第23回目 午前2時のツィール・ブライ
プロフィール
経歴 〇ツィール・ブライ:スクラップ置き場に全裸で倒れていた青年。肩口にひどい火傷痕がある。 自称服飾デザイナーのボリス、その自称弟子であるエリエスに拾われた。 自らに関する記億を全く持っておらず、内腿に刻まれたZIEL-bLEIの文字からエリエスによってツィールと名付けられる。 その正体は「統制群体によるグレムリンの連携運用」――、通称【レギオン】システムと呼称される計画によって生み出された特殊培養人間。 言われた事を素直に信じてしまうのは記憶が無いからなのか元からそうなのか、とにかくあまり変な事は教えない方がよさそうだ。 〇シュピネ:自称服飾デザイナーの蟹。蟹と呼ばれるたびに蜘蛛だと訂正しているが、どうみても蟹。 ボリス・シュピンラッドによる遠隔操作で行動してたが病没、しかし何故か今も動いている。 〇エリエス・シェーレ:ボリスの弟子を自称していたが、現在はツィールの機体整備を担当している。 男装しているのは単に身の安全を確保する為なので、親しくなった人相手には割と簡単に性別を明かしている。 |
◆日誌
「シュピネはそれで怒ってハサミ振り回してたの?」
エリエスは呆れた様子で学生鞄を抱えなおし、足元を見降ろした。
『このワレワレの! 渾身のデザインを否定されて我慢出来るものかニィ!』
シュピネと呼ばれた膝下までの高さがあるカニ――本人はクモと自称している――のような姿のロボットが、アームをぶんぶんと振りながら力説していた。
「今度こそデザインコンペを勝ち取るなんて意気込んでいたからな。鋏を取り上げるのに苦労した」
赤髪の青年が、エリエスとシュピネの後をついて歩く。歩く人の姿もまばらなこの区画は、廃材置き場――、もっとはっきり言ってしまえばゴミ捨て場だ。
タワー上層から投下されたゴミがパイプラインを伝って処分場に向かうまでの中継地点なのだが、誰がいつどうやってこじ開けたのか、廃棄物の一部がこの場所に吹き溜まるようになっている。リサイクル環境の整っているこのタワー沿岸部では、かなり特殊な場所だ。
二人と一機、なぜそんなところを歩いているのかと言うと、シュピネの提案だった。この廃材置き場には「お宝」が眠っている! 熱心なシュピネに根負けするかたちで、時々こうやって下校途中に「寄り道」しているのだ。
実際、最新の携帯端末に付ける追加パーツが無傷のまま拾えたこともあるし、用途はわからないが七色に光る綺麗な小石を見つけたこともあった。
「今の流行だと身体の線が目立つようなシルエットのが人気みたいだしねえ」
『いや、あれは単にモデルが着てるからキレイに見えるだけっ! もう少しルーズなシルエットにして……』
その先はほとんど独り言のように、シュピネは早口で自前の服飾論を語り始める。シュピネは、ネットをメインの活動拠点にファッションデザイナーを自称していた。人気のほどはよくわからないが、最近では多少の仕事も請け負うようになり、エリエスも手伝わされることが増えてきた。
エリエスは適当に相槌を打ちながら、赤髪の青年と共に新しく流れ込んできたと思しき廃材の山へと歩を進めた。
「ここだけまるで、別の世界に迷い込んだみたいだな」
「エイゼルもそう思う? 何だか、変な感じだよね」
地面に広がる赤錆色の廃液溜まりを避けながら歩いていると、廃材の中に人の足が覗いて見えた。マネキン人形にしては随分と生々しい質感だ。エイゼルに頼んで引っ張り出してもらうと、ボロ布と共に五体揃ったヒトの体がまろび出てきた。全裸で。
「ちょ……、は、裸とかっ」
『なになに、どうしたかニィ?』
廃材を崩した音を聞きつけてシュピネが寄ってきた。エリエスは裸を見ないように鞄で顔を隠している。
『おや、ようやくアタリが見つかったニィ』
シュピネの言葉に首を傾げながら、エイゼルは倒れている男を調べる。僕と同じくらいの背格好、年の頃は二十くらいだろうか? エイゼルが所感を述べながら男の頭部を覆うボロ布を払いのけると、赤い髪が現れた。
「どういう、ことだ?」
驚きの声をあげるエイゼルにつられて鞄をどけたエリエスは目を見張る。エイゼルと同じ髪の色――、いや、髪の色ばかりではない。エイゼルと生き写しの姿が目の前に倒れていたのだ。
「エイゼルが、二人いる……」
肩口にひどい火傷を負った痕があるものの、それ以外に目立つ外傷はない。シュピネがそのアームで肩口の火傷痕に触れた時、小さな呻き声が聞こえた。
「生きてる!?」
全裸の男は震えるように身じろぎした後、ゆっくりと目を開く。しばらく呆然と周囲を見回したあとで身体を起こした。
「ええと、ただいまって言ったほうがいいのかな」
「何言ってるのよ、それにあなた一体誰? なんでエイゼルと同じ顔してこんな場所で全裸で倒れて……ああもう意味わかんない!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまったエリエスに、赤髪の青年は、
「取りあえず、何か着るものあるかな」
そう言った。
◆23回更新の日記ログ
『継ぎ接ぎ幽霊船』周囲の海域は、いっそ不気味なくらい凪いでいた。
ネグロ、レイル、ツィールの三人が自分たちの手の……声の届かない領域へと行ってしまった以上、エリエスに出来る事はもはや何もない。三人の誰かから通信があったならすぐ知らせるからとルインに言われ、エリエスは自室のある区画の周囲をあてもなく歩き回っていた。
「あっ……。ごめん、エイゼルだね」
誰と見間違えたかなんて言うまでもない。コンテナの上に座り込む赤髪の青年に咎められたわけでもないのに、エリエスは謝罪の言葉を投げかけた。
エイゼルは携帯端末から顔を上げると、
「この顔に、見覚えがあるのか」
「ん、もう。からかわないでっ」
エリエスの抗議に、エイゼルは微かな笑みを浮かべる。
このまま自分の部屋に戻ることもできたけれど、エリエスは何となく、エイゼルの隣に腰を下ろした。
「落ち着かないのか」
「そう、だね。三人とも今どんな状態なのかよくわからないし、無事に帰ってきて欲しいって思っていても、自分に何が出来るわけでもないから……」
せめてこの気持ちが、彼らを助ける何らかの力として届けられたらいいのに、とエリエスは思う。
「僕は、他の個体と情報を共有、並列化することで効率的に運用する目的で生み出された群生体の一つだ」
「エイゼル……?」
「だから、構成する単体が失われたとして、共有される情報に影響はない。 人間の小指が一本欠けたとして、その人間が死んだとは言わないように」
エイゼルはエリエスに身体ごと向き直る。表情の乏しさは変わらないが、その目は、もはやかつての冷たさを感じることはない。
「僕と『俺』は、厳密な生体照合を行ったとしても同一存在と結果が出るだろう。前に入れ替わってザイルテンツァーに搭乗した時も操作に何の障害も無かった。だとするなら、僕と『俺』の記憶を共有・並列化したなら、僕はツィール・ブライになれるのか?」
一体、エイゼルは何を言っているんだろう…… あの時のように、再びツィールへ危害を加える気なのかと警戒しそうになって、はたと気づく。
「ありがとう、エイゼル。わたしを元気づけようとしてくれたんだね」
「……言葉とは、不自由だな」
ツィールは照れ隠しに顔を逸らしたりなんかしない。だから、きっと全ての情報を共有したとしてもエイゼルはツィールではないし、ツィールはエイゼルではないのだとエリエスは思う。人の身体をバラバラに分けたとして、はたしてどれを指して『人間』と呼ぶのだろう……。人間は、どこが失われた時に『死ぬ』のだろう。
「三人とも、無事に帰ってきて欲しいね」
「そうだな」
◆22回更新の日記ログ
破損個所の確認、いずれも軽微。
装弾数点検、残数8割、問題なし。
レーダー、スラスター、駆動系、問題なし。
戦闘続行……、可能。
操縦棺のメインモニタにいくつか文字列が表示された後、まるで意識を取り戻したかのようにパネルに次々光が灯った。
『ザイルテンツァー』の操縦棺内で、ツィールは戦況を表示しているモニタを眺めながら、パック入りのゼリー飲料を飲み下す。
先の戦闘で、戦線離脱の判断を早まったかと思ったが、結果として致命的な一撃を食らわずに済んだし、最後まで場に残ったネグロがとどめを刺してくれた。
今はネグロの『カズアーリオス』、レイルの『スリーピング・レイル』と共にしばしの休憩をとっている。タワーの中層に進んでしまえば、もう『継ぎ接ぎ幽霊船』に戻って補給や整備を受けることは出来ない。押し上げた前線に置いた物資入りコンテナは、さしずめ橋頭保といったところだろう。
気の抜けぬ攻防が続く、さすがは最終決戦の場というべきか。
ふと、ツィールはスーツの胸元に留めてあるブローチに目をやる。それは、一本張られた綱の上で舞う踊り子――ザイルテンツァー《タイトロープダンサー》――の姿が刺繍されていた。
「落ちないで、渡り切って。そして無事帰ってきてね」
祈りと共にエリエスから手渡されたブローチが、帰るべき場所へと繋がる命綱のようにツィールには思えた。
『レイル、ツィール、聞こえるか。来るぞ』
ネグロからの通信が入る、決戦は近い。
◆21回更新の日記ログ
『継ぎ接ぎ幽霊船』の管制室にほど近い一室、元は機関士の仮眠室として使われていたらしい場所がエイゼルの部屋だ。元から設置されていただろう簡素な家具があるばかりの殺風景は、エイゼルの内面を表しているようにも思える。
レギオンシステムの部品として複製された「僕たち」、何度も繰り返されることに気付いたのは一体何度目の「終わり」だったろうか。ならば僕が僕たちを終わらせよう、そう思った。
連なりから転がり出た「欠陥品」を追って、僅かばかり残っていた繋がりを手繰ってこの船に侵入したことがもう随分と昔のように思える。エイゼルという名を与えられ、システムの部品でもなく、何を強制されることもなく生きても良いと言われ当初はかなり戸惑った。では今はどうだろう、監視用の目的で着けられていた首輪型の発信機も、鍵は既に外されておりいつでも脱着可となっている。ルインから頼まれて雑用をこなすことはあるが、それは決して命令ではない。船に棲む幽霊の少女と「おともだち」にもなった。
いつのまにか、僕自身も繰り返す「終わり」の輪から外れかかっている。
「エイゼル、ちょっといい?」
ノックする音に呼応して扉を開くと、ツィールが立っていた。自分と同じ顔、同じ姿、忌々しいだけだったはずの存在は、気安い態度で部屋に入り、手にした飲み物入りのカップを差し出した。
「これね、冷凍ミカンのジュースなんだって。とっても貴重なものらしいよ」
カップを受け取り中身を一口含む
「……すっぱいな」
「ね! すっぱいよね! でもちょっと甘い、面白いよね」
食事なんて、必要な栄養素が摂取できれば何でもよさそうなものなのに、僕と同じ顔をしている「俺」は全く違う表情を浮かべながらすっぱいだの甘いだのとはしゃいでいる。
「それで、何の用だ?」
「えっとね、俺たちこれからタワー内部の攻略に行くでしょ。だからその後エイゼルはどうするのか聞いてこいって」
タワー内部、そこには全ての根源が待ち受けているという。繰り返す終わりも、僕たちの絶望も、全部、全部そいつのせいだ。自分の手でそいつを倒してやりたいとも思う、だが……
「僕はこの船に残る。お前らが出かけてる間の留守番くらいは出来る」
「……エイゼル」
「お前らが勝った時、帰る場所が無くなっていたんじゃ、その……困る、だろうからな」
ほんの少し顔を逸らしてそう言ったエイゼルは、ほんの少しだけ、照れているようにツィールには思えた。
「俺たちが帰ってくるまで、エルと、シュピネ、ミアとルインを頼む」
言外に、自分らも必ず帰ってくるとの決意をツィールから感じ、二人は顔を見合わせて頷く。意識の共有などせずともお互い言いたいことは伝わる。それぞれ別の道を歩み始めたけれど、どちらも「俺」で「僕」なのだから。
「ま、僕が居なくても、ルインが全部一人で何とかしてくれそうではあるけどな」
「そうかもね」
小さな部屋の中に笑い声が響いた。
◆20回更新の日記ログ
本日のニュースです
ザザッ……ザーーーーッ……ザザッ
ザザッ……ザーーーーッ……ザザッ
ザザッ……ザーーーーッ……ザザッ
ザザッ……ザーーーーッ……ザザッ
未来を、我が手に
本日のニュースです
ザザッ……ザーーーーッ
ザザッ……ザーーーーッ
ザザッ……ザーーーーッ
ザザッ……ザーーーーッ
連環を、我が手に
終わりの予感がする。
俺を追ってきた「僕」――エイゼル――は、同じ時間を幾度となく繰り返していると言っていた。ならば今回も、特定の時点でまたループの最初に戻るのだろうか。
かつては俺もその巡りの中にいたのだろうけれど、思い出せないのは俺が「僕たち」から分かたれたからかもしれなくて……
「どうしたのよツィール、工具握ったままぼんやりして」
「あっ、ごめん……」
「別に怒ってないけど、でもちょっと……船内の雰囲気がちょっと違うっていうか。だから心配になっちゃったのよ」
工具を置いたエリエスはツィールの隣に座ると、携帯端末でグレイブネットに飛び交う「噂話」に関する書き込みを表示させた。この世界の成り立ちにも関わる壮大な内容は、エリエスにとってあまりにも遠く感じられて実感がわかない。それでも、ツィールやネグロ、レイルたちが命がけで戦っている大元の理由がここにあるのなら、全く無視しているのもダメな気がする。
「この世界がループしてるっていうなら、時間が戻ったら……またボリスに会えるのかな……」
「エル……」
「な、なんてね! 戻ったとしても覚えてないなら意味ないし!」
あわあわと手を振って誤魔化すエリエスに、ツィールはその手をエリエスの両肩に置いた。いつになく真剣な顔で見つめられ、エリエスは思わず顔を赤らめてしまった。
「聞いてほしい。俺、この戦いが終わったら……」
「その言い回しはやめた方がいいと思う」
「えっ」
「話の腰折ってごめん。続けて」
「あっはい、じゃあ言い方変えるね。エルはさ、この戦いが終結したらしてみたいことってある?」
「そんなこと急に言われても……思いつかないよ」
「俺ね、海が見たいんだ」
「海ぃ?」
言われてエリエスは首を傾げる。今この場所だって海上ど真ん中だし、海なんて窓からいくらでも見られるではないか。
「前にレイルさんに聞いたんだ、フィルタースーツなんて着なくても外に出られて、暑い季節は泳ぐことも出来る碧い海があるんだって」
フィルタースーツ無しで出られる外? 海が青い? 遠い昔ならともかく、粉塵によって赤錆色に覆われた今のこの世界にそんな場所なんてあるとは思えない。
「エルは今、俺が変な事言ってると思ってるでしょ。実は俺も……変な事言ってると思ってる。でも俺は……『これから』の為に戦いたいって思ってるんだ」
「これから、って?」
「もう戦わなくても良くなった時のこと。前もってどうしたいか考えておけば、ちょっとは頑張れるかなって思ってさ」
「そんなこと言って、戦いが終わらなかったら……青い海なんてどこにも存在しなかったらどうするのよ。それ以前に……」
戦いで命を落としてしまったらそれっきりではないか、という言葉を飲み込む。言ってしまったら、本当にそうなってしまいそうなきがしてしまったのだ。
「死なないよ」
「ツィール……」
顔を上げるとツィールと目が合う。確信を込めて頷く姿を見て、エリエスはツィールの言う「これから」を信じてみようと思った。
◆19回更新の日記ログ
本日のニュースです
ザザッ……ザーーーーッ
……渦巻く粉塵の雲が、その濃さを増して……ザザッ
渡り鳥がその間を飛び……ザザザッ
時折稲妻が……ザザッ
あなたの連環って、何?
本日のニュースです
ザザッ……ザーーーーッ……ザザッ
各地で……ザザッ……現象が……ザザッ
……ザザッ……謎の人影が現れ……ザザッ
対話に成功したものによると、彼らは古代の
科学者……という……ザザーッ
我々の未来は……ザザーーーーーッ
あなたの未来って、何?
継ぎ接ぎ幽霊船の管制室。ここはかつてどこかで使われていただろう戦艦の艦橋が流用されており、素人目にも別の船から流用されたとわかる様々な計測器が取り付けられて雑多な雰囲気を演出している。この場所だけでも「継ぎ接ぎ」の名の通りと言えるだろう。
その管制室の床に二人の青年と一機の小型機体が座らされていた。カニのような姿の小型機体で座る、という表現が果たして相応なのかはともかく、二人の青年――ツィールとエイゼル――は正座、あるいはライトトーチャースタイルと呼ばれる姿勢で、腰に手を当てて立つエリエスと向き合っていた。
「さて、説明してもらいましょうか?」
ツィールは発言の許可を求めるように手を挙げると、彼には珍しくぼそぼそと言い淀みながら事の経緯を説明しはじめた。
「ええとつまり、エイゼルと友達になった幽霊がネグロさんの妹で、その子を手伝う為にツィールと入れ替わった……ってこと?」
自分で言葉に出してもまだ理解が追い付かない。エイゼルとツィール、二人とも複製体なのだから生体情報が全く同じなわけで、だから入れ替わったとしても機体は違いを認識できない。理屈はわかったが、幽霊? 友達? この船に来てからずいぶん経つが、エリエスは幽霊なんて一度も見たことがなかった。
「ツィールも何でまたそんな簡単にザイルテンツァーへの搭乗を許可しちゃったのよ」
「だってエイゼルが『頼む』って言うから……」
「そりゃあ、途中まで気づかなかった私も私だけど……それよりシュピネ! どうして簡単にエイゼルの首輪外しちゃったのよ!?」
『一応監視目的って名目だったがニィ……もはや二人を見分ける程度の役割しかなかった訳だからして、特に問題は無いと思ったんだニィ』
変な方向に脚を畳んで正座してるつもりらしいシュピネはアームをワキワキさせている。当のエイゼルはというと最初に「全ての咎は僕が受ける」と言ったきり黙り込んでいた。ツィールはともかく、シュピネまで騙せるような嘘がエイゼルにつけるとも思えないし、上々と言っていい戦果をあげて帰還してきたのだから、悪意からの行動ではないと確信できてしまう。正座のまま姿勢を微塵も揺らがせることのない姿を見せられると、段々と自分が虐めているように思えてくる。それでも――
「だったら、何で……私にも言ってくれなかったのよ」
口をついて出た言葉で、エリエスは自分の気持ちに気付く。そうだ、自分だけ何も知らされていなかった状況が……寂しかったのだ。
「エル……」
「言ってくれたら……私だって。そりゃあちょっとは戸惑うかもしれないけど、でも……」
メインコンソール前で普段と何一つ変わらない表情を浮かべるルインも恐らく今回の事を把握していたのだろう。
自分だけ何も知らず気が付いたら全部終わってて、後から顛末を聞かされるだけだなんてもう嫌だ。心配かけまいとする気遣いが、お前は役立たずだと疎外されているようで、未熟な子供だと侮られているようで、それが酷く悲しくて――
『いや、お前は別に悪くない。俺が、ずっと向き合わなかっただけなんだ。だから、最期に気付けただけ、よかった』
突如、スピーカーから聞こえるネグロの声に顔を上げる。誰と話をしているのかわからないが、普段の不機嫌を隠そうともしない声とは違っていて、ひどく穏やかな響きだった。続いて聞こえる陽気な男性の声、そして幼い女児の声――、これが、ネグロの妹なのだろうか。
『……みんなの力を、貸してくれ』
初めて聞くネグロの「声」に、エリエスの頬が緩む。もう彼は死に場所を求めるだけの自暴自棄な行動はしないだろう。
視線を戻すと、ネグロのやり取りを聞いていただろうツィールが慌てて表情を引き締めていた。だが、それもあまりうまくいってないようで口の端が笑みのかたちに引きつっている。
「いい? もう二度と私だけ何も知らなかったはナシだからね? 今度は私にも、手伝わせて」
そう言いながら、二人と一機にそれぞれキツめのデコピンをしてやった。
◆18回更新の日記ログ
本日のニュースです
時折、粉塵の雲間から空を見上げます
白い服を着た葬列が遥か高空に見えるときもあります
彼らはいったい何なのでしょうか
何かの異変の前兆でしょうか
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
本日のニュースです
各地で様々な怪奇現象が多発しています
この放送もいつまで続けられるか不明です
放送にはノイズが走り、奇妙な囁きや歌が混線します
十二条光柱の光は激しさを増しています
我々の未来は、動き出したばかりです
戦いましょう、生き残りをかけて……
『うふふふ、それはねぇ……これで、ヒナとセブンスおにいちゃんはおともだちになりました!』
継ぎ接ぎ幽霊船を気ままに揺蕩うヒナは幽霊の少女だった。どういうわけか自分には幽霊の姿が見えるし、相手に会話の意思があるなら言葉を交わすこともできた。いや実は、どういうわけ……でもないのだろう。複製体として生み出された自分は、無限に思えた破滅のループに疲れ果て、「僕たち」を終わらせようとした。「僕たち」それぞれの死を全てを共有する「僕」は、生きながら死者となり果てたのだろう。
――死により近い存在。だから自分にはヒナが見えるし話も出来る、つまりはそういうことなのだ。
終わらせることばかりを願っていた自分が、逃げたツィールを追いかけているうちに、無限のループから転がり出ていた。それは僕が考えていた終わり方と全く異なるものだったが、おかげで「これから」を考える羽目になり、今もこうしてルインから頼まれた作業をこなしながら思索の荒野を彷徨っていた。
記憶全てを手放す代わりに「僕たち」から分かたれたツィール、ただ一人の「俺」となったあいつはというと、言うほど「これから」を考えているようには思えない。エリエスと共にグレムリン『ザイルテンツァー』を整備して、レイルやネグロと共に戦場を駆けている。一度、それがお前の「これから」なのかと問うたことがあるが、「この戦いを終わらせた先の為に戦っているんだ」と返されて余計にわからなくなった。この戦いを終わらせて、終わらせることが出来たとして、その後……戦うことしか知らない自分には一体何が残るというのだろう。
『セブンスおにいちゃん!』
ヒナはいつも唐突に姿を現す。
「ヒナ、おかえり。……どうした? あんまり元気じゃなさそうだ」
『あのね……お兄ちゃんがね……』
言うなり突然泣き出すヒナに、涙を拭ってやることも出来ないまま取りあえず宥めて落ち着かせて話を聞く。絶滅領域から帰還したネグロが眠ったまま目を覚まさないというのだ。そして、グレムリンを介さず、夢の中でもよりはっきりと会話することが出来るようになったと。それはつまり、ネグロがより死に近づきつつある証拠でもある。エイゼルとしてはヒナの語っていた「お兄ちゃん」があのネグロだったことには少々驚きはしたものの、ネグロに対して特に思うことはない。このままでは死んでしまうとわかっても、グレムリンに乗り続けたいのならばそうすればいい。
だが、ヒナが困っているならば手助けをしてやりたいと思ったし、何よりヒナが真っ先に頼りにしてくれたのが自分であったことに、少しばかり――嬉しい、と感じている自分がいたのだ。
「ヒナがお兄ちゃんの代わりに戦うというなら、僕が手伝うよ。だって、友だちってのは困っていたら助け合うものなんだろう?」
その言葉にヒナの表情がようやく和らぐ。
『ありがとうセブンスおにいちゃん。わたし、がんばるね……っ!』
そのまま、ヒナの姿は壁向こうに消えていった。
* * *
「機体名ザイルテンツァー・ズィープト。行動開始します」
「『スリーピング・レイル』、ティタン・システム起動」
「こちらカズアーリオス! 作戦を開始する!!――こんな感じだったよね?」
毎度のことながら、出撃していく機体を見送るのは緊張する。エリエスは管制室のモニタに映し出される光点の軌跡を目で追いながら、無意識に握り込んでいた手にしっとりと汗が滲むのを感じた。
しばらく各機体のログを見守って――、言いようのない違和感に思わず首を捻る。
「あれ? ツィールってば……なんだろう? それにネグロさんも何か、様子がおかしい?」
ふと顔を上げるとエイゼルと目が合った。エイゼルはそのまま何事もなかったように目線をモニタに戻したが、なんだろう、なーんかちがう……気がする。すると突然、背後から声が聞こえた。
「……おい、どういう事だ。どうして、カズアーリオスが戦場に出ているんだ?」
「えっ……ネグロさん? えっ? どうして?」
エリエスは混乱気味にネグロの顔とモニタを交互に見比べた。目の前にいるのは確かにネグロで、しかしカズアーリオスは戦場に向けて出撃していて……ならば一体、あの機体に乗っているのは誰なのだろう。
「ねえエイゼル、あなた何か知ってるんじゃないの?」
戸惑いながらエリエスが声をかけると、エイゼルは「えっと……」と目線を泳がせている。最近は監視用に着けられている首輪で二人を見分けていたが、改めてその表情を見てみると……
エリエスは立ち上がると、普段よりもきっちり着込んでいるエイゼルの襟元をはだけさせ、そして疑惑を確信に変える。肩口の火傷痕――
「やっぱりツィールじゃない! ちょっとぉ! どういうこと!?」
管制室にエリエスの悲鳴にも似た叫びが響いた。
◆17回更新の日記ログ
本日のニュースです
各地で渡り鳥の群れが観測されています
粉塵に適応した生物でありますが
その姿はなかなか見ることができないものでした
何かの異変の前兆でしょうか
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「……ならエイゼルは、『これから』を考えてもいいんじゃないかな」
ツィールの言葉が耳に残る。あの時僕は「悔しかった」と言ったけれど、それは半分だけ嘘で、本当は――羨ましかったのだと腑に落ちた。
繰り返す破滅の未来を嘆いて、僕は僕たちを終わらせようとした。そうして僕がただ一人「俺」となれば、もう繰り返さなくてすむかもしれないと思ったからだった。
……しかしツィールは、あいつは逃げた。逃げた先で僕たちが得られなかったものを得て、分かたれたあいつはただ一人の「俺」になっていた。ツィールとはもう、レギオンシステムを起動したとしても以前のように「僕たち」として全てを共有することは出来ない。
僕はただ一人となったのに、終わる事もなくここにいる。
これから一体どうすればいいのだろう。
どうすれば。
どうしたいのかすらわからないのに……
この船は考え事をしながら歩くと変な場所に導く機能でもあるのだろうか、気が付けばエイゼルはとある古びた船室に佇んでいた。床に、壁に、天井に、煤けて色褪せた海図が所狭しと貼り付けられていて、しかしその海図はどれも見知らぬ場所を示している。ふと、壁の一面に赤黒い……何か文字のようなものが書かれていることに気づいて、内容を確認しようと一歩踏み込んだ時に背後から声が聞こえた。
『セブンスおにーちゃんだ! こんなところで何してたの?』
「ヒナか、この船はすぐ迷子になるな」
『そうなの! でもね、わたしは困ったら壁とか通り抜けちゃうから平気なのよー』
「それは、羨ましいな」
ふふん、と得意げな顔をしてみせる幽霊の少女に苦笑を返してから、寸刻おいて自分の顔が笑みをつくれたことに気が付いた。ヒナはこの船に居付いてる幽霊で、どういうわけか「おともだち」認定されて以来、多少の言葉を交わす間柄になっている。ちなみにセブンスとは搭乗していた機体の番号だ。それでもただの複製体である僕たちにとってたったひとつの「自分だけのもの」だったから、幼さ故の戯れだとしても自分を友と呼んでくれた相手にだけ明かして、そう呼んでもらっている。
『どうしたの?』
「いや、何でもない。それよりヒナこそどうしてここに?」
『わたしね、お兄ちゃんについて行くことにしたの。だから挨拶しにきたのよ』
「話が出来ないのにか?」
『グレムリンに手伝ってもらえば話せるかもってカニさんが教えてくれたの!』
「そうか、じゃあお兄ちゃんとは沢山話ができるといいな」
『ありがとう! じゃあ、いってきます!』
半透明に透ける手をぶんぶんと音がしそうな勢いで振ってから、幽霊の少女は壁の向こうへと消えていった。
いっそう静けさが増したように思える室内を見渡して、エイゼルはこの部屋の主について思いを巡らせる。いくつもの海図を貼り付けて、この人はどこへ行きたかったのだろう。この部屋の主が望む場所に辿り着けた結末であったことを願い、部屋を出た。
僕の「これから」はまだ見つからない。
◆16回更新の日記ログ
本日のニュースです
傭兵たちを主人公にした絵本
「赤さびのせんしたち」が発行されました
赤く錆びた機体を駆り、未識別機動体と戦う姿を
絵本で表現しています
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「この船も賑やかになったよね」
資材の詰まったコンテナに書かれたコード票を、赤髪の青年が読み取り機に通すと、
「『あれ』を見てそう言えるお前の神経が理解できないな……」
横に立つ、同じく赤髪の青年が、手にした小型端末でコンテナの振り分け先を操作していた。
「でもだって、俺にはぼんやりとした影くらいにしか見えないんだもの。僕……じゃなかったエイゼルにはどう見えるのさ」
「寝不足になりたいなら言うが」
「ってことはエイゼルってば寝不足なの? 不安なら俺と寝る? それとも、よく効く薬があるから……」
「誤解しか生まない言い方をやめろ」
誤解って? と首を傾げてみせるツィールに「そんなことまで情報共有してられるか」と呆れ混じりに返し、再び作業にとりかかる。赤い髪に緑の目、傍目には双子に見えるこの二人の青年は、とある戦術構想によって生み出され複製された特殊培養人間であった。
「ここでの作業はこれで完了だ。管制室まで報告しに行くぞ」
「そう、だね……」
「何か気になる事でもあるのか」
倉庫から続く通路は、『継ぎ接ぎ幽霊船』の名の通り、一区画過ぎるごとにまるで別の場所へ来たかのように内装が変わる。年代も様式もまるでちぐはぐで、歩くごとに自分が何処にいるのかすら見失いそうになる。
「エイゼルは、あの時俺を殺したら、その後どうするつもりだったの?」
「さあ、どうするつもりだったんだろうな……」
エイゼルは隣を歩く『俺』を見る。
「繰り返す世界を、『僕たち』を終わらせたくてあの場に居た『僕』を殺して回った。安堵の表情を向ける『僕』、恐怖し抵抗する『僕』……あの時は最期に『僕』も死のうと思ってた。でも、お前は逃げた」
「……」
「そう、お前だけが逃げる選択肢を選んだ。それが堪らなく……悔しかったんだ」
「悔しい? どうして?」
「逃げて良かったんだと、『僕』は取り返しのつかない状態になってから気が付いた。それなのに、お前は真っ先にそれを選べた。だから……悔しかったんだ」
「そっか……」
「さっきの問いだが、あの時お前を殺せたとしても、その後どうするかを考える間も無かっただろう。特にルイン……あいつには勝てる気がしないからな」
しばし二人は無言のまま通路を歩く。真横には自分と同じ顔、まるで鏡張りの通路を歩いてる気分になる。
「……ならエイゼルは、『これから』を考えてもいいんじゃないかな」
「これから?」
「俺は、俺を拾ってくれたシュピネやエルに恩返ししたくてグレムリンに乗り始めたんだ。記憶はすっ飛んでたけどそれだけは出来るぞって確信があったし。だから、エイゼルだってこれから自分がどうしたいのか、自分で考えてみるのもいいと思う」
「これから……か」
通路の奥は薄暗く、果てがないように思えた。
未来を考え始めた〇〇〇〇――
◆15回更新の日記ログ
本日のニュースです
雨の海で取れた珍味「ウミケダマ」
熟成された肝の酢漬けが今期も出荷されました
「うみすー」と呼ばれるこの珍味は
合成食物に慣れた人々にはたまらない刺激となります
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
本日のニュースです
異形のグレムリンとの戦闘が始まった模様です
戦闘領域では激しい戦いが繰り広げられています
敵の進化能力ですが、テイマーに対する反動が
非常に大きいことが分かってきました
我々の未来は、動き出したばかりです
戦いましょう、生き残りをかけて……
あの日――『継ぎ接ぎ幽霊船』での侵入者騒動――からしばらく経って、船内は落ち着いたように思えた。
レイルさんは何くれとなく「手伝えることは、ありますか」と声を掛けてくれるようになったし、ミアとの雑談も盛り上がるようになってきた、気がする。
ネグロさんは相変わらずいつも怒っているような顔してるけど、つらいなら、グレムリンの整備を代わってもいいなんて言ってくれたし、ボリスがオレ……わたしの事を心配してくれていたことを教えてくれた。
皆から心配されないよう、努めて明るく普段通りに振舞っているつもりだけれども、それが逆にみんなから気を使わせてるようで、じゃあどうすればいいのかわからない。なまじシュピネが以前と変わらぬ態度で接してくるものだから、自室にある空のベッドを見ても、ボリスは実はどこかの別室に隠れてるだけなんじゃないかと、いまだに気持ちの整理がつけられないでいる。
――などと、ぼんやり考え事をしながら歩いていたのが良くなかった。
ふと我に返ると、見知らぬ部屋に迷い込んでしまっていたことに気が付いた。いや、全く見知らぬ場所ではない、古ぼけているが上品な内装に少し埃をを被った調度品……
「また、ここぉーーーーーー?」
そう、この場所は以前、ツィールと共に閉じ込められた通称『セックスしないと出られない部屋』だったのだ。
とはいえ前回の教訓を得て各自通信端末を持ち歩くようにした訳で、少々気まずいけれど管制室に連絡を入れて迎えに来てもらおう。そう思いながら上着のポケットに手を入れて――無を掴んだ。
「えっ、あれ? あれれっ?」
念のため反対側のポケットやあちこちを探ってみても望むものが見当たらない。そういえばさっき、グレムリンの整備をするのに邪魔だからと工具箱の上に置いたままだったことに思い至り、すっと血の気が引いた。いや、待て、確かこの部屋はどういう仕組みかはともかく、一人で入った時は鍵がかからないはずだ。なんだ、それなら問題なく出られるじゃないかと安堵してドアノブに手をかけたとき、奥の部屋で何者かの気配が動いた。
「……なぜここに?」
「んにゃっはぁーーーーーーっ!!!!!!」
振り向くと、そこには赤髪の青年が立っていたのだ。
ツィールを追って『継ぎ接ぎ幽霊船』に忍び込んできた侵入者――だった彼は、騒動の後にエイゼルと呼ばれるようになった。エイゼルはもう、市場船で会った時のような、ぞっと背筋が凍るような冷たい目をしていない。けれど、その顔も背格好もツィールと同じはずなのに、会うとどうしてもいやな緊張感を抱いてしまうのだった。
「そっ、それはこっちの台詞よぉ。……エイゼルはなんでこんなトコにいるのよ」
「ルインに言われて艦内の補修作業をしていた」
「へぇ……」
話が続かない。自分にとって気まずい沈黙もさして気にした風ではなかったが、ドアノブを捻っても開かない扉に首を傾げるエイゼルに、意を決して声を掛けた。
「あ、あのね、この部屋……その……ベッドサイドにメモが置いてあると思うんだけどね……」
そう言われてすぐさまベッドサイドに向かったエイゼルだったが、メモに書かれた文面を読んだところでカッと顔を赤らめた。あ、そっちの知識はあるんだと感心はしたものの、気まずさが余計に増すだけだった。密室に男女が二人きり。しかし何か起きるはずもなく……
「でもこの部屋ね、外側からだと簡単に開くから安心して。えっと、エイゼルは通信端末持ってる? わたし、うっかり置き忘れちゃって」
「そういうことか。了解した」
言われてエイゼルはすぐさまポケットから携帯端末を取り出すと、作業完了の報告と、現在の状況を手短に伝えていた。
「現在地は進入不可の通路に阻まれて、大きく迂回しないとたどり着けないらしい。十数分から三十分程度かかるそうだ」
「そっ、そうなんだ」
事態の解決は約束されたが、それはつまり、迎えがくるまでエイゼルと二人きりで過ごさなくてはいけないということだ。再び訪れた沈黙の気まずさに、いっそ扉に頭を打ちつけて気を失いたくなった。
「座らないのか?」
「ひゃあっ!」
我ながら露骨に怯えた反応をしてしまったと、小さい声で「ごめんなさい……」と謝罪しながらベッドの端に腰掛けた。エイゼルとツィールは『レギオンシステム』とかいうものの為に造られた特殊培養人間で、エイゼルは自身と同じ複製体を何人も殺してて、一人残ってたツィールをも殺す為にここまで追いかけてきたのだと、そうルインさんから聞かされた。その後ツィールとどういったやり取りがあったのかは知らないけれど、今はもうツィールに対しても害意は無いらしい。途中でエイゼルを止めようとしたレイルさんとやりあったらしいけれど、結局エイゼルは誰一人傷つけてはいなかったのだ。
でも、あの時エイゼルが騒ぎを起こさなければ、もしかしたらボリスは死ななかったのではないかと、つい考えてしまう。ツィールと同じ顔、同じ背格好、逃走防止と監視目的で着けられてる首輪が無かったら殆ど区別がつかないのに、私は一体何故、エイゼルに対してこんなにも頑なな態度をとってしまうのだろう。
「エルというのはお前のことか?」
「うん、そうだけど……」
唐突にエイゼルにそう言われ、戸惑いながらも頷きを返す。そういえば、と侵入者騒ぎの時の会話ログを思い出す。ボリスが時間稼ぎの為にしていた身の上話。わたしも知らなかった傭兵時代の話もあって、それはそれで複雑な気持ちで聞いていた。ボリスはずっとわたしの事をエルと呼んでいたから、エリエスと自己紹介したわたしと繋がらなかったとしても無理はない。
「ボリスに頼まれた。エルに伝えてほしいと」
「えっ、ボリスが? わたしに?」
「『どうか幸せに』と、そうボリスが最期に言っていた」
「あ……」
視界がじわりと霞む。そうだ、わたしはちゃんとボリスにお別れ出来ていなかったのだと気が付いた。ボリスの最期を見届けたのはエイゼルで、それがわたしではなかったのが悔しくて、だから……
『どうか幸せに』
ボリスは最期まで、いや自分が死んだ後だって、わたしの事を考えてくれていたのだ。溢れた気持ちが頬を伝い、ぱたぱたと降り注いで膝を濡らす。
「ボリス……っく、どうして……死んじゃったっ……もっと、居てほし……寂し……ありがとう……さよなら……うっ、ぐすっ……」
寂しいけれど仕方ない、なんて強がりもいいとこだ。みっともなく泣きじゃくりながらボリスへの別れの言葉をわめき散らすわたしに、傍で見ていたエイゼルはさぞかし戸惑っていることだろう。だけどそんなの知るもんか……さようなら、さようなら棄てられたわたしに居場所をくれたひと。私の父で兄だったひと――
◆14回更新の日記ログ
本日のニュースです
雨音列島で珍味「フィヤシィテュウカ」が始まりました
フィヤシィテュウカが始まると夏の始まりといわれています
フィヤシィテュウカが何の珍味なのかは失われています
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「俺」はシュピネとエルに拾われるより前の記憶がない。それはレイルさんのように何らかの原因で失ったものではなく、最初から記憶など持ち合わせていなかったからだろうと思っていた。
名前だって、忘れてるんじゃなくて単に最初っからついてなかっただけなのかもしれない。だから、シュピネに『ツィール・ブライ』と名付けてもらった時は、実は本当は凄く嬉しかったんだ。
継ぎ接ぎ幽霊船内に響き渡る警報音、自分に似ている侵入者との一報。その顔を目にした時、「頭の中にある扉」は蹴破られ、あらゆる感情が黒い渦となって「俺」と「僕」の境目を飲み込む怒涛となった。『レギオンシステム』、『複製体』、繰り返される戦いと、繰り返される「僕ら」の死。それらの情報を共有した「俺」は思う――嗚呼、やはり思い出すような記憶など最初から持っていなかったのだ――と。
「僕」の怒りと憎しみが、悲しみと嫉妬が「俺」の中に流れ込み、心をどす黒い殺意に染め上げた。その衝動のままに追い詰めているのは果たして「俺」か「僕」か。追い詰められているのは「僕」か「俺」か。混ざり合った自我が裁ち鋏を握る手を振り上げたその時、
『こらこら、裁ち鋏はそんな使い方するモノじゃないかニィ』
場違いなほどのんびりとしたシュピネの声が、「俺」の「頭の中にある扉」を閉じてくれた。
見下ろす先にいるのは「僕」、「俺」を見上げるその目を見て、さっきまであんなに激しく自らを突き動かしていた衝動がスンと収まっていく。そうだ、「僕」はずっと怖かったんだと――裁ち鋏を床に置いた。
* * *
『継ぎ接ぎ幽霊船』での侵入者騒動は、ツィールが侵入者を四つ辻に追い詰めたところで、あっけない幕切れとなった。
レイルさんによって管制室に連れてこられた姿を見た時は怖くて思わずミアの背中に隠れてしまったけれど、そこからちらりと覗いてみた赤髪の侵入者は、怒ったような不貞腐れたような表情でいたけれど、市場船で出会った時のような冷たい目はしていなかった。
ネグロさんは最初こそ「始末するべきだ」と怒りを露わにしていたけれど、ツィール自身がそれを望まないと主張したことで、舌打ちをひとつついた後に自室へと帰ってしまった。侵入者は何故かレイルさんに対して怯えた様子を見せていて、別室でルインさんに質問されるまま、色々と素直に供述したとミアが教えてくれた。ルインさんが判明したことを後でまとめて報告してくれるそうだけど、正直、わたしは聞く気になれない。
名を持たない赤髪の彼を、身体検査時に確認した大腿部の識別番号らしき数字列から、ツィールと同じ法則で『エイゼル・アイゼルス』と呼ぶことにしたことだけ心に留めておくことにして――。
『ワレワレは、宇宙に根ざし枝葉を広げる大樹が飛ばした一粒の種』
シュピネの言い分によると、ボリスが遠隔操作する小型機体と称していたこの身体は、異世界あるいは外宇宙より飛来した『宇宙人』らしい。その目的は到着した地で知的生命体と共存し世界を知ること。だから意識や記憶を共有させてもらう対価としてボリスに身体を貸していたのだという。蓄積された記憶が、共有していた意識がボリスの人格を疑似的に作り出してはいるが――と、いつものようにアームをわきわき動かしながら、『ボリス・シュピンラッドは死んだ』とシュピネは言い切った。
「不思議だよね、もう随分と長い事ずっと寝たきりでさ。今も、実は寝たふりしてるだけで……『驚いた?』なんて舌を出して笑うんじゃ……ないかって……」
「エル……」
「考えないようにして誤魔化してたけど、でも、本当はわかってた……つもりだったの。いつかこの日がくるんだろうって……」
エリエスの目の前、棺の中にはボリスが収められていた。この棺は、自室に戻ったと思っていたネグロが急遽、廃材を継ぎ合わせて拵えてくれたものだ。手向ける花も咲かないこの赤錆色の空の下、『継ぎ接ぎ幽霊船』の乗組員達はフィルタースーツに身を包み、鈍色にうねくる海面に向かって伸びるスロープに立っていた。
「ボリス・シュピンラッドの肉体が往くべき場所へ往き、あるいは還るべき場所へ還れるように。その魂が安からんことを……」
ルインの言葉を合図にネグロがフックを外すと、棺はゆるやかにスロープを滑り、波間に溶けて行くように沈んでいった。
◆13回更新の日記ログ
本日のニュースです
南の島付近の海上で謎の珍獣「カビャプ」が目撃されています
カビャプが列をなして泳いでいくのが見えます
この後巨人の島方面に向かったということです
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
目の前にいる、自らの手足すら動かす力もない寝たきりの男は、如何なる手段を使ったのかはわからないがドアにロックをかけ、僕をこの部屋に閉じ込めた。
僕を排除する為の手勢が来るまでの時間を稼ぎ、敢えて人質となる事で自らの生存確率を上げるのは対処として間違っていない。「人質は生きていなければ意味が無い」のだから。
ただ、意外だったのは――、ボリスと自己紹介したこの男がいきなり身の上話を始めたことだ。真紅連理で傭兵をしていたこと、原因不明治療法不明の病気で身体が徐々に動かなくなってしまったこと、最初は時間稼ぎの為だと聞き流していたが、時折相槌を求め、それに応じてやると満足気に話を続ける様子は理解し難いものだった。
思えば、僕は今まで誰かと『会話』をしたことがあっただろうか。白衣姿の連中から一方的に命令を下されることが日常だったし、「僕」たちの間で作戦内容についての確認や報告はしていたけれど、それはあくまでも作戦行動中に必要な情報のやり取りに過ぎなかったのだから。
――不意に、ボリスの言葉が途切れた。
「お、おい」
思わずベッドに駆け寄ると、ボリスは半眼を虚空に向けたままだった。これはまさか――呼吸を確かめるべく耳を近づける。すると、開きかけたままのボリスの唇がわずかに震えた。
「……ぉ……ねがい……ルに……」
ひどくか細い囁き声で紡がれた言葉は、ここに居ない誰かに向けてのものだった。
「おい、その言葉はお前が直接伝えるべきものだろう。何故僕に託す? ……おい、しっかりしろ!」
ベッドから上半身を抱き起こすと、視線だけを辛うじて赤髪の青年に向けて僅かに微笑んで見せ――、そのままスッと何かが抜けて行くように、表情が静かに薄れていった。
「あ……」
「僕」たちを終わらせる為に、恐怖もしくは何故と問う表情を向けられながら何人もの「僕」をこの手に掛けてきた。
残った『欠陥品』を追って、こんな場所までやってきた。つい先ほどだって、名も知らぬ人の命を捻じ切ったばかりだった。
それなのに、消えゆく命を前に「しっかりしろ」とはどの口が言っているのだろう。
命とは、奪い奪われるものだったはずだ。
それなのに、今この腕の中で静かに物言わぬ姿になった男は、何故こうも穏やかに――
バンッと勢いよく開いた扉に視線を向けると、『欠陥品』……いや「俺」がこちらに銃を構えている。胸に芽生えかけた何かを押し込め、心を凍らせた。
「お、お前……」
この状況をどう捉えたのだろうか、ボリスが「ツィール」と呼んでいた「俺」の、銃を構える手が震えている。
「僕」と「俺」を苛んでいた頭痛が、パキン――とガラスのように弾けた。
「お前ぇ! ボリスに何をした!」
烈火の勢いで飛び掛かってくる「俺」を躱すのは造作もないはずだった。だが、ボリスの身体をそのまま放り出して良いものかと、ほんの僅か迷った隙に組み付かれる。勢いあまってベッドのサイドテーブルをなぎ倒し、上に載っていた裁縫箱は派手な音を立てて中身をぶちまけた。「俺」は床に転がる大きな裁ち鋏を拾い上げると「僕」に向かってナイフよろしく突き出すが、「僕」は咄嗟にマントの留め具を外して滑り抜けると、そのまま、開いていた扉から部屋外へと飛び出した。
「待てっ! 逃げるな!」
「おい、ボリス? おい!」
「ネグロさん、ボリスさんを頼みます!」
追いかけてくる「俺」のさらに後ろから声――おそらくもう一つあった扉から突入してきただろう増援が発したものだろう――が聞こえたが、そこを気にしている暇はない。区画を抜けるたびに様式の変わっていく継ぎ接ぎした廊下を、「僕」と「俺」が駆け抜けていった。
* * *
事前の打ち合わせでは、先に入ったツィールが侵入者の動きを牽制している間にネグロとレイルの二名で別の入り口から突入、レイルとツィールで取り押さえてその隙にネグロがボリスを救出するというものだ。しかし、予定よりも早くに室内で派手な音が響き、扉を開けた時にはツィールが突入した方から二人が出て行く後ろ姿が見えただけだった。
「おい、ボリス? おい!」
床にぶちまけられた裁縫道具を避けてネグロが駆け寄るも、ボリスは半眼に虚空を眺めて瞬きもせず、ベッドの縁から骨と皮ばかりの腕をだらりと垂らしていた。これは、もう――
握る拳に力が入る。その横を、レイルが通り過ぎていった。
「ネグロさん、ボリスさんを頼みます!」
僕は二人を追いかけますと言い残し、床に転がっていた小型拳銃を素早く拾い上げるとそのまま部屋を出ていってしまった。事態はまだ収拾していないのだから、レイルと共に侵入者を追うのが正解だろう。だが……ネグロはボリスの瞼を指でそっと閉じ、ベッドに寝かせ直してやった。
「だから嫌だったんだ……」
エリエスに何をどう伝えればいいというのだろう。ネグロは拳を握りしめた。
まずは管制室に、ルインに状況を報告をしてそれから――、ネグロは次にとるべき行動について考えを巡らせていた。だから、近寄ってくる耳慣れた足音につい、いつものように声を掛けようとしてぎょっとした。
「なっ……お前……!?」
* * *
「俺」を追ってやってきたはずの「僕」は、立場を逆転させていた。継ぎ接ぎ船の通路を走り、ついに四つ辻で「俺」に追い詰められた。行く先は瓦礫に塞がれ、右手の鉄扉には鎖が掛けられ、左手の通路は途中で足場が途切れていて、その先は真っ暗な、何があるのか無いのかもわからない空間の広がりを感じるばかりだった。
どうやらこの船は方向感覚を狂わせる何かがあるらしい。侵入ルートを逆に辿ったつもりが全く見覚えの無い場所に出てしまい、次にとるべき行動を考える隙すら無いままに「俺」が突き出してきた裁ち鋏を手にした制圧用ロッドで打ちいなした。次の攻撃を繰り出す隙を狙ってお互いじりじりと間合いを詰めていく。
「僕」は「僕」たちを終わらせるためにここまでやってきた。アレをころして、そして「僕」が「俺」になれば、そうすれば、何度も繰り返す失敗を終わらせられると――思っていたのに。
「どうして……」
振り上げるロッドをフェイントに、そのまま肩から体当たりで壁に押し付ける。
「どうして! どうしてお前には! 僕らの事を忘れて、お前だけの記憶を持って、お前だけのうのうと……どうして!」
「僕」はずっと繰り返す円環に囚われたままなのに、目の前の「俺」は分かたれた別人になっていて、あのボリスという男だって、死に際を目の当たりにして取り乱すほどの関係を築いていて、市場船で出会った娘も咄嗟に「僕」から隠そうと……嗚呼、ズルい、悔しい、羨ましい――
「俺」から突き出された裁ち鋏を手首ごと掴んで捻ろうとして、かけられた足払いを飛び退いて再び距離をとる。
「ツィールさん!」
「馬鹿なっ! 何故ここに」
通路を駆けてくるのは、「僕」が先ほど仕留めたはずの男だった。その感触も手に残っているというのに……
動揺が生んだほんの僅かの隙を見逃すことなく、「俺」は「僕」の足の甲を踏みつけ、バランスを崩した勢いのまま通路に押し倒す。必殺の勢いで振り下ろした裁ち鋏はしかし、首を捻って躱され頬に浅く傷をつけだだけに終わった。今度は外さない――、首を押さえつけ腕を振り上げたその時、
『こらこら、裁ち鋏はそんな使い方するモノじゃないかニィ』
場の雰囲気にそぐわない、気の抜けた声が通路に響いた。
◆12回更新の日記ログ
本日のニュースです
コロッセオ・レガシィではいまひよこコロシアム決勝が行われています
ひよこの戦いの中で勝ち残った歴戦のひよこ
面構えがちがいますね
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
最初はほんの、気のせいで済ませてしまえる程度の違和感だった。
何もない場所で転びかける、手にしていたものを取り落とす――、それらはストレスから来るものだろうと思っていた。
傭兵なんてものは生と死の狭間を綱渡りする存在だ。酒や女や諸々で誤魔化して、そして耐えられなくなったヤツから死ぬ。そんなものだと思っていたのに、ある朝、いつものようにベッドから立ち上がろうとした足に力が入らなかった。
医者による専門用語だらけの説明は全く頭に入ってこなかったが、要は「進行性の脳の病気」ということらしい。神経や筋肉に問題があるなら新生体に取り替えてしまえば済む話だったが、脳そのものに問題があるならそうはいかない。俺はいずれ、どこかの戦場で死ぬのだろうと漠然と考えていたが、それが甘やかな願望だったのだとこの期に及んで思い知る。自室に籠る時間と共にテーブルの上の空いた酒瓶が増えていった。
結局俺は戦場に出る事もできないまま、ついには動かない手足を引きずって芋虫のように這いずりながら朽ちていくのだと――――
「……」
どうやら少しの間気を失っていたらしい。ツィールに容姿が酷似した侵入者とレイルが対峙していると、管制室に駆け込んできたミアが言っていたあたりまでは記憶がある。そこから事態はどの程度変化があったのか、それを確認するより先に目の前の扉がガチャリ、と開いた。
「おや、こんにちは。ようこそ『継ぎ接ぎ幽霊船』へ。と挨拶するべきかな?」
「……」
無人の部屋だとでも思っていたのだろうか、侵入者の青年はボリスを見て僅かに目を見開いた。ミアが言っていた通り、確かにツィールと同じ顔をしている。男はベッドサイドに置かれた裁縫箱――の横にある半透明の小石を手に取った。
「なるほど、そいつが発信機だったわけか。『市場船』で拾ったなんてエルは言っていたが、君がポケットに入れておいたんだろう?」
「……お前は、この顔を知っているのか」
「あぁ、知ってるよ。タワーにある『ごみ捨て場』に転がっていた、自分の名前すら覚えていない記憶喪失の青年と瓜二つさ」
「記憶……喪失だと?」
侵入者の、感情など持っていないように思えた零下の目にカッと怒りが宿る。
「あいつが! あの欠陥品が! のうのうと! 何もかも忘れていたっていうのか!」
赤髪の青年が声を荒げてボリスの胸倉を掴み上げるが、されるがまま、骨と皮ばかりの手足をだらりとさせている様子にすぐさま手を離した。どさりとベッドに着地したまま身じろぎもしない姿に、わずかに目を彷徨わせている。「無抵抗の相手」に戸惑っているのだろうか。存外、この青年の心根はツィールと同じなのかもしれないとボリスは思った。
「そんな殺気だらけで迫られちゃ、女の子に逃げられるってもんさ」
「減らず口を……」
この場所に用はないとでも言わんばかりに、赤髪の青年は踵を返してドアノブに手を掛けた。が、内側の鍵は開いてるはずなのにいくら動かしてもドアノブはガチャガチャと音を立てるばかりだった。
「貴様、一体何をした」
「焦りなさんな、ちょうど話し相手が欲しいと思っていたところなんだ」
宿りかけていた熱が急激に下がった冷たい目で睨めつける青年に、しかしボリスは飄々とした笑みを返した。
* * *
「侵入者って、どういうことですか? それに、俺と同じ顔してるって……」
「あぁ、ツィールか。取りあえずこいつを聞いてくれ」
管制室に到着したツィールとエリエスに、ルインがコンソールへ指を向ける。その先では、コンソールの上にいるシュピネが何やら喋りたてていた。しかし近づいてみるとそれはシュピネの声ではない。小型機体は普段通りに表情豊かなアームを動かすこともなく、ただのスピーカーのように誰かの会話を流し続けていた。一人はボリス、「俺はシャイなんだよ」とほんの数回だけ直接対面したことがあるが、聞き覚えのある声だった。もう一人は、まるで音声記録を聞いているような「自分の声」をしていて、しかし話す内容はまったく自分のものとは思えないものだった。
ツィールはミアが打ち出してくれた会話内容のログ文章に目を通す。『レギオンシステム』、『複製体』――、記憶の無い自分が覚えているはずもない単語が並んでいるが、何故か自分は、その言葉が意味するものを『知って』いる。
「侵入者は、現在ボリスの部屋にいるらしい。シュピネを通して操作したのか、ドアは内側から開かない状態だ」
「そんなっ! どうしてボリスの部屋に!? ボリスはもう……自分で身体も動かせないのよっ!」
振り返るとエリエスが真っ青な顔をして叫ぶように声を上げた。ミアがそっと、エリエスを宥めるように背をさする。
「会話の内容からボリスが危害を加えられてる形跡はない。そして、侵入者はこちらに会話が筒抜けになっている事も気づいていない」
ボリスが時間を稼いでくれている間に対策をとれということだ、とルインは簡潔に状況をまとめてツィール達に伝えた。
「俺が、行きます」
「ツィール?」
不安げな声を掛けるエリエスに、しかしツィールは普段通りの朗らかな笑みを返した。
「あの侵入者は、俺の事を『欠陥品』と呼んでる。俺にそっくりな姿――だから、彼は俺が向き合わないといけない『過去』なんだよ」
「……レイルとネグロには部屋の手前で待機するよう指示してある。部屋内部での会話は携帯端末を通して共有し続けるから、突入のタイミングはお前が指示しろ」
ルインから小型の拳銃を手渡され、装填を確認してから腰のベルトに挿す。
「ツィール……気を付けて」
「がんばってねツィールさん!」
「これは『継ぎ接ぎ幽霊船』の問題だ。ここに居るのはお前一人だけではないことを忘れるな」
三人からの声を背に、ツィールは管制室を出てボリスのいる部屋を目指す。この『継ぎ接ぎ幽霊船』に来てからすっかり慣れ親しんだ経路を辿りながら、イヤホンを通して聞こえる部屋内の会話に耳を傾ける。ほぼ一方的にボリスが自分の身の上話を語っているだけなのは、時間稼ぎが目的なのだから妥当と言えるが、意外なことに侵入者は大人しくその話を聞いていて、しかも時折相槌を返していた。
傭兵としてグレムリンを駆っていたいた頃の話、酒場で仲間たちと下品なジョークで笑い合っていた話、徐々に身体が動かなくなり自棄になって過ごした話、エリエスを拾った話――ツィールはそれらを聞いていてある種の不安を覚えてきた。何故なら、これを今話しているのは、『継ぎ接ぎ幽霊船』で共に過ごした仲間――小型機体のシュピネを操るボリス――ではなく、ボリス・シュピンラッドという一人の男の……遺言のように思えてきたからだ。
部屋に近づくにつれ、ツィールを苛む頭痛は程度と頻度が増してきた。もう間違いない、この痛みは――「僕」――からの呼び声だ。記憶も繋がりも捨て分かたれた者となった俺を、お前一人だけを自由にさせてなるものかと言っているに違いない。でも、もしも、ボリスの話を聞いているように、俺の話も聞いてくれるのなら――
「おや、君はツィールさん、だね。事情は聞いている、かい?」
「……今度は本物だろうな?」
「レイルさん、ネグロさん。状況はどんな感じですか?」
ツィールらしい反応に、レイルは安堵の表情を浮かべる。一方のネグロはというと、軽く舌打ちして扉の方を向いてしまった。
ボリスが外側からしか開けられないようにロックをかけてから今まで特に変化はないことをレイルから聞き、それからこの後の対策について軽く打ち合わせを始めた。この場所はツィールやエリエス、そしてボリスが暮らすプライベートスペースだ。部屋に扉は二つある。だから時間差に突入し、侵入者の目的だろうツィールが引き付けている間に、ネグロにボリスの救出を任せ――
そこで不意に、イヤホンから聞こえていたはずのボリスの声が途絶えた。
すぐさまルインに通信を繋げるが、管制室からもシュピネが急に何の音声も発しなくなったのだと返される。三人で頷きあうと、レイルとネグロは反対側の扉へと向かった。
携帯端末の時刻を確認してからポケットにしまい、代わりに腰へ挿していた小型拳銃を引き抜く。頭の中でカウントを取り……8、9、10のタイミングで扉を開いた。
「!?」
そこにあったのは、ぐったりと目を閉じたまま動かないボリスと、それを抱き起す赤髪の青年の姿だった。
◆11回更新の日記ログ
本日のニュースです
巨人の島にて、巨大ひよこレースが始まりました
巨人の島名物巨大ひよこを使ったレースです
優勝した巨大ひよこは、お腹いっぱいおやつを食べられます!!
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「調べてみた中ではこれが一番有力な線だろうな」
「【レギオン】システム、ねぇ……」
ブラッドエッジ・スーサイド傘下の研究施設で行われていた「統制群体によるグレムリンの連携運用」――、通称【レギオン】システムと呼称される計画についてまとめられた報告書を眺めながら、シュピネはため息交じりの音声を小型機体から響かせる。「継ぎ接ぎ幽霊船」の艦長代理たるルインに、シュピネが業務の手伝いをする見返りとして依頼していたのはツィールの素性についての調査だった。
エリエスと共にタワー沿岸部をねぐらにしていた頃、上層からのダストシュートを意図的にこじ開けて作った「ゴミ捨て場」で倒れていた赤髪の青年。自らに関する記億全てを失っていて、こちらの言う事は基本何でも、時に意地の悪い提案すら疑う事なく素直に受け止める従順な性格。にも関わらず、敵機を撃墜することに何の躊躇いをみせることなくグレムリンの操縦してのけたこと、大腿部に刻まれた何かの識別番号など、どうにも訳アリ要素が多すぎたからだった。
ちなみにツィール・ブライの名は、本当は大腿部に刻まれた番号1379-7312を、上下逆にして文字として読んだけだ。
ツィールの申し出た「恩返し」を承認した体でタワー沿岸部を出て『継ぎ接ぎ幽霊船』に身を寄せるようになったのも、ツィールを巡っての面倒ごとに巻き込まれたくない、他にも人手がいれば安心だという打算があったからだが、その打算だけで動くには既に、ツィールにも、この『継ぎ接ぎ幽霊船』の皆に対しても情が湧きすぎている。
改めて書類を読み進めてみれば、「実験体の暴走により研究施設は壊滅。再起不能なレベルの損害だった為、ブラッドエッジ・スーサイドは支援を打ち切った」の一文で締められていて、つまりは企業ぐるみで追手がかかるようなリスクは限りなく低いと判断していいのかもしれない。ここまで詳細な情報を得ることができたのも、施設が壊滅し、企業が支援を打ち切った際に情報が流出したからだろう。
「取りあえず、ツィールはその研究施設から逃げ出した実験体、ってことでいいのかニィ……」
「暴走した実験体がツィールという可能性もあるが」
「……」
「どうした」
「……いや、ちょっと考え事をしていただけ、だニィ」
コンソールの上をかさこそと動く小型機体を見ながら、この『継ぎ接ぎ幽霊船』の艦長代理であるルインは考える。
シュピネは遠隔操作の小型機体だ。冗談交じりに「中の人などいない」と言っているが、操作しているのはボリスという男性で、彼は進行性の難病によってベッドから起き上がることすらできない状態だという。当人は誤魔化してるつもりなのだろうが、最近は返事が滞ったり機体が動かなくなる時間が増えてきたとルインは思っていた。
医者でもない身で何の助言も出来る立場ではない以上、シュピネの言い分のままに誤魔化されているふりをしてはいるが、そろそろ彼と同居しているあの娘――エリエスといったか――に伝えておいた方がいいだろう。
そう遠くないうちに訪れるだろう「その時」を覚悟しておいたほうが良い、と。
次に詳細を調査するべきはスリーピング・レイル――搭乗する機体と同じ名を名乗る男――だと情報端末に手を伸ばした時、
「た、大変だよっ! 船内に、侵入者が!」
管制室にミアが息を切らせながら飛び込んできた。
* * *
搬入口では、先ほど到着した治具や資材が積み上げられていた。先ほどシュピネとネグロが通信しているのが見えたから、もうすぐ皆が受け取りに集まってくるだろう。
タワー沿岸部で育ったエリエスにとって、虚空領域を航行する『継ぎ接ぎ幽霊船』での生活は驚きと発見の連続だった。年の近い同性のミアと知り合い、今では多少の話を弾ませられる程度には親しくなれたと思っている。今まではずっと、どこへ行くにもシュピネと一緒だったが、そのシュピネは最近艦長代理たるルインの手伝いで管制室にいる時間が増えた。それを少しばかり、寂しい、と思うことはあったが、代わりに「手のかかる弟分」の相手やグレムリンの整備について学ぶこと、やることはいくらでもある。そんなことを言っている暇などないのだ。
さて次は、とエリエスが納品書の点検をしていた背後で、がたんと物音がした。振り向くとツィールが資材の詰まったコンテナの傍らで頭を押さえていた。
「ちょっ……ツィール、具合悪いの? 大丈夫?」
「……う、うん……」
そういえば以前も、頭が痛かったと言った時があったはずだ。それはいつだったかと思い返しながらツィールに駆け寄る。様子を伺うべくその顔を覗き上げると、表情を失った虚ろな眼と目が合った。
――この顔に、見覚えがあるんだな?――
「ひにゃあっ!」
咄嗟にツィールのことを突き飛ばしそうになり、それはいけないと堪えた結果、エリエスは両手をバンザイとあげたままの変な体勢で尻餅をついてしまった。
「あっ、エル……だいじょうぶ?」
「それはこっちの台詞よ! 頭が痛いの? 医務室へ行こう?」
この船に常駐する船医は居ないが、代わりに医務室ではオンラインで治療を受けることが出来る。大がかりな手術となるとさすがに医者の元まで向かわねばならないが、「内臓疾患の手術」程度ならばマニピュレーターによる遠隔手術も可能だ。
「まるで、頭にあるドアを叩かれてるような感じなんだ」
「なにそれ」
ツィールの突拍子もない言葉に、エリエスの返事もうっかり冷めたものになってしまった。しかしエリエスは気を取り直して言葉の続きに耳を傾ける。頭痛の表現にしては随分と風変わりなように思えるが、何か重篤な症状の前触れだとするなら聞き流すわけにはいかない。
「そのドアを、開けるのがこわいんだ。……開けてしまったら、俺が……」
「ツィール! しっかりして!」
両肩を掴んで揺さぶられ、そこでツィールははっとしたようにエリエスを見た。戸惑いを浮かべたその表情は、決してあんな――、冷たい目と同じであるはずがない。
痛みは治まったと主張するツィールに対し、やはり作業は一旦中止して医務室へ行こうと提案した時、けたたましい警報音が響き渡った。
「えっ、な、なに?」
「これは……はい、こちらはツィール・ブライ。今は搬入口で……えっ、侵入者?」
即座に携帯端末を取り出したツィールと管制室との通信に耳を傾ける。「侵入者」の言葉に――冷たい目をした赤髪の男――の姿がエリエスの脳裏をよぎる。
酷く、嫌な予感がする。知らずツィールの作業着を握っていた手が震えていた。
* * *
ツィールと同じ顔をした赤髪の青年は、対峙する白髪の男に零下の眼を向けながら、その内心は焦れていた。
あの「欠陥品」を始末するのが本来の目的なのだから、それ以外とは、本当はなるべく接触を避けたかった。なのに、複雑怪奇な構造の船内で迷った末にうっかり目撃され、一人取り逃がした挙句、白髪の男の処理にも手間取り足止めを食っている。全く持って無様というより他にない。
この男が予想外に手練れだった事も誤算なのだが、さらに奇妙なのはこの男の使う体術だ。相手の動きを制して取り押さえるまではいい、しかし、その先の「とどめを刺す」がないのだ。おかげで何度かあった決定的な場面を逃れることが出来たのだが、このままでは増援がくるのも時間の問題だろう。
あの時――、露店でごった返す「市場船」で自分の顔に反応を見せた娘、その服に忍ばせたビーコンを頼りにこの船に乗り込んでから、自らを苛む頭痛は程度と頻度を増している。この顔を見た時の周囲の反応からもあの「欠陥品」がここにいるのは間違いない。
「その顔を、知っているのかって、聞いた、よね」
白髪の男の声が呑気に響く、しかしその姿勢に隙はない。
「君は、ツィールさんと同じ顔をしてる、けど、違う。君は一体、誰?」
その呼びかけに応えぬまま、得物を握った右手を突き出す。この身に羽織っていたマントを目隠しに動いているにも関わらず、この白髪の男は正確に手首を掴んでみせるのだ。しかし今度は更に、男の手首を左手で掴んで腕をぐるりと捻り上げ、背後に回り込んで膝裏に蹴りを入れ床に膝をつかせた。男の体術を応用してみたのだがうまくいったようだ。
解放された右手で白髪の男の顎を掴み、そのまま勢いをつけて真横に、ねじる。
ゴキリという鈍い音、続いて何かがどさりと落ちる音が廊下に響いた。
「一体誰、だって?」
すっかり乱れた息を整えながら立ち上がり、床を見下ろす。
「そんなの、僕が知りたい」
動くもののいなくなった廊下に、侵入者を告げる警報音が鳴り響いた。
◆10回更新の日記ログ
本日のニュースです
グレムリンの決闘をスポーツとして普及させる案が
コロッセオ・レガシィで提唱されました
華々しい競技用グレムリンの世界が広がります
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「それじゃ、ネグロ氏には搬入口まで来て欲しいかニィ」
「……わかった」
ネグロが舌打ち気味に返事しながら視線だけをモニタに向けると、画面の向こうにはカニのような小型機体――シュピネ――が、満足気に小さなアームをワキワキを動かしていた。
何せこのカニ(本人は蜘蛛だと主張している)、通信の際こちらがきちんと返事をするまでしつこいのだ。意地になって無視を決め込んだことが一度だけあったがロクな目に遭わなかったので、短くとも適当でも何でもとにかく声を返すようにしている。
モニタの向こう側、シュピネの後ろを通りかかったツィールがこちらに向かってのん気に手を振ってきたところでブツリと通信を強制遮断してやると、整備場にしんとした静けさが戻った。
搬入口に届いたという品は、そもそもネグロが取り寄せを依頼していたものだ。グレムリンのパーツ類はDLで何とか出来るが、日々改良されていくそれらを、組み上げるための治具が今までのものでは足らなくなってきたからだ。発注書を確認してみると、自分でも気づかぬうちに二つほどセットを余分に発注していたことに気づき、舌打ちにもならぬため息が漏れる。
随分と――、この船の雰囲気に毒されてきたものだ。
ふと感じる背後の気配に首だけをわずかに動かすと、すっかり見慣れた赤い髪が視界の端を掠めた。
「おいツィール、暇持て余してるんなら搬入口まで手伝え」
ネグロは視線を発注書に向けながら、どうせツィールも使うことになるものだから運ぶのを手伝わせようと声をかけ――、そこで違和感に気が付いた。
先ほどの通信、あれは管制室からではなかったか? どんなに急ごうともこんな数分の間に整備場まで来られる距離ではない。顔を上げてみれば周囲には誰の気配もなく、ネグロはただただ首を傾げるばかりだった。
戦場でグレムリンを操る時以外も、「静かだから」と操縦棺の中で過ごすことの多いレイルだったが、「あんな狭いとこにずっと籠ってたら身体こわしちゃう」とミアに半ば強引に外へ連れ出され、今はこうやって『継ぎ接ぎ幽霊船』の中を散歩と称して歩いていた。
『継ぎ接ぎ幽霊船』の内部は時々通路が全く思いもしない場所へと通じることがある。一体どのような仕組みになっているのかは杳として知れないものの、いきなり船外へ放り出されるような危険に遭遇した者はいない。だから、通路の途中にあるドアから突然赤い髪の男が現れたのもさして驚くべき事態でもなかった。はずだった。
「あれ、ツィールさんどうしたの? またその辺歩いてて迷っちゃった?」
かつて「セックスしないと出られない部屋」なる怪しい場所に閉じ込められた話をエリエスから聞かされていたミアは、赤髪の青年に近づこうとして――、レイルに腕で制された。
「……レイル?」
見上げたレイルは警戒を露わに目の前の青年を見据えている。何をそんなに厳しい顔をしているのかと声をかけるより先に、ミアは背後に勢いよく突き飛ばされた。
「いっ……な、何?」
「すぐにここから離れて! 早く!」
今さっきまで自分がいた場所に、赤髪の青年が鈍色をした何かを突き出しており、それをレイルが手首を掴んでいなしていた。そのまま手首を捻って取り押さえようとしたレイルに対し、赤髪の青年は自ら跳躍して身体を翻らせると、レイルの背後に着地……する直前に壁を蹴り、レイルから数歩間合いを開けた場所に着地した。
わずかな間の攻防に、尻餅をついたままの姿勢から身動きがとれずにいるミアに向かって、レイルは赤髪の青年から目を離すことなく声を上げた。
「ミアさん!」
「わ、わかった! 誰か呼んでくるからっ!」
駆けていくミアの足音が遠くなっていくのを背後に聞きながら、レイルは視線を油断なく赤髪の青年に向けていた。赤い髪に緑の目、顔立ちも背格好も全く同じ、だけど――
「君、ツィール君じゃ、ない、ね」
「お前は――」
赤髪の青年は、羽織っていたマントで得物を隠すように構えをとると、そこで初めて口を開いた。声も同じ、でも――
「この顔を知っているのか?」
言葉に温度があるならば、この青年のそれは氷点下だったろう。レイルの背にぞくりとしたものが伝った。
◆9回更新の日記ログ
本日のニュースです
未識別融合体撃破の喜びの花火が上がっています
粉塵でも透過するチャフの炎はモニター越しに七色に輝きます
これから復興に向けて動き出す祝いの炎です
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
破滅を回避するために――そう信じて、何度も何度も繰り返した。
最初は「僕たち」で戦った。それぞれが「個」にして「全」となり、まるでひとつの大きないきもののように敵を蹂躙した。
それはとてもうまくいっていて、それなのに――、あるとき「僕たち」のひとりが発狂した。
意識や思念を共有できる「僕たち」は、外部の「声」をも拾ってしまう。戦場を駆け巡る殺意、憎しみ、あるいは恐怖。それら全てを身のうちに溜めこんだ「僕」によって、一回目が失敗した。
次に目を覚ました時、事態の把握に少しの時間がかかったけれども、「僕たち」は過去の一時点に巻き戻ったのだと理解した。
しかし発狂した「僕」によって失敗に終わった記憶は全員が共有していることで問題が発生する。
発狂したのはどの「僕」だ?
その迷いが操縦桿を握る手を鈍らせた。意識の共有を恐れ、心を閉ざし、単なる「個」の寄せ集めになってしまった「僕たち」は力を全く発揮できなかった。
次々と減っていく僚機の機影と瓦解するフロントライン。「僕たちはもうだめだ!」――そうして二回目が失敗した。
それから、何度失敗したのだろうか、みずからいのちをたった「ぼく」、ぼくはまだくるっていないとさけびながら「ぼく」にころされた「ぼく」、どうしてぼくたちはたたかわないといけないの? どうしてなんどもしなないといけないの? ぼくのせかいはもうおわっているのに――
――ああそうか、それなら「俺」が戦えばいいんだ。「俺」は、「俺」一人さえいればそれでいい。
「僕たち」は戦うために生み出された存在だけど、そんな「僕たち」の元になった「オリジナル」が存在する。それは「俺」だ。俺以外の単なる複製体は、余計な思念を拾ってくるだけの邪魔な存在だ。戦いを終わらせるために、破滅を今度こそ回避するために……だから、「あれ」が生きている限り「俺」はホンモノになれない。
赤錆色の風に煽られ軋みをあげる『継ぎ接ぎ幽霊船』、そこに招かれざる者が侵入したことをまだ誰も感知していなかった。
◆8回更新の日記ログ
本日のニュースです
タワー港湾部にて、ささやかながら領域奪還の
祝勝会が開かれました
僅かながらメシに味付けをした「スシ」が振舞われました
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
足元にある常夜灯だけが照らす薄暗い室内。お世辞にも上等とは言えない作りのベッドが、上に寝る者の動きに呼応するように、鈍い軋みをあげていた。
その日、「僕」は何故か眠れなかった。湿度も温度も調整されてるはずの室内が、ひどく蒸し暑く感じられ、たまらずベッドから起き上がったのだ。
シャワーを浴びよう、そう思った。
響き渡る警報。
真っ赤な室内。
いくつもある大きな水槽は皆割れていて、床には、何人もの人が倒れていた。
そのひとたちは、みんな、真っ赤な髪のいろで――足に、番号がかいてあって――人形みたいにたくさん――
「お前で、最後だ」
振り向くと、そこには「僕」が立っていた。
「あっ……!」
床に叩きつけられる衝撃に慌てて身体を起こすと、そこは「いつもの」部屋だった。金属製のパイプを組んだだけの簡素なベッド、お世辞にも上等とは言えないが、よく洗濯された清潔なシーツ。足元にあるはずの常夜灯がすぐ横に見える、どうやらベッドから転がり落ちてしまったらしい。
「これは……夢? 俺の? それとも……」
頭がずきりと痛む。あの日、エルと一緒に買い出しへと出かけてから、時々こんな頭痛に苛まれるようになった。グレムリン操縦の為に造られた特殊培養人間。思考を共有、並列化することで複数の機体をまるでひとつのいきもののように連動させる制御識――、それは、扱い損なうと他人の記憶や感情すら自分のものと「混ざって」しまう危険もあるのだろう。
エルやシュピネ、それに『継ぎ接ぎ幽霊船』の人たち。みんなの顔を思い浮かべたときの、胸の内をあたたかくしてくれるこの気持ち、自分だけの大切な記憶――、他の誰にも渡したくないと、ツィールは思うようになってしまった。「道具」に徹していられたなら、どれだけ楽だったろうか――
「俺は一体、「何」なんだろうなぁ」
冷えた汗がぞくりと背筋を駆けあがる。シャワーを、浴びよう。ツィールはのろのろと立ち上がった。
◆7回更新の日記ログ
本日のニュースです
小群島では白い鳥の群れが見つかったと話題になっています
鳥類は粉塵によってほぼ絶滅しましたが、
一部の種は生きながらえ、粉塵に適応しました
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「い、痛いっ、離してっ!」
掴まれた腕を振りほどこうと身をよじるがびくともしない。強引に身体を引き寄せられ、よく知ってるはずの顔がエリエスを覗き込むように近づく。
「答えろ、お前はこの「顔」を知っているんだな」
逃げ場を失った視線が、嫌でも目前に迫る顔を凝視してしまう。それはやはり、間違いなくツィールの顔で――、もしかしてツィールの記憶が戻ったのだろうか。だとするならば、本来の彼はこんなにも冷たい――、
「わ、わた……オレは……ただの人違いで……」
エリエスは、自分が知っていることをそのまま伝えるのは何故かよくないとことだと思った。だから、髪の色と背格好が似ているから見間違えたのだと、そう言い逃れようと口を開きかけた時、目の前の男が突然頭をおさえて苦しみ始めた。
腕の力が緩んだ隙に、エリエスは思い切り腕を振り払って駆け出した。
「ぐっ……待て…………は……誰……」
頭を抱えて蹲る男の言葉を背後に聞きながら、それでも振り向くことなく走る。走って走って、市場の人ごみの中を泳ぐようにかき分けて、すっかり息があがってしまうまで走った末にたどり着いたのは、この市場船の利用客の為の船着き場だった。
――もしはぐれたら、この場所で待ち合わせしよう――
そうツィールと約束していた場所に知らず足が向いていたらしい。そうでなくても土地勘などないこの場所でアテのあるのは唯一ここだけだ。胸に手をあてて荒れる息を整えながら、エリエスは周囲を見回す。良かった、あの男は追ってこられなかったようだ。
「ごめんね、うっかりはぐれちゃった」
「あひゃにゃああああああっ!」
背後から声を掛けられて、エリエスは思わず変な叫び声を上げてしまった。慌てて振り向くと、ツィールが首を傾げて立っている。皆へのお土産用にと買ったナゾニクの串焼きが入った袋を抱え、きょとんとした表情を浮かべた彼はいつものツィールのように思えた。
「エル、どうしたの?」
「なな何でもないっ! いきなり背後から声かけないでよびっくりしたじゃない」
「ごめんね。実は途中でちょっと、頭が痛くなっちゃってさ……その時にエルのこと見失っちゃったんだ」
そう言うと、ツィールは申し訳なさそうに頭をかいた。さっき会ったあの男――、ツィールの記憶が戻ったのかと思ったが、あの男はツィールは全く同じ顔をしていながら、浮かべる表情はまるで違っていた。
ツィールにはもしかして双子の兄弟がいるのだろうか、しかしそれを聞いたところで、自分に関する記億を失っている彼から答えを得られるものではない。
今になって急に、もしかして生き別れの兄弟を探して必死な人にとんだ不義理をはたらいてしまったのではと思ったが、それでも、本当の身内だったとしても、やはりあんな冷たい目をした男とツィールを会わせるのはどうしても良いことだとは思えなかったのだ。
「ところで頭が痛いっていってたけど、もう大丈夫なの?」
「ちょっと痛かっただけだからもう大丈夫。それよりもエルは買い物もういいの? まだ何も買えてないんじゃない?」
「いいの。それにほら、こうしてお土産もあるんだし、今回はひとまずこれで話題作りよっ」
ミアとの会話の切っ掛けなんて、実はこんなので充分なのかもしれない。それに、またあの男に会うかもしれない方が嫌だったのだ。
「がんばってー。じゃ、帰ろうか」
小型艇の中に、焦げ臭いともなんとも言えない不思議なナゾニクの匂いが漂う。操縦席ではツィールが「継ぎ接ぎ幽霊船」のルインと帰りの航路についての通信をやり取りしている。露店に並んだ不思議な品々の話をしたら、シュピネも喜んでくれるだろうか――、疲れと安堵がエリエスを心地よい眠気へと誘う。ふと、エリエスが着ていた上着のポケットに手を入れると、中に何かの感触があった。取り出してみるとそれは、親指くらいの大きさの、つるりとした丸い半透明なものだった。
「なんだろうこれ? ……まあ、いいか」
エリエスは、その小石のようなものを再びポケットに入れ、小型艇の後部座席に背をもたれさせた。
◆6回更新の日記ログ
本日のニュースです
氷獄ではいま絵本の読み聞かせが人気です
書籍行商船では絵本の人気が高まっているようです
霧の伝説の絵本は、いまでも人気の話です
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
重粒子粉塵兵器により赤錆色に汚染された世界。かつて空は青く澄み渡り、フィルタースーツなど着用せずとも「外」を出歩くことができたという。
シュピネがそのアームを器用に動かして室内着を繕いながら聞かせてくれた話を、エリエスはもちろんのこと、ツィールもどこか遠い世界の話のように聞いていた。
しかし、人というのは世界がそのような状況になろうとも、どっこい力強く生きているもので、人が集い暮らしていくうえで必要なものを取引する場は残っていたりする。
「へぇ……思ってたより大きいんだね。まるで移動してる街みたい」
「俺たちのいる継ぎ接ぎ幽霊船より大きいかもしれないね」
ツィールとエリエスの二人は今、大型の貨物船を改装した巡行する「市場船」まで買い出しに来ていた。
船倉の中には様々な露店が立ち並び、洗顔料や化粧品、下着や日用品の他に使い道のよくわからないパーツや、怪しい色をした薬品など様々なものが取引されているようだ。
「この、何だかよくわからない食べ物、不思議な味がするね。串に刺してあるの、食べやすくていいなあ」
「お店のおばちゃんはナゾニクって言ってた。この赤茶色の液体はタレっていうんだって」
二人してタレの塗られたナゾニクの串焼きを頬張りながら露店を物色する。ちなみに皆へのお土産用にも追加で買っておいた。
今回、少々無理を言ってまでこの「市場」まで買い出しに来たのは、エリエスにとってちょっとした目論見があったのだ。
『継ぎ接ぎ幽霊船』で共に暮らしている人たち、その中でもミアという少女は、エリエスにとって初めて出来た同年代かつ同性の知り合いだ。出来ればもっと仲良くなりたい、だから、その切っ掛けになるような、何か気の利いたプレゼントを見つけられたらいいなと思ったのだ。
だが、露店を回り始めてしばらく経つと、自分の目論見がいかに浅はかだったかに気付く。身に着けるものや化粧品などに殆ど興味を持たず、またそんな余裕もない生活に慣れ切っていたエリエスには、どんなものが相手にとって“気の利いた”ものなのか皆目見当がつかない。そもそもミアがどんなものに興味を持っていて何が好みなのかすら知らない。文句も言わずにずっと後をついて歩いているツィールはというと、何を見せても「うん、とてもいいと思うよ」としか答えてくれないのだから全くアテにならない。
まずはミアと話をして彼女の嗜好を知るべきだったのだが、その話をするきっかけが欲しくて今ここに来たのではないか――、堂々巡りをする思考に足が止まった。
「ねえ、ツィール。ちょっと休憩しよ……あれ?」
くるりと振り向いたその先に、ツィールの姿は無かった。いつのまにはぐれたのかとあたりを見回すと、見慣れた赤い髪が一つ先の角を曲がろうとしているのが見えた。
「ちょっと、ねえ、ツィールってば!」
追いついた頃には息があがるほど、赤髪の後ろ姿は歩みが早かった。腕を伸ばして上着の袖を引っ掴み、まったくもう、勝手にどっか行かないでよと言いながら顔を上げたところで「彼」と目が合った。
赤い髪、緑の目、確かにツィールと同じ顔をしているのに、冷ややかに見下ろすその表情はまるで別人のようで――。
「あ、あの……ごめんなさい。ひとちがい……でした……」
消え入りそうな声で言いながら、一歩、二歩と後ずさる。そのまま振り向いて一気に駆け出そうとしたエリエスの機先を制するように、エリエスは赤髪の男に腕を掴まれた。
「お前……この「顔」に見覚えがあるんだな?」
やっぱりツィールと同じ声なのに、その響きはまるで違う。
エリエスは、背筋が冷えるような感覚に震えた。
◆5回更新の日記ログ
本日のニュースです
雨の海ではいま「ウミケダマ」の水揚げが最盛期を迎えています
「ウミケダマ」は柔らかい毛がびっしり生えたウニの仲間です
粉塵に汚染された肝を10日かけて浄化し、絶品となります
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「ネグロさん、顔は怖いけど実は結構優しいよね」
「『どうせ死ぬなら被害を最小限にするか、こっちが得するように死ね』って怒鳴られてたくせに、それを聞いて……優しい?」
「え、だってそれはつまり死ぬなって意味でしょ?」
会話の合間にカチャカチャガチンと金属の音が挟まる――、ここはグレムリンの格納庫。
この間から二人はグレムリンの整備についてネグロから手ほどきを受ける機会が増えた。
“継ぎ接ぎ幽霊船”に同じく居ついているスリーピング・レイル――機体名と自らの名を同じくする不思議なひと――の整備を担当しているミアという少女は、ネグロほどではないにしてもグレムリンの整備に関しての知識と経験があるようで、それに対し全くの素人だったエリエスとツィールは、それこそ工具の握り方から指導されたものだ。もちろん、その表情は不機嫌を貼り付けたままだったが。
「ツィールもさぁ、操縦だけでなく実は整備の知識もありました。とかないの?」
「どうなんだろう? きっと、自分はずっと戦闘しかしてなかったんじゃないかなあ」
機体のアセンブルはネグロから「よくもこんな状態で戦ってたな」とため息をつかれるものだったらしい。良くも悪くも拘りの無いツィールだったから、「こんなものだろう」と乗り続けていたらしい。全く、感心していいやら呆れていいやらである。実際、ネグロに改善案を提示してもらい、その通りに組み直してからシミュレーター演習の成果が格段に跳ねあがったのだから恐れ入る。
グレムリンに搭乗し、戦闘する為だけに生み出された特殊培養人間。
自分は何故生まれ、そして何故捨てられたのかも知らないままボリスに拾われたエリエスにとって、これはダメな考え方だとわかってはいるが少しだけ、ほんの少しだけ「羨ましい」と思ったのだ。
謎の密室にツィールと共に閉じ込められた際に、自分の生き方は自分で決めればいいと啖呵を切ってみせたのだって、半分は自分に言い聞かせてるようなものなのだ。
そこでふと、あの時の状況を思い出してしまった。もし仮に、ツィールが“その手”の知識を持っていたら――、浮かびかけた不穏な考えに顔がかっと熱くなる。
「そうだ、この間さ、エルと一緒に『セックスしないと出られない部屋』に閉じ込められた事あったでしょ」
「んひっ!」
自分の考えを読まれたのかと、エリエスは思わず変な声を出してしまった。勢いで取り落とした工具が鈍い金属音を整備場内に響かせる。
「なっ、ななななななにを突然言うかなぁ?」
「あの後ね、他の人に聞いてみたんだけど何故か教えてくれなくてさあ」
そりゃあそうだろう。っていうかその質問、ネグロやレイルにも聞いたんだろうか。その時の反応はちょっと気になる。
「シュピネにようやく教えてもらえたんだけど、その……」
言い淀むツィールに、ようやくわかってくれたのかと胸をなでおろしかけたが、
「セックスって、ひとはそれぞれ身体のつくりが違うって事だったんだね。俺は構わないけど、エルには申し訳ない事言っちゃった。ごめんね」
「んっ? んんん~~~~?」
合ってるようで微妙に違う気がする。シュピネが一旦どんな説明をしたのか気になるが、それを問いただす気力はエリエスになかった。
◆4回更新の日記ログ
本日のニュースです
雨音列島では園児たちに「ソーメン」が振舞われました
「ソーメン」はメシの原料からできた高級な麺類です
生き残った園児たちは、みな笑顔でソーメンを食べています
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
ツィールたちが世話になることとなった『継ぎ接ぎ幽霊船』は古今東西の戦艦客船航空機……中には遊覧船から飛空艇まで寄せ集めて継ぎ合わせた不思議なつくりをしていた。
鉄骨がむき出しになっていてとてもじゃないけど足を踏み入れることも出来ないような区画もあるが、総勢七人が生活するに足る設備は整っている。
「……一体何なの、この部屋ぁ」
エリエスが周囲を見渡す。多少の埃っぽさはあるものの、真ん中に置かれた大きいベッドはきれいに整えられており、前に見せてもらった動画に出てくる、金持ちの家の部屋みたいだった。
時を遡る事数時間前、ネグロにグレムリンの整備を――本人は不本意だ、と言わんばかりの表情を崩しもしなかったが――存外丁寧に教わった帰り、せっかくだから少し探検してみよう! と言い出したのはエリエスの方だった。茶色く干からびてねばねばした何かがあちこちにこびりついてる部屋、空き缶が床一面に散乱している部屋、壁一面に赤黒い手形がべたべたついている部屋は――、気味が悪かったのですぐに出た。シュピネと一緒に「ゴミ捨て場」で様々なガラクタを漁っては使い道を考えていた頃を思い出して、エリエスは珍しく浮かれていた。
だから踏み込み過ぎたのだ。客船の一部らしき壁を見つけて、何の警戒もせずに部屋に入り、ひと通り様子を見て出ようとドアノブに手を掛けて、そこで初めて閉じ込められたことに気付いたのだから。
過ぎたるは……というヤツだった。
従順を絵に描いたようなツィールが、もう帰ろうなどと自分からは決して言わないのがわかっているだけに、「どうして止めてくれなかったのか」などと責めるのは自分の浅はかさを丸出しにするだけだと唇をかみしめた。
「エル、どうしようか」
「そんなのオレにもわかんないよ……」
部屋に閉じ込められたというのに、ツィールは全くもって緊張感の無い様子でベッドに腰掛けている。勿論、最初はどこか別に出られる場所がないかを探してみたり、何かしらドアを開ける方法があるのではないかと試したのだ。いつもならシュピネを通して他の人に連絡をとってもらえば済んでいた話だったのだが、生憎今この場にシュピネは居ない。
「あれ、何だろうこれ」
ツィールはベッドの枕元に挿しこまれていた紙を取り出してエリエスに手渡した。何かこの状況を切り抜けるヒントでもあるかもしれないと期待を込めて見てみれば、そこには『セックスしないと出られない部屋』とだけ書かれていた。
「は、はぁ~~~~~~~?」
あまりにあんまりな文言に、エリエスは思わず素っ頓狂な声を張り上げてしまった。いやだってセッ……それってつまり男女……とは限らないけど、この場に居るのは自分とツィールのみで。
混乱気味に頭を抱えるエリエスを見て、ツィールは覚悟を決めたかのようにひとつ頷くと、立ち上がってエリエスの肩に手を置き、ゆっくりと自分の方を向かせた。
いつになく真剣な表情でこちらを見据えるツィールに、エリエスは身構える。そうだ、どんなに従順に見えても相手は成人男性、他の誰も見ていない密室状況で男女二人、何も起きないはずもなく……
「エル……」
「な、なによぅ」
「セックスって、なにすればいいの?」
言われてエリエスは盛大にずっこけた。
「はっ? えっ? そこから?」
「うん、ごめん。何すればいいのかわからないけど、ここに書いてあるセックスってのをすれば出られるんでしょ? だったら俺に出来る事なんでもするよ」
「いやだからー、そんな簡単に何でもするなんて言っちゃだめだっていつも言ってるじゃん」
「でもエルとシュピネになら、何されてもいいし何でもしたいって思ってるよ」
臆面もなく言い切られて、エリエスは自分の顔が熱くなるのを感じた。ツィールはいつだってまっすぐだ。そこにある種の危うさを感じるが、基本的に彼は善良と言っていいのだろう。
ただ、この場で男女の身体の仕組みから行為について説明するのは面倒だったし、シュピネから主に教わったのは自分の身を守る術で、エリエス自身にその経験はない。きっと晩御飯の時間までに戻らなければシュピネが探しにきてくれる。だから待とうとエリエスは強引に有耶無耶にした。
待つと決めたはいいものの、そうなると妙に気まずい。部屋に置いてある引き出しや戸棚を開けたり閉めたりと落ち着かないエリエスに比べて、ツィールはというとベッドに腰掛けた姿勢のまま、まるで人形かのように動かない。そういえば、ツィールと話以外することのない状況で居るのは初めてなのではと思い至った。
「ねえツィール、あなたっていつもすぐに何でもするとか言うし、どうして? たまには嫌だとか言ってもいいんだよ?」
そう声を掛けられて、ツィールはというと珍しく返事を言いよどんだ。
「うん、そうだね……そうだよね」
「記憶がないって不安なんだろうけど、それだったらレイルさんも同じだって聞いたし。ツィールが自分からこれがやりたいって言ったの、グレムリンに乗りたいって時だけじゃん」
「エル、俺ね……自分は記憶を失ってるんじゃなくて、最初っから記憶なんて「なかった」んじゃないかなって……思ってるんだ」
「そ、それってどういう……」
「ネグロは俺たちに整備を教えてくれてる時、ミアやエルが出っ張りに身体をぶつけないように腕で庇ってくれてる。それってつまり、そこにぶつかって痛い思いをしたからだと思うんだ。レイルは空が青かったって知ってるし、俺たちが知らないような祭のお話も聞かせてくれた」
「でも俺にはそういうのが無い。生活する為に必要な知識はあるけれど、そグレムリンの操縦方法は知ってるけれど……それだけだ」
企業がグレムリン操縦の為に生み出した特殊培養人間。ツィールは、自分がおそらくその類なのだろうと言いたいらしい。
エリエスがツィールに対して常に感じていたやりづらさ。それはおそらく、ツィールがあまりにも「自分」というものを持っていないことへの苛立ちだったのだ。素直なのも従順なのも、こちらから働きかける分には扱いやすいが、それは機械を動かしているのと何も変わらない。見た目が機械のシュピネの方がよほど人間くさいと思えるくらいだが、「道具」ならば――
でもそれって、そうだとしても、あんまりにも……
「じゃあつまり? 自分は「道具」なんだから便利に使われようってことなの?」
怒りを含んだエリエスの言葉にきょとんとしながら、ツィールは頷いた。
「冗談じゃないっ! いい? ツィールは「道具」なんかじゃない。人間よ! 記憶が無いならこれから沢山つくっていけばいいじゃない!」
道具として生まれたのだとしても、道具として生きていかなきゃいけないなんて決まりはない。そんなバカげた決まりがあったとしても、この赤錆だらけの世界ごとぶち壊してしまえばいい。
「だからツィールもね、これからはもっとどんどん自分で考えて、自分のやりたいこととか言っていいんだからねっ」
エリエスが、どうやら自分のために言葉を荒げてまで気遣ってくれていたのだとわかったツィールは、嬉しそうに何度も頷いた。
「わかった! じゃあね、さっきのセックスってやつ、あれどうやるの? 教えて!」
「そこぉ~~~~~!?」
なかなか戻って来ない二人を心配したシュピネが駆けつけて、二人が無事部屋から出られたのはここから少しだけ後のお話。
◆3回更新の日記ログ
本日のニュースです
ヒルコ・トリフネでは今日も「にわとりさま」の祭事が行われています
「にわとりさま」は食された鶏肉の神と言われています
にわとりさまはどう見てもひよこですが、にわとりさまと呼ばなければ祟られるそうです
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
倒れていたところを助けて頂き感謝しています、お礼に何でもします。と言われた時にはエリエスと顔を見合わせたものだ。
このご時世に「何でもします」なんて軽率に口走れば何をさせられるかわかったものではないというのに――、その無邪気さに、先に危機感を覚えたのはエリエスの方だった。
「ダメだよツィール、そんな簡単になんでもしますなんて言っちゃ。もしボクたちが悪い奴で、じゃあ今この場で裸になれ。とか言っ……わー! 脱ぐなー!」
即座にシャツを脱ぎ始めたツィールはというと、慌てたエリエスに腕を掴まれてきょとんとしていた。
―――――
継ぎ接ぎ幽霊船を名乗る不思議な船の世話になって数日、シュピネの目下の課題はグレムリンの整備に関する事柄だった。
『もしもし、そこの御仁。ちょっといいかニィ?』
返事の代わりにじろりと睨みつけるネグロに怯む様子もなく、シュピネは言葉をつづけた。
『ツィールの戦闘ログを通してキミの戦績も見せてもらったよ。キミとその僚機であるレイル氏が敵視を引き受けてくれたおかげで、かなり自由に戦わせてもらったニィ』
「世辞はいらん」
足元でかさこそと動く蟹のような小型機体に、わざと足が当たりそうな距離で一歩を踏み出してみせるが、シュピネに動じる様子はなかった。
『だが、それよりも見張るべきは整備の腕前だ。グレムリンのパーツはそれぞれダウンロード元が違う……それをああも違和感なく組み上げて耐久力まで引き上げてみせるんだから恐れ入るニィ』
「……何がいいたい」
『話は簡単。その整備の腕前をうちのエリエスとツィールにご教授願いたいって訳だニィ』
「断る」
即座に返答し、そのまま歩き出すネグロの後ろをシュピネはかさこそとついて歩く。
『そうつれないコト言わずに手伝ってほしいんだがニィ……真紅連理でも評判だった……』
瞬間、シュピネの身体は大きく吹っ飛び、鈍い音と共に壁に激突した。ネグロが渾身の力で蹴り飛ばしたからだ。
「……何を知っている!」
『あんまり乱暴に扱わないでほしいんだがニィ……。ワレワレはゲーム画面で被弾してもついイタッとか言っちゃうタイプだからして……』
「何を知っているかを聞いている!」
再び床へ叩きつけそうな形相でシュピネを掴み上げるが、シュピネはというと、損傷の程度を確認するかのように三本指のアームをわきわきと動かしていた。
『理由は簡単、ワレワレ……俺も一時期そこで傭兵してたってだけの話だ』
「だったら、部屋に引き籠ってないでてめぇで整備すりゃいいだろうが」
『そうしたいのはやまやまなんだが……ちょっと、ご足労願えるかニィ?』
投げ落とされるよりは幾分柔らかく着地したシュピネは、アームをわきわきと手招きするように動かして歩き出した。居住可能な区画に多少、いやかなり強引に接岸させて出入口を増設した『ニーキャスチェン』は、継ぎ接ぎ幽霊船の一部と化して馴染んでいる。シュピネは一室の扉を指し示し、ネグロは躊躇いもなくそれを開け放った。
『「やあ、直接会うのは初めまして」』
背後に控える小型機械から発せられた音声と重なる。薄暗い室内、その真ん中に置かれたベッドに男が一人横たわっていた。ディスプレイに照らされたその顔はひどく痩せこけている。
『「ご覧の通り、自分の力では首を動かすのも精一杯の有様でね、そこの小型機体を通してエルとツィールに整備を指示するのがやっとなのさ」』
「……」
『「これでも出来る限りの治療は試みたんだが、脳そのものに問題があるらしくてな、身体を全部取り替えたところで無駄らしい」』
「……てめぇ」
『「合理的にいこう。同じ戦場を駆けるチームとしてあんたの力を貸して欲しい。あんただって、味方の機体が整備不良だったなんてヘマでいらん危機に陥りたくはないだろう?」』
「ちっ……好きにしろ」
ネグロは大きく舌打ちをしてみせた。
◆2回更新の日記ログ
本日のニュースです
南の島では今、謎の珍獣「カビャプ」が多数目撃されています
人々の気配が消えた町などを横切る姿が確認されています
ピンク色でもふもふしていてかわいいですね。血を吸うそうです
戦火の世にも、人々の連環を。我々はまだ、戦えます
「こちらグレムリン『ザイルテンツァー』、随行している居住船『ニーキャスチェン』と共に着艦許可を申請します」
「こちら『パッチワーク・ゴーストシップ』。『ザイルテンツァー』『ニーキャスチェン』の着艦許可を与える。ようこそ」
見た目の荒廃具合とは裏腹に、着艦時の衝撃でガコン、と軽く船体が揺れただけだった。外気を遮断する扉が閉まり、天井と壁のノズルから液体が勢いよく噴射され、機体を染める真っ赤な血――、いや赤錆の粉塵を洗い流す。
「へえ、思ってたよりボロくないね」
「まずはこの艦の責任者に挨拶だニィ」
船外に出たエリエスは遠慮なく周囲を見渡す。その足元を、多脚の小型機が先導してかさこそと歩いた。
「おーい、ツィールも早く降りてきなよぉ」
エリエスが声を掛けた先、跪くように佇むグレムリン『ザイルテンツァー』の操縦棺から、赤髪の青年がひょいと顔を出した。
――時を遡ること数日前、“ごみ捨て場”で拾った青年をどうするかについてエリエスとシュピネは多いに悩んでいた。この青年が死んでいたならば話は簡単だった。その道の「専門家」に引き渡していくばくかの謝礼を受け取れば済む話だったのだから。青年が生きていた場合でも、救助の謝礼を受け取ってお引き取り頂けばいい。
だが、この青年は生きていて、それでいて記憶がなかった。
最初こそ、自分の名前すら憶えていないことに戸惑っていたのだが、次の瞬間には「まあ、覚えてないものは仕方ないですね」と言い放ったものだから、エリエスもつい「いや切り替えはっや!」とツッコミを入れてしまった。
「さて、どうするかニィ」
「元の場所に返すわけにもいかないもんねぇ。仕方ない、ツィールの記憶が戻るまでウチで面倒みるしかないんじゃない?」
ツィール、とは記憶も無く全裸で倒れていた青年の内腿に刻まれていた文字列なのだが、便宜上彼の名前として呼んでいる。
「そんな、野良猫じゃあるまいし」
「ボクも似たようなもんだし、拾った責任はとらないと。ね? ボリス」
「……シュピネと呼んで欲しいんだがニィ」
不機嫌そうにアームをわきわきと動かすシュピネをぽんと叩いて、じゃあちょっと買い物行ってくる! と、エリエスは椅子から元気よく飛び降り、部屋から出て行った。
◆アセンブル
◆僚機と合言葉
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