤー》だ。
『プロト・ドラグーン』初号機ともいうべきこの機体の姿は、白を基調とした、竜と人を無理やり混ぜ合わせたようないびつなものである。
この機体の進化の行き着く果てがあるとすれば果たしてどこなのか。
分かっていることは、その答えを出すのはおそらく《スレイヤー》ではない。

《グローリー》。プロト・ドラグーンとなるグレムリンの2号機。
新人テイマーであるティウが乗る予定の機体。まだ鋭意設計中といったところだ。
そして、僕がティウと《グローリー》の活躍を見ることは、ほぼないと言っていい。
なぜならあれが稼働するのは、僕が実験体としての“お役御免”となった、その時だからだ。

ここ数週間の間。僕は眠る度に、塵ひとつない空を飛ぶ夢を見ている。ふわふわとしていて気分がいい、そんな夢。
毎日生きるのに必死だった昔とは違って、ぐっすりと眠れるし、どんな時間帯でもすっきりと起きることができる。
そのおかげか、実験や、激化する掃海戦にも難なく対応することができている。

一方、“博士”からは、僕はよくぼんやりしていると注意される。
まるで僕が何かにとりつかれているような、そんな様子だいう。

ラボでは『DG・リンクシステム』なる新機能の試験が始まっている。
機密なので詳しいことは伝えられないが、簡単に言うと神経接続による操縦機能だ。
虚空領域では比較的ありふれた技術ではあるが、これは単なる「車輪の再発明」ではないと、“博士”は語る。
《スレイヤー》の場合は僕の機械義肢を改造し、直接グレムリンに接続するという手法を取ることになったが、将来的にさらに負荷の少ない異なる手法に切り替えていくとのことだ。

それから、次の報告。ひとり、ラボに被検体の仲間が加わった。

検体ナンバー02号（duo）。
名前は、ティウ。

『イエローリーパー』と呼ばれている存在には未だに謎が多い。
“博士”が夢中になっている竜型の機体であると考えられていること。
おそらくグレムリンよりも《ハイドラ》に近い存在であること。

仮説の通りであれば。運命到達点に近い今ならば、その姿をはっきりと見るチャンスがあるはず。
今度は自ら接近を試みようと決め、それを“博士”に提案した。
“博士”はうんざりした態度になったが、それでも止めはしなかった。

どんなにFPが尽きなければ、死ぬことはないから。
たとえそれが命を落とすことにつながったとしても、それで僕という存在に意味が生まれるというのなら。

僕は哨戒任務へと赴き、霧があればそこに突入するように指示を受けた。
《スレイヤー》の兵装も機動性を中心に、大幅に改良している。
リーパーに追いつくにはかなわずとも、ある程度はついていける速度だろう。

湿った空気。ふわふわとした感覚に包まれ、距離感すらうまく掴めない。
それでも、彼（？）は確かにそこにいた。

自機の強化のおかげだろうか。今日の死神はゆっくりと飛びたい気分だったからか。
くっきりと映った羽ばたく竜の陰影が、僕の目の前にあった。
稲光だけでなく、装甲も“黄色い死神”だったとは。

僕は『イエローリーパー』の事を、なんらかの生物の見間違いとか、そういうものではないかと思っていた時期もあったが、この接触ではっきりと、死神が機械であると理解できた。

黄色い死神は、こちらに気づいていないのか、気づいていながらあえて見逃しているのか。その視線はこちらを向いてはいない。
……もしこのままさらに接近すればどうなるのだろう？

その無謀な考えに好奇心を刺激された僕は、リーパーに干渉を試みることを伝えようと無線通信を入れようとした時だった。
『イエローリーパー』が急に、僕の傍から遠ざかっていったのだ。

まるで目に見えない仕切りが、僕と死神の間に割って入られたような感覚だった。

戦闘から帰路に就く途中の出来事だ。
僕の周囲は再び霧に見舞われた。先の演習ほどの濃霧ではないが、僕は自己判断でその場から逃げるように移動した。

そして。
僕はあの『イエローリーパー』の姿を、再び見たのだ。
あの黄金色の光を、先日よりも、より明確に。
死神は、竜の翼を広げて飛んでいた。
それをはっきりと認識できた時には、もう遠くの霧がかった空へと消えようとしていたが。
霧と稲光が、確かな竜のシルエットを晒していた。

虚空領域ではおそらくまだ他の誰も成しえていない『イエローリーパー』の、二度目の目撃を“博士”に報告すると、彼女はうんうんと唸るとようにした後、僕にこう言った。

「シグさん、あなた死神に魅入られていますよ」

それも相当シリアスな顔つきで、だ……というのも。
僕のFPが、3にまで落ち込んでいるからだ。グレムリン大隊の中では減りが速い方だ。
“博士”は僕のライセンスを見ては顔をしかめているが、
文字通りの命運を示すこの数値が、目視域である4以下にまで落ち込むことは、さして珍しいことはない。
急激にFPを失い、命を落とすパターンの方が多いくらいだ。僕の見た範囲内では。

死神を二度見た程度でそんな結論を出すのは、まだ尚早だろう、“博士”？

……ある日、演習中の時の出来事だ。
ぎらぎらと粒子の光で晴れていたはずの演習場が突然、濃いもやに覆われてしまった。
明らかに粒子や煙とは違う。こんなことは初めてだ。
“博士”はそれを『霧』だと言った。
霧は《ハイドラ》が現れる予兆。まさか、いにしえの怪物がこんなところにまで出没したというのか？
退避命令が通信機器から響き、現場はたちまちに混乱した。

僕も演習場から踵を返そうとした、その時。
腹の底に響くような、聞いたことのない轟音の咆哮。
次の一瞬、何かが僕の視界を通り過ぎて行く。

霧の空間を瞬間でよぎったその翼は、確かに黄金色の光をまとっていた。
光と声を僕がはっきりと知覚する頃には、謎の乱入者はたちまち遠くへと消えていった。

僕は目に焼き付けたそれをそのまま“博士”に報告した。
ところが『黄金の翼』を見た者はどうやら僕以外、“博士”を含めて誰もいないらしい。

“博士”は。非常に興奮した様子で僕にこう言った。
「あなたは見たんですね！？　『イエローリーパー』を！！」
『イエローリーパー』。博士が追い求めてやまない謎の機体。黄色い死神。
“博士”がお熱である竜型機体『ドラグーン』と関係しているらしいが、詳細はふたつの意味で『霧の中』だ。
“博士”ですら、瞬間でしか見たことがないというのに、どうしてあんなものと関連付けられるんだ？
天才が考えることなど、僕には全く理解ができない。

しかし、理解できたことはひとつある。
僕はどうやら、とんでもないものに関わってしまったらしい、ということだ。

「回避能力は非常に優秀。素晴らしい成果でした」
「しかし……やはり索敵が重要ですね。良質なレーダーが欲しいところですが……ぶつぶつ」

“博士”のひとりごとは相変わらず多い。改良の余地のある、可能性にあふれた機体であると、彼女は熱心に語る。
《スレイヤー》は近日、パーツの大幅な増設を予定している。
これを境に、「プロジェクト：ドラグーン」は本格的に動き出すことになるだろう。
僕の知らない世界を救うためのこの計画が成功するかは“博士”と、僕にかかっている。
僕にとって意味があるのかは、まだわからない。

「……それで、今回の反省点は」

白衣を着た“博士”は赤縁の眼鏡をかけ直し、端末の画面いっぱいに広がる戦闘データとにらめっこしたあと、次のように答える。

「火力が決定的に足りませんね。もっと『殺戮者』の名にふさわしい破壊をもたらせるように、改造を検討しましょう」
「ただ……望んだ通りの成果を上げるには結構な時間がかかるでしょう。何しろこの機体は何もかもが試験段階。焦りは禁物です」

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……数十日後。

DG・ラボラトリィのガレージが開かれる。……その中には。

竜と人をいびつに掛け合わせたような、黒を基調としたモノクロームのグレムリン機体。
これが《スレイヤー》。“博士”が造りだした最初の竜機――『ドラグーン』にして、僕の相棒だ。

……眩しい。
照射される疑似太陽光ランプが、僕に『朝』の知らせを届けに来ていた。
四方を白い壁に囲まれた部屋。そこが、僕の生活の始まりの場所だ。

“博士”はこの部屋を「殺風景」だと言うが、僕は気に入っている。
昔いた場所より清潔だし、衣食住に困らない。
この研究所を建てるのに相当苦労したと“博士”は語っているが、虚空領域に漂着した齢13の少女が、1年も経たずに達成したことだ。
そんなありえないことを成し遂げられるのは、彼女が『天才』たるゆえだろうか。

「おはようございます。朝食は一日の要です。冷める前に食べてくださいね」

やれやれ。“博士”からの呼び出しだ。そっけない風に見えて妙に甲斐甲斐しいな。
僕みたいな“実験動物（モルモット）”を丁寧に世話をしたところで、意味はないと言うのに。