ENo.0045　凍れる紅榴石のアルマ

そして、果てへとやってきた。

海と空は遠くで交わって一本の線に見える。
それは水平線というのだと、アルマは思い出していた。

そこから、光の柱が立ち上がっている。
水平線の上二あるのか、それよりも向こうにあるのかは遠すぎて判然としないけれど、
遠くに細く見える柱は、近づくことができれば、きっとずっと太いのだろうと思えた。
アルマ達を飲み込むことすら容易いだろう。

……

ただ、幸か不幸かそこまではいかなくてよさそうだ。
行かずとも、何者かの声が響いていた。
これが奇妙なメールに記された、対流思念というものだろうか。

これを集めれば元の世界に戻ることができ、
また、この思念の中に何かが隠されていると聞くが……


「ユメ」

厳かなその声は、夢を探そう、探そうと繰り返している。
夢なんて、探して見つかるものなのだろうか。
パーツや素材の如く、そのあたりに落ちているとも思えない。
何より、やりたい事はもう決まっていて動きようもないから、
アルマはしばらくの間
──意識が混濁し、世界の現状について思い出すまで──
そこで棒のように立っていた。

海を進み続け、小群島に到達した。
名もなき小さな島の集まりだというが、名があったところで、アルマがそのひとつひとつを覚えられるかは怪しい。
鳥たちについても猶更だ。
寄ってきては短い髪を啄もうとしたり、肩や腕をつつこうとする鳥たちは動きも素早く、個体の識別すら怪しかった。

一羽一羽じっくり見ればそれもできたかもしれないが、
生憎と、アルマはジーアの手入れに忙しい。
脚部についた塩水は、そのままにすれば錆のもとになってしまう。
水気をふき取り、できる範囲で塩を落として、コーティング処理をする。
兎角、忙しい。
更に、人の事を覚えるという大事な用事もあった。

アルマは暇さえあれば、過去に受け取った、
ポラリスやレンゼのメッセージを再生し直していた。
そこから他人について考えようとする。
孤児院の人々は好ましいと思うし、
それをしっかりと覚えて、忘れずにいたかった。

ふんわりとした「みんな」ではなく
「ポラリス」「レンゼ」「カシュ」として
共にいられることを、そして、彼らと同じになれることを望んでいる。

何もない。
何もないように見える場所を、ただ進む。

……何か。
何か見えたことなど、これまでの人生であっただろうか。

いつでも手探りで、目の前のことしか見ていない自分を思う。
過去も未来も遠くも見えない。
ただ、誰かと同じ場所にいたいだけだった。

終わった世界。崩壊した世界と言われてみても、実感がないのが正直なところだ。

変化が全くないわけではない。
ただ、大きいものだと思わないだけだ。
ジーアは少しばかり錆だらけになったけれど、問題なく──戦闘能力の有無は、アルマは大した問題だと感じない──アルマについて来てくれるし、孤児院の仲間たちも探せば見つかった。
中には見つからなかったものもいたけれど、それは今までもあったことだ。
見つけた彼らは一様に今まで通りで、だから、アルマにとっては何も世界は変わっていない。

息を吸って、吐いて、足を動かして歩くことができるし、手でものを掴むことだってできる。
誰かと話すことも、触れることもできるんだから、アルマにとってはそれで良かった。

赤い大地が続く。
ジーアはすっかり『目』を失ってしまったようで、索敵もできなくなっていたけれど
敵もいなければ攻撃の気配もない。遠くで銃撃の音が聞こえる、なんてこともなかった。

「今日、人、いない」
「敵、いない」
「静か」

今日はいい天気だ。そんな調子で呟く。
ジーアは返事をしない。いつものことだ。

「いい日」

静かで平和な、いい日だ。

アルマは呆然としていた。

「……」

アルマはジーアに乗り、カシュと共に海を目指していたはずだった。
死してすら、他人と同じ場所へ行けぬ自分でも、カシュの為に戦えば彼女になれる気がしていたし
孤児院の教え通りにグレムリンになり、無へと向かうなら、
それはそれで、皆と同じ場所へ行けるのだと信じた。

だが、この有り様は。

「ジーア」

ジーアはそこにいた。
赤錆に覆われて、手塩にかけ集めた体の一部……パーツも、ほぼ全てを失って。
体を覆うチリを除いてやろうとしたが、それはアルマの手をガリガリと擦るだけで、容易には落ちない。
……錆だ。アルマのグレムリンは、頭から脚部まで、赤錆に覆われている。
まるで塵のようだ。

とにかくも、ジーアを助け起こさないといけない。
苦労しているうちにやってきた女性が、
おおよそ、アルマの知りたかったことを教えてくれた。

ダスト・グレムリンが目覚めたこと。
ここは崩壊し、放棄された世界ということ。
……まだ、自分は生きていること。

「…………」
「カシュ　探す」

生きているのなら、することは変わらない。
世界がどうなったって、アルマにとって大切な事は少なかった。

アルマはジーアを起こし、歩き出した。
きっと彼女は、……孤児院の仲間たちも、近くにいるだろうから。

遊撃戦に出よう。

そんな提案がされたのは、虚空に出るようになって一週間が過ぎた頃だった。
今までの大規模戦場とは違い、二機で行動して、少数の敵を相手取る。
アルマは、理由も聞かずに頷いた。

カシュには、いつだってしたい事がある。
いつも何かしらの目的の為に動いていて、生き生きとしているように見えた。
孤児院の教えにそぐわないことでも、場所と時を選べば口にする。
カシュは孤児院のためでも、他の誰のためでもなくって、自分のためにのみ生きている。
そんな彼女に従うのは、アルマにとっては当然のことだった。

「ジーア、わかる？カシュ、こっち来た　理由」

ジーアは一方的に話すだけで、もうアルマに返事をしない。
無機質な文字列と音声が、グレムリンの状態を伝えてくるのみだ。
そうとわかっていても、アルマは話しかけるのをやめない。
昔、アルマはあまりジーアに話さなかったから、今はそれが逆になっただけだ。
ジーアはアルマに興味があったが、アルマはジーアに興味がなかった。
今、アルマはカシュに興味を抱いている。
いずれアルマはカシュになるつもりだから、聞いても怒られないのじゃないかと思うのだ。

「聞いたら、教えて　くれる……思う？」

ジーアは、何も答えない。

[84]
「…………」
[21]
「…………」

今日も、運命を測る。

どうやら運命到達点というのは、近付くばかりではなく、遠ざかることもあるらしい。
それらしき表示は、機体……ジーアと呼ぶセレストを通じて見た。
距離にして、3FP。それが、アルマの伸ばした寿命の長さだった。

それでも結局、一定以上の値は測定できないから、とにかく寿命が延びたと解るだけ。
これでは意味がない。

「……"アルマ"　より　はやく、お誕生日　迎えないと」

カシュのことだった。
手伝ってほしい、助けてほしいと言われれば、アルマにそれを拒む理由はない。
カシュの事は、好きだ。
優しく柔らかく言葉も多い。アルマにないものを全て持っている。

ああなりたかった。
ああはなれない。
無に向かって生きても、ジーアのように、グレムリンにはなれない。
なら、カシュの為に生きれば、カシュの一部になれるだろうか？

　　　　　クリスタリングの血肉は鉱石。
　　　　　流された涙に血、切り離された肉体、
　　　　　死体までもが石となる。
　　　　　死して尚、朽ちることのない輝きを残す永遠の民。


いつからそれが存在したのかは、知らない。
調べればわかるのかもしれないが、アルマも、アルマにそれを教えてくれたジーアも
何故、いつから、そんな人種が存在するのか知らなかったし、
それを探るのはアルマの仕事ではなかった。

アルマの仕事は……そのときは、ジーアと話して、孤児院の決まりや、暮らし方を覚える事だった。


「オマエ、喋れないの？」
「口開けてみ」

「口は普通だな。聞いたぞ、オマエ、人間じゃないんだって？」
「オレ達と違うんだ。いいよなぁ」
「だってさ、教義にピッタリじゃん」

「人の心は汚れてるんだって。だから、人は良くないものなんだよ」
「みんないなくなるのが、きっと正しいんだ」
「オレも含めてさ」
「でも、オマエは石になって、ずっとこの世にいれるんだ」

「……ああ、話し疲れてきたな……」
「今日のお喋りはここまでだ。悪いな」

「ん？ああ、」
「違う違う、病気じゃねえよ。
　体の中身、取ってから疲れやすくなっただけ……」

***

「アルマ、オマエまーたお手入れされたの」
「ちゃんと挨拶しろよ、皆に」

「……いや、まあ。そうだよ、見ればわかる、そうだな」
「でもさ、礼儀とか……あるだろ、そういうの」

「あ、そう」
「オマエほんっと、人の名前も顔も覚えねえのな。
　クリスタリングってのは、鈍感にできてんのかね」

「…………うーん」
「オレ、誕生日が来るのはいいけど、オマエのことは心配だよ」
「本当にグレムリンになれるんなら、いいんだけどな……そしたら……」

「あー、無理か。
　オマエはクリスタリングだもんな……」
「だってそうだろ、オマエは、オレらと違う所に行くんだよ」

***

「……あ、うん。起きてる」
「アルマか？そうか、まだ五体揃ってるんだな……」
「そりゃそうか、石の販路なんて、うち持ってねえんだもんな」

「…………なあ」
「ジーア、って。言ってみろよ」
「じ、ぃ、あ。ほら」

「……うん」
「ちゃんと人の区別くらい、できるようになれよ」
「オレはアルマじゃねえし、アルマもジーアじゃねえの」
「オマエと人は違うんだから」

「オレ、やっときゃよかったって事、いっぱいあるけど」
「それをちゃんと教えられなかったのが悔しいな」

***
「……」

ジーアと話した記憶は飛び飛びにしか思い出せない。
それも、今になってよくよく思い返せば、そういえばジーアだったかもと思えるくらいだ。

ジーアは何であんなに、アルマに個体の識別をさせたがっていたのか。
どうしてアルマを、『違うもの』にしたかったのかわからない。

「最後　同じ場所　行けない　なら」

無に向かっていて尚、それでも違う場所へ行きつくことが、生まれながらに約束されているというなら。

「……アルマ　独り」

それはとても、寂しく怖い事だった。

孤児院にいる子供たちは、いつの間にか指を、腕を、足を失うことがあった。
いちいち驚くようなことではないと教えられたし、
それは良い事なのだから、特別の興味も持たなかった。
いずれはアルマの順が来る。
肉体を換装していくのが、早いか遅いかだけの違いだ。

肉体をいつ替えるかは、誰にも解らない。
ただ、死ぬ時が近づけば、誰もがそれを知ることができた。

***

フェイタルポイント──運命到達点。
この虚空の下、全ての生命が辿り着く先が死だ。
運命予見装置によって知ることができる距離が、そのまま虚空に生きる人々の寿命だった。

アルマも定期的に測定している。

[58]
「5より　大きい」
[45]
[92]
「……今日も　駄目」

しかし、装置は今日も、意味不明な数字を返すだけ。
ある程度近付かないと、運命への距離は測れないのだという。
近付いているのかも、遠ざかっているのかも、今はわからないままだ。

「……」

運命の地は遠い。溜息をついた。
嘗て聞いた、呪いの一節が過ぎる。



──死して尚、朽ちることのない輝きを残す……





　　　　　　　　　　「それがアルマなんだ。良いよなあ」

　　　　　　　　　　「だったらきっと、アルマはオレ達とは、違うところに行くんだな」

勝負というのは、よくないことだ。
よくないことだと、アルマは思っている。

孤児院の教えは、無を至上のものとして扱っている。
怒りや悲しみ、我欲。煩悩は無から遠くて、畢竟悪いものだと説かれていた。
なら、勝利にこだわり、あれこれと考えを巡らせることは、無から遠ざかる行いではなかったろうか。
孤児院にはチェスやオセロにカード、その他無数の遊び道具があったが、
アルマは、それらの一切をしなかった。

不思議なのは、ゲームそのものを禁じられはしないことだ。
それだけではない。孤児院で禁じられていることは、きっと殆ど無かった。
ただ、”良くない”ことは幾つかあって、それをすれば”お手入れ”をされる。

何度となく、それこそ数えきれないほど無数に、お手入れは行われてきたけれど
”良くない”ことを、正確に答えられるものはいなかった。

***

「……」

”ジーア”の肌に触れる。
これは、少しずつ機械体を組み替えているジーアだ。
より戦場で長く活動できるよう、より、仲間の助けになれるよう、
機械体となったあとも、部品を組み替えていくのはいいことだ。
それは全人類を救うことにつながるのだと、教えられている。

とはいえ、ジーアは一人ではできないので、アルマが何をどう付け替えるか考えて、
（そしてそれは、カシュをはじめ、色々な人の話を聞きながらではあったけれど）
”手伝って”あげなくてはならない。

助け合いは”良いこと”だ。
でも、たぶん、特定の仲間と──お誕生日を迎えた仲間を除いて──だけ、親しくするのは悪いこと。
アルマは良い生き方をしたいと思っていたから、いいと思うことをして、悪いと思うことは極力避けて生きている。

ただ。今日は久しぶりに”悪いこと”をした。
組み替えた大型のレーダーを見上げた。
こればかりは自分の意志で取り付けたものだ。
皆の為、ではない。

「アルマ　それ　重い？」

ジーアに尋ねている。尋ねても、返事は返らない。

「アルマ　わかる？　それ　皆の為　じゃない。カシュの為」
「……だから　秘密」

カシュを手伝いたいと。彼女についていきたいと、そのために取り付けた。
柔らかく優しい生き物。
あのふっくらとした腕が、足が、機械になるのは、
喜ばしくないことのように思った。

実のところ、アルマはカシュの事をよく知らなかった。
知る必要を感じていなかった、というのが正しい。

孤児院の子供たちは皆、選ばれた子供たちだ。
他の人間たちに比べ、皆、穢れから遠い。
ということは、他の人間より、アルマと孤児院の仲間は近い存在のはずだ。
怖いことをしてくる相手なら、よく知っておかないと危険だが、
安全な相手と確信しているから、敢えて知る必要を感じなかった。

だけど、ジーアの事を覚えていないのは悔しかった。
嫌な気持ちになったし、ジーアには悪いことをしたと思っている。
折角、誕生日を迎えられたのに、その栄光を自分の気持ちが汚す気がした。

今度もそんな、嫌な気持ちになるかもしれないし、それは悪いことだ。
だからカシュやポラリス、パティナ、レンゼ、ノッテ、ララ……ほかの仲間の事も覚えておこうと思う。

***

「うーん」

とはいえ。いざ考えると、それはなかなか難しかった。
困ったときに助けてくれる、よく喋る。柔らかい。
……それくらいだった。

柔らかいのは良い。柔らかいものに触れると気持ちが和んで、元気も出てくる気がする。
逆に、固いものは良くない。
触ってもあまり楽しくならないし、強くぶつかると怪我をする。
何より、

「あっ」
ガチン、と硬質な音。
地面に突き立てたスコップが、何かにぶつかって止まった音だ。
周りの土を掘り返してみると、そこには岩が埋まっているらしく、これ以上掘り進められそうにない。

「岩　良くない」

こうして邪魔をしてくるから、岩は良くない。
躓いて転ぶこともよくあるから猶更だ。
柔らかいものは良い。固いものは良くない。

肉体は良い。
無機物は良くない。

「…………」
「…………」
「……掘らなきゃ」

きっと。
きっとよくない考えなのだ。これは。

ジーアがどういう人間だったか、アルマは覚えていない。

多くの人が石を区別しないように、アルマは人を区別するのが苦手だった。
人は皆同じように見える。
個体の区別がはっきりつくようになったのは、孤児院に入ってからだ。
加えて、ほぼ毎日、長くとも一月や二月で目にする顔ぶれが変わる生活を繰り返していては
人の顔と名前など、覚える方が難しい。

最初は、覚えようとしていた。

黄色っぽい髪でも、カシュとポラリスは違う。
ノッテとシエロは近くにいることが多いけれど、あまり似ていない。
ララと院長ハライトは、優しいところが似ているが、体の大きさと、機械の占める割合が違う。
それから、ジーア。

沢山話した記憶はある。親切にも、されたのだと思う。
けれど、ジーアが”誕生日”を迎えたのは、アルマが人の顔を覚え始めてすぐだったから
考えつく思い出が、本当にジーアとのものか、他の仲間だったのか、自信がなかった。

もっと覚えておけばよかった。
淡い悔恨はしかし、クロウドジェイムの教えによると”執着”すなわち”汚れ”なのだと思う。
思うというのは、はっきりと言われたことが無いからだ。

いなくなったジーアを、アルマは探した。すぐに、やめるように言われた。
アルマはそれに……多分逆らって、鞭打たれる事になった。
それで、良くない事なんだと思っただけだ。
それで、ジーアがいなくなったのは、いい事なんだと知った。

一人に固執してはいけない。
それは自らを無から遠ざけ、ジーアすらも無から遠ざけることになる。
それなら、ジーアと呼ぶのもいけない。
無なのだ。せっかく肉の体から解き放たれたのに、汚い人間のときの名前で呼ぶのは、可哀そうだ。


***


だけどやっぱりこうなるなら、もっとジーアを覚えておけばよかった。

案内されて辿り着くまで、それが”ジーア”であると、アルマはわからなかった。
話すこともなく、頭を撫でてもくれない。髪を切ってくれることも、多分ない。
かつての知人の内部で、アルマは機械の声を聴く。

「... ... ... system reboot ok」
「アルマ　おはよう。しばらく　会う　なかった」

自他の区別はなくすべきだ。だから、これはアルマ。
自分はアルマだが、今からジーアに乗りジーアになる。
アルマでありジーアでもあるのだと思えば、少しは気分が弾んだ。

「アルマ　元気？」
「... ... ... rest the ghost
　... ... ... dust to dust
　... ... ... july will be end」

それは、普段使う言葉とは違った。何を告げているのか、アルマにはわからない。
無から響く言葉は、こんなに難しいんだろうか。
他の人より近いつもりだったが、それでもアルマは、無からこんなにも遠い。
少しばかり弾んだ胸が、急激に冷えていく。
これでいいのだという納得。
それでいいのだという諦め。

「言葉　わからない」
「... ... ... thank you for your ... ... ...」
「わからないよ」

それでも”ジーア”と共にいるのは、良いことだと感じた。
右へ左へと、言葉を交わさなくてもアルマの意の通りに動いてくれるから

告げるだけ。無に近づくため、アルマは何も思わない事になっているから
”ジーア”と一緒に駆けたときも、何も思わなかった。

ただ。
”ジーア”が大きくねじ切れるような音がして、操縦棺の中が真っ赤な光と警告音で満たされたとき。
ようやく少しだけ、”ジーア”と言葉が通じた気になった。


***

結局のところ、それは気のせいだった。


通じたと思ったのも束の間、轟音と共に”ジーア”ががくんと揺れて、
今度は全く、思い通りに動いてくれなくなった。
おかしい。”ジーア”はアルマを助けてくれるはずなのに。

さっきはあんなに話してくれたのに、今度は何も言ってはくれない。

「……　…………　……」

通信が入っている。カシュの声だと気付いたが、返事ができなかった。
視界を埋め尽くす噴煙を裂いて、彼女の機体がやってくる。
戦闘はまだ続いているけれど、カシュは上手く弾に当たらぬよう、

もしかして。

「迎え　来た？」

どうやら、誕生日はまだ遠いようだ。


***


ジーアはもうアルマを助けてくれなかったが、今度はカシュが助けてくれた。
牽引されながら、アルマはこれからの事を考える。
”ジーア”を直してもらった、その後だ。

…………」

「穴掘り？」

”ジーア”は多分。まだ誕生日を迎えたばかりで、新しい体が弱いのだ。
強くしてあげないといけない。
機械体になって、無になった後でも、より強くなければ壊されて、元に戻ってしまう。
なによりアルマが無に近づけなくなってしまうかもしれない。

採掘地へ行けば、少しは良い部品が見つかるだろうし
急いで戦うよりも、”ジーア”を整えていくほうがいいだろう。
古いスコップがクロウドジェイムにあったはずだとか、砂の城を作るのは得意だとか、
時間をかけて探せば、もしかしたら、同族がいるかもしれないとか。

あれこれと考えるアルマは、特に意識もせず、孤児院の仲間をひとり、頭数に含めている。
カシュならきっと、手伝ってくれるから。

クリスタリングの血肉は鉱石。
流された涙に血、切り離された肉体、死体までもが石となる。

アルマを初めてそう呼んだのは、クリスタリングの巣を見つけた賊だった。
生まれ出でて十日のアルマは小さく、加えて価値なき石だった。

太陽や炎の明かりの下では、血よりも深く、浴びた光をひとつぶに固めたように美しく輝くそれは、
粉塵が虚空を覆うこの世界では、単なる燻んだ石だった。
アルマは他のクリスタリングと同じに宝石商に売られたが、
宝石商は、高くは売れないアルマを早々に手放した。
宝石商のどれも、アルマを欲さなかったから、結局、アルマは宝石としてではなく、人間として……
自立し、演算装置としても使える安価な労働力として、売られることとなった。

何度、売り買いを繰り返されたのか、アルマは覚えていない。
大切なのは、最後にアルマを引き取った施設だった。

***

クロウドジェイム孤児院。
慈悲深きハライトの教えは、たぶん、アルマを救った。
目を突いて涙を流させられることにも、血を絞られることにも、
意味があると知れたからだった。

「人間の心は生まれながらにして汚れています」
「心がある限りその汚れが取れる事は無く、汚れがある限り人が苦しみから解放される事はありません」
「しかし、全ての苦しみから解放される方法が一つあります」
「それは心を無にする事です」

「無に」

心を無にするためには、肉体を替える必要がある。
天然体から新生体へ、新生体から機械体へ。

「アルマは生まれつき、無に近い」

アルマの汚れた肉体を手入れしながら、ハライトはそう言った。
クリスタリングの切り離した肉体は、石へと変わる、という。
試したことはないが、涙や血が石になるから、きっとそうなのだろう。

「それはとても良いことです。アルマ、あなたは生まれながらに恵まれている」

他の誰も……よくわからないノッテや、少し怖いパティナのいない部屋で
そう言って褒められるのは、アルマにとって、とても安らかな時間だった。
できればここに、カシュやポラリスもいてほしいけれど、それは駄目だと決まっている。

「でも　先生」

先生の手によって生まれる、背中のひりひり。
それで誤魔化せないくらい、首の付け根のあたりがむず痒くなって
アルマはぽつと囁く。

「アルマ　機械になれる　ほんとう？」

答えはない。
ただ、皮膚をより深く裂かれる痛みで、その疑問が良くないものだと知れた。

そうだ。
明日から戦場に出るんだから、そんな事を疑問に思うのはよくない。
それは先生にも、仲間にも、僚機として並んでくれるカシュにも、何より

乗せてくれるジーアにも失礼だ。