第23回目 午前2時のS.Owen
プロフィール
名前
S.Owen
愛称
S.Owen
経歴 鴉にも鷹にも成れなかったただの鳶。 頭部と左手の甲に大きな傷跡があり、肉体と脳の所有者が異なる。 【脳: Helijah】 記憶の欠落を自覚しているが、かつてC.C.という名の機体を駆っていた過去だけは忘れた事がない。 愛想がなく口が悪いが、唯一部下のことだけは信用している。 本人は認めたがらないが乗せられやすく、少しいいメシや健康温泉で釣られる。 稼働限界を迎え、停止した。 【肉体: Shawn】 灰色の短髪と目付きの悪さが特徴的で、若干筋肉質。くしゃみが豪快。 脳の持ち主を上長と呼び慕っていた。良く言えば献身的。 時々脳の命令を無視して勝手に動く。 元真紅連理の末端研究機関所属員。 実験段階の■■■■■■を■■逃亡中。 【Sub: Nicolai】 東南東海域『南の島』第十二番工廠所属を名乗る整備士。 白髪に大きなゴーグルを着用している。 グレムリンとグレイヴネット・インターフェースが大好きで、両者について話す時は特に早口。 翡翠経典を「悠久の■■、希望の担い手」と称する。 南の島にて『シームルグ』に搭乗し交戦後、■■■ (以降の記述は読み取れない) |
◆日誌
//
!Emergency!
Overwriting the definition――
――
――――completed.
//
――
――――
何処かで目覚まし時計が鳴っている。
……ああ。『また』か。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
はっきりしない視界に目を擦りつつ、重い肉体に鞭打ってゆっくり上半身を起こす。
目覚めたのは自室のベッドの上。
窓の外は暗闇に覆われ、部屋は微かな非常灯が照らすばかり。
時計を見れば、時刻は20時を回ろうとしていた。
「……」
立ち上がると、頭がずきりと痛んだ。
酒を飲んだ覚えはない。疲れが出ているのだろうか。
溜息を吐き、壁のスイッチに手を伸ばす。
20時丁度。もうすぐ、彼がやってくる時間だ。
******
程なくして、扉を叩く音がした。
「おーい、ショーン。生きてるか?」
返答する前に扉が無造作に開けられ、声の主が顔を出す。
「お、今日は残業せずに――って、うわ、こりゃまた随分と……」
現れた男は部屋を見るなり絶句し、肩を竦めた。
「大方戻ってすぐベッドに倒れて、たった今起きたってとこか。
ほら、待っててやるから顔洗って来い」
「……付いてますか、涎の跡」
「くっきりとな。更に言えば寝癖で髪が爆発している」
「整えてきます……」
鏡の前で格闘して戻ると、机の上に缶飲料が並べられていた。
「すみません。片付けて頂いたようで……」
「全くだ。と言いたいところだが、最近多忙を極めているようだからな。
俺が代わりに掃除してやろうか。ん?」
「いえ、その……遠慮しておきます。恥ずかしいので……」
「何を恥ずかしがる事が……ああ、見られたくない物の五つや六つあるか」
男だものな、と一人で頷いた客人は、近くの缶を手に取った。
「何はともあれ週末だ。好きなものを飲むといい。酒にするか?」
「あ、出来れば他のものを……少し、頭痛がしまして」
「そうか。ならコイツだな」
手渡されたのは、ラベルに青い花が印刷された清涼飲料。
「……頂きます」
「遠慮は要らん。――して、」
温いそれをぐいと煽ると、彼が問うた。
「ここ暫くお前の表情が晴れないのは、仕事が原因か?」
******
「……」
「そう、その表情だ。どうした?俺の居ぬ間に何かあったか?
言ってみろ。理不尽に詰められたか?成果を取られたか?」
「いえ、……俺は大丈夫です、」
「慣れていますから、耐えるのは――などと言ってくれるなよ。
俺を頼れ。俺は、弟分を一人で苦しませたくはないのだ」
彼の眼差しに嘘偽りはなかった。しかし。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、ご心配には……」
「……分かった。では話を変えよう。
明日は休日だろう。何か予定はあるのか」
「休養に充てるつもりです。先輩は……妹さんのところですか」
「ああ。よく分かったな」
「声が弾んでいますから」
「流石だな。まあ、大目に見てくれ。
何たってエリヤに会いに行けるのだ。こんなに嬉しいことはない!」
引き締まった顔が、満面の笑みで彩られる。
「見ろ、俺の妹は可愛いだろう!」
押し付けられた携帯機器に映るのは、白い部屋で微笑む長髪の女性。
ずく、と頭の奥が疼いた。
赤い髪。錆色に似た、赤。赤い――
世界がぐらりと回る。
傾いた肉体は、痛みを感じる前に人の腕に触れた。
「――ショーン!」
「……すみません、少々眩暈が……」
「今日はお開きにしよう、続きはお前が回復してからだ」
気付けばベッドに座らせられ、片付けを終えた男と目が合う。
「すまない、無理をさせたな。看病は必要か」
「いえ、少し眠れば回復します。俺は大丈夫ですから、戻って明日の支度を」
「……分かった。何かあればすぐに呼べ」
そう言うと、彼は部屋を出て行った。
******
部屋が静寂を取り戻す。
「……酷い悪夢だ」
気付くと唇が動いていた。
「アルフレッド、申し訳ありません。
……気にかけて下さったあなたに、何度謝罪をしても足りません。
それでも俺は、もう引き返す事は出来ないのです」
口に出せば、もう止められなかった。
立ち上がって紙を数枚掴むと、机の上に重ねて敷く。
「きっかけは、些細な喪失感でした」
右手で額に触れる。傷跡のない、ややかさつくだけの肌に。
「何かが欠けている。大切な存在がいない。
『自分の脳』があるだけの頭が、外的異常もないのに疼く。
拭えない違和感は日ごとに膨らみ、脳を抉り出したくなる衝動に駆られ、」
部屋を見回すと、カッターナイフが目に留まった。
「……思い出しました。エリヤ上長の事を。
おかしい。俺があなたの事を忘れるなど、万に一つもあり得ません。
何者かに操作されたか――と考えて、一つの名に辿り着きました。
ケイジキーパー、デッキィ。
この世界は記憶ごと、そう名乗る存在に塗り替えられたのだと」
左手を紙の上に置き、カッターナイフを右手で握る。
「あなたは、戦禍の絶えない世界に干渉するために作り出されました。
平和なこの世界では、最初から存在しなかったことになっています。
俺の頭蓋の中だけではなく、世界の何処にも……」
一瞥した左手の甲に、切り傷の跡はない。
溜息を吐くと、真っ新な肌に刃を突き立てた。
「……忘れていた方が、幸せだったのかもしれません。彼のように。
アルフレッドの笑顔は、二度と見られないと思っていましたから」
ぎりぎりと刃先を埋めると、鮮烈な痛みと共に赤い血が滲む。
引き抜けば、溢れた血が紙に滴り落ちた。
「しかし、俺は思い出してしまった。
戦いの先に辿り着いた世界がどれほど美しくとも、
あなたがいないのなら、まだ戦い続けざるを得ません」
気付けば出血は治まり、左手の甲には古い傷跡が浮かび上がっていた。
幻影が剥がれ、元の状態を取り戻したかのように。
「やはり『ここ』でしたか。
他に、不都合なものが隠蔽されている可能性が高いのは……」
かつての世界との差異。
全てが異なる中でも特に、到達を禁じられているタワー外海。
「……行きましょう」
慣れた手付きで血を拭き取ると、丸めて部屋の屑入れに捨てる。
簡単に荷物をまとめると、誰にも見つからないように部屋を後にした。
******
暫くの後。
部屋の扉が数度ノックされ、再び赤髪の男が顔を出す。
「おいショーン。これでも食って元気に……ショーン?」
ベッドの上にも、洗面所にも人の姿はない。
部屋を見回した男は、屑入れに捨てられた紙玉を目に留めた。
「……鼻血か?」
白い紙に付着した赤い血を見た瞬間、男の脳裏に映像が閃いた。
――赤い長髪。赤い粉塵に煙る世界。赤い空を駆ける機体群。
それらが数秒でかき消えた後も、男はその場を動けなかった。
(……なん、だ?今見えたのはエリヤか?しかしあの服は、)
フィルタースーツだ、と記憶が答える。見覚えもないのに、明確に。
嫌な予感がした。これ以上思い出してはいけない、と本能が訴える。
頭の奥から声がする。
(……俺の妹を返せ、ショーン・オブライエン……?)
怨嗟の声は自身のもの。しかし、その言葉を発する状況に心当たりがない。
(く、そ。この頭痛は一体何だ。何故俺は震えている?
だが……逃げるな。あの二人に関わる事なら、俺は知らねばならん)
言い知れぬ忌避感に抗うように歯を食いしばると、先程の映像を手繰り寄せる。
そして――男は思い出した。
******
タワー西端の船着場から夜の海へと、一艘の小型ボートが滑り出す。
最低限のランプを灯し、レーダーを頼りに進む船は、振り返る事なく外海を目指す。
暗闇の中で船室内部に身を納めた男は、どこか安堵を覚えていた。
「……グレムリンの操縦棺に似ています。
この世界の『C.C.』。俺に力を貸して下さい」
夜間のためか、外海に向かう連絡船も見当たらず、海上は静かに凪いでいる。
一面の暗闇の中、男は独り呟く。
「上長。俺の身勝手に巻き込んで申し訳ありません。
かつての俺は、興味も意志も薄く、ただ指示に従うだけの人形でした。
『彼』――ヴォイドステイシスがそうであったように。
しかし、彼は戦う意志を見せ、上長は過去に踏み込んで下さった。
であれば俺も、次こそは……」
レーダーが、外海が近い事を告げる。警告音が鋭く響いた。
しかしボートは減速する事なく進み続ける。
「再製前の世界では、上長の脳の一部をお借りしていましたが、
ここに在るのはただの俺の脳です。
つまり、今この身が消滅しようと、上長に負荷がかかる恐れはない。
このまま、俺自身を世界に対する投石とします」
視界が突然赤く染まった。レーダーは外海との境を示している。
船体と男を包んだ光は赤から黒へと、思考を塗り潰し分解していく。
「……世界など、とうに敵に回しています。
今回も……いえ、何度でも同じ選択をするだけです。
俺はこの肉体を以て、あなたという存在を匿います。
実験体のElijahではなく……そう、Helijah(エリヤ)という個人として」
「――生き延びましょう、エリヤ上長。あなたを世界なぞに奪わせはしません」
その言葉を最後に、男は意識を手放した。
******
――斯くして世界は巻き戻る。
幾多の意志と願いを飲み込んで。
→→Dive into the next season...
→→to be continued.
※PLより: S1お疲れ様でした!お付き合い頂きありがとうございました。
!Emergency!
Overwriting the definition――
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――――completed.
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何処かで目覚まし時計が鳴っている。
……ああ。『また』か。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
はっきりしない視界に目を擦りつつ、重い肉体に鞭打ってゆっくり上半身を起こす。
目覚めたのは自室のベッドの上。
窓の外は暗闇に覆われ、部屋は微かな非常灯が照らすばかり。
時計を見れば、時刻は20時を回ろうとしていた。
「……」
立ち上がると、頭がずきりと痛んだ。
酒を飲んだ覚えはない。疲れが出ているのだろうか。
溜息を吐き、壁のスイッチに手を伸ばす。
20時丁度。もうすぐ、彼がやってくる時間だ。
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程なくして、扉を叩く音がした。
「おーい、ショーン。生きてるか?」
返答する前に扉が無造作に開けられ、声の主が顔を出す。
「お、今日は残業せずに――って、うわ、こりゃまた随分と……」
現れた男は部屋を見るなり絶句し、肩を竦めた。
「大方戻ってすぐベッドに倒れて、たった今起きたってとこか。
ほら、待っててやるから顔洗って来い」
「……付いてますか、涎の跡」
「くっきりとな。更に言えば寝癖で髪が爆発している」
「整えてきます……」
鏡の前で格闘して戻ると、机の上に缶飲料が並べられていた。
「すみません。片付けて頂いたようで……」
「全くだ。と言いたいところだが、最近多忙を極めているようだからな。
俺が代わりに掃除してやろうか。ん?」
「いえ、その……遠慮しておきます。恥ずかしいので……」
「何を恥ずかしがる事が……ああ、見られたくない物の五つや六つあるか」
男だものな、と一人で頷いた客人は、近くの缶を手に取った。
「何はともあれ週末だ。好きなものを飲むといい。酒にするか?」
「あ、出来れば他のものを……少し、頭痛がしまして」
「そうか。ならコイツだな」
手渡されたのは、ラベルに青い花が印刷された清涼飲料。
「……頂きます」
「遠慮は要らん。――して、」
温いそれをぐいと煽ると、彼が問うた。
「ここ暫くお前の表情が晴れないのは、仕事が原因か?」
******
「……」
「そう、その表情だ。どうした?俺の居ぬ間に何かあったか?
言ってみろ。理不尽に詰められたか?成果を取られたか?」
「いえ、……俺は大丈夫です、」
「慣れていますから、耐えるのは――などと言ってくれるなよ。
俺を頼れ。俺は、弟分を一人で苦しませたくはないのだ」
彼の眼差しに嘘偽りはなかった。しかし。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、ご心配には……」
「……分かった。では話を変えよう。
明日は休日だろう。何か予定はあるのか」
「休養に充てるつもりです。先輩は……妹さんのところですか」
「ああ。よく分かったな」
「声が弾んでいますから」
「流石だな。まあ、大目に見てくれ。
何たってエリヤに会いに行けるのだ。こんなに嬉しいことはない!」
引き締まった顔が、満面の笑みで彩られる。
「見ろ、俺の妹は可愛いだろう!」
押し付けられた携帯機器に映るのは、白い部屋で微笑む長髪の女性。
ずく、と頭の奥が疼いた。
赤い髪。錆色に似た、赤。赤い――
世界がぐらりと回る。
傾いた肉体は、痛みを感じる前に人の腕に触れた。
「――ショーン!」
「……すみません、少々眩暈が……」
「今日はお開きにしよう、続きはお前が回復してからだ」
気付けばベッドに座らせられ、片付けを終えた男と目が合う。
「すまない、無理をさせたな。看病は必要か」
「いえ、少し眠れば回復します。俺は大丈夫ですから、戻って明日の支度を」
「……分かった。何かあればすぐに呼べ」
そう言うと、彼は部屋を出て行った。
******
部屋が静寂を取り戻す。
「……酷い悪夢だ」
気付くと唇が動いていた。
「アルフレッド、申し訳ありません。
……気にかけて下さったあなたに、何度謝罪をしても足りません。
それでも俺は、もう引き返す事は出来ないのです」
口に出せば、もう止められなかった。
立ち上がって紙を数枚掴むと、机の上に重ねて敷く。
「きっかけは、些細な喪失感でした」
右手で額に触れる。傷跡のない、ややかさつくだけの肌に。
「何かが欠けている。大切な存在がいない。
『自分の脳』があるだけの頭が、外的異常もないのに疼く。
拭えない違和感は日ごとに膨らみ、脳を抉り出したくなる衝動に駆られ、」
部屋を見回すと、カッターナイフが目に留まった。
「……思い出しました。エリヤ上長の事を。
おかしい。俺があなたの事を忘れるなど、万に一つもあり得ません。
何者かに操作されたか――と考えて、一つの名に辿り着きました。
ケイジキーパー、デッキィ。
この世界は記憶ごと、そう名乗る存在に塗り替えられたのだと」
左手を紙の上に置き、カッターナイフを右手で握る。
「あなたは、戦禍の絶えない世界に干渉するために作り出されました。
平和なこの世界では、最初から存在しなかったことになっています。
俺の頭蓋の中だけではなく、世界の何処にも……」
一瞥した左手の甲に、切り傷の跡はない。
溜息を吐くと、真っ新な肌に刃を突き立てた。
「……忘れていた方が、幸せだったのかもしれません。彼のように。
アルフレッドの笑顔は、二度と見られないと思っていましたから」
ぎりぎりと刃先を埋めると、鮮烈な痛みと共に赤い血が滲む。
引き抜けば、溢れた血が紙に滴り落ちた。
「しかし、俺は思い出してしまった。
戦いの先に辿り着いた世界がどれほど美しくとも、
あなたがいないのなら、まだ戦い続けざるを得ません」
気付けば出血は治まり、左手の甲には古い傷跡が浮かび上がっていた。
幻影が剥がれ、元の状態を取り戻したかのように。
「やはり『ここ』でしたか。
他に、不都合なものが隠蔽されている可能性が高いのは……」
かつての世界との差異。
全てが異なる中でも特に、到達を禁じられているタワー外海。
「……行きましょう」
慣れた手付きで血を拭き取ると、丸めて部屋の屑入れに捨てる。
簡単に荷物をまとめると、誰にも見つからないように部屋を後にした。
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暫くの後。
部屋の扉が数度ノックされ、再び赤髪の男が顔を出す。
「おいショーン。これでも食って元気に……ショーン?」
ベッドの上にも、洗面所にも人の姿はない。
部屋を見回した男は、屑入れに捨てられた紙玉を目に留めた。
「……鼻血か?」
白い紙に付着した赤い血を見た瞬間、男の脳裏に映像が閃いた。
――赤い長髪。赤い粉塵に煙る世界。赤い空を駆ける機体群。
それらが数秒でかき消えた後も、男はその場を動けなかった。
(……なん、だ?今見えたのはエリヤか?しかしあの服は、)
フィルタースーツだ、と記憶が答える。見覚えもないのに、明確に。
嫌な予感がした。これ以上思い出してはいけない、と本能が訴える。
頭の奥から声がする。
(……俺の妹を返せ、ショーン・オブライエン……?)
怨嗟の声は自身のもの。しかし、その言葉を発する状況に心当たりがない。
(く、そ。この頭痛は一体何だ。何故俺は震えている?
だが……逃げるな。あの二人に関わる事なら、俺は知らねばならん)
言い知れぬ忌避感に抗うように歯を食いしばると、先程の映像を手繰り寄せる。
そして――男は思い出した。
******
タワー西端の船着場から夜の海へと、一艘の小型ボートが滑り出す。
最低限のランプを灯し、レーダーを頼りに進む船は、振り返る事なく外海を目指す。
暗闇の中で船室内部に身を納めた男は、どこか安堵を覚えていた。
「……グレムリンの操縦棺に似ています。
この世界の『C.C.』。俺に力を貸して下さい」
夜間のためか、外海に向かう連絡船も見当たらず、海上は静かに凪いでいる。
一面の暗闇の中、男は独り呟く。
「上長。俺の身勝手に巻き込んで申し訳ありません。
かつての俺は、興味も意志も薄く、ただ指示に従うだけの人形でした。
『彼』――ヴォイドステイシスがそうであったように。
しかし、彼は戦う意志を見せ、上長は過去に踏み込んで下さった。
であれば俺も、次こそは……」
レーダーが、外海が近い事を告げる。警告音が鋭く響いた。
しかしボートは減速する事なく進み続ける。
「再製前の世界では、上長の脳の一部をお借りしていましたが、
ここに在るのはただの俺の脳です。
つまり、今この身が消滅しようと、上長に負荷がかかる恐れはない。
このまま、俺自身を世界に対する投石とします」
視界が突然赤く染まった。レーダーは外海との境を示している。
船体と男を包んだ光は赤から黒へと、思考を塗り潰し分解していく。
「……世界など、とうに敵に回しています。
今回も……いえ、何度でも同じ選択をするだけです。
俺はこの肉体を以て、あなたという存在を匿います。
実験体のElijahではなく……そう、Helijah(エリヤ)という個人として」
「――生き延びましょう、エリヤ上長。あなたを世界なぞに奪わせはしません」
その言葉を最後に、男は意識を手放した。
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――斯くして世界は巻き戻る。
幾多の意志と願いを飲み込んで。
→→Dive into the next season...
→→to be continued.
※PLより: S1お疲れ様でした!お付き合い頂きありがとうございました。
◆23回更新の日記ログ
【■■■ 22】
//
Lo■ged ■n by a■mini■tra■or:
■■thentica■or changed: ■lij■h to S――
//
******
タワー下層。港湾部からやや離れた場所にある、居住区画の一室。
数多の思念が飛び交うタワーにありながら、その空間はしんと静まり返っていた。
上方――ヒヨコ立像領域およびシモムラ思念領域では、ケイジキーパー『リヴ』の操るヴォイドステイシスと傭兵達が対峙し、今まさに世界の命運を左右する戦闘を繰り広げている。
しかし、この部屋にその余波は届かない。
照明を落とした薄暗い空間は、概ね『いつも通り』の様相を見せていた。
人間一人が最低限の生活を営める程度の、何の変哲もない一室。
粉塵除去フィルタに保護された、僅かに物品の置かれた空間。
一箇所に集められた廃棄物が、辛うじて居住者の存在を主張する。
壁際には簡易寝台が一つ、室内を見守るように置かれている。
硬いマットレスの敷かれた、眠れはするが寝心地が良いとは言えないベッド。
その端に、男が一人腰掛けていた。
******
非常灯だけがうっすらと灯る部屋の中。
男は今しがた起床したばかりのように、ぼんやりと虚空を見つめていた。
その顔に表情はなく、眠そうに緩慢な瞬きを繰り返している。
ふと、男の視界がベッドに置かれた自身の左手を捉えた。
その瞬間、何処を見るともなく見ていた瞳が焦点を結ぶ。
薄汚れた厚手の手袋を剥ぎ取ると、右手をジャケットの懐に潜り込ませようとして暫し停止する。
軌道を変えて右腿に伸ばされた手は、慣れた動作でホルスターからナイフを引き抜いた。
まるでそうする事が当然であるかのように、躊躇することなく。
そのままナイフを半回転させ、小指側に刃が来るよう握り込むと、左手の甲に深く刻まれた傷跡めがけて振り下ろし――
――刃先が手の皮を突き破る寸前、ナイフの動きがぴたりと止まった。
数秒の後、男が小さく息を吐く。
傷跡からナイフを離すと、刃に血が付いていない事を確認して元の場所に仕舞う。
再び左手に一瞥をくれると、唇から小さな呟きが漏れた。
「申し訳ありません、もう必要ありませんでしたね。
あなたに苦痛を与えてしまうところでした。無礼をお許し下さい……上長」
発された声は柔らかく、まるで別人のように――
或いは『元に戻った』かのように、穏やかに響いた。
******
「……人間が、」
長い静寂の後、男は再び口を開いた。
「己が肉体ひとつで世界を変えることは、ほぼ不可能です。
体長2メートルにも満たない一個体に対して、この世界は広大すぎる……」
古い伝承を読み聞かせるような、抑揚のない響き。
淡々とした声は空気を揺らし、室内に溶けてゆく。
「それでも自身が望む世界を求めるのであれば、別の手段が必要です。
志を同じくする者が多ければ、徒党を組んで一勢力を作り上げる。
そうでなければ、単独で世界を相手取るに足る力を手に入れる」
男は静かに腰を上げると、室内を一瞥した。
積もった埃が、居住主が長らく不在だった事実を物語っている。
「しかし、どんな選択をした場合でも、実際に事を為すのはグレムリンです。
人間の思念で制御可能で、人智の及ばぬ強大な力を発揮するマシン。
この世界において、グレムリンを上回る戦闘能力を有するものは
恐らく存在しないでしょう。一個人の独断で扱える力となれば尚更です」
付近の壁に手を沿わせてゆっくりと歩きながら、
どこか他人事のように、男は淀みなく語り続ける。
「グレムリンは思念によって動きます。
搭乗者と機体本体の思念が出力に影響し、状況に変化を齎す。
一概には言えませんが、思念強度が上がるほど能力も強まるとみられています」
使われた形跡のないキッチンを通り過ぎる。
くうと鳴った腹は、左手で軽く押さえるに留めた。
「では、複数体の思念を一体に集約すれば、数倍の出力が見込めるのではないか?
例えば、『ファントム』のような巨大融合体を作り出し、
テイマーの代わりに制御用装置を搭載し、自在に操る事が叶えば、
量産型グレムリンを揃え、テイマーを育成するよりも確実に、
効率良く世界に干渉出来るのではないか?
――そういった仮定の下、本プロジェクトは幕を開けました」
やがて、男は洗面所に足を踏み入れた。
洗面台に備え付けられた鏡は、ひび割れて灰色にくすんでいたが、
辛うじて前に立つ者の姿を映す事は出来た。
「常人では正気を保つ事が困難な複合思念曝露に耐え、
かつグレムリンの操縦に必要な思念を疑似的に発信可能で、
戦闘AIとしても優秀な、制御装置の開発。
その過程で人間の脳を元にデザインされ、作製されたのが『Elijah』――
上長。あなたです」
鏡を覗き込むと、見慣れた不愛想な顔が映し出される。
自身の黒く暗い瞳を見据え、男は僅かに目を細めた。
「やっと……やっとです。ようやく、ここまで辿り着くことが出来ました」
額に触れた左手が、痛々しく残る大きな傷跡を慈しむように撫でた。
******
「俺は――ずっと、あなたの監視役として行動を共にしていました」
声が届かないと理解しながら、額に手を添えたまま。
既に停止し、自身の頭蓋に収まる脳に淡々と語り続ける。
「俺は当時、真紅連理配下のとある機関の一員でした。
顔も知らない上層部から指令を受け、『Elijah』の原型と複製体を作成しました。
……彼らが何を目的としていたかは聞かされていません。
知ったところで拒否出来る訳でもなく、興味もありませんでしたから」
「実戦に即した経験を積むには、実際にグレムリンを操るのが最も効率が良い。
研究が進み――基礎的な戦闘メカニズムの調整を終えた段階で、
俺を含む複数名が一定期間訓練を受け、傭兵に扮し、
各複製体の監視、および育成を担当する事になりました」
「戦闘訓練を『依頼』としてお伝えし、あなたの得る情報を制限し、
外部への不信感を誘発させていたのは俺です。
あなたが他人に接触し、奪われる事態を避けるためでしたが、
無用な悪意に晒した事はお詫びします……申し訳ありません」
「……そんな状況下でも、あなたはよく頑張って下さいました。
戦闘に効果的な『怒り』をベースに人格が組まれ、他の感情が削がれた状態で、
泣きもせず、喜びもせずに着実に訓練を積み。
こと戦闘においては、直接戦闘に加えアセンブルもある程度習得された。
目覚ましい成長です。いつかご指摘頂いた戦い方についても……」
男の声が、きまり悪そうな、恥ずかしそうな響きを帯びる。
「――攻勢に出なかったのではなく、出られなかったのです。
当時の俺は、あなたについて行くだけで精一杯でした」
微かな溜息が漏れる。
そして、男は意を決したように深く息を吸い込んだ。
「……あの日。俺は、あなたを機関に引き渡す命令を受けていました。
十分に戦闘経験を積み、最後の『試験』をクリアした被検体を渡せば、
俺の任務は完了し、疑似傭兵として活動する期間は終わる。
……そのはず、でした」
男の声が詰まる。
淡々と紡がれてきた言葉が、徐々に震え始めた。
「……最初から知っていた筈でした。
共に行動する間の人格や記憶は、訓練用に与えられた仮初のものにすぎず、
戦闘に直接関係しない部分は、訓練が終われば全て消去される事を」
「ですが、その頃には既に、俺はあなたを『Elijah』のうちの一体ではなく、
『エリヤ上長』として認識するようになっていました。
単なる実験体と割り切るには多すぎる経験を、時間を――感情を、
俺はあなたから頂いてしまった……」
洗面台に両手をつき俯いた男は、懺悔と苦悩の滲むか細い声を絞り出した。
「……上長。俺は受け入れられなくなってしまったのです。
あなたという『人間』が存在した形跡が、失われてしまう事が……」
******
「あの時引き留めたのは、上長を逃がすためでした。
しかし、結果はご存じの通り――彼らは俺を拘束し、
あなたは回収され、自由に動かせる義体を失いました」
再びベッドに腰掛けた男は、目を閉じて呟く。
「俺は、あなたが消失しない世界を求めて、あらゆる手段を講じました。
機関を敵に回し、追われる身になりながら。
世界再製現象を知ってからは、肉体と脳にも細工を施し、何度も――何度も。
記憶は失われますが、全てが無に帰す訳ではありません。
そして……『今回』ようやく、あなたを俺の頭蓋に匿ったまま、
ここに辿り着くことが出来ました」
他に訪れる者のない部屋を、静かな声が支配する。
「真に時が止まり、何度でも巻き戻ればいいと思ってしまう俺には、
ケイジキーパーに異を唱え、砲口を向ける事が出来ません。
彼だけではなく、破綻したデータを抱いて戦ったリザレクションにも。
彼の求めた理想は、俺には……」
――『破滅の今際にて、停滞せよ、世界』
『世界はいまのままで十分、美しいのだから』――
何処かで耳にした文言を思い起こしながら、男は祈るように両手を組んだ。
「申し訳ありません、上長。
先に進んだ世界で、あなたの消失を目にするのが恐ろしくて、
『少しでも長く』この時間が続く事を願う俺は、愚か者でしょうか――」
誰にも届かず、世界を満たす思念に抗うような小さな願いが、
男の唇から零れ落ち、ぽつりと部屋に溶けて行った。
//
Lo■ged ■n by a■mini■tra■or:
■■thentica■or changed: ■lij■h to S――
//
******
タワー下層。港湾部からやや離れた場所にある、居住区画の一室。
数多の思念が飛び交うタワーにありながら、その空間はしんと静まり返っていた。
上方――ヒヨコ立像領域およびシモムラ思念領域では、ケイジキーパー『リヴ』の操るヴォイドステイシスと傭兵達が対峙し、今まさに世界の命運を左右する戦闘を繰り広げている。
しかし、この部屋にその余波は届かない。
照明を落とした薄暗い空間は、概ね『いつも通り』の様相を見せていた。
人間一人が最低限の生活を営める程度の、何の変哲もない一室。
粉塵除去フィルタに保護された、僅かに物品の置かれた空間。
一箇所に集められた廃棄物が、辛うじて居住者の存在を主張する。
壁際には簡易寝台が一つ、室内を見守るように置かれている。
硬いマットレスの敷かれた、眠れはするが寝心地が良いとは言えないベッド。
その端に、男が一人腰掛けていた。
******
非常灯だけがうっすらと灯る部屋の中。
男は今しがた起床したばかりのように、ぼんやりと虚空を見つめていた。
その顔に表情はなく、眠そうに緩慢な瞬きを繰り返している。
ふと、男の視界がベッドに置かれた自身の左手を捉えた。
その瞬間、何処を見るともなく見ていた瞳が焦点を結ぶ。
薄汚れた厚手の手袋を剥ぎ取ると、右手をジャケットの懐に潜り込ませようとして暫し停止する。
軌道を変えて右腿に伸ばされた手は、慣れた動作でホルスターからナイフを引き抜いた。
まるでそうする事が当然であるかのように、躊躇することなく。
そのままナイフを半回転させ、小指側に刃が来るよう握り込むと、左手の甲に深く刻まれた傷跡めがけて振り下ろし――
――刃先が手の皮を突き破る寸前、ナイフの動きがぴたりと止まった。
数秒の後、男が小さく息を吐く。
傷跡からナイフを離すと、刃に血が付いていない事を確認して元の場所に仕舞う。
再び左手に一瞥をくれると、唇から小さな呟きが漏れた。
「申し訳ありません、もう必要ありませんでしたね。
あなたに苦痛を与えてしまうところでした。無礼をお許し下さい……上長」
発された声は柔らかく、まるで別人のように――
或いは『元に戻った』かのように、穏やかに響いた。
******
「……人間が、」
長い静寂の後、男は再び口を開いた。
「己が肉体ひとつで世界を変えることは、ほぼ不可能です。
体長2メートルにも満たない一個体に対して、この世界は広大すぎる……」
古い伝承を読み聞かせるような、抑揚のない響き。
淡々とした声は空気を揺らし、室内に溶けてゆく。
「それでも自身が望む世界を求めるのであれば、別の手段が必要です。
志を同じくする者が多ければ、徒党を組んで一勢力を作り上げる。
そうでなければ、単独で世界を相手取るに足る力を手に入れる」
男は静かに腰を上げると、室内を一瞥した。
積もった埃が、居住主が長らく不在だった事実を物語っている。
「しかし、どんな選択をした場合でも、実際に事を為すのはグレムリンです。
人間の思念で制御可能で、人智の及ばぬ強大な力を発揮するマシン。
この世界において、グレムリンを上回る戦闘能力を有するものは
恐らく存在しないでしょう。一個人の独断で扱える力となれば尚更です」
付近の壁に手を沿わせてゆっくりと歩きながら、
どこか他人事のように、男は淀みなく語り続ける。
「グレムリンは思念によって動きます。
搭乗者と機体本体の思念が出力に影響し、状況に変化を齎す。
一概には言えませんが、思念強度が上がるほど能力も強まるとみられています」
使われた形跡のないキッチンを通り過ぎる。
くうと鳴った腹は、左手で軽く押さえるに留めた。
「では、複数体の思念を一体に集約すれば、数倍の出力が見込めるのではないか?
例えば、『ファントム』のような巨大融合体を作り出し、
テイマーの代わりに制御用装置を搭載し、自在に操る事が叶えば、
量産型グレムリンを揃え、テイマーを育成するよりも確実に、
効率良く世界に干渉出来るのではないか?
――そういった仮定の下、本プロジェクトは幕を開けました」
やがて、男は洗面所に足を踏み入れた。
洗面台に備え付けられた鏡は、ひび割れて灰色にくすんでいたが、
辛うじて前に立つ者の姿を映す事は出来た。
「常人では正気を保つ事が困難な複合思念曝露に耐え、
かつグレムリンの操縦に必要な思念を疑似的に発信可能で、
戦闘AIとしても優秀な、制御装置の開発。
その過程で人間の脳を元にデザインされ、作製されたのが『Elijah』――
上長。あなたです」
鏡を覗き込むと、見慣れた不愛想な顔が映し出される。
自身の黒く暗い瞳を見据え、男は僅かに目を細めた。
「やっと……やっとです。ようやく、ここまで辿り着くことが出来ました」
額に触れた左手が、痛々しく残る大きな傷跡を慈しむように撫でた。
******
「俺は――ずっと、あなたの監視役として行動を共にしていました」
声が届かないと理解しながら、額に手を添えたまま。
既に停止し、自身の頭蓋に収まる脳に淡々と語り続ける。
「俺は当時、真紅連理配下のとある機関の一員でした。
顔も知らない上層部から指令を受け、『Elijah』の原型と複製体を作成しました。
……彼らが何を目的としていたかは聞かされていません。
知ったところで拒否出来る訳でもなく、興味もありませんでしたから」
「実戦に即した経験を積むには、実際にグレムリンを操るのが最も効率が良い。
研究が進み――基礎的な戦闘メカニズムの調整を終えた段階で、
俺を含む複数名が一定期間訓練を受け、傭兵に扮し、
各複製体の監視、および育成を担当する事になりました」
「戦闘訓練を『依頼』としてお伝えし、あなたの得る情報を制限し、
外部への不信感を誘発させていたのは俺です。
あなたが他人に接触し、奪われる事態を避けるためでしたが、
無用な悪意に晒した事はお詫びします……申し訳ありません」
「……そんな状況下でも、あなたはよく頑張って下さいました。
戦闘に効果的な『怒り』をベースに人格が組まれ、他の感情が削がれた状態で、
泣きもせず、喜びもせずに着実に訓練を積み。
こと戦闘においては、直接戦闘に加えアセンブルもある程度習得された。
目覚ましい成長です。いつかご指摘頂いた戦い方についても……」
男の声が、きまり悪そうな、恥ずかしそうな響きを帯びる。
「――攻勢に出なかったのではなく、出られなかったのです。
当時の俺は、あなたについて行くだけで精一杯でした」
微かな溜息が漏れる。
そして、男は意を決したように深く息を吸い込んだ。
「……あの日。俺は、あなたを機関に引き渡す命令を受けていました。
十分に戦闘経験を積み、最後の『試験』をクリアした被検体を渡せば、
俺の任務は完了し、疑似傭兵として活動する期間は終わる。
……そのはず、でした」
男の声が詰まる。
淡々と紡がれてきた言葉が、徐々に震え始めた。
「……最初から知っていた筈でした。
共に行動する間の人格や記憶は、訓練用に与えられた仮初のものにすぎず、
戦闘に直接関係しない部分は、訓練が終われば全て消去される事を」
「ですが、その頃には既に、俺はあなたを『Elijah』のうちの一体ではなく、
『エリヤ上長』として認識するようになっていました。
単なる実験体と割り切るには多すぎる経験を、時間を――感情を、
俺はあなたから頂いてしまった……」
洗面台に両手をつき俯いた男は、懺悔と苦悩の滲むか細い声を絞り出した。
「……上長。俺は受け入れられなくなってしまったのです。
あなたという『人間』が存在した形跡が、失われてしまう事が……」
******
「あの時引き留めたのは、上長を逃がすためでした。
しかし、結果はご存じの通り――彼らは俺を拘束し、
あなたは回収され、自由に動かせる義体を失いました」
再びベッドに腰掛けた男は、目を閉じて呟く。
「俺は、あなたが消失しない世界を求めて、あらゆる手段を講じました。
機関を敵に回し、追われる身になりながら。
世界再製現象を知ってからは、肉体と脳にも細工を施し、何度も――何度も。
記憶は失われますが、全てが無に帰す訳ではありません。
そして……『今回』ようやく、あなたを俺の頭蓋に匿ったまま、
ここに辿り着くことが出来ました」
他に訪れる者のない部屋を、静かな声が支配する。
「真に時が止まり、何度でも巻き戻ればいいと思ってしまう俺には、
ケイジキーパーに異を唱え、砲口を向ける事が出来ません。
彼だけではなく、破綻したデータを抱いて戦ったリザレクションにも。
彼の求めた理想は、俺には……」
――『破滅の今際にて、停滞せよ、世界』
『世界はいまのままで十分、美しいのだから』――
何処かで耳にした文言を思い起こしながら、男は祈るように両手を組んだ。
「申し訳ありません、上長。
先に進んだ世界で、あなたの消失を目にするのが恐ろしくて、
『少しでも長く』この時間が続く事を願う俺は、愚か者でしょうか――」
誰にも届かず、世界を満たす思念に抗うような小さな願いが、
男の唇から零れ落ち、ぽつりと部屋に溶けて行った。
◆22回更新の日記ログ
【■a■ 21】
――白い空間の中へと。
脳の意識は肉体を離れ、視点となって白い靄に沈んでゆく。
しかし、以前同じ場所に呼ばれた時とは異なり、ただ白かった筈の空間は随所が赤く染まり、世界が崩れかけているのか、端が黒く欠け落ちている。
脳自身に起因する現象なのか、何か他の要因があるのか。判別する事が出来なかったが、脳は関心を示さない。
どちらでも構わない。いずれにせよ長居は出来ない事を――もしくは空間が崩れるより早く、自身が稼働を停止するであろう事を。
この空間で経過する時間が、現実世界と比較して引き延ばされていたとしても、
残された時間が間もなく底をつく事を、他ならぬ脳自身がはっきりと自覚していた。
******
ゆっくりと下降しながら、視界を満たす靄の流れを目で追う。
すると、ぼんやりと漂っていた下方の靄が一箇所に集まり、人間の形を作り始めるのが見えた。
足先から膝、腰、胸と徐々にパーツが組み立てられ、脳がよく見知った姿を作り上げていく。
(……やっとか)
ひどく緩慢な速度で近付く相手の姿を睨みつけ、その名を口にする代わりに思念を強める。
(――ショーン。ここに俺を呼んだって事は、
ようやく洗いざらい話す気になった、と受け取っていいんだな?)
顔の下半分が固まり、続いて上半分が形成されるとようやく、脳の視点は顔の正面に――相手の目の位置と同じ高さまで辿り着いた。
視界に映ったものは、記憶にある姿と全く変わらない部下の顔。
そして脳は、姿のない自身に向けられた、黒い瞳と視線を合わせた。
暗く深い、静かな瞳。
いつでも心配そうに脳を見ていたその瞳は、今でさえ同じ色を浮かべていた。
(……来てやったんだ。言いてえ事あんだろ、とっとと話しやがれ。
知ってんだろうが、「俺」にはもう時間がねえんだ)
脳の思念に呼応するように、部下の口が開く。
しかし、何度か開閉するものの、脳に言葉が伝わる事はなかった。
脳は舌打ちしたい衝動に駆られつつ、部下を睨み付ける。
(おいショーン。聞こえねえぞ。
何か言ってんのかもしれねえが、俺に聞こえるように話せってんだよ)
口の動きが一瞬止まる。
困ったように口が閉じられ、程なくして見覚えのある動きを見せる。
……申し訳ありません。
そう言ったらしい口は、やはり音を伝えてはこない。
(チッ、謝んじゃねえよ、今聞きてえのは謝罪じゃねえ。
お前、その状態じゃ会話出来ねえんじゃねえのか。
靄で姿を形成するのに力を使っちまって、思念を飛ばせねえ、か――いや、)
ふと、脳の意識が周囲に向いた。
以前この空間で聞こえたざらついたノイズ。悲鳴に似た部下の思念。
今はそのいずれも――それどころか、他の音も何一つ聞き取れない。
(まさか……お前の言葉も思念も、俺にはもう聞こえねえのか?
今更遅えってのか。停止直前の脳に、会話は過ぎた行為だってのか)
タイムリミットを告げるブザー音すら聞こえない。
凍り付くように静かな空間を、赤く染まりかけた白い靄が揺蕩っていた。
******
薄く互いを隔てる靄の向こうで、部下の口が再び開く。
(ああ、その口の動きは分かる。何度見たと思ってやがる)
気付けば記憶にある動きと照合していた。顔を合わせる度に、必ず口にした言葉。
(――『エリヤ上長』。
何だ。俺はここにいる――クソ、)
続く言葉は読み取れない。脳は歯噛みする思いで部下の口を見据える。
(やっと。やっと今のお前と向き合ってるってのに、
俺はお前の言葉を聞き取ってやれねえのか。情けねえったらねえな)
部下の口は、記憶にある動きよりも心なしかゆっくりと形を作る。
相手なりの気遣いだと分かったものの、内容を理解することは出来なかった。
(お前が何を語ろうと、虚構や罵倒でも構わねえから、
一度は聞いてやるって決めたのによ。俺の思念だけ届いても仕方ねえんだよ)
気付けば相手の口元は、ほんの僅かに柔らかな形を作っているように見えた。
滅多に笑う事のない不愛想な部下が、ぎこちない微笑みを向ける。
(……『ありがとうございます』、か?『はい』、だな。
ったく、全く意思疎通が計れねえよかマシだが、一方的じゃ世話ねえな。
しかも、今話してえのは俺じゃねえってのに……)
焦燥を覚える脳を、部下は静かな、穏やかな表情で見つめる。
その瞳に、非難の色は込められていなかった。
(チッ……後悔先に立たずだな。
俺がお前ともっと向き合って、その口をもっとよく見ていりゃあ、
ちったあ言ってる事も分かったかもしれねえのによ)
時間は刻一刻と容赦なく先へ進む。
視界にはノイズが混ざり始め、停止まで間もない事を悟る。
(――おい、ショーン)
脳は当初の目的を――部下の言葉を聞く事を諦める。
代わりに自身の言葉を、かつて伝えようとさえ思わなかった言葉を、
部下に向けて発し始めた。
(俺はもうすぐ停止する。その前にこれだけ……一つだけ聞きやがれ。
お前はいつでも、その心配そうな目で俺を見てきやがる。
あの時からずっと。今だってそうだ。
俺を哀れんでんのか?それとも、俺に言えなかった何かがあんのか?)
返答を聞き取れないと知りながら、脳は一方的に続ける。
(お前が意図的に隠して、話す気がなかったんなら構わねえ。
たとえ俺が上長命令と称して聞き出そうとしようが何だろうが、
所詮は他人だ。依頼に支障がなけりゃ、全てを晒す必要なんざねえからな。
だが。お前が言いてえ事をずっと、俺が聞こうとしなかったせいで
仕方なく飲み込んでたってんなら、)
部下は変わらず、静かにこちらを見つめている。
その瞳に促されるように、脳は今まで発した中で最も素直で、
自身から遠くにあった言葉を続ける。
(……気付けなくて、悪かった。
ショーン、お前にはずっと無理を強いちまったな)
******
部下は暫くそのままの表情を保った後、そっと口を開く。
(……『エリヤ上長』。何だ。
何だってんだよ、クソ……思念くらい理解出来てもいいだろうが。
おい、悪いが何も聞き取ってやれねえ。恨みつらみをぶつけんなら今のうちだぞ)
目の前の部下の姿さえ霞み始めた視界の中。
靄で作られた部下の手が、姿のない脳に伸ばされる。
何かを堪える様子とは微妙に異なる、見た事のない表情。
目は閉じられ、口が紡ぐ言葉は聞き取れない。
包み込むようなその手の動きは、何処までも優しく見えた。
――そして、空間は欠け落ち、視界が暗転し、
脳は『聞こえない』最後のブザー音と共に稼働を停止した。
――白い空間の中へと。
脳の意識は肉体を離れ、視点となって白い靄に沈んでゆく。
しかし、以前同じ場所に呼ばれた時とは異なり、ただ白かった筈の空間は随所が赤く染まり、世界が崩れかけているのか、端が黒く欠け落ちている。
脳自身に起因する現象なのか、何か他の要因があるのか。判別する事が出来なかったが、脳は関心を示さない。
どちらでも構わない。いずれにせよ長居は出来ない事を――もしくは空間が崩れるより早く、自身が稼働を停止するであろう事を。
この空間で経過する時間が、現実世界と比較して引き延ばされていたとしても、
残された時間が間もなく底をつく事を、他ならぬ脳自身がはっきりと自覚していた。
******
ゆっくりと下降しながら、視界を満たす靄の流れを目で追う。
すると、ぼんやりと漂っていた下方の靄が一箇所に集まり、人間の形を作り始めるのが見えた。
足先から膝、腰、胸と徐々にパーツが組み立てられ、脳がよく見知った姿を作り上げていく。
(……やっとか)
ひどく緩慢な速度で近付く相手の姿を睨みつけ、その名を口にする代わりに思念を強める。
(――ショーン。ここに俺を呼んだって事は、
ようやく洗いざらい話す気になった、と受け取っていいんだな?)
顔の下半分が固まり、続いて上半分が形成されるとようやく、脳の視点は顔の正面に――相手の目の位置と同じ高さまで辿り着いた。
視界に映ったものは、記憶にある姿と全く変わらない部下の顔。
そして脳は、姿のない自身に向けられた、黒い瞳と視線を合わせた。
暗く深い、静かな瞳。
いつでも心配そうに脳を見ていたその瞳は、今でさえ同じ色を浮かべていた。
(……来てやったんだ。言いてえ事あんだろ、とっとと話しやがれ。
知ってんだろうが、「俺」にはもう時間がねえんだ)
脳の思念に呼応するように、部下の口が開く。
しかし、何度か開閉するものの、脳に言葉が伝わる事はなかった。
脳は舌打ちしたい衝動に駆られつつ、部下を睨み付ける。
(おいショーン。聞こえねえぞ。
何か言ってんのかもしれねえが、俺に聞こえるように話せってんだよ)
口の動きが一瞬止まる。
困ったように口が閉じられ、程なくして見覚えのある動きを見せる。
……申し訳ありません。
そう言ったらしい口は、やはり音を伝えてはこない。
(チッ、謝んじゃねえよ、今聞きてえのは謝罪じゃねえ。
お前、その状態じゃ会話出来ねえんじゃねえのか。
靄で姿を形成するのに力を使っちまって、思念を飛ばせねえ、か――いや、)
ふと、脳の意識が周囲に向いた。
以前この空間で聞こえたざらついたノイズ。悲鳴に似た部下の思念。
今はそのいずれも――それどころか、他の音も何一つ聞き取れない。
(まさか……お前の言葉も思念も、俺にはもう聞こえねえのか?
今更遅えってのか。停止直前の脳に、会話は過ぎた行為だってのか)
タイムリミットを告げるブザー音すら聞こえない。
凍り付くように静かな空間を、赤く染まりかけた白い靄が揺蕩っていた。
******
薄く互いを隔てる靄の向こうで、部下の口が再び開く。
(ああ、その口の動きは分かる。何度見たと思ってやがる)
気付けば記憶にある動きと照合していた。顔を合わせる度に、必ず口にした言葉。
(――『エリヤ上長』。
何だ。俺はここにいる――クソ、)
続く言葉は読み取れない。脳は歯噛みする思いで部下の口を見据える。
(やっと。やっと今のお前と向き合ってるってのに、
俺はお前の言葉を聞き取ってやれねえのか。情けねえったらねえな)
部下の口は、記憶にある動きよりも心なしかゆっくりと形を作る。
相手なりの気遣いだと分かったものの、内容を理解することは出来なかった。
(お前が何を語ろうと、虚構や罵倒でも構わねえから、
一度は聞いてやるって決めたのによ。俺の思念だけ届いても仕方ねえんだよ)
気付けば相手の口元は、ほんの僅かに柔らかな形を作っているように見えた。
滅多に笑う事のない不愛想な部下が、ぎこちない微笑みを向ける。
(……『ありがとうございます』、か?『はい』、だな。
ったく、全く意思疎通が計れねえよかマシだが、一方的じゃ世話ねえな。
しかも、今話してえのは俺じゃねえってのに……)
焦燥を覚える脳を、部下は静かな、穏やかな表情で見つめる。
その瞳に、非難の色は込められていなかった。
(チッ……後悔先に立たずだな。
俺がお前ともっと向き合って、その口をもっとよく見ていりゃあ、
ちったあ言ってる事も分かったかもしれねえのによ)
時間は刻一刻と容赦なく先へ進む。
視界にはノイズが混ざり始め、停止まで間もない事を悟る。
(――おい、ショーン)
脳は当初の目的を――部下の言葉を聞く事を諦める。
代わりに自身の言葉を、かつて伝えようとさえ思わなかった言葉を、
部下に向けて発し始めた。
(俺はもうすぐ停止する。その前にこれだけ……一つだけ聞きやがれ。
お前はいつでも、その心配そうな目で俺を見てきやがる。
あの時からずっと。今だってそうだ。
俺を哀れんでんのか?それとも、俺に言えなかった何かがあんのか?)
返答を聞き取れないと知りながら、脳は一方的に続ける。
(お前が意図的に隠して、話す気がなかったんなら構わねえ。
たとえ俺が上長命令と称して聞き出そうとしようが何だろうが、
所詮は他人だ。依頼に支障がなけりゃ、全てを晒す必要なんざねえからな。
だが。お前が言いてえ事をずっと、俺が聞こうとしなかったせいで
仕方なく飲み込んでたってんなら、)
部下は変わらず、静かにこちらを見つめている。
その瞳に促されるように、脳は今まで発した中で最も素直で、
自身から遠くにあった言葉を続ける。
(……気付けなくて、悪かった。
ショーン、お前にはずっと無理を強いちまったな)
******
部下は暫くそのままの表情を保った後、そっと口を開く。
(……『エリヤ上長』。何だ。
何だってんだよ、クソ……思念くらい理解出来てもいいだろうが。
おい、悪いが何も聞き取ってやれねえ。恨みつらみをぶつけんなら今のうちだぞ)
目の前の部下の姿さえ霞み始めた視界の中。
靄で作られた部下の手が、姿のない脳に伸ばされる。
何かを堪える様子とは微妙に異なる、見た事のない表情。
目は閉じられ、口が紡ぐ言葉は聞き取れない。
包み込むようなその手の動きは、何処までも優しく見えた。
――そして、空間は欠け落ち、視界が暗転し、
脳は『聞こえない』最後のブザー音と共に稼働を停止した。
◆21回更新の日記ログ
【Da■ 20】
ビーッ。
脳内をブザー音に、視界を赤い光に染め上げられ、痛みに耐えながら、
男は――脳は、意志と意識を保ち続ける。
操縦棺を満たすのは、『C.C.』が己の意志を吸って発する光。
脳が念じるほどに光量を増し、比例して頭部の痛みも強くなる。
赤いフィルターのかけられた視界を射るようにモニタを睨み付ければ、正面には依然としてタワーが映し出されていた。
そして、脳は別の光を認識する。
モニタの向こう、タワーの周囲。視界の端に映るレーダー情報。
しかし、それぞれまばらに灯った光は、普段の索敵時とは様子が異なっていた。
周囲にグレムリンの機影はなく、迎撃機構も反応を示さない。
(……何だこれは?俺か『C.C.』がイカれちまったか、或いは――)
光点を見据える脳はふと、ある可能性に思い至る。
(――意志か?『C.C.』が俺の意志を起点に光ってやがるように、
俺のモンじゃねえ思念が……光として見えてんのか?
どういう事だ。グレムリンと直接関係のねえ筈の思念が、
レーダーに感知される強度でそこかしこに存在する、だと――)
この瞬間に意志を持ち、思念を発しているのは、グレムリンやその搭乗者であるテイマーだけではない。
そう気付いた瞬間、脳内に無数の『声』が流れ込む。
******
――世界に、思念が満ちていく。
思念は声となり、感情となり、ある者の目には光として映る。
初めはぽつぽつと点る程度だった光が、一箇所、また一箇所と増えてゆき、やがてレーダーの索敵範囲をも超え、虚空領域全域を照らし出す。
光は各海域に留まらず、対流域を形成しては縦横無尽に飛び交い、各地の感情や記憶を周囲に拡散し――干渉し合い、融合し、高密度になるに従い光量を増してゆく。
ペンギン諸島から、暁の壁から、巨人の島から、黄昏の壁から立ち上った思念が、混ざり合い絡み付き、とめどなく流れ続ける。
今や思念は全域に満ち、タワー本体や周辺の海面だけでなく、粉塵が煌めく大気でさえ、何事かを訴えるように光を放っている。
脳の赤く染まった視界は、夥しい量の思念が齎す光に煌々と照らし出されていた。
******
ビーッ。
(……何が起きてやがる。死ぬ間際の走馬灯みてえなモンか?)
眩しそうに目を細め、光の奔流を見つめていた脳は、聞き覚えのある声を感知する。
グレイヴネットを通じて幾度も耳にした、熟練の傭兵達の会話。
今までのようにグレイヴネットに接続した『C.C.』から聞こえてくるのか、外部に満ちた思念を通じて直接脳内に流し込まれているのか判別がつかなかったが、脳は一言一句を刻み付けるように内容を認識する。
(領域全開放……領域覚醒……遺産知識と対流思念知識……
成程な……ピンと来てなかったが、今見えてるこの光景が『領域覚醒』ってことか)
曰く、ダスト・グレムリンによる改変は世界そのものを苦しめており、世界中に満ちた歌とも泣き声とも取れる思念は、世界が助けを求めていることを意味するらしい。
そして、同じく聞き覚えのある声が――外部の思念に負けず劣らず泣き出しそうな声が、対峙する傭兵と、恐らく現在虚空領域に存在する全てのテイマーに対して問いかける。
――《あなたが戦う理由はなんですか?》
その問いに呼応するように、モニタの向こうに沢山のグレムリンが現れた。
******
数多の光に包まれ、吸い込まれるように集まってくる多くの機影。
恐らくは今まで各地で目にし、時に共闘してきたグレムリン達だろう。
各々がブースターを噴かし、脚部や背部に光を宿し、内外の思念に後押しされるように、真っ直ぐに粉塵と光を裂いて飛翔する。
その中心に位置するのは、世界の起点の如く聳えるタワー。
流れる思念はタワーへと至り、再び他の海域へ向かう。
全ての傭兵が一度は目にし、通過したことがあるだろう建造物。
ただし外壁は多くの人々が知る筈の姿から変形しており、大きく開かれた入り口が来訪者を待ち構えている。
総合開発高集積AI――或いは『グレイヴキーパー』が幻影を現した地点へと、グレムリン達は迷いなく向かって行く。
******
ビーッ。
脳の停止を告げるカウントダウンが始まってから、何分が経過しただろう。
赤く染まった視界が徐々に霞み、所々が黒く欠け始める。
幸か不幸か、思念と共に流れ込む『声』を認識し、
世界に意識を傾ける余裕は今の脳にはなかった。
(……、)
休止に向けて機能が落とされているのか、次第に焦点が合わなくなる。
捉えたタワーの外郭が滲むが、集まってくるグレムリンの姿は辛うじて認識出来た。
(タワー……タワーか。フン、俺が目覚めたのもタワーだったな。
何だってあんな場所に機体を置いてやがったんだ、と思っちゃいたが)
『C.C.』――正確には『今のC.C.の一機前に搭乗していたC.C.』に初めて出会ったのは、タワー内の古びたガレージだった。目覚めてすぐに敵機の襲来に気付き、けたたましいサイレンの音に追い立てられるように、無我夢中で機体に滑り込んだ記憶が蘇る。
(あそこに……何かあんなら、狙いがあったのかもしれねえな。
思念が共鳴するだとか、意志が干渉しやすいだとか。
機体を置いた奴……ショーンだろうが、アイツは知ってて俺の知らねえ何事か、が、)
痛みと共に意識が途切れそうになり、再び歯を食いしばる。
(クソ、音も痛みも面倒くせえな……
強制停止くらいキャンセル出来ねえのかよ、俺の脳だってのに)
ビーッ。
脳の要求を否定するように、容赦ないブザー音が響く。
その音を聞いた脳は、舌打ちも出来ずに小さな溜息を吐いた。
******
(……ショーンなら、)
光に埋もれ、随分形が朧げになったタワーを見ながら、
脳はこれから起こるであろう戦闘を予見する。
(俺にもっと正義感があるか、俺の知るショーンみてえにお人好しだったなら、
タワーでの戦闘に迷わず合流して、ケイジキーパーとやらを止めて、
泣きそうなグレイヴキーパーと世界を救うんだろうよ)
そう思いながらも、脳は『C.C.』をタワーに向かわせようとはしなかった。
(だが――俺の役回りは、俺が今すべきなのは英雄になることじゃねえ。
あんだけ傭兵が生き残ってやがんだ。ケイジキーパーとやらの陰謀も世界も、
あん中の誰かが、もしくは全員が何とかすんだろ。
――どうせ俺はあと数分も動けねえんだしよ)
停止が近付く事実がそう思わせているのか、そうでなくとも同じ判断を下すのか。
脳はただ、意識を保つためだけに自らの意志を固める。
(俺には、「俺」にしか出来ねえ事があんだよ。
正確に言や、「俺」がしてえ事……いや、『しなきゃならねえ事』だ)
自身が過去に成し遂げられなかった事。向き合わずに怠ってきた事。
現状が変わる訳ではなくとも、ほんの僅かでも近付くことが出来るのなら。
(俺が戦う理由なんざ、とっくに決まってんだ。
フン……整備士が呆れんのも無理ねえな。あの時から変わっちゃいねえ。
俺は世界のためじゃなく「俺」のために。
「俺」のすべき事をするために戦う。だから、)
部下の姿を脳裏に浮かべ、目の前で起きる世界の危機と天秤にかける。
――現在の脳が導き出せる答えは一つだった。
(世界の行く末を左右する戦いより――ショーンにきっちり話を聞き出す方を優先する)
ビーッ。
そしてようやく、赤い視界が端から白く霞み始める。
白い靄の海に意識だけが沈む、何度も体験した感覚。
誰かが何かを見せようとする前兆に、脳は抵抗せず身を委ねた。
意識が途切れる直前。
最後に一度だけ、モニタに映ったタワーを見据えた脳は、
世界への干渉を断ち切り、自身と部下に意識の全てを注ぐべく瞼を閉じた。
ビーッ。
脳内をブザー音に、視界を赤い光に染め上げられ、痛みに耐えながら、
男は――脳は、意志と意識を保ち続ける。
操縦棺を満たすのは、『C.C.』が己の意志を吸って発する光。
脳が念じるほどに光量を増し、比例して頭部の痛みも強くなる。
赤いフィルターのかけられた視界を射るようにモニタを睨み付ければ、正面には依然としてタワーが映し出されていた。
そして、脳は別の光を認識する。
モニタの向こう、タワーの周囲。視界の端に映るレーダー情報。
しかし、それぞれまばらに灯った光は、普段の索敵時とは様子が異なっていた。
周囲にグレムリンの機影はなく、迎撃機構も反応を示さない。
(……何だこれは?俺か『C.C.』がイカれちまったか、或いは――)
光点を見据える脳はふと、ある可能性に思い至る。
(――意志か?『C.C.』が俺の意志を起点に光ってやがるように、
俺のモンじゃねえ思念が……光として見えてんのか?
どういう事だ。グレムリンと直接関係のねえ筈の思念が、
レーダーに感知される強度でそこかしこに存在する、だと――)
この瞬間に意志を持ち、思念を発しているのは、グレムリンやその搭乗者であるテイマーだけではない。
そう気付いた瞬間、脳内に無数の『声』が流れ込む。
******
――世界に、思念が満ちていく。
思念は声となり、感情となり、ある者の目には光として映る。
初めはぽつぽつと点る程度だった光が、一箇所、また一箇所と増えてゆき、やがてレーダーの索敵範囲をも超え、虚空領域全域を照らし出す。
光は各海域に留まらず、対流域を形成しては縦横無尽に飛び交い、各地の感情や記憶を周囲に拡散し――干渉し合い、融合し、高密度になるに従い光量を増してゆく。
ペンギン諸島から、暁の壁から、巨人の島から、黄昏の壁から立ち上った思念が、混ざり合い絡み付き、とめどなく流れ続ける。
今や思念は全域に満ち、タワー本体や周辺の海面だけでなく、粉塵が煌めく大気でさえ、何事かを訴えるように光を放っている。
脳の赤く染まった視界は、夥しい量の思念が齎す光に煌々と照らし出されていた。
******
ビーッ。
(……何が起きてやがる。死ぬ間際の走馬灯みてえなモンか?)
眩しそうに目を細め、光の奔流を見つめていた脳は、聞き覚えのある声を感知する。
グレイヴネットを通じて幾度も耳にした、熟練の傭兵達の会話。
今までのようにグレイヴネットに接続した『C.C.』から聞こえてくるのか、外部に満ちた思念を通じて直接脳内に流し込まれているのか判別がつかなかったが、脳は一言一句を刻み付けるように内容を認識する。
(領域全開放……領域覚醒……遺産知識と対流思念知識……
成程な……ピンと来てなかったが、今見えてるこの光景が『領域覚醒』ってことか)
曰く、ダスト・グレムリンによる改変は世界そのものを苦しめており、世界中に満ちた歌とも泣き声とも取れる思念は、世界が助けを求めていることを意味するらしい。
そして、同じく聞き覚えのある声が――外部の思念に負けず劣らず泣き出しそうな声が、対峙する傭兵と、恐らく現在虚空領域に存在する全てのテイマーに対して問いかける。
――《あなたが戦う理由はなんですか?》
その問いに呼応するように、モニタの向こうに沢山のグレムリンが現れた。
******
数多の光に包まれ、吸い込まれるように集まってくる多くの機影。
恐らくは今まで各地で目にし、時に共闘してきたグレムリン達だろう。
各々がブースターを噴かし、脚部や背部に光を宿し、内外の思念に後押しされるように、真っ直ぐに粉塵と光を裂いて飛翔する。
その中心に位置するのは、世界の起点の如く聳えるタワー。
流れる思念はタワーへと至り、再び他の海域へ向かう。
全ての傭兵が一度は目にし、通過したことがあるだろう建造物。
ただし外壁は多くの人々が知る筈の姿から変形しており、大きく開かれた入り口が来訪者を待ち構えている。
総合開発高集積AI――或いは『グレイヴキーパー』が幻影を現した地点へと、グレムリン達は迷いなく向かって行く。
******
ビーッ。
脳の停止を告げるカウントダウンが始まってから、何分が経過しただろう。
赤く染まった視界が徐々に霞み、所々が黒く欠け始める。
幸か不幸か、思念と共に流れ込む『声』を認識し、
世界に意識を傾ける余裕は今の脳にはなかった。
(……、)
休止に向けて機能が落とされているのか、次第に焦点が合わなくなる。
捉えたタワーの外郭が滲むが、集まってくるグレムリンの姿は辛うじて認識出来た。
(タワー……タワーか。フン、俺が目覚めたのもタワーだったな。
何だってあんな場所に機体を置いてやがったんだ、と思っちゃいたが)
『C.C.』――正確には『今のC.C.の一機前に搭乗していたC.C.』に初めて出会ったのは、タワー内の古びたガレージだった。目覚めてすぐに敵機の襲来に気付き、けたたましいサイレンの音に追い立てられるように、無我夢中で機体に滑り込んだ記憶が蘇る。
(あそこに……何かあんなら、狙いがあったのかもしれねえな。
思念が共鳴するだとか、意志が干渉しやすいだとか。
機体を置いた奴……ショーンだろうが、アイツは知ってて俺の知らねえ何事か、が、)
痛みと共に意識が途切れそうになり、再び歯を食いしばる。
(クソ、音も痛みも面倒くせえな……
強制停止くらいキャンセル出来ねえのかよ、俺の脳だってのに)
ビーッ。
脳の要求を否定するように、容赦ないブザー音が響く。
その音を聞いた脳は、舌打ちも出来ずに小さな溜息を吐いた。
******
(……ショーンなら、)
光に埋もれ、随分形が朧げになったタワーを見ながら、
脳はこれから起こるであろう戦闘を予見する。
(俺にもっと正義感があるか、俺の知るショーンみてえにお人好しだったなら、
タワーでの戦闘に迷わず合流して、ケイジキーパーとやらを止めて、
泣きそうなグレイヴキーパーと世界を救うんだろうよ)
そう思いながらも、脳は『C.C.』をタワーに向かわせようとはしなかった。
(だが――俺の役回りは、俺が今すべきなのは英雄になることじゃねえ。
あんだけ傭兵が生き残ってやがんだ。ケイジキーパーとやらの陰謀も世界も、
あん中の誰かが、もしくは全員が何とかすんだろ。
――どうせ俺はあと数分も動けねえんだしよ)
停止が近付く事実がそう思わせているのか、そうでなくとも同じ判断を下すのか。
脳はただ、意識を保つためだけに自らの意志を固める。
(俺には、「俺」にしか出来ねえ事があんだよ。
正確に言や、「俺」がしてえ事……いや、『しなきゃならねえ事』だ)
自身が過去に成し遂げられなかった事。向き合わずに怠ってきた事。
現状が変わる訳ではなくとも、ほんの僅かでも近付くことが出来るのなら。
(俺が戦う理由なんざ、とっくに決まってんだ。
フン……整備士が呆れんのも無理ねえな。あの時から変わっちゃいねえ。
俺は世界のためじゃなく「俺」のために。
「俺」のすべき事をするために戦う。だから、)
部下の姿を脳裏に浮かべ、目の前で起きる世界の危機と天秤にかける。
――現在の脳が導き出せる答えは一つだった。
(世界の行く末を左右する戦いより――ショーンにきっちり話を聞き出す方を優先する)
ビーッ。
そしてようやく、赤い視界が端から白く霞み始める。
白い靄の海に意識だけが沈む、何度も体験した感覚。
誰かが何かを見せようとする前兆に、脳は抵抗せず身を委ねた。
意識が途切れる直前。
最後に一度だけ、モニタに映ったタワーを見据えた脳は、
世界への干渉を断ち切り、自身と部下に意識の全てを注ぐべく瞼を閉じた。
◆20回更新の日記ログ
【Day 19】
(――分からねえ)
鈍い駆動音が響くグレムリンの操縦棺内に、浅く微かな呼吸音が響く。
(「俺」は)
見開かれた男の瞳は、操縦棺を映してはいない。
(今までに、どれほど多くのものを見落としてきた)
蘇った記憶を客観視してなお、過去の部下の瞳に込められた感情は分からなかった。
ただ、そこには間違いなく「知らない何か」が存在していた。
(……アイツが「俺」の知らねえところで何をしてようが、
「俺」の側から離れる事も、敵対する事もあり得ねえ――
と、何処かで盲信してたんだろうな。いや、「そう信じていたかった」のか。
考えるべきタイミングは幾らでもあったんだろうが、「俺」は気付こうとしなかった)
思い出せる範囲では、ショーン・オブライエンはいつでもあの眼差しを向けてきた。
怯えとは異なり、心配そうにこちらを気遣うような表情。
瞳の奥に秘められた何かと共に。
恐らく、初めて出会った時からずっと抱え続けていたのだろう。
男が肉体を失った、最後に直接言葉を交わしたあの日でさえ、
彼がそれを口に出すことはなかった。
(だが、もう気付いちまったからには無視出来ねえ。
お前の目的は何だ。何を隠してやがる。今だけじゃねえ、最初からずっとだ。
あの整備士に聞いた話じゃ真紅連理から逃げてんのかと思ったが、逆なのか?
それに――)
赤髪の男の慟哭が蘇る。
彼の怨嗟を作り出したのが他ならぬ部下であり。
現状に至る全てが――赤く染まったあの日でさえ、部下の計画したものだとしたら。
(チッ――「俺」はそっからアイツを疑ってんのか。
情けねえな。「知ってるらしいが知らねえ奴」の言葉ひとつで)
普段なら舌打ちするところを、混迷し始めた思考を遮断すべく目を閉じた。
やがて、男の口から長い溜息が吐き出される。
(……直接吐かせるしかねえか。ショーン自身から聞かねえと意味ねえだろ。
本人のいねえところで情報を得て、疑念を深めて何になる?)
依然として痛む頭に左手を当てると、頭部と左手の傷跡が熱を帯びる。
(お前の肉体に「俺」の脳が入った状態だ。普通なら不可能なんだろうが、
脳と肉体にどんな細工がされてたって不思議じゃねえ。
それがショーンに依るものでも、他の奴が施したものでも構わねえが、
肉体を通じて干渉してきやがる以上、何か言いてえ事があんだろ)
先程の記憶に付随するように、ある記憶が蘇る。
脳が以前の肉体に入っていた頃、一度だけショーンが告げた内容があった。
自身が人工的に造られ、エリヤと名付けられた脳であること。
今に至る経緯と目的は明かせないが、ショックを与える事を申し訳なく思うと。
そんな言葉を口にした後、彼は深く頭を垂れた。
(フン……心配する箇所がズレてやがんだよ。聞いても少し驚くくらいだろ。
「俺」が造り物だから何だってんだ。ンな事で頭下げんじゃねえ。
それより伏せた部分が気に食わねえ――ン?何だ、
経緯も目的も、お前の口から聞いたような気が、す、)
記憶を更に深く探ろうとした瞬間、鋭いブザー音が響き、操縦棺が赤く染まった。
******
(敵襲か?クソ、一体何分間呆けてやがった――)
男は今度こそ舌打ちをし、顔をしかめて身を起こす。
しかし、睨み付けたモニタにはアラートも敵影も映っておらず、レーダーにも敵機の反応はない。怪訝そうに操縦棺内を見回しても、異常らしい異常は見つからなかった。
システム・オールグリーン。
その表示さえ赤く染まっているのを目にしてようやく、エラーを起こしているのは自身の――男の視界そのものだという事に気付く。
次いで機械音声が「脳から」聞こえ、頭蓋内で反響する。
『――過負荷状態の継続により、稼働限界が近付いています。
速やかに脳を■■■に■■て下さい。
不可能な場合は安全な場所に身を隠し、回収を待って下さい。
10分後に強制的にスリープ状態へ移行します。繰り返します――』
(稼働……限界?)
聞こえた内容を反芻し、部下が対処法を口にしていなかったか、と過去に意識を向けようとした男の頭部を激痛が襲う。
たまらず思考を止めると、目を瞑って痛みに耐える。
(……記憶を探って、慣れねえ事考え過ぎると過熱状態になるってのか。
チッ……コイツは随分ヤワな作りだな。にしても……)
突如告げられたタイムリミットを前に、男は一層顔をしかめる。
(クソ、時間がねえのは厄介だな。10分じゃタワーに着けもしねえ。
オートで南の島まで戻らせりゃ――いや、距離的にタワーの方がマシか。
ショーンが肉体を操れりゃ墜落は免れるかもしれねえが……)
刻一刻と進む時間の中、思案する男の脳裏にふと、整備士の言葉が閃く。
『――意思を持て。内に溜めた意志を外へと向け放て、意力を以て世界に抗え。』
現在搭乗している『C.C.』の構成を練る際、整備士ニコライ・イヴァーノフがコンセプトとして口にした文言。忠告にも似た言葉は、一度しか告げられていないにも関わらず、男の脳にしっかりと刻まれていた。
(……そういや、この機体は操縦者の意志を吸うんだったな。
何度か体感したが、反動がキツい代わりに出力は悪くねえ。
どうせ10分しか動けねえなら――「俺」自身がどうしてえか、をまとめて、
思いきり『C.C.』に食わせて意力に換えちまうか)
それに――と、男は微かな諦観に襲われる。
(……スリープ状態とやらがどの程度続くかは知らねえが、
最悪の場合、「俺」はもう目覚めねえ可能性もある。
最後かもしれねえ時にやりてえ事、か……)
男は痛みの合間を縫って思考し続け、やがて一つの回答を導き出す。
******
「……知りてえよ」
男の口から、微かな言葉が漏れた。
「出会ってこの方、共に空を駆ける間、お前が何を考えてたのか聞かせろよ。
何だって構いやしねえ。俺がどう感じるかは、知ってから決める」
肉体に言い聞かせるように、虚勢も意地も張ることなく、一つずつ言葉を継ぐ。
己の本心とも言える内容にも、それらが思いの外淀みなく出て来る事にも若干の驚きを覚えつつ、男の口はなおも動く。
「だがな。これだけは忘れんじゃねえ。
他の奴らが何と言おうが、お前がどんな目的で「俺」と過ごそうが、
お前は、「俺」のただ一人の部下だ。それだけは揺るがねえぞ」
ずきり、と頭部の痛みが増すが、男は顔を歪めながら続ける。
「それから。お前が「俺」にどれだけ不利益な隠し事をしてようが、
「俺」は部下の事情を鑑みてやらねえほど愚か者じゃねえ。
聞かせろ。いい加減お前が隠してきたモンを、本心を晒け出しやがれ」
脳からブザー音が響き、残された時間が少ない事を自覚する。
しかし、男は怯むことなく言葉を絞り出す。
「以前、お前はあの白い空間で『まだ来るな』っつったよな。
足りてなかったのは覚悟か、準備か、記憶か――全部かもしれねえが、
そろそろいいんじゃねえのか。どうせもう時間がねえんだ。
何だっていい。「俺」は――お前の口から聞けなかった事実が知りてえ」
その瞬間、呼応するように『C.C.』が発光した。
操縦棺内が白く染まったと感じたのも束の間、徐々に粉塵の赤に塗り潰されてゆく。
(ぐ、)
朦朧としかける意識を、歯を食いしばって押し留める。
(……落ちてたまるか。折角「俺」の意識があるんだ、今糸口を掴まなくてどうする)
再び視界を染めた赤い光に視界が飲み込まれる直前、男はグレムリンに向けて声を放った。
「応えろ、『C.C.』。
「俺」が活動を止める前に――ショーンの意志を引きずり出せ」
(――分からねえ)
鈍い駆動音が響くグレムリンの操縦棺内に、浅く微かな呼吸音が響く。
(「俺」は)
見開かれた男の瞳は、操縦棺を映してはいない。
(今までに、どれほど多くのものを見落としてきた)
蘇った記憶を客観視してなお、過去の部下の瞳に込められた感情は分からなかった。
ただ、そこには間違いなく「知らない何か」が存在していた。
(……アイツが「俺」の知らねえところで何をしてようが、
「俺」の側から離れる事も、敵対する事もあり得ねえ――
と、何処かで盲信してたんだろうな。いや、「そう信じていたかった」のか。
考えるべきタイミングは幾らでもあったんだろうが、「俺」は気付こうとしなかった)
思い出せる範囲では、ショーン・オブライエンはいつでもあの眼差しを向けてきた。
怯えとは異なり、心配そうにこちらを気遣うような表情。
瞳の奥に秘められた何かと共に。
恐らく、初めて出会った時からずっと抱え続けていたのだろう。
男が肉体を失った、最後に直接言葉を交わしたあの日でさえ、
彼がそれを口に出すことはなかった。
(だが、もう気付いちまったからには無視出来ねえ。
お前の目的は何だ。何を隠してやがる。今だけじゃねえ、最初からずっとだ。
あの整備士に聞いた話じゃ真紅連理から逃げてんのかと思ったが、逆なのか?
それに――)
赤髪の男の慟哭が蘇る。
彼の怨嗟を作り出したのが他ならぬ部下であり。
現状に至る全てが――赤く染まったあの日でさえ、部下の計画したものだとしたら。
(チッ――「俺」はそっからアイツを疑ってんのか。
情けねえな。「知ってるらしいが知らねえ奴」の言葉ひとつで)
普段なら舌打ちするところを、混迷し始めた思考を遮断すべく目を閉じた。
やがて、男の口から長い溜息が吐き出される。
(……直接吐かせるしかねえか。ショーン自身から聞かねえと意味ねえだろ。
本人のいねえところで情報を得て、疑念を深めて何になる?)
依然として痛む頭に左手を当てると、頭部と左手の傷跡が熱を帯びる。
(お前の肉体に「俺」の脳が入った状態だ。普通なら不可能なんだろうが、
脳と肉体にどんな細工がされてたって不思議じゃねえ。
それがショーンに依るものでも、他の奴が施したものでも構わねえが、
肉体を通じて干渉してきやがる以上、何か言いてえ事があんだろ)
先程の記憶に付随するように、ある記憶が蘇る。
脳が以前の肉体に入っていた頃、一度だけショーンが告げた内容があった。
自身が人工的に造られ、エリヤと名付けられた脳であること。
今に至る経緯と目的は明かせないが、ショックを与える事を申し訳なく思うと。
そんな言葉を口にした後、彼は深く頭を垂れた。
(フン……心配する箇所がズレてやがんだよ。聞いても少し驚くくらいだろ。
「俺」が造り物だから何だってんだ。ンな事で頭下げんじゃねえ。
それより伏せた部分が気に食わねえ――ン?何だ、
経緯も目的も、お前の口から聞いたような気が、す、)
記憶を更に深く探ろうとした瞬間、鋭いブザー音が響き、操縦棺が赤く染まった。
******
(敵襲か?クソ、一体何分間呆けてやがった――)
男は今度こそ舌打ちをし、顔をしかめて身を起こす。
しかし、睨み付けたモニタにはアラートも敵影も映っておらず、レーダーにも敵機の反応はない。怪訝そうに操縦棺内を見回しても、異常らしい異常は見つからなかった。
システム・オールグリーン。
その表示さえ赤く染まっているのを目にしてようやく、エラーを起こしているのは自身の――男の視界そのものだという事に気付く。
次いで機械音声が「脳から」聞こえ、頭蓋内で反響する。
『――過負荷状態の継続により、稼働限界が近付いています。
速やかに脳を■■■に■■て下さい。
不可能な場合は安全な場所に身を隠し、回収を待って下さい。
10分後に強制的にスリープ状態へ移行します。繰り返します――』
(稼働……限界?)
聞こえた内容を反芻し、部下が対処法を口にしていなかったか、と過去に意識を向けようとした男の頭部を激痛が襲う。
たまらず思考を止めると、目を瞑って痛みに耐える。
(……記憶を探って、慣れねえ事考え過ぎると過熱状態になるってのか。
チッ……コイツは随分ヤワな作りだな。にしても……)
突如告げられたタイムリミットを前に、男は一層顔をしかめる。
(クソ、時間がねえのは厄介だな。10分じゃタワーに着けもしねえ。
オートで南の島まで戻らせりゃ――いや、距離的にタワーの方がマシか。
ショーンが肉体を操れりゃ墜落は免れるかもしれねえが……)
刻一刻と進む時間の中、思案する男の脳裏にふと、整備士の言葉が閃く。
『――意思を持て。内に溜めた意志を外へと向け放て、意力を以て世界に抗え。』
現在搭乗している『C.C.』の構成を練る際、整備士ニコライ・イヴァーノフがコンセプトとして口にした文言。忠告にも似た言葉は、一度しか告げられていないにも関わらず、男の脳にしっかりと刻まれていた。
(……そういや、この機体は操縦者の意志を吸うんだったな。
何度か体感したが、反動がキツい代わりに出力は悪くねえ。
どうせ10分しか動けねえなら――「俺」自身がどうしてえか、をまとめて、
思いきり『C.C.』に食わせて意力に換えちまうか)
それに――と、男は微かな諦観に襲われる。
(……スリープ状態とやらがどの程度続くかは知らねえが、
最悪の場合、「俺」はもう目覚めねえ可能性もある。
最後かもしれねえ時にやりてえ事、か……)
男は痛みの合間を縫って思考し続け、やがて一つの回答を導き出す。
******
「……知りてえよ」
男の口から、微かな言葉が漏れた。
「出会ってこの方、共に空を駆ける間、お前が何を考えてたのか聞かせろよ。
何だって構いやしねえ。俺がどう感じるかは、知ってから決める」
肉体に言い聞かせるように、虚勢も意地も張ることなく、一つずつ言葉を継ぐ。
己の本心とも言える内容にも、それらが思いの外淀みなく出て来る事にも若干の驚きを覚えつつ、男の口はなおも動く。
「だがな。これだけは忘れんじゃねえ。
他の奴らが何と言おうが、お前がどんな目的で「俺」と過ごそうが、
お前は、「俺」のただ一人の部下だ。それだけは揺るがねえぞ」
ずきり、と頭部の痛みが増すが、男は顔を歪めながら続ける。
「それから。お前が「俺」にどれだけ不利益な隠し事をしてようが、
「俺」は部下の事情を鑑みてやらねえほど愚か者じゃねえ。
聞かせろ。いい加減お前が隠してきたモンを、本心を晒け出しやがれ」
脳からブザー音が響き、残された時間が少ない事を自覚する。
しかし、男は怯むことなく言葉を絞り出す。
「以前、お前はあの白い空間で『まだ来るな』っつったよな。
足りてなかったのは覚悟か、準備か、記憶か――全部かもしれねえが、
そろそろいいんじゃねえのか。どうせもう時間がねえんだ。
何だっていい。「俺」は――お前の口から聞けなかった事実が知りてえ」
その瞬間、呼応するように『C.C.』が発光した。
操縦棺内が白く染まったと感じたのも束の間、徐々に粉塵の赤に塗り潰されてゆく。
(ぐ、)
朦朧としかける意識を、歯を食いしばって押し留める。
(……落ちてたまるか。折角「俺」の意識があるんだ、今糸口を掴まなくてどうする)
再び視界を染めた赤い光に視界が飲み込まれる直前、男はグレムリンに向けて声を放った。
「応えろ、『C.C.』。
「俺」が活動を止める前に――ショーンの意志を引きずり出せ」
◆19回更新の日記ログ
――その日の空は赤かった。
粉塵に塗れた「空」を、久しぶりに見上げた。
――望んでそうした訳ではない。
普段なら目を逸らすか、グレムリンに乗って切り裂いて終わりだ。
たったそれだけの筈なのに、そうする事さえ出来なかった。
粉塵に混じった赤い霧が、視界を一際赤く染め上げる。
赤く、濃く、何処までも立ち込める赤。
――世界はここまで赤かっただろうか。
朧げだが辛うじて垣間見える記憶を辿りながら、
「俺」は赤く烟(けぶ)る空をただ見上げていた。
******
【Day 18】
記憶を遡る。
「俺」とショーンは依頼を終え、報酬を確認して拠点に戻る途中で。
タワー近辺の格納庫に『C.C.』を停め、モニタの消灯を確認して溜息を吐いた。
外気に触れる前にフィルタースーツを着込み直し、操縦棺から滑り出る。
――普段と同じ動作。粉塵から身を守るために染み付いた癖。
格納庫を出て居住区画へ向かおうとすると、珍しくショーンに呼び止められた。
……何だ。どうした。報告漏れでもあんのか。
足を止めて振り返ると、ショーンは何か言いかけて視線を泳がせた。
言葉は音を持つ前に溜息に変わり、そのまま視線と共に足元に落ちる。
……チッ。呼び止めたのはお前だろ。言いてえ事があんならとっとと言いやがれ。
舌打ちして睨み付ければ顔を上げ、「俺」を見据えて口を開いた。
その時ショーンが何と言ったかは、はっきりと覚えていない。
いや――もう少しだけ。
もう少しだけ、行動を共にして頂けませんか。
とか何とか、そんな趣旨の発言だったような気がする。
コイツにしては珍しい申し出で、「俺」は思わずその顔を凝視した。
心配そうな顔。黒く暗い瞳。コイツはいつ見てもこんな表情をしている。
「俺」ほどではないにせよ、愛想がなく滅多に笑わない男。
その瞳が普段より切羽詰まって見えて、気付けば口から溜息が漏れていた。
……仕方ねえな。付き合ってやる。
行きてえとこあんなら言え。つっても、選択肢が多いわけじゃねえけどよ。
ショーンの口が、ありがとうございます、と動いたのが分かった。
深く一礼すると、図体に似合わぬ小さな声でもう一度。
……フン。いいからとっとと行くぞ。
メシでいいか。依頼上がりだ、「俺」はともかくお前は腹減ってんだろうが。
はい、と頷いたのを確認し、スーツ付属デバイスで近辺の立体映像を表示させる。
久しく使っていなかったせいで、表示情報を理解するのにやや時間がかかった。
……普段使わねえからな。この緑点はあの食堂か?他にもあんな。
多少まとまった額の金が入ったんだ。いいメシにありつくのも悪くねえ。
おい、どうする。配給所か食堂か知らねえが、ここ行ってみるか。
そう言って振り返った「俺」が見たのは、ショーンの姿ではなかった。
******
……何だテメエは。
いつの間にか現れ、目の前に立ちはだかった相手に悪態を吐く。
ショーン以上に背丈があり、見覚えのないフィルタースーツで顔まで覆った姿。
返答はない。隠された表情は読み取れないが、味方ではないだろう。
……邪魔だ。そこをどきやがれ。
相手を押しのけようとした矢先、別の相手に背後から両肩を拘束された。
振り解こうにも相手の力の方が強く、腰に差したナイフには手が届かない。
気付けば正面の相手は、手に大ぶりのダガーを握っていた。
……何しやがる。随分なご挨拶じゃねえか。
身動きが取れない「俺」の首元に、スーツ越しに刃先が当てられる。
その時、視界の端が光を捉えた。相手のスーツに輝く赤いエンブレム。
見覚えがある――と思った時には、口から言葉が漏れていた。
……真紅連理の手先かよ。辺境の傭兵に構ってられるなんざ暇なんだな。
突き付けられたダガーの刃先が僅かに浮いた。
相手のスーツの内部から、くぐもった溜息と呟きが聞こえる。
『忘れたか。呑気なものだな。まあいい、どのみち今の記憶もすぐ消える』
ソイツは抑揚のない声で言い放つと、退屈そうにダガーを握り直し――
『――じゃあな、Elijah。傭兵ごっこは楽しかったか?』
そう言い終わるが早いか、「俺」の胸部にダガーを突き立てた。
******
粉塵の溜まった空の、重苦しい最下部へと。
錆び付いた世界に、鮮烈な赤が混ざり込む。
肉体から刃が引き抜かれ、手足の力が抜けていく。
痛みはなかった。そういえばあの頃は、身体的苦痛とは無縁だった。
せめてもの抵抗にと、睨みつけた相手の輪郭が揺らぐ。
黒い影の向こう側。広がる景色は何処までも赤かった。
赤い霧が下方から――「俺」自身から噴き出ていると気付いた時。
見える世界と頭は既に、ゆっくりと後方に傾き始めていた。
******
誰かの慟哭が聞こえる。
機体が軋むより痛切な、空間を裂く響き。
聞き覚えがある気がしたが、「俺」の声ではないようだ。
……他の奴が刺されりゃ、あんな風に叫ぶんだろうな。
どこか俯瞰した思考を起点に、幾つかのイメージがフラッシュバックした。
鋭い刃先。流れ落ちる血。左手の甲。……そうだ。
ショーンは無事か。クソ、声が出ねえ――
肉体は麻痺したように動かない。
眼球を動かしても、視界が映すのは赤ばかり。
……お前は「俺」と違って、刺されりゃ痛えんだからよ。
力は多少あんだろうが、逃げられるほど頑丈じゃねえ。
おい、何処にいやがる。返事をしやがれ――
気付けば手を伸ばしていた。
拘束の緩んだ右腕を、緩慢な動作で持ち上げる。
助けたかった訳ではない。助けを求めたかった訳でもない。
辛うじて視界の端に映した右手は、真っ赤な霧に溶けていた。
赤い色に染まりきり、音を無くした世界の中で。
もう聞こえない筈の慟哭が脳内で反響していた。
朦朧とする意識の中で、突き動かされるように指先を開く。
呼ばれた訳ではなくとも、この手が何処へも届かなくても。
「俺」はただ、そうせずにはいられなかった。
――その後の展開は呆気なく進んだ。
黒い影が過ぎり、頭がスーツごと『取り外された』。
伸ばした右手は力を失って落ち、肘から先が『折り取られる』。
肉体は赤い霧の向こうに消え、空が揺らいでは『緑色の液体の底に』沈んでゆく。
そして、『容器の蓋が閉じられる』ように唐突に、「俺」の世界は暗転した。
******
(……思い出した。ああ、そうだったな)
意識が現在に戻り、視界が粉塵と霧の代わりに操縦棺下部を映しても、
男は頭を抱えた姿勢のまま動けずにいた。
(……「俺」の肉体は、あの時使い物にならなくなった)
感覚を取り戻した肉体が、ずきずきと響く傷跡の痛みを訴える。
暗闇を映した瞳を大きく見開いていることに、男は気付かない。
(そして、あれも作り物の義体だ。「俺」の本体は最初から脳だけなんだろ。
なら、義体を作ったのはどいつだ。ショーンは何故行動を共にしていた?)
理解と疑問が同時に湧き、得てきた断片を
見えていた姿が全てではなくとも、見てきた姿が虚構になる訳ではない。
男の目に映った部下は献身的で、常にこちらの身を案じていた。
(俺を守ろうとしてたのか?あの覆面スーツ共か、もっと他の奴から。
お前個人の意思か、他に思惑があったのかは知らねえが。
で、結局何だったんだアイツらは。名乗らねえから名前すら分かりゃしねえ)
――所属以外は。
ふと、記憶の中で見た赤いエンブレムに意識が向く。
真紅連理を示すものだと気付いたのは、以前目にした事があったから。
(……それとも)
ショーンと初めて会った日の記憶が蘇る。
――あの時彼の右胸には、同じエンブレムが輝いていたのではなかったか。
(お前が、アイツらを呼んだのか?
俺の義体を壊して――脳を取り出すために)
粉塵に塗れた「空」を、久しぶりに見上げた。
――望んでそうした訳ではない。
普段なら目を逸らすか、グレムリンに乗って切り裂いて終わりだ。
たったそれだけの筈なのに、そうする事さえ出来なかった。
粉塵に混じった赤い霧が、視界を一際赤く染め上げる。
赤く、濃く、何処までも立ち込める赤。
――世界はここまで赤かっただろうか。
朧げだが辛うじて垣間見える記憶を辿りながら、
「俺」は赤く烟(けぶ)る空をただ見上げていた。
******
【Day 18】
記憶を遡る。
「俺」とショーンは依頼を終え、報酬を確認して拠点に戻る途中で。
タワー近辺の格納庫に『C.C.』を停め、モニタの消灯を確認して溜息を吐いた。
外気に触れる前にフィルタースーツを着込み直し、操縦棺から滑り出る。
――普段と同じ動作。粉塵から身を守るために染み付いた癖。
格納庫を出て居住区画へ向かおうとすると、珍しくショーンに呼び止められた。
……何だ。どうした。報告漏れでもあんのか。
足を止めて振り返ると、ショーンは何か言いかけて視線を泳がせた。
言葉は音を持つ前に溜息に変わり、そのまま視線と共に足元に落ちる。
……チッ。呼び止めたのはお前だろ。言いてえ事があんならとっとと言いやがれ。
舌打ちして睨み付ければ顔を上げ、「俺」を見据えて口を開いた。
その時ショーンが何と言ったかは、はっきりと覚えていない。
いや――もう少しだけ。
もう少しだけ、行動を共にして頂けませんか。
とか何とか、そんな趣旨の発言だったような気がする。
コイツにしては珍しい申し出で、「俺」は思わずその顔を凝視した。
心配そうな顔。黒く暗い瞳。コイツはいつ見てもこんな表情をしている。
「俺」ほどではないにせよ、愛想がなく滅多に笑わない男。
その瞳が普段より切羽詰まって見えて、気付けば口から溜息が漏れていた。
……仕方ねえな。付き合ってやる。
行きてえとこあんなら言え。つっても、選択肢が多いわけじゃねえけどよ。
ショーンの口が、ありがとうございます、と動いたのが分かった。
深く一礼すると、図体に似合わぬ小さな声でもう一度。
……フン。いいからとっとと行くぞ。
メシでいいか。依頼上がりだ、「俺」はともかくお前は腹減ってんだろうが。
はい、と頷いたのを確認し、スーツ付属デバイスで近辺の立体映像を表示させる。
久しく使っていなかったせいで、表示情報を理解するのにやや時間がかかった。
……普段使わねえからな。この緑点はあの食堂か?他にもあんな。
多少まとまった額の金が入ったんだ。いいメシにありつくのも悪くねえ。
おい、どうする。配給所か食堂か知らねえが、ここ行ってみるか。
そう言って振り返った「俺」が見たのは、ショーンの姿ではなかった。
******
……何だテメエは。
いつの間にか現れ、目の前に立ちはだかった相手に悪態を吐く。
ショーン以上に背丈があり、見覚えのないフィルタースーツで顔まで覆った姿。
返答はない。隠された表情は読み取れないが、味方ではないだろう。
……邪魔だ。そこをどきやがれ。
相手を押しのけようとした矢先、別の相手に背後から両肩を拘束された。
振り解こうにも相手の力の方が強く、腰に差したナイフには手が届かない。
気付けば正面の相手は、手に大ぶりのダガーを握っていた。
……何しやがる。随分なご挨拶じゃねえか。
身動きが取れない「俺」の首元に、スーツ越しに刃先が当てられる。
その時、視界の端が光を捉えた。相手のスーツに輝く赤いエンブレム。
見覚えがある――と思った時には、口から言葉が漏れていた。
……真紅連理の手先かよ。辺境の傭兵に構ってられるなんざ暇なんだな。
突き付けられたダガーの刃先が僅かに浮いた。
相手のスーツの内部から、くぐもった溜息と呟きが聞こえる。
『忘れたか。呑気なものだな。まあいい、どのみち今の記憶もすぐ消える』
ソイツは抑揚のない声で言い放つと、退屈そうにダガーを握り直し――
『――じゃあな、Elijah。傭兵ごっこは楽しかったか?』
そう言い終わるが早いか、「俺」の胸部にダガーを突き立てた。
******
粉塵の溜まった空の、重苦しい最下部へと。
錆び付いた世界に、鮮烈な赤が混ざり込む。
肉体から刃が引き抜かれ、手足の力が抜けていく。
痛みはなかった。そういえばあの頃は、身体的苦痛とは無縁だった。
せめてもの抵抗にと、睨みつけた相手の輪郭が揺らぐ。
黒い影の向こう側。広がる景色は何処までも赤かった。
赤い霧が下方から――「俺」自身から噴き出ていると気付いた時。
見える世界と頭は既に、ゆっくりと後方に傾き始めていた。
******
誰かの慟哭が聞こえる。
機体が軋むより痛切な、空間を裂く響き。
聞き覚えがある気がしたが、「俺」の声ではないようだ。
……他の奴が刺されりゃ、あんな風に叫ぶんだろうな。
どこか俯瞰した思考を起点に、幾つかのイメージがフラッシュバックした。
鋭い刃先。流れ落ちる血。左手の甲。……そうだ。
ショーンは無事か。クソ、声が出ねえ――
肉体は麻痺したように動かない。
眼球を動かしても、視界が映すのは赤ばかり。
……お前は「俺」と違って、刺されりゃ痛えんだからよ。
力は多少あんだろうが、逃げられるほど頑丈じゃねえ。
おい、何処にいやがる。返事をしやがれ――
気付けば手を伸ばしていた。
拘束の緩んだ右腕を、緩慢な動作で持ち上げる。
助けたかった訳ではない。助けを求めたかった訳でもない。
辛うじて視界の端に映した右手は、真っ赤な霧に溶けていた。
赤い色に染まりきり、音を無くした世界の中で。
もう聞こえない筈の慟哭が脳内で反響していた。
朦朧とする意識の中で、突き動かされるように指先を開く。
呼ばれた訳ではなくとも、この手が何処へも届かなくても。
「俺」はただ、そうせずにはいられなかった。
――その後の展開は呆気なく進んだ。
黒い影が過ぎり、頭がスーツごと『取り外された』。
伸ばした右手は力を失って落ち、肘から先が『折り取られる』。
肉体は赤い霧の向こうに消え、空が揺らいでは『緑色の液体の底に』沈んでゆく。
そして、『容器の蓋が閉じられる』ように唐突に、「俺」の世界は暗転した。
******
(……思い出した。ああ、そうだったな)
意識が現在に戻り、視界が粉塵と霧の代わりに操縦棺下部を映しても、
男は頭を抱えた姿勢のまま動けずにいた。
(……「俺」の肉体は、あの時使い物にならなくなった)
感覚を取り戻した肉体が、ずきずきと響く傷跡の痛みを訴える。
暗闇を映した瞳を大きく見開いていることに、男は気付かない。
(そして、あれも作り物の義体だ。「俺」の本体は最初から脳だけなんだろ。
なら、義体を作ったのはどいつだ。ショーンは何故行動を共にしていた?)
理解と疑問が同時に湧き、得てきた断片を
見えていた姿が全てではなくとも、見てきた姿が虚構になる訳ではない。
男の目に映った部下は献身的で、常にこちらの身を案じていた。
(俺を守ろうとしてたのか?あの覆面スーツ共か、もっと他の奴から。
お前個人の意思か、他に思惑があったのかは知らねえが。
で、結局何だったんだアイツらは。名乗らねえから名前すら分かりゃしねえ)
――所属以外は。
ふと、記憶の中で見た赤いエンブレムに意識が向く。
真紅連理を示すものだと気付いたのは、以前目にした事があったから。
(……それとも)
ショーンと初めて会った日の記憶が蘇る。
――あの時彼の右胸には、同じエンブレムが輝いていたのではなかったか。
(お前が、アイツらを呼んだのか?
俺の義体を壊して――脳を取り出すために)
◆18回更新の日記ログ
……部屋を出た後、どうやって『C.C.』のコクピットまで帰り着いたかは覚えていない。
気付いた時には既に、男の肉体は操縦席に収まり、開きつつある出口から粉塵の満ちる外部へと向かおうとしていた。
部屋の主が告げた通り、抵抗せず、言葉を発さず、ただ此処から立ち去る。
――恐らくこの場に戻る事はもうないだろう。あの男に再会する事も。
朧げな予感を抱きつつ、男が後方を振り返る事はなかった。
******
再び海上に出ると、先程とは状況が一変していた。
各方面で響いていた戦闘音は徐々に収まりつつあった。将軍機が君臨していた筈の「巨人の島」方面の反応も、傭兵機を残して溶けるように消失していた。
自動的に接続されたグレイヴネットからは、聞き覚えのない声が滔々と流れてくる。
新手か、と身構えたのも束の間、声の主は財団の援護に来た訳ではないようで――正確にはたった今離反の事実を突き付けている最中らしく、対峙する財団代表の困惑と狼狽が通信を介して伝わって来る。
財団を結成し、進化の力を開発するという名目で自身のダスト・グレムリンを完成させる餌を集めさせていた事。
《ヴォイドステイシス》が完璧になった今、世界へ復讐するにあたって財団は役目を終え、最早不要である事。
「ケイジキーパー」が滔々と語るのを聞くうちに財団代表の毅然とした態度は崩れ、程なくして怨嗟の咆哮を上げて相手に襲いかかった。
しかし、彼女の駆るグレムリンの駆動音は、《真永劫》と《停滞領域》と相手が呼んだ能力の前に徐々に速度を落とし――その声が数分も経たずに「停止」して程なく、機体が無造作に引きちぎられる音が響いた。
(……タチの悪ィ真似しやがる)
最後の一人となった将軍の謝罪と「進化」を聞き届けた男は、眉根を寄せて目を伏せる。
(得体の知れねえ力に釣られる方も問題だが、復讐を掲げるヤツらが齎すのはロクなモンじゃねえな。まあ、自分の目的しか見えてねえ、って点じゃ、俺も他人をどうこう言えた義理じゃねえが)
流れる音声は止まらない。「ケイジキーパー」の声を切り裂くように乱入した傭兵、ジェトが相手の所在を暴くと、『C.C.』はゆっくりと旋回を始めた。
正面遠方にタワーを捉えると、かつてグレイヴネット・インターフェース、或いはグレイヴキーパーが告げた内容が脳内に蘇る。
――死にゆく世界は終わらせる。タワーの工廠で待つ。今度こそ迷うな。
趣旨を改めて反芻した男は、フンと鼻を鳴らした。
「しかし、ケイジキーパーとやらはよっぽど自信があるみてえだな。
テメエのグレムリンが作り出す永劫と停滞に――」
男がそう独り言ちた瞬間、頭部が突然脳を締め付けるように軋んだ。
「あ、ぐ……!?」
先程まで不気味なほど従順だった肉体が、蓄積された痛みを一度に伝達してきたかのような、鮮烈な頭痛が襲いかかる。意図せず呻き声を漏らした男は、モニタに注意を払う事も出来ずに『C.C.』の操縦席で頭部を抱え込む。
(何、だ……畜生、動けねえ……)
ずきずきと間断なく脳を苛む痛みから逃れるように、目を細め、歯を食いしばる。しかしその直後、抵抗は無駄だと言わんばかりの鋭い痛みが、眼前で火花を散らしたように白く弾けた。
【Day 17】
――傷跡が疼く。違和感。
明滅する視界の合間に、無数のイメージが閃いては消えてゆく。
その中には、例の赤髪の女性の姿もあった。
フラッシュバックの如く繰り返し現れる、自身が「知っている」と認識する相手。
しかし、その女性が誰であるか、脳は未だ思い出せずにいた。
(……クソ。何を仕込みやがった、あの男……)
アルフレッドと視線を合わせて以来不規則に現れる映像が、頭痛と共に脳を苛む。
(あの部屋で何らかの細工をされたか、トリガーを起動させられたかだろうが……
チッ、面倒くせえ。戻って文句でも言いに――)
しかし、相手の言動と憎悪が「自分の部下に対して向けられていた」事を思い出すと、妙な違和感が募る。
(「俺」があの怨恨の原因だってんなら話は単純だ。
墜とした相手の顔や名前なんざ覚えちゃいねえし、数からみても妥当だろ。どれだけ恨みと敵意を買おうが、やる事は変わらねえからな。
だが、お前が?好き好んで敵を墜とさねえお前が、「全ての不幸の元凶」呼ばわりされんのはおかしいだろ。少なくとも戦場じゃあり得ねえ)
歯を食いしばったまま呼吸を何度かした後、脳は静かに問い掛ける。
(……おいショーン。お前、俺の知らねえところで――あの男に何しやがった)
……返答はない。代わりに、頭部が再びずきりと軋む。
そして、脳には他にも引っ掛かる言葉があった。
(……「エリヤを」「妹を返せ」だと?
あの男は「俺」の名がエリヤである事を知っていた。見ての通りショーンの姿だってのによ。
……どうやって知った?何処でどいつが噛んでやがる。
それに「妹」だと?俺とあいつが兄妹だったってのか?
ンな記憶は何処にもねえぞ。って事は、名前だけ同じ別人で――)
とめどなく巡る疑問が呼び出したように、再び赤髪の女性のイメージが現れては笑う。
痛みに耐えながら睨み付けてやれば、その姿は淡く滲んだ。
(……テメエは誰だ。何故俺に付き纏う?テメエが「あの男の妹のエリヤ」か?)
微笑む女性は答えない。くすんだ赤い髪が、顔を覆い隠す。
(チッ……テイマーに長い髪は邪魔だろうが。
「俺」なら最初からンな髪にはしねえぞ。巻き込まねえように短く、切って、――)
内心で悪態を吐き、無意識に自身の本来の姿を思い出そうとし……脳の思考が止まる。
(――「俺」の肉体は、どんな姿をしていた?)
思い出せない。その事実に愕然とする。
鏡を覗けば部下の顔が映る日々が長すぎたせいか、少ない記憶がさらに抜け落ちたためか。かつて脳自身が行使していた筈の肉体の形は、茫洋と記憶に溶けていた。
(……それだけじゃねえ、)
塗装が剥げるように少しずつ、これまで気にも留めなかった面が顔を覗かせる。
(俺はいつから「部下の肉体に俺の脳が入った」と認識していた?
脳の挿げ替えだ。難なくこなせる技術があるったって、聞いてすぐ納得出来る内容じゃねえだろ。
だが俺は、それを当然のように受け止めて、違和感を覚えることなく過ごしてきた。
…………何故だ?)
答えは出ない。過去に近付こうとすればするほど、新たな謎が増えていく。
ぎり、と音を立てて奥歯が擦れる。
(何処まで隠す。何処まで奪う?欠落する端から記憶が捲れ上がる、)
記憶に唯一鮮明に残っているのは部下一人。
それさえも今や何処となく違和感として映る。
気付けば脳は、部下に明確な疑念をぶつけていた。
(……ショーン。この状況はお前が作ったのか?
あの男の恨みも、俺の脳が入ったこの肉体も、お前の機体によく似た『C.C.』も。
――お前なら全て知ってやがんのか。俺の記憶にねえところで、お前は一体何を、)
周囲全てが敵と映る傭兵稼業に身を置きながら、唯一信用していた部下。
記憶の端々に残るその瞳が、俄かに昏さを増した気がした。
(傭兵にしちゃ気の小せえお前に、大それた事なんざ出来る訳がねえと高を括ってたが)
部下が自分を見つめる眼差しに何が込められていたのか。
彼が口を噤んでいる間、何を考えていたのか。
今になって、分からない――どころか、考えたためしもなかった事に気付く。
(……俺は、俺に見えていた範囲の事しか知らねえ。
あの頃は、それ以外の面に興味なんざなかった。
だがよ。お前が俺に見せていたのは……俺が知ってんのは、お前の本心の何割だ?)
ただ一人の部下の事を。
ずっと共に戦い、傍に居た筈の相手を。
誰よりも知っていると自負していたのは、傲慢だったのだろうか。
――痛みに促され、脳は初めて自覚する。
(フン……今更こんな事考えるようになるとはな)
自嘲気味に目を閉じると、再び刺すような痛みが走った。
(クソ、頭が、痛え)
何もない筈の、そう思い込んでいる空間を、尖った歯で突いて穴を開けるような刺激。
がんがんと歪む視界の先に、徐に一つの光景が閃いた。
覗いた色は、見慣れた粉塵の赤。その色が薄い女性のイメージに重なり、くすんだ赤髪を塗り潰す。
赤く染まった空。粉塵よりも一層鮮明な、下方から噴き出す赤い――
そして――脳はようやく、ある記憶に辿り着いた。
気付いた時には既に、男の肉体は操縦席に収まり、開きつつある出口から粉塵の満ちる外部へと向かおうとしていた。
部屋の主が告げた通り、抵抗せず、言葉を発さず、ただ此処から立ち去る。
――恐らくこの場に戻る事はもうないだろう。あの男に再会する事も。
朧げな予感を抱きつつ、男が後方を振り返る事はなかった。
******
再び海上に出ると、先程とは状況が一変していた。
各方面で響いていた戦闘音は徐々に収まりつつあった。将軍機が君臨していた筈の「巨人の島」方面の反応も、傭兵機を残して溶けるように消失していた。
自動的に接続されたグレイヴネットからは、聞き覚えのない声が滔々と流れてくる。
新手か、と身構えたのも束の間、声の主は財団の援護に来た訳ではないようで――正確にはたった今離反の事実を突き付けている最中らしく、対峙する財団代表の困惑と狼狽が通信を介して伝わって来る。
財団を結成し、進化の力を開発するという名目で自身のダスト・グレムリンを完成させる餌を集めさせていた事。
《ヴォイドステイシス》が完璧になった今、世界へ復讐するにあたって財団は役目を終え、最早不要である事。
「ケイジキーパー」が滔々と語るのを聞くうちに財団代表の毅然とした態度は崩れ、程なくして怨嗟の咆哮を上げて相手に襲いかかった。
しかし、彼女の駆るグレムリンの駆動音は、《真永劫》と《停滞領域》と相手が呼んだ能力の前に徐々に速度を落とし――その声が数分も経たずに「停止」して程なく、機体が無造作に引きちぎられる音が響いた。
(……タチの悪ィ真似しやがる)
最後の一人となった将軍の謝罪と「進化」を聞き届けた男は、眉根を寄せて目を伏せる。
(得体の知れねえ力に釣られる方も問題だが、復讐を掲げるヤツらが齎すのはロクなモンじゃねえな。まあ、自分の目的しか見えてねえ、って点じゃ、俺も他人をどうこう言えた義理じゃねえが)
流れる音声は止まらない。「ケイジキーパー」の声を切り裂くように乱入した傭兵、ジェトが相手の所在を暴くと、『C.C.』はゆっくりと旋回を始めた。
正面遠方にタワーを捉えると、かつてグレイヴネット・インターフェース、或いはグレイヴキーパーが告げた内容が脳内に蘇る。
――死にゆく世界は終わらせる。タワーの工廠で待つ。今度こそ迷うな。
趣旨を改めて反芻した男は、フンと鼻を鳴らした。
「しかし、ケイジキーパーとやらはよっぽど自信があるみてえだな。
テメエのグレムリンが作り出す永劫と停滞に――」
男がそう独り言ちた瞬間、頭部が突然脳を締め付けるように軋んだ。
「あ、ぐ……!?」
先程まで不気味なほど従順だった肉体が、蓄積された痛みを一度に伝達してきたかのような、鮮烈な頭痛が襲いかかる。意図せず呻き声を漏らした男は、モニタに注意を払う事も出来ずに『C.C.』の操縦席で頭部を抱え込む。
(何、だ……畜生、動けねえ……)
ずきずきと間断なく脳を苛む痛みから逃れるように、目を細め、歯を食いしばる。しかしその直後、抵抗は無駄だと言わんばかりの鋭い痛みが、眼前で火花を散らしたように白く弾けた。
【Day 17】
――傷跡が疼く。違和感。
明滅する視界の合間に、無数のイメージが閃いては消えてゆく。
その中には、例の赤髪の女性の姿もあった。
フラッシュバックの如く繰り返し現れる、自身が「知っている」と認識する相手。
しかし、その女性が誰であるか、脳は未だ思い出せずにいた。
(……クソ。何を仕込みやがった、あの男……)
アルフレッドと視線を合わせて以来不規則に現れる映像が、頭痛と共に脳を苛む。
(あの部屋で何らかの細工をされたか、トリガーを起動させられたかだろうが……
チッ、面倒くせえ。戻って文句でも言いに――)
しかし、相手の言動と憎悪が「自分の部下に対して向けられていた」事を思い出すと、妙な違和感が募る。
(「俺」があの怨恨の原因だってんなら話は単純だ。
墜とした相手の顔や名前なんざ覚えちゃいねえし、数からみても妥当だろ。どれだけ恨みと敵意を買おうが、やる事は変わらねえからな。
だが、お前が?好き好んで敵を墜とさねえお前が、「全ての不幸の元凶」呼ばわりされんのはおかしいだろ。少なくとも戦場じゃあり得ねえ)
歯を食いしばったまま呼吸を何度かした後、脳は静かに問い掛ける。
(……おいショーン。お前、俺の知らねえところで――あの男に何しやがった)
……返答はない。代わりに、頭部が再びずきりと軋む。
そして、脳には他にも引っ掛かる言葉があった。
(……「エリヤを」「妹を返せ」だと?
あの男は「俺」の名がエリヤである事を知っていた。見ての通りショーンの姿だってのによ。
……どうやって知った?何処でどいつが噛んでやがる。
それに「妹」だと?俺とあいつが兄妹だったってのか?
ンな記憶は何処にもねえぞ。って事は、名前だけ同じ別人で――)
とめどなく巡る疑問が呼び出したように、再び赤髪の女性のイメージが現れては笑う。
痛みに耐えながら睨み付けてやれば、その姿は淡く滲んだ。
(……テメエは誰だ。何故俺に付き纏う?テメエが「あの男の妹のエリヤ」か?)
微笑む女性は答えない。くすんだ赤い髪が、顔を覆い隠す。
(チッ……テイマーに長い髪は邪魔だろうが。
「俺」なら最初からンな髪にはしねえぞ。巻き込まねえように短く、切って、――)
内心で悪態を吐き、無意識に自身の本来の姿を思い出そうとし……脳の思考が止まる。
(――「俺」の肉体は、どんな姿をしていた?)
思い出せない。その事実に愕然とする。
鏡を覗けば部下の顔が映る日々が長すぎたせいか、少ない記憶がさらに抜け落ちたためか。かつて脳自身が行使していた筈の肉体の形は、茫洋と記憶に溶けていた。
(……それだけじゃねえ、)
塗装が剥げるように少しずつ、これまで気にも留めなかった面が顔を覗かせる。
(俺はいつから「部下の肉体に俺の脳が入った」と認識していた?
脳の挿げ替えだ。難なくこなせる技術があるったって、聞いてすぐ納得出来る内容じゃねえだろ。
だが俺は、それを当然のように受け止めて、違和感を覚えることなく過ごしてきた。
…………何故だ?)
答えは出ない。過去に近付こうとすればするほど、新たな謎が増えていく。
ぎり、と音を立てて奥歯が擦れる。
(何処まで隠す。何処まで奪う?欠落する端から記憶が捲れ上がる、)
記憶に唯一鮮明に残っているのは部下一人。
それさえも今や何処となく違和感として映る。
気付けば脳は、部下に明確な疑念をぶつけていた。
(……ショーン。この状況はお前が作ったのか?
あの男の恨みも、俺の脳が入ったこの肉体も、お前の機体によく似た『C.C.』も。
――お前なら全て知ってやがんのか。俺の記憶にねえところで、お前は一体何を、)
周囲全てが敵と映る傭兵稼業に身を置きながら、唯一信用していた部下。
記憶の端々に残るその瞳が、俄かに昏さを増した気がした。
(傭兵にしちゃ気の小せえお前に、大それた事なんざ出来る訳がねえと高を括ってたが)
部下が自分を見つめる眼差しに何が込められていたのか。
彼が口を噤んでいる間、何を考えていたのか。
今になって、分からない――どころか、考えたためしもなかった事に気付く。
(……俺は、俺に見えていた範囲の事しか知らねえ。
あの頃は、それ以外の面に興味なんざなかった。
だがよ。お前が俺に見せていたのは……俺が知ってんのは、お前の本心の何割だ?)
ただ一人の部下の事を。
ずっと共に戦い、傍に居た筈の相手を。
誰よりも知っていると自負していたのは、傲慢だったのだろうか。
――痛みに促され、脳は初めて自覚する。
(フン……今更こんな事考えるようになるとはな)
自嘲気味に目を閉じると、再び刺すような痛みが走った。
(クソ、頭が、痛え)
何もない筈の、そう思い込んでいる空間を、尖った歯で突いて穴を開けるような刺激。
がんがんと歪む視界の先に、徐に一つの光景が閃いた。
覗いた色は、見慣れた粉塵の赤。その色が薄い女性のイメージに重なり、くすんだ赤髪を塗り潰す。
赤く染まった空。粉塵よりも一層鮮明な、下方から噴き出す赤い――
そして――脳はようやく、ある記憶に辿り着いた。
◆17回更新の日記ログ
(……どういう事だ)
自身の過去を遡り、持てる最古の記憶に辿り着いた「脳」は、その先に広がる虚無を前に身動きが取れずにいた。
記憶が欠落している期間には何らかの痕跡がある。辻褄が合わなかったり、過ごしてきた筈の月日に妙に空白が多かったり、一見して違和感を覚える箇所。
少なくとも脳にとっては、記憶の欠落範囲は大まかに自覚出来るものだった。最もその範囲が広く、残った記憶も細切れのため、「全体的に記憶が欠けている」と表すのが適していたが。
しかし、今目前にある虚無は異なる印象を与えてくる。
「元々存在した筈」の過去の気配がなく、今いる場所が始点だと納得せざるを得ない説得力。
何も存在しない虚無、あるいは壁の聳える行き止まりのような閉塞感。
(ショーンと出会った瞬間、無から生えたってのか?ンな訳ねえだろ、俺は――)
この先に何もない筈がない。
何もないのであれば、人間の生成過程として破綻している。
そう思い込む事で過去に踏み込もうとしても、過去は頑なに無を主張する。
乱れそうになる思考を巡らせる。破綻した状態が正しいのか。或いはこの虚無が、今まで隠されていた記憶よりも重要な『何か』を匿うためのカモフラージュとして存在するのであれば――
「――おい」
赤髪の男の声が、視界を暗い部屋に引き戻す。努めて冷静を保とうとしているらしい相手の視線を受け、男は不機嫌そうに溜息を吐くと、右手でがりがりと後頭部を掻いた。
「どいつもこいつも好き勝手他人の脳を弄りやがって」
「……やはりマスクされているようだな。或いは消去されたか?」
「フン。不愉快極まりねえ事にそのどちらかだろうな。
遊びてえならテメエの脳でやれってんだ」
「ああ……その通りだ。そうだろう?『ショーン・オブライエン』」
相手の表情が険しさを増した。その瞳に込められた暗い感情を肉体の代わりに受け止めた脳は、凄みを利かせて相手を睨み返す。
「悪いが俺はショーンじゃねえ。面(ツラ)はそうだが中身が違う。知ってんだろうが」
「お前が『エリヤ』である事は重々承知している。その上での発言だ。
この男の事だ、どうせ聞いているのだろうから」
「……俺の部下に何か用かよ」
「用なら大いにある。その男が全ての……、
少なくとも俺達に纏わる不幸の全ての元凶だからだ」
そう言い放ち、ぎり、と奥歯を噛みしめた相手の口から、深い怨嗟が零れる。
「過去と俺達の事を思い出せないのも、アーロの死に何も感じないのも、
全てはその男の仕業だ。よくも俺達を……!」
赤い髪の下に昏い茶色の瞳を爛々と光らせた男は、右拳を固く握りしめ、一歩一歩踏みしめるように近付いてくる。剥き出しの殺気を向けられた男は身構えようとしたが、その前に相手の口が動いた。
「『動くな』、『抵抗するな』、『目を逸らすな』」
その言葉が耳に入ると同時に、男の肉体が強張った。
「……ハ。知らねえ奴に指図を受ける謂れはねえな」
呪文のように紡がれた命令に対し、失笑交じりで相対する。しかし、吐いた悪態とは裏腹に、肉体は相手の言葉を従順に受け入れたように動かず、視線を逸らす事さえ出来なかった。
(……クソ。何だってんだ、工廠での自己主張はどうしたよ。
おいショーン、反応しやがれ。コイツに殴られてえのか?)
だが、幾ら肉体に思念を送っても状態が変わる事はなく、相手の表情が再び歪む。
「知らねえ奴、だと……!俺の前でそれ以上喋るな……!」
相手の眼光が、男の目を射貫くように鋭くなる。瞳がちらと瞬き、何かが映った――と感じた瞬間、目の前の光景に重なるように無数の映像が現れた。
(……、何だコイツは)
目まぐるしく眼前を駆け巡り、音もなく切り替わり、色彩を伴って視界を塗り潰す。取り留めのない映像の切れ目から垣間見える向こう側に、相手の瞳があった。
茶色く燃える瞳に、粉塵に似た赤い色が重なった瞬間。
(……?)
言い知れぬ既視感を覚えると同時に、意識が相手の瞳に吸い込まれていった。
【Day 16】
無数の映像情報が目から脳へ伝達される。
次々と現れては消えて行く情景の洪水に、頭部が僅かに痛みを訴える。
感慨もなく受け流していると、やがてその一端に映し出された赤い髪の女性の姿が目に留まった。
第七型Ft式フィルタースーツを身に纏った女性の顔は、イメージ自体が切れかけた蛍光灯のように不規則に現れる上、風になびく髪で大部分が隠れており判別が難しい。にも拘わらず、脳は意識を逸らす事が出来なかった。
数瞬の後、脳はその理由を導き出す。
(――知っている)
そう自覚すると、止まりかけていた思考が巡り始める。
(「俺」は、この女を識っている)
同時に、享受した映像も全て『見た事がある』ものだという感覚に襲われる。
確信はなかった。しかし、脳の何処かで何かが訴える。
(……これは、俺が過去に見た光景なのか。いつ、何処で。記憶にねえ、が……)
再び女性の姿が投影される。アルフレッドと名乗った男とよく似た、粉塵よりも落ち着いた赤色の髪が浮き上がり、穏やかな微笑みを湛えた口元が露わになる。
その唇が小さく動いて何事か囁いたものの、脳には読み取る事が出来ない。
ただ凝視する以外の行動を取る間もなく、女性の口が閉じ、徐々に色が褪せ、他の映像に飲み込まれて消えていった。
******
「……加担しなければよかったんだ。
『赤い悪魔』など放っておくべきで――いや、滅ぼしておくべきだった」
気付けば男の眼前には、右拳を握った赤髪の男が迫っていた。
怒りを堪えるように肩を震わせて深く呼吸し、鬼気迫る表情で一歩ずつ距離を詰めてくる。
「最初からこうしておくべきだった。貴様は存在してはいけなかった。
…………エリヤを、」
怒りで震えた声と拳。相手の瞳は血走り憎悪に満ちていたが、男が目にしたものはそれだけではなかった。
見開いた瞳から、一筋の光が零れ落ちる。
「――俺の妹を返せショーン・オブライエン!!!」
+日誌画像+
「脳」はただ、その光景を瞳に焼き付ける事しか出来なかった。
******
鈍い殴打音が響く。
しかし、肉体が痛みを訴える事はなかった。
(……遂に痛覚までイカれたか。――いや、)
目の前には腕を振り抜いた姿勢で顔を伏せた赤髪の男の頭部があり、いつの間にか映像の投射は止んでいた。相手の瞳が視界から外れたためだ――と気付いた男は、視界の左端から伸びる腕の行方を確認する。拳が左頬のすぐ横を掠め、数cmと離れていない位置の壁に叩きつけられているのを目にした男は、訝しむように眉根を寄せた。
(……この至近距離で普通外すか?
意図的に外したってんなら話は分かるが――)
改めて相手の赤い頭部を睨み付けると、下を向いたままの相手の肩が微かに震えた。
「…………け」
先程までとは打って変わり、弱々しい声が耳に入る。
「行け。俺がお前を本当に殴り飛ばす前に、此処から立ち去れ。
この場所の事も、俺の事も口外するな――そして、二度と俺の前にその面を見せるな」
相手は肩で息をしながらそれだけ吐き出すと、目を合わせまいとするように背を向けた。男はその背に怪訝そうな視線を向けながらも、無言で部屋の入り口を振り返る。
――頼むから。
去り際に、声にならない掠れた吐息が耳に引っ掛かったような気がした。
******
男の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったのを確認すると、赤髪の男は大きく息を吐き出した。覚束ない足取りで部屋の隅まで戻ると、糸が切れたように椅子の前に膝を付き、座部に突っ伏して頭を抱える。
程なくして腕の間から、押し殺されたような、微かに震えた声が漏れ聞こえた。
「……お前がどんなに変容してしまったとしても……お前が俺の事を忘れたとしても、
俺に、お前を殴れる訳がないだろう……!」
声の震えは全身の痙攣となって現れ、漏れていた嗚咽はやがて慟哭に変わった。
「どうしてお前だったんだ。何故お前がこんな目に遭わなければならなかった。
俺は皆に何と言って詫びればいい……!」
他に聞く者のいない静かな空間に、残された男の咽び泣く声が響き続けていた。
自身の過去を遡り、持てる最古の記憶に辿り着いた「脳」は、その先に広がる虚無を前に身動きが取れずにいた。
記憶が欠落している期間には何らかの痕跡がある。辻褄が合わなかったり、過ごしてきた筈の月日に妙に空白が多かったり、一見して違和感を覚える箇所。
少なくとも脳にとっては、記憶の欠落範囲は大まかに自覚出来るものだった。最もその範囲が広く、残った記憶も細切れのため、「全体的に記憶が欠けている」と表すのが適していたが。
しかし、今目前にある虚無は異なる印象を与えてくる。
「元々存在した筈」の過去の気配がなく、今いる場所が始点だと納得せざるを得ない説得力。
何も存在しない虚無、あるいは壁の聳える行き止まりのような閉塞感。
(ショーンと出会った瞬間、無から生えたってのか?ンな訳ねえだろ、俺は――)
この先に何もない筈がない。
何もないのであれば、人間の生成過程として破綻している。
そう思い込む事で過去に踏み込もうとしても、過去は頑なに無を主張する。
乱れそうになる思考を巡らせる。破綻した状態が正しいのか。或いはこの虚無が、今まで隠されていた記憶よりも重要な『何か』を匿うためのカモフラージュとして存在するのであれば――
「――おい」
赤髪の男の声が、視界を暗い部屋に引き戻す。努めて冷静を保とうとしているらしい相手の視線を受け、男は不機嫌そうに溜息を吐くと、右手でがりがりと後頭部を掻いた。
「どいつもこいつも好き勝手他人の脳を弄りやがって」
「……やはりマスクされているようだな。或いは消去されたか?」
「フン。不愉快極まりねえ事にそのどちらかだろうな。
遊びてえならテメエの脳でやれってんだ」
「ああ……その通りだ。そうだろう?『ショーン・オブライエン』」
相手の表情が険しさを増した。その瞳に込められた暗い感情を肉体の代わりに受け止めた脳は、凄みを利かせて相手を睨み返す。
「悪いが俺はショーンじゃねえ。面(ツラ)はそうだが中身が違う。知ってんだろうが」
「お前が『エリヤ』である事は重々承知している。その上での発言だ。
この男の事だ、どうせ聞いているのだろうから」
「……俺の部下に何か用かよ」
「用なら大いにある。その男が全ての……、
少なくとも俺達に纏わる不幸の全ての元凶だからだ」
そう言い放ち、ぎり、と奥歯を噛みしめた相手の口から、深い怨嗟が零れる。
「過去と俺達の事を思い出せないのも、アーロの死に何も感じないのも、
全てはその男の仕業だ。よくも俺達を……!」
赤い髪の下に昏い茶色の瞳を爛々と光らせた男は、右拳を固く握りしめ、一歩一歩踏みしめるように近付いてくる。剥き出しの殺気を向けられた男は身構えようとしたが、その前に相手の口が動いた。
「『動くな』、『抵抗するな』、『目を逸らすな』」
その言葉が耳に入ると同時に、男の肉体が強張った。
「……ハ。知らねえ奴に指図を受ける謂れはねえな」
呪文のように紡がれた命令に対し、失笑交じりで相対する。しかし、吐いた悪態とは裏腹に、肉体は相手の言葉を従順に受け入れたように動かず、視線を逸らす事さえ出来なかった。
(……クソ。何だってんだ、工廠での自己主張はどうしたよ。
おいショーン、反応しやがれ。コイツに殴られてえのか?)
だが、幾ら肉体に思念を送っても状態が変わる事はなく、相手の表情が再び歪む。
「知らねえ奴、だと……!俺の前でそれ以上喋るな……!」
相手の眼光が、男の目を射貫くように鋭くなる。瞳がちらと瞬き、何かが映った――と感じた瞬間、目の前の光景に重なるように無数の映像が現れた。
(……、何だコイツは)
目まぐるしく眼前を駆け巡り、音もなく切り替わり、色彩を伴って視界を塗り潰す。取り留めのない映像の切れ目から垣間見える向こう側に、相手の瞳があった。
茶色く燃える瞳に、粉塵に似た赤い色が重なった瞬間。
(……?)
言い知れぬ既視感を覚えると同時に、意識が相手の瞳に吸い込まれていった。
【Day 16】
無数の映像情報が目から脳へ伝達される。
次々と現れては消えて行く情景の洪水に、頭部が僅かに痛みを訴える。
感慨もなく受け流していると、やがてその一端に映し出された赤い髪の女性の姿が目に留まった。
第七型Ft式フィルタースーツを身に纏った女性の顔は、イメージ自体が切れかけた蛍光灯のように不規則に現れる上、風になびく髪で大部分が隠れており判別が難しい。にも拘わらず、脳は意識を逸らす事が出来なかった。
数瞬の後、脳はその理由を導き出す。
(――知っている)
そう自覚すると、止まりかけていた思考が巡り始める。
(「俺」は、この女を識っている)
同時に、享受した映像も全て『見た事がある』ものだという感覚に襲われる。
確信はなかった。しかし、脳の何処かで何かが訴える。
(……これは、俺が過去に見た光景なのか。いつ、何処で。記憶にねえ、が……)
再び女性の姿が投影される。アルフレッドと名乗った男とよく似た、粉塵よりも落ち着いた赤色の髪が浮き上がり、穏やかな微笑みを湛えた口元が露わになる。
その唇が小さく動いて何事か囁いたものの、脳には読み取る事が出来ない。
ただ凝視する以外の行動を取る間もなく、女性の口が閉じ、徐々に色が褪せ、他の映像に飲み込まれて消えていった。
******
「……加担しなければよかったんだ。
『赤い悪魔』など放っておくべきで――いや、滅ぼしておくべきだった」
気付けば男の眼前には、右拳を握った赤髪の男が迫っていた。
怒りを堪えるように肩を震わせて深く呼吸し、鬼気迫る表情で一歩ずつ距離を詰めてくる。
「最初からこうしておくべきだった。貴様は存在してはいけなかった。
…………エリヤを、」
怒りで震えた声と拳。相手の瞳は血走り憎悪に満ちていたが、男が目にしたものはそれだけではなかった。
見開いた瞳から、一筋の光が零れ落ちる。
「――俺の妹を返せショーン・オブライエン!!!」
+日誌画像+
「脳」はただ、その光景を瞳に焼き付ける事しか出来なかった。
******
鈍い殴打音が響く。
しかし、肉体が痛みを訴える事はなかった。
(……遂に痛覚までイカれたか。――いや、)
目の前には腕を振り抜いた姿勢で顔を伏せた赤髪の男の頭部があり、いつの間にか映像の投射は止んでいた。相手の瞳が視界から外れたためだ――と気付いた男は、視界の左端から伸びる腕の行方を確認する。拳が左頬のすぐ横を掠め、数cmと離れていない位置の壁に叩きつけられているのを目にした男は、訝しむように眉根を寄せた。
(……この至近距離で普通外すか?
意図的に外したってんなら話は分かるが――)
改めて相手の赤い頭部を睨み付けると、下を向いたままの相手の肩が微かに震えた。
「…………け」
先程までとは打って変わり、弱々しい声が耳に入る。
「行け。俺がお前を本当に殴り飛ばす前に、此処から立ち去れ。
この場所の事も、俺の事も口外するな――そして、二度と俺の前にその面を見せるな」
相手は肩で息をしながらそれだけ吐き出すと、目を合わせまいとするように背を向けた。男はその背に怪訝そうな視線を向けながらも、無言で部屋の入り口を振り返る。
――頼むから。
去り際に、声にならない掠れた吐息が耳に引っ掛かったような気がした。
******
男の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったのを確認すると、赤髪の男は大きく息を吐き出した。覚束ない足取りで部屋の隅まで戻ると、糸が切れたように椅子の前に膝を付き、座部に突っ伏して頭を抱える。
程なくして腕の間から、押し殺されたような、微かに震えた声が漏れ聞こえた。
「……お前がどんなに変容してしまったとしても……お前が俺の事を忘れたとしても、
俺に、お前を殴れる訳がないだろう……!」
声の震えは全身の痙攣となって現れ、漏れていた嗚咽はやがて慟哭に変わった。
「どうしてお前だったんだ。何故お前がこんな目に遭わなければならなかった。
俺は皆に何と言って詫びればいい……!」
他に聞く者のいない静かな空間に、残された男の咽び泣く声が響き続けていた。
◆16回更新の日記ログ
【Day 15】
左腕に走った衝撃に男が目を見開いた瞬間、左手が不自然に強張った。
間髪入れずに操縦棺が揺さぶられ、鋭く響いたアラート音と赤く染まったモニタから、機体が攻撃を受けた事を認識する。
しかし前方の将軍機に動きはなく、今しがた攻撃を行ったようにも見えない。
男は怪訝そうに眉を顰めたが、程なくして大きく舌打ちをすると索敵範囲を後方に拡げた。
「チッ。油断したな……デカブツを囮に使いやがったか。
おい、『C.C.』。テメエ、仮にも重『探知』試作機だろうが。とっとと敵を見つけやがれ」
三基のレーダーが新たに齎す情報を睨み付けて呟くと、前方に警戒しつつ神経を研ぎ澄ませる。
初めて搭乗した際は呑み込まれる恐怖から遮断した感覚に、今度は自分から身を投じた。
モニタを通じて見えていた視界が拡大し、広々としたクリアな世界を意志が巡る。肉体からは視点固定以外の制約を受けず、透明なマスで区切られたように整然とした空間の中で、自身の座標を明確に認識する。
その感覚は『C.C.』内部からレーダーに導かれるように周囲に広がり、肉眼で視認出来ない位置に存在する物体をも知覚し、やがて後方に一機のグレムリンを捉えた。
「……フン。テメエだな。随分なご挨拶じゃねえか、今撃ち墜としてやる」
背部兵装を起動しようと意識を『C.C.』に戻したところで、機関砲の代わりにレーダーが積まれている事を思い出し溜息を吐く。仕方なく攻撃が届く範囲まで接近すべく機体の操作を試みた男は、左手に違和感を覚えた。
(……?)
強張っていた左手はいつの間にか脱力を越して弛緩しており、麻痺したように感覚を失っている。左肘から先が別の肉体として断絶したかのように、脳からの指令に応答しない。
訝しみながら操縦を右手操作に切り替え、ゆっくりと動き始めた将軍機と接近して行ったグレムリン達を一瞥する。任せて問題ないと判断したらしい男は、進路を反転して後方へ向かった。
******
攻撃を仕掛けてきたと思しき機体は、探すまでもなく行く手に現れた。
接近も攻撃もせず、迎撃態勢を取りもせず待ち受ける灰色の機体に微かな違和感を覚えたものの、『C.C.』は相手に吸い寄せられるように近付いていった。
操縦棺が位置していると思しき胸部を捉えようとした瞬間、相手機体から通信が入る。男は無意識のうちに視線を向け、一瞬動きを止めた。
モニタが映し出した相手の操縦席には誰も座っていなかった。未識別機動体が擁していた人型の靄さえ存在しない無人の操縦棺。けらけらと笑うような電子音声が幽かに響き、通話画面の端にノイズが走る。
(……コイツは何だ?)
霊障の類か――そう考えた男の耳がはっきりとした言葉を聞き取った。
『S.Owen、或いはElijah。抵抗せずについて来るように』
耳から飛び込んだ言葉は脳内で反響する。その音を最後に通信が途切れ、灰色の機体が移動を開始した。
「……何で「俺」の名前を知ってやがる。何か用かよ。ったく、得体の知れねえ相手の命令になんざ従う訳が――」
しかし、『C.C.』は武器を下ろし、相手機体の後を追い始める。
エリヤと呼ばれた脳はどこか疑問を感じながらも、それが行動に現れることはなく、攻撃も離脱もせずに機体の後に続いた。
******
灰色の機体は北方へ飛び続けていたが、やがて減速し、何もない海上で停止した。
周囲に小さな電子音が響いた瞬間、眼前の機体は粉塵に紛れて掻き消え、代わりに海中に半身を埋めた巨大な建造物が出現した。
(……随分と隠れるのが好きな奴みてえだな)
黒く開いた入り口は奥へと続いている。『C.C.』がぎりぎり通れる高さのゲートを潜ると、先程耳にしたものと同じトーンの音声が響く。
『グレムリンを降り、ガスマスクを装着したままで俺の居室まで来い』
後方では入り口が音もなく閉じ、薄暗い空間にグレムリン用の格納庫が浮かび上がる。
まるで『C.C.』のために誂えられたような空間に接近し、言われた通りグレムリンを停めると、操縦棺の入口付近に通路が現れた。
『C.C.』をその場に残し、頑丈な防壁に囲まれた通路に降り立つと、半透明の隔壁が男を出迎える。軽い音を立てて上方にスライドした扉を潜り抜けると、内部はしんと静まり返っていた。
粉塵は除去されているようだったが、ガスマスクを外すことなく、奥へ伸びた薄暗い通路へと歩を進める。僅かな照明を頼りに人の気配のない空間を歩いていくと、やがてうっすらと錆び付きかけた扉の前に辿り着いた。
「……、ここか?」
扉の内部は見えず、部屋の主を示す札も見当たらない。男は溜息を吐くと、扉を睨み付けて呼びかけた。
「おい。来てやったぞ。何処のどいつか知らねえが、とっとと出て来たらどうだ」
「…………入れ」
電子音声とは異なる、聞き覚えのない声を合図に扉が開く。警戒し身構える前に、男の足は室内へと向いていた。
******
部屋の内部は、外部同様に静けさに満ちていた。
通路より幾分明るいが、第十二番工廠は勿論、タワーの狭い居住区画と比較してさえ暗い部屋。その奥の椅子に、赤くくすんだ髪色の男が一人、祈るように両手を組んだ状態で腰掛けていた。
「……テメエか。俺を呼びつけやがったのは」
「そうだ」
赤髪の男は立ち上がり、部屋よりも昏い瞳でガスマスクの男を見つめる。
「テメエは誰だ。俺をここに来させた理由は何だ。何故俺の名を知っている」
「……」
相手は答える代わりに、眉根を寄せて口を引き結ぶ。目を閉じて何度か深呼吸をした後、ゆっくりと口を開いた。
「お前は、自分の名を認識しているか」
「ア?先刻テメエが呼んだだろうが。「俺」はエリヤだ、知ってんじゃねえのか」
「…………そうか、」
苦虫を噛み潰したような表情で答えた相手が、小さく呟く。
「その名を認識しているのなら――アーユス、の名に聞き覚えはあるか」
「ねえよ。何だそりゃ……、」
男はそう言いかけて、以前他の相手と同じ問答をした事を思い出す。
朧げに蘇る、未識別融合体との邂逅の記憶。『C.C.』を誘導し、仲間を餌とし、自ら機体に接近して触腕に貫かれた相手の名は――
「……アーロの死に様を見たな?」
「ああ、そんな名前で呼ばれてたな――訳の分からねえ行動をした末にデカブツに取り込まれてったが、テメエの仲間か」
「……そうだ、」
相手は何か言葉を飲み込んだように見えたがそのまま口を噤み、男の言葉を促すように視線を向ける。
「アーユス、の単語はソイツが口にしたのを聞いたきりだ。結局何なのか分かりゃしねえ」
「……」
相手は暫し沈黙した後、静かに語り始める。
「……我々は、元々『アーユス』と呼ばれる組織に属していた。
現在はジャンク財団と協力関係にあるが、それ以前は青花師団傘下の小組織として、錆び付いた世界からの脱却を……自由を求めて戦ってきた。しかし時を経るにつれ一人欠け、二人欠け、今では元の姿で残るのは俺だけだ。
俺がお前の名を知っているのは当然だ。かつてのお前はアーユスの一員だった――俺やアーロと同様に。……ここまで話しても、何も思い出さないのか」
******
男はガスマスクのレンズ越しに相手の目を見据える。嘘を言っている様子はないようだが、しかし男の持つ記憶には引っ掛からない。
「……全くピンと来やしねえ。別人じゃねえのか?」
「そうであればと、何度願ったか」
「そういやテメエの名前をまだ聞いてねえな。答えやがれ」
「…………アーユス、」
赤髪の男は躊躇した後、恐る恐るその名を口にする。
「アーユスの、アルフレッド」
「……フン。聞き覚えがねえ」
ぎり、と歯を噛みしめる音が聞こえた。
赤髪の男は目を閉じ、深呼吸をし、自分に言い聞かせるように単語を唱え始める。
「――青い空。マクガーデン印の合成ケーキ、ハニーポーション、炙り虚空魚のご馳走メシ」
「……何だと?」
「……かつてのお前が好んだものだ。聞き覚えはないか」
「ねえよ。ンなモン見た事も、食った事もねえ」
「本当に、覚えていないのか。それとも――忘れたふりをしているのか?」
赤髪の男の声が震え始め、やがて刺すような叫び声と化した。
「過去も、家族も、俺達の事も!
思い出せ……言ってみろ、お前はどうして此処にいる!」
男は一瞬の後、言われるがままに自身の持つ記憶を辿り始める。
「――俺は、」
部下の肉体で目覚めた日。それ以前の、本来の肉体を持っていた頃の部下との記憶。最初の依頼。部下と初めて言葉を交わした日。
欠落が随所にあるものの、視界が白く霞む事もなく、肉体が熱を帯びる事もなく、思い出すなと叫ぶ声も鳴りを潜め――やがて記憶の深部、部下と出会う日の朝に辿り着く。
――しかし。
(空白、だと…………?)
それより過去に意識を向けた脳は愕然とする。
そこにあったものは、ぽっかりと空いた虚無。
……まるで初めから存在していなかったかのように、或いは存在したはずの過去が高圧電流で焼き切られたように、記憶が断絶していた。
左腕に走った衝撃に男が目を見開いた瞬間、左手が不自然に強張った。
間髪入れずに操縦棺が揺さぶられ、鋭く響いたアラート音と赤く染まったモニタから、機体が攻撃を受けた事を認識する。
しかし前方の将軍機に動きはなく、今しがた攻撃を行ったようにも見えない。
男は怪訝そうに眉を顰めたが、程なくして大きく舌打ちをすると索敵範囲を後方に拡げた。
「チッ。油断したな……デカブツを囮に使いやがったか。
おい、『C.C.』。テメエ、仮にも重『探知』試作機だろうが。とっとと敵を見つけやがれ」
三基のレーダーが新たに齎す情報を睨み付けて呟くと、前方に警戒しつつ神経を研ぎ澄ませる。
初めて搭乗した際は呑み込まれる恐怖から遮断した感覚に、今度は自分から身を投じた。
モニタを通じて見えていた視界が拡大し、広々としたクリアな世界を意志が巡る。肉体からは視点固定以外の制約を受けず、透明なマスで区切られたように整然とした空間の中で、自身の座標を明確に認識する。
その感覚は『C.C.』内部からレーダーに導かれるように周囲に広がり、肉眼で視認出来ない位置に存在する物体をも知覚し、やがて後方に一機のグレムリンを捉えた。
「……フン。テメエだな。随分なご挨拶じゃねえか、今撃ち墜としてやる」
背部兵装を起動しようと意識を『C.C.』に戻したところで、機関砲の代わりにレーダーが積まれている事を思い出し溜息を吐く。仕方なく攻撃が届く範囲まで接近すべく機体の操作を試みた男は、左手に違和感を覚えた。
(……?)
強張っていた左手はいつの間にか脱力を越して弛緩しており、麻痺したように感覚を失っている。左肘から先が別の肉体として断絶したかのように、脳からの指令に応答しない。
訝しみながら操縦を右手操作に切り替え、ゆっくりと動き始めた将軍機と接近して行ったグレムリン達を一瞥する。任せて問題ないと判断したらしい男は、進路を反転して後方へ向かった。
******
攻撃を仕掛けてきたと思しき機体は、探すまでもなく行く手に現れた。
接近も攻撃もせず、迎撃態勢を取りもせず待ち受ける灰色の機体に微かな違和感を覚えたものの、『C.C.』は相手に吸い寄せられるように近付いていった。
操縦棺が位置していると思しき胸部を捉えようとした瞬間、相手機体から通信が入る。男は無意識のうちに視線を向け、一瞬動きを止めた。
モニタが映し出した相手の操縦席には誰も座っていなかった。未識別機動体が擁していた人型の靄さえ存在しない無人の操縦棺。けらけらと笑うような電子音声が幽かに響き、通話画面の端にノイズが走る。
(……コイツは何だ?)
霊障の類か――そう考えた男の耳がはっきりとした言葉を聞き取った。
『S.Owen、或いはElijah。抵抗せずについて来るように』
耳から飛び込んだ言葉は脳内で反響する。その音を最後に通信が途切れ、灰色の機体が移動を開始した。
「……何で「俺」の名前を知ってやがる。何か用かよ。ったく、得体の知れねえ相手の命令になんざ従う訳が――」
しかし、『C.C.』は武器を下ろし、相手機体の後を追い始める。
エリヤと呼ばれた脳はどこか疑問を感じながらも、それが行動に現れることはなく、攻撃も離脱もせずに機体の後に続いた。
******
灰色の機体は北方へ飛び続けていたが、やがて減速し、何もない海上で停止した。
周囲に小さな電子音が響いた瞬間、眼前の機体は粉塵に紛れて掻き消え、代わりに海中に半身を埋めた巨大な建造物が出現した。
(……随分と隠れるのが好きな奴みてえだな)
黒く開いた入り口は奥へと続いている。『C.C.』がぎりぎり通れる高さのゲートを潜ると、先程耳にしたものと同じトーンの音声が響く。
『グレムリンを降り、ガスマスクを装着したままで俺の居室まで来い』
後方では入り口が音もなく閉じ、薄暗い空間にグレムリン用の格納庫が浮かび上がる。
まるで『C.C.』のために誂えられたような空間に接近し、言われた通りグレムリンを停めると、操縦棺の入口付近に通路が現れた。
『C.C.』をその場に残し、頑丈な防壁に囲まれた通路に降り立つと、半透明の隔壁が男を出迎える。軽い音を立てて上方にスライドした扉を潜り抜けると、内部はしんと静まり返っていた。
粉塵は除去されているようだったが、ガスマスクを外すことなく、奥へ伸びた薄暗い通路へと歩を進める。僅かな照明を頼りに人の気配のない空間を歩いていくと、やがてうっすらと錆び付きかけた扉の前に辿り着いた。
「……、ここか?」
扉の内部は見えず、部屋の主を示す札も見当たらない。男は溜息を吐くと、扉を睨み付けて呼びかけた。
「おい。来てやったぞ。何処のどいつか知らねえが、とっとと出て来たらどうだ」
「…………入れ」
電子音声とは異なる、聞き覚えのない声を合図に扉が開く。警戒し身構える前に、男の足は室内へと向いていた。
******
部屋の内部は、外部同様に静けさに満ちていた。
通路より幾分明るいが、第十二番工廠は勿論、タワーの狭い居住区画と比較してさえ暗い部屋。その奥の椅子に、赤くくすんだ髪色の男が一人、祈るように両手を組んだ状態で腰掛けていた。
「……テメエか。俺を呼びつけやがったのは」
「そうだ」
赤髪の男は立ち上がり、部屋よりも昏い瞳でガスマスクの男を見つめる。
「テメエは誰だ。俺をここに来させた理由は何だ。何故俺の名を知っている」
「……」
相手は答える代わりに、眉根を寄せて口を引き結ぶ。目を閉じて何度か深呼吸をした後、ゆっくりと口を開いた。
「お前は、自分の名を認識しているか」
「ア?先刻テメエが呼んだだろうが。「俺」はエリヤだ、知ってんじゃねえのか」
「…………そうか、」
苦虫を噛み潰したような表情で答えた相手が、小さく呟く。
「その名を認識しているのなら――アーユス、の名に聞き覚えはあるか」
「ねえよ。何だそりゃ……、」
男はそう言いかけて、以前他の相手と同じ問答をした事を思い出す。
朧げに蘇る、未識別融合体との邂逅の記憶。『C.C.』を誘導し、仲間を餌とし、自ら機体に接近して触腕に貫かれた相手の名は――
「……アーロの死に様を見たな?」
「ああ、そんな名前で呼ばれてたな――訳の分からねえ行動をした末にデカブツに取り込まれてったが、テメエの仲間か」
「……そうだ、」
相手は何か言葉を飲み込んだように見えたがそのまま口を噤み、男の言葉を促すように視線を向ける。
「アーユス、の単語はソイツが口にしたのを聞いたきりだ。結局何なのか分かりゃしねえ」
「……」
相手は暫し沈黙した後、静かに語り始める。
「……我々は、元々『アーユス』と呼ばれる組織に属していた。
現在はジャンク財団と協力関係にあるが、それ以前は青花師団傘下の小組織として、錆び付いた世界からの脱却を……自由を求めて戦ってきた。しかし時を経るにつれ一人欠け、二人欠け、今では元の姿で残るのは俺だけだ。
俺がお前の名を知っているのは当然だ。かつてのお前はアーユスの一員だった――俺やアーロと同様に。……ここまで話しても、何も思い出さないのか」
******
男はガスマスクのレンズ越しに相手の目を見据える。嘘を言っている様子はないようだが、しかし男の持つ記憶には引っ掛からない。
「……全くピンと来やしねえ。別人じゃねえのか?」
「そうであればと、何度願ったか」
「そういやテメエの名前をまだ聞いてねえな。答えやがれ」
「…………アーユス、」
赤髪の男は躊躇した後、恐る恐るその名を口にする。
「アーユスの、アルフレッド」
「……フン。聞き覚えがねえ」
ぎり、と歯を噛みしめる音が聞こえた。
赤髪の男は目を閉じ、深呼吸をし、自分に言い聞かせるように単語を唱え始める。
「――青い空。マクガーデン印の合成ケーキ、ハニーポーション、炙り虚空魚のご馳走メシ」
「……何だと?」
「……かつてのお前が好んだものだ。聞き覚えはないか」
「ねえよ。ンなモン見た事も、食った事もねえ」
「本当に、覚えていないのか。それとも――忘れたふりをしているのか?」
赤髪の男の声が震え始め、やがて刺すような叫び声と化した。
「過去も、家族も、俺達の事も!
思い出せ……言ってみろ、お前はどうして此処にいる!」
男は一瞬の後、言われるがままに自身の持つ記憶を辿り始める。
「――俺は、」
部下の肉体で目覚めた日。それ以前の、本来の肉体を持っていた頃の部下との記憶。最初の依頼。部下と初めて言葉を交わした日。
欠落が随所にあるものの、視界が白く霞む事もなく、肉体が熱を帯びる事もなく、思い出すなと叫ぶ声も鳴りを潜め――やがて記憶の深部、部下と出会う日の朝に辿り着く。
――しかし。
(空白、だと…………?)
それより過去に意識を向けた脳は愕然とする。
そこにあったものは、ぽっかりと空いた虚無。
……まるで初めから存在していなかったかのように、或いは存在したはずの過去が高圧電流で焼き切られたように、記憶が断絶していた。
◆15回更新の日記ログ
【Day 14】
ジャンク財団代表を名乗る声が、グレイヴネットを通じて操縦棺内部に響く。
矢継ぎ早に展開され、容赦なく耳に入り込む情報に辟易したらしい男は、数瞬前に音量を下げ切らなかった右手を睨みつける――が、その手は硬直したまま。まるでそうする事を余儀なくされているかのように情報を享受し、脳に刻み付けていた。
放送内容は、財団による戦線展開の周知。
先日の宣戦布告から間もなく各地に『将軍』と呼ばれるテイマーが配置されたらしい現状は、財団が虎視眈々と機を窺っていた事実を裏付ける。
各将軍の『挨拶』から、既に各地に破壊が齎されている事は明らかだった。
(今見せられてんのが合成映像や幻覚じゃねえなら、既に戦闘を始めて――
いや、コイツは戦闘とは呼ばねえな。蹂躙か……チッ、わざわざ誇示して来やがんのが面倒くせえな)
その中に耳に馴染んだ地名が混ざっているのを、男は聞き逃さなかった。
「…………南の島だと?」
ふと、『C.C.』を組み上げた少年整備士の姿が脳裏を過ぎった。後方に遠ざかる工廠に後ろ髪を引かれるように、機体が徐々に減速する。
気付けばその手はひとりでにパネルに伸び、第十二番工廠への通信を開始していた。呼び出し先は機体に初期登録されている唯一の相手。
「…………」
しかし、いくら待てども少年からの応答はなかった。
「おいコラ。俺には即応を要求しておいて、自分は出やがらねえじゃねえか」
暫くの後、舌打ちと共に通信が遮断される。止むを得ない事情があるか、既に無事ではないのでは――という考えには微塵も思い至らないまま、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン……まあ、あのガキが戦えなくても他に傭兵がいやがんだろ。戦力になるかは知らねえが」
男は自身に言い聞かせるように独り言ちると、意識をモニタに向けて西への移動を再開した。
******
レーダーを尻目に飛び続けてどの程度時間が経っただろうか。
気付けば右手前方にうっすらとタワーと思しき影が見え始め、左手には遠近感覚が狂ったかと錯覚する程に巨大な物体が視認出来た。
「聳え立つ山」と形容するのが相応しいそれは、噴火前の火山よろしく身を震わせたかと思うと、突如『頭』をもたげ――次の瞬間、モニタ越しに見える大気が歪み、轟音が響き、視界の一部が白熱し弾け飛んだ。目が眩む程の光が収まった後に残ったのは、一面の残骸とくすんだ色をした灰の山。
巨大な火球が山から放たれ、距離がある筈の『C.C.』さえ揺るがすほどの振動を伴って地を焼いた、と理解出来たのは数瞬の後。先程目にした『将軍』のうちの一体と特徴が一致する事に気付くと、男の目付きが鋭さを増した。
(……コイツか。座標は巨人の島、山みてえなデカい機体――レックス=ロイヤルファング、とか言ったか?
破壊力は伊達じゃねえみてえだな。あれだけデカけりゃ機体ごと追ってくるのは難しいだろうが、背を火球に狙われたらシャレにならねえ)
情報を脳内で照合しながら、攻撃の反動か動きを止めた将軍機を睨み付けると、溜息が自然と口から漏れた。
「素通りは得策じゃねえな。ったく……」
交戦すべく将軍機の巨躯を正面に見据えたものの、『C.C.』は発進を躊躇していた。
(だがどうする。この機体じゃ攻撃どころか回避すらままならねえぞ。
生存性重視ったって、アレ食らったらタダじゃ済まねえだろ)
男はモニタに映った影とレーダーの齎す周辺情報に警戒しつつ、暫く眉間に皺を寄せて唸っていたが、やがて将軍機に接近を試みているらしい機体が複数存在する事に気付いた。目視したところいずれも見慣れないグレムリンではあったが、様子からして恐らく敵性勢力ではないだろう。
「……速度じゃ追い付けねえが、援護程度なら出来るかもな」
そう判断し、後を追おうとした瞬間。
前方にのみ意識を向けていたためか、ステルス状態の機体をレーダーが感知しなかったためか、或いは更に別の要因で見落とされたか。
突如後方から飛来したらしいミサイルが『C.C.』の左腕に直撃し、装甲を穿った。
ジャンク財団代表を名乗る声が、グレイヴネットを通じて操縦棺内部に響く。
矢継ぎ早に展開され、容赦なく耳に入り込む情報に辟易したらしい男は、数瞬前に音量を下げ切らなかった右手を睨みつける――が、その手は硬直したまま。まるでそうする事を余儀なくされているかのように情報を享受し、脳に刻み付けていた。
放送内容は、財団による戦線展開の周知。
先日の宣戦布告から間もなく各地に『将軍』と呼ばれるテイマーが配置されたらしい現状は、財団が虎視眈々と機を窺っていた事実を裏付ける。
各将軍の『挨拶』から、既に各地に破壊が齎されている事は明らかだった。
(今見せられてんのが合成映像や幻覚じゃねえなら、既に戦闘を始めて――
いや、コイツは戦闘とは呼ばねえな。蹂躙か……チッ、わざわざ誇示して来やがんのが面倒くせえな)
その中に耳に馴染んだ地名が混ざっているのを、男は聞き逃さなかった。
「…………南の島だと?」
ふと、『C.C.』を組み上げた少年整備士の姿が脳裏を過ぎった。後方に遠ざかる工廠に後ろ髪を引かれるように、機体が徐々に減速する。
気付けばその手はひとりでにパネルに伸び、第十二番工廠への通信を開始していた。呼び出し先は機体に初期登録されている唯一の相手。
「…………」
しかし、いくら待てども少年からの応答はなかった。
「おいコラ。俺には即応を要求しておいて、自分は出やがらねえじゃねえか」
暫くの後、舌打ちと共に通信が遮断される。止むを得ない事情があるか、既に無事ではないのでは――という考えには微塵も思い至らないまま、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン……まあ、あのガキが戦えなくても他に傭兵がいやがんだろ。戦力になるかは知らねえが」
男は自身に言い聞かせるように独り言ちると、意識をモニタに向けて西への移動を再開した。
******
レーダーを尻目に飛び続けてどの程度時間が経っただろうか。
気付けば右手前方にうっすらとタワーと思しき影が見え始め、左手には遠近感覚が狂ったかと錯覚する程に巨大な物体が視認出来た。
「聳え立つ山」と形容するのが相応しいそれは、噴火前の火山よろしく身を震わせたかと思うと、突如『頭』をもたげ――次の瞬間、モニタ越しに見える大気が歪み、轟音が響き、視界の一部が白熱し弾け飛んだ。目が眩む程の光が収まった後に残ったのは、一面の残骸とくすんだ色をした灰の山。
巨大な火球が山から放たれ、距離がある筈の『C.C.』さえ揺るがすほどの振動を伴って地を焼いた、と理解出来たのは数瞬の後。先程目にした『将軍』のうちの一体と特徴が一致する事に気付くと、男の目付きが鋭さを増した。
(……コイツか。座標は巨人の島、山みてえなデカい機体――レックス=ロイヤルファング、とか言ったか?
破壊力は伊達じゃねえみてえだな。あれだけデカけりゃ機体ごと追ってくるのは難しいだろうが、背を火球に狙われたらシャレにならねえ)
情報を脳内で照合しながら、攻撃の反動か動きを止めた将軍機を睨み付けると、溜息が自然と口から漏れた。
「素通りは得策じゃねえな。ったく……」
交戦すべく将軍機の巨躯を正面に見据えたものの、『C.C.』は発進を躊躇していた。
(だがどうする。この機体じゃ攻撃どころか回避すらままならねえぞ。
生存性重視ったって、アレ食らったらタダじゃ済まねえだろ)
男はモニタに映った影とレーダーの齎す周辺情報に警戒しつつ、暫く眉間に皺を寄せて唸っていたが、やがて将軍機に接近を試みているらしい機体が複数存在する事に気付いた。目視したところいずれも見慣れないグレムリンではあったが、様子からして恐らく敵性勢力ではないだろう。
「……速度じゃ追い付けねえが、援護程度なら出来るかもな」
そう判断し、後を追おうとした瞬間。
前方にのみ意識を向けていたためか、ステルス状態の機体をレーダーが感知しなかったためか、或いは更に別の要因で見落とされたか。
突如後方から飛来したらしいミサイルが『C.C.』の左腕に直撃し、装甲を穿った。
◆14回更新の日記ログ
【Day 13】
少年が新しいグレムリンの図面を提示してから暫くの後。
第十二番工廠の一区画……少年曰く「オレの区画」に、何層もの架台と足場が組み上げられていた。
広域出品されたパーツデータをグレイヴネットよりダウンロードし、鋼材を変換出力すると、高さ約8メートル、重量約10トンを超える機体の一部として融合させる。重量を緻密に調節し、接合部や全体のフォルムを整え、壁を背にした体勢となるよう、要である脚部から順に上方へとパーツを繋げてゆく。
人間を遥かに上回るサイズの機体を組み立てるのは容易ではなく、天井付近から吊られた何台もの巨大なクレーンが絶え間なく稼働しては、資材置き場と区画を往復する。度々少年の鋭い声が飛ぶが、半分程度が轟音にかき消されていた。
男は工廠の壁に背をもたせかけ、少年の指示で新たなグレムリンが組み上がる様子を、少し離れた位置からさして興味がなさそうに眺めていた。
誰かがグレイヴネットへの接続を試みているのだろうか、工廠内にはうっすらとエラー音が響き続けているが、男の気を引くには至らなかった。
代わりに脳裏を過ぎるのは、図面と共に少年が突き付けた言葉。
(……グレムリンは相棒で、意志を持て……だと?)
男の表情は次第に険しくなり、気付けばぎりと歯を食いしばっていた。
(…………そういうモンじゃねえのか)
眼光が鋭さを増し、周囲の人々は目を合わせないよう距離を取っていたが、男は気に留める様子もない。
(雇い主にとって金で動く傭兵が手駒であるように、操縦者の思念を元に動くグレムリンだって。
他人の思惑に則って役割を果たすモノは、道具と呼ぶんじゃねえのかよ)
否応なく想起される、消えずに残ったかつての記憶。
傭兵と雇い主は互いの利益のために相手を利用する――少なくとも男の知る範囲では、協力関係とは名ばかりの冷徹なもの。その環境に身を置き続けた男の視点もまた、どこまでもドライだった。
(道具なら道具として必要な仕事をすりゃあいい。恥じる事なんざねえ、何が悪い)
先程と同様、「相棒」の言葉と共に部下の姿が浮かぶが、どちらも振り払うように首を振る。
(……ショーンだって変わらねえ。俺には部下で仕事相手でも、雇い主にとっちゃ俺と同じく道具、で、)
思考が最後まで辿り着く前に、脳がぎしりと軋んだ。傷跡の痛みとは異なる強烈な違和感に目を見開くが、嗚咽を漏らす寸前で堪える。深呼吸を何度か繰り返せば若干落ち着いたものの、代わりに倦怠感に襲われ、気付けば瞼が落ちていた。
(……何だ?『道具』に反応したのか?何を今更。言われ慣れて……、
いや待て。今のは傷の痛みじゃねえ……となると俺の脳か?どうなってやがる――)
肉体は応答せず、思考は纏まる前に解け、意識は徐々に沈み――
******
「――おーい、ちょっと!大丈夫?」
呼び声に瞼を開くと、少年の怪訝そうな表情が目の前にあった。
「うたた寝するなら部屋に戻っててよかったのに。
何だかんだまだ疲れが取れてないんだろ。組み上がったから呼びに来たけど、後にする?」
「…………いや。問題ねえ」
「本当?ならまあ、無理しない程度についてきて」
立ったまま眠っていたらしい、と判断した男は、軽く首を回して息を吐くと、架台と足場に囲まれたままのグレムリンを見上げた。
黒を基調とした装甲は重量機らしく武骨で、近寄り難い威圧感を放っている。
瞬く間に足場を登り、腹部付近に到達した少年は、男に向かって大声で呼びかけた。
「こっちこっち。あ、ゆっくりでいいからね。寝ぼけて転落したら大変だ」
余計なお世話だ、と呟いて階段に足を掛けた時には、覚えた違和感は存在ごと霧散していた。
程なくして、男の前にはぽかりと開いた入り口が現れた。
「ここが搭乗口だ。操縦棺に到達したらこの子に挨拶――搭乗者認証を行って。そうすれば次回から呼べば転送してくれるようになるよ。
それから、シートと操縦桿の調整も必要だな。多分今までの機体とは心身にかかる負担が段違いだから、十分に慣らしておいた方がいい」
ところで、と少年が口籠る様子を見せた。
「……名前、本当に『C.C.』でいいの?
今まで乗って来た機体に愛着がある――ようには見えないけど、同じ名前じゃこの子が困惑しちゃうかもよ」
「グレムリンに困惑もへったくれもねえだろ」
「機体の機微を介さない奴!まあ乗るのはアンタだし、呼び間違えるリスクは低い方がいいか……」
気の抜けたような溜息が聞こえたのを合図に、男は操縦棺に足を踏み入れた。
******
操縦棺内は足元に僅かに光が灯る程度。躓きかけながら操縦席の正面に回って腰掛けると、以前の機体より僅かに柔らかなシートが男を出迎えた。
暗闇に沈んだモニタの前には、少年が預かっていた筈のガスマスクが置かれていた。鼻を鳴らして慣れた手付きで装着すると、深く息を吸い込み、操縦パネルに触れる。
工廠の喧騒から隔絶された静かな空間に、柔らかな音と共に青白い光が灯る。
――今まで乗っていた『C.C.』のコクピットに灯る光は何色だったろうか?
男が答えに思い至る前に、電子音声が響いた。
『――System: all green. 初回起動に成功しました。
搭乗者認証――履歴なし。搭乗者登録を行います。搭乗者名と、機体名を』
「……俺はS.Owen。お前の名は、『C.C.』だ」
文字を入力しながら音声認証を行う。「OK」の文字が表示された事を確認すると、男の右手は操作パネルから離れ、自然に操縦桿を握っていた。
『搭乗者: S.Owen。グレムリン: 『C.C.』――登録成功。あなたの搭乗を歓迎します――』
次の瞬間、視界が白く染まった。
モニタが工廠内を映し出し、ランプが操縦棺全体を照らしていたが、原因はそれだけではなさそうだった。
かつて視点だけの存在となった時のように、肉体の制約がない視界が広がっているだけではなく――脳神経の細部に至るまで全てがクリアに映し出され、体細胞の一つに至るまでグレムリンに見透かされ、共有しているような感覚に陥る。
そして思念が巡り始める。青白いプラズマに似た光は肉体がある筈の位置を貫いて迸り、機体の外殻と思しき部位を包んでは視界の広域で爆ぜ、目を閉じることもままならない男の脳裏に焼き付く。
――呑み込まれる。
そう感じるや否や、反射的に右手を操縦桿から離した。
と、爛々と輝いているように感じた光が弱まり、男と機体を巡っていた思念の奔流が止まる。
気付けばモニタの片隅に、にやりと笑った少年の顔が映し出されていた。
「どう?なかなか新鮮でしょ。驚いて言葉も出ないかな」
光の残像を消すべく目を瞬かせる男は、無言でその声に応える。
「まあ、フル出力だとアンタの心身がもたないだろうから制限はかけとくよ。この子を怒らせると痛い目見るって事だけ覚えといて。
そうそう、グレイヴネットはご覧の通りだから機体認証は後回しだけど、オレとの通信は可能にしておいたから。暫くはサポートしてあげようか、アンタじゃなくてグレムリンのだけどさ」
「……」
男がモニタを睨み付けると、少年は満面の笑みを向けた。
******
「さて。これからどうする?」
訓練を重ね、男がある程度機体を操れるようになった段階で少年が問い掛けた。
「……気になる事がある。タワーに向かう……と言いてえとこだが、ジャンク共の動きがきな臭えのが厄介だ。
大々的に宣戦布告しやがったって事は、何かしら無差別に仕掛けて来やがんだろ。後ろから撃たれちゃたまったもんじゃねえ」
「襲ってくるのは予想に難くないね。当てはあるの?」
「いや」
「だと思った。そうだな……『大とびうお座星雲を西へ』。翡翠経典に伝わる文言ではない筈だけど、最近時々耳にする言葉だ。
西は光の河が流れ着く地だって噂もある。何を意味するか分からないけど、行ってみてもいいかもよ」
「西……は、タワー周辺以外は行ったことねえな。向かってみるか」
「ああ、可能なら定期的に連絡は寄越してよ。で、こっちから連絡した時は即応答して。オレの可愛いグレムリンの様子はいつだって知りたいからさ」
「過保護な父親か?」
「情がないよりマシだろ?」
******
慌ただしく南の島を発った男は、レーダーの齎す周辺情報を睨みながら、進路を西に取り『C.C.』を駆る。
自動的に接続されたグレイヴネットからは、依然として思念接続汚染のアナウンスと、投降を促す音声が繰り返し垂れ流されている。内容には一向に変化がみられず、聞き流していた男の眉間に皺が寄り始める。
「……チッ。勢力でもジャンク共でも、プロパガンダが鬱陶しい事にゃ変わりねえな。
ちったあ有益な情報が入るかと思ったが、聞き続けりゃその前に洗脳でもされんのが関の山だ」
耐えかねたらしい男が舌打ちをし、顔をしかめて音量を落とし切る直前。
放送に不自然なノイズが混じったかと思うと、若干畏まった声が流れ始めた。
『――ごきげんよう。本日は生放送だ。諸君らに、我々の真の力をお見せしよう――』
少年が新しいグレムリンの図面を提示してから暫くの後。
第十二番工廠の一区画……少年曰く「オレの区画」に、何層もの架台と足場が組み上げられていた。
広域出品されたパーツデータをグレイヴネットよりダウンロードし、鋼材を変換出力すると、高さ約8メートル、重量約10トンを超える機体の一部として融合させる。重量を緻密に調節し、接合部や全体のフォルムを整え、壁を背にした体勢となるよう、要である脚部から順に上方へとパーツを繋げてゆく。
人間を遥かに上回るサイズの機体を組み立てるのは容易ではなく、天井付近から吊られた何台もの巨大なクレーンが絶え間なく稼働しては、資材置き場と区画を往復する。度々少年の鋭い声が飛ぶが、半分程度が轟音にかき消されていた。
男は工廠の壁に背をもたせかけ、少年の指示で新たなグレムリンが組み上がる様子を、少し離れた位置からさして興味がなさそうに眺めていた。
誰かがグレイヴネットへの接続を試みているのだろうか、工廠内にはうっすらとエラー音が響き続けているが、男の気を引くには至らなかった。
代わりに脳裏を過ぎるのは、図面と共に少年が突き付けた言葉。
(……グレムリンは相棒で、意志を持て……だと?)
男の表情は次第に険しくなり、気付けばぎりと歯を食いしばっていた。
(…………そういうモンじゃねえのか)
眼光が鋭さを増し、周囲の人々は目を合わせないよう距離を取っていたが、男は気に留める様子もない。
(雇い主にとって金で動く傭兵が手駒であるように、操縦者の思念を元に動くグレムリンだって。
他人の思惑に則って役割を果たすモノは、道具と呼ぶんじゃねえのかよ)
否応なく想起される、消えずに残ったかつての記憶。
傭兵と雇い主は互いの利益のために相手を利用する――少なくとも男の知る範囲では、協力関係とは名ばかりの冷徹なもの。その環境に身を置き続けた男の視点もまた、どこまでもドライだった。
(道具なら道具として必要な仕事をすりゃあいい。恥じる事なんざねえ、何が悪い)
先程と同様、「相棒」の言葉と共に部下の姿が浮かぶが、どちらも振り払うように首を振る。
(……ショーンだって変わらねえ。俺には部下で仕事相手でも、雇い主にとっちゃ俺と同じく道具、で、)
思考が最後まで辿り着く前に、脳がぎしりと軋んだ。傷跡の痛みとは異なる強烈な違和感に目を見開くが、嗚咽を漏らす寸前で堪える。深呼吸を何度か繰り返せば若干落ち着いたものの、代わりに倦怠感に襲われ、気付けば瞼が落ちていた。
(……何だ?『道具』に反応したのか?何を今更。言われ慣れて……、
いや待て。今のは傷の痛みじゃねえ……となると俺の脳か?どうなってやがる――)
肉体は応答せず、思考は纏まる前に解け、意識は徐々に沈み――
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「――おーい、ちょっと!大丈夫?」
呼び声に瞼を開くと、少年の怪訝そうな表情が目の前にあった。
「うたた寝するなら部屋に戻っててよかったのに。
何だかんだまだ疲れが取れてないんだろ。組み上がったから呼びに来たけど、後にする?」
「…………いや。問題ねえ」
「本当?ならまあ、無理しない程度についてきて」
立ったまま眠っていたらしい、と判断した男は、軽く首を回して息を吐くと、架台と足場に囲まれたままのグレムリンを見上げた。
黒を基調とした装甲は重量機らしく武骨で、近寄り難い威圧感を放っている。
瞬く間に足場を登り、腹部付近に到達した少年は、男に向かって大声で呼びかけた。
「こっちこっち。あ、ゆっくりでいいからね。寝ぼけて転落したら大変だ」
余計なお世話だ、と呟いて階段に足を掛けた時には、覚えた違和感は存在ごと霧散していた。
程なくして、男の前にはぽかりと開いた入り口が現れた。
「ここが搭乗口だ。操縦棺に到達したらこの子に挨拶――搭乗者認証を行って。そうすれば次回から呼べば転送してくれるようになるよ。
それから、シートと操縦桿の調整も必要だな。多分今までの機体とは心身にかかる負担が段違いだから、十分に慣らしておいた方がいい」
ところで、と少年が口籠る様子を見せた。
「……名前、本当に『C.C.』でいいの?
今まで乗って来た機体に愛着がある――ようには見えないけど、同じ名前じゃこの子が困惑しちゃうかもよ」
「グレムリンに困惑もへったくれもねえだろ」
「機体の機微を介さない奴!まあ乗るのはアンタだし、呼び間違えるリスクは低い方がいいか……」
気の抜けたような溜息が聞こえたのを合図に、男は操縦棺に足を踏み入れた。
******
操縦棺内は足元に僅かに光が灯る程度。躓きかけながら操縦席の正面に回って腰掛けると、以前の機体より僅かに柔らかなシートが男を出迎えた。
暗闇に沈んだモニタの前には、少年が預かっていた筈のガスマスクが置かれていた。鼻を鳴らして慣れた手付きで装着すると、深く息を吸い込み、操縦パネルに触れる。
工廠の喧騒から隔絶された静かな空間に、柔らかな音と共に青白い光が灯る。
――今まで乗っていた『C.C.』のコクピットに灯る光は何色だったろうか?
男が答えに思い至る前に、電子音声が響いた。
『――System: all green. 初回起動に成功しました。
搭乗者認証――履歴なし。搭乗者登録を行います。搭乗者名と、機体名を』
「……俺はS.Owen。お前の名は、『C.C.』だ」
文字を入力しながら音声認証を行う。「OK」の文字が表示された事を確認すると、男の右手は操作パネルから離れ、自然に操縦桿を握っていた。
『搭乗者: S.Owen。グレムリン: 『C.C.』――登録成功。あなたの搭乗を歓迎します――』
次の瞬間、視界が白く染まった。
モニタが工廠内を映し出し、ランプが操縦棺全体を照らしていたが、原因はそれだけではなさそうだった。
かつて視点だけの存在となった時のように、肉体の制約がない視界が広がっているだけではなく――脳神経の細部に至るまで全てがクリアに映し出され、体細胞の一つに至るまでグレムリンに見透かされ、共有しているような感覚に陥る。
そして思念が巡り始める。青白いプラズマに似た光は肉体がある筈の位置を貫いて迸り、機体の外殻と思しき部位を包んでは視界の広域で爆ぜ、目を閉じることもままならない男の脳裏に焼き付く。
――呑み込まれる。
そう感じるや否や、反射的に右手を操縦桿から離した。
と、爛々と輝いているように感じた光が弱まり、男と機体を巡っていた思念の奔流が止まる。
気付けばモニタの片隅に、にやりと笑った少年の顔が映し出されていた。
「どう?なかなか新鮮でしょ。驚いて言葉も出ないかな」
光の残像を消すべく目を瞬かせる男は、無言でその声に応える。
「まあ、フル出力だとアンタの心身がもたないだろうから制限はかけとくよ。この子を怒らせると痛い目見るって事だけ覚えといて。
そうそう、グレイヴネットはご覧の通りだから機体認証は後回しだけど、オレとの通信は可能にしておいたから。暫くはサポートしてあげようか、アンタじゃなくてグレムリンのだけどさ」
「……」
男がモニタを睨み付けると、少年は満面の笑みを向けた。
******
「さて。これからどうする?」
訓練を重ね、男がある程度機体を操れるようになった段階で少年が問い掛けた。
「……気になる事がある。タワーに向かう……と言いてえとこだが、ジャンク共の動きがきな臭えのが厄介だ。
大々的に宣戦布告しやがったって事は、何かしら無差別に仕掛けて来やがんだろ。後ろから撃たれちゃたまったもんじゃねえ」
「襲ってくるのは予想に難くないね。当てはあるの?」
「いや」
「だと思った。そうだな……『大とびうお座星雲を西へ』。翡翠経典に伝わる文言ではない筈だけど、最近時々耳にする言葉だ。
西は光の河が流れ着く地だって噂もある。何を意味するか分からないけど、行ってみてもいいかもよ」
「西……は、タワー周辺以外は行ったことねえな。向かってみるか」
「ああ、可能なら定期的に連絡は寄越してよ。で、こっちから連絡した時は即応答して。オレの可愛いグレムリンの様子はいつだって知りたいからさ」
「過保護な父親か?」
「情がないよりマシだろ?」
******
慌ただしく南の島を発った男は、レーダーの齎す周辺情報を睨みながら、進路を西に取り『C.C.』を駆る。
自動的に接続されたグレイヴネットからは、依然として思念接続汚染のアナウンスと、投降を促す音声が繰り返し垂れ流されている。内容には一向に変化がみられず、聞き流していた男の眉間に皺が寄り始める。
「……チッ。勢力でもジャンク共でも、プロパガンダが鬱陶しい事にゃ変わりねえな。
ちったあ有益な情報が入るかと思ったが、聞き続けりゃその前に洗脳でもされんのが関の山だ」
耐えかねたらしい男が舌打ちをし、顔をしかめて音量を落とし切る直前。
放送に不自然なノイズが混じったかと思うと、若干畏まった声が流れ始めた。
『――ごきげんよう。本日は生放送だ。諸君らに、我々の真の力をお見せしよう――』
◆13回更新の日記ログ
【Day 12】
東南東海域『南の島』に位置する『第十二番工廠』。
ニコと名乗った少年整備士がそう呼ぶ、広々とした施設。
少年の口添えで「滞在中の仮住まいに」と倉庫の一角を宛がわれた男は、タワーより僅かに口に合う食事を済ませ、久しぶりのシャワーを浴び、寝処代わりに敷かれた固いマットに寝転んで天井を仰ぎ見ていた。
『C.C.』に乗り通しだった影響か、グレムリンの操縦席の方が身に馴染む――と考えたところで、少年が語った内容を思い出す。
(……右腕を無くしただと?)
『C.C.』が大破し、思念形跡が異常な状態で氷獄から南の島までの長距離を飛んだ――。男が操縦棺にいる間の出来事の筈、であるにも関わらず、男は何一つ思い出す事が出来なかった。
(いくらショーンでも……いや。お前なら俺以上に、そんなヘマはしねえだろうが。
何があった?あのデカブツの仕業か?そして――俺は何故生きている?)
少年の問いに対する回答が得られないまま、男は問い続ける。繰り返す自問はやがて仄かな微睡を誘い連れ、僅かな抵抗の後程なくして、両の瞼が観念したように閉じられた。
******
どれくらいの時間が経っただろうか。
男が目を開けると、倉庫の外がやけに騒々しい事に気付く。警報音は聞こえないが、襲来と同等の緊迫感と混乱を感じ取る。
舌打ちをしながら身を起こし、興奮した様子で口々に何事か唱える人々の合間を縫い、先程少年に案内された整備区画へ向かう。
辿り着いて間もなく、特に狼狽えた様子もなく図面と向き合う少年を発見した。声を掛ける寸前、視線に気付いたらしい少年が顔を上げた。
「あ。おはよう、やっと起きたね。少し遅かったけど」
「おい。コイツは何の騒ぎだ」
「ついさっき、グレイヴネットがジャックされてね。発信元は『ジャンク財団』――アンタも聞いた事あるんじゃない?」
そう言うと少年は傍らの通信機を手に取り、録音音声を流し始めた。
ジャンク財団を名乗る存在による、世界への宣戦布告。曰く、彼らは未識別機動体を既に掌握、制御したと――その証拠として、赤の海に「トリカゴ」を出現させ、無限の戦力の存在を示唆した上で世界に投降を促した。
しかし滔々と続く演説は、聞き覚えのある声に阻まれる。冷静な指摘を以て相手に応対し、世界を明け渡すなと後進を鼓舞するその男は――
「ホーレツァー……」
「うん。彼は立派だね。あの過去があって尚、信念を抱いて戦っている」
「過去だと?」
「彼はとある戦いで心身に深い傷を負った。この件が落ち着いたら調べてみるといい、16年前の記録を検索すると出て来る筈だから」
「勿体ぶりやがって」
「オレが語るより、資料の方が信じられるだろ。大戦でのホーレツァーはカッコよかった……そして音声を聞いて分かる通り、今も変わらずね。逃げずに向き合ってずっと戦い続けて来たんだよ。この世界を生き抜くためにさ」
どこか懐かしむように目を細める少年に対し、男は怪訝そうに呟く。
「見てきたみたいに言うじゃねえか」
「まあね。それより」
目を閉じて頷いた少年は、次いで男の瞳を見据える。
「アンタはどうする?戦いに行く?」
「……」
顔をしかめた男の答えを、少年は急かすことなくじっと待つ。
数秒の後、男の口から言葉が発された。
「『C.C.』が大破しやがったんなら、サボりてえのは山々だが……」
はあ、と大きな溜息を吐いた後、深く息を吸い込むと。
「……行くしかねえだろ、今の聞いちまったらよ。傭兵のくせに戦いもせず、無抵抗で支配を受け入れるなんざ御免だ。得体の知れねえ奴らなら尚更な。
それにジャンクテイマー共には因縁がある。その親玉だってんなら、たっぷりお返ししてやんねえと」
不本意だがな、と吐き捨てた男を見ると、少年は満足そうに微笑んだ。
「そっか。なら仕方ない、機体を組んでやらないとね。と言っても、今貸せそうなのが試作機のフレームくらいなんだけど」
「テメエが組むのか」
「うん。……って、今『ガキのくせに』って思ったでしょ。失礼しちゃうなー、オレ、こう見えて腕はいいんだぜ?」
「信用ならねえ」
「先入観は眼を曇らせるって!悪いけど選択肢はないよ、オレがアンタを拾ってる時点で察してほしいんだけど、他の面子は手が空いてないんだ」
「チッ……」
「手伝うのやめようかな……まあ見てて、大船に乗ったつもりでいてよ!」
そう言うと、少年は机上に広げた図面を指し示す。
「……重探知試作機・テンプトフレーム?」
「そ。いい名前でしょ、先に相手を見つけて攻撃を誘発する機体さ。挑発に乗った相手を叩くの好きそうだし、丁度いいかなって」
「余計なお世話だ」
「お互い様だろ。で、組むパーツだけど……アンタが乗ってきた機体は見たところ重量機だね。スロット構成が違うから完全再現は出来ないけど、方針は同じでいい?ガラッと変えて速度出すのもアリだけど」
「そんなら軽量に――」
取っ替える、と言おうとした男の声が途切れる。
「……?」
息は通っているが、唇が強張って動かない。もう一度試すが変化はない。
「軽量パーツなら、今ダウンロード出来るのはこの辺だけど」
少年がグレイヴネットの画面を中空に映し出した。首を傾げながらもパーツ一覧に並んだうちの一つを指し示そうとした男の手が途中で固まり、男の意図したパーツではなく、下方の重量パーツを指して止まった。
次の瞬間、男が大声で叫んだ。
「……ショーン!邪魔すんじゃねえ!」
「うわ!何!?驚かせないでよ!」
「何でも……、チッ、そういう体質でよ……肉体が時々勝手に動きやがる」
「そんな事ある?神経操作じゃなくて?」
「今見てるモンが事実だ。クソ……」
「へえ。面白……じゃなくて大変だね」
「他人事だと思って笑いやがって……」
******
小気味良い音を立て、軽重両機のイメージデッサンを引いては図面に載せていた少年は、ふと手を止めると男に問いかけた。
「ちょっと聞きたいんだけどさ。もし、さっき財団が言ったように未識別機動体を制御出来て、無限の戦力があって……世界を意のままに出来るとしたら、どうする?」
「急にどうした」
「アンタが何のために戦ってるのか知りたくて」
興味本位だけどさ、と呟く少年は図面を見据えながら続ける。
「ヒトは色んなモノのために戦うよね。名誉だったり、金だったり、何らかの組織の大義名分だったりさ。戦闘そのものを求めて戦うヤツだっている。
アンタはどうなのかなって。次にオレが組む機体を操るのはどんなヤツなのか……聞かせてほしい」
どこか引っ掛かる口調だ――と男は感じる。楽しげな声色の殻で奥に潜む本心を覆っているような。
目線を上げようとしない少年にやや苛立ちを覚えながら、男は口を開いた。
「……何を期待してるか知らねえが、俺にはご大層でキレイな大義名分なんざありゃしねえぞ。
世界を手中に収めたとして――無限の戦力を持ちゃ世界を好きに出来るかはさておき、俺がどうこうしてえとは思わねえ。端的に言や、興味がねえ」
「本当に?戦いを終結させて腹いっぱい美味いメシを食って、グレムリンに命を預けずに生きられるかもしれないのに?」
「……俺はずっと傭兵として生きてきた。そこまで魅力的にゃ感じねえな」
「フーン、そっか。自棄……と言うよりは、価値基準の相違か」
「何より……今更グレムリンから降りたところで、失ったモンは戻らねえ。たとえ平和になろうが、粉塵が一掃されようが、それは『元に戻った』訳ではねえだろ」
気付けば少年は顔を上げ、男の目を真っ直ぐに見ていた。
「じゃあ、どうして。戻らない事を知って尚、グレムリンに乗って戦うのは、何故だ」
「……知るか、と言いてえとこだが……強いて言や、俺自身の行き先を決めるためだ。俺が知りてえ事を知る妨げにならなきゃ、世界なんざただ存在してりゃいい――戦闘は吹っ掛けられりゃ買うに過ぎねえし、グレムリンには乗らなきゃならねえから乗った。唯一の過去への手掛かりで、機動力と力を兼ね備えた道具。……それだけだ」
その言葉を聞いた少年の眼差しが鋭くなる。
「……何?グレムリンをただの道具扱い?それは聞き捨てならない、アンタを守って戦う相棒だろ」
「悪ィがそうは思わねえな。俺の相棒は――」
ふと、部下の姿が脳裏を過ぎる。肉体は存在しているものの、かつての状態に戻る事は恐らく――
「……チッ。とにかく……今の俺にゃグレムリンが必要だ。操縦棺に肉体が収まってねえと、記憶へのアクセスすらままならねえ。相棒扱いだの敬意だのが必要なら善処はするが、期待はすんな」
少年は暫く顔をしかめていたが、やがて呆れたように溜息を吐いた。
「今のアンタには、肉体が示すように重量機が似合いだよ。周囲が見えないのに軽量機は危険だ……意識の連環を通り過ぎ、求めた希望を見失い、そっと触れるべきものを摩擦で傷付けてしまう」
「……何の話だ」
「さあね。という訳で、はい。こんな感じかな、試作機」
そう言うと、少年は一枚のデッサンを男に突きつけた。
「意思を持て。お前がどれだけ受け身でも、世界は容赦してなどくれはしない。内に溜めた意志を外へと向け放て、意力を以て世界に抗え。――そういう機体だ。覚悟はいいか?」
男が息を飲んだのを見て取ると、少年はプラスチックを思わせる光を宿した瞳を細め、にやりと笑った。
「……なーんてね。ちょっとやってみたかったんだ。どう?カッコよかった?
じゃあ、細部を調整したら組み上げようか。変えたいとこあったら早めに言ってね」
そのまま背を向けひらひらと手を振る少年の姿を、男は何も言わず睨み付けていた。
東南東海域『南の島』に位置する『第十二番工廠』。
ニコと名乗った少年整備士がそう呼ぶ、広々とした施設。
少年の口添えで「滞在中の仮住まいに」と倉庫の一角を宛がわれた男は、タワーより僅かに口に合う食事を済ませ、久しぶりのシャワーを浴び、寝処代わりに敷かれた固いマットに寝転んで天井を仰ぎ見ていた。
『C.C.』に乗り通しだった影響か、グレムリンの操縦席の方が身に馴染む――と考えたところで、少年が語った内容を思い出す。
(……右腕を無くしただと?)
『C.C.』が大破し、思念形跡が異常な状態で氷獄から南の島までの長距離を飛んだ――。男が操縦棺にいる間の出来事の筈、であるにも関わらず、男は何一つ思い出す事が出来なかった。
(いくらショーンでも……いや。お前なら俺以上に、そんなヘマはしねえだろうが。
何があった?あのデカブツの仕業か?そして――俺は何故生きている?)
少年の問いに対する回答が得られないまま、男は問い続ける。繰り返す自問はやがて仄かな微睡を誘い連れ、僅かな抵抗の後程なくして、両の瞼が観念したように閉じられた。
******
どれくらいの時間が経っただろうか。
男が目を開けると、倉庫の外がやけに騒々しい事に気付く。警報音は聞こえないが、襲来と同等の緊迫感と混乱を感じ取る。
舌打ちをしながら身を起こし、興奮した様子で口々に何事か唱える人々の合間を縫い、先程少年に案内された整備区画へ向かう。
辿り着いて間もなく、特に狼狽えた様子もなく図面と向き合う少年を発見した。声を掛ける寸前、視線に気付いたらしい少年が顔を上げた。
「あ。おはよう、やっと起きたね。少し遅かったけど」
「おい。コイツは何の騒ぎだ」
「ついさっき、グレイヴネットがジャックされてね。発信元は『ジャンク財団』――アンタも聞いた事あるんじゃない?」
そう言うと少年は傍らの通信機を手に取り、録音音声を流し始めた。
ジャンク財団を名乗る存在による、世界への宣戦布告。曰く、彼らは未識別機動体を既に掌握、制御したと――その証拠として、赤の海に「トリカゴ」を出現させ、無限の戦力の存在を示唆した上で世界に投降を促した。
しかし滔々と続く演説は、聞き覚えのある声に阻まれる。冷静な指摘を以て相手に応対し、世界を明け渡すなと後進を鼓舞するその男は――
「ホーレツァー……」
「うん。彼は立派だね。あの過去があって尚、信念を抱いて戦っている」
「過去だと?」
「彼はとある戦いで心身に深い傷を負った。この件が落ち着いたら調べてみるといい、16年前の記録を検索すると出て来る筈だから」
「勿体ぶりやがって」
「オレが語るより、資料の方が信じられるだろ。大戦でのホーレツァーはカッコよかった……そして音声を聞いて分かる通り、今も変わらずね。逃げずに向き合ってずっと戦い続けて来たんだよ。この世界を生き抜くためにさ」
どこか懐かしむように目を細める少年に対し、男は怪訝そうに呟く。
「見てきたみたいに言うじゃねえか」
「まあね。それより」
目を閉じて頷いた少年は、次いで男の瞳を見据える。
「アンタはどうする?戦いに行く?」
「……」
顔をしかめた男の答えを、少年は急かすことなくじっと待つ。
数秒の後、男の口から言葉が発された。
「『C.C.』が大破しやがったんなら、サボりてえのは山々だが……」
はあ、と大きな溜息を吐いた後、深く息を吸い込むと。
「……行くしかねえだろ、今の聞いちまったらよ。傭兵のくせに戦いもせず、無抵抗で支配を受け入れるなんざ御免だ。得体の知れねえ奴らなら尚更な。
それにジャンクテイマー共には因縁がある。その親玉だってんなら、たっぷりお返ししてやんねえと」
不本意だがな、と吐き捨てた男を見ると、少年は満足そうに微笑んだ。
「そっか。なら仕方ない、機体を組んでやらないとね。と言っても、今貸せそうなのが試作機のフレームくらいなんだけど」
「テメエが組むのか」
「うん。……って、今『ガキのくせに』って思ったでしょ。失礼しちゃうなー、オレ、こう見えて腕はいいんだぜ?」
「信用ならねえ」
「先入観は眼を曇らせるって!悪いけど選択肢はないよ、オレがアンタを拾ってる時点で察してほしいんだけど、他の面子は手が空いてないんだ」
「チッ……」
「手伝うのやめようかな……まあ見てて、大船に乗ったつもりでいてよ!」
そう言うと、少年は机上に広げた図面を指し示す。
「……重探知試作機・テンプトフレーム?」
「そ。いい名前でしょ、先に相手を見つけて攻撃を誘発する機体さ。挑発に乗った相手を叩くの好きそうだし、丁度いいかなって」
「余計なお世話だ」
「お互い様だろ。で、組むパーツだけど……アンタが乗ってきた機体は見たところ重量機だね。スロット構成が違うから完全再現は出来ないけど、方針は同じでいい?ガラッと変えて速度出すのもアリだけど」
「そんなら軽量に――」
取っ替える、と言おうとした男の声が途切れる。
「……?」
息は通っているが、唇が強張って動かない。もう一度試すが変化はない。
「軽量パーツなら、今ダウンロード出来るのはこの辺だけど」
少年がグレイヴネットの画面を中空に映し出した。首を傾げながらもパーツ一覧に並んだうちの一つを指し示そうとした男の手が途中で固まり、男の意図したパーツではなく、下方の重量パーツを指して止まった。
次の瞬間、男が大声で叫んだ。
「……ショーン!邪魔すんじゃねえ!」
「うわ!何!?驚かせないでよ!」
「何でも……、チッ、そういう体質でよ……肉体が時々勝手に動きやがる」
「そんな事ある?神経操作じゃなくて?」
「今見てるモンが事実だ。クソ……」
「へえ。面白……じゃなくて大変だね」
「他人事だと思って笑いやがって……」
******
小気味良い音を立て、軽重両機のイメージデッサンを引いては図面に載せていた少年は、ふと手を止めると男に問いかけた。
「ちょっと聞きたいんだけどさ。もし、さっき財団が言ったように未識別機動体を制御出来て、無限の戦力があって……世界を意のままに出来るとしたら、どうする?」
「急にどうした」
「アンタが何のために戦ってるのか知りたくて」
興味本位だけどさ、と呟く少年は図面を見据えながら続ける。
「ヒトは色んなモノのために戦うよね。名誉だったり、金だったり、何らかの組織の大義名分だったりさ。戦闘そのものを求めて戦うヤツだっている。
アンタはどうなのかなって。次にオレが組む機体を操るのはどんなヤツなのか……聞かせてほしい」
どこか引っ掛かる口調だ――と男は感じる。楽しげな声色の殻で奥に潜む本心を覆っているような。
目線を上げようとしない少年にやや苛立ちを覚えながら、男は口を開いた。
「……何を期待してるか知らねえが、俺にはご大層でキレイな大義名分なんざありゃしねえぞ。
世界を手中に収めたとして――無限の戦力を持ちゃ世界を好きに出来るかはさておき、俺がどうこうしてえとは思わねえ。端的に言や、興味がねえ」
「本当に?戦いを終結させて腹いっぱい美味いメシを食って、グレムリンに命を預けずに生きられるかもしれないのに?」
「……俺はずっと傭兵として生きてきた。そこまで魅力的にゃ感じねえな」
「フーン、そっか。自棄……と言うよりは、価値基準の相違か」
「何より……今更グレムリンから降りたところで、失ったモンは戻らねえ。たとえ平和になろうが、粉塵が一掃されようが、それは『元に戻った』訳ではねえだろ」
気付けば少年は顔を上げ、男の目を真っ直ぐに見ていた。
「じゃあ、どうして。戻らない事を知って尚、グレムリンに乗って戦うのは、何故だ」
「……知るか、と言いてえとこだが……強いて言や、俺自身の行き先を決めるためだ。俺が知りてえ事を知る妨げにならなきゃ、世界なんざただ存在してりゃいい――戦闘は吹っ掛けられりゃ買うに過ぎねえし、グレムリンには乗らなきゃならねえから乗った。唯一の過去への手掛かりで、機動力と力を兼ね備えた道具。……それだけだ」
その言葉を聞いた少年の眼差しが鋭くなる。
「……何?グレムリンをただの道具扱い?それは聞き捨てならない、アンタを守って戦う相棒だろ」
「悪ィがそうは思わねえな。俺の相棒は――」
ふと、部下の姿が脳裏を過ぎる。肉体は存在しているものの、かつての状態に戻る事は恐らく――
「……チッ。とにかく……今の俺にゃグレムリンが必要だ。操縦棺に肉体が収まってねえと、記憶へのアクセスすらままならねえ。相棒扱いだの敬意だのが必要なら善処はするが、期待はすんな」
少年は暫く顔をしかめていたが、やがて呆れたように溜息を吐いた。
「今のアンタには、肉体が示すように重量機が似合いだよ。周囲が見えないのに軽量機は危険だ……意識の連環を通り過ぎ、求めた希望を見失い、そっと触れるべきものを摩擦で傷付けてしまう」
「……何の話だ」
「さあね。という訳で、はい。こんな感じかな、試作機」
そう言うと、少年は一枚のデッサンを男に突きつけた。
「意思を持て。お前がどれだけ受け身でも、世界は容赦してなどくれはしない。内に溜めた意志を外へと向け放て、意力を以て世界に抗え。――そういう機体だ。覚悟はいいか?」
男が息を飲んだのを見て取ると、少年はプラスチックを思わせる光を宿した瞳を細め、にやりと笑った。
「……なーんてね。ちょっとやってみたかったんだ。どう?カッコよかった?
じゃあ、細部を調整したら組み上げようか。変えたいとこあったら早めに言ってね」
そのまま背を向けひらひらと手を振る少年の姿を、男は何も言わず睨み付けていた。
◆12回更新の日記ログ
//
Identification name: Eli■ah
Psychic connection: error
Level of consciousness: danger
Response: none
――System reboot――3, 2, 1……
//
肉体から切り離され、『C.C.』および『ファントム』との接続を絶たれ、融けるように暗闇を漂っていた意識が浮上を始める。
自身が脳の形状である事を認識し、ニューロンを起こしシナプスを働かせ、末梢神経を辿り隅々に至るまで意識を行き渡らせ――徐々に感覚を取り戻す。
脳が、ゆっくりと覚醒する。
……チッ。『また』か。
いつの間にか寝てしまっていた――と、男は認識した。
はっきりしない視界に舌打ちしつつ、重い肉体に鞭打って上体を起こすと、自身の居場所を確認すべく周囲に鋭い視線を走らせる。
かつて寝泊まりしていた、タワー居住区域の狭い部屋ではなかった。
船舶を思わせる硬質な壁が一面を覆っており、壁沿いに資材と思しきコンテナが積まれている他は特に目に留まるもののない、殺風景で薄暗い空間。物音はしないが、床を伝わる微弱な振動が肉体の芯に響く。
何処となく既視感を覚えたが、男の前に錆び付いた機体はなかった。
(……、どっかの勢力にでも捕まったか?)
訝しんだ男はふと、自分の顔を覆っていたはずのガスマスクが見当たらない事に気付いた。
記憶を呼び起こす。温泉を発ち、落下してきたコンテナを巡ってジャンクテイマーと交戦し、巨大な未識別融合体を目にし、白い空間に落ち――
(…………?)
その先の記憶が、靄がかかったように朧げだ。
思い出そうにも、捉えようとした事象が形を成さない。
記憶を呼び起こす際は自主的に痛む傷跡も、今は沈黙している。
眠っているか、或いは意思を失ったかのように。
(……まさかとは思うが、あの空間から現実に戻れずに墜ちたんじゃねえだろうな。
ショーンの野郎、また呼び出しやがったらシメてやる)
理不尽な悪態を脳内で唱えた男は、次いで深い溜息を吐いた。
(ったく……面倒くせえな)
肉体は痛むが、目立った外傷はないようだ。四肢も問題なく繋がっている。
だが――『C.C.』もガスマスクも手の届く範囲になく、己を守るものは沈黙する肉体のみ。
(……、このまま外に放り出されりゃ、一呼吸で粉塵吸い込んでお陀仏じゃねえか。クソ、)
脳裏を過ぎった末路から目を逸らすべく数秒瞼を閉じてから、可能な限り物音を立てずに気配を探り始める。
部屋の中。資材コンテナの隙間。床の下。天井の通気ダクト。
しかし――知覚可能な範囲に人の気配は感じられなかった。
(って事は、外に見張りが付いてやがんのか。
放り込まれた時にゃ無事だったみてえだが――ここから出たが最後かもしれねえな)
やがて、男の目が扉と思しき壁の切れ目を捉える。
曇った小さな窓が付いており、そこから僅かに光が漏れているようだ。
「……」
息を殺し聞き耳を立てながら、慎重に近付く。
窓以外は起伏がなく、周囲の壁にも制御盤の類は見当たらない。
外から操作するか、或いは何らかの認証が必要なのだろう。
――と考えたのも束の間、予想に反して扉が滑らかに上にスライドし、同時に射し込んだ光が瞳を刺す。
「……っ、クソ、」
強い光ではないはずだが、耐え切れずにぐっと目を瞑る。
右腕で顔を庇いながら他の感覚を研ぎ澄ませ、外からの攻撃に備えた――
が、数秒待っても、それらが襲ってくることはなかった。
不審に思いながら少しずつ目を開けるが、扉の向こうに人の姿はなかった。声はするものの、こちらに来る気配はない。
そして――部屋の外へ踏み出した男が目にしたものは、高い天井とクレーン、各区画に鎮座する組立途中のパーツが数機分。
広々とした、グレムリンの工廠だった。
******
【Day 11】
部屋の中とは対照的に、周囲は穏やかな喧騒で満ちていた。
巨大な鋼材を運搬するクレーンが轟音を響かせて稼働し、整備士や傭兵のものと思しき声が飛び、目の前を人員が忙しなく行き交う。時折男に一瞥をくれる者もいたが、少し睨み返してやればそそくさと逃げ去っていった。
ふと気付く。彼らは皆、緑色の札を身に着けている。
風習だろうか。何処かで聞いたような――
「あ。おーい、そこの兄ちゃん。起きたみたいだね、調子はどう?」
何処からか声がした。自身が呼ばれたのだ、と認識して左右に鋭く視線を走らせると、白髪にゴーグルを着けた少年が手を振りながら駆けてくるのが見えた。
カンカンと金属音を響かせ、器用に人を避け、転がるように男の前に辿り着くと、頭一つ分低い位置からにっと微笑みかける。
「昨日の今日でもう歩けるんだ。流石は傭兵テイマーってとこか。ところでさ……」
言葉を切って目を伏せた少年は、怪訝そうな視線と共に見上げてくる。
「その……無言で睨み付けるの、やめてくれない?威圧感凄くてやりづらいんだけど」
「テメエは何者だ。ここは何処だ?俺をどうする気――」
「悪化した!?喋ればいいってもんじゃない、説明するから待って!」
思わず後ずさった少年の背が、通りがかった男にぶつかる。
「っと、ごめんなさい」
相手は不機嫌そうに少年を睨み、通行の邪魔だ、と呟くとそのまま去っていった。
「うわー、感じ悪いなあ。最近来た傭兵かな……でも確かに邪魔か。場所を変えよう、ついてきて」
ちろりと舌を出して歩き始めた少年を見て、男は小さく溜息を吐く。
(仕方ねえな……)
暫し考えた後、警戒は解かず、周囲全てを睨み付けながら後を追った。
******
「で……さっきの質問だけど」
男が隣に並んだ頃合いを見計らい、少年が口を開く。
「オレはNicolai Ivanov(ニコライ・イヴァーノフ)。ここの整備士さ。皆ニコって呼ぶし、アンタもニコでいいよ。
んで、ここは通称『第十二番工廠』。タワーから見て東南東、南の島に位置してる」
「……南の島だと?何で俺がンな場所にいやがんだ。テメエ――」
「オレじゃないよ!アンタが自分で飛んできたんだ!覚えてない?」
「ア?」
「北からボロボロのグレムリンがすっ飛んできて工廠の離れに突っ込んだ、って聞いて、様子を見に行ったらアンタがいたんだ。
意識が途切れかけてたけど、オレに向かってこう聞いたよ――『ここは真紅連理の勢力下にあるか』って」
少年の口から語られる顛末。男は眉根を寄せ、沈黙と共に先を促す。
「違うよ、って答えたら『そうか』って呟いて目を閉じて……安心したのかな、そこから全然起きなかったから、あの部屋に寝かせてたってわけ。
でも、グレムリンはすぐ元通りには出来なさそう。右腕を無くしてるし、全体的に損傷が激しい。代替機を用意するのも、少しかかりそうだ……未識別機体の襲来の影響か、この工廠にもあちこちから傭兵が来るようになって忙しくてさ。
そうだ、ガスマスクもオレが預かってる。重いだろうし、工廠内では着けなくて平気だから――」
(……記憶にねえ)
話し続ける少年に対し、男は返答出来なかった。
(俺じゃねえならショーンの仕業だろうが……最後の質問の意図が分からねえ。
何故、動けなくなる直前にそれを聞いた?『真紅連理』とは、お前……いや、俺達にとって――何だ?)
頭部と左手の傷跡は答えない。目の前が白く霞む気配もなかった。
(チッ。聞きてえ時に限って寝やがって。いや、邪魔しねえなら自力で――)
「――もしもし?大丈夫、立ち眩み?」
男の思索は、少年の声で中断された。気付かぬうちに足を止めていたらしく、目の前で少年が手を振っている。
「……、いや……」
「来た時の記憶が無くても仕方ないよ。グレムリンの右腕がなくなった分の痛みも出てただろうし、あの状態でよく話せたなって。それよりも聞きたいことがあって」
一段落とされたトーンの声が、言葉を続ける。
「アンタの乗ってたグレムリンのログを読ませてもらったんだけどさ……おっと、非常事態でしょ。あんま目くじら立てないでよ、ただでさえ人相悪いんだからさ」
少年は大仰に怖がる素振りをしてみせたかと思うと、すっと真剣な表情で問い掛けた。
「……意味不明もいいとこだよ、何さあのログ。アンタ達、一体何してきたわけ?」
「……」
「途中までは普通の記録だ。座標からして氷獄の辺りまでかな。
でも、その後がおかしい。思念接続が途切れた後、別の機体の思念が混ざり込んで……、一機分じゃない、もっと多くの何かが機体を侵していた。正直……読んでいて恐ろしかったよ。
操縦棺にいたアンタは、何故生きている?外部思念の曝露に耐えられたのか?それとも――」
男は問いに答えられない。
報告は明らかに異常だが、自身に記憶の欠落以外の症状は見られない。
発する言葉も定まらないまま口を開きかけた瞬間――男の腹がぐう、と鳴る。
「……」
少年はゴーグルの奥の目を丸くした後、声を上げて笑い始めた。
「あっはは、そうか、ここに来てから眠り通しだったっけ。その前から何も口にしてなかったかもしれないし、腹ペコだよね!
気が利かなくてゴメン、話は後だ!先に腹ごしらえと行こうか。大したものはないけど、腹は満たせると思うよ」
そう告げて再び歩き始めた少年は、数歩進むと思い出したように足を止めた。
「そうだ、言い忘れてた。機会を逃して今になっちゃったけど、遅ればせながら」
少年は男に向き直ると、小さく咳払いをした後、笑顔で恭しく礼をしてみせた。
「悠久の連環、希望の担い手!翡翠経典『ハルシオン・スートラ』へようこそ!」
Identification name: Eli■ah
Psychic connection: error
Level of consciousness: danger
Response: none
――System reboot――3, 2, 1……
//
肉体から切り離され、『C.C.』および『ファントム』との接続を絶たれ、融けるように暗闇を漂っていた意識が浮上を始める。
自身が脳の形状である事を認識し、ニューロンを起こしシナプスを働かせ、末梢神経を辿り隅々に至るまで意識を行き渡らせ――徐々に感覚を取り戻す。
脳が、ゆっくりと覚醒する。
……チッ。『また』か。
いつの間にか寝てしまっていた――と、男は認識した。
はっきりしない視界に舌打ちしつつ、重い肉体に鞭打って上体を起こすと、自身の居場所を確認すべく周囲に鋭い視線を走らせる。
かつて寝泊まりしていた、タワー居住区域の狭い部屋ではなかった。
船舶を思わせる硬質な壁が一面を覆っており、壁沿いに資材と思しきコンテナが積まれている他は特に目に留まるもののない、殺風景で薄暗い空間。物音はしないが、床を伝わる微弱な振動が肉体の芯に響く。
何処となく既視感を覚えたが、男の前に錆び付いた機体はなかった。
(……、どっかの勢力にでも捕まったか?)
訝しんだ男はふと、自分の顔を覆っていたはずのガスマスクが見当たらない事に気付いた。
記憶を呼び起こす。温泉を発ち、落下してきたコンテナを巡ってジャンクテイマーと交戦し、巨大な未識別融合体を目にし、白い空間に落ち――
(…………?)
その先の記憶が、靄がかかったように朧げだ。
思い出そうにも、捉えようとした事象が形を成さない。
記憶を呼び起こす際は自主的に痛む傷跡も、今は沈黙している。
眠っているか、或いは意思を失ったかのように。
(……まさかとは思うが、あの空間から現実に戻れずに墜ちたんじゃねえだろうな。
ショーンの野郎、また呼び出しやがったらシメてやる)
理不尽な悪態を脳内で唱えた男は、次いで深い溜息を吐いた。
(ったく……面倒くせえな)
肉体は痛むが、目立った外傷はないようだ。四肢も問題なく繋がっている。
だが――『C.C.』もガスマスクも手の届く範囲になく、己を守るものは沈黙する肉体のみ。
(……、このまま外に放り出されりゃ、一呼吸で粉塵吸い込んでお陀仏じゃねえか。クソ、)
脳裏を過ぎった末路から目を逸らすべく数秒瞼を閉じてから、可能な限り物音を立てずに気配を探り始める。
部屋の中。資材コンテナの隙間。床の下。天井の通気ダクト。
しかし――知覚可能な範囲に人の気配は感じられなかった。
(って事は、外に見張りが付いてやがんのか。
放り込まれた時にゃ無事だったみてえだが――ここから出たが最後かもしれねえな)
やがて、男の目が扉と思しき壁の切れ目を捉える。
曇った小さな窓が付いており、そこから僅かに光が漏れているようだ。
「……」
息を殺し聞き耳を立てながら、慎重に近付く。
窓以外は起伏がなく、周囲の壁にも制御盤の類は見当たらない。
外から操作するか、或いは何らかの認証が必要なのだろう。
――と考えたのも束の間、予想に反して扉が滑らかに上にスライドし、同時に射し込んだ光が瞳を刺す。
「……っ、クソ、」
強い光ではないはずだが、耐え切れずにぐっと目を瞑る。
右腕で顔を庇いながら他の感覚を研ぎ澄ませ、外からの攻撃に備えた――
が、数秒待っても、それらが襲ってくることはなかった。
不審に思いながら少しずつ目を開けるが、扉の向こうに人の姿はなかった。声はするものの、こちらに来る気配はない。
そして――部屋の外へ踏み出した男が目にしたものは、高い天井とクレーン、各区画に鎮座する組立途中のパーツが数機分。
広々とした、グレムリンの工廠だった。
******
【Day 11】
部屋の中とは対照的に、周囲は穏やかな喧騒で満ちていた。
巨大な鋼材を運搬するクレーンが轟音を響かせて稼働し、整備士や傭兵のものと思しき声が飛び、目の前を人員が忙しなく行き交う。時折男に一瞥をくれる者もいたが、少し睨み返してやればそそくさと逃げ去っていった。
ふと気付く。彼らは皆、緑色の札を身に着けている。
風習だろうか。何処かで聞いたような――
「あ。おーい、そこの兄ちゃん。起きたみたいだね、調子はどう?」
何処からか声がした。自身が呼ばれたのだ、と認識して左右に鋭く視線を走らせると、白髪にゴーグルを着けた少年が手を振りながら駆けてくるのが見えた。
カンカンと金属音を響かせ、器用に人を避け、転がるように男の前に辿り着くと、頭一つ分低い位置からにっと微笑みかける。
「昨日の今日でもう歩けるんだ。流石は傭兵テイマーってとこか。ところでさ……」
言葉を切って目を伏せた少年は、怪訝そうな視線と共に見上げてくる。
「その……無言で睨み付けるの、やめてくれない?威圧感凄くてやりづらいんだけど」
「テメエは何者だ。ここは何処だ?俺をどうする気――」
「悪化した!?喋ればいいってもんじゃない、説明するから待って!」
思わず後ずさった少年の背が、通りがかった男にぶつかる。
「っと、ごめんなさい」
相手は不機嫌そうに少年を睨み、通行の邪魔だ、と呟くとそのまま去っていった。
「うわー、感じ悪いなあ。最近来た傭兵かな……でも確かに邪魔か。場所を変えよう、ついてきて」
ちろりと舌を出して歩き始めた少年を見て、男は小さく溜息を吐く。
(仕方ねえな……)
暫し考えた後、警戒は解かず、周囲全てを睨み付けながら後を追った。
******
「で……さっきの質問だけど」
男が隣に並んだ頃合いを見計らい、少年が口を開く。
「オレはNicolai Ivanov(ニコライ・イヴァーノフ)。ここの整備士さ。皆ニコって呼ぶし、アンタもニコでいいよ。
んで、ここは通称『第十二番工廠』。タワーから見て東南東、南の島に位置してる」
「……南の島だと?何で俺がンな場所にいやがんだ。テメエ――」
「オレじゃないよ!アンタが自分で飛んできたんだ!覚えてない?」
「ア?」
「北からボロボロのグレムリンがすっ飛んできて工廠の離れに突っ込んだ、って聞いて、様子を見に行ったらアンタがいたんだ。
意識が途切れかけてたけど、オレに向かってこう聞いたよ――『ここは真紅連理の勢力下にあるか』って」
少年の口から語られる顛末。男は眉根を寄せ、沈黙と共に先を促す。
「違うよ、って答えたら『そうか』って呟いて目を閉じて……安心したのかな、そこから全然起きなかったから、あの部屋に寝かせてたってわけ。
でも、グレムリンはすぐ元通りには出来なさそう。右腕を無くしてるし、全体的に損傷が激しい。代替機を用意するのも、少しかかりそうだ……未識別機体の襲来の影響か、この工廠にもあちこちから傭兵が来るようになって忙しくてさ。
そうだ、ガスマスクもオレが預かってる。重いだろうし、工廠内では着けなくて平気だから――」
(……記憶にねえ)
話し続ける少年に対し、男は返答出来なかった。
(俺じゃねえならショーンの仕業だろうが……最後の質問の意図が分からねえ。
何故、動けなくなる直前にそれを聞いた?『真紅連理』とは、お前……いや、俺達にとって――何だ?)
頭部と左手の傷跡は答えない。目の前が白く霞む気配もなかった。
(チッ。聞きてえ時に限って寝やがって。いや、邪魔しねえなら自力で――)
「――もしもし?大丈夫、立ち眩み?」
男の思索は、少年の声で中断された。気付かぬうちに足を止めていたらしく、目の前で少年が手を振っている。
「……、いや……」
「来た時の記憶が無くても仕方ないよ。グレムリンの右腕がなくなった分の痛みも出てただろうし、あの状態でよく話せたなって。それよりも聞きたいことがあって」
一段落とされたトーンの声が、言葉を続ける。
「アンタの乗ってたグレムリンのログを読ませてもらったんだけどさ……おっと、非常事態でしょ。あんま目くじら立てないでよ、ただでさえ人相悪いんだからさ」
少年は大仰に怖がる素振りをしてみせたかと思うと、すっと真剣な表情で問い掛けた。
「……意味不明もいいとこだよ、何さあのログ。アンタ達、一体何してきたわけ?」
「……」
「途中までは普通の記録だ。座標からして氷獄の辺りまでかな。
でも、その後がおかしい。思念接続が途切れた後、別の機体の思念が混ざり込んで……、一機分じゃない、もっと多くの何かが機体を侵していた。正直……読んでいて恐ろしかったよ。
操縦棺にいたアンタは、何故生きている?外部思念の曝露に耐えられたのか?それとも――」
男は問いに答えられない。
報告は明らかに異常だが、自身に記憶の欠落以外の症状は見られない。
発する言葉も定まらないまま口を開きかけた瞬間――男の腹がぐう、と鳴る。
「……」
少年はゴーグルの奥の目を丸くした後、声を上げて笑い始めた。
「あっはは、そうか、ここに来てから眠り通しだったっけ。その前から何も口にしてなかったかもしれないし、腹ペコだよね!
気が利かなくてゴメン、話は後だ!先に腹ごしらえと行こうか。大したものはないけど、腹は満たせると思うよ」
そう告げて再び歩き始めた少年は、数歩進むと思い出したように足を止めた。
「そうだ、言い忘れてた。機会を逃して今になっちゃったけど、遅ればせながら」
少年は男に向き直ると、小さく咳払いをした後、笑顔で恭しく礼をしてみせた。
「悠久の連環、希望の担い手!翡翠経典『ハルシオン・スートラ』へようこそ!」
◆11回更新の日記ログ
【Da■ 10】
――傷跡の存在を感じない。
肉体の痛みは何処までも遠く朧げだった。
代わりに、別の感覚が脳を麻痺させる。
――『呼ばれている』。
脳。思念。制御。『■■■■■』――
暗闇に響くノイズ交じりの音声が混濁し、掠れ、徐々に遠のくと同時に、視界に少しずつ光が戻る。
しかし――脳が認識したのは巨大機体から照射された黄色の光ではなく、一面に立ち込める白い靄。
誰かが何かを見せようとしている前兆。現実の視界と肉体から離れた、或いは切り離した脳を取り込む世界の導入。
今までと異なるのは、これまで脳を覆っていた不可視の思念を知覚出来ないこと。
故に今回は恐らく肉体の……部下の干渉はない。
では、今この場を支配し、見せる情報を制御するのは誰か――否、『何』か。
数刻前であれば思索を巡らせていた筈の脳は、既に思考を停止していた。
ゆっくりと、引きずられるままに下降する。
阻むものはなく、警告音も鳴りを潜めている。
かつて脳の来訪を拒絶した「暗い廊下」まであっさり辿り着くと、乾いたシャッター音を立てて景色が切り替わった。
映し出されたのは白い空間。粉塵に塗れた屋外ではなく、空調の効いた室内らしい。
上方に取り付けられた白色灯が、場に存在する人間を照らし出す。
彼らが纏うのは防塵スーツではなく白衣……のようだが、白と呼ぶには色がくすみ褪せている。
その上に時折緑がかった影が揺らめく――そう認識した時には、白衣も、壁も、白色灯も、視界全体がうっすらと緑に染まっていた。
ごぼり。
下方から吐き出された巨大な泡が、視界を歪めて上方へと消えた。
行き来する人間の形が左右に伸縮する。
気付けば数人の視線が『こちら』に向けられている。顔は判別出来ないが、どことなく見覚えがあるように思える輪郭。
そのうち一人の口が動いたが、声と思しき音は間延びし、言葉としては聞き取れない。
『こちら』を指し示す手。メモを取る人間。
脳は思考する意志すら持たず、映し出される光景をただ見ていた。
やがて一人の男が眼前に立ち、パネルを操作する。
数条の光線が奔ると同時に、視界に別の光景が重なる。
数秒ずつ差し込まれる、断片的で脈絡のない映像。
それらは切り替わる間隔を狭め、秒間60、120、240――そして脳の処理上限を……超えた。
******
「――――」
――呼ばれている。
気付けば視点は『C.C.』の操縦棺内部に戻り、正面には先程より距離を縮めた巨大機体と表面の『目』、ゆっくりと蠢く触腕が映っていた。
アーロと呼ばれていた男の機体との通信は切断されており、モニタを覗いてもそれらしい機影が確認出来ない。
しかし、彼の顛末に気を払う者はいない。脳の意識は、他機体を介さずに『C.C.』と視界を染め上げる黄の光にのみ向けられていた。
装甲に点在する無数の『目』が光を放つ。
脳が肉体の目を通じて認識しているはずの光は、脳に直接照射されているように鮮烈で、かつ記憶にあるどの光よりも暖かく柔らかい。
郷愁に似た感覚を呼び起こされ、光に意識を絡め取られ、呼応しそうになった時。
光の中に、走馬灯を思わせる映像が次々と投影され始めた。
*フラッシュバックと記憶の連環に奈落が口を開け。
見覚えのない機体。グレムリンの成れの果て。
否、識っている。中身を視た。白く沈む夢。死者を再現した機械音声。人型の靄。
操縦棺が棺たる所以。墓標。逝き場を無くした機体と魂の集積場。
見知った傭兵が未識別機動体の操縦棺をこじ開けた時に覚えた、強烈な既視感と違和感。
酷似した光景。何時。データ。何処で。シミュレータ。接続。『何度も』。
*希望を謳う檻から霧が誘う。
ダスト・グレムリンによる再製を待つ世界。理を外れ綻び増殖するバグ。
傭兵達が恐れた未識別機動体と、死して尚動く存在と向かい合う。
やがて、言葉を持たぬ巨大機体が呼び掛ける。意志疎通と呼ぶには一方通行の、光に宿った思念が脳髄に流し込まれ――鮮明に理解する。
*捻くれた傷跡を広げて明滅する光は赤に青に黄に。
不具合の結実たる我等が融合体の一部と成りたいと願うのならば。
……お前も我々と同類であるならば、こちらへ来い。
手を伸ばせ、さすれば受け容れられん。
――『呼ばれている』、
******
「――――」
何を思考出来る訳でもなかった。
ニューロンが焼き切れる程の衝動に、呼ばれるままに『手』を伸ばす。
脳が鎮座する肉体は動かない。しかし、その肉体を擁する機体は駆動した。
今や脳は肉体に依ることなく、搭乗グレムリン『C.C.』を制御下に置いていた。
脳内で思念が反響する。
――――手を伸ばせ。
前方に『C.C.』の右手が映し出される。
生身の人間と比較して遥かに巨大な手。
しかし――大振りの電磁ブレードを握りしめていたはずのその手には、何も握られていない。
ワイヤーで牽引されるようにぎこちなく、無防備に開かれた掌が巨大機体へと伸ばされる。
……肉体は、その動作を止める術を持たなかった。
――手を■■せ、
目前の機体からは、仲間の来訪を歓迎すべく触腕が伸び、『C.C.』の右手を受け止める。
そのまま右腕全体に絡み付くと、関節部の強度を確認するように撫でる。
脳は、肉体の口が大きく開かれ、喉奥から咆哮が迸っている事にも気付かない。気付けない。
そして。
――『手を寄越せ』。
触腕が、右肘から先を折り取った。
アラートで真っ赤に染まるモニタの向こうで、外気に晒された上腕内部が火花と液体を散らす。
間髪を入れずに、触腕が断面から侵入を始める。
ぎちぎちと音を立て、右肩から体部へ到達し、操縦者を取り込むべく。
肉体に激痛が走る。しかし脳にその痛みは届かない。
失った右腕ではなく、侵入してきた触腕にのみ向けられる意識。
その先端が機体に入り込み、肩部に到達したのを合図に、脳が干渉を開始した。
――捕獲。対象: 『■■■■■』――識■■■■一致。
思念接続開始。認■エラー――■■――クリア。■■■――■握。
■■■■■■■■■■――
――『成功』。
その途端、巨大機体がぴたりと停止した。
蠢いていた触腕は微動だにしなくなり、放たれていた光は急速に力を失っていく。
脳が駆動する。流れ込む膨大な情報を処理し、制御し、思念をシンクロさせる。
そして、数分の間の後――巨体が動作を再開した。
******
巨大機体の最上部。『口』の外郭がぎこちなく動き、内包した砲口を露わにする。
しかし、エネルギーを放出する気配はない。代わりに発されたのは軋んだ音。
何重にもひび割れたノイズが周囲一帯に響き渡る。少し間を置いて『口』を開閉すると、ア、だとかウ、に近い音が漏れる。
発声練習と呼べそうな動作を数度繰り返した巨大機体は、やがて緩慢ながらはっきりと、一音一音区切りながら――予めそう動作するようプログラムされていたかのように『言葉』を発した。
し、ン、ク、れ、ン、り、ノ――
――――『真紅連理のために』。
次の瞬間。
まるでその言葉を待っていたかのように、グレムリンが次々と姿を現す。
その数7機。たった今増援として到着したのか、或いはステルス状態で様子を窺っていたのか。
明白なのは、全ての機体に真紅連理所属を表す輝かしいエンブレムが刻まれていることだけだった。
巨大機体は動かない。同様に『C.C.』も静止している。
統率の取れた動きで周囲に展開した機体群は、巨大機体の破壊ではなく捕縛を試みているように見えた。
攻撃を加えないのは接続中の『C.C.』への配慮か――と思われたのも束の間、一機が右腕側に接近する。
そのまま触腕がめり込んだ右上腕部――巨大機体との接合部を固定し、拘束する。
外部干渉により接続が乱れ、脳と巨大機体間を流れる思念が僅かに弱まった。
と、突然『C.C.』が暴れ出した。
肉体による抵抗。両機体に接続した脳から強引に『C.C.』の制御権を奪い取り、操縦レバーを握り込むと、右肩を巨大機体と真紅連理機から引き剥がすべく乱暴に機体を捻る。
程なくして、ブチブチと音を立てて巨大機体と『C.C.』の右腕が離れた。
断面からは千切られた触腕が幾本も垂れ、砕けた上腕部の欠片が粉塵を映して零れ落ちる。
バランスを崩し左に機体を傾けながら、辛うじて無事な左手で握った速射砲を振り回し、追ってくる真紅連理機に機関砲を向け、照準を合わせないまま発射する。
至近距離にいたのは1機のみだが、異変に気付いたらしい6機が遅れて向かってくるのが見えた。
閃く光線。追尾型ミサイルの発射音。回避。回避――被弾。
直撃は免れているものの、装甲の損傷は徐々に程度を増す。
機体が衝撃を受ける度、肉体が軋む。全身が熱を帯び、刺すような痛みと共に傷跡が疼く。
更に数十秒後。巨大機体が唸り声を上げると、砲撃に加え黄の光が追ってきた。
――脳は思念切断のショックから復帰していない。その前に光から逃れなければ。
機体は中空を闇雲に駆け、僅かに緩んだ攻撃の合間を縫い、絶え間ない激痛に襲われながら、ただ全てを振り切るようにその場から離脱を試みた。
やがて、『C.C.』は思念に融けるように行動を停止し、視界が暗転し――
――傷跡の存在を感じない。
肉体の痛みは何処までも遠く朧げだった。
代わりに、別の感覚が脳を麻痺させる。
――『呼ばれている』。
脳。思念。制御。『■■■■■』――
暗闇に響くノイズ交じりの音声が混濁し、掠れ、徐々に遠のくと同時に、視界に少しずつ光が戻る。
しかし――脳が認識したのは巨大機体から照射された黄色の光ではなく、一面に立ち込める白い靄。
誰かが何かを見せようとしている前兆。現実の視界と肉体から離れた、或いは切り離した脳を取り込む世界の導入。
今までと異なるのは、これまで脳を覆っていた不可視の思念を知覚出来ないこと。
故に今回は恐らく肉体の……部下の干渉はない。
では、今この場を支配し、見せる情報を制御するのは誰か――否、『何』か。
数刻前であれば思索を巡らせていた筈の脳は、既に思考を停止していた。
ゆっくりと、引きずられるままに下降する。
阻むものはなく、警告音も鳴りを潜めている。
かつて脳の来訪を拒絶した「暗い廊下」まであっさり辿り着くと、乾いたシャッター音を立てて景色が切り替わった。
映し出されたのは白い空間。粉塵に塗れた屋外ではなく、空調の効いた室内らしい。
上方に取り付けられた白色灯が、場に存在する人間を照らし出す。
彼らが纏うのは防塵スーツではなく白衣……のようだが、白と呼ぶには色がくすみ褪せている。
その上に時折緑がかった影が揺らめく――そう認識した時には、白衣も、壁も、白色灯も、視界全体がうっすらと緑に染まっていた。
ごぼり。
下方から吐き出された巨大な泡が、視界を歪めて上方へと消えた。
行き来する人間の形が左右に伸縮する。
気付けば数人の視線が『こちら』に向けられている。顔は判別出来ないが、どことなく見覚えがあるように思える輪郭。
そのうち一人の口が動いたが、声と思しき音は間延びし、言葉としては聞き取れない。
『こちら』を指し示す手。メモを取る人間。
脳は思考する意志すら持たず、映し出される光景をただ見ていた。
やがて一人の男が眼前に立ち、パネルを操作する。
数条の光線が奔ると同時に、視界に別の光景が重なる。
数秒ずつ差し込まれる、断片的で脈絡のない映像。
それらは切り替わる間隔を狭め、秒間60、120、240――そして脳の処理上限を……超えた。
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「――――」
――呼ばれている。
気付けば視点は『C.C.』の操縦棺内部に戻り、正面には先程より距離を縮めた巨大機体と表面の『目』、ゆっくりと蠢く触腕が映っていた。
アーロと呼ばれていた男の機体との通信は切断されており、モニタを覗いてもそれらしい機影が確認出来ない。
しかし、彼の顛末に気を払う者はいない。脳の意識は、他機体を介さずに『C.C.』と視界を染め上げる黄の光にのみ向けられていた。
装甲に点在する無数の『目』が光を放つ。
脳が肉体の目を通じて認識しているはずの光は、脳に直接照射されているように鮮烈で、かつ記憶にあるどの光よりも暖かく柔らかい。
郷愁に似た感覚を呼び起こされ、光に意識を絡め取られ、呼応しそうになった時。
光の中に、走馬灯を思わせる映像が次々と投影され始めた。
*フラッシュバックと記憶の連環に奈落が口を開け。
見覚えのない機体。グレムリンの成れの果て。
否、識っている。中身を視た。白く沈む夢。死者を再現した機械音声。人型の靄。
操縦棺が棺たる所以。墓標。逝き場を無くした機体と魂の集積場。
見知った傭兵が未識別機動体の操縦棺をこじ開けた時に覚えた、強烈な既視感と違和感。
酷似した光景。何時。データ。何処で。シミュレータ。接続。『何度も』。
*希望を謳う檻から霧が誘う。
ダスト・グレムリンによる再製を待つ世界。理を外れ綻び増殖するバグ。
傭兵達が恐れた未識別機動体と、死して尚動く存在と向かい合う。
やがて、言葉を持たぬ巨大機体が呼び掛ける。意志疎通と呼ぶには一方通行の、光に宿った思念が脳髄に流し込まれ――鮮明に理解する。
*捻くれた傷跡を広げて明滅する光は赤に青に黄に。
不具合の結実たる我等が融合体の一部と成りたいと願うのならば。
……お前も我々と同類であるならば、こちらへ来い。
手を伸ばせ、さすれば受け容れられん。
――『呼ばれている』、
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「――――」
何を思考出来る訳でもなかった。
ニューロンが焼き切れる程の衝動に、呼ばれるままに『手』を伸ばす。
脳が鎮座する肉体は動かない。しかし、その肉体を擁する機体は駆動した。
今や脳は肉体に依ることなく、搭乗グレムリン『C.C.』を制御下に置いていた。
脳内で思念が反響する。
――――手を伸ばせ。
前方に『C.C.』の右手が映し出される。
生身の人間と比較して遥かに巨大な手。
しかし――大振りの電磁ブレードを握りしめていたはずのその手には、何も握られていない。
ワイヤーで牽引されるようにぎこちなく、無防備に開かれた掌が巨大機体へと伸ばされる。
……肉体は、その動作を止める術を持たなかった。
――手を■■せ、
目前の機体からは、仲間の来訪を歓迎すべく触腕が伸び、『C.C.』の右手を受け止める。
そのまま右腕全体に絡み付くと、関節部の強度を確認するように撫でる。
脳は、肉体の口が大きく開かれ、喉奥から咆哮が迸っている事にも気付かない。気付けない。
そして。
――『手を寄越せ』。
触腕が、右肘から先を折り取った。
アラートで真っ赤に染まるモニタの向こうで、外気に晒された上腕内部が火花と液体を散らす。
間髪を入れずに、触腕が断面から侵入を始める。
ぎちぎちと音を立て、右肩から体部へ到達し、操縦者を取り込むべく。
肉体に激痛が走る。しかし脳にその痛みは届かない。
失った右腕ではなく、侵入してきた触腕にのみ向けられる意識。
その先端が機体に入り込み、肩部に到達したのを合図に、脳が干渉を開始した。
――捕獲。対象: 『■■■■■』――識■■■■一致。
思念接続開始。認■エラー――■■――クリア。■■■――■握。
■■■■■■■■■■――
――『成功』。
その途端、巨大機体がぴたりと停止した。
蠢いていた触腕は微動だにしなくなり、放たれていた光は急速に力を失っていく。
脳が駆動する。流れ込む膨大な情報を処理し、制御し、思念をシンクロさせる。
そして、数分の間の後――巨体が動作を再開した。
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巨大機体の最上部。『口』の外郭がぎこちなく動き、内包した砲口を露わにする。
しかし、エネルギーを放出する気配はない。代わりに発されたのは軋んだ音。
何重にもひび割れたノイズが周囲一帯に響き渡る。少し間を置いて『口』を開閉すると、ア、だとかウ、に近い音が漏れる。
発声練習と呼べそうな動作を数度繰り返した巨大機体は、やがて緩慢ながらはっきりと、一音一音区切りながら――予めそう動作するようプログラムされていたかのように『言葉』を発した。
し、ン、ク、れ、ン、り、ノ――
――――『真紅連理のために』。
次の瞬間。
まるでその言葉を待っていたかのように、グレムリンが次々と姿を現す。
その数7機。たった今増援として到着したのか、或いはステルス状態で様子を窺っていたのか。
明白なのは、全ての機体に真紅連理所属を表す輝かしいエンブレムが刻まれていることだけだった。
巨大機体は動かない。同様に『C.C.』も静止している。
統率の取れた動きで周囲に展開した機体群は、巨大機体の破壊ではなく捕縛を試みているように見えた。
攻撃を加えないのは接続中の『C.C.』への配慮か――と思われたのも束の間、一機が右腕側に接近する。
そのまま触腕がめり込んだ右上腕部――巨大機体との接合部を固定し、拘束する。
外部干渉により接続が乱れ、脳と巨大機体間を流れる思念が僅かに弱まった。
と、突然『C.C.』が暴れ出した。
肉体による抵抗。両機体に接続した脳から強引に『C.C.』の制御権を奪い取り、操縦レバーを握り込むと、右肩を巨大機体と真紅連理機から引き剥がすべく乱暴に機体を捻る。
程なくして、ブチブチと音を立てて巨大機体と『C.C.』の右腕が離れた。
断面からは千切られた触腕が幾本も垂れ、砕けた上腕部の欠片が粉塵を映して零れ落ちる。
バランスを崩し左に機体を傾けながら、辛うじて無事な左手で握った速射砲を振り回し、追ってくる真紅連理機に機関砲を向け、照準を合わせないまま発射する。
至近距離にいたのは1機のみだが、異変に気付いたらしい6機が遅れて向かってくるのが見えた。
閃く光線。追尾型ミサイルの発射音。回避。回避――被弾。
直撃は免れているものの、装甲の損傷は徐々に程度を増す。
機体が衝撃を受ける度、肉体が軋む。全身が熱を帯び、刺すような痛みと共に傷跡が疼く。
更に数十秒後。巨大機体が唸り声を上げると、砲撃に加え黄の光が追ってきた。
――脳は思念切断のショックから復帰していない。その前に光から逃れなければ。
機体は中空を闇雲に駆け、僅かに緩んだ攻撃の合間を縫い、絶え間ない激痛に襲われながら、ただ全てを振り切るようにその場から離脱を試みた。
やがて、『C.C.』は思念に融けるように行動を停止し、視界が暗転し――
◆10回更新の日記ログ
※PL多忙につき日誌絵が間に合いませんでした。スミマセン!
瞬きをして目を凝らすと、『それ』は異様な姿で周囲を圧倒していた。
黒く沈んだ影の如き巨体に点在する、黄色く浮かび上がる目のような発光部。
最上部には幾つものパーツが繋ぎ合わされ、巨大な頭部を構成していた。
腕部や脚部に無秩序に埋め込まれた破片は、それらがかつて別々に空を駆けた機体であったことを示している。
グレムリンの成れの果てとでも呼ぶべき歪な存在が、「口」を開けて咆哮した。
大気中に高濃度で存在する赤い粉塵を切り裂き、光線が放たれる。
運悪く射線上で飲み込まれたグレムリンは跡形もなく消え――たかと思いきや、光が収まった後もその場に在った。
しかし、灯っていた筈のランプは悉く消えている。
その機体は不気味な沈黙を保ったまま、吸い寄せられるように『それ』へと近付いていった。
両者の距離が5メートルを切ると、『それ』の巨大な腕部が触腕状に変形し、グレムリンを出迎えるように包み込む。
次の瞬間、乾いた音と共にグレムリンの装甲が剥がされた。
右腕が捥げ、頭部が毟られ、左脚が折り取られ、胸部が触腕に貫かれる。
操縦棺の緊急射出の痕跡はない……どころか、脱出を試みてすらいないだろう。
砕けた部位に留まっていた筈の操縦者の悲鳴は、聞こえなかった。
******
(何だコイツは。何が起きてやがる)
『それ』は、通常のグレムリンによる攻撃をものともしなかった。
哨戒部隊と思しき一隊が巨大機体を取り囲み、何処かへ信号を飛ばしながら、打撃、砲撃、斬撃を次々と放つ。
そのいずれもが外殻を僅かに穿てど、停止させるには至らない。
群がり火花を散らしていた機体は徐々に勢いを失い、一機、また一機と閃光に飲み込まれていく。
光を失ったグレムリンは例外なく、巨大機体に吸い寄せられる。
強大な存在に自らの身を捧げて贄とするように。
『それ』は自発的に近付いて来た機体を解体し、貪るようにパーツを取り込み、内外に装着しながら、
その巨体を少しずつ膨らませていった。
(……どうしろってんだよ)
男は一部始終を目にしながら動けない。
僅かに距離があるためか、男の乗る『C.C.』はまだ攻撃対象に選ばれてはいないようだ。
しかし――恐らくは時間の問題だろう。
通信機を介して伝わるフレームの破砕音、次第に数を減らしてゆく人間の怒号と悲鳴。
その中には、『C.C.』をこの場へと誘導したジャンクテイマーのものも含まれていた。
2機は『C.C.』の付近にはおらず、巨大機体を挟んで旋回するように飛翔していた。
どういうつもりだ、と訝しんだ瞬間、通信機から口論する声が響き渡った。
「アーロ!どういう事よ、コイツはまだ覚醒状態にない筈でしょ!?何で私達を襲ってくるの!?」
「どうした。今更怖気付いたのか?遅かれ早かれ起動すると伝えた筈だが」
「こんなに早いなんて聞いてないわよ、接続する隙もないじゃない!」
そう叫びながら、片方の機体が巨大機体の背――『口』の反対側に接近しては離れ、を繰り返している。
動きに疲労が滲み始め、グレムリンが半分以下に数を減らした頃、二機が接近した。
「ああもう、何のための餌よ!私達が近付けなきゃ意味が――」
「……ああ、そういえば言っていなかったか」
次の瞬間。
片方の機体が、もう片方の機体を抱え込む。
「ちょっと、何する気……」
「残念だが――」
その言葉と共に、抱えられた機体が巨大機体に向けて投げ飛ばされる。
「ひ、」
「――お前も餌だ、とな」
機体はそのまま、巨大機体の『口』の付いた面に吸い込まれる。
『それ』は同じように触腕を伸ばして受け止め、取り込み、解体した。
通信機から響いてきた絶叫は、やがて聞こえなくなった。
******
「……テメエ、」
無意識のうちに、口から声が漏れていた。
「何してやがる。随分と連携が取れてねえじゃねえか」
「何……ふむ。我々の目的のために、俺が今すべき事をした。それだけだ」
「仮にも仲間を騙してあのデカブツに食わせる事がか?胸糞悪ィ」
「騙す……騙す、か。お前から見ればそうなるか。
アニーは――あの女は思い違いをしていた。組織に所属した時点で覚悟を決めておくべきだった。
いくら正義を謳おうと、自分だけが安全地帯に身を置ける訳がない」
テメエもだろうが、と呟いた男の言葉は、相手の飛翔音に掻き消される。
「俺の仕事は、今ここであの融合体を消滅させる事ではない。
そしてどうやら、お前を直接殺す事でもないようだ」
そう呟くと、その機体はゆっくりと巨大機体に接近する。
「おい、気でも触れ――」
「よく聞け。S.Owen――いや。Shawn O'brien、と呼ぶべきか。
『アーユス』はお前を許さない。そして間接的にではあるが、俺も」
巨大機体から伸びた触腕が、相手の機体を捉える。
『それ』を取り囲んでいた筈の一隊は、いつの間にか一機も見当たらなくなっていた。
「……、」
第三者だと思っていた相手の口から告げられた名が、脳内で反響する。
(――ショーン・オブライエン。
聞き間違いじゃねえなら、コイツは今そう言ったな)
思い出せる範疇にある、自身の次に鮮明に記憶している名前。
(チッ。知ってやがんのか。ソイツは「俺」の部下の……この肉体の持ち主の名だ)
暫し考えた後、観念したように溜息を吐く。
「……知り合いかよ。生憎こちとら覚えてねえが」
「お前の状態は識っている。『脳』であるお前とは初対面だが、『肉体』には因縁がある」
相手の言葉の裏で、バキバキと破砕音が響く。
モニタの隅に通話画面を呼び出すと、背景となる操縦棺内は既に侵食が始まっていた。
相手は、己の機体が体積を減らし、操縦棺ごと取り込まれ、触腕が首に絡み付こうと一向に動じない。
取るべき行動が見いだせず、距離を保ったまま悍ましい光景を睨み付けていると、ところで、とその口が動いた。
「アーユス、の名に聞き覚えはあるか」
「……ねえよ。何だそりゃ」
「そうか。それは……悲しむだろうな」
ふ、と笑い声が聞こえた瞬間、相手の頭部が青く発光した。
「やはり――これが正しい歴史であるべきではない。
知りたいか、お前の過去を。この世界で、お前が何者であるかを」
「……、テメエに教えられる筋合いはねえが、知りたくねえっつったら嘘になる」
「恐らくは知るべきだ。知ってこそ、先の選択に繋がる。であれば――」
相手の頭頂から触腕が突き出る。
声はノイズと共に形を失い、画面を満たす青白い光はやがて黄色に染まった。
相手の影が、光の中に融けてゆく。
(……?)
画面から放たれる光を浴びた男は、奇妙な感覚を覚えた。
巨大機体の表面に点在する『目』が、男と『C.C.』を見据えている。
しかし、その視線からは敵意を感じない。
伸ばされる触腕を視認しても、攻撃、回避、いずれの行動も取る気にならなかった。
(何だ、この感覚は……懐かしい?いや――)
肉体が疼く。脳が動かないのなら己が動く、とでも言うように。
そして。
(――『呼ばれている』?)
脳がそう気付いた瞬間。
今まで『奇跡的に』人格を保ったまま稼働し続けていた脳は、一切の思考を停止した。
【D■y 9】
――脳は、傷跡の疼きを感じない。
肉体の知覚しうる一切が、脳に届かず反射する。
頭部と左手を焼く痛みは、今や脳を匿う肉体だけに襲いかかる。
――脳と肉体が乖離する。
意味するところは、各々の孤立。
何も映さない暗闇の中で、音声が切れ切れに響く。
「ああ、そのツラだ。見覚えがある。■■■を俺■■■供したのはお前だろう?」
「識■■■lija■、PX-0522■■■キュリ■■を突破、隔■■■■ン――思念接続成功。仮■■■機構: ■■■の掌握を試みます」
「我々は『■■■■■』を、■■■■確認し得る最■■■のバグを■■■■め、制御する」
「世界は我々の手の内に、■■■■も■■も意のままに」
脳の記憶にない言葉が飛び交う。脳はただそれを投影しては聞き流す。
今まで脳を覆ってきた肉体による干渉は、その場に存在しなかった。
瞬きをして目を凝らすと、『それ』は異様な姿で周囲を圧倒していた。
黒く沈んだ影の如き巨体に点在する、黄色く浮かび上がる目のような発光部。
最上部には幾つものパーツが繋ぎ合わされ、巨大な頭部を構成していた。
腕部や脚部に無秩序に埋め込まれた破片は、それらがかつて別々に空を駆けた機体であったことを示している。
グレムリンの成れの果てとでも呼ぶべき歪な存在が、「口」を開けて咆哮した。
大気中に高濃度で存在する赤い粉塵を切り裂き、光線が放たれる。
運悪く射線上で飲み込まれたグレムリンは跡形もなく消え――たかと思いきや、光が収まった後もその場に在った。
しかし、灯っていた筈のランプは悉く消えている。
その機体は不気味な沈黙を保ったまま、吸い寄せられるように『それ』へと近付いていった。
両者の距離が5メートルを切ると、『それ』の巨大な腕部が触腕状に変形し、グレムリンを出迎えるように包み込む。
次の瞬間、乾いた音と共にグレムリンの装甲が剥がされた。
右腕が捥げ、頭部が毟られ、左脚が折り取られ、胸部が触腕に貫かれる。
操縦棺の緊急射出の痕跡はない……どころか、脱出を試みてすらいないだろう。
砕けた部位に留まっていた筈の操縦者の悲鳴は、聞こえなかった。
******
(何だコイツは。何が起きてやがる)
『それ』は、通常のグレムリンによる攻撃をものともしなかった。
哨戒部隊と思しき一隊が巨大機体を取り囲み、何処かへ信号を飛ばしながら、打撃、砲撃、斬撃を次々と放つ。
そのいずれもが外殻を僅かに穿てど、停止させるには至らない。
群がり火花を散らしていた機体は徐々に勢いを失い、一機、また一機と閃光に飲み込まれていく。
光を失ったグレムリンは例外なく、巨大機体に吸い寄せられる。
強大な存在に自らの身を捧げて贄とするように。
『それ』は自発的に近付いて来た機体を解体し、貪るようにパーツを取り込み、内外に装着しながら、
その巨体を少しずつ膨らませていった。
(……どうしろってんだよ)
男は一部始終を目にしながら動けない。
僅かに距離があるためか、男の乗る『C.C.』はまだ攻撃対象に選ばれてはいないようだ。
しかし――恐らくは時間の問題だろう。
通信機を介して伝わるフレームの破砕音、次第に数を減らしてゆく人間の怒号と悲鳴。
その中には、『C.C.』をこの場へと誘導したジャンクテイマーのものも含まれていた。
2機は『C.C.』の付近にはおらず、巨大機体を挟んで旋回するように飛翔していた。
どういうつもりだ、と訝しんだ瞬間、通信機から口論する声が響き渡った。
「アーロ!どういう事よ、コイツはまだ覚醒状態にない筈でしょ!?何で私達を襲ってくるの!?」
「どうした。今更怖気付いたのか?遅かれ早かれ起動すると伝えた筈だが」
「こんなに早いなんて聞いてないわよ、接続する隙もないじゃない!」
そう叫びながら、片方の機体が巨大機体の背――『口』の反対側に接近しては離れ、を繰り返している。
動きに疲労が滲み始め、グレムリンが半分以下に数を減らした頃、二機が接近した。
「ああもう、何のための餌よ!私達が近付けなきゃ意味が――」
「……ああ、そういえば言っていなかったか」
次の瞬間。
片方の機体が、もう片方の機体を抱え込む。
「ちょっと、何する気……」
「残念だが――」
その言葉と共に、抱えられた機体が巨大機体に向けて投げ飛ばされる。
「ひ、」
「――お前も餌だ、とな」
機体はそのまま、巨大機体の『口』の付いた面に吸い込まれる。
『それ』は同じように触腕を伸ばして受け止め、取り込み、解体した。
通信機から響いてきた絶叫は、やがて聞こえなくなった。
******
「……テメエ、」
無意識のうちに、口から声が漏れていた。
「何してやがる。随分と連携が取れてねえじゃねえか」
「何……ふむ。我々の目的のために、俺が今すべき事をした。それだけだ」
「仮にも仲間を騙してあのデカブツに食わせる事がか?胸糞悪ィ」
「騙す……騙す、か。お前から見ればそうなるか。
アニーは――あの女は思い違いをしていた。組織に所属した時点で覚悟を決めておくべきだった。
いくら正義を謳おうと、自分だけが安全地帯に身を置ける訳がない」
テメエもだろうが、と呟いた男の言葉は、相手の飛翔音に掻き消される。
「俺の仕事は、今ここであの融合体を消滅させる事ではない。
そしてどうやら、お前を直接殺す事でもないようだ」
そう呟くと、その機体はゆっくりと巨大機体に接近する。
「おい、気でも触れ――」
「よく聞け。S.Owen――いや。Shawn O'brien、と呼ぶべきか。
『アーユス』はお前を許さない。そして間接的にではあるが、俺も」
巨大機体から伸びた触腕が、相手の機体を捉える。
『それ』を取り囲んでいた筈の一隊は、いつの間にか一機も見当たらなくなっていた。
「……、」
第三者だと思っていた相手の口から告げられた名が、脳内で反響する。
(――ショーン・オブライエン。
聞き間違いじゃねえなら、コイツは今そう言ったな)
思い出せる範疇にある、自身の次に鮮明に記憶している名前。
(チッ。知ってやがんのか。ソイツは「俺」の部下の……この肉体の持ち主の名だ)
暫し考えた後、観念したように溜息を吐く。
「……知り合いかよ。生憎こちとら覚えてねえが」
「お前の状態は識っている。『脳』であるお前とは初対面だが、『肉体』には因縁がある」
相手の言葉の裏で、バキバキと破砕音が響く。
モニタの隅に通話画面を呼び出すと、背景となる操縦棺内は既に侵食が始まっていた。
相手は、己の機体が体積を減らし、操縦棺ごと取り込まれ、触腕が首に絡み付こうと一向に動じない。
取るべき行動が見いだせず、距離を保ったまま悍ましい光景を睨み付けていると、ところで、とその口が動いた。
「アーユス、の名に聞き覚えはあるか」
「……ねえよ。何だそりゃ」
「そうか。それは……悲しむだろうな」
ふ、と笑い声が聞こえた瞬間、相手の頭部が青く発光した。
「やはり――これが正しい歴史であるべきではない。
知りたいか、お前の過去を。この世界で、お前が何者であるかを」
「……、テメエに教えられる筋合いはねえが、知りたくねえっつったら嘘になる」
「恐らくは知るべきだ。知ってこそ、先の選択に繋がる。であれば――」
相手の頭頂から触腕が突き出る。
声はノイズと共に形を失い、画面を満たす青白い光はやがて黄色に染まった。
相手の影が、光の中に融けてゆく。
(……?)
画面から放たれる光を浴びた男は、奇妙な感覚を覚えた。
巨大機体の表面に点在する『目』が、男と『C.C.』を見据えている。
しかし、その視線からは敵意を感じない。
伸ばされる触腕を視認しても、攻撃、回避、いずれの行動も取る気にならなかった。
(何だ、この感覚は……懐かしい?いや――)
肉体が疼く。脳が動かないのなら己が動く、とでも言うように。
そして。
(――『呼ばれている』?)
脳がそう気付いた瞬間。
今まで『奇跡的に』人格を保ったまま稼働し続けていた脳は、一切の思考を停止した。
【D■y 9】
――脳は、傷跡の疼きを感じない。
肉体の知覚しうる一切が、脳に届かず反射する。
頭部と左手を焼く痛みは、今や脳を匿う肉体だけに襲いかかる。
――脳と肉体が乖離する。
意味するところは、各々の孤立。
何も映さない暗闇の中で、音声が切れ切れに響く。
「ああ、そのツラだ。見覚えがある。■■■を俺■■■供したのはお前だろう?」
「識■■■lija■、PX-0522■■■キュリ■■を突破、隔■■■■ン――思念接続成功。仮■■■機構: ■■■の掌握を試みます」
「我々は『■■■■■』を、■■■■確認し得る最■■■のバグを■■■■め、制御する」
「世界は我々の手の内に、■■■■も■■も意のままに」
脳の記憶にない言葉が飛び交う。脳はただそれを投影しては聞き流す。
今まで脳を覆ってきた肉体による干渉は、その場に存在しなかった。
◆9回更新の日記ログ
【Day 8】
「上長。あなたには迷いがありませんね。
敵機の撃墜は勿論、グレムリンを駆る戦場での一切に対する躊躇がない」
鼓膜が捉えた部下の声に、目線を――否、顔を上げる。
視点のみで空間を彷徨っていたはずの脳は、いつの間にか肉体を知覚出来るようになっていた。
(――だが、)
視界に映ったのは部下の姿。頭部に傷はなく、眉根は僅かに寄せられている。
「無人機は無論のこと、人の乗る機体であっても、あなたは容赦なく撃ち抜き、炎上させ、再起不能に陥らせて初めて攻撃の手を止める」
柔らかく穏やかに告げられる言葉は、しかし普段より声量が少ない。
(……こいつがいるってこたあ現実じゃねえな。
畜生。何だって記憶が戻るタイミングはいつも間が悪いんだ、今過去に浸ってる場合じゃねえってのに――)
悪態を吐く胸中とは裏腹に、口はひとりでに言葉を紡ぐ。
「何当然のこと言ってやがんだ?先に墜とさなきゃこっちが墜とされんだろうが。
戦場での迷いは即命取りだろ。ンな暇があんなら一人で二機操る訓練でもした方がまだマシだ」
呆れたように吐き捨てると、嘲笑に似た調子で続ける。
「それとも何だ、有人機には情けをかけろってのか。俺やお前の命を狙う相手に?」
「……そうではありません。所感を述べたまでです。俺は、あなたのそういった部分を崇敬していますので」
あくまで調子を変えずに、しかし目を伏せて告げられる言葉が妙に癪に障る。
部下を睨み付けながら、ゆっくりと問い掛ける。
「じゃあ、お前は何に対して迷ってんだ。今更怖気付いたのか」
「……」
部下からの返答は時間を要した。
やがて、その口から躊躇いがちに低い声が漏れる。
「怖い、という感情は否定出来ません。
……俺が死ぬことへの恐怖は微々たるものです。他人が死ぬ事にも慣れてしまった。
ただ、俺やあなたのグレムリンが持つ……容易に全てを奪い、世界を壊しかねない力に対して、時折……ほんの時折、恐ろしくならない瞬間がないと言えば嘘になります。一介の人間が操るには、この力は大きすぎるのではないかと」
最後の言葉を聞き終える前に、自らの身を部下めがけて躍らせる。
鼻先が触れるほど近くに詰め寄ると、驚きに見開かれた相手の瞳を見据える。
「おい。お前、やっぱり俺に合わせて無理してんじゃねえのか。
力を振るうのが嫌なら、人や世界を壊したくねえなら、グレムリンを棄てろ」
「……、」
「生半可な覚悟で戦ってんなら尚更だ。そんなザマじゃ、次の戦場で真っ先にお前が死ぬぞ」
相手の瞳に映る憂いが濃さを増す。
しかし、その瞳が逸らされることはなく、暗い光を湛えたまま見つめ返してくる。
暫く睨み合った後、深い溜息と共に目を閉じて一歩を退く。
「チッ。覚悟が決まってんだか決まってねえんだか。
分かったよ。死ぬも生きるも勝手にしやがれ」
舌打ちをひとつすると、相手を視界から外すように目を逸らす。
「それに。お前はともかく、俺が迷わねえのは当然だ。
根本的な事を言や、お前は■■■■■で、俺は――――」
言葉は突如強まったノイズにかき消される。視界は細かな黒色の矩形に穿たれ始め、その色はやがて全体を覆い尽くした。
******
(く、そ)
重要であろう言葉を聞き逃した事に対する悪態を吐く前に、肉体は再び存在を失い、脳は視点だけの存在に成る。
どこか穏やかな黒に落ちた世界に、モニタひとつ分の光が灯る。
「認証に成功。思念接続を開始……」
聞き慣れた音が響くと同時に、その光はぼんやりと拡散し、一人の傭兵の姿を映し出す。
「……やぁ、また会ったな」
これまで幾度となく目にした姿と耳にした声を伴って。
その傭兵――グレイフロッグ隊の生き残り、ジェトは語り始める。
この世界が、正しき歴史を迎えるため何度もループしている事。
フヌに対する後悔、世界の真実に対する迷い。
繰り返す世界の中で戦い続け、記憶を失くし続けながらも、彼は『何か』に気付いていた。
******
「……?」
奇妙な感覚があった。
彼の語る世界の理は途方もない。
そのはずなのに、どこか腑に落ちたような。
(……ダスト・グレムリンは、覚醒後数百年前に渡って、世界再製を繰り返している。
グレムリンの持つ、世界干渉能力に並ぶ重要な特性――世界再構築シミュレーション能力を駆使して)
辞書の文言をそのまま引用したような知識が、『脳』から引き出される。
(クソ。「俺」自身の記憶は飛んでるくせに、何でこの辺の事は覚えてやがんだよ。
話に聞いちゃいたが、俺自身がその渦中にいると考えるとぞっとしねえ。だが……)
理解を超えるものに触れた時、人間は少なからず衝撃を受ける。
しかし、脳を揺るがされるような違和感もなく、肉体が熱を帯びることもなかった。
まるで、何度も同じ内容を聞き、慣れてしまったかのように。
(……俺がこうして落ち着いてられんのが何よりの証拠ってことか)
舌打ちをしようにも動かせる口がなく、仕方なく空間に響くジェトの声に身を委ねる。
******
彼の声は、世界を俯瞰するように響き続けた。そして。
「今度こそ、俺はもう『迷わない』――」
その言葉と共に、傭兵の声は徐々に霧散していく。
(迷わない……か)
人型を成さない光を映すのみとなったモニタを見つめ、最後に聞き取れた言葉を反芻するうち、微かな諦観が湧き上がるのを感じた。
(迷えねえんだよ、俺は。
迷うには、俺はあまりに過去を知らねえ。判断材料が足りなすぎる。
だから知りてえってのに、お前はそれを許さねえんだろ。何だか知らねえが)
聞こえる声のなくなった空間で、姿は見えずとも存在するであろう相手に対して凄む。
当然のように返事はない――が、空間に浮かぶ光が僅かに揺らめいたように見えた。
(しかし……この世界は何のために巻き戻ってやがんだ。
正しい世界?浄化?言葉そのものは何度も聞いてんだろう……が、分からねえ。
誰に――いや、「何」にとっての正しさだ。粉塵を除去するってんならまだ分かるが、その程度なら世界ごとやり直す必要はねえだろ)
その問いは言葉にならない。
抱いた疑問は脳内に渦巻いたまま。
氷解させられるとすれば恐らくは、フヌが待ち、ジェトが告げた約束の地――
(……タワーか)
グレムリン『C.C.』を見つけたのは、タワー付近の寂れたガレージだ。
それ以前もタワーで生活していたはずだが、「神秘工廠ゼラ」という名は聞いたことがなかった。
(いや……先の会話を何度もしてるってんなら、「少なくとも今回は」、が正しいのか?
どっちでも構わねえが、どのみち俺はこの空間から出る必要がある。
でないと、何も知らねえままだ。そいつは……どうにも腹が立つ)
そこまで考えると、声にならないことを知りながら、誰もいない空間に向けて叫ぶ。
「おい。俺をこの空間から連れ出せ。今すぐにだ。
聞いてんだろ、俺の目に過保護な覆いをかけてるお前だ」
声にならない声は脳内に反響する。
「お前でも、あのAIでも変わらねえ……誰かが視て願った可能性に、情報を隠されたまま導かれてんのが気に食わねえ。
どうしても知られたくねえ事があるってんならせめて、現在くらいは俺の目で見極めさせろ。
今この瞬間を生きてんのは、「俺」なんだからよ」
強く念じると、未だ淡い光を放っていたモニタがぐにゃりと歪む。
記憶の中で見た部下の瞳と似た色を投射しながら、光は徐々に膨らみ、視界を覆い尽くし――やがて泡のように弾けた。
******
瞬きを何度かした後、今度こそ目を開く。
長い事潜っていた空間を抜け、自身にとっての現在を視界に映すべく。
――そこに広がっていたのは、ジャンクテイマーや傭兵達を巨大未識別融合体が蹂躙する、阿鼻叫喚の光景だった。
「上長。あなたには迷いがありませんね。
敵機の撃墜は勿論、グレムリンを駆る戦場での一切に対する躊躇がない」
鼓膜が捉えた部下の声に、目線を――否、顔を上げる。
視点のみで空間を彷徨っていたはずの脳は、いつの間にか肉体を知覚出来るようになっていた。
(――だが、)
視界に映ったのは部下の姿。頭部に傷はなく、眉根は僅かに寄せられている。
「無人機は無論のこと、人の乗る機体であっても、あなたは容赦なく撃ち抜き、炎上させ、再起不能に陥らせて初めて攻撃の手を止める」
柔らかく穏やかに告げられる言葉は、しかし普段より声量が少ない。
(……こいつがいるってこたあ現実じゃねえな。
畜生。何だって記憶が戻るタイミングはいつも間が悪いんだ、今過去に浸ってる場合じゃねえってのに――)
悪態を吐く胸中とは裏腹に、口はひとりでに言葉を紡ぐ。
「何当然のこと言ってやがんだ?先に墜とさなきゃこっちが墜とされんだろうが。
戦場での迷いは即命取りだろ。ンな暇があんなら一人で二機操る訓練でもした方がまだマシだ」
呆れたように吐き捨てると、嘲笑に似た調子で続ける。
「それとも何だ、有人機には情けをかけろってのか。俺やお前の命を狙う相手に?」
「……そうではありません。所感を述べたまでです。俺は、あなたのそういった部分を崇敬していますので」
あくまで調子を変えずに、しかし目を伏せて告げられる言葉が妙に癪に障る。
部下を睨み付けながら、ゆっくりと問い掛ける。
「じゃあ、お前は何に対して迷ってんだ。今更怖気付いたのか」
「……」
部下からの返答は時間を要した。
やがて、その口から躊躇いがちに低い声が漏れる。
「怖い、という感情は否定出来ません。
……俺が死ぬことへの恐怖は微々たるものです。他人が死ぬ事にも慣れてしまった。
ただ、俺やあなたのグレムリンが持つ……容易に全てを奪い、世界を壊しかねない力に対して、時折……ほんの時折、恐ろしくならない瞬間がないと言えば嘘になります。一介の人間が操るには、この力は大きすぎるのではないかと」
最後の言葉を聞き終える前に、自らの身を部下めがけて躍らせる。
鼻先が触れるほど近くに詰め寄ると、驚きに見開かれた相手の瞳を見据える。
「おい。お前、やっぱり俺に合わせて無理してんじゃねえのか。
力を振るうのが嫌なら、人や世界を壊したくねえなら、グレムリンを棄てろ」
「……、」
「生半可な覚悟で戦ってんなら尚更だ。そんなザマじゃ、次の戦場で真っ先にお前が死ぬぞ」
相手の瞳に映る憂いが濃さを増す。
しかし、その瞳が逸らされることはなく、暗い光を湛えたまま見つめ返してくる。
暫く睨み合った後、深い溜息と共に目を閉じて一歩を退く。
「チッ。覚悟が決まってんだか決まってねえんだか。
分かったよ。死ぬも生きるも勝手にしやがれ」
舌打ちをひとつすると、相手を視界から外すように目を逸らす。
「それに。お前はともかく、俺が迷わねえのは当然だ。
根本的な事を言や、お前は■■■■■で、俺は――――」
言葉は突如強まったノイズにかき消される。視界は細かな黒色の矩形に穿たれ始め、その色はやがて全体を覆い尽くした。
******
(く、そ)
重要であろう言葉を聞き逃した事に対する悪態を吐く前に、肉体は再び存在を失い、脳は視点だけの存在に成る。
どこか穏やかな黒に落ちた世界に、モニタひとつ分の光が灯る。
「認証に成功。思念接続を開始……」
聞き慣れた音が響くと同時に、その光はぼんやりと拡散し、一人の傭兵の姿を映し出す。
「……やぁ、また会ったな」
これまで幾度となく目にした姿と耳にした声を伴って。
その傭兵――グレイフロッグ隊の生き残り、ジェトは語り始める。
この世界が、正しき歴史を迎えるため何度もループしている事。
フヌに対する後悔、世界の真実に対する迷い。
繰り返す世界の中で戦い続け、記憶を失くし続けながらも、彼は『何か』に気付いていた。
******
「……?」
奇妙な感覚があった。
彼の語る世界の理は途方もない。
そのはずなのに、どこか腑に落ちたような。
(……ダスト・グレムリンは、覚醒後数百年前に渡って、世界再製を繰り返している。
グレムリンの持つ、世界干渉能力に並ぶ重要な特性――世界再構築シミュレーション能力を駆使して)
辞書の文言をそのまま引用したような知識が、『脳』から引き出される。
(クソ。「俺」自身の記憶は飛んでるくせに、何でこの辺の事は覚えてやがんだよ。
話に聞いちゃいたが、俺自身がその渦中にいると考えるとぞっとしねえ。だが……)
理解を超えるものに触れた時、人間は少なからず衝撃を受ける。
しかし、脳を揺るがされるような違和感もなく、肉体が熱を帯びることもなかった。
まるで、何度も同じ内容を聞き、慣れてしまったかのように。
(……俺がこうして落ち着いてられんのが何よりの証拠ってことか)
舌打ちをしようにも動かせる口がなく、仕方なく空間に響くジェトの声に身を委ねる。
******
彼の声は、世界を俯瞰するように響き続けた。そして。
「今度こそ、俺はもう『迷わない』――」
その言葉と共に、傭兵の声は徐々に霧散していく。
(迷わない……か)
人型を成さない光を映すのみとなったモニタを見つめ、最後に聞き取れた言葉を反芻するうち、微かな諦観が湧き上がるのを感じた。
(迷えねえんだよ、俺は。
迷うには、俺はあまりに過去を知らねえ。判断材料が足りなすぎる。
だから知りてえってのに、お前はそれを許さねえんだろ。何だか知らねえが)
聞こえる声のなくなった空間で、姿は見えずとも存在するであろう相手に対して凄む。
当然のように返事はない――が、空間に浮かぶ光が僅かに揺らめいたように見えた。
(しかし……この世界は何のために巻き戻ってやがんだ。
正しい世界?浄化?言葉そのものは何度も聞いてんだろう……が、分からねえ。
誰に――いや、「何」にとっての正しさだ。粉塵を除去するってんならまだ分かるが、その程度なら世界ごとやり直す必要はねえだろ)
その問いは言葉にならない。
抱いた疑問は脳内に渦巻いたまま。
氷解させられるとすれば恐らくは、フヌが待ち、ジェトが告げた約束の地――
(……タワーか)
グレムリン『C.C.』を見つけたのは、タワー付近の寂れたガレージだ。
それ以前もタワーで生活していたはずだが、「神秘工廠ゼラ」という名は聞いたことがなかった。
(いや……先の会話を何度もしてるってんなら、「少なくとも今回は」、が正しいのか?
どっちでも構わねえが、どのみち俺はこの空間から出る必要がある。
でないと、何も知らねえままだ。そいつは……どうにも腹が立つ)
そこまで考えると、声にならないことを知りながら、誰もいない空間に向けて叫ぶ。
「おい。俺をこの空間から連れ出せ。今すぐにだ。
聞いてんだろ、俺の目に過保護な覆いをかけてるお前だ」
声にならない声は脳内に反響する。
「お前でも、あのAIでも変わらねえ……誰かが視て願った可能性に、情報を隠されたまま導かれてんのが気に食わねえ。
どうしても知られたくねえ事があるってんならせめて、現在くらいは俺の目で見極めさせろ。
今この瞬間を生きてんのは、「俺」なんだからよ」
強く念じると、未だ淡い光を放っていたモニタがぐにゃりと歪む。
記憶の中で見た部下の瞳と似た色を投射しながら、光は徐々に膨らみ、視界を覆い尽くし――やがて泡のように弾けた。
******
瞬きを何度かした後、今度こそ目を開く。
長い事潜っていた空間を抜け、自身にとっての現在を視界に映すべく。
――そこに広がっていたのは、ジャンクテイマーや傭兵達を巨大未識別融合体が蹂躙する、阿鼻叫喚の光景だった。
◆8回更新の日記ログ
凍てついた氷の大地の上で。
グレムリン『C.C.』は、ジャンクテイマーと思しき2機体と向かい合っていた。
両者の間には、救援物資の詰まったコンテナがひとつ。
その箱を手中に収めるべく『C.C.』を襲撃した2機のうち片方が、大きな溜息と共に口を開いた。
「何アンタ、どうでもいいのに渡さないってどういう事よ。面倒臭い男って言われない?」
「ア?殺してコンテナ奪い取ろうって相手とお喋り始めちまう方が面倒くせえんじゃねえの」
「はあ?あんまり舐めた口利かない方がいいわよ。
ただの野良傭兵の分際で私達に楯突いたら、痛い目見る程度じゃ済まないから」
「どうだかな。さっきの弾を外してる時点で、テメエらの腕なんざたかが知れてんだろうが。
っつかジャンクテイマーだろ?野良傭兵と大差ねえくせして口は達者なこって」
入った肉体が部下のものでなければ、きっちり被弾していたはずの男が嘲笑する。
「五月蠅いわね!いい気にならないでくれる?
私の優しさで命拾いしたことを喜ぶといいわ、ま、この後捨てる事になるでしょうけど」
「優しさだと?甘さの間違いだろ。狙いも肝も、喋ってる時間もな」
ぎり、と歯ぎしりが聞こえた後、暫しの間を置いて。
「あのねえ。私達には正義も流儀もあるの。
金さえ積まれれば頭カラッポにして動くオモチャみたいな野良傭兵とは違ってね」
「興味ねえな。戦場で正義が何になる?
金の分しか働かねえ傭兵の方がまだマシだ。ジャンク組織に魂売り渡してんなら、テメエらの方がオモチャに見えるぜ。
さしずめ――■■ジャンキーのイカれたバイオ兵器ってとこか?」
「このっ……!」
主砲を構えたグレムリンを、隣の機体が制した。
「待て。頭に血が上ったお前が撃つとろくな事にならん」
「アンタが先に死にたいの!?」
「騒ぐな。通信だ。コンテナは後回しでいい、動くぞ……」
そう言うが早いか、その機体は一気に距離を詰め、『C.C.』の懐に潜り込んで拳を叩き込もうとする。
迎撃態勢に移る余裕もなく、すんでのところで後方に回避した『C.C.』から舌打ちが響く。
「正義と流儀が何だって?大層な口ききやがって」
中空で一瞬静止して体勢を整えると、速射砲で牽制しつつ距離を取る。
別方向から『C.C.』に向かって飛来したミサイルが、機体を掠めて氷を抉った。
(鬱陶しいな。先に潰した方がいいのは……あっちか)
ちらと視界の端を見遣ると、次弾を躱しながら弧を描いて接近する。
しかし相手の移動が速く、狙いが定まらない。自棄気味に放った砲撃は難なく躱される。
その間に、もう一機が再び距離を詰めてきた。
(……クソ、何で俺はこんな重てえ機体に乗ってんだ!
あんな加速型、「俺」の機体なら敵じゃねえってのに)
追ってくるグレムリンを適当にいなし、蠅を払うように電磁ブレードを振り。
軽やかに――と呼べる動作とは程遠いが、相手を攪乱すべく縦横無尽に空を駆ける。
******
「――アンタ達なんか、」
ふと。
空気を軋ませ焼き切るような爆音を縫って、絞り出すような、掠れた呟きが聞こえた。
「どうせアンタみたいな野良傭兵なんか、この世界の理を何一つ知らずに、
『襲ってくるから』……ただそれだけの理由で、未識別機動体を迎撃してるんでしょ」
耳を貸す気もないはずの言葉に、勝手に意識が向く。
操縦を肉体に任せつつ、無言でモニタを見据える。
「さっきのコンテナだけど。生存に必要なものを自力で取りに来られないような、
――救援を待つだけの弱者がこの先見られるものなんて、死くらいしかないわ。
だから資源は私達が貰って、有効活用してあげるわけ」
諦観と使命感を溶かし込んだドロのような言葉が響く。
知らず知らずのうちに眉間に皺が寄り、眼光が鋭さを増す。
(……、)
苛立ちを覚えているようだった。
相手の語る内容も気に食わなかったが、それ以上に。
――相手の言う通り、『この世界の理を何一つ知らない』己に対して。
鼻をひとつ鳴らして悪態を吐く。
「……何でも知ってるみてえな言い草だな。カミサマにでもなったつもりか?」
「知ってるわよ。私は……いえ、『私達』は、知っていて行動している。
でもアンタに教えてやる義理はないから、大人しくついてきなさい」
そう告げられ、反射的に現在位置を確認する。
いつの間にか、コンテナの置かれた氷上から遠く離れた位置にいるようだ。
(チッ……やけに攻撃がぬるいと思ったが、誘導か。畜生、)
離脱を試みるべく描いたルートを遮り、示し合わせたように前後から銃弾が飛ぶ。
「お前は『餌』だ。何も知らない傭兵でも、それくらいの役割は果たせる」
「……餌だと?」
「そう。この先に在るもののための。そろそろ見えてくる頃合いよ」
――行く手に、巨大な黒い物体が聳えている。
粉塵で赤く煙った視界の奥に、奇怪な形状をした何かが。
ぞくり、と全身が総毛立つ。
(……何だありゃ、)
目を凝らそうとした瞬間。
脳が『それ』が何かを理解する前に、肉体が焼け付くような熱を帯びるのを感じた。
【Day 7】
傷跡が、疼く。
頭部の傷ではなく左手の傷跡が、発した熱を全身に伝えていた。
……気付けば視界に映るのは先程までの景色ではなく。
意識が眩む程の熱も引き――というより肉体の存在を感じなくなっており、
夢、のような白い靄の中を、視点だけがただ下降していた。
見覚えも、身に覚えもあった。
つい最近、『C.C.』を操縦中に同様の現象に遭遇した。
という事は、恐らくこの先には――。
予想に違わず、遥か下方には黒く沈んだ廊下。
夢に吸い込まれて未識別機動隊の正体を「視た」直後に落ちたのと同じ空間だろう。
その途端、視点が突然上方に引っ張られる。
廊下が視界に入らないように、何者かに意図的に方向を変えられたような不自然さがあった。
しかし、強引ではあったはずの転換はどこか懐かしく――優しかった。
……どうせお前なんだろうが。前回は「来るな」っつって追い出しておいて、
また俺をここに連れて来てどうするつもりだ?
存在を感じない――恐らくこの場に存在しない口から言葉を発する代わりに、疑念を込めて念じる。
思い当たる対象は当然、部下しかいない。
返答はなかったが、申し訳ありません、と言いたげに、視界に映る景色が揺れる。
まるで部下が目の前にいて、記憶の中の姿のまま、眉尻を下げて微笑んでいるような。
……謝罪のつもりなら質問に答えやがれ。この世界は、いや……「俺」はどうなってやがる?
しかし、応じたのは部下ではなかった。
視界の中央、前方に人型のノイズが現れる。
足元には何かを投影しようとして失敗したと思しき跡がゆらめいている。
ノイズはやがて見覚えのある姿を取り、ゆっくりと語り始めた。
フヌ、という名のグレイヴネット・インターフェースは、自らをグレイヴキーパーと名乗った。
墓所の護り手であり、死にゆく世界は「終わらせる」こと。
彼女は告げる。タワーの工廠で待つこと。今度こそ、「迷うな」と。
疑問を言葉にする暇も与えず、それだけ伝えた彼女は再びノイズへ還ってゆく。
人型が解ける最後の瞬間に目にした、彼女の笑顔。その瞳から、
――光が一筋、頬を伝って流れ落ちたように見えた。
グレムリン『C.C.』は、ジャンクテイマーと思しき2機体と向かい合っていた。
両者の間には、救援物資の詰まったコンテナがひとつ。
その箱を手中に収めるべく『C.C.』を襲撃した2機のうち片方が、大きな溜息と共に口を開いた。
「何アンタ、どうでもいいのに渡さないってどういう事よ。面倒臭い男って言われない?」
「ア?殺してコンテナ奪い取ろうって相手とお喋り始めちまう方が面倒くせえんじゃねえの」
「はあ?あんまり舐めた口利かない方がいいわよ。
ただの野良傭兵の分際で私達に楯突いたら、痛い目見る程度じゃ済まないから」
「どうだかな。さっきの弾を外してる時点で、テメエらの腕なんざたかが知れてんだろうが。
っつかジャンクテイマーだろ?野良傭兵と大差ねえくせして口は達者なこって」
入った肉体が部下のものでなければ、きっちり被弾していたはずの男が嘲笑する。
「五月蠅いわね!いい気にならないでくれる?
私の優しさで命拾いしたことを喜ぶといいわ、ま、この後捨てる事になるでしょうけど」
「優しさだと?甘さの間違いだろ。狙いも肝も、喋ってる時間もな」
ぎり、と歯ぎしりが聞こえた後、暫しの間を置いて。
「あのねえ。私達には正義も流儀もあるの。
金さえ積まれれば頭カラッポにして動くオモチャみたいな野良傭兵とは違ってね」
「興味ねえな。戦場で正義が何になる?
金の分しか働かねえ傭兵の方がまだマシだ。ジャンク組織に魂売り渡してんなら、テメエらの方がオモチャに見えるぜ。
さしずめ――■■ジャンキーのイカれたバイオ兵器ってとこか?」
「このっ……!」
主砲を構えたグレムリンを、隣の機体が制した。
「待て。頭に血が上ったお前が撃つとろくな事にならん」
「アンタが先に死にたいの!?」
「騒ぐな。通信だ。コンテナは後回しでいい、動くぞ……」
そう言うが早いか、その機体は一気に距離を詰め、『C.C.』の懐に潜り込んで拳を叩き込もうとする。
迎撃態勢に移る余裕もなく、すんでのところで後方に回避した『C.C.』から舌打ちが響く。
「正義と流儀が何だって?大層な口ききやがって」
中空で一瞬静止して体勢を整えると、速射砲で牽制しつつ距離を取る。
別方向から『C.C.』に向かって飛来したミサイルが、機体を掠めて氷を抉った。
(鬱陶しいな。先に潰した方がいいのは……あっちか)
ちらと視界の端を見遣ると、次弾を躱しながら弧を描いて接近する。
しかし相手の移動が速く、狙いが定まらない。自棄気味に放った砲撃は難なく躱される。
その間に、もう一機が再び距離を詰めてきた。
(……クソ、何で俺はこんな重てえ機体に乗ってんだ!
あんな加速型、「俺」の機体なら敵じゃねえってのに)
追ってくるグレムリンを適当にいなし、蠅を払うように電磁ブレードを振り。
軽やかに――と呼べる動作とは程遠いが、相手を攪乱すべく縦横無尽に空を駆ける。
******
「――アンタ達なんか、」
ふと。
空気を軋ませ焼き切るような爆音を縫って、絞り出すような、掠れた呟きが聞こえた。
「どうせアンタみたいな野良傭兵なんか、この世界の理を何一つ知らずに、
『襲ってくるから』……ただそれだけの理由で、未識別機動体を迎撃してるんでしょ」
耳を貸す気もないはずの言葉に、勝手に意識が向く。
操縦を肉体に任せつつ、無言でモニタを見据える。
「さっきのコンテナだけど。生存に必要なものを自力で取りに来られないような、
――救援を待つだけの弱者がこの先見られるものなんて、死くらいしかないわ。
だから資源は私達が貰って、有効活用してあげるわけ」
諦観と使命感を溶かし込んだドロのような言葉が響く。
知らず知らずのうちに眉間に皺が寄り、眼光が鋭さを増す。
(……、)
苛立ちを覚えているようだった。
相手の語る内容も気に食わなかったが、それ以上に。
――相手の言う通り、『この世界の理を何一つ知らない』己に対して。
鼻をひとつ鳴らして悪態を吐く。
「……何でも知ってるみてえな言い草だな。カミサマにでもなったつもりか?」
「知ってるわよ。私は……いえ、『私達』は、知っていて行動している。
でもアンタに教えてやる義理はないから、大人しくついてきなさい」
そう告げられ、反射的に現在位置を確認する。
いつの間にか、コンテナの置かれた氷上から遠く離れた位置にいるようだ。
(チッ……やけに攻撃がぬるいと思ったが、誘導か。畜生、)
離脱を試みるべく描いたルートを遮り、示し合わせたように前後から銃弾が飛ぶ。
「お前は『餌』だ。何も知らない傭兵でも、それくらいの役割は果たせる」
「……餌だと?」
「そう。この先に在るもののための。そろそろ見えてくる頃合いよ」
――行く手に、巨大な黒い物体が聳えている。
粉塵で赤く煙った視界の奥に、奇怪な形状をした何かが。
ぞくり、と全身が総毛立つ。
(……何だありゃ、)
目を凝らそうとした瞬間。
脳が『それ』が何かを理解する前に、肉体が焼け付くような熱を帯びるのを感じた。
【Day 7】
傷跡が、疼く。
頭部の傷ではなく左手の傷跡が、発した熱を全身に伝えていた。
……気付けば視界に映るのは先程までの景色ではなく。
意識が眩む程の熱も引き――というより肉体の存在を感じなくなっており、
夢、のような白い靄の中を、視点だけがただ下降していた。
見覚えも、身に覚えもあった。
つい最近、『C.C.』を操縦中に同様の現象に遭遇した。
という事は、恐らくこの先には――。
予想に違わず、遥か下方には黒く沈んだ廊下。
夢に吸い込まれて未識別機動隊の正体を「視た」直後に落ちたのと同じ空間だろう。
その途端、視点が突然上方に引っ張られる。
廊下が視界に入らないように、何者かに意図的に方向を変えられたような不自然さがあった。
しかし、強引ではあったはずの転換はどこか懐かしく――優しかった。
……どうせお前なんだろうが。前回は「来るな」っつって追い出しておいて、
また俺をここに連れて来てどうするつもりだ?
存在を感じない――恐らくこの場に存在しない口から言葉を発する代わりに、疑念を込めて念じる。
思い当たる対象は当然、部下しかいない。
返答はなかったが、申し訳ありません、と言いたげに、視界に映る景色が揺れる。
まるで部下が目の前にいて、記憶の中の姿のまま、眉尻を下げて微笑んでいるような。
……謝罪のつもりなら質問に答えやがれ。この世界は、いや……「俺」はどうなってやがる?
しかし、応じたのは部下ではなかった。
視界の中央、前方に人型のノイズが現れる。
足元には何かを投影しようとして失敗したと思しき跡がゆらめいている。
ノイズはやがて見覚えのある姿を取り、ゆっくりと語り始めた。
フヌ、という名のグレイヴネット・インターフェースは、自らをグレイヴキーパーと名乗った。
墓所の護り手であり、死にゆく世界は「終わらせる」こと。
彼女は告げる。タワーの工廠で待つこと。今度こそ、「迷うな」と。
疑問を言葉にする暇も与えず、それだけ伝えた彼女は再びノイズへ還ってゆく。
人型が解ける最後の瞬間に目にした、彼女の笑顔。その瞳から、
――光が一筋、頬を伝って流れ落ちたように見えた。
◆7回更新の日記ログ
※日誌絵は間に合いませんでした。スミマセン!
(――さて)
温泉から上がり、ペンギン印の瓶入り飲料を飲み干して、椅子に腰かけてふうと一息つく。
(今まで分かった事でも整理すっか。
……とは言え、未識別機動体についても、俺自身についても、謎が多すぎて収拾つく気配がねえが)
幾分リラックスした溜息を吐き、思考を巡らせる。
まず、自分の人格は脳にあり、今入っている肉体は部下のものだということ。
脳と肉体がちぐはぐの状態でも、グレムリンを操るのに支障はないこと。
手元のグレムリン『C.C.』は、部下がかつて操っていた機体に似て遅くて重いこと。
……ただし、「俺」の記憶にない武装が存在すること。
(チッ。やっぱり記憶が飛んでやがるようだが……断片的にしか蘇らねえのは面倒くせえな。
俺が部下の肉体に入った経緯がサッパリだ。俺の肉体はどうした?
ったく……コイツと会話出来りゃまだマシだってのに)
霞む記憶を辿ろうとすると、先日の「夢」の光景が蘇る。
故人のグレムリンを操る人型の靄。強烈な既視感。「落ちた」先の暗い廊下と遮断。
思い出すなと懇願する、部下の声。
(……「俺」は何から遠ざけられている?)
あらゆる記憶に部下がいる。長年組んでいたのだから当然だ。
その分知っていることも多い、はずだったが。
(俺の過去もそうだが……一番分からねえのは、コイツのことだ。
俺が忘れている――いや、事によりゃ忘れさせられている期間に何が起きた?)
情報を持っているであろう肉体は、しかし何も寄越さない。
「クソ。死人に口なしじゃ聞けもしねえ。
おい、部下の分際で俺に隠し立てしてんじゃねえぞ……フン。お前が吐かなくても暴いてやるからよ」
……左手は熱を帯びて疼く。男は熱を押し潰すように、左拳を握りしめた。
******
男はしばらく虚空を睨み付けていたが、やがて眼を閉じた。
「……まあ、すぐ分かりゃ苦労しねえな。仕方ねえ、他の事でも考えるか」
気に入ったらしい瓶入り飲料をもう一本飲み干すと、簡単な腹ごしらえの後『C.C.』に戻る。
健康温泉を離れる道すがら、男は比較的新しい記憶を辿る。
タワーのメシは不味かったが、氷獄や温泉でのメシは悪くないこと。
目下の脅威である未識別機動隊は、強化研究所によれば「死した存在の残留データであり、世界の不具合」であるらしいこと。
彼らと戦う傭兵が、続々と参集していること。
低空を滑りながら、グレイヴネットからの音声を低音量で操縦棺内に流す。
聞こえる声は、以前より確実に多い。
「フン。グレイヴネットも賑やかになってきたんじゃねえの。
こんだけ傭兵がいるなら、戦闘はちっと手を抜いても――」
男がそう独り言ちた瞬間。
上空から『C.C.』めがけて落下してくる物体を検知した。
反射的に左に飛び退くと、機体を捉えられなかった物体はパラシュート状の傘を開き、
幾分落下速度を緩和しながら、凍りついた大地に着地した。
(爆発しねえな。何だ……箱か?)
見上げると、遥か上空に投下主と思しき機体が飛んでいた。
「グレムリンが飛べない高度」から時折地上に落とされるのは、箱入りの物資――通称「コンテナ」だ、と聞いた気がする。
内容物は外から見えないが、近付くとC.C.のモニタにメッセージが表示された。
「……救援物資。コイツを指定の海域に届けてくれ……か。
ハッ。ンな善意で世界が回りゃ苦労しねえよ。
デカい勢力の連中なら余裕あんのかもしれねえが、物資に恵まれてる傭兵はそうはいねえ。
俺が今ここで開けちまえば、それで――」
コンテナに手をかけようとした瞬間、男の肉体が強張る。
「……ア?何だ、開けるなとでも言いてえのか。とんだお人好しがよ」
暫し肉体と制御権を争った後、コンテナの開封を諦める。
「フン……律儀というか損するっつか。
お前はつくづく俺と似ても似つかねえ奴だな。性格も、戦い方も、」
そう口にした瞬間。ばちりと視界が弾ける。
度々起こる記憶のフラッシュバックだと気付く前に、意識が過去に吸い込まれていった。
【Day 6】
……傷跡が疼く。頭部よりも左手の方が痛みが強い。
そういえば――昔、部下に尋ねたことがある。
請けた依頼を終え、報酬を寄越すだけまだマシな雇い主から、それなりにまとまった金を受け取り、
少しいいメシにありついて一息ついた頃合だったろうか。
「……おい。お前、あの戦い方でまだるっこしくねえのか」
気の緩みからか、ふと口から問いが零れた。
さほど興味や意味がある訳ではなかったが、問われた相手――部下は、僅かに目を見開いた。
「…………いえ。そのようなことは」
「敵機なんざサクッと墜としてナンボだろ。
防戦主体じゃ戦闘が長引くわ被弾率が上がるわ、お前が敵なら的として丁度いいんだがな」
「……上長と同じ戦法を取るのは、畏れ多いので」
滲むのは反抗か、諦観か、それとも。
そう呟いて視線を逸らした『俺』を、ぎろりと睨みつけて問い詰める。
「俺に合わせてんのか?攻め手に回りてえならハッキリ言いやがれ」
「……二機のバランスを取りたいのは事実ですが、それ以上に防戦や補助の方が性に合うようです。
積極的に相手を戦闘不能にするのは、元よりあまり得意ではありませんので」
「……■■■■の出が聞いて呆れるな」
半目で睨む「俺」に気付いた『俺』は、慌てて弁明を始める。
「いえ、機体の耐久を上げていますので、一撃で墜ちることは恐らくありませんし、いざとなれば壁程度にはなれます」
「弾除けになったらお前が墜ちんだろ」
「……上長が生き残ればそれで構いません。俺よりあなたの方が、この世界に相応しい」
大きな舌打ちをする「俺」をよそに、『俺』は微かに表情を崩す。
「それに、」
『俺』にしては珍しい、笑顔と呼べなくもない表情から発されたはずの言葉は、どこか寂しげに響いた。
「……慣れていますから。耐えるのは」
――「俺」が口を開く前に、閃光と共に記憶が掻き消えた。
******
瞬きひとつで、意識を現実に引き戻す。
コンテナから僅か百メートル程離れた位置の氷が砕ける。
「は……クソ、タイミングが悪ィんだよ、」
既に操縦桿を握っていた手に、若干の違和感を覚える。恐らく、回避動作を行った直後の状態だ。
同時に、コンテナまでの距離と角度が変わっていることにも気付く。
先程砕けた氷の位置は、先程まで『C.C.』がいたはずの――
(――お前)
着弾時に自ら回避を行える状態ではなかったはずだ。であれば、操縦者は一人しかいない。
(……防戦、補助、壁……防衛本能、みてえなモンか?
守られてんのか、俺は。コイツが肉体だけになって尚……)
レーダーにグレムリン2機の反応がヒットする。
遮るものが少ない氷漬けの空間で、すぐに二機が視界に入る。
「……チッ。情けねえったらねェな。お前に守られるようなタマじゃねえんだよ。
って言いてえとこだが、敵の接近にすら気付けねェたァ……クソ、俺も随分ポンコツになりやがって」
悪態を吐くと同時に、接近機体から聞き慣れない声が響く。
「やっぱり距離があると当たらないわね……
そこのアンタ。私達には時間がないの。氷の下に骨埋めたくなかったら、さっさとソレ渡しなさい」
どうやら狙いはコンテナらしい、と気付くと、男の口角が僅かに上がる。
未識別機動隊とは異なる脅威、噂に聞くジャンクテイマーのようだ。
……肉体の抵抗を思い出す。部下なら恐らく、このコンテナを――
「……何だテメエら、随分なご挨拶じゃねえか。
ったく、手を抜くっつった矢先にこれだ。とっとと開けとくんだったな。
俺自身はこんな箱どうだっていいが、タダじゃ渡してやれねえ。
欲しけりゃ奪ってみやがれ、さもなきゃ代わりの弾をくれてやるからよ」
(――さて)
温泉から上がり、ペンギン印の瓶入り飲料を飲み干して、椅子に腰かけてふうと一息つく。
(今まで分かった事でも整理すっか。
……とは言え、未識別機動体についても、俺自身についても、謎が多すぎて収拾つく気配がねえが)
幾分リラックスした溜息を吐き、思考を巡らせる。
まず、自分の人格は脳にあり、今入っている肉体は部下のものだということ。
脳と肉体がちぐはぐの状態でも、グレムリンを操るのに支障はないこと。
手元のグレムリン『C.C.』は、部下がかつて操っていた機体に似て遅くて重いこと。
……ただし、「俺」の記憶にない武装が存在すること。
(チッ。やっぱり記憶が飛んでやがるようだが……断片的にしか蘇らねえのは面倒くせえな。
俺が部下の肉体に入った経緯がサッパリだ。俺の肉体はどうした?
ったく……コイツと会話出来りゃまだマシだってのに)
霞む記憶を辿ろうとすると、先日の「夢」の光景が蘇る。
故人のグレムリンを操る人型の靄。強烈な既視感。「落ちた」先の暗い廊下と遮断。
思い出すなと懇願する、部下の声。
(……「俺」は何から遠ざけられている?)
あらゆる記憶に部下がいる。長年組んでいたのだから当然だ。
その分知っていることも多い、はずだったが。
(俺の過去もそうだが……一番分からねえのは、コイツのことだ。
俺が忘れている――いや、事によりゃ忘れさせられている期間に何が起きた?)
情報を持っているであろう肉体は、しかし何も寄越さない。
「クソ。死人に口なしじゃ聞けもしねえ。
おい、部下の分際で俺に隠し立てしてんじゃねえぞ……フン。お前が吐かなくても暴いてやるからよ」
……左手は熱を帯びて疼く。男は熱を押し潰すように、左拳を握りしめた。
******
男はしばらく虚空を睨み付けていたが、やがて眼を閉じた。
「……まあ、すぐ分かりゃ苦労しねえな。仕方ねえ、他の事でも考えるか」
気に入ったらしい瓶入り飲料をもう一本飲み干すと、簡単な腹ごしらえの後『C.C.』に戻る。
健康温泉を離れる道すがら、男は比較的新しい記憶を辿る。
タワーのメシは不味かったが、氷獄や温泉でのメシは悪くないこと。
目下の脅威である未識別機動隊は、強化研究所によれば「死した存在の残留データであり、世界の不具合」であるらしいこと。
彼らと戦う傭兵が、続々と参集していること。
低空を滑りながら、グレイヴネットからの音声を低音量で操縦棺内に流す。
聞こえる声は、以前より確実に多い。
「フン。グレイヴネットも賑やかになってきたんじゃねえの。
こんだけ傭兵がいるなら、戦闘はちっと手を抜いても――」
男がそう独り言ちた瞬間。
上空から『C.C.』めがけて落下してくる物体を検知した。
反射的に左に飛び退くと、機体を捉えられなかった物体はパラシュート状の傘を開き、
幾分落下速度を緩和しながら、凍りついた大地に着地した。
(爆発しねえな。何だ……箱か?)
見上げると、遥か上空に投下主と思しき機体が飛んでいた。
「グレムリンが飛べない高度」から時折地上に落とされるのは、箱入りの物資――通称「コンテナ」だ、と聞いた気がする。
内容物は外から見えないが、近付くとC.C.のモニタにメッセージが表示された。
「……救援物資。コイツを指定の海域に届けてくれ……か。
ハッ。ンな善意で世界が回りゃ苦労しねえよ。
デカい勢力の連中なら余裕あんのかもしれねえが、物資に恵まれてる傭兵はそうはいねえ。
俺が今ここで開けちまえば、それで――」
コンテナに手をかけようとした瞬間、男の肉体が強張る。
「……ア?何だ、開けるなとでも言いてえのか。とんだお人好しがよ」
暫し肉体と制御権を争った後、コンテナの開封を諦める。
「フン……律儀というか損するっつか。
お前はつくづく俺と似ても似つかねえ奴だな。性格も、戦い方も、」
そう口にした瞬間。ばちりと視界が弾ける。
度々起こる記憶のフラッシュバックだと気付く前に、意識が過去に吸い込まれていった。
【Day 6】
……傷跡が疼く。頭部よりも左手の方が痛みが強い。
そういえば――昔、部下に尋ねたことがある。
請けた依頼を終え、報酬を寄越すだけまだマシな雇い主から、それなりにまとまった金を受け取り、
少しいいメシにありついて一息ついた頃合だったろうか。
「……おい。お前、あの戦い方でまだるっこしくねえのか」
気の緩みからか、ふと口から問いが零れた。
さほど興味や意味がある訳ではなかったが、問われた相手――部下は、僅かに目を見開いた。
「…………いえ。そのようなことは」
「敵機なんざサクッと墜としてナンボだろ。
防戦主体じゃ戦闘が長引くわ被弾率が上がるわ、お前が敵なら的として丁度いいんだがな」
「……上長と同じ戦法を取るのは、畏れ多いので」
滲むのは反抗か、諦観か、それとも。
そう呟いて視線を逸らした『俺』を、ぎろりと睨みつけて問い詰める。
「俺に合わせてんのか?攻め手に回りてえならハッキリ言いやがれ」
「……二機のバランスを取りたいのは事実ですが、それ以上に防戦や補助の方が性に合うようです。
積極的に相手を戦闘不能にするのは、元よりあまり得意ではありませんので」
「……■■■■の出が聞いて呆れるな」
半目で睨む「俺」に気付いた『俺』は、慌てて弁明を始める。
「いえ、機体の耐久を上げていますので、一撃で墜ちることは恐らくありませんし、いざとなれば壁程度にはなれます」
「弾除けになったらお前が墜ちんだろ」
「……上長が生き残ればそれで構いません。俺よりあなたの方が、この世界に相応しい」
大きな舌打ちをする「俺」をよそに、『俺』は微かに表情を崩す。
「それに、」
『俺』にしては珍しい、笑顔と呼べなくもない表情から発されたはずの言葉は、どこか寂しげに響いた。
「……慣れていますから。耐えるのは」
――「俺」が口を開く前に、閃光と共に記憶が掻き消えた。
******
瞬きひとつで、意識を現実に引き戻す。
コンテナから僅か百メートル程離れた位置の氷が砕ける。
「は……クソ、タイミングが悪ィんだよ、」
既に操縦桿を握っていた手に、若干の違和感を覚える。恐らく、回避動作を行った直後の状態だ。
同時に、コンテナまでの距離と角度が変わっていることにも気付く。
先程砕けた氷の位置は、先程まで『C.C.』がいたはずの――
(――お前)
着弾時に自ら回避を行える状態ではなかったはずだ。であれば、操縦者は一人しかいない。
(……防戦、補助、壁……防衛本能、みてえなモンか?
守られてんのか、俺は。コイツが肉体だけになって尚……)
レーダーにグレムリン2機の反応がヒットする。
遮るものが少ない氷漬けの空間で、すぐに二機が視界に入る。
「……チッ。情けねえったらねェな。お前に守られるようなタマじゃねえんだよ。
って言いてえとこだが、敵の接近にすら気付けねェたァ……クソ、俺も随分ポンコツになりやがって」
悪態を吐くと同時に、接近機体から聞き慣れない声が響く。
「やっぱり距離があると当たらないわね……
そこのアンタ。私達には時間がないの。氷の下に骨埋めたくなかったら、さっさとソレ渡しなさい」
どうやら狙いはコンテナらしい、と気付くと、男の口角が僅かに上がる。
未識別機動隊とは異なる脅威、噂に聞くジャンクテイマーのようだ。
……肉体の抵抗を思い出す。部下なら恐らく、このコンテナを――
「……何だテメエら、随分なご挨拶じゃねえか。
ったく、手を抜くっつった矢先にこれだ。とっとと開けとくんだったな。
俺自身はこんな箱どうだっていいが、タダじゃ渡してやれねえ。
欲しけりゃ奪ってみやがれ、さもなきゃ代わりの弾をくれてやるからよ」
◆6回更新の日記ログ
グレムリン『C.C.』が、北部海域【ペンギン諸島】へ向けて飛ぶ途中。
操縦棺から外部を窺う男の視界に、白い靄が混ざり始めた。
「ンだよ、寒さでイカれちまったのか?……いや待て、コイツは」
モニタに向けて悪態を吐くが、目を凝らす間もなく視界全体が白く染まってゆく。
機体ではなく自身の異常だと気付いた時には、自力で瞼を動かすことも出来なくなっていた。
(クソ、白昼夢か、それとも認識阻害でも仕掛けられてンのか!?今意識が途切れちまえば、グレムリンが墜ち――)
必死で抵抗する男を乗せた機体の上空を、白い光の河が渡って行った。
******
……聞き覚えのある声がする。
白い靄の海の中、肉体を離れた視点が、ゆっくりと下降していく。
下方には、先日耳にした音声データを再現したような光景が広がっていた。
ジェトと名乗った傭兵の機体が、相対する機体の操縦棺をこじ開け、「幽霊」の正体を視認する。
男は――否、男の肉体に入った脳は「見た」。
内部にいたのは生身ないし義体の人間ではなく、ヒトの形を取った靄。
何処からか発せられるノイズ交じりの音声が、機械的に繰り返されている。
その様子を視界に収めると同時に、音声データを聞いた時とは異なる、強烈な違和感に襲われる。
『これに酷似した光景を見たことがある』
そう理解した瞬間、見えていたはずの世界が電源を落としたように掻き消えた。
【Day 5】
……傷跡が、疼く。
現在認識出来ないはずの頭部が、視界の明滅を伴って。
――見たことがある、だと?こんな光景を?いつ。どこで。
視界が正常に戻ると、いつの間にか目の前には暗い廊下が伸びていた。
人が二人並んで歩ける程度の幅。灯りはなかったが、何故か空間の輪郭は見えていた。
相変わらず肉体の感覚はなく、視界だけの状態ではあったが、記憶を辿るべく意識を奥に向けて進もうとする。
と、意識が突然不可視のシャッターに阻まれた。
ざらついたノイズが聴覚を支配する。警告めいた緊迫感を伴ったその音は、次第に言葉を形作り、聞き取れるようになっていった。
『――検■■■番ニよる無■■領域へノ思■侵入を確認。排除シます』
次の瞬間、視界が弾かれるように後退した。
すぐ目の前にあったはずの廊下は奥に逃げ、下方の床が淡く霞む。
上方から高圧の電流が迫るのを感じたが、能動的に視点を動かせない以上、避ける術がない。
焼かれる――そう確信し、観念して閉じられない瞼を閉じようとすると、視界全体が保護膜のような思念体に包み込まれるのを感じた。
そのまま器用に電流を避けると、下降時の数倍の速度で視界が浮上し始める。
思念体に敵意はないようだが、しきりに何かを訴え続けているらしく、微弱な振動が伝わってくる。
下方の空間が遠のき、夢からの覚醒時のように意識が白く霞み始める。
振動は激しさを増し、その隙間から悲鳴に似た声が聴こえ始め――
『■■■上長!ここへ落■■■てはいけません』
『■■を見れば、■■■はきっと思い出してしまう。まだ■■が足りません。お願いです、どうか――』
******
「――そう、天使。名前は……」
聞き慣れない傭兵の声に、はっと我に返る。
ルキムラ、と呼ばれたその男は、こちらからの返答がないことを意にも介さず話し続けていたようだ。
中空を飛んでいたはずの機体は氷上で停止していた。若干外部の景色が傾いているが、墜落は免れたらしい。
左のモニタに視線を移すと、文字に起こされた音声ログが整然と表示されていた。
「天使」と「フヌ」の文字が強調されて光っている様子から察するに、十中八九本人のお節介だろう。
「なりきりでも本人でもどっちでも構わねェが、光の河……天国……ジェトを探せ?」
ログに軽く目を走らせて概要を拾うと、先程見た光景を思い起こす。
「アイツならさっき……いや。アレは現実じゃねェ、」
夢だ、と言おうとして言葉が詰まる。夢にしては鮮明な感覚を伴った記憶が、男を困惑させる。
脳に響くような違和感も、光景を思い返せばまざまざと蘇る。
「今聞いた話とも関連があンのか?とすりゃ……俺が見たのは一体何だったんだ?」
僅かに疼く左手を、手袋を付けた状態でも爪跡がつく程の力を込めて握りしめる。
「なあ、おい。お前、何か知ってんじゃねェのか。
さっきの夢――夢じゃねェのかもしれねえけどよ、あの空間から「俺」を引き上げたの、お前だろうが」
――当然の如く、返答はない。左手の傷跡が軋み、依然として熱を帯びていることを除けば。
******
一面に広がる氷原に、見慣れないオブジェが佇んでいる。
どうやら氷で作られた玉座らしい――と気付くと同時に、玉座に悠然と腰掛けた生物から凛と澄んだ声が響いた。
自らをペングイン大帝と名乗ったその「ペンギン」は、まずは最強の我の領域にて至高の温泉を堪能せよ、とばかりに、
男を「健康温泉」の看板が掲げられた施設へ向かうよう促した。
温泉併設の格納庫に『C.C.』を停めてロックを掛け、
「あの伝説の傭兵も絶賛!」との謳い文句が電光掲示板に点滅する受付で、最低限の入浴料を支払い、
脱衣所で薄汚れた衣類を剥いでまとめる。
浴室へ続く扉を開けると、タワー居住区域のシャワールームとは比較にならない程、広々として暖かな空間が待ち受けていた。
無防備な姿を晒すことへの抵抗はあったが、幸いなことに他の人影はなさそうだった。
ふと、今まで注意して見たことがなかった、「部下の肉体」を見下ろす。
肩、胸部、腹部、脚部。それから。手先足先に至るまで眺め回した後――
「……フン。鍛え方が足りねェんじゃねえの」
小さく鼻を鳴らすと適当な場所に陣取り、がしがしと大雑把に洗い始める。及第点ではあったようだ。
「にしても……天国にゃ興味ねェけどよ」
なみなみと湯の張られた浴槽に慎重に身を滑り込ませると、端に背をもたせかけてふうっと大きく息を吐く。
「この温泉とやらの入り心地は、まあ……悪かねェかもな」
操縦棺から外部を窺う男の視界に、白い靄が混ざり始めた。
「ンだよ、寒さでイカれちまったのか?……いや待て、コイツは」
モニタに向けて悪態を吐くが、目を凝らす間もなく視界全体が白く染まってゆく。
機体ではなく自身の異常だと気付いた時には、自力で瞼を動かすことも出来なくなっていた。
(クソ、白昼夢か、それとも認識阻害でも仕掛けられてンのか!?今意識が途切れちまえば、グレムリンが墜ち――)
必死で抵抗する男を乗せた機体の上空を、白い光の河が渡って行った。
******
……聞き覚えのある声がする。
白い靄の海の中、肉体を離れた視点が、ゆっくりと下降していく。
下方には、先日耳にした音声データを再現したような光景が広がっていた。
ジェトと名乗った傭兵の機体が、相対する機体の操縦棺をこじ開け、「幽霊」の正体を視認する。
男は――否、男の肉体に入った脳は「見た」。
内部にいたのは生身ないし義体の人間ではなく、ヒトの形を取った靄。
何処からか発せられるノイズ交じりの音声が、機械的に繰り返されている。
その様子を視界に収めると同時に、音声データを聞いた時とは異なる、強烈な違和感に襲われる。
『これに酷似した光景を見たことがある』
そう理解した瞬間、見えていたはずの世界が電源を落としたように掻き消えた。
【Day 5】
……傷跡が、疼く。
現在認識出来ないはずの頭部が、視界の明滅を伴って。
――見たことがある、だと?こんな光景を?いつ。どこで。
視界が正常に戻ると、いつの間にか目の前には暗い廊下が伸びていた。
人が二人並んで歩ける程度の幅。灯りはなかったが、何故か空間の輪郭は見えていた。
相変わらず肉体の感覚はなく、視界だけの状態ではあったが、記憶を辿るべく意識を奥に向けて進もうとする。
と、意識が突然不可視のシャッターに阻まれた。
ざらついたノイズが聴覚を支配する。警告めいた緊迫感を伴ったその音は、次第に言葉を形作り、聞き取れるようになっていった。
『――検■■■番ニよる無■■領域へノ思■侵入を確認。排除シます』
次の瞬間、視界が弾かれるように後退した。
すぐ目の前にあったはずの廊下は奥に逃げ、下方の床が淡く霞む。
上方から高圧の電流が迫るのを感じたが、能動的に視点を動かせない以上、避ける術がない。
焼かれる――そう確信し、観念して閉じられない瞼を閉じようとすると、視界全体が保護膜のような思念体に包み込まれるのを感じた。
そのまま器用に電流を避けると、下降時の数倍の速度で視界が浮上し始める。
思念体に敵意はないようだが、しきりに何かを訴え続けているらしく、微弱な振動が伝わってくる。
下方の空間が遠のき、夢からの覚醒時のように意識が白く霞み始める。
振動は激しさを増し、その隙間から悲鳴に似た声が聴こえ始め――
『■■■上長!ここへ落■■■てはいけません』
『■■を見れば、■■■はきっと思い出してしまう。まだ■■が足りません。お願いです、どうか――』
******
「――そう、天使。名前は……」
聞き慣れない傭兵の声に、はっと我に返る。
ルキムラ、と呼ばれたその男は、こちらからの返答がないことを意にも介さず話し続けていたようだ。
中空を飛んでいたはずの機体は氷上で停止していた。若干外部の景色が傾いているが、墜落は免れたらしい。
左のモニタに視線を移すと、文字に起こされた音声ログが整然と表示されていた。
「天使」と「フヌ」の文字が強調されて光っている様子から察するに、十中八九本人のお節介だろう。
「なりきりでも本人でもどっちでも構わねェが、光の河……天国……ジェトを探せ?」
ログに軽く目を走らせて概要を拾うと、先程見た光景を思い起こす。
「アイツならさっき……いや。アレは現実じゃねェ、」
夢だ、と言おうとして言葉が詰まる。夢にしては鮮明な感覚を伴った記憶が、男を困惑させる。
脳に響くような違和感も、光景を思い返せばまざまざと蘇る。
「今聞いた話とも関連があンのか?とすりゃ……俺が見たのは一体何だったんだ?」
僅かに疼く左手を、手袋を付けた状態でも爪跡がつく程の力を込めて握りしめる。
「なあ、おい。お前、何か知ってんじゃねェのか。
さっきの夢――夢じゃねェのかもしれねえけどよ、あの空間から「俺」を引き上げたの、お前だろうが」
――当然の如く、返答はない。左手の傷跡が軋み、依然として熱を帯びていることを除けば。
******
一面に広がる氷原に、見慣れないオブジェが佇んでいる。
どうやら氷で作られた玉座らしい――と気付くと同時に、玉座に悠然と腰掛けた生物から凛と澄んだ声が響いた。
自らをペングイン大帝と名乗ったその「ペンギン」は、まずは最強の我の領域にて至高の温泉を堪能せよ、とばかりに、
男を「健康温泉」の看板が掲げられた施設へ向かうよう促した。
温泉併設の格納庫に『C.C.』を停めてロックを掛け、
「あの伝説の傭兵も絶賛!」との謳い文句が電光掲示板に点滅する受付で、最低限の入浴料を支払い、
脱衣所で薄汚れた衣類を剥いでまとめる。
浴室へ続く扉を開けると、タワー居住区域のシャワールームとは比較にならない程、広々として暖かな空間が待ち受けていた。
無防備な姿を晒すことへの抵抗はあったが、幸いなことに他の人影はなさそうだった。
ふと、今まで注意して見たことがなかった、「部下の肉体」を見下ろす。
肩、胸部、腹部、脚部。それから。手先足先に至るまで眺め回した後――
「……フン。鍛え方が足りねェんじゃねえの」
小さく鼻を鳴らすと適当な場所に陣取り、がしがしと大雑把に洗い始める。及第点ではあったようだ。
「にしても……天国にゃ興味ねェけどよ」
なみなみと湯の張られた浴槽に慎重に身を滑り込ませると、端に背をもたせかけてふうっと大きく息を吐く。
「この温泉とやらの入り心地は、まあ……悪かねェかもな」
◆5回更新の日記ログ
――北北東海域「氷獄」に辿り着いて数日。
肉体の空腹を満たすべく「うに」を獲ろうと意気込んでいた男は、
「氷獄」の名の通り、骨の髄まで凍り付くような寒さに苛まれ、盛大なくしゃみを繰り返していた。
「ぶえっくしょい!ああ、クソ……寒いったらねェな……。
C.C.――このグレムリンで『厚着』してるはずだってのによ。操縦棺内だけでも温度調節しやが……っぐし!」
寒気に負けて元気がないらしく、普段より弱々しい悪態が響く。
「しかし……何だあの男は。よくこんな寒い場所にずっといられンな」
鼻をすすって呟くと、凍り付いた海で一人釣りをする人物に一瞥をくれた。
見渡す限り氷漬けにされた広大な空間の中に、ぽつりとその人物だけが存在していた。
男がこの海域に辿り着いた時には既にそこにいたが、恐らくずっと前からこの寒さに耐え続けているのだろう。
彼は淡々と来る者に声を掛け、去る者を見送っていた。
氷が音を吸収し、しんと静まり返った空間の中で、彼の言葉は否応なしに耳に滑り込んでくる。
以前拾った「幽霊」という言葉も、彼が発したものだった。
(寒さを凌ぐ方法、もしくは「うに」の獲り方と食い方について、何か知ってやがるかもしれねェ……クソ、腹減ったな……)
寒さと空腹で判断力が低下していたせいか、「うに獲りを諦める」という選択肢は頭に浮かばなかったらしい。
溜息混じりに声を掛けようとすると、グレイヴネットに接続された通信機から聞き覚えのある声がした。
……聞き流しても問題はなかったが、『俺』の耳が拾ったという事は、何らかの手掛かりになる可能性がある。
そう考えた男はそのまま、通信内容に耳を傾けた。
******
通信の主は「スコルパピー」。
先日霊障研究所に関して話していた相手だが、その声は以前にも増して不安げだった。
初めて声を聞く傭兵が、戦闘中の会話が録音された音声データを再生する。
聞き取れた声は、奇しくも記憶に新しいものだった。
「この声……ああ、こないだ援護に来た奴じゃねえか。フン……しくじりやがったか?
それと……ホーレツァー?ン、何だ……どっかで…………」
過去の情報の手掛かりか、と淡い期待を抱いたものの。
記憶を僅かに辿ると、グレイヴネット接続直後に絵文字の踊るメールを寄越した傭兵だということに思い至り、
大きな溜息と共に肩を落とす。
「…………チッ。どうでもいいことばっか覚えてやがんだからよ」
大仰に顔をしかめて舌打ちをしたが、意識を通信から逸らしはしなかった。
否、逸らす事が出来なかった。
『グレムリンが未識別機動体に』。
そのフレーズが脳内で反響する。
――戦場で散った共闘相手が、死後にノイズに侵されながら、
往時と変わらない音声と機体と共に、テイマーへの敵意を伴って襲ってくる。
(偶然じゃねえ事くらいは想像がつく。今の音声……流石に芝居じゃねえだろ。ぞっとしねェな。
だが、そんなら何故――いや、それ以上に。何が目的だ?)
復活か、復讐か――それとも何らかの計画の一部か。
そこまで考えを巡らせた瞬間、頭部が鋭い痛みを訴えた。
【Day 4】
……傷跡が、疼く。
俺が元の「俺」であった頃、マトモに関わった記憶があるのは、『俺』――自主的に左手に傷を付け続けた部下だけだった。
他の奴らは顔すら覚えていない。例え未識別機動体となって襲ってこようが構わない……どころか、相対した経験がある事に気付きもしないだろう。
では、相手が『俺』だったら――部下だった場合はどうか。
先程の音声データを思い返す。
「死んだ仲間が襲ってくる」という現象を認識するだけでも、熟練のテイマーを動揺させるには十分だろう。
しかし、ホーレツァーと呼ばれた男は、「機体の思念接続が上手くいかん」、「速すぎる」とも口にしたはずだ。
グレムリンを操るにあたり、思念接続は操縦技術と同等かそれ以上に重要だ。
精神・思念干渉を二重に仕掛けた上で、元の機体を上回るスペックで向かってくるのなら。
相手と共闘した経験が多いほど、見慣れた動きに「乗せられる」――
――機動力を削がれた不安定な状態で、相手に記憶と同じ動作を……「俺」の場合は補助を期待した瞬間、不意打ちを食らう可能性が上がる。
「俺」と『俺』は、互いの動きを知り尽くしていた、と言っても過言ではない。
小さな挙動ひとつで、次の動作と意図程度は容易く読み取れた。
二機で戦い続けた経験が、現状に牙を剥く。
一抹の不安と共に色を失いかけた視界を、聞き慣れた声が切り裂く。
『■■■上長!後方は俺が防ぎます。あなたは前方の二機を――』
瞬きひとつで、世界に色が戻る。
部下の声が機体と戦意を繋ぎ止め、勝利への一助となった戦闘は一度や二度ではなかった事を、改めて認識する。
――畜生。
『三時の方向、強力なエネルギー反応。来ます!』
戦場内外を問わず、陰に日向に「俺」を補佐していた部下は――もう、いない。
******
(情けねえったらねェな)
先の未識別機動体との戦闘で確信した。
今の状態の「俺」が出せる力は、部下と組んで共に空を駆けていた頃の数割にも満たない。
現在操縦可能なグレムリンが「俺」好みの構成ではないこと、
記憶と共に戦闘経験まで一部失われているらしいこと、
具体的にいつからか思い出せないが部下の肉体を使っていること、を差し引いても。
「チッ。こんなザマじゃ『俺』に笑われちまうだろうが」
自嘲を孕んだ長い溜息の後、雑念を振り払うように首を振る。
「回顧に郷愁。俺でさえ過去を想起すりゃこのザマだ。
戻りたくねェと言や嘘になる、が――」
自分の脳と精神が部下の肉体に入っている以上、部下の精神は戻って来ない。
――肉体に残った精神の残滓が自分を追い出すか、本物の「幽霊」として外部からやって来ない限りは。
「ったく、どいつもこいつも……甘ったれんじゃねえ。喪ったモンはどんだけ願おうが戻らねェんだ。
マトモな奴らは俺より一層、喪った相手の帰還を願ってやがんだろうよ。
過去を懐かしむのは勝手だが、判断と手元がブレてテメエが墜とされりゃ世話ねェだろ。
過去に殺されてる場合じゃねえ。俺やテメエらが生きてんのは現在だろうが」
男は、自分自身と肉体に言い聞かせるように、通信には乗らない程度の声量で噛みしめるように呟く。
傷跡の残る左手が、呼応するようにじくりと熱を帯びた。
「――ア?何だ、言いたい事でもあんのか。ンな訳ねえか。
幽霊だろうが死者だろうが、ここの知識と一緒に大人しく凍りついとけ。……お前もな」
左手に一瞥をくれ、目を閉じて吐き捨てると、熱は緩やかに引いていった。
******
――くしゃみが意識を現実に引き戻す。
「にしたって寒すぎるだろうがよ。クソ……あの釣り人みてェに、防寒具でも調達してから掘りに来るか……」
温泉があるらしい西方に進路を取ると、氷海に佇む男の声が耳に入る。
『いまは、未知なる+未+来+の途中だからな!』
男はフン、と鼻を鳴らすと、去り際に小さく頷いた。
「……当然だ。過去は必要な時に見りゃ十分だ、過去に追われる前に現在と+未+来+を何とかしねえとな」
肉体の空腹を満たすべく「うに」を獲ろうと意気込んでいた男は、
「氷獄」の名の通り、骨の髄まで凍り付くような寒さに苛まれ、盛大なくしゃみを繰り返していた。
「ぶえっくしょい!ああ、クソ……寒いったらねェな……。
C.C.――このグレムリンで『厚着』してるはずだってのによ。操縦棺内だけでも温度調節しやが……っぐし!」
寒気に負けて元気がないらしく、普段より弱々しい悪態が響く。
「しかし……何だあの男は。よくこんな寒い場所にずっといられンな」
鼻をすすって呟くと、凍り付いた海で一人釣りをする人物に一瞥をくれた。
見渡す限り氷漬けにされた広大な空間の中に、ぽつりとその人物だけが存在していた。
男がこの海域に辿り着いた時には既にそこにいたが、恐らくずっと前からこの寒さに耐え続けているのだろう。
彼は淡々と来る者に声を掛け、去る者を見送っていた。
氷が音を吸収し、しんと静まり返った空間の中で、彼の言葉は否応なしに耳に滑り込んでくる。
以前拾った「幽霊」という言葉も、彼が発したものだった。
(寒さを凌ぐ方法、もしくは「うに」の獲り方と食い方について、何か知ってやがるかもしれねェ……クソ、腹減ったな……)
寒さと空腹で判断力が低下していたせいか、「うに獲りを諦める」という選択肢は頭に浮かばなかったらしい。
溜息混じりに声を掛けようとすると、グレイヴネットに接続された通信機から聞き覚えのある声がした。
……聞き流しても問題はなかったが、『俺』の耳が拾ったという事は、何らかの手掛かりになる可能性がある。
そう考えた男はそのまま、通信内容に耳を傾けた。
******
通信の主は「スコルパピー」。
先日霊障研究所に関して話していた相手だが、その声は以前にも増して不安げだった。
初めて声を聞く傭兵が、戦闘中の会話が録音された音声データを再生する。
聞き取れた声は、奇しくも記憶に新しいものだった。
「この声……ああ、こないだ援護に来た奴じゃねえか。フン……しくじりやがったか?
それと……ホーレツァー?ン、何だ……どっかで…………」
過去の情報の手掛かりか、と淡い期待を抱いたものの。
記憶を僅かに辿ると、グレイヴネット接続直後に絵文字の踊るメールを寄越した傭兵だということに思い至り、
大きな溜息と共に肩を落とす。
「…………チッ。どうでもいいことばっか覚えてやがんだからよ」
大仰に顔をしかめて舌打ちをしたが、意識を通信から逸らしはしなかった。
否、逸らす事が出来なかった。
『グレムリンが未識別機動体に』。
そのフレーズが脳内で反響する。
――戦場で散った共闘相手が、死後にノイズに侵されながら、
往時と変わらない音声と機体と共に、テイマーへの敵意を伴って襲ってくる。
(偶然じゃねえ事くらいは想像がつく。今の音声……流石に芝居じゃねえだろ。ぞっとしねェな。
だが、そんなら何故――いや、それ以上に。何が目的だ?)
復活か、復讐か――それとも何らかの計画の一部か。
そこまで考えを巡らせた瞬間、頭部が鋭い痛みを訴えた。
【Day 4】
……傷跡が、疼く。
俺が元の「俺」であった頃、マトモに関わった記憶があるのは、『俺』――自主的に左手に傷を付け続けた部下だけだった。
他の奴らは顔すら覚えていない。例え未識別機動体となって襲ってこようが構わない……どころか、相対した経験がある事に気付きもしないだろう。
では、相手が『俺』だったら――部下だった場合はどうか。
先程の音声データを思い返す。
「死んだ仲間が襲ってくる」という現象を認識するだけでも、熟練のテイマーを動揺させるには十分だろう。
しかし、ホーレツァーと呼ばれた男は、「機体の思念接続が上手くいかん」、「速すぎる」とも口にしたはずだ。
グレムリンを操るにあたり、思念接続は操縦技術と同等かそれ以上に重要だ。
精神・思念干渉を二重に仕掛けた上で、元の機体を上回るスペックで向かってくるのなら。
相手と共闘した経験が多いほど、見慣れた動きに「乗せられる」――
――機動力を削がれた不安定な状態で、相手に記憶と同じ動作を……「俺」の場合は補助を期待した瞬間、不意打ちを食らう可能性が上がる。
「俺」と『俺』は、互いの動きを知り尽くしていた、と言っても過言ではない。
小さな挙動ひとつで、次の動作と意図程度は容易く読み取れた。
二機で戦い続けた経験が、現状に牙を剥く。
一抹の不安と共に色を失いかけた視界を、聞き慣れた声が切り裂く。
『■■■上長!後方は俺が防ぎます。あなたは前方の二機を――』
瞬きひとつで、世界に色が戻る。
部下の声が機体と戦意を繋ぎ止め、勝利への一助となった戦闘は一度や二度ではなかった事を、改めて認識する。
――畜生。
『三時の方向、強力なエネルギー反応。来ます!』
戦場内外を問わず、陰に日向に「俺」を補佐していた部下は――もう、いない。
******
(情けねえったらねェな)
先の未識別機動体との戦闘で確信した。
今の状態の「俺」が出せる力は、部下と組んで共に空を駆けていた頃の数割にも満たない。
現在操縦可能なグレムリンが「俺」好みの構成ではないこと、
記憶と共に戦闘経験まで一部失われているらしいこと、
具体的にいつからか思い出せないが部下の肉体を使っていること、を差し引いても。
「チッ。こんなザマじゃ『俺』に笑われちまうだろうが」
自嘲を孕んだ長い溜息の後、雑念を振り払うように首を振る。
「回顧に郷愁。俺でさえ過去を想起すりゃこのザマだ。
戻りたくねェと言や嘘になる、が――」
自分の脳と精神が部下の肉体に入っている以上、部下の精神は戻って来ない。
――肉体に残った精神の残滓が自分を追い出すか、本物の「幽霊」として外部からやって来ない限りは。
「ったく、どいつもこいつも……甘ったれんじゃねえ。喪ったモンはどんだけ願おうが戻らねェんだ。
マトモな奴らは俺より一層、喪った相手の帰還を願ってやがんだろうよ。
過去を懐かしむのは勝手だが、判断と手元がブレてテメエが墜とされりゃ世話ねェだろ。
過去に殺されてる場合じゃねえ。俺やテメエらが生きてんのは現在だろうが」
男は、自分自身と肉体に言い聞かせるように、通信には乗らない程度の声量で噛みしめるように呟く。
傷跡の残る左手が、呼応するようにじくりと熱を帯びた。
「――ア?何だ、言いたい事でもあんのか。ンな訳ねえか。
幽霊だろうが死者だろうが、ここの知識と一緒に大人しく凍りついとけ。……お前もな」
左手に一瞥をくれ、目を閉じて吐き捨てると、熱は緩やかに引いていった。
******
――くしゃみが意識を現実に引き戻す。
「にしたって寒すぎるだろうがよ。クソ……あの釣り人みてェに、防寒具でも調達してから掘りに来るか……」
温泉があるらしい西方に進路を取ると、氷海に佇む男の声が耳に入る。
『いまは、未知なる+未+来+の途中だからな!』
男はフン、と鼻を鳴らすと、去り際に小さく頷いた。
「……当然だ。過去は必要な時に見りゃ十分だ、過去に追われる前に現在と+未+来+を何とかしねえとな」
◆4回更新の日記ログ
グレイヴネットに接続した影響だろうか、各種通信が次々と流れ込んでくるようになった。
操縦棺内に溢れ返る電子音と人間の肉声。
操縦席に腰を埋め、進路を北に取り機体を飛ばす男は、
戦場でもないのにうるさくてかなわない、と言わんばかりに首を振ると、
手元のボタンを操作し、音量を無音ぎりぎりまで下げた。
(不必要な情報を耳に入れてる暇はねえ……が、どこに何が潜んでやがるか分からねえからな)
視覚はモニタに、聴覚は微かに聞こえる通信に。
意識はレーダーに向けつつ操縦していると、ピピッと小さな音が響き、個人宛と思しき通信が入った。
どこからこの機体に目を付けたのか、スコルパピーと名乗る傭兵の話を聞くともなく聞き流していると、
先程耳にしたばかりの女性の声が重なった。
無意識のうちに、彼女の声を優先的に聞き取っていたらしい。
程なくして彼女の異変と通信の切断を感知すると、男の表情が険しくなった。
(死んだはずの傭兵の機体……霊障研究所、か)
結局一言も発することのないまま通信を終えると、脳内で思索を巡らせる。
(機体の複製なんざ幾らでもあり得る。姿だって金さえ積めば好きな義体を作れる。
何をビビってやがんだ?一度命を落とした傭兵が戻ってくる訳がねえだろうが。
幻影に縋るんじゃねえ。思い入れのあった相手なら尚更、ソイツが偽者だって事くらい分かんだろ、)
ふと。
部下の姿が脳裏をよぎる。現在肉体を己に貸し与えている『俺』の、本来の姿とその――言葉が。
次の瞬間、頭部が締め付けられるように痛んだ。
【Day 3】
……傷跡が、疼く。
遠くから「俺」を呼ぶ声がする。
「■■■上長!報告致します。今回の戦果は――」
声の主は予想通り、部下である『俺』。
蘇った記憶の再現なのだろう。報告内容には聞き覚えがあった。
毅然とした口調で報告を終えた『俺』だったが、その日は何となく歯切れが悪かった。
言い足りないことがあるなら言ってみろ、と促すと、『俺』は少し口ごもった後でぽつりと言葉を漏らした。
「……■■■上長。
もし俺が……俺でなくなったり、俺の顔をした偽者があなたを襲撃するような事態が起きたなら。
その時は、躊躇せず撃ち抜いて頂けませんか」
『俺』の真剣な眼差しと言葉を受け、「俺」が数回の瞬きの後、返答すべく口を開こうとすると、
『俺』ははっと身を強張らせ、弁解するように言葉を紡いだ。
「あ、いえ、近年全身義体で生活する者も珍しくありませんから、他人に成りすます事も容易であると考えて……先程の発言に至りました。
ご気分を害されたら申し訳ありませんが、俺もあなたも枚挙に暇がないほど恨みを買ってきたはずですので、
あなたの命を狙う者が現れれば、手段として利用される可能性があります。
俺は今のところ肉体の大半が生身ですが、今後どうなるかは確証が持てません」
堰を切ったように一息に言葉を吐き出した『俺』は、「俺」の――恐らく怪訝な表情で睨んでいたであろう視線を受け、
ぐっと拳を握ると、鋭く息を吸い込んだ。
「……他の人間との見分けがつくように、本物の俺の肉体には傷を入れる事にします。
あなたと接する際は必ず見せるようにしますので……っ、」
そう言うが早いか、『俺』は懐から取り出したナイフの刃を左手の甲に埋めた。
ぎりぎりと深くまで、鮮血が床に滴り落ちるのも厭わずに、「俺」の制止にも首を振る。
仕方なく駆け寄って『俺』の手からナイフを引き抜いて奪い取ると、『俺』は赤く染まった左手を睨み付けた後、
目を閉じて膝をつき、懺悔するように頭を垂れた。
*******
(思い出した。あん時ゃ気でも触れたかと思ったが、)
左手を覆う手袋を外す。手の甲に視線を落とすと、先程の記憶に近い位置にナイフの跡と思しき線が走っていた。
一筋ではないことから、あの後も跡が残るように何度も切り付けたらしい事が伺える。
「やっぱり気が触れてやがったか。この跡だって真似されちまえば終わりだろうが」
深い溜息を吐きながら、右手の手袋も外して指で傷跡をなぞる。
ある程度の年月を経て尚、僅かに凹凸を感じる跡。
それに、と苛ついたような溜息を零すと、顔を上げてモニタを睨み付ける。
「馬鹿野郎。俺が部下を……お前を見間違うとでも思ってんのかよ」
*******
機体を飛ばす。北へ、北へ。モニタが映し出す景色が凍り付いていく。
途中で通信機が拾い上げた声が、脳内で反響する。
「幽霊だって凍っちまうよ」
ハ、と失笑を漏らすと、じわりと熱を帯びる肉体に向けて吐き捨てる。
「死んだ奴は大人しく凍り付いとけ。傷があるってこたァ、この肉体は本物なんだろ?
安心しろ、お前の『幽霊』でも出た暁にゃ――俺が真っ先に撃ち落としてやるからよ」
操縦棺内に溢れ返る電子音と人間の肉声。
操縦席に腰を埋め、進路を北に取り機体を飛ばす男は、
戦場でもないのにうるさくてかなわない、と言わんばかりに首を振ると、
手元のボタンを操作し、音量を無音ぎりぎりまで下げた。
(不必要な情報を耳に入れてる暇はねえ……が、どこに何が潜んでやがるか分からねえからな)
視覚はモニタに、聴覚は微かに聞こえる通信に。
意識はレーダーに向けつつ操縦していると、ピピッと小さな音が響き、個人宛と思しき通信が入った。
どこからこの機体に目を付けたのか、スコルパピーと名乗る傭兵の話を聞くともなく聞き流していると、
先程耳にしたばかりの女性の声が重なった。
無意識のうちに、彼女の声を優先的に聞き取っていたらしい。
程なくして彼女の異変と通信の切断を感知すると、男の表情が険しくなった。
(死んだはずの傭兵の機体……霊障研究所、か)
結局一言も発することのないまま通信を終えると、脳内で思索を巡らせる。
(機体の複製なんざ幾らでもあり得る。姿だって金さえ積めば好きな義体を作れる。
何をビビってやがんだ?一度命を落とした傭兵が戻ってくる訳がねえだろうが。
幻影に縋るんじゃねえ。思い入れのあった相手なら尚更、ソイツが偽者だって事くらい分かんだろ、)
ふと。
部下の姿が脳裏をよぎる。現在肉体を己に貸し与えている『俺』の、本来の姿とその――言葉が。
次の瞬間、頭部が締め付けられるように痛んだ。
【Day 3】
……傷跡が、疼く。
遠くから「俺」を呼ぶ声がする。
「■■■上長!報告致します。今回の戦果は――」
声の主は予想通り、部下である『俺』。
蘇った記憶の再現なのだろう。報告内容には聞き覚えがあった。
毅然とした口調で報告を終えた『俺』だったが、その日は何となく歯切れが悪かった。
言い足りないことがあるなら言ってみろ、と促すと、『俺』は少し口ごもった後でぽつりと言葉を漏らした。
「……■■■上長。
もし俺が……俺でなくなったり、俺の顔をした偽者があなたを襲撃するような事態が起きたなら。
その時は、躊躇せず撃ち抜いて頂けませんか」
『俺』の真剣な眼差しと言葉を受け、「俺」が数回の瞬きの後、返答すべく口を開こうとすると、
『俺』ははっと身を強張らせ、弁解するように言葉を紡いだ。
「あ、いえ、近年全身義体で生活する者も珍しくありませんから、他人に成りすます事も容易であると考えて……先程の発言に至りました。
ご気分を害されたら申し訳ありませんが、俺もあなたも枚挙に暇がないほど恨みを買ってきたはずですので、
あなたの命を狙う者が現れれば、手段として利用される可能性があります。
俺は今のところ肉体の大半が生身ですが、今後どうなるかは確証が持てません」
堰を切ったように一息に言葉を吐き出した『俺』は、「俺」の――恐らく怪訝な表情で睨んでいたであろう視線を受け、
ぐっと拳を握ると、鋭く息を吸い込んだ。
「……他の人間との見分けがつくように、本物の俺の肉体には傷を入れる事にします。
あなたと接する際は必ず見せるようにしますので……っ、」
そう言うが早いか、『俺』は懐から取り出したナイフの刃を左手の甲に埋めた。
ぎりぎりと深くまで、鮮血が床に滴り落ちるのも厭わずに、「俺」の制止にも首を振る。
仕方なく駆け寄って『俺』の手からナイフを引き抜いて奪い取ると、『俺』は赤く染まった左手を睨み付けた後、
目を閉じて膝をつき、懺悔するように頭を垂れた。
*******
(思い出した。あん時ゃ気でも触れたかと思ったが、)
左手を覆う手袋を外す。手の甲に視線を落とすと、先程の記憶に近い位置にナイフの跡と思しき線が走っていた。
一筋ではないことから、あの後も跡が残るように何度も切り付けたらしい事が伺える。
「やっぱり気が触れてやがったか。この跡だって真似されちまえば終わりだろうが」
深い溜息を吐きながら、右手の手袋も外して指で傷跡をなぞる。
ある程度の年月を経て尚、僅かに凹凸を感じる跡。
それに、と苛ついたような溜息を零すと、顔を上げてモニタを睨み付ける。
「馬鹿野郎。俺が部下を……お前を見間違うとでも思ってんのかよ」
*******
機体を飛ばす。北へ、北へ。モニタが映し出す景色が凍り付いていく。
途中で通信機が拾い上げた声が、脳内で反響する。
「幽霊だって凍っちまうよ」
ハ、と失笑を漏らすと、じわりと熱を帯びる肉体に向けて吐き捨てる。
「死んだ奴は大人しく凍り付いとけ。傷があるってこたァ、この肉体は本物なんだろ?
安心しろ、お前の『幽霊』でも出た暁にゃ――俺が真っ先に撃ち落としてやるからよ」
◆3回更新の日記ログ
未識別機動隊『シュヴァルベ・ドライ』を何とか退け、
けたたましく鳴り響いていたサイレンがようやく黙りこくった後。
いつの間にか、新たな機体が増えていた。先程の戦闘を見守っていたようだ。
渦巻き殻と色彩が目に鮮やかなロゴが刻まれた機体から、女性の声が響く。
カラフルスネイル隊のリスプ――――と名乗ったその女性は、
どうやらジェトとは知り合いだったらしく、何やら親しげに挨拶している。
対するジェトの口数は少ないようだが、男はさして興味を示さなかった。
(……他所の人間関係に首突っ込む趣味はねえな)
目を閉じて溜息を吐く。そのまま立ち去ろうとすると、女性の声が男に向けられた。
ちょっといいメシ、という言葉を聞いた瞬間。普段の冒涜的な食事に飽いていた男は、進行方向を180°変えた。
******
食事に釣られて、疑いもせず彼女について行こうとする肉体に逆らえず、
周囲に刺すような視線を向けながら、駐屯地にて振る舞われた「ちょっといいメシ」を平らげた男は、
普段よりほんの僅かに柔和な表情で戻ってくると、再び錆びた機体――――「C.C.」と名付けたグレムリンに乗り込んだ。
「…………フン。幾分マシな味だったんじゃねえの。
毒が盛られてなかったのは救いか?いや……わざわざメシに盛る必要もねえか」
反応を見るに、大いに口に合ったようだ。
「しっかし、マシなメシを食っちまったら、普段のメシが更に不味く感じて食えなくなるじゃねえか。
……連中、まさかこうなる事を見越してやがったのか?チッ、食事の度に士気を下げる罠かよ」
貴重な食糧をご馳走になっておきながら理不尽な言葉を口走った後、男が右手を操縦パネルにかざすと、
モニタに見覚えのない認証画面が表示された。
緑ベースの淡い光が点滅し、ピピッ、と小さな音を立てて「OK」の文字を映し出す。
――――認証に成功。思念接続を開始。
怪訝そうな顔でモニタを凝視していた男の耳に、やがて陽気な音声が飛び込む。
「――――対流域を確保。ようこそ、グレイヴネットへ!!」
次の瞬間、操縦棺内のモニタ一面に、網状のマップと思しき模様が表示される。
機体が自動的に情報集積システムに接続されたらしい、と気付くと、頭部がずきりと痛みを返した。
【Day 2】
……傷跡が、疼く。
情報や通信にはあまり良い思い出がない。
かつて「俺」の肉体で機体を駆っていた傭兵時代、通信機から聞こえてきたのは殆どが侮蔑や嘲笑。
素行の悪さで不興を買っていたせいか、雇い主から必要な情報まで遮断されることがあった。
金で動く、使い捨ての手駒。
――――傭兵というのは、何処でもそんな扱いを受けるものなのだろうが。
当然、傭兵側も雇い主を信用するケースなど稀だ。
別々の依頼主から二重に依頼を請け、自らの利益が最大となるよう動いたことも何度かあった……はずだ。
金さえ入手出来ればそれでいい。今日のメシにありついて、少しでも長く……『長く』?
ズキ、と脳が軋むような痛みを覚える。「俺」はかつて、何を考えていた?
そう考えていた理由を忘れてしまったのか、或いは……
思考が一度停止する。
ややあってから、聞き覚えのある男の声が脳内に響いた。
「■■■上長。ターゲットの移動経路を入手しました。
タワーに向かう部隊はダミーです。本隊は少数で南東を経由する模様。ここからの距離は――――」
言葉の意味を認識すると、思考は再び回り出した。
そうだ。泥沼のような傭兵稼業の中で――――信じるに値したものは、部下の通信だけだった。
あの男は……『俺』は、いつでも隠し立てすることなく「俺」に情報を寄越した。
相手の殲滅を得意とする「俺」と、情報収集や後方支援に長けた『俺』。かつては主に二人で依頼を請けていた――――そんな記憶が蘇る。
しかし、「俺」が『俺』の中にいる以上、当時と同じやり方は不可能だ。現在目の前にあるのは……
******
「……成程な。グレイヴネットとやらが生きてて、この機体が接続可能って事は……
昔よか得られる情報が多くて、雇い主が意図的に絞った狭域の情報に踊らされる可能性が低いってこった」
フヌと名乗るインターフェースの挨拶を話半分に聞き流しつつ、今後の方針を組み上げていく。
(まず……不明点が多すぎる)
「脳と肉体の持ち主が別」という現在の状態に至った経緯も、咄嗟に「C.C.」と名付けた錆び付いた機体についても、先程襲来した機体についても。
忘れているのか、知らないだけか、それとも。男には、あらゆる情報が不足していた。
(……チッ。コイツが『俺』の肉体である以上、現状を把握出来るまでは生きなきゃなんねえ。
面倒くせえな。だがよ……)
今の肉体は『俺』のもの、言動は仮初の「S.Owen」のものであり、かつての「俺」を知るものはいない。
「俺」の生存を知るや否や攻撃を仕掛けてくるような相手も、恐らくはいないだろう。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
「……過去に俺を陥れたロクデナシ共は、もうお陀仏だといいんだがな」
そう呟くと、食事で体内の熱量が上昇した影響か、はたまた別の要因か……肉体がじわりと熱を帯びた。
流れてきた通信に素直に耳を傾ける気になったのも、気の緩みの表れだろう。
…………北方の海域では、「うに」が獲れるらしい。
そう聞いた瞬間、腹がくうと鳴った。
涙声になっているグレイヴネット・インターフェースを余所に、モニタに現在の座標を表示させる。
必要な内容は操作マニュアルに載っている、という言葉は聞き取れたので、随時確認すればいいだろう。今はそれよりも。
「ったく、腹の虫をどうするかだな。仕方ねえ……食えるかは二の次として、進路は一先ず北、と」
特に行く宛もなかったためか、そのまま北に向けて飛び立とうとする。
と、操縦棺内に軽やかな電子音が響く。
どうやらメールの受信音だったらしい。メールは自動開封され、モニタの左下にメッセージが映し出される。
ちらと一瞥をくれて差出人を確認する。見知らぬ相手だ。続いて本文を…………
…………一秒と経たないうちに、メールを破棄する容赦ないブザー音が響いた。
けたたましく鳴り響いていたサイレンがようやく黙りこくった後。
いつの間にか、新たな機体が増えていた。先程の戦闘を見守っていたようだ。
渦巻き殻と色彩が目に鮮やかなロゴが刻まれた機体から、女性の声が響く。
カラフルスネイル隊のリスプ――――と名乗ったその女性は、
どうやらジェトとは知り合いだったらしく、何やら親しげに挨拶している。
対するジェトの口数は少ないようだが、男はさして興味を示さなかった。
(……他所の人間関係に首突っ込む趣味はねえな)
目を閉じて溜息を吐く。そのまま立ち去ろうとすると、女性の声が男に向けられた。
ちょっといいメシ、という言葉を聞いた瞬間。普段の冒涜的な食事に飽いていた男は、進行方向を180°変えた。
******
食事に釣られて、疑いもせず彼女について行こうとする肉体に逆らえず、
周囲に刺すような視線を向けながら、駐屯地にて振る舞われた「ちょっといいメシ」を平らげた男は、
普段よりほんの僅かに柔和な表情で戻ってくると、再び錆びた機体――――「C.C.」と名付けたグレムリンに乗り込んだ。
「…………フン。幾分マシな味だったんじゃねえの。
毒が盛られてなかったのは救いか?いや……わざわざメシに盛る必要もねえか」
反応を見るに、大いに口に合ったようだ。
「しっかし、マシなメシを食っちまったら、普段のメシが更に不味く感じて食えなくなるじゃねえか。
……連中、まさかこうなる事を見越してやがったのか?チッ、食事の度に士気を下げる罠かよ」
貴重な食糧をご馳走になっておきながら理不尽な言葉を口走った後、男が右手を操縦パネルにかざすと、
モニタに見覚えのない認証画面が表示された。
緑ベースの淡い光が点滅し、ピピッ、と小さな音を立てて「OK」の文字を映し出す。
――――認証に成功。思念接続を開始。
怪訝そうな顔でモニタを凝視していた男の耳に、やがて陽気な音声が飛び込む。
「――――対流域を確保。ようこそ、グレイヴネットへ!!」
次の瞬間、操縦棺内のモニタ一面に、網状のマップと思しき模様が表示される。
機体が自動的に情報集積システムに接続されたらしい、と気付くと、頭部がずきりと痛みを返した。
【Day 2】
……傷跡が、疼く。
情報や通信にはあまり良い思い出がない。
かつて「俺」の肉体で機体を駆っていた傭兵時代、通信機から聞こえてきたのは殆どが侮蔑や嘲笑。
素行の悪さで不興を買っていたせいか、雇い主から必要な情報まで遮断されることがあった。
金で動く、使い捨ての手駒。
――――傭兵というのは、何処でもそんな扱いを受けるものなのだろうが。
当然、傭兵側も雇い主を信用するケースなど稀だ。
別々の依頼主から二重に依頼を請け、自らの利益が最大となるよう動いたことも何度かあった……はずだ。
金さえ入手出来ればそれでいい。今日のメシにありついて、少しでも長く……『長く』?
ズキ、と脳が軋むような痛みを覚える。「俺」はかつて、何を考えていた?
そう考えていた理由を忘れてしまったのか、或いは……
思考が一度停止する。
ややあってから、聞き覚えのある男の声が脳内に響いた。
「■■■上長。ターゲットの移動経路を入手しました。
タワーに向かう部隊はダミーです。本隊は少数で南東を経由する模様。ここからの距離は――――」
言葉の意味を認識すると、思考は再び回り出した。
そうだ。泥沼のような傭兵稼業の中で――――信じるに値したものは、部下の通信だけだった。
あの男は……『俺』は、いつでも隠し立てすることなく「俺」に情報を寄越した。
相手の殲滅を得意とする「俺」と、情報収集や後方支援に長けた『俺』。かつては主に二人で依頼を請けていた――――そんな記憶が蘇る。
しかし、「俺」が『俺』の中にいる以上、当時と同じやり方は不可能だ。現在目の前にあるのは……
******
「……成程な。グレイヴネットとやらが生きてて、この機体が接続可能って事は……
昔よか得られる情報が多くて、雇い主が意図的に絞った狭域の情報に踊らされる可能性が低いってこった」
フヌと名乗るインターフェースの挨拶を話半分に聞き流しつつ、今後の方針を組み上げていく。
(まず……不明点が多すぎる)
「脳と肉体の持ち主が別」という現在の状態に至った経緯も、咄嗟に「C.C.」と名付けた錆び付いた機体についても、先程襲来した機体についても。
忘れているのか、知らないだけか、それとも。男には、あらゆる情報が不足していた。
(……チッ。コイツが『俺』の肉体である以上、現状を把握出来るまでは生きなきゃなんねえ。
面倒くせえな。だがよ……)
今の肉体は『俺』のもの、言動は仮初の「S.Owen」のものであり、かつての「俺」を知るものはいない。
「俺」の生存を知るや否や攻撃を仕掛けてくるような相手も、恐らくはいないだろう。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
「……過去に俺を陥れたロクデナシ共は、もうお陀仏だといいんだがな」
そう呟くと、食事で体内の熱量が上昇した影響か、はたまた別の要因か……肉体がじわりと熱を帯びた。
流れてきた通信に素直に耳を傾ける気になったのも、気の緩みの表れだろう。
…………北方の海域では、「うに」が獲れるらしい。
そう聞いた瞬間、腹がくうと鳴った。
涙声になっているグレイヴネット・インターフェースを余所に、モニタに現在の座標を表示させる。
必要な内容は操作マニュアルに載っている、という言葉は聞き取れたので、随時確認すればいいだろう。今はそれよりも。
「ったく、腹の虫をどうするかだな。仕方ねえ……食えるかは二の次として、進路は一先ず北、と」
特に行く宛もなかったためか、そのまま北に向けて飛び立とうとする。
と、操縦棺内に軽やかな電子音が響く。
どうやらメールの受信音だったらしい。メールは自動開封され、モニタの左下にメッセージが映し出される。
ちらと一瞥をくれて差出人を確認する。見知らぬ相手だ。続いて本文を…………
…………一秒と経たないうちに、メールを破棄する容赦ないブザー音が響いた。
◆2回更新の日記ログ
「……ったく、何だこの機体はよ……!」
サイレンの響く中、急速に接近してきた謎の機体が砲撃を開始する直前。
その男は、身を滑り込ませた機体を辛うじて工場から飛び立たせることに成功した。
しかし――――
「重たいったらありゃしねえ。これじゃ停滞してんのはこっちじゃねえか。
チッ……こんなんじゃいい的だぜ、撃つ方も退屈だろうよ!」
どうやら操縦者の期待に沿う性能ではなかったらしい。
操作と飛翔自体には一見問題がなさそうだったが、戦えるかどうかは別問題だ。
錆び付いていた、という点を差し引いても、その機体の動作は良く言えば慎重……有り体に言えば鈍重だった。
悪態を吐きながら操縦桿を操るが、襲撃者を捕捉することが出来ない。
ようやく捉えた敵機からエネルギー反応を検知するも、男の機体は咄嗟に回避を行うには重すぎた。
被弾する――――と思われた次の瞬間。
いつの間にか周囲に展開されていた大型のドローンが、男の機体を庇って損傷する。
その光景を目にした男は一瞬呆気に取られた後、瞬きと舌打ちをひとつずつ。
「……ッ、コイツらに助けられるたァ……反応が遅ェな、新しい『C.C.』さんはよ……!」
そのまま態勢を立て直し、攻撃に回ろうとした瞬間、後方から通信が入った。
「こちらグレイフロッグ隊、ジェト。未識別機動隊『シュヴァルベ・ドライ』と、所属不明機一機ならびに防衛設備の交戦を確認。
只今より援護に入る」
声の主は恐らく男。増援は歓迎すべきなのだろうが、思うように動けない自分の不甲斐なさが際立つ。
返答すべく通信機に意識を向け、目前の敵機への警戒を怠った際に生まれた隙を、襲撃者は見逃さなかった。
機体に衝撃が走る。被弾箇所は左腕部。
幸い動かすことは出来そうだが、男の苛立ちは加速した。
通信機……と言うより虚空に向けて、半ば自棄気味に言葉が放たれる。
「次から次へと……、勝手に、しやがれ……ッ!」
ずきり。叫び声がトリガーとなったのか、声を発し終わると同時に頭部が痛みを訴えた。
【Day 1】
……傷跡が、疼く。
交戦中だというのに、意識は思索に迷い込む。
想起されるのは、僅か数分前までの……この機体に乗り込む直前までの状況。
咄嗟に操縦棺に滑り込んだこと自体は別にいい。元の「俺」だった頃、何度も機体を駆った記憶がある。
問題はその前で、
…………俺は何故あのガレージで、見覚えのない錆び付いた機体を前に、壁にもたれかかって眠っていたのか。
いくら「俺」の意識が飛びがちだと言っても、見知らぬ工場で無防備に眠るほど警戒心を失った訳ではない。
今時夢遊病など珍しくもないが、何故このタイミングでこの場所にいたのか。
――――まるで誰かが「俺」を導いたように。
先程の未識別機体……通信相手はシュヴァルベ・ドライとか言ったか?
お節介な誰かさんが敵機の接近に危機感を持ち、俺をここまで連れてきた…………そうとしか思えない。
だが、一体誰が。
この身体に入ってから、外部との接触はほぼ絶っているはずだ。
元々……俺が本来の「俺」だった時から、俺を疎むヤツはごまんといたが、親しくしようとしてくるヤツなんざいなかった。
……この身体の持ち主を除いては。
******
(ああ、『俺』なら。こいつの機体なら、クソ重い構成も頷ける)
視界には敵機を捉えつつ、脳裏に閃いた相手に関する記憶を辿る。
防御を重んじていた『俺』の機体であり、速攻を是としていた「俺」には扱いづらい、と考えれば合点が行く。
だが。もしこの仮定が正しいのだとしたら。
『反撃態勢。主兵装のロックを解除します。敵機捕捉。攻撃用意』
先程の被弾に反応したのだろう、アナウンスと共に主兵装にエネルギーが充填されてゆく。
高圧の電流はやがて刀剣のような形を取り――――
(記憶にねえぞ。こいつは何時(いつ)、何処で……こんな武器を手に入れやがったんだ)
――――バチバチと不吉さを感じさせる咆哮を上げた後、轟音と共に敵機の装甲を大きく穿った。
サイレンの響く中、急速に接近してきた謎の機体が砲撃を開始する直前。
その男は、身を滑り込ませた機体を辛うじて工場から飛び立たせることに成功した。
しかし――――
「重たいったらありゃしねえ。これじゃ停滞してんのはこっちじゃねえか。
チッ……こんなんじゃいい的だぜ、撃つ方も退屈だろうよ!」
どうやら操縦者の期待に沿う性能ではなかったらしい。
操作と飛翔自体には一見問題がなさそうだったが、戦えるかどうかは別問題だ。
錆び付いていた、という点を差し引いても、その機体の動作は良く言えば慎重……有り体に言えば鈍重だった。
悪態を吐きながら操縦桿を操るが、襲撃者を捕捉することが出来ない。
ようやく捉えた敵機からエネルギー反応を検知するも、男の機体は咄嗟に回避を行うには重すぎた。
被弾する――――と思われた次の瞬間。
いつの間にか周囲に展開されていた大型のドローンが、男の機体を庇って損傷する。
その光景を目にした男は一瞬呆気に取られた後、瞬きと舌打ちをひとつずつ。
「……ッ、コイツらに助けられるたァ……反応が遅ェな、新しい『C.C.』さんはよ……!」
そのまま態勢を立て直し、攻撃に回ろうとした瞬間、後方から通信が入った。
「こちらグレイフロッグ隊、ジェト。未識別機動隊『シュヴァルベ・ドライ』と、所属不明機一機ならびに防衛設備の交戦を確認。
只今より援護に入る」
声の主は恐らく男。増援は歓迎すべきなのだろうが、思うように動けない自分の不甲斐なさが際立つ。
返答すべく通信機に意識を向け、目前の敵機への警戒を怠った際に生まれた隙を、襲撃者は見逃さなかった。
機体に衝撃が走る。被弾箇所は左腕部。
幸い動かすことは出来そうだが、男の苛立ちは加速した。
通信機……と言うより虚空に向けて、半ば自棄気味に言葉が放たれる。
「次から次へと……、勝手に、しやがれ……ッ!」
ずきり。叫び声がトリガーとなったのか、声を発し終わると同時に頭部が痛みを訴えた。
【Day 1】
……傷跡が、疼く。
交戦中だというのに、意識は思索に迷い込む。
想起されるのは、僅か数分前までの……この機体に乗り込む直前までの状況。
咄嗟に操縦棺に滑り込んだこと自体は別にいい。元の「俺」だった頃、何度も機体を駆った記憶がある。
問題はその前で、
…………俺は何故あのガレージで、見覚えのない錆び付いた機体を前に、壁にもたれかかって眠っていたのか。
いくら「俺」の意識が飛びがちだと言っても、見知らぬ工場で無防備に眠るほど警戒心を失った訳ではない。
今時夢遊病など珍しくもないが、何故このタイミングでこの場所にいたのか。
――――まるで誰かが「俺」を導いたように。
先程の未識別機体……通信相手はシュヴァルベ・ドライとか言ったか?
お節介な誰かさんが敵機の接近に危機感を持ち、俺をここまで連れてきた…………そうとしか思えない。
だが、一体誰が。
この身体に入ってから、外部との接触はほぼ絶っているはずだ。
元々……俺が本来の「俺」だった時から、俺を疎むヤツはごまんといたが、親しくしようとしてくるヤツなんざいなかった。
……この身体の持ち主を除いては。
******
(ああ、『俺』なら。こいつの機体なら、クソ重い構成も頷ける)
視界には敵機を捉えつつ、脳裏に閃いた相手に関する記憶を辿る。
防御を重んじていた『俺』の機体であり、速攻を是としていた「俺」には扱いづらい、と考えれば合点が行く。
だが。もしこの仮定が正しいのだとしたら。
『反撃態勢。主兵装のロックを解除します。敵機捕捉。攻撃用意』
先程の被弾に反応したのだろう、アナウンスと共に主兵装にエネルギーが充填されてゆく。
高圧の電流はやがて刀剣のような形を取り――――
(記憶にねえぞ。こいつは何時(いつ)、何処で……こんな武器を手に入れやがったんだ)
――――バチバチと不吉さを感じさせる咆哮を上げた後、轟音と共に敵機の装甲を大きく穿った。
AR_Hawksbillを破棄した
S.Owenは圧縮型レーダーシステムを手に入れた!!(フラグメンツ-1)
◆アセンブル
【頭部】に鉄の仮面を装備した
【腕部】にレジスタントアームを装備した
【操縦棺】に097-COFFIN《CENTRAL》を装備した
【脚部】に005-LEG《REX》を装備した
【エンジン】に塞式ガードナーエンジンを装備した
【エンジン】に塞式ガードナーエンジンを装備した
【索敵】に広域レーダーL型を装備した
【索敵】におおば(広域レーダー電波撃高耐久)を装備した
【主兵装】にアヴァランテを装備した
【背部兵装】にフレイムランチャーを装備した
◆僚機と合言葉
(c) 霧のひと