ENo.0010　フェディカ

鏡に映った顔を見る。
客観的に見ても長いまつ毛は眠そうに垂れ、相変わらずカビ臭い空気に顔を歪めた傭兵の姿が見えた。
ギュっと目を閉じ、そして顔を引っ叩く。気合を入れて、もう一度鏡を見る。
そこにいたのは、いつもの、ヒレ耳が特徴的な傭兵の姿だ。
辛気臭い顔をしている場合ではない。自分自身もだらしない顔は好きではないし、そして傭兵に相応しくない。それはこの傭兵自身の信条だった。

親は傭兵だった。その親が言うのだ。
『いつ死ぬか分からない以上、いつも身だしなみは整えてあるべきだ』
今はFPなんてものが見える。しかし昔はそうではなかったのだろう。いつ死んでも悔いがないよう、身辺のことなんかは常にきっちりしていた傭兵が……多くはないが、一定数居たようだ。
そしてこの傭兵もまた、FPを完全に信用しているわけではない。測定できるものには誤差や間違いがある、技術者でもある傭兵はFPについてそう捉えていた。
FPを測る限りはすぐ死にはするまい。だが、そう信じ切って今日、適当な身なりで死ぬとしたら？それは傭兵にとっては許せない事だった。

フェデルタ。傭兵と、その幼馴染が創立した民間軍事会社。
傭兵は、この会社を背負っている。実際の運営はAIに任せきっているとしても、表向きは傭兵とその幼馴染の二人が代表となる。
今日死ぬとすれば、その姿は代表に相応しくなくてはならない。
そうでなくても。”オレ”がどういう奴だったか、常に示し続けるため。
”オレ”は傭兵だ。戦いが全て、とは言わないしそれだけが生きがいなんてつまらない嘘は言わない。旨い飯を食うのも、たまに飲む酒も、グレムリンの整備も、同じように生きがいだ。

それでも、傭兵はこの仕事に誇りを持っていた。
”ヴォイドテイマー”
権力者の後ろ盾を持たない弱者。
されど権力者に屈しない強者。
自らの意志でもって前に進み続ける、自由の権化。
”オレ”は、死んだとしても『傭兵であった』と墓標に刻んで欲しい。もちろん、まだその時ではないけれど。

作戦前の準備をする。
AIが各自の配属に合わせて出した戦術に、傭兵自身も目を通してチェックする。
AI、りうの知能は極めて優れている。そのため滅多に過ちは起こさないが、備えあればなんとやらとは言うものだ。
今回も問題なし。念入りに確認してGOを出す。
傭兵自身の戦場は、港湾部。それを確認し、そして最近の収支を確認する。
ついこの前、ヴルッフから雇用された。それを契機に収入は安定し、大金が入るようになった。
久々に旨い魚を仕入れて来れるな。そう考えながら、部屋を出た。

カビた空気を吸って目を覚ます。目覚めは最悪だ。
眠気を引きずるように、しかしエアフィルターのやかましい音が寝かせはしない。
外は明るいのか暗いのか、今は朝なのか夜なのか。それすらも、隔絶された室内からは何一つ窺い知ることは出来ない。もっとも、知らなくていい事かもしれないが。どうせ傭兵は室内か、グレムリンの中にしか居ない。

グレムリン。
そう、傭兵は退屈だった。
ここしばらく、ずっと退屈していた。
TsCの圧力だかで仕事は回ってこない。こんな弱小のPMCでも、果ては三大勢力さえ出番を減らしてると聞いた。
グレイヴネットの情報はどこまで正しいかも分からない。だが一つ確実に言える、印象操作くらいはあることが。世間じゃ傭兵、民間のテイマーは不要だという論調が強い。傭兵にしてみれば、TsCはどこまでもクソったれの邪魔でしかない。
新型グレムリンの発表。そして長らく、PMCであるはずのFΔは運送業者、あるいは廃品回収業者と化していた。
それも、もうすぐ終わる。

「フェディカさん、先方から連絡来てましたよ。」
AIが、モニターから告げる。
”それ”の名前は「りう」。自らを『礼物（Liwu）』と呼び、だからそう名付けられた。
それが告げたのは、新規の契約について。名前は確かヴルッフだったか。彼の依頼によって、FΔは再び傭兵を斡旋するPMCとして活動することができる。
心が躍る。変わらずカビ臭い空気が、今だけは積年の友のように思えた。
傭兵は決して、平穏を嫌うわけではない。ただ、縛られることは誰よりも嫌った。この会社を立ち上げたのも、元は好き放題したかったからだ。自分の知恵と技術を試し、己や友の力だけでどこまでできるか、試したいと思ったからだ。
未だ満足行く結果を得られた訳ではない。それでこの有り様だ。
「今行く。そろそろコーンミールも飽きてたんだ、しっかりやるよ。」
「そうしてください。りうはそろそろ、機関部の不調をオーバーホールでやり過ごしていることを不快におもっています。」
「しょうがねぇだろ？で、他に不調は。」
「ありません。強いて言うと、通信が悪くてひまです。」
「この辺り抜けたら改善するだろうから我慢しろ～。じゃ交渉行ってくるから後頼んだ。向こうからの確約取れたら全員集めて情報伝達だ、呼ぶ準備しといてくれ。」
「ではりうは、たった今から皆さまをお呼びします。りうはフェディカさんにプレッシャーをかけます。」
「……あーもう勝手にしろ。要は取って来ればいいんだろ？あ？？」

AIの方が上手だ。
傭兵は乗せられやすい性格。AIはそれを理解していた。