ENo.0001　ドクター

巨大未識別融合体と、グレムリン大隊との戦いが終わり、ジャンクテイマーと《グレムリンズ・ギフト》と、世界と、希望を賭けた戦いが始まる。

とはいえ辺境で戦う男たちにはあまり関係のない話なのかもしれないが。

グレムリンテイマーたちを祝福するかのように空を舞っていた航空者たちが虚空に消え去ったころ、男は小さな箱を手に取り、眺めていた。

巻かれていないオルゴール、男が古巣から持ち出した一つの小さな機械。側面にはいくつかの傷跡がついている。

大戦よりもはるか昔の遺物とされるその箱に、ねじはない。中身を観察するための蓋もない。

作られた時代よりもこんな遠くの未来に、しみじみと観察されることを想定されていないだろう。

男は一つ、二つとオルゴールがピンをはじく音を聞いた。

それが自分にしか聞こえていないということは、とうの昔に知っていた。

全ての到達は来る、と光の柱は言った。

俺はもう迷わない、と或るテイマーが言った。

巻かれ始めた時計が未来を指すのか、はたまた”また”一巡りするのに過ぎないのか。

「古い映画がある。ある男が、恋人を亡くした傷跡を埋めるべく、未来を知り、過去を変えることで恋人を取り戻そうとする話が」

巻かれていないオルゴールが鳴る。幾度も繰り返した音楽が流れる。

「まあ色々あって男は恋人を取り戻すことを諦めることになるのだが、」

助手の男が話を聞いているのか、いないのか。それは猫のように観測されない。

「時折思うのだよ。もし男が希望通り恋人を取り戻すことに成功していたなら」

ハッピーエンドに祝福あれ、めでたしめでたしでお話は終わる。

「苦難の果てに恋人を取り戻す旅を、そのあと幾度繰り返すのだろうと」

ハッピーエンドのその先に、未来はあるのか。

「ああいや、詮無い話だったな」

果たして、何度あのテイマーは「迷わない」と言ったのだろうか。

また一音、オルゴールはピンをはじいた。

「あの妖精が言うこと、この世界が繰り返しているというのなら、残像に対して一つの仮説を立てることができる」

がらんどうのガレージに言葉が響く。……聞き手はいない。

「紙でもなんでも、一つの物に物語を書き、それを消してもう一度書き直したとき、そこにはどうしても消しきれなかった跡や、ペンの凹みが残るだろう…これを世界に、書かれる物語を人々としたとき、繰り返し書かれた人は、言葉は残り、バグとなる…ということだろう」

「使い古された紙を替え、未来の物語は新しい紙へと記されなければならない。妖精とやらが言っているのはそういうことだろう。そこに書かれる人たちが損なわれることはない」

グレムリンを見据えた。錆びた機体。どれだけ手入れをしても取れることのない、傷跡に残る赤茶色。

「希望的観測ではあるが……古い紙を破り切る力がある、ということだ。このグレムリン・フレームには」

世界を破壊する祝福が込められている機体は、静かに動き出す。

「クリスマス、太古より行われている祝い事の一つと言われている行事だな。
…人名に由来するとも、地名に由来するとも、逸話は一つも残されていない。ただ『友や家族と共に祝え』とだけ伝えられている」

　付け髭が揺れる。どこかから来た希望を運ぶ逸話のように。傷跡に寄り添う夢のように。

「君のような異邦人たちは聖人の誕生日と言うがね」

　人工クリームを口につけた青年が、首を傾げた。

「聖人の誕生記念日祝いスよ」

「この世界の人間は、なぜかそれを伝えなかった。ただ祝福としてのみ、伝えられていた」

＊ク＊リ＊ス＊マ＊ス＊

「きっと未来にも、そう伝え続けられるだろう」

オルゴールの音が聞こえる。


「さて、助手よ。今日は『残像』と呼ばれるものの話をしよう」

助手の男は静かに機体を磨いている。

「ここのところ領域通信でも聞くことが多いだろう。"死んだはずの機体からの通信が聞こえる"と」

幽霊、残響、焼けついたフィルム、彼らを呼ぶ名はいくつかあるが、白衣の男は『残像』と言いきった。

「……しかしもちろん、すべての死者から聞こえる訳では無い。先の大戦で死んだものたちの声で埋め尽くされているのなら、この世界はこんなに静かでないだろう」


間。


「だからといって、残像に合う側に寄るものとも断定しがたい。それならばもっと身近な……テイマー以外の人間の目撃情報があってもいいはずだ」

オヤジとか出てきて欲しくないもんナ、と合いの手。

「そう、家族であったり、恋人であったり、そういった残像の話は聞かないのはなぜか」

そこにあるのは傷跡生々しいグレムリンテイマーの残響だけだ。そこに未来はなく、レコードのように過去だけが繰り返される。

「やはり、グレムリンがテイマーの意思で動くものであるから、ということが鍵であると思うのだよ。強い意志で動かしていたグレムリンは、その棺が空っぽになったとしてもその意志を繰り返し続ける」

特に死に際の意思は強いだろう、その分残りやすい、と。

「彼らには鮮烈な死に際だけが残り続け、そこには祝福も希望もない。あるのは繰り返しだけだ」

オルゴールの音が聞こえる。



転がった箱の、ネジは巻かれていなかった。

「さて、助手よ。今日から猫パーツ工場を作るぞ」

はあ、という気の抜けた返事がひとつ。最近企業からの支援で届く猫缶と猫じゃらしが五つずつ。

「まずこの錆びた世界に猫はいるのか？という問いがある」
人にも厳しいこの錆びた世界では、空に生身のカモメは一匹も飛んでいない。

「だが、ないことを証明するのは難しい。いわゆる悪魔の証明というものだ」
猫はいない、少なくとも我々の見えるところには。だが、見えていないところには？そんな希望的観測がゼロの力を産んだ。

「そこで発明されたのが、シュレディンガー・キャット・システム、通称S.C.S.と言う」
助手の男は猫のごとく身を伸ばし、欠伸をしている。

「パーツの一部に十分なスペース、そしてその中に猫缶を入れ、しばらく通り道を開けておく」
「次に、中身を見ないようにしながら、通り道を閉じ、機体に搭載する」
「最後に帰投後も、中身を見ずに猫缶を取り換え、通り道を開ける」

「不思議なことに、この手順を厳密に守ったパーツは、明確に零力が向上した、というデータがある」
但し、搭載前にパーツの重量を計測してしまった機体では上がらなかった。そこに猫はいないから。

「嘘のような本当の話だ。だからこそ企業は人間の食事よりも安価な猫缶を配布するし、猫パーツ工場は儲かる」

稼ぐためなんスか。

「いいやもちろん、未来の為さ」

本日のニュースです
敵のジャンクテイマーに新型機が現れました
ジャンクの裏には大規模な組織の影があるようです
それは暴力でもって世界を奪おうと、統率を強めているようです
我々の未来は、いまだ闇の中です
戦いましょう、生き残りをかけて……

「ジャック・オーはどこか、か…」

駆り出された臨時の依頼。夢を見た科学者と、その夢を叶えるために奮闘する青年。

ああ、なんて

「身につまされる話じゃあないか」

未来を見る自分と、助手の男。

それはまるで自分を見ているようで。

誰かの夢を途絶えさせるために戦場に出るも、放つ弾は軽すぎてはじかれた。誰かの夢の重みを落とすには、足りなかった。

「私には否定できないよ」

その夢も、その未来も。

幸か不幸か、助手の男は別の哨戒任務に行っていて極秘任務について知ることはなかった。

お前は私の意思を継いでくれるなよ、と。

言おうとして、止めた。

本日のニュースです
各企業に物資が行き渡り、活動が再開されています
傭兵に提供する物資も種類が増えています
やがて支配域が拡大するにつれ、その種類、質ともに向上していくでしょう
我々の未来を取り戻す兆しとなっています
戦いましょう、生き残りをかけて……

本日のニュースです
各地で戦闘が広がる中
奇妙なうわさがグレイヴネットを中心に広がっています
亡くなったと思われるグレムリンの姿を見たという噂です
我々の未来を脅かすものとなるのでしょうか
戦いましょう、生き残りをかけて……

今日もラジオは遠くのニュースを垂れ流している。嫌いじゃあない。
錆びた海を飛ぶ。正確には海は錆びていないのだが、相変わらず陰気な粉塵は世界を覆っている。

この世界を取り戻すためには、フロントラインを確保しないといけないと『ネットの妖精』は言った。世界を塗り替える作業。零力と粉塵の陣取りゲームのコマになっているらしい。

そんな簡単なことで先の世界を見ることができるのなら、安いものだ。

『今日は晴れ！　全くの快晴！　なぜなら、あたしは天候を預かりし故！』

ラジオはでたらめな天気予報をキャッチした。
大雨で途切れる音声は、ない晴れ模様と日差しを伝える。

「まったく、晴れてくれればいいものを」空は赤けれど、雨の日よりかは憂鬱ではない。

いずれにしろ空、ないじゃないすか、と助手の男がぼやいた。

錆びついた機体、錆びついた工場。わからないことだらけだが、問題はない。
例えこの機体が錆びようとも、魂さえ滅びてなければ。

もちろん無事に起動した。何か呼びかけられたような気もするが…まあ気のせいだろう。

港湾部で助手の男とも合流したことだし何ら問題はない。調査を進めよう。

本日のニュースです
タワーで大規模な戦闘が発生し、
170を超える未識別機動体を撃破しました
我々の未来を救う兆しとなるのでしょうか
戦いましょう、生き残りをかけて……

わからないこと、というものは所謂未知である。つまり先にあるもので、未来のことだ。つまり良い。

それは過去よりも可能性に満ちていて、今よりも不確かだ。確定してしまった過去に意味はない。繰り返しでもしているのなら別だけれどな。

不味いコーヒーを一杯飲み、港湾部を出る。ガレージにも連絡を入れたが…まああまりまだ人はいなさそうだな。

我々研究者は世界の未知を少しずつ解明し、可能性を広げていく。フロントラインを推し進め、人類の可能性を広げていくテイマーも同じことだろう。

──その先にあるものを見るためにも